黒い男と緑の髪の青年が、都内の居酒屋で一期一会の酒を酌み交わすだけの話
勢いで書いてしまったけど、これがなろうのデビュー作でホントにいいのかな?(笑)
「まぁそう緊張しないで、きみも飲みなさい。どうせ見た目の歳でもないんでしょうし」
黒いタートルネックに黒いジャケット、黒いパンツという黒づくめの男は、緑の髪の青年に杯を薦めた。あまり固辞し続けるのも得策ではないと観念したのか、青年も杯を受け取り、ひと息で飲んだ。
「どうですか? 美味しいでしょう。天狗舞。山形のお酒ですよ。豊潤でさばけがよく、しかも美しい。山廃仕込。僕の好きな言葉です」
放っておけば際限なく蘊蓄を語りそうな黒い男を制して、緑の青年は口を挟んだ。
「どうしてあなたはあの男を止めなかったんですか?」
黒い男は頬だけ動かして笑い、無言で杯を重ねる。
ほんの小一時間前のこと。夕方の歩行者天国の真ん中に、血糊のついた柳包丁を手にした男が飛び込んできた。
男が転げるように出てきた路地裏には、数人の人影が倒れている。異常に気づいた歩行者が大声をあげて逃げまどい、それにつられた多くの人々が無軌道な動きで状況を混乱させていた。混沌である。その震源地に刃物の男がいる。
周りの混乱は彼の狂気を逆撫でることしかできなかった。混乱から少し離れたところにいた青年は、完全に制御を失っている雑踏にするりと踏み込み、緑色が鮮やかな長髪をなびかせながら、誰とぶつかることもなく震源地に向かった。
人垣が切れ、転んで動けなくなった若い女性に刃物の男がにじり寄っているのが見えた。
走り寄るには遠過ぎる。
青年は、今まさに男が振り上げんとしている包丁の切っ先に意識を集中しようとした。
そのとき、何の予兆もなく、その黒い男は狂人と女性の間に入ってきた。
散歩していたら野良猫の喧嘩に出くわした。そんな感じだった。黒い男は刃物を振りかざした男の目を静かに見つめ、それから、闖入してきたときと同じように何事もない様子で、人ひとり分しか開いていないふたりの隙間を通り抜けて人垣の中に消えた。
時が止まっていたかのような数十秒を抜け、最初に目的を思い出したのは刃物の男の方だった。目には再び狂人の光が宿り、もはやその動きは誰にも止められない。男は衆人環視の中で柳包丁を振り下ろし、逃げようと這いずる女性の背中に突き立てた。
包丁は女性に触れることなく、寸前の虚空で砕け散っていた。飛び散った刃の破片も女性に降りかかることはない。渾身の力を何かに阻まれた男の右腕が、あらぬ方向に曲がっている。苦悶の表情で腕を押さえてのたうち回る男を、ようやく出番を見つけたかのような何人かの男性が人垣から走り出て取り押さえた。
遠くにサイレンの音が聞こえてきた。
あとはもういいだろう。
踵を返して立ち去ろうとする緑の髪の青年の腕を、誰かが後ろから押さえてきた。
まさか! 油断していたわけでもないのに!
想定外の状況に狼狽えを隠せない青年が振り返った先には、さっき人波に消えた黒い男がいた。
「少し、飲みにでも行かないか」
「あなたならいくらでも丸く収められたはずだ。それなのに、どうして素通りなんかを」
夏野菜の薬味が山盛りになった山形だしの冷ややっこに手を伸ばしていた黒い男が、笑い顔で青年に答えた。
「だってそれじゃあ、きみの活躍が見られないじゃないか」
黒い男に薦められたきりたんぽの味噌焼きをひと口飲みこんでから、青年は男に顔を向けた。
「今思い出しました。あなたはあの日、僕たちのいた本能寺に火をかけましたね」
男は虚を突かれた表情になり、ほどなく大きな声で笑い始めた。
「きみはもしかして、蘭丸か?!」
黒い男はまだ笑い足りない様子だった。
「いやぁ、これは愉快。まさか400年以上経って再会できるとは。この星に永くいますけどこんなに驚いたのは初めてですよ。本当に素晴らしい」
黒い男は青年の盃に酒を注ぎ、自分の杯も満たしてからそれを掲げた。
「呉越同舟。私の好きな言葉です」
青年は複雑な気持ちのまま、杯を受けた。
この男の正体も目的もわからない。それは男にしても、たぶん同じことだろう。ただひとつ、間違いなく言えるのは、この男も自分と同じく不老不死だということ。
青年はこの邂逅の意味を考えてみた。だが、彼の永く数奇な来歴の記憶の中にも、その答えを見つけることはできなかった。
ただ意味もなく、東京の夜だけが深みを増していく。
(了)