039 龍と勇者
龍――それは、人外の極致、魔族の王。
古も古、数え上げるのすら億劫になるほど、遥かなる昔に滅んだという種族。
天すら揺るがす魔力と、神々しい龍の異相を持つ怪物であった。
その圧倒的な力故、神として崇められていたこともある。
――いつだか手慰みに読んだ歴史書の内容が、カーラインの脳裏に反響する。
「聖国の法衣……携えるは聖遺物。成程、秘蹟機関の勇者共か」
リンド=ヴルムと名乗った龍は、整った中性的な顔立ちを、酷薄な笑みに歪めて得心する。
「慶べ、貴様らは運が良い。愚昧な下等生物であれば、ここで命数を使い果たしていたであろう。神の遺物に選定された、其の天運を抱き、この場は疾く去ぬるがいい」
中空で浮遊するリンドは、腕を組み、傲慢な口ぶりで逃走を命じる。
何故に、自分達を見逃してくれるのか。何故聖遺物の事を、そして秘蹟機関を知っているのか。
疑問は尽きない。そしてそれを問うても、素直に答えてくれる手合いとも思えない。
故にカーライン・シェジャ・アーチボルトが導き出した答えは一つ。
「――アーレント、イドグレス」
鋭く、緊張した声音で両名の名を呼ぶ。
「……分かっている」
カーラインが何を言いたいかを、素早く理解したマルス。
「わ、ワタシは……いけます! ど、どんな事になっても」
一拍遅れて、アイリスも頷く。
「――ありがとう」
一言礼を述べ、カーラインはかの龍へ向き直る。
「この世に混沌を齎す等と、不遜にも言い放つ怪物に背を向けて逃走するだと? 悪いが、受け入れられないな」
秘蹟機関は、人類の守護者。
人の歴史が、永遠に紡がれる事を約束する為の、守り手。
その役目を背負っておきながら、目の前の人外の目溢しを受けるワケにはいかない。
何より、混沌を齎すと言い放つ龍を逃せば、またも何処かで災禍が巻き起こる羽目になる。
「故に、お前はここで倒す」
突きつけた〈滅断の杖槍〉の切っ先が、剣呑に輝く。
確かに、先ほどの極大魔法は容易く止められた。だが当方には、聖遺物という切り札がある。事前の準備無しに、カーラインの聖遺物を行使するには一手間必要だが、まだ完全に敗北したワケではない。
屈辱の逃走を果たすのは、それすらも無為であった時だ。
不死の存在すら断ち殺す聖槍を前に、リンドの瞳は不快気に細められた。
「ふぅ……」
リンドは胸に溜まった不機嫌な空気を残らず吐き出すように、深く嘆息をする。
「愚か、実に愚か。愚昧と弄する事すら烏滸がましい。慈悲を垂れてやったのにその態度か。価値あるとはいえ、低俗な下等生物と言葉を交わすのは、実に面倒だ」
鼻白んでしまうほど、痛烈な言の葉を投げたリンドは、浮遊を止めてゆっくりと地上に降り立つ。
「ならば来い。遊んでやろう」
怜悧で残酷なほど美しい顔に、酷薄な微笑みを浮かべたリンドは、両の手を広げて抱擁を求めるようにする。
まるで、全てを受け入れる聖人のように。
「……くっ」
圧倒的上位者の態度。
その所作より感じ取れる傲慢。
そして、それが相応しいと感じてしまうほどの威容。
理解してしまう。
アレは、ルベド・アルス=マグナと同じく、人外の極致。
世界を脅かす、魔王なのだと。
「――言ったな怪物。その傲慢を後悔させてやる」
カーラインの一言を皮切りに、戦端――リンドの方は戦いとすら思っていないような様子だが――は開かれた。
「ハァァ!」
典型的後衛であるカーラインを守るように、アイリスが前へ躍り出て、聖遺物を起動――ブレスレットを剣へと変じさせる。
黒い刀身を持つ、禍々しくも流麗な剣だ。特筆すべきは、ガードの部分がまるで天秤のような意匠になっている所だろう。
「――〈戦技〉っ!」
アイリスは魔力を発露させ、肉体、そして剣へ滾らせる。
放ったのは〈戦技〉――戦士が放つ技の究極系。魔力を用いて放つ武技にして、術式に頼らず必殺の一撃を繰り出す、戦士の異能とも言うべき力だ。
「――グリムロック流・聖剣技、壱の型――〈霊耀断〉っ!」
収束させた魔力が剣に纏い、極光と変じる。
その茫洋なる光は、正しく霊耀。
霧に隠れた月を思わせる輝きを放つ剣を以て、神速の斬撃を放った。
――解き放たれた神速の斬撃はしかし、一切の効果を見せずして受け止められた。
「――っ!?」
いいや、受け止めるなどという、人がましい行為ではない。
リンドは迫る必殺の一撃を前にして、抱擁を求める慈悲深いポーズを崩さず、受けた。
如何なる力か、それとも肉体が途方もなく硬いのか、聖剣技を以てしても一切のダメージを齎せないという、絶望的な結果に終わる。
「――ほう、奇特な技だ。察するに、魔力を励起させ、魔力回路と武装を疑似的に接続――神経伝導の速度で加速された魔力を斬撃という形で放出する――といった所か」
「っ!?」
たった一度だ。たった一度だけ、見せた技の全容を看破されたアイリスは、剣をリンドに押し付けたまま、表情を驚愕へ変える。
「面白くはある。貴様の業前も、ニンゲンにしては悪くない。だが些か、地力が足りんな」
評価を結んだリンドは、残酷に微笑んだ。
「――っ! ハアアアア!!」
必殺の一撃をいなす事すらせず、容易く受けて止められたアイリスは、僅かに自失していたものの、すぐに取り直し攻撃を再開する。
裂帛の気合と共に、高速の斬撃を見舞う。先の一撃程の威力はないにせよ、此度は手数がある。
だが――リンドはポーズを止め、片手でアイリスの斬撃をいなし続ける。
「――っ!」
袈裟の斬撃も、突きも、柄による殴打でさえ、全て軽くいなされる。
「クハハ、そうだ、頑張れ頑張れ」
残酷な声音で、神経を逆撫でるように煽るリンドと、それに必死に喰らいつくアイリス。
膠着しかけていた戦況に、新たなる一手を打ったのは――
「せやぁぁぁぁ!!」
――第十四席次、マルス・デクィ・イドグレスだ。
手に嵌めた頑丈な手甲と、右手に携えた円盾を以て行う近接戦闘――アイリスの隙を補う様に、横から振り抜いた拳でリンドの横っ面を捉える。
――が、
「な、にっ!?」
絶望と驚愕に顔を歪めるマルス。手甲、魔力、そしてマルスの上質な身体能力より放たれた拳。リンドの面をしっかり捉えたハズの拳だが、当の龍は小動もしない。
「クハハ、怖い怖い。他人に手を上げるなんて、実に野蛮だな」
人差し指で軽くマルスの拳を退かして見せたリンドは、皮肉りながら嗤った。
「ふざけた、事をっ!」
一つ悪態を吐いてから、マルスは再び攻撃へ移る。それに合わせるようにアイリスも斬撃を加えていく。
二人に攻め立てられても、余裕そうな態度を一切崩さないリンド。やはり、聖遺物を以て仕留めるより他は無い。
相手の注意がアイリスらに向いていて、かつ慢心している今が好機。――ここで詠唱して、異能を発現させる。
そう決めたカーラインは、〈滅断の杖槍〉を構え、魔力を流し、聖遺物を励起させる。
「――天光連なる御稜威下すは、隻眼の巨神なりて――」
魔力を込めた言の葉を紡ぎ、滔々と詠唱を紡ぐ。
視線の先には死闘を演じるアイリスとマルス。だがその攻撃の一切はリンドへ届かない。
「――天意貫き、極光減じ、喚起せしめるは最果ての戦場なり――」
詠唱を紡いでいるカーラインの姿は見えているだろうが、リンドは無視してアイリスらとの戦いに興じ続ける。
――舐められている。
「――故、即滅の切先を以て、汝の終滅を奉じる。誓約、破却するならば、今此方に滅却の神葬召喚せん――」
詠唱が成り、錫杖が独りでに浮遊し回転――極光を放ち聖槍を創り出す。
「――罪業一切滅断せよ。〈滅断聖槍〉ッ!」
聖槍の投射――聖遺物に秘められし異能の名の口上を以て、それが成される。
発動に気が付いたアイリスとマルスが後ろへ飛んだ瞬間――巨大な光の渦が、槍のような形を形成し、リンド向けて飛翔する。
本来、聖痕によるマーキングが必須だが、詠唱による座標指定でも発動は可能だ。制御に一手間必要だが――その分、当てれば不死の存在を滅する事が出来る。
不死の錬金術師すら追い詰めた聖槍を前に、リンドは微笑みを崩さない。余裕そうな態度はそのままに、彼はただ前に手を出し、槍を受け止める素振りを見せる。
(馬鹿な、自殺する気か?)
そう考えるカーラインだが、ならば好都合と割り切る。
如何なる思惑があろうとも、当ててしまえば倒せる。初めから死ぬことが確定している定命の者には、然程効果を発揮しない聖遺物だが、魔物や、龍などといった人外の理で生きる存在には覿面である。
故に、そう、それ故に――
(勝ったっ……)
勝利を確信したカーラインは微笑み――
「無駄、だな」
――片手で聖槍を握りつぶしたリンドを見て凍り付いた。
「あ、有り得ない……」
絶望的な光景を見て、カーラインは人生で何度目かの失意の淵に落とされる。
「有り得ない? ハハ、ニンゲンとは実に愚かだな。目の前で起きた事象ですら、有り得ないなどと嘯いて認める事を拒むとは。現に、今起こっている行為だろうに」
聞き分けのない子供に、説教をくれてやるような声音で言い放ったリンドは、最後に肩を竦めて見せる。
「何故……〈滅断聖槍〉が効かないんだ。かの錬金術師にすら有効だった一撃なのに……」
自失していたカーラインが、我知らずの内に呟いた言葉。それにピクリと反応したリンドは、僅かに剣呑な表情を見せるが、すぐにそれを消し、再び残酷に微笑む。
「ああ、成程。ならば教えてやろう。不意を打つしか能がない力など、正面から鍔迫り合えば無力なのは自明だろう。先の少女にも言ってやったが、地力が足りんのだよ、貴様らには」
――地力が足りない。即ち、力不足。
「さて、もう終わりかな?」
怜悧な容貌に、慈悲深い微笑みを浮かべたリンドは、優しい声音でカーラインらに敗北を突きつける。
完敗だ。紛れもない、完全なる敗北。
「……っ」
カーラインは歯が噛み砕けんばかりに食いしばる。
「――逃げるぞ」
自失していたマルスとアイリスに鋭く命じる。
カーラインの言葉に気を取り直した両名は、素早く近づく。
「転――」
略式詠唱の転移魔法で撤退しようとした瞬間――
「まあ待て。〈領域封鎖〉」
リンドが指を鳴らして何らかの魔法を行使し、
「――移〉っ!?」
その影響で、転移魔法が効力を発揮せず雲散霧消する。
「バカな……」
数える事すら億劫になるほど、幾度も味わった絶望。
今度ばかりは、その絶望は漆黒に程近いほどドス黒かった。
「多少付き合ってやったのだ。其の返礼として、我が遊ぶ番だ」
微笑みながら言い放たれた言の葉は、逃走の失敗よりも重く黒い絶望を与えた。
「転移魔法が、どうして……」
アイリスが呆然と呟く。恐らく原因は、やはりリンドが行使した魔法だろう。
魔法名から察するに、カーラインも知っている魔法だ。
――〈領域封鎖〉
時空系統第十位階の結界魔法。空間そのものを遮断する結界によって、物理的、魔法的な干渉を断つ。
封印魔法〈積重結界〉を構築する魔法の一つだ。
空間そのものを隔離するので、転移魔法ですら妨害可能である。
先の魔法無効化は、それが原因だろう。
「折角だ、見ていくといい。龍の威光、生まれながらにして王たる存在の力――」
リンドは翼をはためかさせ、空中へ浮遊。地上にいるカーライン達を見下ろして、絶対支配者の如き声音で宣告する。
何度も見せて来た、残酷な微笑みを浮かべたリンドは右腕を高く掲げ、魔力を奔らせる。
その瞬間、彼の腕が光を纏い変異――鱗を纏った、異形の剛腕――即ち龍そのものに変ずる。
「――全霊で凌げ。さすれば死にはしないだろう」
瞬間、空間に散っている魔力が渦巻き、リンドへと収束――瞬く内に膨大量の力となって蒼い稲妻を奔らせる。
――来る。
「イドグレス!」
こと任務においては、頼れる同僚であるマルスの名を叫ぶカーライン。
言われなくても分かっている――そう言いたげなマルスは、無言でカーラインの前に躍り出る。
「――刹那の絢爛。降りし災禍の干戈を弾き滅せよ――」
聖遺物を起動するのに必要な詠唱を手早く済ませたマルスは、右腕に携えた聖なる円盾を突き出し攻撃に備える。
「――出でよ。〈聖滅結界〉」
――マルスの聖遺物、〈聖護の円盾〉の異能、〈聖滅結界〉が発動する。
魔力という概念を遮断する究極防御。物理的な事象にはそこまで有効ではないが、魔法には最優の防御を発揮する。
「第十席次! 貴様も防御しろ!」
マルスの鋭い叱咤。カーラインは遅疑することなく防御魔法を詠唱する。
魔力への完全防御を展開しても尚、消える事の無い嫌な予感。カーラインが感じていたその感覚は、マルスにもあるのだろう。
故に、カーラインは防御魔法を展開。ルベド・アルス=マグナが発動した〈星火燎原〉をも凌いだ結界。
「――〈全方防御〉」
無属系統第九位階〈全方防御〉が発動、多重結界としてマルスの〈聖滅結界〉に合わせ展開される。
純粋な防御能力では、第十位階のそれにも引けを取らない防御魔法だ。カーラインが発動できる防御魔法では一番優秀であり、これ以上は望めない。
リンドが何をしようとしているかは分からないが、出来る事は全てした。
聖遺物すら通用しない相手――どうにか生き延びて、この情報を機関に持ち帰らねばならない。
慢心などしていないつもりだったが、聖遺物さえ決めればどうにかなるという考えはやはり存在した。
錬金術師をあと一歩まで追いつめたという事実が、そんな勘違いをカーラインに与えてしまった。
(私は愚かだ……さっさと逃げていれば、屈辱と引き換えに、情報と命は約束されていたであろうに。何より、また私の独断で、他人を巻き込んでいる。本当に私はどうしようもないヤツだ)
視界の果て、リンドへ収束している魔力が、蒼い炎と化していくのを捉えながら、カーラインは考える。
防げなければ死ぬのだろう。ここで――果てるのだろう。
自分が死ぬのはいい。だがここにいる二人が死ぬのはダメだ。どうにか、どうにかしてこの窮地を凌がねば。
カーラインが焦燥に満ちた思考を走らせていた時――
「――ワタシも、聖遺物を使います」
そういって、アイリスが前に進み出た。
「……っ!?」
そんなアイリスを見て、マルスは何か言いたげに言葉に詰まる。
「大丈夫です、きっとどうにかなりますから」
マルスを、そして焦燥していたカーラインを宥めるように優しく言ったアイリスは、聖遺物である剣を掲げる。
「――我が聖遺物よ、契約者アイリス・エウォル・アーレントの名に於いて命ずる。我が生命を糧とし、迫る災厄を退けよ――」
詠唱を紡ぐと、剣は独りでに浮遊し、僅かに光の粒子を放つ。剣先が地面を向いて浮遊している剣は、ガードの特別な意匠も相まって、天秤のように見える。
「――契約を果たせ。〈両天秤の黒剣〉」
アイリスがそう結んだ瞬間、
「――では、参ろうか。〈龍炎〉」
リンドが創り出した、蒼く燃え盛る大火球がカーラインらに向けて飛翔した。




