028 ある少女の結末
総合評価100pt超えました。
ありがとうございます。
儀式場に入った瞬間、クロムは呆気にとられた。
信じられなかったのだ。
バガテル・ランズベンド。魔槍リヴァイアサンの使い手、英雄の器たる騎士。
その男が――死んでいるのだ。
「きし、だんちょう?」
クロムが力なく彼を呼ぶが、当然返事は無い。
死したる者が、生者の言の葉に答える道理などないのだ。
「………クロム」
血飛沫を浴びたのか、赤い斑点がついたレイアーヌが、力なくクロムを呼ぶ。
ぎこちなく、クロムはレイアーヌを見据える。
「ありがとう、来てくれて。嬉しい、でも、逃げて」
疲れたように笑うレイアーヌ。クロムから目を逸らした彼女は、静かに立ち上がった。
「……貴方の申し出は受け入れられません。私は、レイアーヌ・ベイルハーダ。それが虚像でも、意味なき連続であったとしても、私は私の役目を全うする。貴方が言ったように、根源に定められた使命に、殉じます」
狼の怪物に正面から啖呵を切ったレイアーヌ。その視線には、驚くほどの決意が満ちていた。
「だから、これからも私歌います。でも、それは皆の為。この国を、守るためです」
レイアーヌは一歩前に進み出る。彼女は狼の怪物を見上げると、鋭く睨みつけた。
「ここで私を殺すというならば、好きにしなさい。少なくとも、貴方の期待通りにならないよう努力しますから」
毅然としたレイアーヌを見て、狼は鼻を鳴らして嘲笑う。
「そうか。ならば殉じて、果てに死ぬといい」
――死ぬ。
レイアーヌが、死ぬ?
そんなのは、ダメだ。
――フリーズしていた思考が、愛する少女の危機という撃鉄を以て、再び火花を散らす。
「ッ!!」
崩れかけた身体の姿勢から、素早く踏み込んで剣を抜刀、下に構えながら怪物に突進する。
「――ダメッ!」
いち早くクロムの行為に気が付いたレイアーヌが制止するが、遅すぎた。
狼めがけ、逆袈裟の如く剣を跳ね上げ切り裂く――よりもずっと前に、
「シャァァ!」
狼から生える、二匹の蛇の片割れが、とてつもない速度で鞭のように身体を振るった。
パァン、という破裂音にも似た打音が響き、クロムはもろに身体を打たれ後方へ弾き飛ばされ――意識を失った。
◇◇◇
「ルベドハボクガ守ルンダヨ! 守ルンダヨ!」
怒りながら斬りかかってきたガキを、オルが弾き飛ばして吠える。
「よくやった、お陰で面倒が省けた」
そういって俺がオルの頭をコリコリ掻いてやると、彼はクリクリした目を細めて心地よさそうする。
「アー! オイラガヤロウト思ッテタノニ!」
「ハヤイ者ガチダヨ! ハヤイ者ガチダヨ!」
誇らしげにするオルと、それに突っかかるトロス。二匹のやり取りを見て、ヘルメスが涎を垂らしかけていたので、後頭部を小突いておく。
痛い痛いと喚くヘルメスを無視して、吹き飛んだガキを見る。どうやら生命活動は停止していないようだが、時間の問題だな。
「……なんてことをッ!」
射殺さんばかりに俺を睨みつけてくるレイアーヌ。
「あのガキも、戦いに来た以上死ぬ事は覚悟しているハズだ。まさか覚悟も無しで、切った張ったの戦場に立っているワケでもなかろう」
「……戦士達の流儀は分かりませんが、貴方は戦いの覚悟なんてない無辜の民も、虐殺しているでしょう! そのくせに、今更そのような事を嘯くのですか!?」
「そうだったな、実に正論だ。ならば、弱いのが悪い。弱者は、息を吸う権利すら奪われる。理不尽が平素にて罷り通る世界という名の箱庭では、当たり前の法則だよ」
「……ッ!!」
烈火の如き怒りを視線に宿し、俺を睨むレイアーヌ。彼女に魔眼があれば、とっくに呪いが飛んできていただろう。
「残念だ、レイアーヌ。お前がこの国に歌を振り下ろせば、最期のセイレーンが、最も満足できる形で終わっただろうに」
俺は大袈裟に首を振って見せてから、魔力を発露させる。
「仕方がないから、彼女自身に滅ぼしてもらおう」
「ッ!?」
俺は、新たに得た因子を発現させる。
エリクシル・ドライヴより錬成された魔力を呼び水に、賢者の石に保存された因子が俺の肉体に適応、肉体構造が変質する。
俺の背中より肉がメキメキ生えて、纏った装具を貫通し、翼の形を成す。
澄み切ったエメラルドグリーンと、白のコントラストが美しい、清浄さすら窺わせる大きな一対の翼。
だが翼の内側に、女性の顔を思わせるレリーフめいたモノが生え、それが異形故の恐怖を与える。
俺は翼を一つ、大きくはためかせる。翼の羽根が雪の様に降り注ぐ幻想的な光景の中、復讐に喘ぐセイレーンが吠えるように、魔力が高まっていく。
「〈部分変異・セイレーンの鶴翼〉――さて、待ち望んだ瞬間だ、セイレーン」
囁くように呟けば、呼応するように翼に生えた女の顔が目を開き、口を開ける。
「――〈呪歌・忘却の波〉」
俺が呪歌の行使を命じた瞬間、レリーフの女が魔力を吸い込み――
「ァァァァァァァァアアアアアアァァァ!!!!」
――魔力の籠った絶叫を解き放った。耳を劈くような叫びは、都中に響き渡り、渚さえ超え彼方の海にまで届いた。
「ッ……これは、一体」
レイアーヌが耳を抑え、痛みと共に疑問を浮かべた瞬間、海の彼方から獣の咆哮めいた轟音が響く。
――オオォォォォォォ。
それは、獣めいていた。
さらに響く。徐々に近づくように、音が大きくなる。
やがて気が付くハズだ、それが生き物の声なんかじゃない。
「あ、アレは!?」
レイアーヌは儀式場から見える彼方の海を見て、驚愕を張り付ける。
――〈呪歌・忘却の波〉
自然すら御するセイレーンが放つ、原初的な呪歌。魔力の籠った歌により、自然に干渉し、街一つさえ容易く洗い流す、大津波を呼び起こす。
それこそ、存在すら忘却してしまうほどの大津波を。
そう、咆哮のように聞こえるのは、津波が巻き起こる轟音だった。
「今から十分後、この街すら滅ぼす大津波が襲い来る。退けたくば、お前が言った通り歌うといい」
「ッツ! 貴方はッ!」
返答を待たず、俺は翼を動かし空に浮く。
「まあ、色々あったけど、ようやく終われそうね」
同じように宙に浮くヘルメスが、疲れたように呟いた。
「帰ったら、一から十まで全部教えて貰うからな。計画とかいうの」
「分かってるわよ」
拗ねたような口調のヘルメスだが、ボソリと「伝え忘れたのは悪いって思ってるから……」と言った。
まあ、過ぎた事はしょうがない。今は、全てが終わるのを待つだけだ。
「結末がどうなるか、見届けるとするか」
◇◇◇
「クロム、クロムッ! そんな、どうすれば……」
空に飛んで、街を一望する異形の者共。レイアーヌに興味を失った彼らから解放され、哀れな歌姫がまず行ったのは、幼馴染の安否を確認すること。
「……ぁ」
レイアーヌは慎重にクロムを抱き起こす。呼吸が浅く、素人目でも危険な状態であると分かる。
「どうすればっ……」
考えて、そして思いつく。
レイアーヌは自身の深層に刻まれた記憶を呼び起こす。歌姫となった際に与えられたという、歌の知識。
実情は、鋳造された時に刻まれていたのだろうが。
「……っ」
考える。
この街と、幼馴染の命を。
「私は……」
あの時、悍ましき研究室で見たモノ。
――但し、耐久性に難があり、一度呪歌を行使すれば確実に死亡する。
歌えば死ぬ。だがクロムの為に歌わねば、彼が死ぬ。それに、迫りくる災厄に歌わねば、全員が死ぬ。
死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ――悍ましいほどに、生物の終滅が脳裏に過る。
――だが、結論は呆気ないものだった。
「……ごめんなさい」
誰とも知らぬ者達に謝罪して、彼女は大きく息を吸い込む。
そして歌い出した――救世の呪歌、〈再生の聖譚曲〉を。
空気すら清浄に至るほどの、澄み渡る歌声。
大好きな幼馴染の命を救いたいという、純然たる意志によって行使される魔力が、少年の傷を直ちに癒していく。
「……呆気ないな」
「そんなモンでしょ。いつだって人間は愚かだもの。結末が面白いモノになるとは限らないのよ」
「オナカ減ッタゾ。オイラモウ帰リタイゾ」
「カエリタイ! カエリタイ!」
悪魔共の耳障りな囁きが聞こえる。
誰が笑おうが、これはレイアーヌが決めた事。
きっと、どのレイアーヌもこの決断をしただろう。
だって、彼は、私の、私達の好きな人だから――。
「クロム、私――」
眠る幼馴染に向かって、自らの想いを告げようとした瞬間――
「――ッ! げほっ……」
――痛烈な痛みと共に、赤い血が大量にせり上がってきた。
「うっ……げほっ、あああぁぁ……!」
喉仏を突き破るかのような、酷い痛み。レイアーヌは喉を抑え、そしてすぐに吐血する。
瞳から血が流れる。全身が悲鳴を上げ、機能が停止していくのが理解できる。
視界が充血し赤く染まっていく。自分が見ていた世界が、一瞬で塗替えられていく。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
思考がそれだけに塗りつぶされる。
漫然とした意識の中、ふと過る。
ああ、確かに、これは酷い。彼女達が、全てを憎むのも理解できる。
初めからこのようになるよう設計されたとなれば、猶更だ。
「ああああぁぁぁぁ!!」
口の端から血を零しながら、レイアーヌは絶叫する。
痛みを追い払うべく、地面に何度も頭をぶつける。額が割れ、全身が血塗れになる頃、レイアーヌに過る想い。
(そうだ、歌わないと。歌わないと、皆が死んじゃう)
歌姫としての基本理念。再び知覚した瞬間、彼女を苛んでいた痛みが意識の彼方に追いやられる。
急速に意識が澄み渡っていく。ああ、苦しい、痛い。でも、この身体が終わるまでに、まだやれる事がある。
レイアーヌはフラフラとする身体を動かし、儀式場の奥へ移動する。目指すのは外洋側、普段なら美しい海が見えるハズの場所であり、今は破滅の大波が迫る領域。
足が動かなくなる。ただの重りと化した足のせいで、レイアーヌはバランスを崩し転んでしまう。
「だ、め。だ、め」
だから彼女は、腕を使って這いずる。やがてテラスまで辿り着いたレイアーヌは、手すりにつかまり、どうにか身を捩って彼方を見据える。
赤くなった視界から見える、滅亡の大波。
ふと、首から提げたペンダントが目に入る。
レイアーヌがペンダントに触れると、小さな針が現れる。
(これは……)
レイアーヌは気が付いた。毎年何故、歌姫にこのペンダントが与えられるか。
歌った後襲い来る耐え難い痛みから逃れるべく、これで自死する為に与えられる慈悲の刃。
だから、あの研究室にあったペンダントは、全て血に塗れていたのだ。
今ここで、レイアーヌが握ったように――自分の血で濡れてしまうから。
「ふふ、ふふふ」
口から血の泡が零れるのも厭わず、レイアーヌは笑う。
そして、レイアーヌは残った力を振り絞ってペンダントを海に投げ捨てた。
(舐めないで、私はレイアーヌ。最期まで自らを全うすると決めた以上、死を逃げ場にしたりはしない!!)
死は、結末である。
足掻いた先の、結末である。
断じて、安息などではない。
道具としての生の中、その終わり際に悟った世界の真理。
人形というには余りにも強すぎる意志を以って、彼女は再び歌おうと口を開き――
「レイ、ア……?」
――背中からかかる、愛しき幼馴染の声で振り返ってしまう。
果たしてそこにいたのは、クロムだ。
困惑を顔に張り付け、レイアーヌを見つめている。
言葉を紡ぐ余裕はない。
だからレイアーヌは、一つだけ微笑んだ。
そうして、再び海に向き合う。
目の前にあるのは、自分を生み出した切欠により与えられた、劫罰めいた光景。
怒りすら感じる。いや、そこに散在しているのは紛れもない怒り。
当たり前だ、信じたニンゲンに、全てを奪われたのだ。こうして、復讐に乗り出すのは当然だった。
でも、それでも――
「しなせ、たくないひとが――」
言い終わる前に、レイアーヌは歌い始めた。
鎮魂の呪歌、〈慰めの小夜曲〉を――。




