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177 賢者の名はイカロス

 それは、風無き空の代わりに吹き荒び、雨無き青天の下に落ちていく。

 しかして“それ”は決して自然の具象等ではない。

 始まりの形には程近く……されど確かに、文明の影を帯びていた。

 

「チクショウッ!!」


 焦りがいつになく己を貫くのを、クロード少尉は感じ取っていた。

 

「無理無理無理無理っ絶対死ぬ絶対死ぬ絶対死ぬってこんなの!」


 ミアの繰り言めいた絶叫がパイロットコアに木霊する。

 悲痛か、いっそ一周して痛快なまでの絶望も届かず、二人して阿呆のように見上げていた。


 ――天より注ぐ、黒い雨を。


 ひとつの前、ふたつの前、或いはみっつの前。

 暦が一となるよりも遥かなる始原。

 この世界に、きっとまだ神様がいた頃の話。


 今や死して永い神より分かたれた「人」は、まず石を武器として、次いで槍を手にし、更には弓矢に至った。


 今や爆裂を以て鉛を飛ばす武器が横行する中、それでも弓という得物が生き続ける理由は、(ひとえ)に突出した優秀さであろう。

 材料は手軽で、型を変えれば非力な者も扱える。おまけに矢傷は銃創よりもタチが悪い。


 弓矢という技術の発明が、文明に齎した光明は偉大である。

 往古、狩猟のために用立てられたそれは、投石や槍投げ(アトラトル)を遥かに凌駕し、瞬き程の間に文明へ染み渡った。


 身の丈を超える獣を、或いは魔獣を狩り得る武器。

 それは人の、社会生物や知的生命の宿痾である「戦」の火種を、容易に煽り戦地へ駆り立てる。

 

 そして彼らは戦争を始めた。

 奪う為、生きる為、権威の為、憎しみの為、愛の為。

 あらゆる旗を大義名分に、暴と虐を尽くし切り……そしてその戦禍こそが、文明発展を押し上げた。


 数多くの博愛者や理想論者は向き合いたがらないが、これは純然たる事実である。分けてもこの世界、ライデルにおいては。


 少しばかり、露悪が過ぎただろうか?

 失礼、この場に於いて「火種」を握っている者への尊敬を欠いていた。

 その「ひとり」が背負う名こそ、広く希望を意味するのだから、礼を失するのは考え物だ。


「――う、うおおおおぉぉをををぉ?!」


 ――注ぐ黒い雨が旗艦ヨハネの障壁を、グラインダーめいて四方と八方より削り取っていく。ズガガガっと重機の如き爆音を響かせて、凄まじい火花が周囲を彩ってしまう。

 衝撃が、僅かずつ伝わり戦艦が揺れる。必死に掴まり抗するように吠えるリヴィト准将の無様を、嘲笑う者は無い。


「ぁぁぁっ、し、死ぬっ! 死にたくないィ!」


「ば、ばけ、ばけものォ!」


 理由は単純。その場に居る全員が、リヴィトと変わらぬ醜態を晒していたからだ。自分の事で精一杯な状況なのだ、恐怖の余りあらぬ事を口走る者さえ居る。そんな中、咆哮一つで済ませたリヴィトは寧ろ褒めて然るべきだろう。


「ふざけんなッ、こんな、こんなっ……」


 〈術式結界剣(ツヴァイヘンダー)〉を必死に駆動させカルネアス・アーマーに注ぐ黒い雨を弾き続けるクロードは、余りの光景に疾うに麻痺したハズの恐怖が沸き上がり、涙声になりかけた。


 ……天の果て、遠い空に滞空する白い鷲の勇者。

 勇者というには鋭く、そして冷徹な金色の瞳。

 黒い雨は、その勇者――フレン・スレッド・ヴァシュターが繰る、矢玉である。


 ――秘蹟機関第四席次、フレン・スレッド・ヴァシュターが契約した聖遺物〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉の権能、その拡大解釈。

 それこそが、黒い雨の正体――〈空漠(エア)〉だ。


 元来、〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉が持つ権能とは「矢の生成」と「射撃に関しての物理法則操作」のみ。

 武装型の聖遺物の中でも、ごく単純な増幅系――故にその応用力は乏しく、通常運用では、いつか必ず壁に当たってしまう。

 

 聖遺物〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉の権能の一つ、「矢の生成」に目を付けたフレンは、考えた。

 この権能(チカラ)は、何処まで行けるのか――と。

 

 矢の生成を旨とするだけあって、弓で飛ばす弾を作る分には存外権能の判定は緩い。

 爆裂矢は無論、鏑矢から分裂する玉まで選り取り見取り。

 だがそれらは所詮、「矢」という概念……その土台に沿ったモノでしかなく、そして様々な手を尽くそうとも、逸脱する事はない。

 

 逆を言えば……「矢」の形を取ってさえいれば、凡そ想像し得るような異能を付与可能なのではないか、とも考えた。


 その結果こそが〈空漠(エア)〉。


 自らの魔力を結実させた矢を砕き、周囲に散布。砕かれた欠片は空間の“外的魔素(マナ)”と反応し、矢玉の数々を造り上げる。

 本来であれば「龍」にしか叶わぬ外的魔素(マナ)の利用。聖遺物を介し、その指向性を「矢」にのみ絞る事で、「龍」ではないフレンにも外的魔素(マナ)操作を可能とした。


空漠(エア)〉によって生じた矢玉たちは、その権能の通りに数を倍に増やし、更に増え、殖え、やがて無尽へと至るだろう。……材料となる、周囲の外的魔素(マナ)が尽きぬ限りは。

 つまりはネズミ算である。増えた矢玉が生む矢は、凡そ数倍。

 

 そして、この権能が行使されたのは、レン高原というガイア大陸でも随一の魔力濃度を誇る地域。

 神秘の隠匿となって冷たい地を閉ざす魔力を糧に、鷲の勇者の爪牙は今や百と万を容易く超えた。

 

 その威力は、普段フレンが用いる通常の爆裂矢の半分以下。

 だがその精度と射程距離は、全て術者の射撃技術に依存する。

 同時に放てる数にも、制約無し。

 

 フレンという最も優れた射手によって振るわれる、百万を遥かに超える無数の爆裂矢。


 それは……事実上の、航空爆撃である。


「こんな、こんな出鱈目な……嫌だ、ふざけんなッ……こんな終わり方!」


 弾く、弾く弾く――〈術式結界剣(ツヴァイヘンダー)〉を振るう速度は、巨体のカルネアス・アーマーとは思えぬ迅速。偏向結界の刃が、緑の残光を残しながら黒い矢を切り飛ばす。

 生と死の際によって、極限まで研ぎ澄まされたクロードの操作は、カルネアス・アーマーという下履きを穿いている事を引き換えても、達人と呼んで然るべき領域にまで突入している。

 

 されど、されども……百万を超え、今や一千にさえ凌駕する矢玉相手に、一体全体どれほどの意義があろう。

 それは濁流や豪雨竜巻といった自然の猛威へ、バケツを持ち出すような無謀愚行にも等しいというのに。

 

「くうっ……」


「自律防壁が……!」


 一矢弾く間に三つの矢がカルネアス・アーマーを穿つ。防壁が小さな爆裂で削れ、衝撃が機体を甚振っていく。

 このままでは撃墜も時間の問題。

 

「じゅ、准将っ!!」


 だが、先に落ちたのは遥か下方……旗艦ヨハネを軸とする飛空戦艦。

 制御器の並ぶコントロール室の、机の中にしがみつくようにしていた副官が叫んだ。


『だ、第一駆逐艦……防壁……ホムンクルスが全滅……もう持ちませ――』


 副官の傍に転がる通信機より、ノイズが奔り雲った声が聞こえてくる。事態の深刻さがヒシヒシと伝わる通信は、だがしかし強烈なハウリングの後途絶え、


「だ、第一駆逐艦がっ……!」


 同時、窓の外より見える第一駆逐艦が、砕かれた防壁の欠片を散らし、あちこちから炎と煙とを撒き散らしながら爆裂。

 ドォンという衝撃音の後、更に爆裂。派手な大爆発で澄んだ高原の空を彩り、無数の欠片と何かの炭となって落下していく。


「クソっ、クソォクソ!」


 もはやどれだけ悪態を吐いたかさえ分からぬリヴィト准将。幾度目となる激怒。

 いや、それは恐怖である。

 身を襲い震わせるに足る、恐怖の裏返しである。


 イーファル戦役で嫌という程に刻まれた、過日の絶望。

 着弾、爆裂。着弾、爆裂。空が煌めいた刹那、少し先に居た仲間が貫かれ消し飛ぶ光景。

 あの時とは違う、されど迫るそれは同質の恐怖が……時間が癒したハズのトラウマを無遠慮にほじくり返してくる。


「……ぅぅ!」


 フラッシュバックする絶望が精神の均衡を危うく揺らがせる。

 発狂し兼ねない恐怖から、辛うじてリヴィトを守っていたのは、部下の前で無様を晒すワケにはいかないという矜持と、旗印としての自覚である。

 

 このまま、皆が撃ち抜かれて落ちるのだろう。

 

 その場に居る誰もが思い抱く絶望。きっと偽りなき予感は、


「……っ、冷却、完了!」


 ……ただひとり、カルネアス・アーマーを繰るクロードのみが断ち切った。

 画面を占有していた強制冷却のアラートが消え、〈預言者の翼(エゼキエル・ウィング)〉が復調した。

 

「ミアッ! 飛ばせ!!」


 矢玉を捌きながら、クロードは未だ驚愕に硬直するミアへ檄を飛ばす。

 それを受けたミアは弾かれたようにクロードを見上げる。


「飛ばせってどこに?!」


「ブースト入れろって事だよ機体飛ばすのは俺だろうが!!」


「アンタが言ったんじゃん!」


「いいから!!」


 漫才じみた問答は刹那、未だ納得し切れていないような顔を晒しつつも、手早く機材を操作――再び〈預言者の翼(エゼキエル・ウィング)〉に炎が灯る。


「ここで死ぬぐらいならッ!」


 降り掛かる〈空漠(エア)〉の矢を一気に弾き、生じた刹那の間隙に再び吶喊!


「サイアク! 意味不明! こんなの唯の自殺よ! アンタホント大っ嫌い!!」


 高速で降り堕ちる無数の黒雨が、遡るように天へ突進する事で更に速度を上げてカルネアス・アーマーに衝突していく。

 もはや目視で叩き落す事は不可能――殆ど未来予知、或いはそうあって欲しいと願っただけの勘で〈術式結界剣(ツヴァイヘンダー)〉を振るクロードへ、ミアが涙目でキャンキャンと叫んだ。


 彼女の言う通り、これは迂遠な――いや直截な自殺に他ならないやもしれない。

 回避も防御も不可能な夥しい弾幕の中を、正面より突っ切るのだ。

 だがこのまま手を拱いていても待っているのは死である。

 ならば死中に活を求めるより他は無し。


「黙れ黙れ、うるさいっ黙れ! 俺を信じろッ! 勝つったら勝つ! 勝つったら勝つんだよッッ!!」


 己でさえ、信じ切れていない。

 あのフレン・スレッド・ヴァシュターへ勝てるとは。


 だがしかし、得物も身体も精神も……戦士が常々万全を望めるとは限らない。そして戦う者は、いつか必ず不利な勝負(ゲーム)を強制される。

 得物も身体も、遠く及ばぬ格上ならば、せめて精神だけは上を往く。

 その為には暗示だろうが嘘だろうが、最初に己が信じ切らねばならないのだ。


『高い所で神様気取りか!? ぶち殺してやるぞフレン・スレッド・ヴァシュターァァァ!!』


 故にこそ、ありったけの殺意と覚悟で、抱いた恐怖を置き去った。

 この殺意は祝詞であり、その赫怒は鬨の声。

 敵手を全霊で以って葬り去らんという証明。

 それは戦士にとっての……愛である。


「……見事」


 レン高原の、遥けき彼方。

 眼前に広がる青と白が、星の縁を描いて(まどか)となる境界線。

 その天地と戦地にて、確かに王であった鷲の眼が細まった。

 

 冷たい神秘以外の何かに煙る吐息と共に、情と感の乗った言葉を静かに紡ぎ出す。

 今や彼我の距離は二百を切り、決死に構えた巨大な機銃が、必死に突きつける魔剣が、空の戦士を捉えようとしていた。


「……止まった?」


 ――その間隙、唐突に降り注ぐ死が消え失せた。

 黒い矢の雨は、注ぐモノも天に居並ぶモノも一様に消え、魔力の粒子となって四散する。

 今まで頭を抑えるような重圧として、己共を支配していた恐怖の消滅は、帝国人たちへ安堵より先に当惑を齎す。

 残った四隻の戦艦が騒めく中、旗印たるリヴィトが立ち上がり、呟く。


「そうかっ……止まってないと撃てないのか……!」


 陶然と見上げるリヴィトの先には、遥かなる上空――再びの空中戦を繰り広げるフレンとカルネアス・アーマーの姿があった。

 

 周囲の外的魔素(マナ)を繰る関係上、起点となる〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉は発動地点から大掛かりには動かせない。

 そこまでを看破する知識がリヴィトにあったワケではないが、状況から多少の推察を巡らせる事は出来る。


「よくやった、よくやったぞお前達……!」


 拳を握り締めたリヴィトの瞳は、憧れの英雄を目にした少年のように輝いていた。

 どれだけの戦士より、如何に華美な絵本の英雄より、リヴィトにとっては今まさに、空にて戦う鋼の騎士こそが――それを繰る二人こそが救世主に思えたのだ。


「どうにか……どうにか援護できないのか……?!」


 在りし日の痛みと疵を、優しく縫うような雄姿である。居ても立っても居られず、リヴィトは思わずそう叫んだ。


「なりません准将っ。アレほどまでの接近戦、下手な射撃は裏目となりましょう。その事は准将ご自身も理解なさっているハズ!」


 だがそれを止めるのは副官だ。

 事実彼の言う通り、上空で激しく競り合い飛翔する二者の速度は圧倒的で、距離も間近と言って差し支えない。

 遠距離戦ではどうあがいても分が無い故、必然カルネアス・アーマーは接近戦に持ち込むのだ、当然の交戦距離。

 下方から機銃援護では、ともすればカルネアス・アーマーを邪魔するだけに終わるだろう。自律防壁を削ってしまい、それが原因でトドメを刺されでもすれば目も当てられない。


「では……部下が命と誇りを賭して戦う様を、黙って見ていろとっ……こんな酷な事があるものかッ!?」

 

「耐えて下さい准将……機は必ず訪れます……!」


 血を吐くようなリヴィトの慟哭を、必死に抑える副官。肩を掴む彼の手もまた、リヴィトの声と共振するよう震えていた。

 副官も、そしてその場に居る全ての帝国人も、リヴィトと同じ心持ちである。


 手も足も出ない相手へと、自分らと然して変わらぬハズの軍人が、グランバルト帝国の象徴たる魔導兵器に跨り、魔法と奇跡と幻想の具現たる勇者へと食らい付く。

 

 そのような様を見せつけられて、昂らぬ者が居るだろうか?

 いや、居まい。居ないからこそ、今やヨハネのブリッジは例えようの無い熱気に満ちていた。

 

 この場に於いてはカルネアス・アーマー(クロードとミア)こそが英雄であり、勇者こそが討ち果たすべき悪であった。

 

 誰でも英雄になれる、新時代の兵器。

 皮肉にも製作者の思惑はその死後、勇者という存在を対手に置く事で達せられたのだ。


『避けるなッ、避けるなァッ! 斬り落としてやる、斬り落としてやる!!』


 フレンのすぐ後ろを拝するカルネアス・アーマーが、機械仕掛けの魔剣たる〈術式結界剣(ツヴァイヘンダー)〉を振るって追跡する。魔力の炎が翼より吹き上がり、斬撃の残光が周囲を彩っていく光景の中、繰り手であるクロードの絶叫が響き渡っていた。

 

「ちょっと、クロ……もっと冷静に――」


 異様とも言えるクロードの様相に、思わずミアは止めようとしてしまう。近接戦を演じるのは、ライデル最強の狙撃手たるフレンへの対処としては当然だが、現在の様子は――言うなれば常軌を逸している。

 

 今のクロードはお世辞にも理性的とは言えない。

 普段は種族上、まぁ可愛げがあると言える顔も、貪婪な殺意と狂喜に歪んで原初の獣じみた様子である。

 明らかに正気じゃない。

 

 故に少しでも冷静さを取り戻してほしい。

 正しき戦術眼を欠いている状態で勝てる相手ではないのだから。

 そうでなくば己も死ぬ。

 今や二人は一つの身体を共有しているにも等しい、一心同体なのだから。

 

「……いや」


 だが、止めようとした所でミアは思い直した。

 止まらないだろうから無意味というのもあるが、イカれている割りにはクロードの機体操作は神憑り的領域にまで入り込んでいる。

 

(完全なる……戦闘中毒(コンバットハイ)!)


 戦闘行為という命を懸けた極限の状況下や、非倫理的行いが齎す脳内麻薬の過剰分泌。

 今のクロードは完全に戦いに取り憑かれている。

 その影響か、もはや本能とでも言うべき領域でフレンと戦えている。


(今のコイツは……最っ高にノっているッ!)


 今のクロードならば、或いは……勇者フレン・スレッド・ヴァシュターでさえ殺し得る――そう思わせるに足る凄みがある!

 

「……合わせるから、好きに飛びなさい!」


 故にミアもまた、クロードの殺意に信を置いた。

 お前ならば殺れると。

 

「当たり前だッ! ミア、射撃統制術式(FCS)準備ッ!」


「了解っ」


 自動捕捉を容易く振り切れるフレン相手に、今更――等とは聞かない。

 今のクロードがそういうのだ、相応しいだけの理由と作戦がある。無言の裡に察し取り、思い描いた結末へと至らせる補助は、幼馴染にして副操縦士として同席しているミアの役目である。

 

「至近距離っ、着けるから読み取らせろ!」


「分かってる!」


 皆まで言うなと、阿吽の呼吸で起動した射撃統制術式(FCS)・エイトロニクスが高速で飛翔するフレンを捉えようと駆動――ミアのモニターに写る「検知外」のアラートが、小うるさくパイロットコアを刺激した。


「まだっ……あの速度っ……せめて100メートル圏内にっ!」


 圧倒にして絶対の飛行。機械と魔導で駆動するカルネアス・アーマーを凌駕する翼を、何故に生来持ち合わせたのか。理不尽を問う暇もなく、クロードの視線はただ真っ直ぐにフレンを見据えていた。

 

 元来想定されていた飛行戦力に対しては、十分な捕捉能力を持つ「エイトロニクス」だが、フレン相手には劣る。


 此処とは異なる世界での「射撃統制システム」は、高度に発達した機械が複雑な計算を行い、弾道予測からコリオリ、気温や湿度、気圧さえ考慮し、発射対象への着弾までのラグをも演算して見せる。

 

 だがこの世界ではそうはいかない。魔法と科学を分かつ事はおろか、それが交叉して発達した「魔導科学」等と言う学問まで生まれた。

 

 よってこの世界ライデルで生まれた「射撃統制術式(FCS)」は、コンピューターシステムで行うような膨大かつ複雑な演算を、魔法で代行している。

 その影響のひとつとして、目標を算出する際に鑑定魔法を用いている。

 対象の内的魔素(オド)を算出の基軸と為す為、前提として「鑑定」を当てる所から始めるのだ。

 

 この点こそが最大の相違であり、現状においての弱点だ。

 

 当たり前だが、鑑定し切る前に射程外――この場合はカルネアス・アーマーの視界――に逃げられると無効である。

 通常の相手であれば無いに等しい前提条件。必要な時間は一秒以下――そこから逃げきれてノーゲームに出来るフレンこそが異常なのだ。

 

 さしものホーエンハイムといえど、改善できなかった欠点。 

 時があれば技術発展が帳消しにする弱点だが……それを然したる労なく成せるだろう二人の技術者の内、一人は疾うに死しており、もう一人はこの手の分野には興味が無かった。


「あと、少しっ」


 されども、今や鋼の騎士はその欠点さえ乗り越え鷲の戦士を捉えようとしていた。

 フレンが敵一掃の為、〈空漠(エア)〉を発動し上空に停止していた事は利したのだ。〈空漠(エア)〉を止める為に突進したカルネアス・アーマーと発動者たるフレンの距離は、今までにない程のクロスレンジ。移動速度で圧倒的な差があろうと、


「喰らえェ!」


 ――フレンの後塵を拝すカルネアス・アーマーが〈略式魔導銃(デスペナルティ)〉を掃射。凄まじい貫通力と破壊力を併せ持つ鉛の嵐さえ、必然回避するフレンだが、


「このままっ!」


 強制された回避軌道が、少しずつフレンの飛行速度を奪っていく。今や二者の距離はクロードらが目的としていた100メートル内へと近づいている。


「ここっ!」


 外部カメラより読み取られる景色――その中心に写るフレンの背後。映像に浮かんだ刹那、射撃統制術式(FCS)・エイトロニクスが奔り――ミアのモニターに「検出完了」のアナウンスが出る。


射撃統制術式(FCS)検知完了! 対象をロックオン――」


「スティンガーを!」


「――了解、〈多連装誘導弾頭(スティンガーハイヴ)〉全弾掃射ッ!」


 その刹那に、カルネアス・アーマーが駆動。右肩に備えられた四角い箱が、スライドして斜め上を向いた。

 金属質の箱には穴が等間隔に空き、中には鱏の毒尾じみて尖った、流線形の棒が16発装填されている。

 この世界の常識からは到底武器とは思えない、異様な形。

 

 お察しの通り、これは単なるガラクタではない。

 どころか、これは兵器としてはライデルの常識、そして時代を一つも二つも超えるような代物である。


『喰らえクソ野郎ォ!!』


 クロードが吠えた刹那、機体右肩の箱から十六発の飛翔体が飛び出し、群体めいてフレンを追跡する――!


「……っ」


 後方を一瞬だけ見やったフレンが僅かに目を見開き――ついでと言わんばかりに〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉を射掛けて射撃。


『無駄だっ!』


 追跡する飛翔体を撃ち落とさんと飛んだ射撃は、掠る事さえなく空を切る。


「……ほう」


 いや、その弾頭は強烈な炎を吹き上げながら、自ら回避してフレンを追跡している。正しく生き物――執拗に追い続ける海獣の群れである。


 ――カルネアス・アーマーの追加兵装〈多連装誘導弾頭(スティンガーハイヴ)〉。ロックオンした対象を自動追尾し、爆殺する飛翔体(ミサイル)を発射する。

 

 飛空を行う魔物や敵軍への対処として開発された代物。

 未だこの世界では馴染みの薄い概念……地対空兵器だ。


 空を往く敵への命中精度、魔導師の防壁を考慮した防御貫通の爆発構造――そして何より、対象の魔力を探知する「エイトロニクス」によって、攻撃を自動で回避する性質まで付与した。

 これは魔力探知という方法がある、ライデル故の利点だろう。


「召喚術、のようなモノかっ」


 それは一つの攻撃手段というより、戦局に手駒を投じる召喚術に程近い。

 苦々し気なフレンの呟き通り、取り囲む形で飛翔するミサイルの数々は、一瞬でも宙に止まれば――いや、方向転換のために減速するだけでも被弾し兼ねない。

 

「くっ」


 顔を顰めた鷲の勇者は、四方八方から襲い来るスティンガーを回避して飛翔。身体を捻って避けた刹那に、〈天破りの大弓(フレースヴェルグ)〉を射掛けようと弦を引き絞――る前に、カルネアス・アーマーの機銃が掃射!


「……ッ!」


 流石の反応速度で、射撃の前に再度の飛翔――機関銃の乱打を回避回避……し切る前に、銃弾が生み出す空気の層が僅かにフレンを掠め、腕を小さく裂いた。


「っ!」


 弾丸自体が掠れば今の一撃でさえ、重傷は免れなかった。

 フレンにとっては幸いだったが、危機の中で拾った幸運は得てして長続きしない。

 

「ぐっ!?」


 十六発のミサイルが、立体の檻の如くフレンを囲い四方と八方から襲い来る。

 おまけに、包囲の外から〈略式魔導銃(デスペナルティ)〉で狙いをつけるカルネアス・アーマー。

 これ即ち、窮地。


(だが、全て墜とせる)


 十六発の飛翔体。普通の射手が相手取るのであれば的は小さい。が、フレンともなれば話は別。一矢で十六、九分九厘一掃できよう。

 それ故に、フレンが即席の包囲に対して取った選択は迎撃。携えし大弓に数本の矢を番えて、滑らかな挙動とは裏腹に即座に絞り切り――


『かかったなっ!』


 しかしだ、しかし……打ち放つより前、通信を入れたカルネアス・アーマーより、喜色に満ちたクロードの声が響く。

 先までの様相とは打って変わって、心の底から嬉しそうな態度。


 ……その刹那、フレンを囲うように飛翔していたミサイルが唐突に自壊し、中空で爆裂。炸裂と同時、青白く煌めく薄片が宙に舞い、フレンが滞空していた辺り一帯を覆い尽くす。

 宛らダイヤモンドダストのように高原の光を反射して煌めく薄片は、ともすれば幻想的とも言える光景だが、それを愉しむ余裕等その場に居る誰もが持ち合わせていなかった。


「ぐっ……!?」


 この場に於いての絶対的強者、フレン・スレッド・ヴァシュターでさえも。


 弾頭の炸裂と同時に飛散した薄片は誰一人とて疵付ける事は無かったが、まるで牢獄めいて鷲を囲い、それらの中心に居る当のフレンは強烈な頭痛と眩暈に襲われていた。

 ふらつくせいで魔力の操作も危うく、フラフラとそのまま墜落する勢いの中――薄片の外部に居るカルネアス・アーマーより飛ぶ射撃に反応。正気付いて回避するが、動作は先ほどまでの機敏さや流麗さを欠いていた。


「こ、れはっ……!」


 その痛み、身を襲い来る悍ましい違和感には、覚えがあった。

 あの日、レン高原での緒戦時に魔導を奪われた時と同じ違和感。

 そうだ、これは――


「対抗魔法っ……」


 術式を封じる、或いは破壊する魔法。

 レン高原での戦い、その開戦時に帝国軍が使用した兵器〈領域魔素干渉機〉を、受けた感覚に似ている。

 だが、件のカラクリは既にリーゼリットが封じている。これは一体どういうことかと、フレンには確かな焦燥を感じていた。

 

(いや、この薄片……散術鉱かっ!)

 

 散術鉱、触れている魔力の逆位相の魔力を発して相殺する鉱物。

 相殺する際に、触れている生物が痛みや不快感を覚えるが、これは自らの魔力が「爆ぜた」事による一時的幻肢痛である。

 

 確かに古来より、凶悪な魔導師を拘束する際に用いられていた代物だが、小さな欠片を散布する程度では効果を発揮しないハズ……だと、フレンは認識していたし、事実それは間違いではない。

 

 だが、魔導が複雑な詠唱と演算を加える事で、その性質を常々変化させるように。

 物質もまた、環境と少々の加工で知られざる一面を覗かせるモノだ。


 ホーエンハイムが開発した、〈多連装誘導弾頭(スティンガーハイヴ)〉……だが今し方放たれた「それ」には、通常用いられる炸薬ではなく、その薄片が搭載されていた。


 非魔導依存・対術式兵器。名を〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉という。

 

 周囲の外的魔素(マナ)と感応しやすいよう、加工された散術鉱が薄片という形で散布。

 撒かれた散術鉱は、外的魔素(マナ)と反応し、本来起こるハズのない逆位相の魔力放出を行う。


 この場合の魔力放出は、言ってみれば出鱈目だ。空間に偏在する魔力の波は一定ではなく、故に散術鉱の反応も変化し続ける。

 その魔力に中てられた魔導師は、件の幻肢痛と共に魔法行使が困難となってしまう。


 その内部にいる魔導師にとってみれば、それは致命的である。

 言うなれば、耳元で爆音の音楽を掛けられている状態で、別の歌を歌おうとする行為に程近い。釣られずに歌い切るのは困難だし、間違えれば手酷い(リバウンド)が待っている。

 

 魔導兵器や魔導具の類にも影響してしまうので、不用意な使用は自殺行為だが、対抗魔法に頼らず敵魔導師の魔法を封じるこの兵器は、まさに画期的発明と言えよう。

 

 そしてそれが今、不意を打ってフレンへと振るわれた。

 更には今のレン高原は無風。


「なる、ほどっ……!」


 そうしてフレンは気が付いた。

 これは、形無き牢獄であると。

 

『お前は鳥だ、フレン。強く羽ばたき、空を往く生来の捕食者』


 白銀のように空を揺蕩う〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉より逃れようと飛ぶフレンを、縫い留めるように射出される銃弾。

 その繰り手たるカルネアス・アーマーの主は、熱に浮かされたような声音でそう告げる。


『だが俺たちはヒトだ。ヒトであるが故に鳥には届かず、代わりに籠を拵えた』


 大量に飛ぶ欺瞞片(チャフ)の檻より逃れようと飛ぶフレンを、追いかけ決して出られぬように射撃するクロードが、続けた。


『そこは鳥籠……お前のな』


 ご丁寧に、そんなことまで付け加えて。

 ……四方八方から迫りくるミサイルに対して、フレンは迎撃を選択した。せざるを得なかった。

 鳥は、飛び続けてこそ。一手の過ちが、ドミノ倒し的勢いで以ってフレンを追い詰めようとしていた。


「……饒舌、だなっ。機械の油が、舌に落ちたと見える」


『生憎、猫舌でね。飯も笑いも冷めてるくらいが丁度いい』


 空々しい皮肉の応酬と共に、散術鉱の薄片……それが舞い散る領域から飛び去ろうとするフレンを、外部から止めるカルネアス・アーマー。

 普段ならば軽く飛べる程度の範囲にしか散布されていない〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉だが、不調が飛行の技にまで影響している。

 

 散術鉱の魔力相殺は、魔法だけでなく「魔力操作」にも影響する。

 そして、鳥人が空を飛ぶ為には魔力が必要だ。


 飛行術式のように魔力を消耗するワケではない。

 だが人型の存在が翼のみで空を飛ぶのは力学的に有り得ない。故に魔力での補助、強化が必要なのだ。

 魔力の消耗は微々たるもので、翼を動かし続ける方が神経や体力を消費する程だ。だが確かに魔力操作を行っている。


 つまりはただ飛ぶだけで散術鉱の効果範囲内。

 今まさにフレンは身を襲う激しい幻肢痛を耐えている。

 それ故にカルネアス・アーマーただ一機の足止めを突破出来ていない。


「くっ――!」


 いや、今やフレンを狙っているのは対手のカルネアス・アーマーだけではない。

 旗艦ヨハネを軸とする第一飛空隊の戦艦が、その銃口をフレンへ向けて掃射する。

 幾重にも重なる銃撃の音色は、遠く離れていても耳を劈き、飛翔の風切りは暴風めいて空を叩く。

 

 まさに鉛玉の嵐である。傍観に徹していたのはあくまでも友軍(カルネアス・アーマー)への被弾を考慮しての事。フレンの居場所が一所に絞られるのなら、フレンドリーファイアを憂う必要はない。


 文字通り身を削るような鋼鉄のミキサーを、ただひたすらに回避、回避回避。

 朦朧とさえする痛みの中、見事な曲芸である。先ほどまでとは違って、避ける空間さえ確保できないというのに、この大立ち回り。


「……やりやがる」


 我知らずの内に、クロードより感嘆が零れた。

 天晴れだフレン・スレッド・ヴァシュター。正に勇者英雄の勲に相応しい男であると。皮肉と冷笑の裡に、確かに認めていた。

 

 魔法は奪われ、その源たる魔力は拷問装置へと脱した。

 相手は大軍で己は一人。ほぼ詰みに近い状況だろうに、フレンはまだ勝ちに行く積りらしい。

 その事も含めて、クロードは感嘆していた。


 先ほども述べた通り、現在のレン高原はほぼ無風の状態である。

 それ故に空に揺蕩う程度の質量しかない「散術鉱」でも、フレンを封じるに足る囲いを造れている。普段通りの風速なら、瞬く間に風に散らされ効力を失っていたことだろう。


 だが如何に風が無いとはいえ、フレン自身の身じろぎや飛来する弾丸、薄片の自重落下等によって、〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉の密度は甘くなる。


 つまり時をかければ、いずれは無くなる籠。

 そのタイムリミットまで、フレンは生き残れると踏んでいる。

 いいや、それしか手段が無く、それを遂行し切るだけの覚悟を持っている。

 

 諦めの悪い男だ、いやそれだけは似た者同士か――そんな考えを弄ぶのも束の間。


「ミア!」


「ええっ!」


 それより先に、決着をつける事を望んだ。

 クロードがそう叫べば、同乗している相棒はすぐさま頷き、幕を下ろすに相応しい得物を用意する。


 銃弾の回避を続けるフレンを見据える位置に陣取るカルネアス・アーマー。左手首に展開されていた〈術式結界剣(ツヴァイヘンダー)〉を納刀。代わりに左肩にマウントしていた大掛かりな筒めいたモノが駆動。


「……!」


 折り畳まれていた「それ」が広げられ、肩に担ぐような巨大過ぎる大砲となる瞬間を、フレンは見た。

 音叉のように中が空洞で、上下にレールが備えられた歪な得物。

 鋼と魔導の英知で縒られたそれは、初見の印象とは裏腹に雄大な獣の目覚めを思わせる威圧でフレンを睥睨する。


『お前にも覚えがあるハズだ、フレン・スレッド・ヴァシュター!』


 異形の銃口を担ぐ鋼の巨人、その主が吠えた。顎も声も持たぬ「獣」の代わりを務めるかの如く。

 

『いいや、この世界に生きるニンゲンなら誰だって心得ている。棒切れ振り回すしか能の無い、洟垂れのガキでさえも!』


 咆哮が確かな熱を帯びて続くと同時、カルネアス・アーマーが担いだ音叉のような得物が、僅かに駆動し始める。


「……っ」


 極限まで圧縮された時間間隔の中、やけに冷静なフレンの頭は、今まさに己へと必殺を見舞おうとする異形の得物、その形に何処か見覚えを感じ取っていた。

 見覚え、デジャブ、既視感……言い換えは何でもよいが、兎に角フレンは、それに覚えがあった。


『知っているだろう、遥かな御伽噺――』


 そう、その形。

 上下にあって真っ直ぐ伸びるレール。空いた真ん中に魔力を滾らせ蒼く煌めくその景色。

 

『大英雄に立ち塞がる試練にして、暴威の化身――!』


 周囲の魔力さえ、根こそぎ残さず喰らい尽くす貪婪な殺意。

 そうだ、そうだとも。アレなるは――


『――勇者に相対すのはいつだって』


 以て、フレン・スレッド・ヴァシュターは理解した。

 

「……(ドラゴン)っ!」


 果ての刹那に、空が啼いた。

 フレン目掛けて照射されたそれは、人体が知覚できる速度を遥かに凌駕して、世界を分かつが如く疾駆する。


 その日レン高原で戦っていた全ての戦士は、目撃した。

 かつて神話に謳われていた伝説が、天使でも悪魔でも魔族ですらなく、疾うに消えた神の手に因る事も無く、ヒトによって蘇った瞬間を。


 カルネアス・アーマーに搭載された最終兵器〈偽龍の顎(ジルニトラ)〉――ライデル最強の生物たる「龍」……それが持ち得る絶対にして最大の攻撃手段、ドラゴンブレスを再現する兵器。

 

 紛い物の(ドレイク)ならばいざ知らず、(ドラゴン)の吐息とは即ち滅である。

 その輝き、その震えが、旧くは凶兆を意味する程に。

 

 ドラゴンブレスは、単純な熱量放出ではない。

 言えばそれは、加速と質量による破壊である。

 自らの熱にも耐え得る「鱗」を核に、集めた莫大過ぎる外的魔素(マナ)で以って、その核を放射する。

 

 有り得ざる程の加速を受けた、恐ろしく頑丈な核の投射こそが、ドラゴンブレスの真髄。熱量放出など、その余剰に過ぎない。

 最低でも音の十数倍で飛翔する、質量と熱の塊。

 とどのつまり、滅死の爆撃である。


「……っ、ははは、あははは! 決まった、決まった、決まったッ!」


 陶酔にも似た全能感。

 獲ったという確信が、クロードの脳髄を内から衝いていた。

 

偽龍の顎(ジルニトラ)〉のブレスは、当然「本物」に及ぶべくもない。

 だが弾速、攻撃範囲、そして威力は全てフレンを仕留めるに能う程。


 中空に散る散術鉱の檻を、全て呑み込んで尚足らぬ程の太い光線である。避ける余地等なく、発射される寸前までフレンはカルネアス・アーマーの前に居た。

 

 つまりは当たった。当たったという事は勝ったのだ。

 

「……ホントに、倒した? わ、私達が……?」


 いまだ信じ切れぬといった様子で、呆然と呟くミア。

 それも致し方ない事だとクロードも思う。

 如何に画期的な兵器があれど、一介の軍人風情が勇者を殺せる等、普段のクロードであれば冷たい罵倒であしらっていた事だろう。


 だが事実はどうだ? かのフレンは今や堕ちて居ない。

 伝説を、打ち倒し――


「――ッ!?」


 甘い勝利の余韻は、身を貫くような衝撃に水を差される。

 魔力の炸裂が瞬く間にカルネアス・アーマーを削り、左腕を消し飛ばし、更には右手の肘より先が、武装ごと吹き飛んだ。


「こ、れは――!」


 凄まじい警告音がパイロットコアに響き、赤黒い光の明滅と共に機材が爆ぜていく。

 突如として叩き落された混沌の中、未だノイズの迸るカルネアス・アーマーの視界を通じて、クロードは見た。


「……あり、得ないっ。何故生きている――フレン!!」


 鋼の巨人より立ち昇る、黒い煙の奥。

 白い鷲が、それよりなお白い翼を広げている。

 フレン・スレッド・ヴァシュター、絶死と思われた攻勢を掻い潜り……今再び帝国の悪夢として飛翔していたのだ――!


「ウソ、無傷っ」


 驚くべき事に、その身体には傷が無い。

 ほんの僅かな切り傷が、雪原に散る花びらめいて白い毛を穢しているのみ。だがあのダメージは銃撃の回避、その余禄に過ぎないハズ。

 

 龍の吐息を凌ぎ切り、件の怪物へ得物を振るう。

 そのような真似が叶う者など、この地上においてはただひとつ。

 正しく勇者に……他ならない。


『どう、やって……!』


 我知らずの内に入れていた通信が、静寂の満ちた空に響き渡った。

 だがフレンは答えない。軽く腕を払った後、右手に再び魔力の矢を出現させ、


「既に武装は尽きたと見える。退くがいい、無為に死ぬことも無かろう」


 ただ冷徹に、クロード達の敗北を告げていた。

 

 不可避と思われた〈偽龍の顎(ジルニトラ)〉の砲撃と、〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉による妨害。

 それらからフレンが逃げ果せ、致命的な反撃さえ見舞えた理由は、酷く単純で……完全詠唱破棄の、転移魔法である。

 

 そもそもの話、魔法とは脳の技である。

 魔法とは「魔力」というあらゆる物質の源を、思考にて特定の形や現象として、世界に出力する行為。

 極論……生命活動を維持できていれば、脳みそだけでも魔法は使える。

 

 だがらフレンは、カルネアス・アーマーが〈偽龍の顎(ジルニトラ)〉発射の為に攻撃を緩めた刹那……〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉の外部に「頭」のみを露出させて無理矢理に転移魔法を詠んだのだ。

 

 必然身体は〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉に触れている。印相などで身体部位を使う動作をすれば、身体の魔力回路から流れを辿り、〈魔素欺瞞片(アムルタート)〉の妨害が脳にまで届いてしまう。

 だからこその完全詠唱破棄。全てを脳内で完結させる方法での術式発動。

 幻肢痛に襲われる羽目になるものの、脱出自体は可能。艦隊の銃撃と、カルネアス・アーマーの追撃から逃れる為には、この方法しかなかったのだ。


「クソ、チクショウ、ありえねぇ……!」


 そんな事を知る由もないクロードは、起った事をただ悔やむよりほかなかった。


 そう、知らなかったのだ。

 魔導師にとっては常識でも、帝国人にとってはそうではない。

 皮肉にも鋼の英知を謳う帝国人が、知識の差で敗したのだ。


「負け、よ」――蚊の鳴くような声で、ミアが言う。「私達の、負け」


 そうだとも、クロード・オリヴェイラ。これは貴様の敗北だ。

 己の中の理性が、目の前の鷲以上に冷たく告げている。

 だが、負けたとて――結末はどうなる?


 あのアズガルドが捕虜など取るだろうか。食糧事情は帝国と同じくらいか、アデルニア無き今……ともすれば帝国以上に厳しいだろうに。

 そもそも、一つの都市を魔法で焼き払う連中に一体何を期待しろと言うのだろうか。


 ……己たちがここで引けば、本土進攻は水の泡。兵器も兵力も大きく損ない、帝国に瑕疵を付けて終わる。

 自分は、どうすればよいのか。ここにきて魔導通信がイカれているのが、酷くクロードの精神を追い立てる。指示を聞く事が出来れば何か手だてもあっただろう。


 ……フレン。フレンだけでも潰さねば、撤退すら覚束ない。

 ならば己が取るべきは、ここで遂行すべき役目とは。


「……こちらクロード少尉! 現在からフレン・スレッド・ヴァシュターへの遅滞戦闘を行う!」


 受信は出来ないが、送信は可能。

 ミアが言った言葉を信じて、今やノイズしか走らない通信機へ怒鳴るクロード。

 

「ちょっ、どういう事よ!」


 予想通り噛み付いてくるミアに、視線を落とすクロード。

 今の己はさぞ酷い顔をしているのだろうと、心の中で自嘲して口を開く。


「決まってるだろう、殿だ」


「無理に決まってる……だってもう、武器なんもないのに」


「だが誰かがやらなきゃならない! フレンが残ったままでの撤退戦なんて、上から撃たれて全滅だろう!?」


「それは、そうだけど――でも、でもっ!」


 必死に言葉を紡ぐミア。

 当たり前だ、死にたくないのだ。

 何に背を向けようとも、死にたくない。クロードとてそうだ、死にたくはない。

 

「なら此処で選べ! 俺と死ぬか、フレンに背中撃たれて死ぬか、それとも銃殺刑かッ! もう死ぬしかないんだよ俺たちは!」


 だが死ぬしかない。もはやこの二人に許されたのはそれしかない。

 全てから背を向けた果てに死ぬか、全てを背負って死ぬか。

 死と死、そこに反するハズの生は無い。至極当然、今生の反対は死しかないのだから。


「どう死ぬかを選ぶんだ、選んだのなら付き合ってやる! 選ばないのなら俺に付き合って死ね!!」


 これは信念の問題だと、最初に言った。

 ならば言った通りに逝くのが、条理というモノだろう。

 フレン・スレッド・ヴァシュターとの戦いに出たその瞬間から、この二人の運命は決していたのだ。


「……」


 悲鳴にも等しいクロードの叫びを聞いて、ミアは目を閉じる。

 やがて厭そうに開眼した彼女は、モニターを見据えて、


「どうせなら、面のイイ男と死にたかった」


 ただ一言、吐き捨てるように呟いたのだ。

 今までで最もサイアクな皮肉を聞いたクロードは、口角を上げて獰猛に微笑み、


「悪かったな――可愛くって!」


 咆哮と共に、操縦桿を倒して吶喊する。

 

「まだ来るか!?」


 左腕は完全に吹き飛び、右手も〈略式魔導銃(デスペナルティ)〉ごと消失している。〈偽龍の顎(ジルニトラ)〉は使い捨て、〈多連装誘導弾頭(スティンガーハイヴ)〉も残弾ナシ。

 攻撃手段など疾うにない。そのハズのカルネアス・アーマーが、まだ戦う。フレンが目を見開くの当然。


「このまま突っ込む気!? 武器ないわよ!」


 それはフレンのみならずミアさえ抱く疑問。だが当のクロードは牙を剥き出し、


「右肘の姿勢制御バーニア――その噴射炎で、奴を焼き殺す!」


 己で言っていてなんとも有り得ないと自覚している。

 噴射する炎は最小限に抑えられており、余程の至近距離でなければ十分な威力は出せないだろう。

 分の悪い賭け、等と言う事さえ烏滸がましい。


「サイアクの馬鹿ね!」


「代案あるなら言えよな!」


 暴言をいなして吶喊――武装とパーツを失った事で幾分も軽量化し、それ以上にバランスの悪くなった機体を器用に操作して、フレンが放つ矢を回避。


「まだ食らい付くとは!」


 突っ込んでくるカルネアス・アーマーを上空へ飛んで回避――した所を更に追尾。〈預言者の翼(エゼキエル・ウィング)〉を激しく灯し、軽くなった機体を回転。


『灼けて死ねぇっ!』


 彼我の距離はごくわずか。姿勢制御バーニアの噴射が十分届く距離。

 決死の願いが籠った絶叫――バーニアの炎がフレンの顔を掠め……る前に更に飛翔。


「炎の翼、成程見事」


 なんとか絞り出した奇手も、ごく当然のように回避される。

 ならばもう一度だ――当たるまで繰り返すのみ。

 

「――ッ!?」


 獰猛な思考は、身を貫く衝撃に搔き乱される。

 着弾。自律防壁を貫通し、砕けた術式が破片となって散っていく。

 カルネアス・アーマー内部は遂に小さく火が噴き出し、操作さえ機能しない。

 今度こそ完全な、詰みである。


「クソ、が」


 衝撃で散った機材の破片が、頬を傷つけ黒い被毛を僅かに濡らす。

 呆れた事にフレンは回避した瞬間、左足と左腕で弓を引いて射撃したのだ。

 神業だと呼ぶ事さえ憚られる。それはもはや魔の領域、魔技の類だろう。


「チクショウ……っ、ミア!」


 悪態をつく暇もなく、クロードは相棒の惨状を目撃する羽目になった。

 

「ぅ……かはっ」


 砕けたカルネアス・アーマーの一部だろう、大きな金属の破片がミアの腹に突き刺さっている。ぐったりとした身体、口の端から流れる血――見てわかる程の重傷。

 クロードは急いで操縦席を離れ、ミアの傍に降り立った。


「ミア……!」


 明らかに臓器を貫通している。すぐにでも魔導依存の治癒が必要だが――この場所では、望めない。

 

「……っ」


 彼女は死ぬのだ。ここで……死ぬのだ。

 クロードはミアから視線を逸らし、ショルダーホルスターに収めたP38を抜く。

 スライドをわずかに引いて薬室を確認。真鍮の剣呑な光が、無機質な魔力灯を照り返した。


「……最期が俺で、悪いな」


 彼女も自分も、きっと何一つ願いを果たせぬままに尽きていく。

 皮肉ばかりのクロードにしては珍しい言葉に、ミアは痙攣的に微笑んで手を差し出す。


「……さみしい、よりは、ずっといい」


「そうだな……」


 クロードはミアの手を左手で取った。拳銃を抜いて尚、利き手を差し出した理由は彼自身測りかねていた。

 

「……合図したら、コアを開けろ」


「え、え……」


 それ以上は何も言わない。婉曲な言葉だけで伝わる心理。

 最後にモニターが捉えたフレンの距離は10メートル弱。拳銃でも十分殺せる距離。

 

 ……殺せる? フレン・スレッド・ヴァシュターを、こんな豆鉄砲で?

 

 相手は大量の機関銃にさえ怯まず圧倒する勇者の中の勇者だ。今更9パラ如きが何になる?

 無数の疑問が、クロードの決意を鈍らせる。恐怖と言う足枷になって纏わりついてくる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……っ」


 我知らずの内に息が荒くなり、心臓は緊張で鼓動を早める。

 いっそこのままで居たい。生温い幻想さえ過る脳。

 だが絡ませるように握るミアの手が、その鎖共を拒絶した。

 

「……今だっ」


 右手で携えた拳銃は、驚くべき事に違和感がない。

 それがこの戦いで得た成長なのか、極限の状況が神経を鈍麻させているだけなのか、クロードにさえ分からない。

 

 フレンが居るだろう位置に狙いを定めた刹那、ミアが緊急用のパイロットコア解放のボタンを押す。

 ガチリと金属が軋み、バネが跳ねるように素早くコアが開く。


(頼むから、当たってくれ)


 久しぶりに見る気さえする陽光を感じる間も無く、願いと共に引き金を引く。


 差し込む明かりより尚明るい銃撃のマズルフラッシュが、クロードの目を刺し――カァンと、間の抜けた音が銃声に混じって聞こえる。


「……あ」


 視界の先に居たのはやはりフレン。

 彼の前には魔力で縒られた厚い壁。右手は剣指を立てて剣の印相を結んでいる。


「物理、防壁……」


 何の事は無い、単純な防御魔法だ。

 ごく単純な防御の術に、クロードのありったけは儚くも挫かれたのだ。


「……くっ!!」


 やけっぱちのように湧き上がる怒りが、再びの射撃につなげるよりも前――ドォンとカルネアス・アーマーを貫く衝撃。

 

「ぐっ!?」


 銃撃を受け止めると同時、フレンの放った矢が曲線を描いて遅れて着弾したのだ。今度こそ機体を貫通し、〈預言者の翼(エゼキエル・ウィング)〉さえ炸裂してユラユラと高度を下げて落ちていく。

 衝撃に背を貫かれ、炎が身を少しずつ焼くのが分かる。取り落とした拳銃を拾う気にさえならず、クロードはミアを抱き寄せて、


「……何が勇者だ」


 代わりに、空いた右手の中指を立ててフレンを見上げる。

 せめて罵倒が、この負け惜しみが、かの者を呪うようにと。


「くたばれ、化け物」


 牙を剥き出す笑みと共に、呪詛を吐き切った。

 ……カルネアス・アーマーが小さく爆裂を繰り返しながら、ゆっくりと落ちていく。

 雷光の如く堕天使か、或いは陽に焼かれた蠟翼の戦士。その末路をなぞらえるように。


「……」


 小さく消えていく鋼の巨人を見て、鷲の勇者は何を想うのか。

 ただ、携えた異形の大弓が霧と化して消えて尚、彼は何かを握るように拳を締めていた。

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