174 鋼の空
「……それで、君が送られてきたというワケか」
仄かに暗く、おまけに埃っぽい室内。決して快適な環境とは言えない。特にこの場所は空が見えにくい。それこそが第四席次、フレン・スレッド・ヴァシュターの精神を最も鑢掛けする。
彼が腰掛ける古びた椅子は、身じろぎする度に軋む上、背もたれが無駄に広く、大きな翼のある鷲の獣人種としては酷い使い勝手だ。
(翼が凝って仕方がない)
戦地故、鳥人種用の翼鎧――翼を守るための装具の総称――を纏っているのもあって、翼から肩にかけての筋肉の疲労が二重で加速している気さえあった。
もはや自分が何に苛立ち追い詰められているのかさえ曖昧な精神が、猛禽類特有の鱗で覆われた指を、ささくれたテーブルにカツカツ打ち付けさせる。
『その通りですわ、フレン様。やはり議会としても、レン高原の戦況は重く見られている様子で』
響く声は、聴き馴染んだ同じ機関員のモノ。だがその部屋にはフレン以外誰もおらず、おまけにその声は脳裏に直接響いていた。
無属系統の通信魔法〈遠話〉である。秘蹟機関に所属する機関員用の秘匿回線故、レン高原という戦場の只中に在りながら、傍受の畏れさえ無く悠々と通信を行えている。
「……結果が、君の投入というワケか。ベルミス」
感じた頭痛を堪えるように目を閉じてそう言えば、通信の向こうからクスクスと笑う気配がした。
『どうか私ごときは、リーゼリットと気安く御呼び下さい。……幾度か、申し上げているハズですが?』
言葉こそ固いものの、声音にはフレンを揶揄うような色が多分に浮かんでいる。
どう返したらよいものか、フレンの口から緩い嘆息が零れる。
「……妙齢の女性を気安く名前で呼ぶワケにはな」
我ながら死ぬほど真面目腐った返事である。
普段なら多少は気の利いた返しも出来たものを、やはり今の己は疲れている。……いや、ここ数年、疲れていない時などあったろうか? うっすらと疲れているか酷く疲れているかしか無いんじゃないだろうか?
そんな疑問まで湧いてきた。いや愚問か――ああ、何と詰まらぬ思考だろうか。またぞろフレンは虚しくなってくる。
『あら、カーラちゃんの事は、“カーライン”と呼んでいるじゃありませんか?』
だがそんなフレンを追撃するように、魔法通話の先よりおちょくってくるのは――秘蹟機関第五席次、「節制」のリーゼリット・ルース・ベルミスである。
「いや、それは――」勘違いされても件のカーラインに失礼だ、弁解の言葉は通話の先……リーゼリットの発言に持って行かれた。「――カーラ、ちゃん?」
持って行かれるだけでなく、鸚鵡返しまでしてしまう。己の種は鷲だというのに。
『ええ、カワイイでしょう? カーラちゃん、って呼ぶとほんのり顔を赤くするんですよ。うふふ』
等と愉しげに続けるリーゼリットに、フレンは甘すぎる菓子を食べた時のような頭痛を覚えてしまう。
第一席次との定期会合で、彼女の勧めに従い南イーファルの郷土菓子クナーファを喰った時を思い出した。どうして彼女はあの手の甘味をスイスイと食べ進められるのだろうか。
「……それは兎も角、君の方は問題無いのか?」
いくら傍受の畏れが無く、戦闘自体も小康状態とはいえ、いつまでも余裕気な雑談に興じているワケにも行かない。少々強引に話題を戻す。
『ええ。サルコマンドより聖区カダス――及びレン高原戦線を視認できる位置についておりますわ。知っての通り、観測可能距離が私の術式射程です。今からでだって、援護の術が飛ばせます』
――秘蹟機関随一の魔導師、リーゼリット・ルース・ベルミス。彼女の真髄は、魔導師としての表層的原理たる「固定砲台」にこそある。
飛び抜けた演算領域に、世界七大系統が内の六系統を使いこなす〈第六奏者〉――そしてそれらを十分駆動し得る魔力量と、それ以上に優秀な魔力運用。
現代においてはもはや珍しい、近接戦闘を完全に捨て去った古来よりの魔導師。魔導戦のエキスパートである。
「サルコマンド……カダスの後方、レン高原とアズガルド本土を分かつ境目の都市か。相変わらず、よく視えるな」
『うふふ。狙撃の名手たるフレン様にそう言われるとは――私でなければ、嫌味と受け取っていましたよ、きっと。何せ素の視力でも、今の私と同じほどには見えていらっしゃるでしょうから』
「……ふっ、懐かしいな。観測手と狙撃手の流動的、三次元的交替戦術。ならばこそ、“律翼”の名は私ひとりのモノではない」
――大昔の魔導師は、後ろから魔法を打っているだけで良かった。
それはある種、今でも変わらぬ。
だが帝国製魔導兵器の台頭……それに伴い、自国戦力の大半が魔導師である聖国は、魔法運用の再定義を余儀なくされた。
魔導兵器の台頭に伴い、世界全体の基礎武装レベルが向上――従来の防御魔法では敵の攻撃を防ぎきれなくなり、また塹壕や市街地での接近戦も増えた関係上、魔導師であっても身体を鍛え、一端の近接が出来るようにと時代が移っていった。
それ故に、かつては剣と魔法を繰る者を指す「魔法剣士」という言葉は廃れ……現代の魔導師は、当たり前のように近接戦と魔法戦を切り替えられるようになったのだ。
無論、後衛的な魔導師が消えたワケではないが、聖国を中心とした魔法文明圏では戦闘員の大半が魔導師。大昔のように、所謂専門職的な「前衛」や「戦士」は極めて少ない。
だが、フレンの同僚にして戦友、リーゼリット・ルース・ベルミスはその時代に逆行する魔導師。
セオリーからの逸脱者には、二種のパターンがある。
単純な天邪鬼か――或いは、そうすることでセオリー通り以上のメリットを得られるか。
リーゼリットの場合は当然、後者。
一切の近接戦闘能力を捨て去り、純粋な魔導師としての才能を鍛錬した結果、随一の詠み手と成ったのだ。
遠距離での制圧力と魔導戦での圧倒的優位――同じく遠距離攻撃最強たるフレンと組む事で、狙撃手と観測手を自在に切り替えあらゆる地点からの攻撃を可能とする戦術は、イーファル戦役において凄まじい悪名を轟かせた。
『生憎、今回は出番が無さそうですけれどね。此度の私の役目は、敵の対抗魔導兵器の妨害ですもの』
「それもまた、君にしか出来ない役目だろう」
レン高原での緒戦にて登場した、帝国軍の恐るべき新兵器〈領域魔素干渉機〉……聖国側の魔法を封じる忌むべきカラクリ。それを封殺する為、第五席次リーゼリットは態々レン高原まで出張ってきたのだ。
『件の兵器、発動した瞬間の観測情報が無ければ、私とてどうにもなりません。先んじて参戦なされていた方々のお陰です』
そう謙遜を交えるリーゼリットだが、如何に相手の魔導兵器のデータがあろうと、戦場ひとつを覆う巨大な対抗魔法を中和する等という真似は、容易く出来る事ではない。
「慎ましいな、相変わらず君は。とまれ、君の援護を受けられるとあれば、私としても心強い。これで気負いなく翼を広げられそうだ」
『ふふっ、フレン様の空中戦……久方ぶりに見物させて頂きますわ』
そのやり取りを最後に、〈遠話〉は切られ通信が途切れる。一転して静まり返った室内で、フレンはひとつ溜息を吐いた。
しばらくの内、融通の利かない椅子に身を預け、あてどなく視線を彷徨わせボンヤリとしていたフレン。少しの間そうしていると、彼の居る部屋の扉がノックされた。
「……。入ってくれ」
パチリと指を鳴らし、無属系統の減衰結界で施していた防音を解いて入室の許可を出せば……入ってきたのは二人の女性。
「第四席次……お加減は如何ですか?」
「フレン様!」
反するような調子の女性二人。前者はフレンを慮るように丁寧な言葉遣い。容貌も鋭利な美を持ち、プラチナブロンドの髪を靡かせている。手には槍のような錫杖を携えていた。
後者は一転して快活といった印象。室内のフレンを見ては子犬のように円らな目を向け、茶髪のポニーテールをそれこそ尻尾のように振り回す。
二人して秘蹟機関用の黒い法衣を纏っている事から、両者共にフレンと同じく“勇者”である事が理解出来よう。
前者は第十席次、カーライン・シェジャ・アーチボルト、後者は第十三席次、アイリス・エウォル・アーレントである。
「二人共……」
思わずフレンの声色も柔らかくなる。昨今は事情が事情――残念な事にもはや機関内さえ信用のおけぬ今、警戒をせずに済むのはありがたい。……自陣の中、消音用に術式自体の隠匿が容易い減衰結界を行使していたのも、それが理由だ。
二人を部屋に招き入れたフレンは、再び指を鳴らして結界を起動。聖区カダスに備えられて久しい、粗末な椅子を二つ引っ張ると勧めた後自分も座る。
「消音結界という事は、何ぞ本国からの連絡でしょうか」
失礼、とだけ言って椅子に腰かけたカーラインは、壁に錫杖――聖遺物〈滅断の杖槍〉を立てかけてそう言った。
「ああ。第五席次……ベルミスがサルコマンドに現着した」
「成程、本国から増援が来るというのは真でしたか。それも第五席次とは――となればやはり、あの話は……」
そこまで言った所で、カーラインは目を伏せて口籠ってしまう。怜悧な顔は沈痛な色に沈み、膝の上の拳は何かを堪えるよう握り締めてさえいた。
「……そうだ」既にある程度は心の整理を終えたフレンが、言葉を続ける。「レヴィスは殉教した」
我ながら口調は冷たかった。些かの感情さえ、窺えない程。
整理はとっくにつけた。或いはそう思い込む為の、感覚麻痺の一種。
「フレン様……」
何を察したか、或いはフレンの虚勢を理解してかアイリスは己の事のように、悲痛な面持ちで鷲の勇者の名を呟いた。
教導すべき、年若い者に案じられる……何とも情けの無い事だ。
お前は勇者は居ると、勇者たると証し称するのだろう? フレン・スレッド・ヴァシュター。……自傷にも等しい皮肉を胸中で刻み、その痛みによって無理矢理に落ちかけた心を整え直す。
「未だに、信じられません」目を伏せたままのカーラインが、そう囁く。「レヴィス殿が……何かの間違い等ではと、思ってしまいます」
そういうカーラインだが、フレンも気持ちは甚く理解できる。
レヴィス・ダーレイ・レテルネラ。直接的戦闘に於いては、機関内でも最良と言ってもいい。イーファル戦役ではフレンと並んで“雷帝”等と、大仰な二つ名で敵軍より恐れられたほどだ。
だが、彼女は死んだ。世人に西方の猛虎と言わしめる、リンクス・マグナハートに敗れて。
「オーヴァの言だ、見間違いや……増して偽りの類ではない」
「……はい、分かってはいる、のですが」
「本国の――議会の連中は、聖遺物を回収できず帰還したオーヴァを叱責してさえいる。愚かな事だ、諸共討ち死にするくらいなら、遁走は妥当だろうに」
それに――そう続けるフレン。
「オーヴァを仕込んだのは私だ。彼の責めは私が負うべきだろう」
言葉を聞いた二人は揃って顔を暗くする。
またしても要らぬ気を遣わせてしまった。やはり今の己は参っている。……そろそろ建設的な話のひとつでもするべきだろう。
「……だが、これで議会のお歴々も、事前に建てた安穏な戦略策定が無為であると悟った事だろう。ベルミスの出撃がいい例だ」
「膠着したレン高原の戦局を決着させ、浮いた戦力をヴァーロム方面へ充てる――と?」
「ああ。事実、アーレント――」アイリスを呼べば、所在なさげにしていた――政治向きの話が頭に入って来なかったのだろう――彼女が目を丸くして背筋を伸ばす。「――君は、ミレイオ州への攻略へ異動が内示されたのだろう?」
「は、はい! なんかいきなり帝国の方に行けって言われて……。ワタシもビックリで……でも、ミレイオって言えば、ワタシの故郷イーファルからも遠くないですし、意外と土地勘あったりとか、なんて?」
「アイリス、観光しに行くんじゃないんだろう?」
「うっ、そうですよねセンパイ。戦争、ですもんね……」
浮ついていたアイリスを窘めるカーライン。そんな先輩のお叱りに、アイリスはまたぞろ気分を萎ませた。
……そう、これは戦争。結局幾度目かと同じく、人類は殺し合う道を選んだ。共通の敵を抱えているにも、関わらず。
――それは開戦間も無く、フレンにレン高原行きの内示が下り、出立の日時が決まった頃。
フレンは聖国首都ヴァナヘイムにて、約束の会合を行っていた。
「間違いなく、聖国内部にはセフィロトの手が及んでいる」
優雅に甘味と茶を喫する赤髪の美女――第一席次、グリムロック・アンバーアイズが言い放つ言の葉に、当時のフレンは眉を顰めた。
この会合の少し前、カーラインを通じてセフィロトに不穏な動きあり、とは聞かされていた故か驚愕は無い。
「意外ですな。政治的干渉を断っている、あのセフィロトが」
「覗かれたくは無いが覗きはしたい……誰にだってある衝動だろう。別して知の集積、等と掲げているセフィロトはな」
「あの講和会議にもセフィロトの意志あり、と考えた方が妥当でしょうか」
「さもありなん。でなければ、強情で冷徹なウラナリで世に通っているセフィロトが、如何に立派な題目あれど場を貸すなどありえんよ」
いつも通り、皮肉気な言葉で続けるアンバーアイズだが、声色には敵意さえ滲んでいた。
その理由を既に聞かされているフレンは、金色の瞳を少しばかり鋭く変じてアンバーアイズを見つめる。
「やはり真ですか。件の人造魔王と錬金術師が、知の都を蓑としているというのは」
――新生以前、大陸を轟かせた覇道の主、神聖グランルシア大帝国。
その大帝国に仕え、数々の厄を創り――今日に至るまで仇を成す錬金術師、イルシア・ヴァン・パラケルスス。
そして、その魔女が造り出した災厄の中でも最悪。
殺戮を是とし、破壊を悦とする。忌むべき黒狼の合成魔獣にして人造魔王、ルベド・アルス=マグナ。
人類文明が凡そ存在を許してはいけない者共が、セフィロトを拠点として潜伏している。
初めてそれを聞かされた時は、耳を疑ったものだ。いいや、この回想を思い返している現在のフレンでさえ、未だ僅かな疑いを抱いている。
「状況証拠と消去法の合わせ技――といった所だがね、我ながら確度はあると思っている。……アデルニアの一件以後、流離のついでに件の錬金術師共の行方を探っては居たものの、手掛かりなし。……坊、お前とて魔狩りの担い手。如何に狡猾な魔物魔族と言えど、痕跡を殺し切れずに狩られた例は、いくらだって知っていよう」
「ふむ……痕跡が無い、それそのものが不自然と?」
「そうさ。証拠が無いのが不自然――おっと、陰謀論者めいている等とは言うなよ。長くは生きているが、耄碌したつもりはない」
そういってクツクツと笑うアンバーアイズ。彼女を余所に、フレンの脳裏には言われた通りいくつかの例が浮かんでいた。
例えば、吸血鬼。
陽光と心臓の破壊以外では死なぬという不死性を誇り、高い肉体能力に魔導の力……そして眷属を造り使役するという、夜の貴族にして魔族の代表例。
だがその強力さの代償故か、彼らは吸血によって、他者より血を摂取しなければならぬという性質がある。
吸血の対象は様々だが――人類種が主食である。
その吸血の痕跡を消し切れず、聖国の討伐部隊の手に掛かったヴァンパイアは、一匹や二匹ではない。
或いは、無貌者。
他者を模倣し、社会に溶け込むという怪異の如き魔族。
友人知人、或いは恋人に成り代わられ、生活や人生を壊された者も多い。
厄介なのは、模倣した先の人間関係をそのまま引き継げる所だ。記憶をも模倣する彼らは、それを生かして人類種の間で暮らす。
万が一存在がバレても、引き継いだコネクションを用いて時間を稼ぐなり、情に訴えるなりしてくる。その本質は保身の怪物、模倣した記憶は己の存続のみに費やす。
何とも冒涜的な化け物だが、所詮は模倣であり時折齟齬が生まれてしまう。その齟齬より見破られ、葬られた無貌者が一時期多く居たという。
……現代ではあまり存在を聞く事がない。セイレーン等と同じく、絶滅したのではとも言われているが、真相は不明だ。
兎も角として、魔族は強大な能力を生かす為、何かしらの痕跡を残す事が多い。あのようなキマイラがそれを残さないというのは考えにくい。……魔導師の中でも大掛かりな拠点を必要とし、また物質的側面の強い魔法技術を扱う錬金術師ともなれば、尚の事。
だが、それが無い。無いと言う事は、露出のしようが無い場所に潜伏している。この世界でそのような場所といえば、あるとだけ言われている外大陸か――或いは、
「余所との干渉を嫌い、また地理的に完全遮断されている都市、セフィロトである……と」
「無論それだけで決めつけているワケではない。ミラの一心党や一部上層部への資金流入。アレも多少は調べが付いた。いくつかダミーの商会を通じて聖国へ流入していた不穏なカネ。辿ってみれば小国の木っ端貴族なんかに行きついて、挙句の果てにはこれだ」
そういうアンバーアイズは、対面の席に座るフレンの足元に何かを投げて寄こす。……フレンの四つ指の足が、それに触れた。感触から察するに麻袋の類らしい。
多少怪訝に思いつつ、フレンはそれを静かに持ち上げて中を覗き込んだ。
「……これはっ」
中身は、花瓶だ。高級そうな、貴種の邸宅にでもありそうな調度。
だがただの花瓶ではない。ナイフが突き刺さり、丁度刺さった部分がギョロリとした目玉を剝いている。ナイフを刺された目には、無残に血を流した痕がこびりついていた。
「擬態魔だ。私も疾うに絶滅したとばかり思っていたから、驚いたよ」
片腕で器用に頬杖を突くアンバーアイズは、驚愕するフレンを覗き込んで悪戯っぽく微笑んだ。
ミミック。読んで字の如く、擬態を生得とする魔物である。
古くは迷宮や魔境の物に紛れて犠牲者を待つ魔物であったが、未踏領域が人の手に因って開拓される内に、潜む場所を失い……絶滅した。
そう、もういないハズの魔物がよりにもよって人の国――それも、小なれど政を執る貴族の邸宅にあったのだ。
「一体どういうことでしょうか、第一席次」
「言った通り、単純なハナシだ。カネの流れを追って聖国周辺の小国に辿り着いた。で、そのカネがその国の貴族からのモノであると突き止め、クロムと共にカチコミを掛け、結果コイツがその貴族の部屋にあったというワケだ」
顔が引き攣りそうになる経緯は置いて、フレンは聞いて新たに湧き出た疑問をぶつける。
「では、その貴族由来の資金ならば……セフィロトの線は外れだったのですか?」
「いいや。……その貴族はな、ミミックに精神を操作されていた」
そう言われて、またぞろフレンは首を傾げた。
ミミックは疾うに絶滅した魔物ではあるが、それでも滅んだ怪物の中では有名――というか悪名高い。
故にフレンも心得ている、ミミックにはその手の魔法行使能力は無い。術式を詠めるだけの高度な精神構造は持ち合わせていないのだ。あったなら、ミミックは「魔族」に分類されている。
「言いたい事は分かるぞ」ニヤリと笑うアンバーアイズ。フレンの胸中は見通しているらしい。「――その前に、こやつの目を見ろ」
目を見ろ、それもミミックの。
妙な成り行きだとは思いつつも、フレンはそれに従う。
……相変わらず不気味で、何処か滑稽なギョロ目を剥くミミックは、その眼球を突き刺されたまま死んで――いや、ほんの僅かだが、このミミックの眼球自体に魔力を感じる。
「まさか……」
「そう、魔眼だ」
魔眼――魔性の者共が持つという、目を合わせるだけで術を掛ける異形の相。
「……有り得ない、いや、変異種?」
ミミックは本来魔眼を持たぬ種族。無論何事にも例外というのは付き物で、変異種なる存在が時折いる。そのような類かとフレンは思ったが、
「いや、違う。――件の貴族はな、魅了、思考誘導、そして洗脳……複数の精神干渉で操作されていた。怪訝に思ってこやつを殺す前に調べたのだが、見ろ。この大目玉の瞳孔に、更に二つ目ん玉がある」
「……丁度その部分が潰れて見えませぬ。しかし、この程度の魔物の死骸にしては魔力が残留しすぎですな。以って仰る事を疑いはしません」
「ちっ、もっと綺麗に仕留めれば良かったか。だがまあ、これで分かったろう? 魔眼に魔眼が生える――ミミックに魔眼が生じるのも奇跡だというのに、その魔眼が特別仕様だなんて、一体全体どれほどの確率だろうかな?」
……そこまで言われればフレンとて理解できるし、認めざるを得ない。
「人為的なモノであると、仰るワケですな?」
「ふふっ、そして生物を弄繰り回し、人造の魔眼を拵えるのは――錬金術師の領分だろう」
不慮の事故で目を失くしたものに、錬金術で拵えた魔眼を移植する。
大昔からある医療行為のひとつである。生体を変化させ、錬成するのもまた錬金術の業が一種。
「そして、これほどまでに高度な魔眼の作成は、市井の術師はおろか王侯に仕える魔導師にも不可能だ。大抵の錬金術師では、よく見える魔眼を作るのが精々だし、その眼に魅了だの発火だの……術を仕込める手合いとなれば、更に狭まる」
「……地味なれど神業的な錬金術の所産。そしてこの世界に、そのような術師は二人と居ない」
その人こそ、イルシア・ヴァン・パラケルスス。怪物の主にして、悪夢的な錬金術の使い手。
「上手いこと考えたものだ。自らの懐からカネを出しては足がつく。だから適当な小国の貴族共を操って、資金を流させる。操作には錬金術で造った使い魔を用いる、というワケだ」
皮肉気に言ったアンバーアイズは、残った茶を飲み干して微笑んだ。……その視線はカップに残った僅かな茶葉の欠片に落ちている。
そんな彼女を余所に、フレンは今までの情報を玩味するように目を閉じた後、やがて口を開く。
「ミラ率いる一心党が、対帝国路線を進める為の工作を行う上での外部の協力。成せるだけの地力があり、かつ協力するメリットがあるのは、現状セフィロトしかない。そんな中、セフィロトからの流れと目されていた資金の上流には、卓越した錬金術由来の使い魔に操られ、カネを吐き出していた貴族が居た。……セフィロトと錬金術師一派に関連付けるには、一応足りはしますかな」
一心党、第三席次ミラが中核となる聖国内の過激派閥。
彼らの活動が一端となって、講和会議はご破算となった。
一心党にはその活動を補助する為、外部から潤沢な資金の提供があった。
魔力を必要とする帝国は、大陸中央の魔力の湖を抱えるセフィロトを欲しがっている。――少なくともセフィロトはそう思う立場にあるハズ。
おまけに、知の集積を旨とする連中だ。その題目通り、稀代の技術を持つパラケルススと組むというのも、あながち有り得なくはない。
――パラケルススと組んだセフィロトが、件の錬金術師の協力を以て、このような工作を行う。
そう、有り得なくはない。先ほどアンバーアイズが言った通り、消去法と状況証拠のみで、確たる物ではないが……。
「一応は尋ねておきますが……聖国内の、例えばミラ等がパラケルススと組んだ――という可能性は?」
「ふふっ、坊……お前分かって聞いているだろう? ……まあいいさ、答えようか」
フレンの言葉には試すような色が込められており、故にアンバーアイズも応じるよう微笑んだ。
「有り得んよ、銅ヤカンのような女だ。無害だろうと雑魚だろうと、視界内は無論、気配を感じただけで地形ごと魔物をすり潰す気性だぞ。魔王等と組む事は、帝国憎しといえど考えにくい。……教義に推服する態度はまあ、褒めてやれなくも無いが、だったなら私の言う事は聞いて欲しいものだ」
自分から振ったとはいえ、フレンは思わず種族故に鋭い眼を更に顰めて細くしてしまう。
第三席次ミラと己はとことん反りが合わないと思うが、中でも戦い方はその極致である。
あの女には事情があり、故に仕方がないとも言えるのだが……綺麗に仕留めるフレンからしてみれば、やはり相容れないのだと思い直す光景である。
「――そんなワケで、あの女が直接パラケルススと組んでいるというのは考えにくい。あくまでもセフィロトと組んでいるつもりなのだろう。それに違いがあるかと言われれば、噤まざるを得ないが」
「大いに違うと思いますがな。端から魔性に堕しているのと、ヒトと取引しているつもりなのでは大いに。翻意とて視野に入る程には」
「ほう、あの高飛車を口説き落とせると? 流石、面の良い男は言う事が違うな」
「……お戯れを。どの道、議会もミラも現状の証拠では動きません」
確かにこのミミックは、パラケルスス程の術者でなくば造れない。
しかし一心党との取引を行う勢力が、現状ではセフィロトしか有り得ないというのも、件の魔王どもの潜伏先がその知の都であるというのも、所詮は推論による状況証拠。
「あと少し、確たるモノが無くては妄言と一蹴されるのがオチでしょう」
「果たしてそうかな? 現状でも動かせそうなのが一人居るぞ」
フレンの反駁に、だがしかし意味深長な笑みを浮かべるアンバーアイズ。この情報で動かせそうな聖国内の権力者。……しばし考えるものの、最近変動があった最高議会に伴い勢力図も変わっている。
「……申し訳ない、ご教授願えますか?」
情けの無い事に思いつかなかったフレンは、素直に答えを乞う事にした。
果たしてアンバーアイズは、意地の悪い笑みを浮かべてから口を開く。
「議会がアデルニアを捨てると下した時、その決に反対票を投じた者らが居る。……その連中は、密かに派閥を造り対教皇路線を固め始めている。中核の名は、エレンウェン・ルース・ロマネンコ」
その名前はフレンも覚えがあった。諸外国との宗教的融和路線を説き、それを行うために国内の一致団結を唱える枢機卿の一人。
人品には問題が無く、都合の良い事に教皇と敵対しようとしている。
だが……そんな人物の名を出すと言う事は、
「……もしや第一席次、御身は――」
「――ああ」
皆まで言わずとも、とでも言いたげにフレンの言葉を肯定で斬るアンバーアイズ。
目を閉じていた彼女は、やがてうっそりと開眼し……名前の通り琥珀色の瞳を覗かせた。
「いつだかの問答、私が間違っていた。“勇者が権力を手にしてはならぬ”――これは確かに後年、続く者の邪欲を恐れた故だった。だが何よりも、これは責務からの逸脱……つまり体の良い責任逃れだったのだ」
――力持つ者と法律を共にしてはならない。強者が恣にしてしまえば、其れ即ちテロルであると。
確かに、目の前の始まりの勇者はそう定めた。
だが今やそれは一つとして守られず、そして勇者が従うべき者は、条理より逸れようとしている。
「担がれる形だったとはいえ、これは十五聖者が創めた事。老人が始めた事は、老人が終わらせねばならない」
「……御身自ら、天下取りに動かれると」
「こうなっては、もはや……な。すまぬが坊――いや、フレン・スレッド・ヴァシュター。お前にも助力を願いたい」
いつものように坊主扱いする事も無く、グリムロック・アンバーアイズはひたすら真摯に助力を願った。
古に彼女が定めた法を、今まさに自身で破ろうとしている。それも、勇者に焦がれる程の憧れと、理想のありったけを託すフレンの前で。
「無論です、第一席次――」
だが、幻滅などしようハズもない。
寧ろ、よくぞ言ってくれたと改めて推服したほどだ。
「貴方が仰るようにし、貴方が向かう場所へと参じます」
幼年の日、最初の憧れは、未だ色褪せていなかったと。
「……すまんな、坊」
「いいえ、私の決断故、気になさらず」
普段はコチラを揶揄うような態度なのに、こうした話の時は決まって真面目腐った様子を見せる。
やはり根は、勇者なのだ。
「重ね重ね、すまんな。……話を戻すと、恐らく現状の手札で引き込めそうなのはエレンウェン枢機卿だ。だがコチラから接触するのは避けたい」
「いよいよ教皇位の挿げ替えを画する段階での、戦力確保――その為に接触してくると?」
「ああ。あの枢機卿は戒律に五月蠅いだろうし、自ら破るような所を見せるのは避けるが無難」
そういって、アンバーアイズはいつものように自信気な薄い笑みを浮かべ始める。
「機関の中でも彼女の眼鏡に適うのは、やはりお前だろうフレン。品行方正で力も十分。団長として律翼軍への働きかけも期待できる。あと面も良いしな」
「最後の一文は兎も角として――まあ、私かベルミスか、といった所でしょう。そして八割方、私に話を持ち掛けてくるのも想像に難くない」
「だろうな。私はいつも席を空けているし、第二席次は教皇の狗。第三席次は御覧の通り、第五席次は悪くないものの、些か受け身に過ぎる。第六席次は余命幾許かの身の上、監視もついている。第七のオーヴァは若すぎる――上位七席次より先に下位の席次に話を持って行くとは考えにくい。立ち位置のはっきりしているお前が、消去法で妥当というワケだ」
「あまり、嬉しくはありませんな」
犬猫か、家畜でも選ぶかのような状態だ。いかに実力を認められた上とはいえ、やはり政略の道具というのは気が重い。
「なんだ、年のいった女は嫌いか? 流石だな伊達男、選り好みが出来る立場というワケだ。その分で行くと私も眼鏡に適わぬか?」
「第一席次」
「ククっ、怖い顔をするんじゃない、可愛げのある冗句だろうに。私の整った顔に免じて許してくれたまえよ」
等と言ってクツクツと性格の悪そうな笑い方をするアンバーアイズ。
調子が戻ったのは何よりだが、このまま揶揄い続けられるのも堪らない。
「……ハァ。そういえば第一席次は講和会議には来られませんでしたね。内部を見られる、またとない機会でしょうに」
なのでフレンは少々強引に話題を逸らす事にする。
だが話を振られたアンバーアイズは、急に眼を細めて何処かを思い返すように視線を彷徨わせる。
「……五百年前、大陸中央には“何もない”ハズだったんだ」
突然毛色を変えた話に、フレンは首を傾げた。
「妙ですな、中央には巨大な魔力湖があるハズですが。……五百年の歳月が成した、地殻変動の類では?」
「――私も、直接見たワケではない。人伝に聞いただけだから、正確にどうなっていたかは知らんのだがな。だが、何も無いなら無いで、中央にはどこかの勢力が拠点等を建てていたハズだ。大陸中央なんて、特にあの時代、戦争の多い世相では重宝するだろう。だから、“無い”というのが不自然でな」
……珍しく要領を得ない話だ。そもそも彼女自身が見たワケではないのだから、どうにも確度が曖昧だ。
「それもあったのか、あの都市にはこう……本能とでもいえばよいか、余り深く関わらん方が良いような気がしていてな。第一講和会議の時分は、丁度ミラの件を追い始めたくらいだ。――ルベド・アルス=マグナとも戦闘になったしな」
「……ルベド・アルス=マグナと関わりのある謎の魔導師、それにカーラインらが接触した龍。色々と、不明瞭な部分も多いですね」
それっきり、件の“何もない”下りは忘れて話題が移る。目下、より大事な方へと。
「それらが同じく一派だとすれば、抗する為にはコチラも戦力をかき集める必要があろう。ともすれば、再来ともなろう」
そう神妙に呟くアンバーアイズに、フレンもまた鋭い視線を向けて口を開いた。
「――起こるというワケですな、第二次人魔大戦が」
――長めの回想が終わり、意識が現実へと引き戻される。
「――そうだな、気を引き締めて行くのが吉だろう。何せ対手は、あの西方の猛虎なのだろう?」
アイリスが第十四席次マルスと共に向かう事となる西方の戦線。
そこにはレヴィスを倒したリンクス・マグナハートが待っている事だろう。
先のアイリスのように、浮ついた気分で対抗できる手合いではない。
「大丈夫――って言い切るのは無理ですケド、ワタシだって“聖剣技”の使い手です。剣の戦いじゃ、負ける積りありませんよ!」
だがアイリスは尚、自信を崩す事はない。
いや、自負と言うべきか。グリムロック・アンバーアイズを源流とする聖剣技、その担い手たる以上は――という自負。
「頼もしいな」
そこまでの覚悟があるのなら、何も言うまい。
今だ若いが、彼女とて武人のだから。
「大丈夫ですよ、第四席次。アイリスは強い、私が保障します」
そして彼女の技量を保証する、もっとも身近な先輩がそういうのだから。
「えへへ~」
「――だが、調子には乗らない事だな」
「ううぅー」
そんな漫才じみたやり取りをする二人に微笑みを浮かべ、フレンは静かに考える。
アイリスの配置転換、そしてレン高原への増派。
間違いなく、議会が――正確には反対派のエレンウェン枢機卿が動いた結果だろう。
つまりこの戦いの後、いよいよ暗闘が始まるというワケだ。
(パワーゲーム。あまり勇者らしくは無い)
だが、それでも、己の正義を貫くのに必要とあれば――らしくある事とて、捨てようぞ。
「……フレン様?」
怖い先輩に絞られていたアイリスが、ゴソゴソと荷物を漁り出すフレンに視線を向ける。
やがてフレンが取り出したモノを見て、カーラインは僅かに目を見開いた。
「……煙草は、だいぶ前に止められたと聞きましたが」
フレンが手に持っていたのは、細い煙管だ。
黒地に銀の装飾が美しい――フレンのような獣人種、言ってしまえばゴツイ男には似合わぬ、女物にも見える煙管。
顔も名前も、人品さえ知らぬ母の形見である。フレンに煙草の味を教えたのは、それに至らせるだけのストレスと、同時――姿さえ知らぬ母への望郷だった。
フレンはカーラインの疑問に答える事も無く、火皿に煙草葉を詰め、やがて嘴を開いて咥え、指を鳴らして元素魔法で着火――ゆっくりと吸い始めた。
「ふーっ……」
十年以上ぶりに味わう紫煙は、あまり美味くは無かった。
熱く、重く、そしてほんのりと甘い。
もはや懐かしささえ感じぬほどの味わいに、暫し身を委ねた後、フレンは煙を二人に当てぬよう吐き出し、
「禁煙は止めた」
にべもなく、そう言い捨てる。
カーラインはそんなフレンを見て何か言いたげにするが、
「……左様ですか」
とだけ言って、黙り込む。
「煙草って、なんかカッコイイですね!」
「身体に良いモノではない。憧れだけで手を出すのは、やめておく事だ」
なおも無邪気なアイリスにそう応じながら、フレンは暫しの喫煙を味わっておく。
あと数刻もすれば、リーゼリットの大規模対抗魔法が発動し、帝国軍の術封じの兵器を掻き消してくれる。
時が来れば、己はこの戦線の決戦へ挑む事となる。
紫煙の煙に巻かれる鷲の瞳はいつもと同じく鋭く、そして何処か冷たい。
宿した色の名は、覚悟だろう。
◇◇◇
レン高原での緒戦以降、聖国軍はすっかりカダスへの巣ごもりを決め込んでいる。
「些か、不甲斐ないな」
蔑みも露わにそう呟くのは、レン高原方面の作戦を預かり、魔導飛行戦艦ヨハネを主とする方面軍の指揮官、リヴィト准将だ。
件の魔導戦艦に乗り込み、未だ空より高原を睥睨している。
「緒戦での〈領域魔素干渉機〉が効いたのでしょう。防戦一方ですね」
そう反駁するのはリヴィトの副官である。リヴィトはそんな彼の言葉に鼻を鳴らし、ついでレン高原の寒々しい景色を見下ろした。
「魔法が無くば戦も覚束ないか」
侮蔑も露わに吐き捨てるリヴィトだが、そこには苛立ちの色も含まれている。
その魔法さえ無い烏合の衆に、かなりの日数の足止めを喰らっているのだから。
件の干渉機の常時発動は、周囲の魔力濃度――外的魔素の関係上出来ない。とはいえ相手が攻勢に出そうな時は起動し、亀首の如くカダスへ引っ込めさせている。
カダスへの直攻めは、魔法障壁で凌がれている。――が、それも時間の問題だろう。いずれは耐え切れず、瓦解するのがオチ。聖国軍の終わりは、確かに近づいているのだ。
そのように、まんじりともしない戦局の最中――それは起こった。
「……む、聖国に動きがありますね」
副官の声に釣られ、リヴィトも高原を見下ろす。
そこにはカダスより出てくる聖国軍があった。帝国の簡易陣地に向け布陣し、それを上から覆うように敵方の飛行部隊――律翼軍が飛び立った。
渦を成すよう飛ぶ鳥人と翼竜騎手たち。またしても攻勢に出たワケだ。
どの道、聖国はジリ貧。援軍も干渉機がある以上、木偶の坊と化すのは必定。ならば少しでも、コチラ方を削っておきたいのだろう。
「バカめ、飛び道具の無い飛行兵などゴミ以下よ」
嘲りと共にリヴィトは部下に〈領域魔素干渉機〉の発動を命じる。
随行する第一移送艦より、ブオンと響く波動が高原を覆い尽くす。魔導師の魔法を封じる領域に包まれたレン高原は、再び静寂に――
「一体どうなっている!?」
――ならない。展開した聖国軍は地上の帝国軍に向けて攻撃を開始し、天と地からの魔法攻撃に挟まれ、阿鼻叫喚の惨事が聞こえてくるようだった。
「地上より入電! “聖国の魔法対処はどうなっている”との事ですが――」
「――分かっている! それよりも干渉機が効かぬ理由はなんだ?!」
「分かりませんっ、今解析を……」
一瞬で喧々囂々の有様となる戦艦内。
攻撃を受ける側となった帝国には、確かに警戒の緩みがあった。
魔法を封じる事の叶う兵器があり、事実それは幾度も作用し封殺してきたのだから、必然とも言える意識の間隙が存在していた。
干渉機が効かない、それだけでこの騒ぎ――皮肉にもその様は、緒戦にて魔法を奪われた聖国と酷く似ていた。
「あ、ありえない……っ!」
だからこそ、オペレーターのひとりが発した声は艦内によく響く。
ヨハネを管制するオペレーターの男は、油の切れた人形のようにリヴィトへ首を動かし、
「外部です。外部――レン高原外部、アズガルド境界都市、サルコマンドより対抗魔法ッ! 干渉機を、外部より妨害しています!!」
狼狽も露わに、そう叫ぶ。
オペレーターの絶叫を聞いた艦内の軍人らは、たっぷり数秒の沈黙の後――最初に口を開いたのは、
「ば、バカな! サルコマンドからカダスは何百キロも離れているっ。何かの間違いでは?!」
優秀で冷静沈着。そのような男であったハズのリヴィトの副官が、普段の様子を棄てていた。
だが逆に、その異様がリヴィトに冷静さを取り戻させる。
「――秘蹟機関だ」
そして、冷静になったリヴィトは図らずとも――いや図った果てに正答を導き出す。
「秘蹟機関の更なる投入、やってきたな聖国め!」
数百キロの距離を無視して、戦場全域に及ぶ魔法の効果を打ち消す。
そんな真似が叶う者のは、聖国強しと言えど数少ない。
それこそが秘蹟機関、聖国秘蔵の刃――勇者と呼ばれるような英傑である。
「今すぐに地上部隊を――」
答を導き出した帝国が取るべきは、攻撃を受けている地上への援護。
幸いにも律翼軍は魔導飛空部隊より低空を陣取っている。これならば恰好の的として処理可能。
空からの勢力を削げば、寧ろ引き出た亀の首を斬り落とすも易かろう。見方を変えれば、好機である。
だが――
「あ、アレはっ!」
援護せよ。そう言い切る前に、ヨハネのオペレーターがまたしても何かを見て驚愕する。
当然、釣られて視線を向けるリヴィト。
「なっ……」
……それには、リヴィトも覚えがあった。
ソニックブームめいた衝撃によって、レン高原の霧が晴れ――全天の青空の下に飛ぶ白い影。
「まさか……」
覚えが、あった。
今だ一兵卒であった頃――あの地獄のようなイーファルの河で、確かにリヴィトは見た。
「――フレン。“律翼”のフレン!」
空を滞空する飛行艦より1000メートルは離れた空中。
バレルロールの後、その両翼を広げてその地点で一気に停止。
飛空戦艦と高さは同じく、だが距離は離れて尚――針のような闘気。
「たった一騎とは――血迷ったようですね?」
引き攣った笑みのまま安堵させるよう言う副官を、怒鳴りつけてやりたい気分だった。
たった一騎? そう、たった一騎だ。
高々一騎、されど一騎で十分なのだ。
だって、あの時も――そうだったのだから。
「――総員、戦闘配置! 空戦部隊は全火力、全砲門を集中させよ!」
いっそ悲鳴にも似たリヴィトの号令により、艦内は喧噪に包まれながらも、各員弾かれたように配置につく。
「相手は“律翼”のフレンだ! たった一騎と侮るな、奴一騎で我が方の戦艦全て墜とせると心得よ!」
その言葉に副官の顔は青く染まる。だがもはや一々相手をしている暇はない。
「緒戦と同じと思うなよ! ヤツは一人で飛んだ方が強いのだ!」
鷙鳥不群。元来鷲は群れぬ生き物。
軍を率いる事を止め、地上の援護へ回す。
そして残った己単騎で、リヴィト率いる魔導飛空隊を落とす。
一騎当千は、律翼の場合妄言などではない。別して得意たる空ならば。
「しかして怯えるな、これは好機! 奴を落とせば聖国には敵なし、一気呵成に攻め上がる事必定!」
とどのつまり、これは決戦である。
お互い戦力の大半を費やす決戦。しくじれば待っているのは、確実な大敗。
「狂信者共の魔法より奇跡より、我等が帝国、鋼の英知こそがこの場を制す!」
そうでなくては、ならない。
そうでなくては、あの日と同じように散るだけなのだから。
「現実が幻想を上回る日が来た! 総員、空対空戦闘用意っ!!」
第一魔導飛空隊全てに届くリヴィトの通信は、いっそ悲痛な叫びにも似ていた。
◇◇◇
「……冷たいな、もう熱い紫煙が恋しい」
我ながら現金であると、フレン・スレッド・ヴァシュターは思う。
レン高原上空、刃のような空気に包まれながら鋼の戦艦と相対すフレン。
手には得物たる大弓〈天破りの大弓〉。左手には魔力で造った矢を逆手に携える。
開戦の折とは異なり、地上への援護に回した以上律翼軍は必然居ない。
目の前には、魔力を駆動させ兵器を繰る巨大な戦艦が計五隻。もっとも巨大で剣呑なフネが丁度フレンと相対している。
「……」
鋭い金色の瞳が、それらを睥睨した。
借りは返すと、確かにあの時言った。だからこれは返礼だ。
「――相手にしては、武骨で無粋。だがコチラも小なれど先達」
秩序だって体内を巡る魔力が、静かに立ち上がる。
「此処での踊り方を、教えて進ぜよう」
それともこれは、八つ当たりだろうか?
答無き問いさえ鏃に込めて、人外の大弓を引き絞る。
律翼と、鈍色の翼。
堕ち融けるべき蝋翼は、ひとつのみ。
アンバーアイズの趣味:気に入った部下へのセクハラ




