172 寂滅のオストレヴァ
「ハァ、ハァ、畜生っ……大丈夫か、レヴィス?!」
右手に携えた〈巨鉄の魔杖〉を支えにするオーヴァが、未だ血を滴らせる左腕を痙攣させながら、倒れたレヴィスの下へ駆けつけた。
「ふぅん――」
その光景を見て、リンクスは目を細め――そして理解した。
「リバウンドで爆ぜた魔力回路――それだけ治して戦線復帰とは、中々思い切りがいいじゃないか、オッサン」
そう擽るリンクスの視線は、裂けたままの左腕に向かっていた。
リンクスの対抗魔法によって、詠もうとしていた術式を砕かれ魔力が逆流したオーヴァ。彼はその負傷を捨て置き――魔力回路のみ先に治癒し、魔法行使能力を復調させ、レヴィスを救うべくリンクスを逆結界で捕らえたのだ。
魔力回路の破損は、通常の負傷と単純に比する事が出来ない。
形而下でありながら形而上。物質でありながら霊的な身体部位。それこそが魔力回路。
脳と魂を接続するのが「精神」ならば、「魔力回路」とは肉体と魂を接続する橋にして端子。故にその欠けは単純に肉体を損ずるより重く、取り分け魔導師にとっては致命傷となる。
治療を受けられず放置する羽目にでもなれば、一生魔法行使能力を失う事になりかねない。故にこそ、迅速な治療が求められる。
とはいえ、己で治癒させる事は難しい。何しろ魔法を使う為の臓器とも神経とも言うべき「魔力回路」が破損しているのだ。オーヴァのように一部が崩れるだけでも魔力操作が滅茶苦茶になり、術を詠むのさえ覚束ない。
それ故、オーヴァほどの魔導師であっても、己が魔力回路の欠損を癒すには苦労する。回路が弾けたと同時、裂けた血肉と骨とまでを治す余裕さえ無かった程に。
「がふっ……ぅ、ぅ」
殆ど死に体と言った様子のレヴィスが、だが胡乱な意識と身体に活を入れ、懐より治癒魔導具を取り出し起動――傷だらけの身体を柔らかな光が包み、速やかに傷を塞いでいく。
治癒は……し切らない。当然だ、三連の大技を受けたレヴィスは半死半生――魔導具に刻める程度の治癒魔法では、完治になど到底至らぬ。
それでも戦闘が可能となるまでは回復し、彼女は戦槌を支えに立ち上がった。
「ちぇ、真ん前で回復されて手出し出来ないとか、流石に堪えるぜ」
如何にも不満げに牙を剥くリンクスが、そう言いながらコツンと指で己を閉じ込める結界を軽く叩く。――澄んだ音と共に水面の如き波紋が生じ、リンクスの指を押し返す。
(――逆結界、だが俺の知識には無い術式だな。あの鬼婆が俺に教え忘れたとも思えねェ。つまりこの結界は聖国オリジナルの術式)
飄々とした態度を保つリンクスは、しかし心中では天性の戦闘者らしく冷静に分析を進めていた。
やはりというべきか、この虎人の考察は概ね正しい。今し方リンクスの身を戒めているのは無属系統第十位階〈霊縛陣〉――聖国アズガルドが生み出した対魔結界。魔王級の怪物を戒める為に縒られる拘束術式である。
この拘束は内部の存在、その生命の精髄たる魂をも戒め、尋常な生物や有象無象の魔族程度ならば捕えたまま押し殺す事さえ可能。
余程の怪物――魔王の中の魔王でもない限り、〈霊縛陣〉を破る事は出来ない。きっとそんな怪物は、このライデルには居ないだろう……。
(こりゃ、ちょいとマズイか?)
リンクスとて世界七大系統の内、神聖と呪詛以外の五系統を修める〈五色詠者〉である。既に感じ始めた虚脱感や重圧感より、自らを戒める結界が、ただ閉じ込めるだけのモノでないと察していた。
捕えられたその刹那より、リンクスはあらゆる魔術的アプローチを試みたが――時空系統の空間転移は失敗、対抗魔法は論理防壁が厚すぎて、突破している時間で死ねる。対象を閉じ込める事に特化した「逆結界」は「結界」とは異なる為、識別機能のクラックによる通過も不可能。ならば残る手段は――
(内部からの物理的破壊。だが――)
結界を構築するは「万能防壁」――つまり、物理結界と対魔力双方を織り込んだ、あらゆる事象に対応できる防御魔法。その硬度は言わずもがな、内部の空間は狭く、突破するだけの威力を確保しようと思えば、確実に自傷ダメージを強制される。ともすれば、立派な棺桶に自ら火を放ってインスタント火葬の出来上がり……何て結果にもなりかねない。
「よく言うぜ、クソガキ」
荒く息を吐くオーヴァが、視線だけで射殺さんばかりにリンクスを睨みつける。
「――大した手傷も負わずに大立ち回り、ムカツクったらありゃしねえ」
「お怒りかい? 多少の辛酸は美味しく舐めた方が、人生楽しく過ごせるぜ」
相も変わらずふざけた対応と態度のリンクスに、会話していたオーヴァに青筋が浮かぶ――が、彼の胸中は焦りに満ちていた。
(コイツ、〈霊縛陣〉喰らってんのに死ぬ気配がねぇ。普通の魔族程度ならもう死んでるだろうに――化け物がよ)
それだけならば、この虎人の強靭さにまたひとつ驚嘆を示すだけで終わる所だが――
(……魔力が、そろそろキツい)
迫る魔力切れ――それこそがオーヴァを襲う焦燥の正体。
この戦闘中、オーヴァは大喰らいな魔法を多数行使している。
戦線復帰に用いた〈大回復・拡式〉や〈大回復〉などの、強力だが高コストな治癒魔法。
〈術式修正・遅延詠唱〉を用いた堕天使アルマロスの召喚や、今まさにリンクスを捕えている〈霊縛陣〉――それに、〈巨鉄の魔杖〉の権能。並みの魔導師なら疾うに種切れだろう。
リンクスを拘束できたのは僥倖だったが、〈霊縛陣〉だけで彼奴を殺し切れるか――それまで逆結界展開の魔力が持つか、いやそもそも外の聖国軍は、敵の増援を耐えられているだろうか? 時を競る要素はいくらだってある。
「――虎野郎、精々今のうちに檻の中から吼えておけ」
故にこそ、数多あるそれらの焦燥が、オーヴァ・リガン・ローウェルを動かした。安易とも言えるほど、分かりやすい決着を求めて。
「レヴィス、備えろ。今からコイツを殺す――仕損じた時は、お前がやれ」
そう言い捨てるが速く、オーヴァは〈巨鉄の魔杖〉を携えて大きく下がり、正面に結界に囚われたリンクスを見据える。
「……ええっ」
やや迷ったような合間の果て、レヴィスが同意し戦槌を構える。
「……成程、急くってワケね、そりゃそうだ」
再びの戦闘姿勢に入った勇者二人を見て、リンクスは目を細める。その視線に様相通り獣の如き殺意と、そぐわぬ悦びを宿して。
(クソ虎……とは、もはや言うまい。お前は確かに強い――だから素直に敵手として認められる内に、これで終わらせてやる)
以てオーヴァは魔力を滾らせ、携えた〈巨鉄の魔杖〉の増幅を起動――裂けた左腕を強化し無理矢理に動かして、手で剣の印相を象る。
ブチリと、筋肉が千切れ傷口が開く音が聞こえる。失血と共に痛みが増すが、それさえ無視して術式を立ち上げる。
「――“聖なる哉、四重の憐れみ、三位は一へと還るべく”――っ!」
その術式は本来、オーヴァでは詠めないハズだった。
オーヴァの術式適正は、六系統を第八位階まで。だが彼は自らの聖遺物〈巨鉄の魔杖〉の権能で、術式適正そのものを「増幅」し、行使できる魔法のランクを底上げしているのだ。
それ故に彼は聖遺物の補正ありきとはいえ、聖国でも四人しかいない、第十位階――極大魔法の使い手となっている。
そしてオーヴァの手持ちの中で、その術式は最強にして無比。
この世に存在するあらゆる防御術式を貫通し、当てれば如何なる怪物だろうと一撃の下に葬り去る。
人類種が生まれながらに持ち得た聖性、その表象の究極――
「――〈完全回帰〉っ!!」
原初への回帰、そのものである。
――展開された術式陣は円を描くように〈霊縛陣〉に囚われたリンクスを内側に捉えて生じ、教会の鐘を思わせる異音を響かせ輝煌が収束していく。
「――っ」
コォォォっという空間が裂けるかのような、異常な音を響かせ高まる霊力の奔流に、かの虎人は目を見開き――魔力を滾らせ何事かを口にした。
(――だが、遅い!)
何を試みようとも、もはや遅きに失している。
此処に万象を回帰させる術式は結実した。
極限を超えて高まる霊力が光柱となって降り堕ちる――!
注ぐ光が逆結界に囚われたリンクス目掛けて降り――パリン、という音の後、対象を包み込むように着弾。
「……っ、どーだ?! 流石に死んだろ!」
光と爆発的衝撃に巻かれ、法衣がはためく中オーヴァは叫ぶ。
直撃はおろか、刹那晒されただけでも死ねる威力。〈完全回帰〉を受けて、物質の形が残る事は無い。
必勝を確信し、笑みを浮かべるオーヴァ。
……やがて霊子の極光が晴れ、着弾地点の光景が露わになる。
オーヴァ最強の攻撃術式〈完全回帰〉の着弾地点は、クレーターというより深い穴を思わせる惨状だった。当然、遍く全てを回帰させる術式の前には、肉も骨も岩も鉄も何もかも、ひとつとして残りはしない。
「……なんで」
だからこそ、在り得なかった。
「なんでっ!」
その光景は、決して。
「――なんで、生きてやがるんだ!」
クレーターの向こう、オーヴァの視線の先には、五体満足のリンクスが立っていた。
口の端からは血を流し、全身は細かく傷だらけで、左腕に至っては強い衝撃に耐えかねたように圧し折れているが――生きている。
「そりゃ、決まってるだろ」
ともすればオーヴァやレヴィス以上の重傷だろうが、そうあってなお虎人は強気に笑い、言い放つ。
「当たってないから」
「――っ!?」
有り得ない――そう紡ごうとする口より速く、オーヴァの脳裏に浮かぶ考え。
先の〈完全回帰〉が着弾する時――リンクスを捕える逆結界が割れた「パリン」という音。そして着弾と同時に生じた爆風。本来、どれも発生し得るハズがないのだ。
逆結界の術者であるオーヴァには、外部から内部への干渉権限がある。
外から中へ通す分には、逆結界を解いたり破壊したりする必要がない。
愚かな事にオーヴァは一瞬、〈完全回帰〉着弾の瞬間に〈霊縛陣〉が破壊された事に、違和感を抱かなかった。外からの攻撃魔法を素通しするのだから、檻が壊れるハズがない。
となれば、オーヴァ以外の何者かが逆結界を破壊した。
何者か……考えるまでもない。
(だが――あの野郎、正気かよ!?)
リンクスは、逆結界を自爆で内側からこじ開けたのだ。
彼は内側から第九位階相当の攻撃魔法を放ち、逆結界に当てて壊すのと同時、そこから跳ね返る衝撃に身を任せ、ノックバックの要領で〈完全回帰〉を回避した。
素の肉体能力、強靭な魔力、そして左腕を盾に――自爆を凌ぎ切り、こうして生きている。
確かに〈完全回帰〉は当たれば即死だ。どんな手を使ってでも回避しようと思うのも理解できる。
だが、だがそれにしたって――まともな手段ではない。
「久方ぶりだ、己の血を味わうのは」
戦き、面食らうオーヴァを余所にリンクスは、毛ほども揺らがぬ魔力と闘気を滾らせて獰猛に笑う。頬についた傷より滴る血を、獣の容貌に相応しく舐め取って。
「記憶よりもずっと、熱くて甘ったるい」
その顔にありありと現れていた。敵手の必殺を奇手に次ぐ奇手で躱し切ってやったという、戦闘狂としての喜悦が。
「――ハァァァ!!」
気圧されかけたオーヴァを引き戻したのは裂帛の咆哮を上げ吶喊するレヴィス。吐き捨てるように打ち合わせた通り、仕損じたオーヴァを引き継ぎリンクスを仕留めに行ったのだ。
レヴィスもリンクスも傷を負っているが、虎人の方が深手でありドワーフの勇者には権能による肉体能力補助がある。今ぶつかり合えば、確実に競り勝てる――!
「っく……」
窮地を超えた先にも窮地――それでもなお強気に笑うリンクス。
あの男の事だ、またしても何事か策を弄するに違いない。
如何なる状態にも対応すべく、オーヴァはレヴィスの後ろより二者を確認できる位置を取る。やがてレヴィスとリンクスが再び斬り結ぼうとした時――
「――〈落下制御〉ッ!」
リンクスより略式詠唱で解き放たれた術式が、虎とドワーフを囲い――二人共に、凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
「っ――!?」
「レヴィス!」
何が起こった――唐突すぎる現状に時間が引き延ばされる感覚を味わうオーヴァ。圧縮された時間感覚が、吹き飛ばされていく二人をスローに見据えさせる。
一体全体、あの虎は何をしたのか。刹那の逡巡の後、やはり優秀な魔導師たるオーヴァは思い至る。
(吹き飛ばされてるんじゃない――真横に落下しているんだ!)
時空系統第四位階〈落下制御〉――本来であれば落下物の慣性を制御し、減速、または加速させる術式である。
だがリンクスはその術式に改訂を加え、落下の方向そのものを変質させる魔法へと変えて発動した。
結果として、リンクスとレヴィスは「真横に落ちる」という異様な状態に至ったのだ。
何故そのような一手を打つか――狙いは単純、レヴィスに不利を強いた上でのタイマン強制!
(させるか――!)
むざむざと狙い通りにさせるワケにもいかない。焦燥を覚悟へ変え、オーヴァもまた術式を紡ぐ。
「――〈落下制御〉っ!」
術式を詠んだ刹那、凄まじい浮遊感と落下の慣性がオーヴァを襲う。オーヴァもまたリンクスと同じように〈落下制御〉に改訂を加え発動――先んじて横に落下する二人を追う形でオーヴァも落ちていく。
「ナハハッ!」
血と埃に濡れた外套が、軍服が、虎の尾っぽが、束ねたタテガミが、吹き付ける風によって激しく揺れる。異常な落下を齎した本人は、そのような地獄の沙汰にあって尚嬉しそうに笑っていた。
――実の所、リンクスのダメージはそれなりに深い。
リンクス・マグナハートの戦闘哲学には、「生きていれば戦える」という言葉が存在している。それは彼の苛烈な生涯故の哲学であり、同時に師より刻まれたモノでもある。
故に致命の一撃をいなすのに、賭けるのが身命のうち身であるならば、オールインとて厭わない。
だが、さりとて蓄積する痛みと傷は、無視しようにも深すぎる。
……リンクスに魔導を仕込んだ師であるウルスラは、生粋の帝国人である。
そして神聖魔法は聖国の秘儀――おまけに彼女には、件の魔法の術式適正が無かったらしく、以上の理由から修得はしていない。
師が知らぬ術を詠める道理はない。彼の対手たる勇者のように、数節の聖言を詠み上げれば治癒――なんて芸当は不可能だ。
彼も治癒魔法程度は会得しているが、神聖魔法以外の治癒術は、施術に時間が掛かる上神経をすり減らす。無論リンクス程の術者ならば、戦闘中でも詠める程度には極めているが、自らを超える肉体能力を持つ戦士相手に、そのような愚行は冒せない。
負傷を押しての戦闘続行は必然。ならば有利を作るべく策を弄するのが自然。
結果思い付いたのが〈落下制御〉を用いた奇策である。
落下という状態では近接戦闘は不利を強いられる。
だが接近戦に固執するレヴィスの戦い方により、彼女が有効で取り回しの良い遠距離攻撃を持っていない事は把握していた。
対してリンクスは多数会得している魔法、及び〈戦技〉がある。負傷の差を鑑みても、落下という舞台に限ってはリンクスが有利である。
……落下方向を弄った結果、両者――今や三者は、真横に「落ちて」行く。
落下の果てにあるのは無限にも等しい地平線――ではなく、州都オストレヴァを覆う大城壁である。
オストレヴァ中央大十字路の噴水広場より、州都外壁までは凡そ4.1km。
現状においては、4100mの自由落下。霊峰山嶺からのスカイダイブと同義である。だが落下ダメージ程度、勇者ともあろうものならば如何様にも対処できる。
問題は、落下時間。
重量や空気抵抗、或いは障害物を利用したブレーキやアクセルによる差はあれど――4100mの自由落下に掛かる時間は、約30秒。
つまり30秒間、リンクス有利でのバトルフィールド。
(――この30秒で、勝負を決めるっ!)
それこそ西方の猛虎が出した、此度の戦――最終回答である。
「――くぅっ!!」
それを知ってか知らずか、レヴィスは落下の浮遊感に抗うように歯を食いしばる。
大振りかつ重量も非常に重いレヴィスの得物〈天地終槌〉は、携えているだけで落下の慣性を増し彼女の体勢を狂わせる。
物質としての重量はレヴィス本人より〈天地終槌〉の方が大きい。それもまた、彼女にとってこの状況が不利である由縁。
「けどっ!!」
付き合ってやる、義理などない。
落ち続けるというのであれば、何かしらの障害物を足場にすればよい。例えば今や「壁」と化したかつての地面、石畳に得物を差し込んでブレーキに――或いは大十字路の傍に立ち並ぶ家屋を使う。
「っ!」
強烈かつ異常な慣性に抗うように歯を食いしばって、レヴィスは揺れる戦槌を強く握り、石突を思いきり石畳に突き刺す――!
「っ、くぅうっ!」
ガリガリと街路を抉る戦槌が、レヴィスの体重を支え落下速度を減速させていく。
「このまま――」
視線の先にあるのはいくつも居並ぶ帝国式の家屋。今や横に向かって生えているようにさえ見えるそれへ、街路を蹴って跳躍――
「――ナハっ、駄目だ」
――跳躍と同時に戦槌を引き抜いた刹那、急激に落下速度が増し家屋の先に届くことさえ無く再びの中空。
「ぐっ?!」
またしても身を襲う強烈な浮遊感。目まぐるしい重力の感覚は、すぐに緩やかとなり落下が始まった時と同じ速度へ戻った。
(これは――)
見れば少しばかり先んじて落下しているリンクスが、コチラへ刃を向けて不敵に笑っている。レヴィスは理解した――どうあっても、この状況を続けさせる気なのだと。
(この落下を齎している術式は、彼が詠んだモノ。速度を弄るくらいワケないってコトね……)
レヴィスの横方向への落下を齎しているのは、リンクスの詠んだ〈落下制御〉――術者である虎ならば、速度を弄るのは朝飯前。それらを駆使されれば、少なくともこの状態を脱却し、落ち着いた足場を得るのは不可能だろう。
この魔法の効力から逃れる、というのも難しい。魔導師ではないレヴィスには、一度成立した術式を破る手段がない。万全の状態であれば、魔力を滾らせ身を護る事でレジストも出来ただろうが――不意を打たれたのが痛い。
今同じくして落下し、追いかけてきているオーヴァなら或いは――だが彼が術を破るにせよ、この状態を続けるにせよ、今求められているのは中空での応戦。
「いいわよっ、乗ってあげる!」
吐き捨て、レヴィスは街路を蹴って落下を加速――中空で肉体を繰って回転し、勢いをつけて戦槌を振るう!
「ナハハッ!」
折れた左腕も、全身の裂傷も、抱いているハズの鈍痛にさえ頓着する様子を見せず、リンクスは仕込み刃を構え、落ちながらもレヴィスを迎え入れた。
再びの攻防は、激突というより擦過だった。
ガツンと両者の得物がぶつかり合い火花が出ると同時、リンクスとレヴィスの位置が入れ替わる。――入れ替わった位置を維持するかのように、リンクスは壁となった街路に刃を突き立て減速。
(上を取られた――!)
頭上の有利は、今となってはより顕著である。〈落下制御〉で横方向への落下を強制されている今、位置関係を崩すのは難しい。ともすれば不可逆といって良い程に――。
この慣性変更の術者であるリンクスは兎も角、レヴィスは落下速度の可変を対手に握られている。
街路や障害物を利用した瞬発的な減速、加速は行えても、落下のフィールド全てを生かせるリンクスには到底及ばない。
上を取られた状態では落下に身を任せて、リンクスが飛び掛かってくる瞬間を狙う後の先を強制されてしまう。
攻め手のルートが制限される――それは相手にとって、行動が読み易いという致命的欠点である。
――壁を使っての減速で距離を詰め攻撃、という手も無くはないが、勢いを殺す所作に行動を割かれ、みすみす敵手の先制を許す事になるだろう。
慣れぬ異様な状況での戦闘に、脳のリソースが割かれているのをヒシヒシと感じる。こんな状態での、初撃の安易な吶喊は悪手であった。
だがいつだって後悔は先に立たず、覆水は返らない。今の最善を尽くす事こそ、置き去った懺悔への報いである。
「迎え撃つ――!」
そして今の最善とは、対手の攻撃に巡るであろう後の先、その好機を逃さずモノにする事。
覚悟を以て応じる気配を見せるレヴィスに、リンクスは目を細めた。
「流石だな」
その声に宿った情感は如何程ばかりか。そこには一種の敬意さえ滲んでいた。
――だが、とリンクスは言葉を続ける。
「――俺も勝負師だ、勝ちに行かせて貰う」
刹那、リンクスの仕込み刃に魔力が収束し、輝きを増し蜃気楼じみた残影が生じる。そのまま刃を横に構え、虎の剣士は鋭くレヴィスを見下ろした。
その所作、動作にレヴィスは目を見開く。見覚えと――特大の警鐘に。
(間違いない、〈戦技〉っ!)
やはり来たかと、ドワーフの戦士は歯噛みする。
仕込み刃が届かぬ距離でありながら、構えを見せる。即ち遠隔での必殺の一撃。
先ほどリンクスが見せた、三連の技――その最後を飾った〈濡鴉〉なる飛翔する斬撃だろう。
(防ぐと同時、壁で減速――そして獲る!)
刃を振り切った瞬間こそ付け目である。二の句を継ぐ暇もなく以って葬り去る――。
「〈獣剣技――濡鴉〉っ!」
やはり、予想通りに動いた。
横に構えた刃を超速で振り抜いた刹那――空を断つ刃音と共に鎌鼬じみた斬撃が飛翔。――元素魔法による風の刃とも似ているが、この手の〈戦技〉は武器の刃そのものの「延長」である事が多く、それ故実体を伴っており威力は総じて高い。
つまり、是が非でも防ぐ必要がある。
「はぁぁぁ!!」
咆哮と共に戦槌を振り上げ、飛ぶ斬撃を正面から受け止める――!
リンクスは上、レヴィスは下。振り下ろすだけでよく、落下の慣性を生かせるリンクスとは異なり、武器を振り上げる必要があるレヴィスは、逆に重力に抗う為に余計な力を込めなければならない。
「こんっ……のっ!!」
さりとてレヴィス・ダーレイ・レテルネラはドワーフである。こと膂力を比するなら、獣人種とも引けを取らない。加えて、その中でも選りすぐりの才覚を持ち、戦いの中で技と肉体を磨いてきた勇者である。
この程度の逆境は高が知れている。振り上げた戦槌はリンクスの〈濡鴉〉を見事に弾き飛ばす――!
「ナハハっ、まだまだァ!」
だがリンクスの攻撃は収まらない。振り抜いた刃を更に振り、またしても斬撃が飛翔――飛翔、飛翔、飛翔!
(連続っ……そういうのもあるのね……!)
基本的に〈戦技〉は単発だが、〈獣剣技・濡鴉〉のように型を通じてしまえば連続で放てるモノもある。
脅威――である。その斬撃は熟達の使い手が振るう大剣と比しても、何ら劣らない。寧ろ飛んでくる分、恐ろしさが増している。
「けれど――!」
来ると分かっている飛び道具を、正面から防げぬ理由はない。
レヴィスを狩り取るべく飛んでくるそれらを、弾く――弾く弾く弾く!
弾かれ逸れた斬撃が、街路から生える魔導仕掛けの街灯を、家屋の数々をバターのように切り落としていく。
当然、切られた街灯が重力に従ってゆっくりと、遮断機のように倒れてくる、
だが「横」に落ちているレヴィスらにしてみれば、コチラの進路を遮る障害物である。回避か弾くか――刹那の逡巡は、画期的な思いつきに塗りつぶされた。
「はぁっ!」
後方、何もしなければ落下によって強打する事となる街灯を――足場として踏みつけ跳躍!
「――っ」
バキリと折れる街灯をバネに、レヴィスは上から落ちてくるリンクス目掛けて飛びそのまま戦槌を構えた。彼の表情は驚愕に彩られ――だがすぐに不敵な笑みへと戻れば、今度は纏っている軍用外套、その留め具を斬りコチラへ放った。
「小賢しい!」
バサリと広げられる外套は宛ら蝙蝠の翼。百九十六センチの大柄な体躯に合わせられたそれは、外套としても大きく瞬間の目くらましには事足りる。
リンクスに振るうハズだった戦槌で、外套を巻き取るように横へ飛ばす。――晴れた視界の先にはリンクスは居ない。遠くから追いかけるようにして落ちてくるオーヴァのみがレヴィスの視界に……いや、待て。
(街路に斬撃の痕――!)
まるで世界を分かつかのように伸びて見える壁――正常な重力下ならば単なる石畳の街路。
その街路に、レヴィスから左に剣でブレーキを掛けたような痕。
十中八九リンクスが目くらましの後、減速に用いたのだろう。
ならば左に件の虎が――いや、居ない。
結果から即座に感じ取った違和感が、緩やかに伸びる時間間隔の中、再び街路の斬撃、その轍を見据えさせる。
(轍の終点に――深い刺突痕。つまり跳躍の為、刺した刃を楔とした証)
リンクスは左から飛んだ――だが何処へ?
……高速で巡る思考が回答を導き出した。
(私から見て左の家屋に向かって跳躍――三角跳びの要領で……真反対ッ!!)
回答を得た瞬間、感じた強烈な危機感。それに全力で従い振り向けば、そこにはやはり――近接で刃を振り上げ、牙を剥き出すリンクスが居た!
「――くっ!」
振り向いた直後に斬撃――ではなく、刺突が飛んでくる。リンクスの得物は右手の篭手より伸びる仕込み刃。正拳突きの要領で見舞える刺突は、威力速度共に桁違い。
だがレヴィスとて、この道二十年近いベテランである。
攻撃前のコンマ数秒に反応し――戦槌の頭で刺突を受け止める!
ガキィンとけたたましい金属音が響き、そのまま鍔迫り合いへ移行。僅かに上を取っているリンクスが、その体重と膂力を押し付ける。
「ぐっ!」
高速で過ぎ行く街路と家屋――リンクスに押し出される形で飛ばされたレヴィスは、街路の脇に立つ家屋――窓に背を打ち、そのまま内部へと転がり込んでしまう。
「オラオラァッ!!」
同時に転がり込んだリンクスが、息を吐かせぬように室内戦へ移行させる。
何の変哲もないハズの家屋の内部。だが今の二人にとってみれば、備えられたテーブルや椅子、調度の類が壁に張り付いている異様な光景。そして二人が立っているのは本棚である。本棚の上ではなく、本棚が床なのだ。収納そのものを踏ん付けるように――。
読書家や吝嗇家が見れば卒倒しかねない光景だが、今現在命のやり取りが真っ最中――ひとつとして頓着せずに斬り結ぶ!
斬撃、斬撃、刺突の後またしても斬撃――それらを弾きいなし逸らす度、互いが武装に纏わせた魔力が爆ぜ、戦槌の雷光が室内に飛び散り眩く照らしていく。
「このっ!」
防御した斬撃を戦槌の柄に滑らせるように弾き、そのままの勢いで振り上げ、下ろす!
「ハッ!」
狭苦しい足場で見事に回避するリンクスだが――避けた先、戦槌が向かうは今し方足場ににしている家屋の本棚。
着弾と同時に足場たる本棚が砕け、爆ぜて燃え――二人は中空へ投げ出され、再びの落下。
「くっ!」
狭苦しく、得物の取り回しが利かない室内――そこから近接不利の空中戦。どちらを選んでも地獄だ、マシな方を選べと言われても首は振れない。
またしても始まる落下戦に苦い顔をするレヴィス――時を同じくして、両者より離れて落下するオーヴァもまた、苦々しく戦いを見下ろしていた。
(クソっ……駄目だ、撃てねえ)
落下しながら激しくぶつかり合うレヴィスとリンクスの戦い。遅れて落下するオーヴァは、持ち前の魔法を生かして介入すべく、先ほどから狙いを定めているのだが――落下の上、混戦である。放出系の元素魔法のフレンドリーファイアは、先ほどまでより危険。
レヴィスに横への落下を齎している術式を、外部から対抗魔法で解体するという手もある。
が、先ほどのリンクスの対抗魔法の冴えを見るに、これは露骨な誘い。
恐らくヤツは〈落下制御〉の論理防壁内に、カウンターの対抗魔法……つまり攻性防壁を仕掛けていると見るべきだろう。
〈落下制御〉を解除出来れば速いが、止めておくべきだ。リバウンドを喰らえば、今度こそ死ぬ。
おまけにリンクスは、必ずレヴィスの「上」を取るよう立ち回っている。
頭上の有利を手放さない為――というのが主目的だろうが、後方から着いてくる形で落ちるオーヴァへの警戒と牽制も兼ねているのだろう。
リンクスの大柄な体格は、先に居るレヴィスの姿を隠すのに丁度いい。つまり後方からオーヴァが援護射撃する際に、味方の位置を把握し辛く、射線を被せてしまう恐れがある。
あの男の事だ、そこまで計算してやっているに違いない。
何処までも忌々しく攻めにくい相手だ。
だがそう言って手を拱いていれば、奴が自爆で負った傷というアドバンテージも生かす間も無い。レヴィスに攻撃を当てず、リンクスのみを撃てる位置を陣取らねばならない。
(レヴィスの下はナシ、間に入るのも邪魔になる。やはり就くべきは、虎野郎の真横!)
レヴィスを邪魔することなく援護出来る位置はリンクスの真横――出来れば負傷して使えぬ左手側に陣取るべき。
思考を纏めたオーヴァは、手に携える鉄棍をクルリと回し魔力を奔らせる。
「――〈巨鉄の魔杖〉っ!」
――幾度か申し上げている通り、〈巨鉄の魔杖〉の権能は「増幅」である。
契約者に関わる事象結果の「増幅」――魔力強度や魔法の威力、変わり種では術式適正そのものを底上げ……等、汎用性に優れた権能だ。
オーヴァは、その権能を「自らの慣性」へと発動。横方向へと落下する慣性が増幅し、その速度を急激に増す。
「ぐぅぅぅぅっ!!」
凄まじい過重と速度に歯を食いしばって耐えるオーヴァ。離れていた二者との距離は瞬く間に縮み――刹那の速度でリンクスの左真横に躍り出た!
(〈巨鉄の魔杖〉……増幅解除!)
権能を解除し落下速度を戻すと同時、鉄棍を街路に突き立て減速――完全にリンクスの速度と合わせたオーヴァ。
「――来たぜクソ野郎っ!」
急激な加速で以って真横に躍り出たオーヴァ――弾んだ息より繰り出される挑発に、リンクスは目を丸くし……だがすぐに不敵な笑みを返す。
「ナハハ! 一人増えたって構いやしねぇ! いいぜ、三人で戦ろう!!」
「減らず口がっ、ぶっ飛ばしてやるよクソガキ!」
そうして戦いはリンクス対レヴィスの一対一から、二対一へと変わる。
オーヴァの介入に一瞬だけ目を見開くレヴィスだが、すぐに口角を緩く上げ、目配せの後戦槌を構え直す。
「死ねっ!」
それにアイコンタクトで応じ、構えた鉄棍より魔力を滾らせ元素系統第五位階〈火炎槍〉を略式詠唱の上、完全無詠唱で放つ。
解き放たれた火炎の短槍が数本、リンクス目掛けて飛び――だが彼は姿勢を低くし落下に身を任せて回避。すり抜けていった火炎が、街路と建物とを爆散し火を放つ。――その炸裂の光景さえ、急速な落下によって一瞬で遠のいていく。
「はぁぁ!」
回避の隙を見逃さず、街路に足を掛けて減速し距離を詰めたレヴィスが、戦槌を身体ごと回転させて振り切る!
「ナハハ!!」
だがその程度で無様を晒す猛虎ではない。手傷を負った身体で見事な軽業。体勢を直してレヴィスの吶喊を備え――
「――〈獣剣技・牙流し〉ッ!」
――魔力を纏った仕込み刃が残像の様に揺れ、レヴィスの戦槌を大きく弾いた。
(なっ――この中空で、パリィ?!)
レヴィスの攻撃に対して、動作が不安定な空中戦の最中、一切の文句が無いほど流麗で整った受け流し。弾かれた戦槌が明後日を向き、引かれて大きく体勢が崩れてしまう。
「レディ・ファーストだ――」刻まれた間隙、逃すような男ではない。「――お先に行ってこいっ!」
続く形での、足蹴。
「なっ――!」
決定的間隙を晒した敵手への、致命必殺というには余りに軽い一撃。両者共に肉体を魔力で強化、防護しているが故、威力はさほどない。身体に重い鈍痛が響くが、大した手傷には成り得ない。
だが――戦の趨勢という意味では、その一手は間違いなく死命を制していた。
「ぐぅぅっ!!」
下方――或いは横方向への、急激な加速。
蹴りの威力を起爆剤に、〈落下制御〉の横方向への落下強制が、凄まじい勢いで加速しているのだ。
レヴィスへの落下は、リンクスの術式が齎したモノ。速度を弄るのは何も難しい事ではない。
険しい形相と共に戦槌を街路に突き立て減速を図るレヴィス――だが急すぎる加速の前に石畳が耐えられず壊れ、中空に投げ出されると同時またしても強い落下に巻かれて、横へと落ちていく!
この落下の最終地点――州都オストレヴァ城壁まで飛ばされる事、必定。
つまりレヴィスの一時戦線離脱は免れない。
「野郎っ!」
魔法で援護した直後にこれである。オーヴァの口から悪態が出るのもむべなるかな。
同時、オーヴァは理解する。
(タイマンの相手を――レヴィスから、オレへと!)
原因は兎も角として、奇しくもオーヴァはリンクスと同じく左腕を損傷している。
手負いの程度で言えば、治癒魔導具で癒したレヴィスよりも深い。
弱っている方から片づける。戦闘においての必定の定理が、残酷なまでに現実を押し付けようとしていた。
(バカが、思い通りになって堪るか!)
こと空中戦では、近接主体のレヴィスよりもオーヴァのが分がある。
甘く見積もられた怒り、先ほどから続くふざけた態度――何もかもがオーヴァの神経を苛立たせ、目の目の虎を撃滅せんと魔力を捻り出す。
「いい気になるなよ!」
その刹那、携えた〈巨鉄の魔杖〉より魔力が奔り、無数の元素魔法が炸裂しリンクスへ襲い掛かる。
炎の槍を、岩石の礫を、無数の術式を虎は潜るように躱して笑う。
「ナハハ! 魔導師らしく、早詠み勝負と行こうじゃねェの!」
威勢よくそう叫ぶリンクスが、仕込み刃を構えてオーヴァに向けてくる。宣告通り立ち昇る魔力と魔導の気配――だが術の競り合いで、オーヴァが負けるワケにはいかない。武術で上を往かれているのだから、せめて魔導は――という、なけなしの矜持こそが、秘蹟機関第七席次に敗北を許さない。
「上等だ……っ!」
以て、真横に落ちるという奇妙奇怪を極めた状況を戦地舞台に、魔導の競り合いが繰り広げられる。
「――っ!」
オーヴァが炎の術式を詠めば、対手の虎は散らすように雷撃を解き放つ。土塊を砲弾の如く解き放てば、鋭剣の如き風刃で両断する。ならばと虎の子の神聖術で霊子光を奔らせれば、件の虎は氷で足場を作って滑るように回避する。
「くっ――!」
――巧い。腹立たしい事に、それだけは認めねばなるまい。
リンクスはこの戦闘で多数の系統を使いこなしているが、この立ち回りと本人の気性を鑑みるに、生粋の元素術師――おまけに、あの男は足のみならず詠唱まで速いらしい。
特に魔導具や聖遺物の援護を受けているとも見えないのに、〈巨鉄の魔杖〉で構築速度を速めているオーヴァに応戦出来ている。――はっきり言って、異常だった。
「畜生がっ!」
攻め切れぬ状態に痺れを切らすオーヴァ。苛立ちを吐き捨てると同時、魔力と「増幅」で強化して負傷した左腕を無理矢理に動かし、剣の印相を結んで術式を構築――。
大技、である。印無しでも略式詠唱で撃てる程度の術式では、目の前の憎らしい虎を屠るには能わず。ならば屠れるだけの威力火力を用意するだけの事。
「――“停滞の階、色無き炎に惑い逝け”――っ!」
数節の詠唱のみで、その術式を完成させるのは不可能だった。
だがオーヴァには〈巨鉄の魔杖〉がある。詠唱速度、構築速度、演算性能――それらを多重で増幅、以て凄まじい速度で構築していく。
――なにもオーヴァも、全くの勝算ナシで大技に打って出たワケではない。
見ての通りリンクスは自爆によって左腕を負傷している。つまり印を結んでの底上げが出来ないという事。先ほどの魔術合戦で、オーヴァと同程度の術式での相殺に腐心していたのがその証拠。
つまりオーヴァの大技に対して、相殺の術が追い付かない――打ち合えば為す術無く狩られる事、必然。
無論魔力の消耗は激しい――オーヴァに残った力の大半を費やす事となるだろう。だがこの強敵を葬れるのなら、それも帳消しである。
――決まる、ようやく掴めそうな勝利の予感が緩やかな時間の感覚を更に緩慢に引き延ばしていく。
「――っ」
横に落ちる最中、引き延ばされたオーヴァの知覚がリンクスの所作を捉える。仕込み刃を上げ、手甲と刃の腹を見せるように構える動き。
なにをしようと、もう遅い。〈戦技〉だろうが魔法だろうが、振るう前にオーヴァの術式が完成する。
――本当に?
途端に感じ始めた違和感が、背筋に冷ややかなモノを奔らせる。
右の手甲――仕込み刃。そう、彼奴の得物は仕込み刃。
尋常な得物とは異なり、暗器の類にも似たその武器は――柄を握る必要がない。
つまり――あの刃の裏、フリーの手は印相を結んでいる!
――ああ、なんでオレはこんなにバカなんだ。
この、緩やかな時の感覚は走馬燈のそれ。
ようやく気が付いた時には、
「――“透刃、語る天地に奔る神風。収束せよ三界の刃”――」
最後、疾く詠み上げるだけで良かったのだ。
(ウソだろ……コイツのが、速いのかよ!? 間に合わねえ、防御術式――)
「――〈抱縫颶風〉っ!」
虚しくも、オーヴァは目の前の虎に何もかもで劣っていた。
武も知も魔導でさえ。
刹那、透き通る風の刃が無数に生じ、オーヴァを取り囲み鳥が襲撃するかのように啄み抉り殺到する。
「ぐあぁぁぁっ!!」
なけなしの防壁を容易く喰い破り、オーヴァの全身をミキサーの如く切り刻む……! もう意識さえ曖昧、完全に戦闘不能だった。
オーヴァとの魔術合戦に興じていた時――リンクスは既にこの元素系統第八位階〈抱縫颶風〉の構築を進めていた。
並列詠唱――である。いくら略式で詠める程度の術だろうが、これほどの高位魔法を構築しながら、あの立ち回り。化け物じみた演算領域である。
(何もかも格上――全部持ってるのは、ズルだろうがよっ……)
残念ながら、天はただひとりに二物も三物も与え得る。
世界とはそのように、不均衡を均衡とする。
故にこそ、「天才」等と言う究極の他責が生まれてしまうのだ。
「くっ――」
一足先に城壁へ着地したレヴィスは、敗北したオーヴァを見て視線を細める。
もはやあの虎を狩り殺せるのはレヴィスのみ。然らば手段はただひとつ。
(着地狩り――城壁に着いた刹那に、〈霜穿つ霹靂〉を打ち込む……それしかない!)
地に足がついた今なら、大振りな所作も行える。
それこそが秘蹟機関第八席次の出した結論。
その覚悟で以って頭上を見上げれば、リンクスはレヴィスを真っ直ぐに見下ろし、凄まじい速度で落下する所だった。
「――〈獣剣技〉ッ!」
その距離――僅か百メートル。
リンクスもレヴィスが着地の後隙を狩ろうとしているのは承知済み。
故に応じるように、かの虎は〈戦技〉を用意している。
(背後正面――あの妙な技を使おうと、上から押し切る!)
先ほど見せた〈饕餮〉なる、間合いと位置を無視する〈戦技〉だろうとも、或いは未だ秘めた手管を示そうと、悉く凌駕して滅する。その覚悟を以てレヴィスは魔力を収束――
「〈霜穿つ――」
着地に合わせるように、レヴィスは権能を発動する――。
……ここで、リンクス・マグナハートの〈獣剣技〉についてを申し上げなければならない。
その〈戦技〉には、二種の「流れ」が存在する。
ひとつ、獣剣の名が示すように……「獣象」の流れ。
先ほどからリンクスが見せている〈濡鴉〉や〈饕餮〉と言った業は、この種別である。字句通り獣を象るかの如き、変則の術。
――そして、もう一つ。
開祖ウルスラ・マグナハートは、その流れを「数剣」と称した。
獣には爪があり、爪とは一撃の内に複数の刃を成す自然の得物。
故にこそ、それは「数剣」である。
その〈戦技〉共が齎す現象、最も相応しい形容。
……着地の為に、足が着くかどうか――レヴィスが戦槌を振り切る前、構えたリンクスの刃が振るわれる。
「――〈八重捌〉」
――斬撃は、一つの内に八つが透る。
確かに振るったのはただひとつ。
だというのに、確かに八つの刃が、滅死滅殺の鋭さを以て……レヴィスを正面より斬って、刻んだ。
「が、はっ――!」
確かにレヴィスは見た。
一刀両断の刹那が内、八重に己を分かつ獣の刃を。
斬撃の轍がレヴィスを通り抜け空気さえ裂き城壁に爪痕を刻む。
「ぁ……」
ふらりと、ドワーフの身体が揺れた。
同時、である。対手より放たれる、同時にして一つ一つが必殺の刃――それが八つ。
防げも避け得もしない。気合で乗り越えるのにも無理がある。
「……なる、ほど」
――その技は、必殺の斬撃を同時に八つ、解き放つ。
防ぐに能わず避けるに能わず。
然らば、其の身を以てして猛虎の武技を思い知るより他は無し。
〈獣剣技・八重捌〉
それは、一閃の内に八つの死を放つ獣の爪牙。
受けも流しも後の先も、決して許さず斬り刻む。
絶対も完全も無きが故、あらゆるがあり得る世界で――ただ技術でのみ「絶対」に肉薄した真なる術理。
それ即ち、不可避にして絶死の――初見殺しである。
「……魔技、魔剣の類」
八つに分かたれたドワーフは、痙攣的に口角を上げて微笑んだ。
「――私の、負けっ……」
やがて彼女は、ゆったりと崩れ落ち――そして、敗着した。
「ふーっ……」
血濡れとなった勇者の肉塊を、一瞥さえくれる事無く……口から熱い吐息を吐く虎の剣士。
やがて彼は構えを解くと、刃についた血を払って見下ろした。
翡翠に敬意と、満足げな熱を宿しつつ。
「強かったよ」
――西方の猛虎は、仕留める獲物を選ばない。
例え魔のモノだろうと……天に選ばれし、勇者だろうとも。
HP多い、足速い、近接発生速い、強い弾技あり、当身、コマ投げあり、わからん殺し搭載
=クソキャラ 戦ってて楽しくなさそう。




