170 灼熱のオストレヴァ
いつかの昼下がりの事である。
「ふむ、私が出会った中で最も強い者、か」
「師匠の歴史での最強、気になりますよそりゃ」
聖国アズガルドの聖人、グリムロック・アンバーアイズは、連れていた弟子の如き少年、〈先史者の咆哮〉の担い手たるクロム・ウェインドの質問を受けて考え込んでいた。
「強さにも色々あるだろう。例えば遠距離戦で無敗を誇る弓の達者も、接近戦に持ち込まれれば形無しだろう? 逆に接近戦最強の剣士も、飛び道具には手も足も出ない。一口に最強と言ってもな――」
「でもほら、あるじゃないっすか。総合力って言うか、こう――最強が!」
「ふふ、クロム……お前も年頃の少年だな。ふむ、そうさな――」
言って、考え込む赤髪の聖人の答えを期待と共に待つクロムに、アンバーアイズはやがて目を開く。
「まあ色々居たがな……折角だ、警句代わりにもなるよう、現代にいるヤツを挙げさせてもらおう」
「だ、誰なんですか結局」
「――帝国四将軍筆頭、リンクス・マグナハート」
クロム少年は息を呑んだ。かつてあった彼の生まれ故郷、マーレスダ王国の中であってもその名は聞こえる程に轟いている。
「グランバルトの冷酷女帝、ベアトリクスの懐刀……私自身が件の虎と刃を交えたワケではない。ただ、マグナハート将軍自身が戦う機会は多い。各属領軍では手に負えない魔物の討伐、或いは反旗を翻した者の粛清か――」
「……やっぱり、強いんですか?」
「当然、全貌を見たワケではない。だが私もこの道は長い故、いざ戦を演じる姿一つだけでも、多分に察せられるくらいには鍛えている。――旅の中、目にする機会があった。強いぞ、ヤツは」
クロムの仇敵、忌々しき合成魔獣の魔王、ルベド・アルス=マグナを相手にして追い詰めるまで至った勇者の中の勇者、グリムロック・アンバーアイズを以ってそこまで言わしめる程の戦士。
少年は、怖れを呑み込むように喉を鳴らした。
「まずクロム、今のお前では及ぶべくもない。いや、秘蹟機関の中でも、アレの対手に成り得る者がいくら居ようか……」
「そ、そこまで……?」
「ああ。お前の権能ならば逃げる事くらいは出来よう。一朝有事あらば、迷わず逃走する事だ。勝てぬ相手に背を向けるのは、決して恥ではない」
そういって前を見据えるアンバーアイズの琥珀色の瞳は、いつになく鋭く剣呑でさえあった。
「……そのヒトと、師匠――どっちが強いんですか」
気にはなっていた。堪え切れずにクロムは問うた。
彼女に師事する身としては、当然アンバーアイズの勝利を信じたい。
いや、そうであろう。彼にとってのこの問いは、師の自信げな肯定を引き出す為に向けた水に過ぎなかった。
「……」
だがクロムの予想を裏切って、アンバーアイズは黙り込み、疾うに無くして久しいという右の腕を見つめた。
「どうだろうな……隻腕でなければ――いや、此処で“たられば”はナンセンスだな。ふむ、そうさな……」
やがてアンバーアイズは、ゆっくりと首を横に振る。
「勝てる、とは言い切れんな」
――それが、このライデル最古の勇者の解答であった。
◇◇◇
「が、はっ――!?」
確かに見ていたハズだった。
リンクスが被った軍帽を整え、外套をバタつかせて軍服の裾を払う。
そしてその凶暴そうな虎の顔と、秘めたる翡翠色の目で以って、コチラを見つめた。
そこまで、見ていた。
敵対者の一挙手一投足を見逃す程、レヴィス・ダーレイ・レテルネラは愚かな女ではない。
(ならっ――なに、これはっ……)
携えた己の聖遺物、戦槌たる〈天地終槌〉が、右の腕を引っ付けたまま宙に飛ぶ光景。
痛みを感じる間も無い。
切り飛ばされた右腕の断面より、吹き出る夥しい鮮血。
それが造り上げる朱色の銀幕に彩られた先、僅かに牙を剥き出し、微笑みを湛えたリンクスがいた。
そう、見えない。
先ほどまでの彼我の距離は20メートル弱。
聖遺物に選ばれる程の超人ならば、確かに一息で詰められる距離であろう。
リンクスは踏み込み、レヴィスに近付き、篭手に仕込んだ刃で攻撃した。
単純な話だ。そう、余りにも単純。
けれど、それでも……足を出した瞬間さえ見えないのは――
「レヴィスッ!」
近くに立つオーヴァの焦燥。
「はっ」
取り合う間もなく、リンクスが跳ねた。
残像の色は黒と黄。
字句通り虎の如く潜り込むような斬り上げ。
「ぐあっ――!」
逆袈裟に胴体を抉られるオーヴァ。得物である〈巨鉄の魔杖〉も、防御術式も届かない。
瞬き程の間に、聖国アズガルドが誇る勇者達……秘蹟機関の二名が詰みの一手前まで追い込まれた。
――このままでは、死ぬ。
「う、あぁぁぁぁ!!」
刺激された本能と、人生の大半をつぎ込んで刻み込んだ戦いの業前とが、残る左腕で未だ宙に舞う戦槌を掴み取り、勢いのままに振り下ろす。
「――やるじゃねえの」
片腕を奪われて尚攻勢に転じられるレヴィスの精神力。
感嘆か、戦闘狂として対手が折れなかった事への喜びか、リンクスはくすぐるように賞賛する。
――その声は、レヴィス達から離れた家屋の屋根より聞こえた。
ズガンと振り下ろされた戦槌は、誰を捉える事もなく虚しく街路を抉り取った。刹那、一瞬前までそこにいたハズの虎人に向けた一撃であったというのに。
(余りにも――疾い)
速度。
圧倒的な速度こそ、今し方レヴィスとオーヴァを追い込んだモノの正体。
踏み込み、攻撃の為に移動を行う。
所作の初動すら、捉える事さえ能わぬ異様な速さ。
言うなれば――「攻撃の発生が速い」
リンクスは剣士である。
剣の間合いに詰める為に必要な大前提――足の速さが極まっている。
それは確かに絶大なアドバンテージであろう。
(けれど――速い相手とは幾らでも戦っている)
蓋世不抜の勇者達、秘蹟機関。
星の守護を旨とする聖国アズガルドの守り手は、驚異的な魔物や魔族とも戦っている。
二人は未だ、負けていない。
毀たれようとも立つ者こそを、勇者と呼ぶのであるならば、
「まだっ……負けていないっ」
片腕を奪われたレヴィスが、尚も戦意を滾らせ戦槌を担ぎあげる。
「とんだ、貧乏くじだが……ごほっ、まあこんくらいなら、幾らでもあったよな」
胴体を逆袈裟に深く斬りつけられたオーヴァが、血反吐を吐きながら鉄棍を支えに立ち上がる。
確かに不覚を取った。
だが、未だ命は繋いでいる。
それだけで彼らには十分だった。
聖国の勇者は、世界新生以来勢いを増した魔の存在に対して、常に挑み戦ってきた。
人と魔ではそもそもの能力に隔絶した差がある。
つまり――格上狩りには慣れている。
「――〈遅延詠唱・起動〉、〈大回復・拡式〉っ!」
家屋の上から猫のように座って、コチラを見下ろすリンクスへ視線をやった瞬間、オーヴァが清澄な魔力を膨れさせ術式が起動。
神聖系統第八位階〈大回復・拡式〉――同系統の第六位階魔法〈大回復〉の範囲拡大版の回復術である。
熟達の使い手が詠めば手足の欠損さえ癒す強大な治癒魔法。解き放たれた強力な霊力の波動が、オーヴァとレヴィスを清らかに覆い、瞬く間に傷を塞いで落した片腕さえ癒して見せた。
「神聖回復術式か、いいねぇ」
冷やかすような口笛と共に、リンクスが賞賛を送る。ヒトを食ったような態度だが、彼は素直に敵手を褒めていた。
座り込む猫のような姿勢から、勢いよく跳ねたリンクスが緩やかに着地。少し離れた場所に降り立ったリンクスの、実に愉しそうな様相とは裏腹に、形勢を立て直したハズの勇者二人の顔は酷く硬かった。
取り分け、オーヴァは特に。
(――仕掛けて置いた〈遅延詠唱〉三つの切り札、もう一つを切る事になるとはな)
万全を期して事前に用意していたオーヴァの策、〈遅延詠唱〉。
〈術式修正〉と呼ばれる、魔法の性質を変化させるべく、術式に改訂を施す技術の一つ。
〈遅延詠唱〉は術式を待機状態でセットし、術者が望んだタイミングで行使を可能とする。
戦闘において魔法とは非常に強力な技能。
熟達の魔導師が詠む術式は時に戦局を変え、戦術の要となり、或いは一つの戦略ともなろう。
だが魔法は、詠唱という特大の隙を抱えている。
術式を遅延してストックしておける最大時間、魔法の数と位階。術者の力量に応じた制限があれど、〈遅延詠唱〉は、魔術の欠点を補う絶大なアドバンテージとなる。
その内、自身の演算領域との兼ね合いでオーヴァがストックしたのは切り札級の術式三つ。
内一つ。生命活動が停止さえしてなければ、認識内の全ての味方と己を大幅に回復させる〈大回復・拡式〉を切らされた。
多大な詠唱時間と消費魔力、またその効力により、戦闘の最中尋常に詠む事など叶わぬ術。
それを切らされたオーヴァの心中、またそれを戦端より切らせたリンクスの力量――推して量り、以って瞑すべしと言えよう。
「コイツ、本当に強ェな」
「ええっ……」
――だが、秘蹟機関は二名。
二対一ならば、まだやりようがある。
口に奔った苦いモノを掻き消すように、レヴィスは戦槌を器用に振り回し構える。
「私が前衛を」
「了解っ」
素早く問答を終え、オーヴァが後ろへ飛ぶように大きく下がった。
代わりにレヴィスが素早く前に出て、ゆったりとコチラに進むリンクスを正面から見据える。
秘蹟機関第七席次、オーヴァ・リガン・ローウェル。
彼の聖遺物、〈巨鉄の魔杖〉の権能は「増幅」である。
増幅、と一口に言ってもその権能が擁する領分は広い。
聖遺物である〈巨鉄の魔杖〉に関わる事象であれば、権能の発動条件を満たせる。
故に装備する契約者本人の肉体能力、魔力、行使する魔導、或いは振るった攻撃の威力速度にさえ及ぶ。
その汎用性とオーヴァ本人の素質が合わさり、彼の万能性を高めている。
だが万能は得てして突出には及ばぬ。
近接戦においてはオーヴァよりも席次で劣り、加えて体格も小さなドワーフ、レヴィスの方が分がある。
それを察したからこその後衛。
組む相手に応じて前衛、中衛、後衛、全てに合わせられるのもまた、オーヴァの得難い才覚であろう。
「相談は終わりか?」
「……余裕ね」
距離を詰めるでもなく、ゆったりと街路を歩くリンクスにレヴィスが冷たく視線を投げる。
モノクル越しに飛ぶ小さなドワーフの侮れぬ目線を受けて、虎の軍人は肩を竦めた。
「まさか、これでもギリギリだぜ?」
「そう……」
飄々とした態度のリンクスと対称的に冷たく映るレヴィスの応対。
彼我の力量差を表しているにも等しいが、レヴィスはそれにさえ努めて気づかぬフリをして戦槌を構えた。
「続き――はじめましょう?」
「ナハハっ、勿論!」
あくまでも冷たく誘うレヴィスに、リンクスは牙を剥き出した。
獰猛な哄笑の後、獣が跳ねた。
「――っ!」
刹那という言葉さえ届かぬ神速。
またしても、見えない。
必然である。警戒充分な初見で見切れなかったのであれば、それは「見切る土台」に立てていない証。
つまりレヴィスの、勇者としての動体視力さえ追い付いていない。
――ガァン、と銅鑼を力任せに叩いたような轟音。
「へぇ、山勘か。悪かねェな」
故にドワーフの勇者は、勘で戦槌を揮った。
そしてそれは、リンクスの踏み込むと同時、絶対迅速の斬撃を弾くに至った。
何もレヴィスも、完全に山勘頼りの守勢を強いられたワケではない。
最初の不覚、そして次のオーヴァへの攻撃、二つの先例より斬撃の位置をある程度絞っての防御。
既に秘蹟機関第八席次は、回避不能な斬撃を誇る虎人に合わせつつあった。
「はーっ……」
――だが、それは決してリンクス・マグナハートを攻略したという意味ではない。
常より戦槌の重圧に耐え振るう剛腕を誇るレヴィスの手が、斬撃を受けた衝撃で痺れている。
腕の痺れが意味するのは、先の攻撃が「ただ速いだけ」のモノではない証明。
致死に到るだけの威力膂力の籠った、剛柔合わせた上質の一撃。
それはこの虎人が、恵まれた身躯に頼った肉体能力のゴリ押しではない事を意味する。
寧ろ、その肉体による凄まじく厚い下駄を履いた上での、絶対的な技術に成り立つ戦闘技能。
腕の痺れは、その証左。
「――っ、はぁぁぁ!!」
魔力による身体強化、そしてそれらさえ置き去りにする裂帛の気合で以って、レヴィスは戦槌を揮う。
自ら程もある重厚な戦槌が棒でも振るかのように、残像を伴ってリンクスへ叩きつけられていく。
「ナハハっ!」
ガガガッという異音は宛ら怒涛。
心の底から愉し気な哄笑と共に、レヴィスの猛攻を全て片っ端から叩き落すリンクスこそ音の正体。
城壁等容易く砕き、巨岩さえ吹き飛ばすレヴィスの戦槌が、その圧倒的暴力の嵐が、掠りさえせずリンクスに弾き落とされる。
上段からの振り下ろし――下からのかち上げ――横っ面を狙った薙ぎ――弾かれ、いなされ、避けられる。
(当たらない、当てられないっ――余りにも、巧すぎるッ!!)
この刹那、レヴィス・ダーレイ・レテルネラは理解した。
理解したが故に、刹那だが恐怖した。
その天賦の肉体に何ら驕る事もなく、ひたすらに戦に生き磨き業前を鍛え上げて来た。
その意気、その術理、その殺意――何もかもが、お前を殺すと告げている。
「っ……ふざ、けないでっ!」
斬り結んでから数瞬、まず気圧され次いで押され始めた。
斬撃と殴打の狭間、散る火花の轟音が、疎らだったそれが徐々に揃っていく。
リンクスが刃を振ったと同時、弾かれる轟音が響いていた。――猛攻を仕掛けたハズのレヴィスは、いつの間にか守勢を強いられていた。
流れ目さえ窺えぬ完璧な転調。何処で刃を返されたのか、レヴィスには見当さえつかぬ。
――口の中に、凶兆めいた苦い味が奔る。
「――レヴィス!」
予感を断ち切るように響いた声は、やはりオーヴァ。
焦燥を顔に張りつけ、携える〈巨鉄の魔杖〉をリンクスに突きつける。――立ち昇る魔力と魔導の気配。
「〈灼火――」
窮地に陥ったレヴィスを救わんと、魔力が圧縮され急速に魔法が紡がれている。正規の詠唱を吟ずる暇はない。略式詠唱で威力と速度を保ちながら、オーヴァは高速で術式を構築し――
「はんっ」
――術式を詠み切るより刹那前、挑発的な笑みを浮かべたリンクスが凄まじい速度で動いた。
右腕の仕込み刃でレヴィスに応じながら、左手で右脇のショルダーホルスターより大型拳銃を抜き打ち様に射撃――!
「――ッ!!」
飛来する銃弾を防ぐべく鉄棍を振るうオーヴァ。その際に術式の集中が切れ、構築が乱れた。
――展開された術式陣が揺らぐ。
「ぐっ……そっが!」
パァン、パァンと続けざまに響く銃撃。オーヴァへの銃撃は続く――驚くべきか呆れるべきか、レヴィスを圧倒しながら、オーヴァへは一瞥する事さえ無く銃撃を完璧に行っている。
(腕への痺れが重い……っ! 魔術処理された弾丸かッ!!)
――聖国人である二人は知る由もない事だが、リンクスの愛銃は「九十六式魔導拳銃」、技研による正式ロットナンバーを「C96」という。
C96専用7.63mm弾を使用するこの魔導銃は、主に高級将校用に作成された代物――その貫通力とストッピング・パワーは、対魔導師戦においても十分な効力を発揮する。
中でも、リンクスが使用しているのは「レッド9」と呼ばれる、9x19mm弾を用いるマイナーチェンジ版。
より威力が向上した9mmを用い実包自体に魔術処理を施す事で、第五位階以下の防御術式を貫通し、対象を射殺する破壊力を得るに至った。下手な魔法や剣などより、余程強い。
無論、超がつく程に高級な弾丸である事は……言うまでもないだろう。
「――っ!」
その衝撃力は聖遺物の契約者でも堪える程。一切の容赦なく飛んでくる死の魔弾を弾く衝撃で、オーヴァの集中が途切れ術式が完全に崩れてしまう。
――聖国人は「銃」という武器を魔導を扱えぬ愚物共の代替品と、一段も二段も下に置きがちだが……この殺傷力と、綿密な熟達を必要としない手軽さは侮れない。
相手の防備を抜くだけの技量状況が揃えば、例え魔人の如き英雄さえ一口に葬れるのだ。
魔法という異能の存在と、弾丸を叩き落せる使い手もそう珍しくない事から麻痺しがちだが、「銃」もまた恐怖して然るべき白刃である事には変わりない。
少なくとも、生粋の帝国人であるリンクス・マグナハートにはそれが理解出来ていた。
「こんっ……のっ!」
右の刃でレヴィスを圧倒しながら、左に携えた銃でオーヴァを釘付けにする大立ち回り。そしてオーヴァの方は一瞥さえくれず完璧な射撃を見舞っている。片手間に相手されているかのような屈辱が、オーヴァのプライドを傷つける。
――パァンと響く銃声が、延べ十回響いた。刹那、薬莢の排出と共にカチリと開くボルト。
帝国人を相手にしていれば嫌でも知る事になる。故にオーヴァにも理解出来ていた。――アレは弾薬を撃ち切った証であると。
(リロード前に、攻めるっ!)
銃弾を弾いた衝撃のまま回転させ構え直した〈巨鉄の魔杖〉を、突進と共に上段から振り下ろす――同時、レヴィスもまたリンクスへ殴りかかっている。
二面からの攻撃、仕込み刃だけで応じるのは、さしものリンクスと言えど流石に厳しいだろう――。
取った。そう思ったのも束の間、リンクスが流麗な所作で回転させつつホルスターに銃を収めたかと思えば、そのままフリーになった左手で印を結ぶ。
――剣指を立てて紡がれる「剣の印相」……まさか、と思い直す間も無く、リンクスが練り上げた魔力が秩序だって術式を淀みなく、速やかに構築。
「――“北の剣風、凍牙の調べ、煽いで下す”――」
そのまま、後方へ転ずる形での回転斬り。降りかかるレヴィスの戦槌を弾きながら距離を取り、剣指がオーヴァへ突きつけられた――!
「〈瞬間凍結〉」
刹那、リンクスの剣指の先から術式陣が展開。真っ白な氷霧が破滅的勢いを伴って、オーヴァへ照射される!
「ぐっ!?」
レン高原の厳冬を十倍に束ねて尚足りぬ――激烈な程の冷気。
このままでは氷漬けになって死ぬ。投射される冷風から必死に距離を取り、どうにか術式から逃れ切る。
(なんつーヤツだ。剣も体術も銃も達者で――おまけに元素魔法まで巧いのかよっ!)
火傷めいた凍傷の痛み、そのせいで上手く動かぬ身体を治癒魔法で癒しながら、オーヴァは歯噛みする。
元素系統第六位階〈瞬間凍結〉――術者の前方に、極低温の霧を投射する攻撃魔法。
空中の水分さえ即座に凍結する氷の術――一瞬晒されただけで死にかねない威力だ。オーヴァが生きているのは、戦闘中、常時肉体を巡らせている魔力を、咄嗟に色濃く纏って防御したからである。
「オーヴァ!」
氷の霧に呑まれ後方へ転じたオーヴァへレヴィスが傷ましく叫ぶ。視線だけは未だ目の前の虎へ合わせつつも、共に戦線を張る味方の窮地に意識が逸れている。
「まだ終わりじゃあない――!」
意識を逸らしたレヴィスを一喝するように、リンクスが獰猛に笑う。
今だ噴射される〈瞬間凍結〉の冷気を、周囲一帯を薙ぐように腕を動かす。――白い冷気がレヴィスに向いた。
「くっ!」
思うように運べぬ戦局に苛立ちながら走り出すレヴィス。彼女を追うように〈瞬間凍結〉を投射するリンクス。
……真っ白な霧が急速に空中の水分を凍結させ、強固な氷壁を作り上げていく。
「こ、これはっ」
外部に居るオーヴァが息を呑んだ。
彼の目の前にあったのは、氷壁によって造られたドームである。
分厚く、十分な堅牢さで以って、内部にレヴィスとリンクスを隔離している。
(――オレへの迎撃、レヴィスへの牽制……そして極め付けには、氷で造った即席の闘技場!)
二重、三重の意図をただひとつの行動に込める。
それはリンクス・マグナハートがただ「強い」だけではなく、その「強さ」をフルに生かせる能と脳を備えている証。
戦闘におけるセンスで、全くもって追い付いていない。
まさに、正に――戦う為だけに産れた、怪物!
(バカが、スペックと戦術で負けてるんだ、精神まで譲る必要ねぇだろ!)
萎えかけた闘志に叱咤を入れ、オーヴァは立ち上がる。
数少ないコチラの有利である数、それを氷のアリーナで殺された形だ。
ならば当然、オーヴァがやるべきは氷壁の突破。
だがこの氷が魔法で造られたモノであるという点が、状況を悪くしている。
魔法は当然魔力を用いる。故にこの氷にも多分に魔力が含まれている。
そのせいで内部への魔力探知が上手く作動しない。強力な攻撃魔法で氷を破ろうにも、中のレヴィスを傷つけてしまえば目も当てられない。
物理的、魔法的に完全な遮蔽である。恐らくリンクス・マグナハートは、そこまで考えてこの魔法を詠んだのだろう。
鉄棍と強化魔法、及び〈呪文刻印〉を組み合わせても尚、氷壁の突破には一分弱は掛かる。
一分弱。短い、だが今は長すぎる。
あの虎人相手に一対一で一分弱――しかも逃げ場のない氷の牢獄内。
(余裕で死ねる――!)
構えた鉄棍――〈巨鉄の魔杖〉に多数の魔法を込めながら、内部のレヴィスを慮る。
死ぬな、と。
「――っ!」
――その祈りを受ける側もまた、必死に食らい付いていた。
「折角……寒くない土地だと思ったのに――」
皮肉を言い切る間も無く、再びの近接戦。即座に飛び掛かってきたリンクスへ応じるレヴィス。
左右上下、斬撃と格闘を織り交ぜた縦横無尽のラッシュ――重量武器である戦槌を扱う以上、どうしても手数で劣るレヴィスは、着実にダメージが蓄積していく。
「ッ……!」
防御仕損じた一撃が、軽く肩を抉る。殺し切れなかった衝撃が、静かに身体を蝕む。
このままでは疲弊した所を押し切られて獲られる事、必定。
(一か八か――この氷の檻ごとっ!)
レヴィスの思考に過る、捨て身の作戦。
オーヴァの援護が期待できないこの状況で、一対一を続ける事は危険極まりない。
……レヴィスの聖遺物、〈天地終槌〉ならばこの氷壁を砕くも容易い。だがそれをリンクスも察しているのだろう、先ほどから超近接戦を演じている。
故の、権能。
自らをも巻き込む形となるが、〈天地終槌〉の権能を起動すればこの状態を打破できる。
――やるしかない。意志を固めたレヴィスに、鍔迫り合うリンクスが牙を剥き出して笑った。
「何か考えてるな? ナハハっ、やらせねェよ」
……その瞬間、リンクスが鍔迫り合いを弾く形で距離を取る。この状況で距離を取る――今の今まで接近戦をしてきたリンクスが。
そのことに疑念を抱く間もなく、
「――“刎頸を告げ、透なる刃”――〈絶風刃〉」
短い詠唱を素早く駆けた刹那、リンクスの左手に強烈な風が集い、半透明の刃が顕現する。
大気を圧縮し刃を作り放つ、基礎的な元素魔法――だがリンクスは、それを手元で維持したまま……一転してレヴィスへ吶喊!
「ッ!?」
斬撃、斬撃斬撃、そして斬撃――。
無数にして無尽の連続攻撃。手数が倍に増えている。
何の事は無い、リンクスは風の刃を放つ事なく手元に携え、それを仕込み刃と合わせて振り回しているのだ。
右の刃と左の風刃――即席の二刀流である。
「ぐっ……ぅぅぅ!」
防ぎきれない。レヴィスの全身に細かな傷が刻まれ、冷気漂う檻の中に鮮血が撒き散らされていく。
「――そらよっ!」
軽快な態度と共に右の仕込み刃でレヴィスの防御を弾き、姿勢が崩れた瞬間に、手元に携えたままだった〈絶風刃〉を逆袈裟斬りの要領で解き放つ――!
ブォンという重苦しい音と共に高速の斬撃が飛翔――崩れた体勢のレヴィスに防ぐ余地などなく、彼女の胴体を逆袈裟に切り裂いた!
「がはっ……!」
――流血が弧を描き、風の元素魔法の着弾でレヴィスは後方へ飛ばされる。思い切り氷壁に背をぶつけ、二重の苦痛にレヴィスは酷く咳き込んだ。
……生きてはいる。咄嗟に体内の魔力を前方へ集中させたのが功を奏した。少なくとも胴体と下半身が泣き別れる事は無かったが、それでも深い負傷。
秘蹟機関二人をしてこの大立ち回り。レヴィスは口の端から血を零しながら、視線の先にある虎人へ睨みを投げた。
(この男……本当に強いッ!)
レヴィスが視線に何を込めているかを知ってか知らずか、リンクスは外套を払うと仕込み刃を向けてくる。
「ほら、立てよ。まだやれんだろ?」
虎は獰猛な笑みでもって、ただ戦を享受する。
「始まったばかりだろ? 黄昏さえ、未だ遠い」
藍色の空を背後に、翡翠の光が剣呑に揺らぐ。
勇者同士の戦は、早くも予想だにしない方向へ向かおうとしている。




