165 やがて熾烈へ至る者共
「天使院が造り出す複製――彼らは以前と殆ど変わらない人格、容貌、能力を持つが――ある一点のみが異なる」
学術都市セフィロト――その中央に置かれる巨大構造物にして政庁たる「セフィラの塔」の頂上、ケテルの間にてその声は響いていた。
「複製は、触れ回るのだ。天使院の奇蹟を誇張し、真実を秘匿して」
皮肉気な笑みを浮かべるその青年は、高雅にして妖しげ。黒髪の奥から煌めく超自然的な金の眼が、薄暗い円卓会議場を貫いた。
アイン・ソフ・オウル――セフィロトの真の主である。
「同時、彼らの言葉には一つの魔力が宿っている。奇しくも君の〈第五の病毒〉と同じく、弱った者にしか作用しない魔力だ。――言葉を聞いた者は、それが怪しいと思いながらも天使院に縋ろうとするのだ」
アインはひとつ溜息をついて、どこか遠い彼方を眺めるように視線を彷徨わせる。
「本来天の座に在るべき“熾天使”が、地の底にて虜囚となる。そのように膨大な代価を払って漸く成る魔法――天使院の複製が語る“言葉”そのものに、そのような微弱な精神干渉の効果が宿っていたようだな。これはいわば、病原菌の働きにも似ている」
曰く、天使院で「治療」された「複製」が健康体という体で外の世界に放たれる。
彼らは各地で天使院の「治療」についてを語り、その言葉そのものに魔力が宿っているという。弱者にしか作用しない、新たな犠牲者を天使院に呼び付ける魔力が。
「やがて複製の“言葉”そのものが独り歩きし、噂の形で各地へ広まる。これは極めて厄介だ。なにせ言葉そのものに、弱者への精神干渉効果がある。病が感染源から爆発的に広まるのと同じ。……天使院の手に堕ちる者共は、加速度的に増加していくワケだ」
そして、その果てにあるのは――世界各地に広まり、一見して区別のつかない「異形」の存在。しかも主である「熾天使」の号令ひとつで、悪鬼にさえ為り得る怪物である。
「こうなれば、もはやセフィロトの目的を果たす所ではない。いや、国家そのものに寄生でもされれば、セフィロト対全世界という構図が早々に出来上がっていたやもしれない」
そのような最悪の未来予想図を描いてか、アインは安堵の籠った息を吐いた。
「“熾天使”にその気があったかは兎も角として、な。……戦争などという物騒な手段に到る気が無くとも、聖性の異形と我々ではどうあっても相容れない。確かにあの天使の宿願が果たせれば、字句通り新世界が訪れていた事だろう。正に究極の秩序――歴史上初めての世界平和を実現出来ていたかもしれない」
皮肉気に語ったアインは、その場に居るもうひとりに向かって、それこそ皮肉気な笑みを浮かべた。
「だが、それは我々は無論、この世界の人類にとっても許容しがたい結末。――おめでとう、ルベド・アルス=マグナ。君こそ、世界の支配を目論む魔王を討ち果たした……英雄だよ」
そうして水を向けられたのは、屈強にして強靭無比な巨躯を誇る、異形の黒狼――合成魔獣のルベド・アルス=マグナだ。彼は玉座に腰掛け足を組み頬杖を突きながら、つまらなそうな顔でアインの話を聞いていた。
「そこで“勇者”とか宣わなかったのだけは、褒めてやるよ」
「ありがとう、ルベド君」
ルベドのぞんざいな態度にも一切怯まず笑みで返すアインに、当のキマイラは鼻白んだようにそっぽを向いた。
「まあ、何はともあれ……これで君の能力も向上し、我々はライバルが撃沈して安堵できる。実に素晴らしい働きだよ」
「あっそ。なら俺も骨折ったり身体灼けたりした甲斐があったってワケだな。クソ面倒なヤツの相手押し付けやがって」
「君の能力を信頼したが故の采配さ。それとも、君は自身の能力を疑っているのかね? 至高の創造主から造られたハズの、君自身を」
アインの言葉にルベドは紅い瞳を鋭く変じさせ睨みつけるが、すぐにやめて視線を逸らす。
その様子を見て、アインは暖かな視線をルベドへ向ける。
「そう悲観することもなかろう」
「……はん、お前に何が分かる」
「分かるさ、すべて。……悲しいものだ、果たせぬ使命、行く先を失う忠義……だからこそオレは君を善く思うし、どうかそのままであって欲しいと願う。使われてこその道具……そうだろう、ルベド君?」
「……」
何を想っているのか、いつになく物憂げな目線を落とすルベドへアインは再度笑いかけた。
「互いに果たそうじゃないか。使命も願いも、なにもかもを」
◇◇◇
諸君らはシャマインという街をご存じだろうか。
天使院なる救貧組織を核にする、イーファル共和国辺境の街である。
その天使院なる場所は、さながら天を衝く塔のような優美な構造で、街の静けさも相まって、保養地として人気があった。
先日、その天使院が壊滅した。
同地で調査を行う当局の声明では、施設の動力源である魔力炉の爆発が原因であるという。
その影響で街の中心は大破し、数多くの死傷者が出る事態となった。
天使の園を襲った傷ましい事故は、昨今の世情を克明に写しているように思える。
同地の復興は、果たして混沌としたガイア大陸にて叶うのだろうか。続報が期待される。
――ラエレンス新聞草稿、執筆者フェイリス・アーデルハイト。
「なんやこれ。使えん、こんなん使えんわ!」
狭苦しい新聞社のオフィスの中、煙たい紫煙を吐き出しながらそう叫ぶのは、狐の獣人種の男。
シャツにベストにズボンという至極一般的な帝国市民的服装は、整えられてはいるものの、少しばかりよれていて、煙草の匂いが染みている。
容貌は狐のソレに、それこそキツネ色の毛並みに糸目。
彼は持った草稿を力なく机へ投げ出し、ズレた黒い眼鏡――所謂パンスネ、黒いレンズが入っている――を戻して、三つ編みに束ねたタテガミを弄んでいた。
レンゼラ・ラエレンス――狐の獣人種は詐欺師ばかりという偏見を破る為、田舎の属州から帝都まで上り、ラエレンス新聞社を立ち上げた剛の者。
立ち上げてもうすぐ二十年となるラエレンス新聞社は、その浅い歴史とは裏腹に、今や帝国から援助を受ける公認の新聞社の一つまで成り上がった。
「あンなァ、ワイらは帝国お墨付きの新聞社や。分かるか? んで共和国は帝国の敵! どーすんねん敵側を心配する記事書いて!」
レンゼラの怒りはもっともである。
公認の新聞社は資金的援助だけではなく、戦争情報――ほぼプロパガンダだが――の記事頒布許可が下りる。
やはり戦争の情報は関心が高く、無料頒布分だけではなく普通の新聞への売り行きにも影響するのだ。
そんな中、敵国への心配を乗せた記事など発行するのは避けたい。折角手に入れた「公認」の座をみすみす手放す事になりかねないのだから。――それがレンゼラの怒気の正体だった。
「えー、でもしょーがなくないですかー?」
気の抜けた声で、レンゼラへ反論するのは派手な女だ。
ゆるりと巻かれたカールの髪におっとりとした目元、着ているのは帝都の流行最先端を往くけばけばしい衣装。彼女は手鏡を覗き込みながら、髪の毛を櫛で弄っていた。
「だってぇ、この記事無かったら来週分いよいよスカスカのスカですよぉ」
「そーやけどなぁ……」
「アーデルハイト先生にはぁ、スカスカの誌面埋めるためにいーっぱい寄稿してもらってますよぉー。だから偶にはぁ、カスみたいな記事があってもー、ミミは仕方ないと思いますけどねぇー」
先生旅暮らしで大変だって言ってましたよー、などと締めくくる派手な女――ラエレンス新聞社編集、ミミにレンゼラは白けた目を送る。
「そのカスみたいな記事を何とかすんのが編集の仕事やろがい」
「えー、でもこれは根本が腐ってますよー」
「仕方ないとか言うた割には辛辣やな、ダブスタは止めた方がええで」
擁護したいのか貶したいのかよく分からない物言いに、またぞろレンゼラの糸目が更に白けて細まる。
「でもー、それがミミの正直なキモチだからぁ、しょーがないですよねぇ?」
何を言ってもゆるりふわふわと返されてしまう。これ以上無意味な事も無いと、レンゼラは首を振ってから灰皿に置いた火のついた煙草を手に取る。
「まぁ、しゃーないな。ミミ、取り合えず多少取り繕って、隅っこにでも載せたりや」
「はぁい。あ、定時だぁ♪ じゃあミミ上がりますねぇー」
「おい、編集はどないすんねん?」
「えー、定時なんで無理ですよぉ。じゃー、お先ー」
そして編集の仕事を投げた矢先、丁度勤務時間の終わりがやってきたらしい。壁に掛かっている時計を見た途端手を叩き、ミミは慌ただしくオフィスを去っていく。
「……ハァ」
その背中を眺めて、ひとつ嘆息。吐き出した憂鬱の代わりに、手に持ったままの煙草から紫煙を詰めようと口元に近付け――
「ボス、ただいまー!」
少しばかりささくれた精神を煙草で慰めようとした矢先、新聞社のオフィスのドアが開きバタバタと騒がしく少女が入ってくる。
「なんやシリィ、もうノルマ終わったんか」
オーバーオールを着た、くすんだ金髪の少女――シリィ。
ラエレンス新聞社が売り子として雇っている少女であり、彼女は帝都中を走り回って新聞を捌いている。
この間も配った号外を「四将軍で一番の美形」に手渡しで配れた、などと反応に困る自慢をしていた。
「ううん、そうじゃなくてね」
今日の分の販売数を捌いたのかと思いきやそうではないらしい。三度目の休憩の時間にもまだ早い――くだらない理由で戻ってきたのなら、まだ怒鳴る所だが、
「――印刷機がぶっ壊れちゃった」
「……は?」
「こう、巻き取る紙がね、ガガガガッって」
暫くの間、シリィの言っている言葉が理解できずあんぐりと口を開いたまま――やがて我に戻ったレンゼラは、
「んなっ、なにやっとんやお前っ……! てかお前、印刷機触ったんかっ!?」
「用紙の点検だけしろって、ミミさんに言われたんだよ」
「……あの馬鹿たれっ」
当然だがシリィは販売担当のアルバイトに過ぎず、新聞社でも最も価値の高い財産たる印刷機を触らせることなどしない。恐らくはミミが点検をサボりたくなって、シリィに任せたのだろう。
印刷機は当然高い――ラエレンス新聞社にも一台しかない替えの利かない機材である。もしも壊れたりしたら――
「ま、まぁ紙が詰まっただけならなんとかなるやろ……おいシリィ、お前は念のため修理の魔導師に連絡しとけ。ほら、いつもの兄ちゃんや。それと今後は、ミミにお使い頼まれても無視するんや、分かったな?」
「はーいボス、了解でーす」
突然騒がしくなったオフィス内を、慌ただしく動くレンゼラ。
窓の外、覗く空は素知らぬ顔で茜色に煌めていた。
◇◇◇
如何に絶大なる求心力を誇るユグドラス教のお膝元、聖国アズガルドと言えど、後ろ暗い犯罪の類とは無縁ではいられない。
「おっ、あの女……」
聖国の地方都市、その裏路地など――まさに犯罪の温床のような場所だ。
今もまたひとつ、新しい罪過が生まれようとしている。
裏路地で屯するチンピラの男が、その道を通る女を視界に捉えた。
その女は美しく蠱惑的だった。
しなやかな身体とほどよく盛り上がった胸部――透き通るような髪はショートヘアーに整えられ、片目だけが覗いている。
ビスチェにも似た、露出の多い服とショートパンツに長いブーツといった取り合わせから、煽情的な腰つきなどがよく窺える。
妙なのは腰に巻いた黒い布――服だろうか。ローブ、或いは……“法衣”にも見える。
その布を巻き付けるように、上からベルトを締めて腰には短い剣の収まった鞘が下げられている。
よく見れば、耳が木の葉のように少し尖っていた。ハーフエルフだろうか。
「よう嬢ちゃん、こんなところでなにやってるんだ?」
だが彼女の素性は兎も角として、犯罪の温床のようなこの裏路地を無防備に歩くなど、襲ってくれと言っているようなモノだ。盛り場を歩くすこぶるつきの美女に向けて、その男は下卑た笑みを浮かべて近づいた。
「……ん? なんだい、ボクに何か御用かな??」
女はうっそりとした動作で男へ振り向くと、髪で片方が隠れる銀色の眼を向ける。
「いやなに、随分美人な子が無防備にこんな場所を歩いてるなァってな。この辺は物騒だぜェ……?」
「ふぅん……?」女は形の良い唇を歪めて薄い笑みを作り、後ろ手を組んで男を見る。「随分、優しいんだね?」
魅入られるような微笑みだ。
近くに寄るとこんな場所には似つかわしくない、摘み立ての花を思わせる甘い匂いがする。
「へへへ、まあな……それでよ嬢ちゃん――」
思わず緩む頬と、腰の方から湧き上がる活力――それが赴くままにその女の細腕を掴もうとした刹那、
「ボクと遊びたい?」
それを遮るように投げられる問い。コチラを誘うような問いかけに、男の脳はいよいよ欲望で用をなさなくなる。
「へへ、そりゃモチロン」
「そっか。ならいいケド、危ないよ?」
「火遊びには慣れてるが――」
要領を得ない問いに首を傾げながらもそう宣う男に、女は笑みを浮かべながら首を振る。
「そうじゃなくてさ、そこ――」
女が指を指した瞬間――ガラリと、路地に陰を落とす家屋の屋根が動く。
「あ……?」
最期の言葉はひどく呆気なかった。
狙い澄ましたようにレンガが男の頭目掛け――落下。
ゴズン、と重々しい音を立ててめり込むレンガに、男は抗う間もなく即死し、その場に崩れ落ちる。
重い石がめり込み、陥没する後頭部。そこからドロドロと血液を零しあっという間に血だまりを作り出す光景――ハーフエルフの女は、その景色を変わらぬ微笑みを浮かべながら見下ろしていた。
「だからいったのに」
しばらくの間死体を見下していた女が最初に呟いたのは、熱の無い冷たい言葉。死体を見下ろす銀の眼は、その色の印象を裏切る事無く拒絶のみを宿している。
やがて興味を失ったようにそっぽを向いて、また路地を歩き出すより少し前、
「――相変わらずだな、ロズタリカ」
彼女の背中からかかる、聞き覚えのある声。
ゆったりと振り返ると、そこには黒い法衣を着た痩躯の男。手には細長い鉄棍を携え、顔つきは猿めいており、耳も獣のように少しばかり尖っている。
秘蹟機関、第七席次――「忍耐」のオーヴァ・リガン・ローウェル。聖国アズガルドが誇る勇者、そのひとりである。
「いや……第十二席次――ネルフィ・エオン・ロズタリカ」
改めてオーヴァより名を呼ばれ、ハーフエルフの女――秘蹟機関第十二席次、ネルフィ・エオン・ロズタリカは、腰に差した短剣の鞘を撫でて微笑んだ。
「ローウェルさんが来たって事は、お仕事かな??」
「おうよ。お前でも帝国と聖国が戦争してるのは知ってるだろ」
「うん、まあ流石にね。でもボクは参加するなって、おじいさんたちに怒られたんだけど?」
「状況が変わった」
目の前の女と会話するのが苦痛であると言わんばかりに酸い顔をするオーヴァは、吐き捨てるように言い放つ。
「ヴァーロムからの侵攻作戦――帝国の将軍どもに阻まれている。連中もまた聖遺物使い――土俵は俺らと同じってワケだ」
「ふーん、もしかして手古摺ってるの?」
後ろ手を組んでそう尋ねるネルフィに、オーヴァは鼻を鳴らして視線を逸らし取り合わず、
「……四将軍を殺せ。お前の聖遺物なら簡単だろ?」
そうとだけ、ただ呟いた。そこには勇者らしからぬ、昏い感情が籠っているように見える。
その「感情」が好ましいのか、ネルフィは目を細めた。
「いいの? ボクが出ても」
「構わない、全て壊せ――特に四将軍筆頭、あの鼻持ちならない虎野郎だけは念入りに」
「ふふっ……」
やっと、やっと来た。
湧き上がる充足感と期待にネルフィは久方ぶりの笑みを浮かべる。
きっと今回もツマラナイ。けれどそれでいい。少しでも「期待」が出来るなら、未来へのベットとしては充分過ぎるほどの対価だろうから。
「いいよ、でも気を付けてね」
承諾と共に、ネルフィは腰の短剣を妖艶に撫でる。柄から刃先までを、なぞり上げるように。
「この子、全然言う事聞いてくれないから」
確かに迸る火花の予兆。
ついに始まろうとしていた。――ヒトの頂点、勇者同士の殺し合いが。
これにて六章終了です。
あまり詰まることなく書き終えられて、ひとつ安堵しております。
いつもの通りストックを溜めてから、次章の掲載となる運びです。
次回、第七章でお会いしましょう。




