163 愉快な黒子たち
――地の底にて混沌と秩序が相対した頃。
「〈火線〉――〈凍結光〉っ! 不味いですね、キリがありませんよ」
天使院上層でもまた、正邪が互いを削り合っていた。
群れるように地下から飛び立ってくる異形の天使たち――それを初級の元素魔法で打ち落としていくのは、瀟洒な服装の黒山羊の青年――情報部副長、バフォメットのシモンだ。
「ちょっと何よこれっ! ムリムリ、キモい上に多すぎ!」
嵐の如く殺到する受肉済みの天使を、魔力の輝煌を纏った短剣の刺突の連打――〈光剣〉で捌きながら、グチグチと呟くのは、ツインテールが特徴的な美少女、情報部総長ヘルメス・カレイドスコープだ。
「この天使、地下から湧いてきてるんですかね――〈強酸泡〉」
「どう考えてもアイツが派手に暴れてるせいね」
天使院の底で今まさに戦っているであろう黒狼のキマイラに、ヘルメスは僅かばかりの苛立ちを向けて呟いた。
ルベドの強さは知っている。まさに怪物的な怪物、あの傲慢で非常にうざったいキマイラなら、如何なる相手でも倒せるであろう。
だからムカつくのだ。あれほどの性能なら、ド派手にやらずとも片づけられるんじゃないかと。
……或いは、ここまでの大立ち回りが求められる程の「獲物」なのだろうか?
そんな考えを弄びながら、地の底……揺れる天使院と響く魔力にヘルメスは目を細める。
「そろそろ私の魔力もキツいです。初歩の攻撃魔法でどうにか誤魔化していますが――正直なハナシ、脱出を視野に入れたい頃合いです」
先ほどから敵の天使を捌いてくれている頼れる副長、シモンが額の汗を拭いながらそういった。
衛士隊との戦いで、シモンは大技を複数使っている。
如何に魔力に秀でる魔族といえど、日に数度も第八位階以上の術を詠んでいるのだ。魔力の欠乏が精神的な疲弊を齎したとて、何ら不思議ではない。
無限の魔力を持つモノでもない限り、高位魔法の行使はリソースの欠乏という、相応のリスクを伴うのだ。
「マナポーションは? パラケルススお手製の“魔力充填の霊薬”があったでしょ」
「もう飲みましたよ。それでも削られ過ぎて厳しいです。それに……魔力回復の霊薬は日に何度も飲んでいい代物ではないですからね」
錬金術師が造る、所謂ポーション――“霊薬”と呼ばれる代物は、水薬状の物質に魔法的作用を込め、飲用や塗布によって用いる魔導具である。
その中でも、俗にマナポーション――正式な名を“魔力充填の霊薬”と呼ばれるモノは、飲む事で魔力を回復する効果を持つ。
原理としては、所謂「外的魔素」を服用者の「内的魔素」として取り込む事で回復を促している。魔力液を複数の薬品で、体内に取り込ませやすくするらしいのだが――
「“龍”でもない限り、自分のモノじゃない魔力を直に取り込むのは、結構ヤバイからねぇ……」
魔力とは本来、生物が持つ魂より沸き上がるモノ。血液型と同じ――或いはそれ以上に繊細で、生きとし生ける者の数だけ「型」が分かれていると言っても過言ではない。
そんな中、自分のモノではない魔力を取り込むのは相応に負担がかかる。如何にライデル最優の錬金術師が手掛けた霊薬といえど、一日に何度も服用して良い品ではない。
「そうです、だからもう撤退したいんですがね――」
会話に興じながらも周囲の天使を捌き、一先ず波が収まった所に、
「――お待たせしました、総長、副長」
聞き馴染んだ声が、どこからか聞こえてくる。
下からバサリと皮膜をはためかせ飛んで来たのは、蝙蝠じみた魔人族の女。――ナークである。
「ナーク! アンタが来たって事は――」
「――はい総長、残った魔力炉への“仕掛け”、全て終わりました」
飛ぶように現れたナークは出て来るなり皮膜をバサリと払い、
「ですから……さあ、ここは危ないですので、早々に撤退いたしましょう? 総長……」
髪で隠れた目から妙に粘着質な視線でもってヘルメスを見下ろすナークは、豊満な――ちょっと信じられないくらい豊満な胸を揺らし、ヘルメスが飛び込んでくるのを待つように腕を広げた。
「さあ総長、私が……ふふ、私めが地上まで総長をお連れ致します」
ムカつくくらいグラマラスな身体が強調されるようなタイトな衣装。そしてこの態度――ヘルメスはナークの事が苦手であった。
自分には無い肉体的素養への嫉妬と――ヘルメス本人は決して認めないだろうが――厳しく扱っても何故かへこたれず、寧ろ喜んで……いや悦んでいるナークの態度。それらが相まって、ヘルメスとは非常に相性が悪い。
厳しい仕事を振ろうがぞんざいに扱おうが、パワハラしようが一切関係なし。その度に寧ろ満足そうにしている。ヘルメスからしてみれば不気味であった。
なまじ有能な分、ヘルメスも重用せざるを得ないのが悩ましい所だ。今回も「施設の魔力炉への細工」という重要な仕事を任せるに至っているのだから。
――天使院を攻略する以上、派手に破壊することも視野に入れていた。
その為の偽装工作として、天使院の様々な設備の動力源、魔力炉が暴走し壊滅状態に至る――そのようなシナリオを描き出す為に、潜入時点から既に細工を進めている。
しかし潜入時点で入れたのは第一層から第二層の「上層」のみ。
当初は一層と二層の魔力炉を暴走させれば十分アンダーカバーとして機能する見立てだったが、予想以上にルベドと当の「怪物」が暴れるので他の魔力炉にも仕掛けをする運びになったのだ。
手つかずの下の階層の魔力炉を、ルベドの騒ぎに乗じて仕掛けを終わらせてしまおうと動員した情報部の草の一人――それがナーク。彼女には動員した工作部隊の長を務めさせており、それ故に報告に上がったのだ。……或いは、ヘルメスと接したかったからか。
「い、いや、いいわよ……。自分で行けるから」
「そうですか? んふふ、残念ですね……疲れたら、いつでもお申し付けください……総~長っ?」
「……シ~モ~ン~っ!」
「……ナーク、あんまり目に余るような行動は感心できません。酷いようでしたら、更迭します」
「妙ですね、副長……セフィロトの為、ひいてはそのために重要であらせられる総長を慮っているが故の行動なのですが……」
「ダメです総長、私には手に負えません」
堪らず頼れる副長に助けを求めるものの、当の黒山羊は早々に助け舟を打ち切っていた。
一人で戦い抜くことを強いられたヘルメスは、一先ず気味の悪いナークから距離を取り、上に向かって指を指した。
「ほ、ほら早く撤退するわよ! 用が済んだなら、こんな辛気臭い場所に居る意味なし!!」
これ以上ナークに関わりたくないというのもあるが、撤退の準備が整ったのならさっさとするべきであろう。そんな思いを込めた叫びを切り裂くように――地の底、恐らくは第九層から余りに莫大な霊力の波動が響き出す。
「ちょ、なにこれ!?」
「うっ、不味いですよ総長。もう此処に居るだけで気分悪くなるくらい、凄い霊子光です」
驚く間もなく同時、霊力の高まりに乗じるように魔力の圧が施設全体を包みこみ始めた。あまりの圧に蜃気楼のように空間が歪み出している。
「おやおや……このような状態では転移魔法にも支障が出ましょう。ここはやはり、私めに任せていただくというのは……?」
こんな状況にも関わらず、ナークは何故か嬉しそうにしている。
事実、時空が歪むほどの大魔力――尋常に移動するのも待機するのも危険。求められるのは早急な脱出であり、その為に適している空間転移はこれほどまで時空が歪んでいると、正しく作用しない恐れがある。
――ヘルメスの脳裏に、嫌な想像が過った。
「私の羽なら……早急に脱出できますよ、総長……ふふふっ」
ねっとりとした声音でそう宣うナークは、手を広げ皮膜を出し胸を揺らしてヘルメスを粘着質に見下ろす。
(こ、コイツに掴まって行けって――? な、何か嫌っ!)
耳朶を犯すような声といい不気味な態度といい、何から何までナークの事を好きになれる要素が一切ない。正直関わり合いにはなりたくないのだが、事実脱出手段として彼女の羽は有用である。
それしかないと分かっていても尚、ヘルメスに躊躇いを抱かせる。だからせめて――
「し、シモンっ。確かにナークの言う通りだわ、一緒に掴まって飛んで逃げましょう――」
せめてシモンを巻き込んでやろうと考えた矢先、
「あ、私は総長の影に潜らせて頂きますね」
当のバフォメットは、生まれつき持ち得た魔法で素早く黒い影になったかと思えば、ヘルメスの足元に潜る様にして消えていた。
裏切られた、そう思う間もなく――
「ふふふ、では失礼して」
実に嬉しそうなナークがヘルメスを抱きかかえると、彼女はそのまま胸に強く押し込むようにして頭を挟み込み、勢いよく飛び立った――!
「う”っ」
胸の谷間に頭を押し込まれる感覚と、強烈な飛行の慣性が同時に押し寄せヘルメスはらしくない呻き声を上げてしまう。
(コイツ、絶対に減給してやる)
何をしても嬉しそうにするナーク相手には、さしもヘルメスもこの程度のやり返ししか思いつかなかった。
遥か地の底で高まる霊力と魔力の圧――それが封を切られるより前に、闇なる怪物たちはその場を見事に立ち去ったのだった――。
シモン:ヘルメスが苦しむのがいい気味なので、たまにナークを嗾ける。
ヘルメス:ナークがキモイので嫌い。
ナーク:ヘルメスに屈折した愛情を抱いている。




