155 黒山羊と衛士
戦闘が始まったのなら、序盤の内に済ませておくのが地形の把握。出来れば始まる前に行うのが理想だが、情報部副長シモンの場合、不意の遭遇戦である。故に致し方なし。
シモンは睨み合いとなった衛士隊の衛士を見据え、視線だけを素早く周囲へ巡らせた。
(監獄塔、円形の通路――真ん中は空いていて下の層へ続いている。飛び降りれば総長の居る二層最下まで行けそうですが――この厳めしいお人を連れて行く事になりますね)
先の念話の焦り方を見るに、ヘルメスが既に交戦に入ってる可能性もある。となれば敵を連れて行くような真似は避けるべきだろう。
その上で室内、立っているのは円状の通路。十分な幅はあるとはいえ、やはり求められるのは近接戦闘である。
(と、くれば――)
視線は衛士に向けたまま、シモンはシャツの袖口から得物を取り出し手に収める。
「……?」
コチラの様子を見ている衛士が、一瞬だけ当惑したのをシモンは見逃さなかった。すぐさま意識を引き締めたので、やはりそれなりに優秀らしい。
シモンが取り出したのは黒い筒のようなモノだ。握り易そうな太さに、収まりのよい長さ。武装には到底見えない。一瞬の疑問が過るのも無理からぬ事。
だが世の中には暗器という武器とは見えぬ武器も存在する。おまけに魔導の触媒は、一見して突飛な代物も多い。
その呆けが致命的油断に繋がると、シモンと対する衛士は理解していたのだろう。
(――まあ、無意味ですがね)
胸中での嘲りが、不敵な表情となって黒山羊を高雅な微笑みに染める。後、シモンは筒を右手に握ると、込めた仕掛けを起動した。
――ガキィン、ガキィンという小気味よい金属音を上げながら、筒はいくつかの節を持つ長い棒へと変わる。
そして棒の先端、刃のような飾りが現れたかと思えば、シモンはそれを一瞬、優しい手つきでなぞるように撫でた。
――撫でた刹那、飾りから正真正銘、赤黒い刃が現れて優美に弧を描いていく。
「……ほう」
衛士が感嘆の声を漏らした。
長い柄に、先端に備えられた弧の刃。
その濡れたような切先と、内についた刃からは、生物が抱く本能的な死の恐怖を想起させてならない。
鎌、である。正しく収穫になぞらえるように、死神が魂を刈り取るかの如き鎌である。
愛用の仕込み鎌を抜いたシモンはそれを右手で携え、刃が目線と平らになるように構えた。
無言の裏に秘めた殺意と自信に、衛士も何かを感じ入ったのだろう。サーベルを構え直した衛士は、シモンの鎌を見つめて一つ口笛を吹いた。
「イイ得物じゃあないか。美しく、鋭く、そして凍える程に悍ましい」
赤黒い刃は残酷かつ酸鼻でありながら、吸い込まれるような優美さを兼ねている。矛盾した美しさを孕むシモンの得物に、衛士は多少の皮肉を交えて賞賛を送った。
「銘はあるのかい?」
その問いを待っていたと言わんばかりに口角を上げたシモンは、構えた刃の腹を人差し指でなぞり上げていく。切っ先まで触れ切った刹那、キィンと空気を震わす刃音が、監獄塔に切なく響いた。
「――銘を、〈ゼーレヴァルツァー〉」
愛用の鎌、シモンの頼れる相棒の銘を紡ぎあげ、彼はヴァイオレットの瞳で衛士を見据えた。
「放つ機会も無いものですから。偶さか巡ったのならば、共に踊るも主人の務めでしょう」
「――良き心構え。握る手綱の先、その飢えた獣も喜ぶだろうよ」
「ふふっ、失礼を――」右手で持ったゼーレヴァルツァーを高く上げ、いつでも振り下ろせるように構えたシモンは微笑んだ。「――レディの前ですよ」
仕事をただ一つの指針とするシモンにとっては、その舞台を駆ける相棒こそが恋人なのだろう。
そんな他愛も無い思考を弄びながら口にした冗句は、殊の外衛士にウケたらしい。鎧を揺らしクツクツと笑う男は、改めてサーベルを正眼に構えた。
「――くくっ、失敬。長く独り身なモノでついやっかみが。詫びというワケではないが、この衛士レルデン謹んでお相手しよう」
「ふふふっ、まぁコースの前座としては悪くないですね」
皮肉の応酬が終わりをつげ、先の言い合いとは打って変わって沈黙が互いに満ちる。
静寂は一瞬。
「……」
「……っ」
――先に動いたのは衛士レルデン。気配の変動と共に一気に踏み込み、彼我の距離を詰めに掛かった。
更には直線、円状の通路を通ることなく、手すりを蹴り上げて中央の大穴を飛び越えてくる。
「――不調法ですよ」
飛翔の勢いを生かした上段からの振り下ろし。むざむざ喰らってやる理由もない。小さな皮肉と共に後ろへ飛んで回避。
「ハアッ!」
上段斬りの着地、その後隙を狩ってやるつもりだったが、衛士レルデンとてそれは分かっていたらしい。裂帛の気合と共に着地の運動量を再びの踏み込みへ繋げ、幅の高が知れている円状通路で大胆な回転斬り――
「おっと」
鉄格子を蹴って更に後ろへ回避。なおも斬撃を繰る衛士レルデン。先の二撃に比べれば速度を重視した隙の少ない攻撃だ。
「ではこちらも」
避けるよりも弾いた方がいい。ゼーレヴァルツァーの長柄で高速の斬撃をいなすっ――!
右、左、下、上――縦横無尽の斬撃を片っ端から叩き落とす。監獄塔を不規則に照らす剣戟の火花。ガァンと響く轟音が囚人の狂気を交えて不協和音を奏でていく。
(――ここ、ですね)
無数の攻撃の中、僅かに力の籠った斬撃を目ざとく見出したシモン。
「――ふっ!」
斬撃の刹那、ただいなすのではなく正面から力を込めて弾き飛ばす――超攻撃型の受け流し、或いはパリィである。
「――っ!」
斬撃の運動量をそのまま反射される形となった衛士レルデン。崩れた体勢、フルフェイスの兜の奥から伝わる確かな動揺。
――此処だ。鎧と兜の隙間、崩れた体勢で無防備を晒す頚椎を一撃で落す。
柄で弾いた勢いをそのままに、残酷なまでに優美な回転――ゼーレヴァルツァーの刃が壁と格子を通り抜け、切先がレルデンの首元へ吸い込まれる――
「チィッ!!」
――前に、衛士レルデンはシモンに弾かれた勢いのまま、後方へ上体を逸らして寸でで回避。サァン、と死神の鎌が空気を愛撫する異音が監獄に響き渡った。
「鎧姿で見事な動きですね。軽業師にでも転職なされたらどうですか?」
――易々とは取らせてくれない事への小さな落胆が、シモンの口を賞賛と皮肉で染めた。
事実として称賛されるべき手合いである。密偵のみならず、魔族として鍛錬を積んだシモンと、此処まで戦いを演じられるのだ。ガイア大陸広しと言えど、そう多くはないだろう。
「――っ、肝が冷えたぞ。それにしても、珍妙な」
再び離れた彼我の距離。奇しくも開戦前と同じ形となったシモンと衛士レルデン。或いはそれをなぞらえるように、レルデンはまたしてもゼーレヴァルツァーの刃を見つめていた。
「……ああ、成程」
刹那の沈黙の後、レルデンは得心がいったかのように頷いた。
「その得物、刀身が呪詛で形作られている。道理でこの狭い中、自信に曇りなく振るうワケだ」
ゼーレヴァルツァー、その刃の秘密に気が付いたレルデンは兜の奥からシモンを苦々し気に見据えてくる。
衛士レルデンの言う通りゼーレヴァルツァーは尋常の武器ではない。鎌の軸となる刃は、シモンが練り上げる高密度の「呪詛」で造られている。
呪詛とは、言わば負の方向への魔力。魔物や魔族が宿す、所謂「魔性」だ。
人類種や普通の動植物が持つ「生命力」が「正方向への魔力」ならば、呪詛はその反対。そして呪詛は反対の「生命力」にのみ干渉する。
故にゼーレヴァルツァーの刃は生命力を宿さぬ無機物を通り抜け、ただ生物のみを傷つける。
魔導の加護なくば防御さえ能わぬ致死の刃、生者のみを斬滅する非実体の斬撃である。
「増して面白い、魔族ならではの得物か。が、感心ばかりしていては、弾く事も能わず無様を晒す事必定」
今までゼーレヴァルツァーの刃を用いず応じていたのは、初見殺しとも言える性能をフルに生かすべく、不意を打って必殺を期する為。
だが見破られた今、やはり対策が講じられるらしい。衛士レルデンは、左手で剣指を立てて印を結び、サーベルの腹を撫でて魔力を巡らせ――
「――〈術式修正・呪文刻印:霊撃閃〉」
術式そのものに改訂を加え、性能を変化させる技能〈術式修正〉――中でも、術者が持つ物体へ一時、詠んだ魔法を封入する業を〈呪文刻印〉と呼ぶ。
魔導具を作成する過程とは異なり、効力はごく短い。
だがその威力と精度は、魔導具の恒常的な魔法能力や、エンチャントと呼ばれる種の魔法よりも強力である。
剣に〈呪文刻印〉を施して戦う者を、古い言葉で「魔法剣士」とも呼称したという。――そんなカビの生えた知識が、目の前の光景を見たシモンの脳裏に過っていく。
衛士レルデンが得物のサーベルをなぞる度、神聖な霊力の波動が刃を象るように宿っていく。一瞬の間に聖剣の完成である。
(普通の得物では防御の為に鍔迫り合う事も出来ぬと察し、抗する為に武装へ神聖魔法を施したのですね。……考えたモノです、人の子にしては)
魔族らしい感想と共に、だが確かな感嘆を胸中で送るシモン。
呪詛はただ生命力のみを狙い傷付ける。逆を言えば、「生命力」であれば「呪詛」に抗する事が出来るのだ。
故に衛士レルデンは神聖魔法で武装を覆った。神聖魔法を形作るエネルギーは「霊力」と呼ばれる、魔法で造った疑似生命力である。
故に神聖魔法の治癒は、原因や結果を無視して傷を癒せる。生命力を付与して直接治癒しているからだ。
そして神聖魔法が魔物や魔族に致命的な弱点となるのも、魔性に直接干渉出来る疑似生命力――「霊力」を用いている故である。
ニュートラルな魔力では、呪詛への防御効果は薄い。やはり対抗するならば霊力が好ましい。
理に適った戦術だ。霊力もまた物質に強く、大抵の干渉を物ともせずに灼いてしまう。
衛士レルデンがサーベルを霊力で覆ったのならば、ゼーレヴァルツァーの長柄で防御する事も叶わなくなる。不利を覆して相手の手段を奪う……正に、
(――理に適っている)
口に走った苦い感覚を消すように、シモンはゼーレヴァルツァーを少し強く握り直した。
少しばかり蔑むような態度はあれど、シモンは人類という生物を見下してはいない。
そもそもこの天使院調査に際して、情報部は経験を積んだ部下を数名失っている。殲滅作戦と相成ったのも、それが理由のひとつだ。
そう、決して驕ってなどいない。かつて一つの時代の覇者となり、魔族魔人、魔物の類に打ち勝った種を、警戒しないハズがないのだ。
「――愉しい剣戟の続きと行こうか」
気障なセリフと共に、衛士レルデンが跳ねた。思索も程々にシモンもまたゼーレヴァルツァーを構え備える。
「ハーッ……!」
深く吐き出すような吐息と共に、青白い残影を揺らめかせ振るわれるサーベル。霊力の輝煌を纏う斬撃はシモン程の魔族をして数度、当たり所が悪ければ一度でも致命傷になり得る。
(ですが、それは向こうも同じ事)
ゼーレヴァルツァーの斬撃とて、衛士レルデンの命を奪うには十全。呪詛と霊力は互いに「弱い」故、基本的に先当てした者が勝つ。
(とはいえ――柄を防御に使えない以上、守勢は避けたい所)
薄暗い闇を引き裂く斬撃の連打に付き合う事もなく、回避回避回避――どうしても避け切れない攻撃のみゼーレヴァルツァーの刃で逸らして応じる事暫し、
「ちょこまかと……彼女が泣いているぞ」
痺れを切らしたか、苛立ち交じりにそんな挑発を飛ばしてくる衛士レルデン。乱れた黒髪を撫でるように払い、リボンタイを直しながらシモンは、
「でしたら、決めに来られたらどうですか? 現状に不満がおありなら、自ずから行動するというのが筋でしょう」
にべもない挑発である。貴公子然とした黒山羊からの冷たい視線が堪えたのか、衛士レルデンはゆるりと首を振って肩を竦めた。
「やれやれ、刃の次は正論で殴ってくるつもりか。全く嫌味なヤツだ」
口では軽くいなしながらも、やる気は出たらしい。魔力を肉体に巡らせて強化――僅かに前傾姿勢。踏み込みの予兆――。
「……」
来る。実に単純だが分かりやすく強い踏み込み斬りだろう。
状況を動かすべく多少のリスクは飲むという意思表示。ならばコチラはそれに応じて、そのリスクを致命的失敗に変えてやるだけの話。
静かな決意と共に、無言で構えたゼーレヴァルツァーの刃が剣呑に煌めく。
「――シッ!」
沈黙の暇を待たずして衛士レルデンが踏み込んだ。
その速度は字句通り疾風。魔と邪を祓い殺す残影が、確かな実体を持ってシモンへ飛翔する。
(――見事。ですが正面から付き合う義理など在りません)
――〈影身転移〉。
影へと同化し、影同士で高速かつ静粛に移動するシモンの生得魔法。
静粛性と速度を崩す事無く発動した場合の最大射程距離は127メートル。同化した影を起点に、圏内にある「全ての影」に転移可能。
そしてこの術式は、シモンと触れているモノにも発動可能。
魔力灯に照らされた室内、シモンの足元の影が粘りっこく変じ――静かにゼーレヴァルツァーを呑み込んだ。
「――ッ!」
レルデンが驚愕する。だがもう遅い。
魔力灯に照らされた室内に、無数に生じる疎らな影。……内ひとつ、壁に投じられた影からゼーレヴァルツァーが生えていた。
――その赤黒い刃の内側を、狙い澄ましたようにレルデンの首元へ向けて。
「――っ」
斬撃の音は思いの外軽かった。
スパリ、といっそ間抜けな程の快音が響き、ついでガツンと鎧と兜が落ちる音がする。
彼を今し方葬った赤黒い刃に似て、残酷な色を見せる首の断面から血を吹き出す光景。それに無関心な一瞥をくれた後、シモンはゼーレヴァルツァーを器用に回し、血糊を払って見せた。
……凄まじい速度でシモンへ突進したレルデン。その速度と質量が仇となった。
今ご覧になった通り、簡単な話だ。シモンの〈影身転移〉によって、レルデンの進行方向へ「鎌のみ」を転移させ、自重と速度で自滅させた。それが衛士隊の男を葬った一撃の正体だった。
「――頸を落とすのも楽じゃないんです。偶にはセルフ・サービスなんてのも乙なモノじゃないですか?」
死体に敬意を込めての皮肉を投げて、背を向けた刹那――強烈な霊力の波動がシモンの神経に警鐘を鳴らした。
「ッ!?」
即座に振り返って距離を取るシモン。――視界の先には首を切られて死んだハズのレルデンの死体。そこから、紛れもなく確かに強大な霊力が迸り、落ちたハズの首が逆再生のように繋がり息を吹き返した。
「――ふーっ。驚いたよ、流石に死んだのは初めてだ」
先と変わらぬ軽く気障な調子を崩さない衛士レルデンに、シモンのヴァイオレットの瞳が鋭く投じられた。
「――本当に、ボーナス貰わないと割に合わないですね、こんなもの」




