154 戦の前に
ヘルメス・カレイドスコープは完璧主義である。少なくとも、こと諜報工作においては。
先代情報部総長、義理の兄であるハイレイン・カレイドスコープの跡と遺志とを継いだ時より、彼女は己に“完全たれ”と命じてきた。
――いいかいヘルメス、情報部の仕事はどれもが重要、万事が大事。あ、ダジャレじゃないぞ♪ まぁ、そ・れ・は・兎も角、一度のミスさえ許されないんだ。情報部として、この僕と共に働くなら心得て置くんだよ。
(思い返してもムカつくけど、けど……)
彼女にとっては唯一人の兄だった。
だからこそ、もはや言葉を交わすことも出来ぬ死人に、泥をかけるような真似だけはしてはならない。
「――だから、聞いているのだが?」
目の前で白い全身鎧――声からして女――が、ただ冷酷にコチラへ言葉を投げる。声音にも態度にも、一切の慈悲も示さずに。
「……なんのことでしょうか? 私は私です、そのような事を言われる由縁など、ないのですが」
口に走った苦いモノを掻き消すように、嚙み殺した口をなるだけ笑顔に変えて否定するヘルメス。
ヘルメスが情報部総長の座に就いてから、ただの一度とて失敗は無かった。
唯一例外と言え得るのはマーレスダ王国での聖遺物関連だが――アレも直後に契約が発生した点を思えば、ギリギリ失敗ではないだろう。
それにあの一件はルベドの先行と、彼に説明を怠っていたアインの怠慢が原因だろう。
「勘違いしないで欲しいのだがな――」衛士隊の女が、勿体ぶった前置きをしてから語り出す。「――私はフェキレ上級告解師が嫌いだ。慇懃無礼に過ぎるからな」
「……」
そう、失敗など無かったハズだった。
ヘルメスとてこの女からやけに視線を感じるのは察していた。だから出来るだけ警戒させぬように、接触も最小限にしていた。
「――何より“笑い方”が苦手でな。あの女はよく笑う癖に、ニコリともしないで声だけ上げる。ああ、何とも不気味じゃないか?」
――僅かに心臓が跳ねたような錯覚。次いでそのような感覚を下等な生物に味わわされたことに、小さな屈辱が込み上げてくる。
「そういえば今日“は”よく笑うな。唇を形良く歪めて、実に好感の持てる笑みだ」
そう言い切った女――衛士オーレイは、腰に差した幅広の細剣を抜き放った。
エストックと呼ばれる刺突剣の一種だ。レイピアとは異なり刃を持たず、防御の隙間より対象を刺殺する事に特化した武装。別名、鎧通しである。
衛士オーレイは、そのエストックの切先をフェキレ上級告解師に化けたヘルメスへと向けた。
剣呑な銀の煌めきが、薄暗い監獄塔に揺らめいていく。
「では改めて質問を。――お前は誰だ?」
――今の今まで、ヘルメス・カレイドスコープに失敗など無かった。
亡き兄の跡を汚す事など、無かったハズだった。
(有り得ないッ……このアタシが失敗なんて……フェキレの行動パターンは全て模倣していたハズなのに!)
ヘルメスの種族、無貌者の能力である「他者の模倣」は、肉体構造の変化は無論……変化元となる存在の精神構造も読み取る事が出来る。
その者がどんな生物で、どのような信念があり、何に基づいて行動するのか――その殆どを知る事が出来る。
だからシェイプシフターの変身を見破るのは至難の業なのだ。何せ本人と同じ姿の怪物が、元となった人物の心を「知っている」のだから。
精神構造まで「変身」してしまうとシェイプシフターの自我が崩壊する。故に「構造の読み取り」に抑え、得た情報から細分違わぬ演技を行う。
故にシェイプシフターの変身は、対象者とはイコールに成り得ない。
だからこうしたイレギュラーが生じるのだ。
(フェキレへの〈変幻模倣〉の発動には12時間かけた。アタシの力量なら12時間もあれば完コピできるってのに――)
ヘルメス扮するフェキレ。そのフェキレ本人は一応今も生存している。
フェキレを確保したヘルメスは、変身の為の生得魔法〈変幻模倣〉を発動。
〈変幻模倣〉の術式要件は、「対象との接触時間に応じて、変身精度、効果時間、精神構造解析が向上する」というもの。
この生得魔法の関係上、ヘルメスが何処かへ潜入する際は、変身対象を拉致監禁して生かしておく必要がある。
無論、フェキレを生かしておいたのは術式の都合だけではない。
探知魔法の中には、対象の生命活動をトラッキングするモノもある。下手に殺せば、折角変身しても死が露見して無為に帰す事もあり得るのだ。
無論、フェキレに探知魔法や魔導具が無い事は確認してから事を起こしている。それでも念を入れて生存させていたのだ。
ルベドが「天使院の職員は全員操作されている」という情報を齎した時は安堵したモノだ。
精神術式で操作した傀儡が死んだ時、大抵術者に伝わるからだ。
――となれば、ヘルメスがフェキレの精神解析をし切れなかった理由の一つが、操作にあるやもしれない。
ここまで思考を高速で巡らせたヘルメスだが、唐突に酷い諦めが襲ってくる。
――事ここに至ってしまえば全て無意味である、と。
「……心外ですわ、ええ心外ですよオーレイ殿。私はワタシですよ? 如何な由縁があって、斯様な事を仰るのです?」
証拠がないなら、惚けてしまえ。
幸いにもシモン達部下が「仕掛け」を終えるまではそう掛からない。
普段のフェキレの行動を模倣して、第二層最下で仕事してるフリをする。そんな偽装が前倒しで終了し、強行突破へ移るに過ぎない。
「――気づいていないなら、答えてくれよう怪物め」
気取った所作で指を鳴らす衛士オーレイ。彼女の動作に応じて、僅かに魔力が煌めき始めた。
そして魔力の煌めきが強まるに応じて、覆い隠されていた存在が明らかとなる。
「これは――」
――結界。第二層の最下、第三層上部との境界を分かつそれが、何故かゆったりした速度で増幅し今やヘルメスを内側に捉えていた。
「何の事は無い、探知の結界さ。他者を阻む事も魔を灼く事もない。ただ魔性の存在を詳らかにし、それでもって結界の存在自体は悟らせない。このような業が叶うのも、まさに我らが“神”の成す奇蹟だろうよ」
「……くっ」
思わずフェキレの人物像とは似つかぬ声がヘルメスから漏れた。
如何なる手段かは定かではないが、あれほど警戒していた結界がいつの間にかヘルメスへ触れている。
ヘルメスの探知を掻い潜る結界など、今まで相対した事は無かった。
結界の構築は、術式に付与する効果に応じて行使難度、発動魔力、必要な供給量が増加していく。
なるだけ骨子を抜いて、結界自体を探知と隠匿に絞ったとて、ヘルメスの偵察能力を掻い潜る事が叶うかと言われれば、正直疑問ではある。
だが有り得ない、とは言わない。何故なら今まさにこうして回答を突きつけられているから。
この世界では、あらゆるがあり得るのだ。
「私とて、単一の違和感だけで相手がニセモノだなど言うつもりは無いさ。だからこうして、少しばかり結界の位置を変えて貰った。それにな、昨日は些か普段とは違い過ぎる。開門に際して受け入れる人数、内容――どうしたってな」
そういうと、衛士オーレイは肩を竦めた。
「ほうら、もう一匹いるじゃないか。――成程、あのゴツイ狼もお前の手の者か。くくくっ、内偵選びにはもう少し、妥当な審査基準を設ける事を勧めるぞ。次があればな」
――そしてこの天使院の結界は、既にルベドをも捉えて明らかにしたらしい。彼の魔性の抑え込みは、さして意味はなかったようだ。
(あのクソゴリラ狼! やっぱアイツがバカやったせいじゃないのよ!!)
あまりのムカつきに、ヘルメスはここにはいないバカアホ脳筋キマイラへ有らん限りの罵倒を送る。
単一の違和感であれば、オーレイとて勘違いで済ませていたかもしれない。
だがルベドが天使院進入に際して、貧民の毒殺という強硬過ぎる手段を取った事が、今になって仇となっている。
「貴様らが何者で、如何な目的で我らが救世の園へ踏み入れたかは知らぬ。だが魔の存在あらば、押し並べて滅するがこの世の道理」
エストックの切先をヘルメスへ向けるように構えた衛士オーレイは、兜の奥から冷徹な視線を投げてくる。
「故に覚悟なされよ。今より貴様を討滅――」
戦端が開く数秒前――ヘルメスの脳裏に届く声。
『総長、全行程終了――いつでもいいですよ』
ヘルメス・カレイドスコープがこの世でもっとも信を置く部下からの念話が、一番欲しいタイミングで入ってくる。
思わず口角が上がるのを感じる。
『流石、ええ、本当に流石よシモン。ボーナスには期待しときなさい』
『いいですよ総長、無理しなくて。情報部が資金不足なのは今に始まったことじゃないですから。――では、私もソチラへ合流します』
短く通信を終えたヘルメスは、先とは打って変わり晴れやかな心持ちで衛士オーレイに向き直る。――気配の変化を察したのか、オーレイは言葉を切って様子を窺っていた。
「うふふ、フフフ、アッハハハハハッ!」
腹の底からの哄笑が、抑えきれぬ喜色を纏って吹き上がる。笑い声はやがて歪み、反響と共に万華鏡の光に包まれていく。
ヘルメス・カレイドスコープに失敗はない。
そう、今に至っても尚。
隠匿と封鎖が終了したのであれば、もう姿を隠す意味もない。
望む通りの――ド派手な突破と行こう。
「あーあ、バレちゃ仕方ないわよね」
光が終われば、そこに立っているのはフェキレ上級告解師ではない。
このライデルで最も可愛く、その上飛び切り有能。ピンクのツインテールが最高にチャーミングな、ヘルメス・カレイドスコープその人である。
本来の姿へ回帰したヘルメスは、魔力の風に靡くツインテールを軽く払うと、衛士オーレイへ不敵な笑みを投げてやる。顔に小悪魔的な悪意を滲ませて。
「じゃ、戦る?」
端的に殺意を表現したヘルメスは、何処からともなく異形の短剣を取り出して逆手に構えた。
鍔の根元から切先に向けて、捻じれた螺旋を描く異質な短剣である。
ツイストダガーと呼ばれる短刀の一種だ。
先端に向けて捻じれる螺旋構造は、刺突の威力を大幅に増大させ、突き刺した傷口を甚大なダメージへと変える。
接近戦、及び暗殺速攻を有利にする、密偵の多い情報部として相応しい武装であろう。
奇しくも互いに得物は刺突武器。
そこに如何なる偶然や必然、意味の一つさえ見出さず、ヘルメスは蠱惑的な表情を崩さずに衛士オーレイと対峙する――。
◇◇◇
「――“命数閉塞、凶兆福音、万事は委ねて昇華する”――〈寿ぐ破滅〉」
詠唱を駆けた刹那、呪詛系統第八位階〈寿ぐ破滅〉が発動。赤黒い呪いが槍を象り、目の前の告解師達へと殺到する。
「ぐっ――ああああっ!!」
「これはっ……呪詛っ――くおっ……」
突き刺さった瞬間、内包した膨大な呪詛が対象の肉体を呪い灼く。内側から焼かれる告解師達は、苦痛に藻掻きながらやがて全員が死に果てる。――死体は全て白骨となっており、着ていた衣服は傷一つもついていない。
「ふうっ――こうして正面切って戦うなど、思えば久しぶりですねぇ」
一瞬で酸鼻な現状を造り出した当人は、一切歯牙にもかけぬ態度でリボンタイを直していた。
その者は長身痩躯の黒山羊である。ジャケット以外が揃った瀟洒な礼服に身を包む、いっそ高雅なバフォメット。
情報部副長、シモン。天使院攻略の為の下準備――情報隠匿と出入口の封鎖。その双方を終えた彼は、内部殲滅の一助を担うべく、ヘルメスやルベドのいる第二層へ向かっていた。
「さて、第二層の最下に総長は居るハズですが――」
バフォメット:影の血族としての能力の一つ、〈影身転移〉影へと潜り移動するというだけの生得魔法だが、シモンはこれを重宝していた。他の移動魔法と比べて魔力の露出が極めて少なく、静粛性に優れている。
今もシモンはこの〈影身転移〉で天使院を駆けている。
影が無ければ使えないが、室内の上に魔力灯で疎らに照らされている。理想的環境だ。
やがてシモンの影から影へ移る高速移動が第二層の中部へ差し掛かった時――
「――〈霊撃閃〉!」
第二層最下へ続く門に陣取る全身鎧の騎士めいた男が、腰のサーベルの抜刀と共に神聖系統第五位階〈霊撃閃〉を発動――白く清浄な霊力の波動が、収束した光線と化し影の身であるシモンを祓おうと飛翔。
「おっと――〈爆炎〉」
それを軽く回避した後、カウンターとして元素系統第六位階〈爆炎〉を起動。襲来する赤い閃光が騎士を殺すべく飛ぶが、その男はサーベルに魔力を込めたかと思えば、〈爆炎〉を正面から受け止め、切り払って逸らした。
――逸れた閃光が監獄塔にあるいくつかの牢屋へ着弾、バァンという轟音と共に炸裂し、囚人たちを消し飛ばす。
すぐそこで起こった殺戮に、両者共々意にも介さず互いを見つめ合う事、数瞬――
「――偶にはオーレイの戯言に付き合ってやるのも悪くないな。まさか本当に釣れるとは」
沈黙を破ったのは全身鎧の男。やれやれといった態度を隠さずに、気怠い雰囲気で言葉を紡いだ。
察するに衛士隊なる天使院の防衛部隊だろう。
そう当たりをつけたシモンは、懐から黒革の手袋を取り出し、優雅に手に嵌めながら視線を向けた。
「釣られた積りなど、毛頭ないのですがね。――出来る事ならそこを退いて頂けると助かります、困った上司が待っているもので」
互いに宿した隔意も殺意も冷徹。
地の底に描き出された天の園にて、確かに戦の徒花が咲き誇ろうとしていた。




