150 スニーキング・キマイラ
“それ”に気が付いたのは、ある露店商の男が最初だった。
「あ? んだありゃ」
シャマインにいくつかある路地裏のスラム。そこには天使院の施しを求めて、多くの病める貧者たちが集まってくる。
七日に一度、開門の日を待って。
開門の日にはシャマインの路地裏から、ウロウロと貧者たちが天使院に向けて現れる。
そして今日は開門の日。だからいつものように貧者が行進しているのだと、その男は思っていた。
「……?」
最初の違和感は開門の日であるにも関わらず、通りに貧者の匂いがしなかった事。
だからふと、男はチラリと路地裏へ視線を飛ばしたのだ。
「ッ!? な、なんだこりゃっ!」
単なる興味から得たにしては、凄まじい衝撃と恐怖が男を貫いた。
路地裏に、貧者が死んでいた。それだけならままある光景だ。無論その程度ならば男も驚愕しない。
問題はその数と「死に方」だった。
皆が一様に、地面に頭を打ち付けて死んでいた。誰かに殺されたのではなく、ナニカに堪えかねて、己から頭を打ち付けたような有様で。
その様、地面に頭を垂れたまま力なく果てる様子。
そんな異常な死体がスラムにズラリと並び、死臭と血の臭いで乱された闇――。
「う、うげぇぇぇぇ!!」
耐え兼ねて、男は嘔吐した。
――哀れな貧者たちを死に至らしめた原因は、数日前に経口摂取によって感染したある「猛毒」である。
神経と脳を害するこの猛毒は、対象に激痛を齎す。
その苦痛と脳細胞、そして神経作用の異常が、地面に何度も頭を打ち付ける形で自傷を強制する。故に服毒者の直接的死因となるのは、頭部への激しい衝撃である。
そしてこの毒の最も奇妙な点は、「服毒者を選ぶ」所にある。
ただ摂取しただけでは、この毒は毒性を発現しない。
魔導性アルカロイドに分類されるその猛毒は、それ単体では毒性を持たない。服毒者の魔力と結合する事で、初めて毒性を現す。
この毒がレセプターに選ぶのは、得てして弱った者の“内的魔素”である。
そしてこの毒によって斃れた生物の細胞から、また新たな毒を生み出し同じような弱者を殺すべく空気感染する。
弱者が強者に平伏すように死ぬ事、そして毒自身が弱った者を選ぶ事。
以上の点から別名「貧者殺し」の名を持つこの毒は、現代ライデルにおいては忘れ去られた代物だ。
かつて大魔族、毒蛇ヒュドラ五番目の首が用いた事から、その猛毒を〈第五の病毒〉と呼び、古の人類や当の魔蛇の敵対者たちは畏れ憎んだという。
今となっては調合の方法も失われ、古びた錬金術の文書の隅に僅かばかりの名を残すのみである。
仮に現代ライデルにて、この毒で誰かを殺傷するならば、凄腕の錬金術師か、或いは疾うに消えて久しいヒュドラ自身が用いるより他はあるまい。
◇◇◇
ごきげんよう、合成魔獣です。
俺は色々あってまたしても、いつだかのように人間社会に潜入しているのだが……その事について語るのは、もう暫し待ってもらいたい。
「本来、貴方のように健康な人は天使院に入るべくもないのですが――そこなる貧民の少女、そして傷ついた少年の身内と仰るのであれば、入院の権利はあります」
等と宣う告解師の男と、隣に立つフェキレ上級告解師が、天使院なるデカい塔――コロッセオ?――みたいな建物を俺たちに案内している折の出来事だった。
外見の華美さを裏切らぬ内装は神話的流麗さを誇っているが、言うなればホテルの受付じみており、到底治療施設とは思えない。
「天使院の施設の殆どは、地下にあります。ご案内しましょう、こちらです」
その疑問をとって答えたのは告解師の男である。彼は俺たちを地下へと続く階段へと案内した。
地下への階段は中央から螺旋状に、ゆったりと建物の外周へ向かって広がっている。
階段の意匠自体は、天使院内装を崩さない形ではあるが、地下の先は薄暗い。
降るにつれて手すりや段差も、何だか気持ちボロっちく錆びているように見える。
こーんなに立派な建物の癖に地下が本体とはな。見掛け倒しというべきか、それとも慎重さを褒めるべきか。
「暗っ」
地下の階段を覗き込むように見ているガキの片割れ――名前、名前、名前なんだっけ――ネロ……? いやネレか――が、アホ面晒してビビっている。
「政庁を改造した建物でしてね、外見の華美さはそれが元でもあります。……少しばかり暗いですが、ご容赦を。場所と運営費の都合で、どうしても手の回らない事もありましてね」
そんなネレへ――というよりガキ共の保護者として天使院への入場券を得ている俺へと語る告解師。
その様子から無感動に目を背け、俺は階段に向き直った。
「早く案内してくれ」
「ええ、こちらです」
急かすと告解師の男は鷹揚に頷いて、案内する様に先んじて階段を降り始めた。
「……なんか怖いね」
「コルト、失礼だよ。……ちょっと思ったけどさ」
ペチャクチャ喋ってるガキ共を無視して、俺は告解師の男の背中を追うように階段に足を掛けた。
「うふふ、さあお二方も――」
「あ、はい。すいません」
まごついていたガキ共を、フェキレ上級告解師が優しく促して進ませる。
随分と親切だな。普段とは似つかぬ態度だ。
フェキレを流し目のように見つつ、俺は天使院の地下へと進んだ。
「足元にお気をつけて、少し暗いですから」
気遣いをしてくる告解師。無下にするようで悪いが、自己封印を施している今でも、夜目くらいは利く。
そんな俺のキマイラ・アイ(弱体化中)が捉えた天使院地下の風景は、施設の名とは裏腹に、怪奇小説やホラーゲームの病棟を思わせる雰囲気を出していた。
「……これはこれは」
階段の先の景色を見た俺は思わず皮肉めいた声を出してしまう。
螺旋状の階段は下るにつれて広がっていき、やがて先の天使院受付と同じくらいの広間に出る。綺麗な円形を描くその空間には、外周に沿うようにして病室が設けられている。
病室、そう呼べば聞こえはいいが――小綺麗にされていて設備もある程度整っているものの、鉄格子で丸見えなその部屋は、牢屋と呼称するのが相応しい。
「ああぁぁぁ……ううっ」
「億……鏡……灯……天使……歌声……ゼ……」
牢屋の中にはぶつぶつと何かを呟いたり、呻いたりしている奴らがいる。種族や性別はまちまちだが、ひとつ共通点がある。
お察しの通り、全員まともな様子じゃあない。
「……こ、これは?」
雰囲気たっぷりな階段を下った先にあった光景がこれである。ネレが面食らうのも無理はない。
「第一層は主に精神に瑕疵を負っておられる方の病室となっています。……乱雑と見えるやもしれませんが、患者の方々の安全の為です」
「肉体だけじゃなくて心の方も治せるとはな?」
ヴェールの奥から鷹揚に説明を飛ばす告解師の男に、多少の疑りを込めた目線をやる俺。
「精神治療は難度が高い。治癒術式で身体を治すようにはいかない。精神系統の術式を用いた慎重な施術が求められる上に、対象の――正常だった時の精神構造を把握する術が無ければ、癒す事もままならん」
そう俺が言い切ると、告解師の男はヴェールの奥で目を細めた。
「……中々に、博識でおられる」
「ガキ共を預ける場所だ、多少は口だって出る」
告解師の反駁に、俺は最近獲得した都合の良い言い訳を口にした。
俺の言ったことは全て事実である。
そも精神とは何か。答える者によって内容の変わる難題と言えよう。
ある者は生物が持つ心、その在り様と言うだろう。
またある者は脳の機能、その一つに過ぎないというだろう。
魔術的に言えば、どちらもが正解である。
精神とは脳の働きによって生じる、知的な情動や記憶の積み重ねである。そしてライデルにおいては、「精神」は脳と魂を跨いで存在している。
脳と魂を橋渡しで繋いでいるのが、精神だ。
物質である「脳」と非物質である「魂」――二つを跨いで存在しているからこそ、ある程度の精神性を備えた生物は、魔法や魔力を扱える。
魔法とは「魔力」というあらゆる物質の源を、思考にて特定の形や現象として、世界に出力する行為である。
魔法は脳の技術であり、生物の魔力は魂を源泉とする。この二種に干渉しているものこそ精神であり、故にこそ心とは魔導の要である。
故、魔導師は精神と密接に触れる者であり、魔法は精神に干渉出来る業と成り得る。
魔導師にかかれば精神という概念を定義し、形にする事も叶うだろう。
事実、俺――ルベド・アルス=マグナの核である賢者の石……そこにある自らの人格は、コードとして魔術的に定義されている存在だ。
だから生物の精神にはしっかりと構造が存在する。元の形を知る事が出来れば、情報を逆算する形で治療することも叶う。
だが――肉の焼き加減が切り開くまで知り得ないように、精神は魔導師が触れるまで、その形を認識できない。
故にこそ、精神の治療とは魔法医療の中でも難事である。
身体の損傷は肉体構造やDNA――或いは魂からの逆算など、測って癒す方法はいくらでもある。
しかし精神はそうもいかない。
今ある精神に触れるのはそう難しくないが、過去の形を測り出す為には脳、或いは魂への接触が必要となり、どちらも繊細極まる部位である。
一つのミスで容易く廃人を造り出せる。人格破壊装置としては優秀だが、精神治療を行いたいなら、従来通りの医療が安牌だろう。
――少なくともこの世界の人類は、そういう方法が主流となっている。なんでも魔法で解決する傾向があるライデル人だが、リスクとリターンの計算くらいは出来るようだ。
「ご安心を……天使院では高度な治療も叶います。彼らもすぐに治りますよ」
――長々と語った精神治療だが、告解師の男は自信満々一切恥入るもの無しといった様子で問題はないのだと言い切って見せる。
大した自信である。悪意の類さえ見えない。
「ふぅん……? 割りには、牢屋は全部埋まってるみたいじゃないか」
「……病室、ですよ。我々はあくまでも慈善活動の一種として治療を行っているのであって、彼らを不当に拘束しているつもりはありません」
――救済ですよ、これは。
告解師の男の顔はヴェールの奥で、極めて柔和な笑みに歪んでいた。
「……それは結構だな。俺もガキを安心して預けられそうだ」
「納得いただけたようで何よりです」
そんな風に告解師と会話していると、ポソリと足の辺りに違和感を感じる。
見下ろすと足元にはネレが弟のコル――コルク……いやコルトか――コルトを連れて纏わりついていた。
「おいなんだよ」
「えっ……その……ちょっと、雰囲気が」
どうやら怖くなって俺にしがみ付いてきたらしい。
ガキかよ。いやガキか。俺は別にコイツらの保護者じゃないんだがな。――入場の名目は兎も角として。
「うふふふっ、よく懐かれているご様子。随分と信頼されておられるのですね」
「……はっ、どうでもいいだろ、ほらさっさと案内の続きをしろよ」
茶々を入れて来たフェキレ上級告解師にガンを飛ばし、男の方にそう言えば頷いて案内の続きが始まった。
「では、もう一層下へ」
やはり階段は螺旋状のそれが下の階へ続いている。同じ構造の階層が果たして一体どれほど連なっているのか。
「……へぇ」
もう一つ階層を下る俺たち。そこにはやはり、同じような造りの牢屋が並ぶ第二層があった。
先の第一層と異なるのは、中央がポッカリと空いていて、覗き込めば同じような造りの監獄塔が下へ下へと続いているのが分かる。底は暗く、弱体化したとはいえ俺の視力でさえ窺えない。
収容されている連中はさっきとは違って、傷ついたり生気に乏しかったりしているのが多い。
「さて、皆さまにはコチラでお待ちいただきます」
第二層の様子を見ていると、告解師の男がそういってまだ空いている牢屋を差し示した。
「こ、ここで……?」
牢屋自体は小綺麗だが、薄暗い上に雰囲気も暗澹としている。そこかしこから病人とも怪我人とも分からない連中の呻き声や、狂人の叫び声が聞こえる。
ネレとコルトが怯えている。……まあ無理もない。流石に俺にも、その程度の情を察するくらいの脳はある。
「まあ、構わないがな。いつまで待ってればいい? 別に俺は治療を受けに来たワケじゃない。コイツらの付き添いできただけだ」
「……無論、存じております。ですので同じ部屋をお使いください。大丈夫です、そうお待たせはしませんから」
告解師の男はそういって、出会った時と変わらぬ柔和な笑みを仄暗いヴェールの奥から見せる。
「ああ、一応当院は医療施設ですので、物の持ち込みはご遠慮いただいております。コチラの部屋でお預かりしますので、先ずはどうぞ」
荷物検査も欠かさないと、成程。
流石にそろそろはっきり言ってもいいよな?
コイツら――あまりにも怪し過ぎるだろ。
自分らが何か後ろ暗いことをしていると、喧伝しているようなものだ。
立地的にはどうでもよい場所とはいえ、国内には噂が知れる程度の知名度はある施設だ。
俺の様に興味本位で、みたいな形で進入したヤツもいただろうに。こんなん見たら、まともな感性のニンゲンは一発で引き返すだろう。そして外で喧伝するに違いない。
外界にその気配がないって事は、情報の隠蔽には成功しているってワケなんだろうが――。
「ああ、それと――」
そんな事を考えていると、下への通用口から何者かが現れる。数は二人、一見すれば純白の鎧を全身に纏った騎士といった様相だ。
……自己封印で劣化した俺の魔眼でも分かる。相当な魔力量を秘めた装備。騎士本人も一端の魔導師を名乗れるくらいには、魔力を持っている。
セフィロトの下級の戦闘員程度なら十全に渡り合えるだろう。成程、コイツらとガチガチなセキュリティーのお陰で今まで外界に大した事が漏れていなかったワケだ。
「彼らは衛士隊――この天使院の守護を旨とする達です。彼らがいるので、セキュリティは万全、すべて安全ですよ」
「そうかよ、それはいい。強そうな連中じゃないか」
反応を見る為に衛士隊なる連中へ挑発的に言って見せる――が、無反応。つまらない奴らだ。
「ええ、実力は保障しますよ。……さて、まずは荷物をお預かりして、患者衣に着替えていただきます」
「おい、それは俺もか?」
「勿論です。……防疫、という言葉をご存知でしょうか?」
今だ馴染みが無い概念やもしれません。告解師の男はそういった。
……言わんとしている事はわかる。内部に入る以上、得体のしれない菌や汚れがついているかもしれないニンゲンの装備を、持ち込ませるワケにはいかないってハナシだろう。
だがな、お前それ建前だろ。こんなんどう見たってまともな医療施設じゃねえよ。俺の主人の実験材料とドッコイドッコイの環境だぞこれ。それともあれか、これがこの世界のスタンダードなのか?
――有り得ない話じゃないのが、怖い所だな。
「ではこちらの部屋で着替えを」
何のかんの言っている間に告解師の男は牢屋脇にある通路――そこにいくつか並ぶ部屋へ向けて、手を差し出す。衛士隊なる連中が睨みを利かせてくる。――特に俺の方へ。
そう睨まずとも何かをしでかすつもりはない。少なくとも今の所は。
「うふふ、では私は彼の方を受け持つので、子供たちはお願いできますか?」
「上級告解師様のお手を煩わせるワケには――」
「……天使院の救いを求められる方々の為です。お待たせするワケにも、ね?」
「何というお心遣い。先ほどの件といい、やはりフェキレ様は高徳な方でいらっしゃる」
いざ着替えの為に更衣室へといった時に、上級告解師フェキレがそう申し出た。
立場故か一瞬渋っていた告解師だが、フェキレが優しく微笑むとすぐに心変わりして頷く。
「……では、狼の御方。こちらへ」
言って、フェキレはいくつかある部屋の内一つの前へ移動し、俺の方を向いて手招いてくる。
「……ヴェドさん」
この怪しげな雰囲気の中で引き離されるのを嫌ったのか、ネレは未練がましい声音で俺を呼んでくる。
期待と疑念半々って感じの顔だ。俺へ、というよりもこの天使院へ。先ほどまではあんなにも期待していたのに、分かりやすいガキだ。
俺はネレを一瞥し――ここで何か言ってやらないのは流石に不自然かと考え、
「……心配するな、すぐに終わるさ」
――考えるも気の利いた言葉など思いつかなかったので、適当な慰めを口にする。
ともあれ多少なりとも効果はあったらしく、ネレは頷いてコルトと共に、告解師の男に連れられ部屋に入っていった。
「うふふっ、では我々も」
蠱惑的に笑うフェキレに導かれ、俺は無数にある更衣室代わりの部屋に入った。
中は単純、四角い部屋に中央には机と椅子。更衣室、というより取調室といった様相だ。
「どうぞお掛けになって」
「……」
フェキレの勧めに従い椅子に座り込み足を組む。当の女告解師は扉の方へ視線をやってから、俺の対面に座った。
「さて……」
――フェキレの纏う雰囲気が一変した。彼女はヴェール越しから穴が開く程俺を見据える。いっそ睨んでいる、といってもいい。
果たして彼女は口を開き、
「――アンタさぁ、派手にやり過ぎなのよ。街中で感染性の魔毒使うって、何考えてんの?」
――どこか聞き覚えのある口調と共に語り出すフェキレ。言葉が重なるにつれ声が歪み、フェキレの姿が蜃気楼のように変わっていく。
奇妙な変化の果て、そこにいたのは、
「……相変わらずだな、ヘルメス」
ピンクのツインテールに高慢そうなエメラルドの瞳。整った目鼻立ちは厭そうな表情に歪んでいる。派手なゴスロリミニスカドレスを纏った彼女こそ、皆さんご存知ヘルメス・カレイドスコープである。
「あのさぁ、何が『相変わらずだな』――よっ! 身寄り無い連中とはいえ、あんな大量に死んだら大変でしょうが」
「どうせここは潰すんだろう? なら問題無いんじゃないかって」
開口一番飛んで来た説教に、俺はそっぽを向いて言い返す。――が、正直ヘルメスの言ってる事が正しいと思ってしまってるので、声が弱い。
仕方ないだろうが、俺の頭じゃこんくらいしか天使院に入る方法が思いつかなかったんだから。
「開門で選ばれる必要がある、だから貧民が邪魔――分かるけどさ、やり方雑過ぎでしょ。飯に毒混ぜて配るって、目撃者もいるわよ」
“天使院”攻略の為、情報部を現地に集めていたお陰で握り潰すのにワケは無かったけど。ヘルメスはそういって溜息をついた。
ヘルメスと俺がここにいる理由。それは共に同じ目的の為である。
天使院という組織の打破。
そんな命令をアインより受けている俺――正確には天使院に潜む「怪物」の因子の回収だが――だが、これはセフィロトにとっても喫緊の問題らしく、ヘルメス率いる情報部も贅沢に投入されているワケだ。
「現地に潜入しているとは聞いていたが、まさか内部のニンゲンに“成り代わっている”とはな。だったら天使院に入るにも、あんな手を使う必要もなかったか?」
「……流石に大量の貧民の中から、明らか健康そうなアンタを選ぶワケにはいかないわ。そんなの違和感ありまくりだもの。でも、アタシらに頼めば別の手段があったってのは事実でしょうね。少なくともこんな乱暴なやり方、情報部じゃあしない」
でも終わったことグチグチ言っても仕方ないから、このハナシは終わり。そういってヘルメスは溜息をついた。
「それはどうも。――で、内部の重要そうなヤツに成り代わってる以上、色々と内情も知れたんじゃないか? フェキレ上級告解師殿」
今まで語る機会も無かったが、ヘルメスは魔族であり、彼女の種族は無貌者である。
姿を変幻自在に変える事の出来る種族であり、彼らシェイプシフターは古来より社会生物の間に潜み生活してきたという。
所謂、ドッペルゲンガーだ。
その能力を存分に生かす密偵こそヘルメスの真骨頂。万華鏡の名に恥じぬ、セフィロト情報部総長の座に相応しい技能と言えよう。
「……ええ、まあ色々と。結構キナ臭いわよ、ここ」
そんなヘルメスは、いつになく暗澹とした顔で溜息をついた。仕事で疲れていたり愚痴ったりしている姿は何度か見た事があるが、にしたって憂鬱そうである。
「……察するに、どうやら相当な魔窟らしいな」
「ええ。言っておくけれど、ここには間違いなく“セフィロト”を揺るがす怪物と企みが存在しているわ」
そこまで言い切られては俺としても聞かざるを得ない。情報部総長として身を挺して集めた小話の数々、暫し拝聴の機会に浴しようじゃないか。




