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149 開門

「大通り脇の宿屋、“天翔亭”まで? まあ構わないけど、こんな沢山食べるのかい?」


 ヴェドの待つ宿といくつかの食料店を往復する事、既に数回。こんな質問をされるのも慣れて来た。

 

「えっと――その、キャラバンの為の旅糧です」


 二件目に回ったパン屋で同じ質問をされた時、どうにか思いついたネレ渾身の言い訳を述べると、雑貨屋の男は納得したように頷いた。


「成程ね、分かったよ。用意出来次第持っていく」


 色を付けて支払い、滞在している宿まで届けてもらう約束をした後、ネレは雑貨屋を出る。


「お姉ちゃん」


 外にはコルトが待っていた。彼はあどけない顔立ちを心配そうに歪めてネレを見上げている。


「大丈夫?」


「うん、僕はだいじょぶ。……お姉ちゃんは?」


 不安も多かろうというのに、コルトはネレを気遣った。健気な弟に胸が締まる想いだ。


「平気だよ。ヴェドさんに言われた買い出しも終わったし」


 どう天使院に入るか、ヴェドと立てた作戦が「開門を待つ貧者を食い物で買収する」――という、かなりアレなモノ。

 言い出した手前大きい事は言えないが、何とも行き当たりばったりな作戦だ。

 

「……だいじょぶかな」


 やはりコルトも心配なのか、不安げにネレを見上げた。

 

「……アタシもちょっと心配だけれど、ね」


 正直「ちょっと」ではないくらい憂慮がたっぷりなのだが、わざわざ不安にさせるワケにも行かない。

 これ以上コルトに負担をかけるのも考え物だ。それに、信頼に足ると言い切れないにしても、ヴェドは頼みの綱にして協力している相手だ。言い過ぎるのもよくない。


「……そうじゃなくて、さ」


 だがコルトの心配は違う所にあるようだ。彼は迷ったように周囲を見回し、ややおいてから再びネレを見上げた。


「その、あの人……」


 心配なのはあの狼か。当然の反応だ。

 外見も性格もあまりに怖い。およそ余人が近寄りがたい人物である。


「……僕、危ない事は嫌だよ? お姉ちゃんが酷い目に遭うのは、いやだよ……」


 ……いいや、彼の心配はこのネレ自身であったか。

 彼はネレを慮ってくれている。その事が嬉しくもあり、そして気を使わせている事に歯痒くもあった。


「……ごめんね。でも大丈夫」


 謝って、ネレは宿への道を進む。歩幅は小さくコルトに合わせるように。

 コルトが懸念するような危ない事にはきっとならない。今から取る手段だって穏便だ。

 見事治療が叶って、自分達はやり直す事が出来るのだ。父と母が必死に守ってくれたのだから、残された自分達には幸せになる義務がある。

 だからきっと、上手く行く。

 

 ――本当に?


 わずかな疑念が過るが、考え込む前に何故かそれらは解けて消えていった。


「ちょっと怪しい人だけどさ、約束したもん。だから、約束は守らないと」


 そう、約束だ。

 あの時目を見て約束したのだから、約束は裏切れない。だって、約束だから。……そうだろう?


「……お姉ちゃん、だいじょぶ?」


「……? うん、大丈夫」


 再び、心配そうに表情を歪めたコルトがネレを慮る。何故か幾度かコチラを心配するコルトに、ネレは首を傾げた。自分はそんなにも怪しい状態なのだろうか。


「やっぱりお姉ちゃん……ううん、なんでもない」


 言葉に詰まっていた様子のコルトだが、一先ず良いらしい。煮え切らない態度に首を傾げながらも、ヴェドに言われたお使いを終えたネレ達は宿へ戻った。


「――戻ったか」


 宿の一階、受付と食堂を兼ねた場所にヴェドは居た。随分と空いた――というより貸し切り状態の食堂に、我が物顔でネレ達が買い込んだ食料を置き、いつものように足を組んで座っている。


「あの、貰ったお金は全部使って、食べ物買ってきましたけど――」


 遠慮がちにそういっていると、丁度宿屋の扉が開き先ほど買いに行った雑貨屋――その店員が荷物を持ってくる。


「うっす、どこに運べばいいっすかね?」


「あの、あの人の所に」


 ネレが指を指した先にある光景が、強面の狼人が偉そうにふんぞり返り、沢山の食料をテーブルの上に置いている状態。

 どの要素に目を奪われたかは量る術もない。だが店員は暫し目を丸くした後、おずおずと荷物をヴェドの下に運んだ。


「じゃ、じゃあ運んだんで失礼しますよ~」


 引き攣った顔を笑みに戻しながら、店員は去っていった。

 宿の食堂、テーブルに狭しと並んだ食料品。その多くは安物で保存の利くシロモノだが――


「足りるかな?」


 買ってきた食料の数は確かに多いものの、所詮食堂のテーブルに収まる程度。馬車に乗せてもあと数人は同伴出来るくらいだろうか。

 多い。だがこの街の貧者全てに食料を賄えるかと言われれば――


「いいや、十分だ。何も全員に渡らせる必要はない。開門の日、選定に来る連中が削れれば、それでいい」


「……それでどうにかなるんですかね?」


 何もかも行き当たりばったりだ。皮肉めいた疑問が口を衝いてしまう。


「なるさ。ああ、なるとも」


 だがそんなネレにも、ヴェドは自信気に言い切って見せる。一体何の根拠があるのだろうか。

 しかしここまで来たのなら、ついていくしかない。ネレは小さく覚悟し、一人頷いた。


「おや、沢山荷物がありますね」


 そうしていると、宿屋の主人であろう男が奥から現れた。宿の主人は卑屈そうな笑みと揉み手をしながら、ヴェドの方へ近づく。


「へへっ、随分な大荷物ですね。お部屋にお運びしましょうか? それとも、こちらで預かっておくこともできますよ? 無論、責任を持って――」


「……決行は明日にするか。もう日が落ちかけている。おい、預かっておけ。傷つけたり無くしたりしたら――」


「も、勿論ですっ。へへへ、ねえ?」


 ひどく卑屈な追従をする宿の主人だが、そこには恐怖の類よりも、服従や好意の類が見える。

 金をちらつかせて餌付けでもしたのだろうか。そんな乱暴な考えがネレの脳裏に過った。


「……部屋はお前達が使っていい」


 そういうと、ヴェドはそのまま席に座ったまま、どこからか仕入れたらしき紙――いや、新聞紙を広げ始めた。

 ……はて、この辺りに新聞を手に入れられる場所があったろうか? アテラロアではあった文化だが、新聞は主に帝国の代物だ。

 ――いいや、そんなことよりも、


「い、いいんですか?」


 部屋を使わせてもらえる。その事に目を見開いて驚愕した。到底そのような慈悲とは無縁と思えていたから。


「……ああ、俺はいい」


 倦んだようにそういって、ヴェドは変わらず新聞を読み続けた。まるで清潔で暖かなベッドが、自分にとって全く意味のない存在であるかのような態度である。


「……ありがとうございます」


「何なら、飯も食えばいい。天使院に入る為のチケットだ、それまでにどうにかなってもらっても困る」


 そういったヴェドは、テーブルに置かれた食料の袋を一つ雑に投げて寄こした。雑貨屋で買った、保存の利くパンや干し肉などの糧食詰め合わせ――旅人やキャラバン用に、街の雑貨店がこの手の形で商品を扱うのはよくある。


 そういえば空腹であった。食事の世話までしてくれるとは――口調こそ荒いものの、もしかして本当にイイ人なのだろうか?

 そんな考えさえ過り始めてしまうほど、ヴェドへの印象は当初より変わっていた。


「いいんですか?」


「いいって言ってるだろ、ほら行け」


 半ば追い出される形でネレとコルトは部屋に向かった。久しぶりにまともな食事を摂り、まともな寝台で眠れる。その安心感に、ネレはあの恐ろしい獣に感謝した。


 

 ――翌日、宿の一階に向かうとヴェドが昨日と変わらぬ位置にいた。

 ……眠っていないのだろうか?

 

「起きたか、じゃあ……施しに行くか。聖人の行進だ」


 起きて来たネレとコルトに気づいたヴェドが、立ち上がってコチラを見る。食料は荷物として纏まっているようで、ネレとコルトは中からいくつか袋を持った。


「スラムに行って配ってこい」


「……えっと、二日後の開門を譲ってほしいって交渉すればいいんですね?」


 そう聞くと、ヴェドは僅かに間を置いた後頷いた。


「……程々でいい。配るのが重要だ。……言っておくが、つまみ食いはするなよ?」


「や、やりませんよ、そんな事」


 稚気じみたやり取りを挟みつつ、ネレとコルトはシャマインのスラムに向かった。

 外は酷く曇っており、朝だというのに陰鬱な雰囲気がシャマインに漂っていた。そんな中のスラムは更に陰気で薄暗い。まるで家の地下室か、それとも地獄への大穴かと言った有様だ。


「……」


 足元には生きているのか死んでいるのかも分からない老人が虚ろに座り込んでいる。ネレは竦みそうになるのを耐えながら、先ずはその老人に喋りかけた。


「あの、ごはん、要りますか?」


 裏路地のスラムでそういった瞬間、そこに居座る者達が一気にコチラへ向いてくる。獣を思わせる動きと視線に、コルトが小さく息を呑んだ。そんなコルトを庇うように立つネレは、手の中の袋から固いパンを取り出す。


「二日後の開門、アタシ達に――キャッ!?」


 開門の日に順番を譲ってくれと言い切る前に、貧民の一人がネレからひったくるようにパンを奪い去った。


「く、食い物だッよこせ!」


「お、おれにも!」

 

 それを皮切りに路地裏のスラムは騒乱に乱されていく。食料を持っているネレ達へと飛び掛かる勢いで、貧民たちが押しかけてくるのだ。その狂喜と迫力は、少女と少年が耐えられるものではない。


「や、やめ――」


 こうなるのは分かっていた。アテラロアのスラムでも似た光景を見た事がある。だがヴェドに言われた以上、どうにかして果たす必要がある。それが勤め、約束なのだから。


 ――同時に脳裏へとヴェドの言葉が蘇った。“配るのが重要、程々でいい”という言葉が。

 

「こ、コルトっ、投げて!」


「えっ、でも――」


「いいから!」


 食料の入った袋を投げろと言われたコルトは一瞬困惑するものの、ネレの言葉の通りに袋を投げた。それに倣うようにネレも貧民たちに向けて食料の袋を投げ捨てた。


「食い物っ!」


「ちょ、ちょうだい! もう何日も食べてないのっ!!」


 結果、食べ物を奪い合う戦場と化したスラム。その様子に圧されたように下がり、眺める姉弟は一拍遅れて互いの顔を見合わせた。


「……これでいいの?」


「――多分」


 不安になりながらもそう答えるネレ。一応、ヴェドの言葉通りにはしたハズだ。

 

「……一度帰ろうか」


 コルトにそういって、混沌渦巻く裏路地を去るネレ。だがコルトは食べ物に群がり奪い合う者達を眺めたまま止まっている。

 

「コルト?」


「……なんでもない」


 静かに呟いたコルトは、ややおいてからネレについてきた。

 

 ――そういえば、ネレの思考には一切過っていない事がある。

 コルト自身の考え、願い――このような方法を取って至る治癒。

 普段であれば至っていたハズの思考は、今はただ消え失せていた。




「――よくやった。十分だ」


 何度か往復して、先のような展開を数度見た後帰った宿。待っていたヴェドが、高慢な物言いで迎えてくれる。


「……これでいいんですよね?」


「ああ、これで種は蒔いた。二日後が楽しみだな」


 もうやることはないと言わんばかりに手をフラフラと振るヴェド。

 貧民に食料を施しただけだ。一体その行為に、開門を有利に進めるだけの意味があったのだろうか。

 その質問を答えてくれるであろうヴェドは、もうネレの方を見る事さえなく足を組み、持ち物なのか本を読んでいる。

 

「……」


 ネレもコルトもヴェドの方を見つめた後、やがて諦めたように部屋へ戻る。

 部屋に戻ると簡素だが食事が用意されていた。ヴェドの手配りだろうか……。

 此処まで来ると感謝よりも不気味さが芽生えてくる。それでも食事の魅力には抗えず、ネレとコルトは食事の後、また部屋で眠りについた。

 

 

 ――二日後、開門の日。


 ゴォン、ゴォンと荘厳で清冽な鐘の音が、天使院の塔より響いてくる。

 その音色で、ネレとコルトは目が醒めた。

 

「……いよいよだね」


「うん……」


 コルトの足を見つめていたネレは、小さく呟いた。

 今日天使院に選ばれれば、コルトの足は元通りに癒えるのだ。

 そうすれば――少なくともいくつも失ったものの内、一つは帰ってくる。

 

「行こうか」


「うん」


 確かな実感を伴って、二人は宿を出る。

 

「来たか、行くぞ」


 一足先に外に出て待っていたヴェドが、相も変わらず冷徹に言い捨てる。

 ……その日のシャマインはいつになく静まっていた。早朝だという事を差し引いても、異様なほどに。

 開門の日はこうなるのだろうか。ボンヤリとそう考えながら、ネレ達は天使院の前に立った。


「……これだけ、か?」


 既に天使院の扉は開いていた。

 門の奥には闇が広がる。そこから出て来たと思しきヴェールとローブで身を覆った職員たちが、天使院前の広場に立っていた。

 そのうちの一人が、ボソリと呟き広場を見回す。

 

「……いない」


 ネレもまた、応じるように呟いた。

 アレだけいた貧民たちは、何故か(・・・)開門の日の天使院前には見当たらない。広場で選定を待っているのは、ヴェドとネレ、コルトだけ。

 

 食料を渡しただけ。ただそれだけなのに、確かにヴェドの言った通りになっている。

 不気味さを感じるよりも前に、


「いないなら結構な事じゃないか」


 思考を許さぬような高慢な物言いが、広場を貫いた。

 声の主は当然ヴェドだ。彼は腕を組みながら、天使院の職員らを無感情に見下ろしている。


「今日が開門の日なんだろ、さっさと選べ。十三人だ、此処にいる三人――俺とこのガキ共、選んで連れてけ」


 あんまりな物言いにネレもまた余計な事を言いそうになったが、


「……そこの少年少女は兎も角、貴方も?」


 当然、職員の怪訝そうな目線がヴェール越しにヴェドを見据える。当たり前だ、何処をどう見たって健康そうなのだから。


「ああ。定員十三名、そしてそれは大いに余っている。何の問題が?」


「……問題は、ないのですがね」


 明らかに怪しいヴェドに、天使院の職員たちはヒソヒソと密かに言い合いながらチラチラと狼を見る。

 正直、門前払いされても仕方がないとは思うのだが――ヴェドが苛立ち始めた。カツカツとつま先を地面に着けて鳴らしている。

 ネレがゴクリと唾を呑みこんだ瞬間、


「――いいのです。受け入れて差し上げなさい」


 門の奥から、一人の女が現れた。

 ゆったりと優雅ささえ窺えるほどの足取りで登場した彼女に、天使院の職員たちは道を開けて祈りにも似た形で敬意を示した。


「上級告解師、フェキレ様」


 告解師――この天使院で働く職員の職名だろうか。上級という枕詞が付くだけあって、フェキレなる女のローブは他の職員より豪華で、ヴェールにも一対の翼の意匠が施されていた。


「よろしいのですか、その、今回の開門は何やら――」


「――いいのです、と私が言っているのですよ」


「……失礼しました」


 フェキレの一言でネレもコルトもヴェドも、天使院に入る事が出来るらしい。

 一先ずの安心を感じながらフェキレを見て見ると、彼女はヴェールの下で形の良い唇をニッコリと歪め、ヴェドの方を見つめていた。

 

「……」


 ヴェドはフェキレを目を細めて睨み、やがて皮肉気に鼻を鳴らした。

 

「……では、此度の開門であなた方三人を受け入れます」


 二人の無言のやり取りを見つめていたネレは、他の職員――告解師の声で意識を引き戻される。


「我々は貴方たちを歓迎します、どうか我らが主の祝福を」


 ――寿ぐ者達に押さえながら、やがてネレ達は暗い天使院の門へと踏み入っていく。

 荘厳な塔、豪奢な門構え、だが暗い闇の中。天の名を給わるには些か以上に陰鬱としていた。


 ならば、必要なのだろうか。

 これが天への門では無いのだとするならば、一切の希望を棄てる覚悟さえ。

 

 ――当然、ネレには考えつきさえしない疑問であったのだが。

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