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147 混沌の契約

「成程、そっちのヤツの為に天使院に――」


 如何にも「小汚いガキの話なんて聞きたくない」みたいな雰囲気の狼種の大男――ヴェドだが、一応短く端折ったネレ達のあらましは聞いてくれた。

 

「だ、だからアタシ達……天使院って言うのが何なのか、知りたくて」


 そう、だからこの怖い狼が恫喝じみた問い方で尋ねていた、天使院の職員に話を聞きたかったのだが――その職員は、ヴェドが追い払ってしまった。


 今から追いかければ済む話なのだが、この――酷く冷酷そうで、何故かほんのり機嫌の悪そうな男を、怒らせることなく撤退する方法は、残念な事にネレの頭では思いつかなかった。


 だったらいっそ、このまま会話を続けて天使院の話を聞いてしまおう。

 ネレは度胸のある少女だった。

 そうでなくては――いかに国内とはいえ、戦乱の時代で傷ついた弟を連れ、離れた辺境の街にまで旅する事は無かろう。


「あの――貴方も、天使院に用があるんですよね? 病気……とかですか?」


 そう尋ねるネレ。ヴェドを会話を続けると察したコルトが、ただでさえ怯えているのに殊更身体を固くして、狼の視線から隠れるようにネレの背中にくっついた。

 

 男の癖に情けない等とは思わない。

 寧ろ自分より幼く、瑕疵も負っているコルトが、泣き出さず辛抱強く付き合ってくれている事を、褒めてやりたいくらいだった。

 

「いや、病気の一つも罹った事がない」


 幸いにもそこまで機嫌を損なう事が無かったらしく、ヴェドは腕を組んで――何故か少し誇らしげに――答えた。


 正直聞くまでもなく健康そうだ。絶対に病気なんかではない。仮に病気でも、きっと別の所が悪いのだろう。

 腹の虫の居所とか、或いは……あた――これ以上は止そう。下手に思考すると口に出かねない。ネレは気を取り直して、

 

「……じゃあ、怪我とか?」


 では、外傷があるのか。コルトのように、治癒魔法の後遺症を患っているのか。

 有り得る話ではあるが、やはりこの男は健康そうだ。

 自分で聞いていて可笑しい自覚はあるのだが、そうでもなければ天使院を訪ねる理由がない。


 如何なる瑕疵も病も、押し並べて癒す全治の園こそ、天使院なのだから。

 

「怪我なんてした事……いや、あるか。が、生まれつき(・・・・・)傷の治りが速い(・・・・・・・)んでな。今は無傷だ」


「えっ……」


 じゃあなんなの。――という言葉が喉元まで出かけたネレ。そんな事を言えばどうなるか、あまり想像はしたくない。

 代わりに、


「なら……どうして、天使院に?」


 至極当然の疑問が、ネレより出でた。

 であれば理由など、もはや無いではないか。よもや物見遊山のつもりで訪れたワケではあるまい――


「――まあ、観光だな。中がどうなっているのか知りたい」


 ――あるまい、と思っていた。

 まさか本気で、観光目的で中を見たがっていたとは。

 ここに救いを求めて、自分達のように遠くから来る者だっている。或いはネレ達以上に、遠方より足を運んだ者も居よう。

 

 確かに映える建造物なのは認めるが――呆れか、それとも無責任な発言への怒りか、ネレの意識は少しばかり遠のいた。

 そんなネレなどお構いなしに、ヴェドは口を開く。

 

「曰く、天使院は風邪とか引いてたり、怪我とかしてる奴ら向けの場所――らしいじゃないか」


 ヴェドの視線はやがて、聳える天使院へと移っていく。色の印象を裏切るが如く、常に凪いで冷酷な紅い瞳に、神話を思わせる天使院の影が投じられた。


「三日後、天使院は門扉を開く」


「ッ……!?」


 唐突に告げられた、ネレのもっとも知りたい情報。素直に教えてくれるとは思わず、彼女は呆気に取られてヴェドを見上げた。


「一度の開門で、天使院が受け入れるのは十三人――選定の基準は無作為だ。天使院の職員が、適当に選ぶらしい」


 ある職員は、その子供が自分の娘と似ていたから。

 またある職員は、その老人がかつての恩師だったから。

 或いは目に留まった女が、他の者と比較しても酷く傷ついていたから。

 

「――ソイツらが思う、ある種の善意に従って……貧者たちを救済している」


 それだけ聞くと立派に思える。もしもネレが、かつて平和だった頃にその話を聞けば、善い者達、善い試みだと考えたやもしれない。

 だが、今となっては――


「だが、選ばれなかった奴らは? 残念無念、また次の機会にってワケだ」


 そう、次の機会に。

 このライデルで人類種として、社会活動の一端を担っていれば、幾度かは聞いた事のあるフレーズだろう。


 選ばれざる者への、無根拠で無責任な慰め。

 この場においては、そう形容するのが正しい。

 

 アレだけ巨大な「天使院」が、七日に一度の救済に十三人のみ受け入れる。

 無論、救いの手を差し伸べる事自体が素晴らしい事である。施しを受ける側なのだから、それに文句を垂れるワケにはいかない。

 

 けれど――ネレやコルトのように、後遺症の治癒を望む者は兎も角、選ばれなかったら、次の七日持たない患者だっているハズだ。

 

 その事に、感じ入るモノがないでもない。


「運が巡らなければ、或いはずっと選択から零れ続けるやもしれない」


 何でもないように呟くヴェドの言葉に、ネレは底知れぬ怖気を感じた。この威圧的な狼に恐れたのではなく、言葉の内容、それによって気づいてしまった「あり得る」未来に。


 ネレの脳内に、ここに来る道中で見た景色が蘇った。

 活気あるシャマインの街、その路地裏にひっそりと隠れるようにして、蹲っている貧者たち。彼らの目には、表情には、精気も希望も視えはしなかった。


 きっと諦めてしまったのだろう。やがて来るかもしれぬ「いつか」を求め続けた結果、そのいつかさえ。

 そんな風に腐っていき、いずれは身体も朽ちる。

 そうして死んだ者達を、選ばれなかった者達を、選ぶ者達が片づけるのだろう。


 眩暈さえ感じる。果たして「救済」とは、こんなにも正視に堪えぬモノであったろうか。


 ――自分達は、そんな風には成りたくない。


 歪に気づいたネレは最初にそう感じた。きっと自分は、善いニンゲンでは無いのだろう。


 けれど――果たしてどれだけのニンゲンが、同じ考えを抱かずにいられただろうか。

 退廃を目前とした時、迫る混沌が己の肩に手指を掛けようとしているその時でさえ、世のニンゲンらは善を善のままと出来るのだろうか。


 ネレには到底、想像さえ及ばなかった。


「……だったら」


 そして、怒りにも似た強い衝動が込み上げて来た。

 平穏から理不尽に全てを奪われた怒り。

 父と母を奪われた怒り。

 選ばれるしかない現状……或いは、選ぶ者達への怒り。


「だったらっ――アタシ達みたいなのは、どうしたらいいんですか?」


 そして今、訳知り顔で冷ややかに嘲笑うこの獣にさえ。

 叫び出しそうになる程の苛立ちが、湧いて仕方なかった。


「ふん、そんな事俺が知るワケないだろう?」


 予見したように、ヴェドは冷ややかに鼻を鳴らした後、にべもなくネレを払いのけた。

 ガリっと、妙な音がした。一拍置いて、ネレはそれが歯を食いしばる自分の音だと気が付いた。


「――だが」


 しかし、ヴェドの言葉は続いていた。およそ近づき難い冷笑と皮肉のヴェールの奥、確かにその狼は、


「望むのなら、俺が選んでやろう」


 ……笑っていた。白く鋭い牙を、僅かに剥き出して。

 その微笑はどこまでも獰猛であり、凶暴であり、そして不吉であった。


 先刻まで鉄仮面の如く動かない顔を見続けていたからこそ、その僅かな変化を見たネレは理解できた。

 きっと、この男はまともじゃない。「選んで救う」という神経が潰れそうな行為を、素面で続けている「天使院」の者達よりも、或いはずっと……歪んでいる。


 戦禍に歪んだスラムの中、弟を守り無様にも生き抜いてきたネレには、看破出来てしまった。

 

「――俺にも理由があってな。連中に選ばれる(・・・・)必要がある」


「……」


「俺なら確実に、どんな手を使ってでもお前達を選ばせてやる(・・・・・・)


 アズガルドの国教「ユグドラス教」において、現世不利益を操りヒトを誑かす存在を「悪神」と呼び、やがて三つの災厄を呼び覚まし、世界を黄昏の如き末期へ導くとされている。


 この男はきっと、その「悪神」か、その災禍に他ならぬ。ネレにはそう思えた。

 退けろ、今すぐに去れ。理性はそう告げる。

 

 だが……別の理性もまたネレに語るのだ。

 ここでヴェドの手を跳ね除けて、背を向ける。だが結果、自分達には何が出来るだろう。


 痩せて疲労した自分と、足の不自由な弟。

 この街を見た当初こそは、自分達を受け入れてくれると思っていた。

 だが、天使院の歪を知ってしまった今は、言い切れなくなっていた。

 

 どれだけ選ばれるのを待てばよいのだろうか。

 三日目? それとも次の七日? 或いは十四日、また或いは――

 ……そんな風に、先の見えぬ競争を延々とする羽目になるだろう。

 

 運が無かった、次は選ばれる。

 無責任な慰めに身を委ねるのは容易い。


 或いは弟の足を諦める? それがきっと現実的なのだろう。

 幸いにも、生きていけぬというほど重大な瑕疵ではない。働き口を必死で探せば、二人で過ごせるかもしれない。


 ……でもそれは、ヴェドの誘いに乗り「確実」に選ばれた後、完治した弟と共にでも出来る事だ。いや、その方が易い。それくらいはネレにも理解できた。


 この残酷な世界、しかも戦時下において、子供というだけで働くのが大変だ。


 加えて二人は「人間」である。

 生まれつき様々な素養に恵まれている亜人種の方こそを、雇用側は選ぶだろう。――特段、種族への差別意識が無ければ。

 健康体であれば、尚の事。


 こことは異なる世界であればいざ知らず、ライデルにおいてはそれが普通だった。

 

「本当に、確実に……天使院に?」


 ――気がついたら、己の口から問いが出ていた。

 ヴェドが目を細めてネレを見下ろす。対照的に、コルトがギュっとネレの背後で彼女の服を掴んだ。


「ああ、俺も入りたいんでな。手は抜かないさ」


「……」


 睨むようにヴェドを見上げるネレ。言葉にも態度にも、清廉さは感じられなかった。いっそ清々しい程に、偽りが満ちていた。

 だからこそ――逆に信じられた。

 天使院に入る所までは、確実にやってのけると。その為に如何なる方法をも用いると。

 

 戦禍の混沌は、一人の少女に「覚悟」を与えた。


「さあ、どうする?」


 獣がわざとらしく問い、そして手を差し伸べてくる。

 

「お姉ちゃん……」


 コルトがネレの背後で、酷く心配そうな声を出す。震えて当然だった。


「――大丈夫」


 いつだかと同じく、毅然とネレは言う。


「分かった――お願いします」


 そしてネレは、その獣の手を取った。

 死と破滅の暗渠に散っていった、獣に欺かれた先人らと同じように。

 しかし彼らよりも鮮明に、その獣に不吉と混沌を見出しながらも。


「いいだろう、約束は果たしてやるさ」

 

 その相違が如何なる結果を生み出すか、今は誰も知らない。

 そういった意味では、無力な少女も不滅の怪物も――この刹那だけは平等だ。

 ――物の間隙に意味を与える事ほど、不毛な試みも無いのだが。

ストック切れ……更新頻度戻ります;;

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