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146 天使の麓

 シャマイン。イーファル共和国北部辺境にある街。


 元は北部辺境の開発の為に用立てられた都市であったが、帝国と聖国の争いの激化と共に計画は縮小。

 共和国が親聖国に偏ってからは、都市開発が再燃。今となっては、「天使院」を中心として、静養や保養を主とする街へ変貌した。

 

「……ついたよ、コルト。ここが――」


 流民の少女ネレ、そしてその弟コルト。

 帝国と聖国の戦争に巻き込まれ、故郷と両親を失った二人。

 そしてコルトもまた、足を負傷して後遺症を負ってしまった。


 だがそのような瑕疵を癒せる魔導師は、大抵少女と少年が得られる金では動いてはくれない。


 コルトの手当をしてくれた医者曰く、この街にある「天使院」は、そのように経済的に難がある者も隔てなく救ってくれるという。

 眉唾にも思える希望だけを胸に、二人はこのシャマインを訪れたのだ。


 ――街並みは平凡だった。ある一点を除いて。

 街を囲う城壁に、並び立つさまざまな建物。共和国様式で建築された、平凡な光景。


 だが、街の中心――そこにある構造物は趣を異にしている。

 

 グランバルト帝国にある「闘技場(コロッセオ)」――一見して、そのようにも窺える建物だ。

 螺旋を描くように聳える円形の構造。塔――そう呼ぶには少しだけ長さが足りない。

 だが大きさはかなりのモノであり、ただの村娘に過ぎなかったネレは、物珍しい光景に目を見開いた。


「アレが……天使院?」


 周囲の景観から浮いているが故に、土地勘のないネレにもそれが目的の「天使院」だと理解できた。

 

「……ホントなのかな」


 天使院を見上げていたネレの傍からかかる声。記憶のそれよりだいぶか細い言葉の主は、粗末な杖を突いた少年――弟のコルトだ。

 

「ホントに、治してくれるのかな」


 それは疑問というより疑念だった。

 抱いて然るべき疑念だと、ネレも思う。何処の世界に、対価も無しにあらゆる傷と病とを癒す者が存在するというのか。あのアズガルドでさえ、自国の民にも喜捨(税金)を求めるというのに。


「……大丈夫だよ、きっと」


 それでもネレは大丈夫だと言い切れた。

 何も無根拠な慰めを口にしているのではない。彼女には、言い切るだけの根拠があった。


「ほら――この街、スゴく平和。外ではみんな、戦争してるのに」


 そう口にしながら、ネレは周囲を見回した。

 シャマインの街並みに行き往く人影は、あまりにも「平和」であった。


「羊肉、しかもラム肉のサンドだよー! 出来立て、大盛り、一つ銅貨四枚、いや三枚でどうだいー!?」


「こっちが石鹸、大銅貨二枚。――これは香水だよ。帝国でも聖国でも人気でね。……何でも、帝国のおっかない将軍サマも重宝するくらいのシロモノだとか。買うなら銀貨三枚だ」


「――商人のおじ様、四将軍筆頭が愛用してる香水は針葉樹の香りですわ。これはライラック、駄法螺も休み休みになさらないと」


 ――皆が穏やかで平穏な、理想郷のような姿という意味ではない。

 戦争の前、普段通りのアテラロアを思わせる――ある程度の混沌を是とする、活の平穏である。


 大通りの端では軽食を作り売る屋台が、街角では日用品や珍品の類を商う商人が、景色の一部として確かに存在していた。

 外界の戦争は遠い出来事であるかのように、この街だけ時が凍り付いているかのように。

 

「うん……そうだね」


 とて、それは「天使院」なる施設が、噂通りの慈悲を宿している証明にはならない。

 けれど懐かしささえ覚える街の光景は、コルトの警戒を少しばかり溶かしたらしい。

 

 仮に「天使院」で治療が叶わなかったとしても、この街は傷ついた二人を戦火より守ってくれる。そんな確信さえ芽生えた。


「だからさ、大丈夫だよ。ほら、アタシを信じて――行こっ」


 この旅の最中、ネレが口にし続けて来た「大丈夫」という無根拠な励まし。今度ばかりは実感を以って言えた気がした。


「……うん」


 先ほどの声よりも少しだけ強く、コルトが頷いた。励ます為に支える為に、今まで幾度となく握ってきたコルトの手も、少しばかり強く握り返してくれた。

 ネレはコルトを伴って、シャマインの大通りを歩き始めた。

 

 ここに至るまでに路銀は大部分を使い、二人は体力も限界だった。

 もしも噂の「天使院」より庇護が得られなければ、少なくともこの街に今夜寝泊りする場所を確保しなければならないのだが――


「……アレは?」


 ふと、街の光景に似つかわしくないものが目に入り、ネレは足を止めた。

 視線の先にあったのはシャマインの裏路地である。日の当たらないその場所には、活発な街の様相とは背反する、怪我人や病人、貧した者達が虚ろに座り込んでいる。

  

 有り体に言えば、スラムに程近いだろう。前まで身を置いていた、アテラロア外の戦時スラムと、同じ雰囲気である。


「……っ」


 暴力的で退廃的なあの場所と似た空気。脳裏に蘇る嫌な記憶の数々が、ネレの足を竦ませた。

 

(お母さん……)


 父を目の前で失い、泣き腫らして涙さえ枯れていた時――。

 逃げ込んだスラムの嫌な臭いや怒号に心が削れる中、ネレはボソリと呟いてしまったのだ。

 

 “おなかがすいた”――と。


 ネレの呟きを聞いた母は、淡く微笑み「ちょっと二人で待っていて」と言って、丁度目の前にあるようなスラムの路地に消えていった。


 一時間か、それ以下だろう……やがて母は帰ってきた。

 変わらず母はいつもの安心できる、気丈な笑みを浮かべていたが、髪と服は乱れ、息は上がり、ほんの少しだけ妙な臭いがした。


 母は幾らかの金と、固いパンを持って帰ってきた。もう疾うに使い果たしていたハズの、金と食料を。

 一体どうやって、等とは聞けなかった。十といくつかになったばかりのネレだが、母が何をしたのかは察してしまっていたからだ。


 二人で分けて食べなさい。母の差し出した固いパンをコルトと共に食べながら、ネレはまた泣いた。


 足を負傷し痛みに耐える弟よりも先に、弱音を吐いてしまった事。

 それで母に無理を強いてしまった事。

 そんな生活が続いた結果、母が死んでしまった事。

 父も母も、葬儀はおろか埋葬さえ叶わず遺体を打ち捨てるしかなかった事。


 何もかもが、目を逸らしたくて堪らない記憶トラウマである。


「――どうしたんだ、ガキんちょ達」


 フラッシュバックがネレを竦ませていた時、それを断ち切るように男の声が響いた。

 見上げれば、そこには道端で商いをしていた者と思しき男がいた。


「あ、えっと――」


 気を取り直したネレは、男に天使院の事を訪ねようと口を開き――


「……ああ、あそこの連中か?」


 ――かけた所で、ネレが向けていた視線の先、スラムじみた路地に目をやって話し出す。


「あそこに燻っている連中はよ、みんな“天使院”に診て貰いたくて、余所から来た」


 男の言葉に、ネレはビクリと肩を震わせた。思わず握るコルトの手に力が入る。


「余所じゃドッカンドッカンと戦争してるんだろ? そのせいかあの手の連中が、前より増えてきてな。今もこうして“開門”を待ってるんだよ」


「かい、もん?」


 聞き慣れぬ言葉に問い返すと、男は怪訝な顔を隠さずに頷いた。


「見えるか、あのデカい建物。アレが天使院だ」


 男が指したのはネレが「天使院」だと考えた、街の中心に聳えるコロッセオじみた建物だ。

 やはりネレの見立ては正しかったようで、アレがそうらしい。


「天使院は七日に一度、門を開く。その時に施しを求める連中を受け入れ、代わりに前回受け入れた連中が出てくる――綺麗サッパリ治ってな。これを俺たちは“開門”つってんだ」


 施しを求める者達を受け入れ、また入れた者を外へ帰す。

 この一連のサイクルを「開門」と呼ぶらしい。

 

「七日に一度の開門を待って、ここの連中は蹲ってるってワケだ。怪しいし、臭いし病も持ってくるから嫌で仕方ないがな、酷いヤツらは“天使院”の連中が何とかするし、喧嘩や盗みも起きないよう、監視もしてくれてる」


 病人や怪我人を受け入れる「天使院」を中心とする街である以上、住民はその辺と折り合いをつけているらしい。曰く、天使院が最低限の衛生的対処は行っているので、大きな問題は起こっていないという。


「本音を言うと、もっとしっかりして欲しい所だがな。……ん? もしかしてお前らもその口か?」


 饒舌に語っていた男だが、コルトの足に気が付いて表情を怪訝に変え――やがてバツが悪そうに苦い笑いを浮かべた。


「……まあ、そういうワケだ。あぶれないよう、精々気を付けるんだぞ」


 そういうが早く、男は足早にその場を去り、道端にある己の露店に戻っていった。

 その背を見送りながら、ネレは男に聞いた事を脳裏で整理していた。


 七日に一度、天使院は門を開き患者を受け入れる。

 ならばネレ達は、その「機会」がいつ訪れるのか、把握しておく必要がある。


(あのおじさんにもう一回――あ、忙しそう……)


 もう一度男に聞こうと考えたネレだが、折悪く露店に客が多く詰めていた。アレを割ってまで尋ねるというのも具合が悪いし、礼代わりに何かを買えるような金も持っていなかった。


「とりあえず、天使院って所に行ってみよう」


「うん」


 それに、あの商人はどうにも「施しを受ける者」に含むところがあるようだった。それを押してまで行き、不興を買うのも考え物だ。

 ならば天使院に赴き、そこいらにいる者に尋ねれば済む話だ。それにネレ自身、件の施設の実態がどのようなモノなのか、少しでもいいので知っておきたかった。

 大切な弟が関わる事になるのだから、姉としては当然の判断だった。


 ネレはコルトを慮りながら、大通りを往きシャマインの中心に聳える天使院に歩き出す。

 一歩、二歩と近づく度にその威容が目に入る。


「大きいね……」


「うん。綺麗な建物」


 弟の素直な感想に、ネレもまた実直に応じる。

 いくつも連なるアーチ状の構造が優美に螺旋を描き、緩やかに円を塔のように聳えている。

 

 建物の規模自体は、帝都の有名なグラン・セレニア、ヴァナヘイムの大聖堂、或いはセフィラの塔などの三大建造物には及ばぬものの、十全に巨大で、少なくともネレは、このような大きな構造物を目にした事はなかった。


 近づくと、やがて入り口と思しき門が見えてくる。

 門自体も荘厳なレリーフが施されており、いっぱしの城門としても通じるような大きさだ。今は閉じているのだが、それが開く瞬間こそ、話に聞く「開門」なのだろうか。


「話、聞いてみよう」


「うん」


 建物にいつまでも見惚れているワケにもいかない。ネレは気を取り直して、周囲を見回す。手近に尋ねられるヒトが居ないかどうか――そう探していた時、


「――ですから、困るんですよ。“天使院”は、観光施設ではないので」


「なら、今ここで俺がケガしたら入れてくれるのか? 病院だか救貧院だか知らないが、弱った連中を大勢抱え込んでいるらしいな」


 聞こえてくる二つの声。

 一方は気弱。もう一方は冷たく平坦な割に、何故か強気で少しばかり――いやかなり傲慢な青年の声。

 ネレはそちらを向いて、弟の手を引きながら近づく。魔力で動く街灯の陰より聞こえるその声に、導かれるかの如く。


「いや、まあ、その――治療をお望みならそうしますが、“開門”を待って頂かないと」


「だったらその開門とやらがいつなのか教えろ」


 果たして、街灯の裏にいたのは二人の男。

 一人は聖職者然とした、ローブに身を包む男である。頭まで隠す白いフード付きローブを纏い、顔さえミステリアスなヴェールで覆っている。

 天使院に務める者なのだろうか。


 もう一方は酷く目立つ姿をしていた。


 鮮血のように紅い毛並みと、長いタテガミを備えた狼の獣人種。

 肉食系の獣人種は総じて体格に優れるが、男は別して屈強だった。

 筋骨隆々な巨躯は、造り物(・・・)であるかのように精緻な身躯を誇る。

 

 着ているのは皮のベストとゆったりしたズボン、そしてブーツ。後は旅塵除けのクロークに、腰に差した一本の長剣。

 威容とは裏腹に簡素な装いだ。察するに傭兵か何かなのだろうか。


「ええっと……前回が四日前なので、三日後――ですね」


 殺意さえ滲むほど、鋭い野生美を備えた狼に睨まれた職員は、怯んだ様子を見せつつもそう答えて見せた。


 アテラロアに絨毯を卸しに行く時でさえ見たことがないような、おっかない大男。


(あの人、こわっ――ん、でも、今の話……)


 触れるコルトの手に力が入る。怯えて当たり前なのだが――けれど二人の話に、聞き逃せぬものを見出し、ネレは反射的に前へ進んでいた。


 別にあの狼に話を聞く必要はない。

 そう己を奮わせるネレだが、狼の獣人種が鬱陶しそうに職員を「もう十分だ」と追い払ってしまう。

 僅かに絶望がネレを毀つ。

 今からでも職員らしきヒトを追いかけよう。――そんな風に考え始めた時、


「お、お姉ちゃん……!」


 狼の獣人種に怯えるコルトが細く引き留める。その声が、狼の注意を引いたらしい。彼の三角の耳がピクリと動き、うっそりとコチラへ向き直った。

 

「……あ? 何だ、お前」


 狼の大男の眼は鋭かった。宝石を思わせる真紅が、ただ残酷に冷徹に、ネレを見下ろしていた。

 竦むものを感じながらも、もう後には引けない。ネレは一握りの勇気をもって口を開く。


「あ、アタシは……ね、ネレって言います。あの、天使院に用があって――あなたの……名前は?」


 しどろもどろになってしまったネレが、仕舞いに口を衝いた質問は名前だった。

 アタシはなんてバカなんだ。後悔が過るネレだが、狼の大男は目を細めてコチラを見下ろし、すぐに口を開いた。


「俺の名は、る…………ヴェドだ。聞きたいのはそれだけか? ガキ共」

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