表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/181

143 恋慕の正体

連続投稿二話目です。

 長い、長い回想が、ようやく終わった。

 

「――そうして世界を滅ぼす必要が無くなった終末の獣は、主の命に従い元の石ころに回帰した」


 約束の花、ワカユキロウソウの花園。されど五百年前にあったモノではない。俺――いや、オリジナル・ルベドの記憶から再現されただけの情景。

 

 花園をゆったりと歩くと、白い花びらが散り温い風に乗って飛んでいく。宛ら雪の降る光景を、逆巻いたよう。


「あの時の俺はただの怪物だったからな。不完全……イルシアがアインとの約束とやらを果たす為、或いは己の妄執の為に……より完全な“最強”を求めるのは自然な事だった」


 俺の語りを聞くのは、俺によく似た紅い狼しかいない。

 あの頃、大帝国の魔人兵として全てを焼き尽くしていた時――黒く死臭の染みついた軍服を纏うルベドが、皮肉気な笑みを浮かべたまま、花園に生える木に背を預けている。


「アインに協力する過程で、イルシアはいくつもの試作を造り時折世界に解き放ったようだな。その頃の“俺”は唯の石だったから、よくは覚えていないんだが――」


 それでも、賢者の石が備える記憶機能が働き、研究室で小さいフラスコに入れられている情景が思い浮かぶ。

 イルシアが世界にバラまいた多くの「作品」――きっとその多くは、俺を造る為の試作だったのだろう。

 当たり前だな、テストモデルを用意するなど。


「やがて彼女は賢者の石の因子記憶機能と、魔力炉としての優秀さに目を付け――」


「――セフィロトを離れ、流浪の日々を過ごしながら構想を着実にし、あの森の中でお前を造った、というワケだな」


 俺の言葉をとって続けたオリジナル・ルベドに頷く。


「素体に選んだのがお前の……オリジナルの俺だったのは、賢者の石が最初に記憶した因子だったから、だろう」


 アーティファクト、〈賢者の石〉。

 その機能とは、主となった者の魔力と演算――つまり記憶を補助する究極の触媒。


 だがイルシアは、終末の獣を造る際に石の主を「ルベドの死体」にした。――正確には、終末の獣を造る際に、核となる肉体の魔力炉として使用した。


 いわば、フレッシュゴーレムの要領だ。

 材料を有機物で造るゴーレムをフレッシュゴーレムと呼称するが、あの時の俺はそれに近い状態になっていた。

 

 己で使う事を選ばず獣を造る為に用いたのは、イルシア自身が「石」を使ったところで、出来る事のたかが知れていたからだろう。


 誤算だったのは、「石」自身がルベドの死体を主と「選定」してしまった事。

 故に石の権能を使う為に、必ず「ルベド」を通さなければならなくなった。

 だから大元の素体、全ての変異の核――言わばバニラの状態が、今目の前にいるオリジナル・ルベド。

 全ての変異を抑え込んだ結果、コイツの姿瓜二つになるのも納得だ。何せ、戻っている(・・・・・)だけなのだから。


 現在の俺はそこから変異と肉体の再調整を施された状態――オリジナルより良い体格や魔眼、オル・トロスといった変異が基礎となるよう、イルシアがフォーマットを造った。

 終末の獣鋳造に用いた、製作者(イルシア)への服従という接点より、間接的に賢者の石に命令(プログラム)したのだろう。

 

「どこかで聞いたような話だな」


「……だが彼女にとってはそう問題でもなかったらしい。魔人兵ルベドの肉体は、複数の魔獣で強化された上質の素体。寧ろ設計コンセプトに一種の指針を与えたといっても良い」


 オリジナル・ルベドにそう言って見せれば、当の本人は肩を竦めた。

 

 賢者の石の記憶機能を用いた、変幻自在にして不死、異形の身躯を備える人型のキマイラ。

 そうして、俺は生まれた。正しくイルシアの最高傑作、ルベド・アルス=マグナとして。


「そう考えるなら、人格が俺に似ているのも納得だな。“わざわざ似せた”と、俺はお前に言ったが――」


「――そもそも賢者の石を造る際、最後に加わった魂はお前だ。その上大元の素体も、お前で出来ている。人格プログラムの破綻を恐れたイルシアが、今兵器として運用する分に不要な記憶――五百年前の下りを封じ、前世の記憶と大まかな人格の再現を行ったのも納得だな」


 魂と肉体にも拒絶反応がある。イルシアが大帝国自体、ホーエンハイムと共に研究していた〈転魂(ソウルシフト)〉技術のレポートにも、そう書かれていた。


 死者の肉体を核とした怪物に、その死者の魂で造った精髄を齎す。それでいて人格だけ伴わない――なれば、どんな拒絶反応を引き起こすか分からない。


 最初はきっと、そんな消極的判断だったのだろう。

 今となっては――どうだったのだろう。

 

「――俺の名は、ルベド・アルス=マグナだ」


「そうだな」


「――お前の名も、ルベド・アルス=マグナだ」


「……そうだな」


 秘めていたハズの考えが、目の前のルベドとの語らいで目を覚ましていく。

 押さえろと己に念じても、どうしたって口を衝く。


「……俺、俺っ――俺じゃなくて、彼女に求められていたのは――」


 いつになく震える視線が、ルベドを捉えた。

 彼は……笑う事もなくただ、俺を見つめ返していた。


「――お前、だったのか?」

 

 この身においてただ唯一誇れる事。

 この名前は絶対であり揺るがぬ宝であった。

 今の今までそうだった。だけれど、あの記憶の中彼女が愛していたのは――


「……俺は、お前じゃないっ。お前にはなれない」


「……そうだな。お前は俺じゃない。よく似た別人だ」


 俺が今まで手にしていたモノ。

 この刹那で全てを失ったモノ。

 今、喉から手が出る程欲しいモノ。


 それら全てを持つ狼は、俺を見て笑った。


 今までの表情とは違う。

 皮肉気な冷笑ではなく、慈悲や慈愛の一つでも見出せそうな、悪意も他意もない微笑。

  

 それがまた、俺を酷く惨めな気分にさせる。


「逆もそうだ。今わの際にお前が欲していた全て、俺は持ってしまっている。力も命も続きも――」


「……そうかもな」


 逆にオリジナルのルベドもまた、俺が持っているモノを欲していた。

 少なくとも死の際ではそうだった。


「お前は……俺を、恨んでないのか?」


 俺とオリジナルのルベドは、よく似た別人。

 成り代わった俺に思う所があって然るべきだろう。

 

「いや、何も」


 それでもオリジナルのルベドは、無いと言い切った。


「最初に言った通りだ、含む所は何もない。……今話している俺は、過去の魔人兵ルベドの記憶より再現された存在」


 オリジナルのルベドは木に寄り掛かっていた身体を起こし、花園をゆっくりと歩き出した。


「エリクシル・ドライヴの演算機能は桁外れだ。再現度は高いだろう。けれど所詮はエミュレーター、この俺が過去の俺と同義であると、言い切れるかは自身とて分からない」


「……」


「それでも――別に怨んでない」


 一切の衒いも無く、彼は告げた。そこには一種の親愛さえあった。

 何ひとつとして噓偽りはなかった。俺には理解できる。

 コイツは、コイツは――本当にただ、俺を……。

 気圧されたように俺の足は後ろへと。逆にオリジナルのルベドが距離を少しだけ詰めるように、ゆったり進む。

 

「お前が望んだから、持ち得る限りの真実を伝えた」


「……それはっ、そうだがっ……!」


 更に一歩、後退る。ルベドが二歩、俺へと進む。

 

「キショイ事言うようだがな、お前は四人目だ」


「四人目……」


「姉と兄にはよくしてもらった。なら続く弟にも、そうするのが筋ってモンだ」


「……」


 後退る事も出来ずに硬直した。だがルベドは更に詰める。彼我の距離は、もう数歩。

 心に触れるのが、怖い。触れられるのが、怖い。

 何も出来ないハズの過去の残影。悪意さえ無い影に、俺は……この世界で最も強いハズの俺は、怯えていた。


「だから、俺がお前に異を唱える事も、憎く思う事もない。お前の主は、最初からお前だ」


「……何が、言いたい」


 滑稽なほど震える声でそういえば、ルベドは更に踏み込んだ。紅い瞳はかつて俺と相対した者共に与えてきたように、酷い不吉を感じさせる。

 ……ゴクリと、飲み込む必要のない唾が通る。

 

「道具である事にお前が固執していたのは――分かっていたから、じゃないか?」


 何でもないように告げる声。だがその言葉が、俺の核心を貫こうとしている。


「……やめろ」


 否定が喉を震わせる。情けない程小さな声で。

 けれどルベドは止めない。その目と顔と態度に「お前の為だ」とでも言いたげな、無遠慮な雅量を滲ませて。


「道具は主を裏切れない。当たり前だな、当然の摂理だ。だからこそ、お前は常々それを課してきた」


 ……俺が己に課していた在り方。或いは言い聞かせていた事。

 道具は道具たれ。そうだ、その通り。道具は主に随い、そして遵えばいい。


「本当は気づいていたんだろう?」


「――やめろ」


 今度は強く、否定が喉を衝く。

 彼女への恋慕を自覚する度に、過って来ようとしたある「感情」――決して見ないように、知らないように、背けて来た。


 なのにどうして今更、過去の残影が暴こうとするのだ。

 呪いならもう、十分かけただろうに。


「お前は」


 やめてくれ。


「イルシアを」


 お願いだ――


「……やめて、くれっ」


 声は泣きそうなほどに震えていた。最強の兵器が感じ得なかったハズの感情が、俺を支配している。

 恐怖、恐怖だ。怖い、見るのが、向き合うのが。

 だから、やめてくれ。


 けれど、ルベドは口を開く。

 互いの視線を交錯するほど近くに、彼は指を上げて俺を指し捉えた。


「――――殺したいんだろう?」


 

 

 

 ……温い風が、止まった。

 ポトリ、ポトリと、空から降ってくる。

 雨ではなく、真っ赤に紅い血液が。

 真っ白だった花園を、赤く穢していく。

 完成の赤(ルベド)の名――その通りに。


「……俺には、イルシアしかいない」


 やはり、俺の声は震えていた。先ほどまでは違う、深く揺れるように。


「彼女は、よく笑う。俺が上手く敵を殺せた時、世話を焼く時、他愛もなくじゃれ合う時――」


 その笑みの尊く綺麗な横顔が、心に過る。

 俺を見上げて捉えてくれる顔は、いつだって笑っていてくれた。

 紛れもない、俺の宝だ。


「……だから、嫌なんだ」


 イルシアが他のナニカに微笑む瞬間が。

 

「イルシアが俺の全てだ。創られた存在にとって、創造主とは宇宙だ」


 イルシアとは俺の全て。

 俺の全てを占める存在。

 

「錬金術で成功して喜ぶ時、他の誰かと話して微笑む時、何でもいい」


 それらを目撃する度に、どうしようもない衝動が俺を搔き乱した。

 俺にはお前しか居ないのに、お前はどうして「俺だけ」を見てくれないのか。

 理不尽な衝動が、俺を貫くのだ。


「ああ……だったらいっそ、いっそ――」


 殺して、しまおうか。

 

 俺はイルシアの不死の源泉を知っている。

 いや、知ってしまった(・・・・・・・)

 

「きっと、笑ってくれるだろ? 確信があるんだ、俺のすることには笑ってくれる。だから今わの際にも、きっと俺に笑ってくれる」


 そしてもう彼女が「笑わない」のなら、最後に手にした俺の物になる。

 俺だけの、物だ。


「いつだか言ってくれた、“君が反旗を翻すとすれば、私が許せない時だけ。その時は大人しく君の手で殺されるとする”――だったら笑ってくれるだろ?」


 いつの間にか、恐怖は消えていた。

 声には確信さえ滲んでいた。

 そんな中、ルベドはただ黙って俺を見ていた。憐れむでも蔑むでもなく、ただ普通に。


「お前は、イルシアだけじゃない」


 八つ当たりじみた苛立ちが、込み上げて来た。

 平気な顔をして、俺が欲しい全てを持っていた俺に。


「ニグレドもアルベドも、お前の全てだ」


「そうだな」


「俺には、イルシアしかいない」


「……そうだな」


 ルベドは決して否定しなかった。俺の罪過も感情も、全てを受け止めるかのように。それが使命であるとでも言いたげに。


「俺を、止めないのか」


「ああ」


 制御機構による反逆防止措置など、今の俺なら容易く突破できる。

 賢者の石の主が俺であるなら、全ての能力が俺に帰属する。

 自己領域への命令で簡単に突破出来る。そうすれもう、俺を縛る鎖はない。

 

 だというのに、ルベドは止めない。


「お前達三人が……全てを賭して守ったイルシアを――俺は、殺すかもしれないんだぞ」


「イルシアを呪ったのは俺だ。結果、世界を滅ぼすべくお前が造られた」


 止める事もなく、ルベドは頷く。


「煩悶の根源は間違いなく俺だろう? 兄貴に出来るのは、お前の決断を尊重する事だけ」


 言って、ルベドは俺を見上げた。幾重のもの不吉を宿していたであろう紅い双眸は、俺への慈悲と、ある種の懐かしさを滲ませていた。

 記憶の中、ニグレドやアルベドが彼へと向けていたのと同じ顔。

 

 彼は確かに、俺を入れていた。彼自身の情景、その思い出の末席に。

 ……俺はコイツの、続く未来でさえ無いのに。


「死んで欲しくなかったから、あんな事を言った。おかげでイルシアは生きて、お前を愛する事が出来た」


「……」


 俺は、イルシアに愛されているのだろうか。

 俺自身を、愛してくれているのだろうか。

 魔人兵ルベド・アルス=マグナではなく――合成魔獣(キマイラ)のルベド・アルス=マグナを。


「だが、あの日――イルシアは呪いを交えてお前を、獣を創った」


 ルベドの言葉より、その情景を思い起こす。

 全部、殺してくれ。そう願われて、俺は創られた。


「俺が彼女に与えた呪いは祝福へ転じた。ならイルシアがお前に授けた呪いにも、結末があるべきだ」


「……それは、俺がイルシアを……どうしたっていいと?」


「……願う事なら、イルシアにもお前にも幸があって欲しい。だが、全てを失ったイルシアに、また全てを与えたお前。……そのお前に、報奨が無いのは理不尽だ」


 言ってルベドは俺から離れ、血に濡れたワカユキロウソウの花園を歩き始めた。


「好きにしたらいい。いずれは向き合っていた矛盾だろう? なら、その螺旋が行き着く先……決められる内に、定めたらいい」


 お前の主は、お前だ。


 ルベドはそういって、少しずつ離れていく。花園の情景、遠い背景へと。


 俺が過去の事を知りたいと願い、結果コイツが全てを示した。

 彼はそのためだけに、俺の為だけに現れたのだろうか。本当に――続きはいらないのだろうか。


 或いは――イルシアの為を思うなら、譲るべきなんじゃないだろうか。彼女を、殺めぬ内に。


「……待てっ」


 道具たれ、徹してきた信念がそのような疑問と共に停止を口ずさむ。

 ルベドは止まり、そして振り返った。その顔に、会った時と同じ皮肉気な笑みを張り付けて。


「無理だぞ。俺はお前の一部だ。記憶の再現、人格のエミュレート……お前の代わりは、どこにもいない」


 口にしようとした事を先回られて、俺は僅かに口ごもり、悩み、だが再び、


「……俺をニセモノと言っただろう。その通りだ、お前みたいにはなれない。彼女がお前の再生を望んで俺を創ったのなら――」


 変わった方が、彼女の為だ。

 そう口に仕切る前に、ルベドは首を振った。


「俺のニセモノにしかなれないなら、お前はお前になるといい。お前には、その義務がある」


 ――どこまでも、悪意が無かった。

 いっそ苛立つくらい、コイツは俺を「弟」と見定めていた。

 

 先に待っているのが俺の忠義か殺意か、二つに一つ。

 それでも俺に委ねると、そう言っている。


「疾うに退場した影だ、出張るなんて無粋だろ」


「……割には、主張が激しいじゃないか」


「ははっ、そうかもな。いやなに、調子が戻ってきたみたいじゃないか。皮肉屋で冷笑的、そのくらいのがふてぶてしくて良い」


 いつになく快活に笑うオリジナルのルベド。思わず僅かな毒気さえ抜かれてしまう。

 もう言い募るべきことなど無かった。


「……最後に、お前を殺した光の槍。あれはなんだ?」


 記憶の中、大帝国脱出の折にルベドが受けた光の攻撃。

 あれによって受けた傷が原因で、オリジナルのルベドは死亡した。

 記憶を見ている中、何故か俺はあの槍に覚えがあった気がしたのだ。


「さあ、お前が知らない事を俺が知ると思うか?」


 されどルベドは知らぬという。

 事実彼の言う通りだ。所詮は再現、大元の俺が記憶しないモノを、話せるハズもなし。

 

「まあ、いずれ機会もあるんじゃないか? 適当な返事しかできなくて悪いが」


「……いや、いい。十分だ」


 そう言葉を結べば、既に血の雨は止んでいた。代わりに風が強く吹き、赤と白の花吹雪が、光に変じて辺りを染め上げていく。

 スリーブモードが終わって目を覚まそうとしているのだろう。


「じゃあな、ルベド・アルス=マグナ。もう会う事もないだろうが――」


 別れの言葉に詰まり、オリジナルのルベドはしばし考え込んで、


「――良い最後を選ぶといい。俺はそうした」


 言い切って、彼は光に消えた。

 

 ありがとう、それともふざけるな、だろうか。

 感謝も憎みも口にする間も無く、長くて短い眠りから覚めようとしていた――。








 ――急速に、感覚が戻っていく。

 目を開けば、そこはやはり培養槽の中。暖かで緩やかな魔力液に包まれた、安息のフラスコ。

 奥には相も変わらず整理のなっていない研究室が広がり、ガラス越しの風景には、いつものようにイルシアがいた。

 

「……」

 

 彼女はひどく微妙な顔をしていた。悲しみとも迷いとも、喜びともとれる曖昧な感情。

 やがてイルシアは意を決したように機材を操作する。

 培養槽の魔力液が排出され、ガラスの扉が開いて解放される。

 

 ペタリ、濡れたままの素足を踏み出して外へ出る。そう時間は立っていないハズなのに、随分と久しぶりに空気に触れた気がした。

 何故かいつもより、心地よかった。


「約束通り、早く起こしてくれたみたいだな。いや、皮肉じゃないぞ」


 一先ずイルシアに挨拶代わりにそういえば、彼女は曖昧に微笑んだ後、顔を落として考え込む。

 先を促すことも出来たが、何もせず俺は黙って続きを待った。そうした方がいいと思ったから。


「その……ルベド」


 モジモジと迷っていたイルシアが、意を決したように口を開く。

 

「なんだ、イルシア」


 俺を呼ぶイルシアに、いつものように返事を飛ばす。

 イルシアは顔を上げて、迷ったように口を開いた。


「……私は君に……その――」


 だがそれでも、イルシアは曖昧な事しか言えずにいた。

 どうすれば弁解が出来るか――そんな雰囲気ではない。

 ただ俺を慮っているそれだけだった。

 ひたすらに傷付けたくないという想念が、渦を成しているようですらある。

 

 十分だ、勿体無いくらいに。


「――イルシア」


 口ごもる彼女の名を呼んで、止める。

 止まった瞬間、俺は濡れたままの腕で彼女を抱き寄せた。

 

「っ!?」


 驚愕と共に硬直し、やがて力が抜ける。

 白衣越しに伝わる彼女の身体は温かく、頼りない程細く柔らかい。

 

「俺には、言いたい事だけを言えばいい。真意を隠すも晒すも、お前の自由だ」


 なるだけ真摯に、優しくを努めて口にする言葉。彼女のみを肯定し、彼女のみを顧慮する言葉。

 腕の中で、俺より遥かに小さな錬金術師が震えた。迷ったように腕を彷徨わせ、やがて彼女は俺を抱き返した。


「けれど……それでは……」


「お前とホーエンハイムは違う。何も……そう、何も気に病む必要はない。俺の前で、時折バカをやってくれればそれでいい」


 少なくとも今までは、それで充分であった。

 感じる温もりの裏に、もはや秘める事が叶わなくなりつつある衝動。

 気づかぬふりをして、イルシアを肯定した。


「ルベド……」


 馴染んだ名前が、腕の中から聞こえる。その言葉には万感の想いが乗っているのだろう。


「分かった……分かったよ。ありがとう」


 やがて彼女は、それらを受け入れた。

 そう、イルシアが苦痛を感じる必要はない。

 俺を、俺自身を見てくれている、その実感はあった。ならば十分。

 

 ――今の、ところは。


「フニャー……オハヨー、オハヨー」


「ウニャ……オイラ、トッテモ良ク寝レタゾ」


 イルシアを腕から離した瞬間、俺の尻尾であるオル・トロスが目を覚ました。クリクリとした目を眠そうに瞬き、シュルシュルと近づいてくる。


「ルベド、イルシア、オハヨー、オハヨー!」


「何ダカ、久シブリダナ気ガスルゾ!」


 俺とイルシアに気が付いたオル・トロスは、相も変わらず喧しく騒ぎ立ててくる。寝起きだってのにこの調子だ。本当に性根がガキなのだろう。


「ああ……おはよう、オル、トロス」


「煩いから騒ぐなよ。寝起きなんだから」


 淡い笑みを浮かべてオルとトロスを撫でるイルシアを尻目に、俺はいつものように魔装を起動して服を纏う。

 

「? ルベド、ルベド、何カ有ッタ? 何カ有ッタ?」


 イルシアにじゃらされている双子を眺めていると、オルの方が俺を見つめて首を傾げた。ついで心配そうに目を瞬くと、シュルシュルと顔の傍まで近寄り、頭を擦り付けてくる。

 

 ……生意気なヤツだな。いつだか俺が不安になった時も、コイツらは察していた。

 流石は……同居人だな。


「別に、何も。それより……飯でも食うか?」


 いつだかとは違って、それでも気は紛れなかった。その事から目を背けるように提案すれば、


「ゴハン! ゴハン! ボク食ベタイ! 食ベタイ!」


「オイラモ! 飯食イタイゾ!」


 一転して飯を食いたいと、主張の激しいシュプレヒコールを繰り返し出す蛇達。

 甲高い声の合唱を聞いたイルシアは、淡い笑みを打ち切りクスリと微笑んだ。


「私も、朝食が食べたいかな。ルベド、頼めるかい?」


「ああ、任せろ。大人しく食堂で待ってろよイルシア」


 そういって、俺はいつもの日常に戻っていく。

 蛇達が「食べたい食べたい」と可愛らしく叫ぶ中、俺の思考は静かに沈んでいく。

 

 イルシアを愛する俺。

 イルシアを殺したい俺。

 

 この矛盾が行き着く先を決めろ、オリジナルのルベドはそういった。

 俺の矛盾はまたしても万理を毀つ炎となるのだろう。そうなる前に、確かに決めねばならない。


 きっと二度目は、世界なんて残らないだろうから。

これにて五章終了です。

執筆途中どうにもならず筆をおいてしまった時期がありましたが、どうにか此処まで漕ぎ着けました。

復帰の折には温かい応援もいただき、私としても感謝の念に堪えません。

次は六章となります。五章の様に詰まったりしないよう、出来るだけストックを溜めてから投稿する形となります。

今後も拙作「外道錬金術師作、キマイラです」を宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ