141 ――俺はお前に到る
「――ベド、ルベドッ」
意識が、飛んでいた。
何が、起こった?
「――アルベド、ここはワタシが!」
未だ霞む意識と視界とが、周囲の状況を捉え始めた。
燃えて爆ぜる街がすぐそばの門から見える。
周りには――人。或いは、ヒトの死体。見れば、門の入り口からここまで、ベッタリと血が道のように刻まれている。
……俺の、血だ。
「ゲホッ……クソが。んだよ、あれ」
胸にデカい穴が開いた痛みが、今になって現実感を伴い、吐血と共に込み上げてくる。
「ルベド、目を覚ましたんですね……!」
すぐ隣でアルベドの声が響く。俺はアルベドの肩を借り、殆ど引き摺られるようにして南門から、帝都の外まで移動したらしい。移動距離を見るに、気を失っていたのはごく短い間のようだ。
「一体は弱っているぞ!」
「攻めろ、ヤツの魔力も無限ではない!」
そして周囲、俺たちを取り囲む多数の兵士。大勢の魔導兵に諜報局の執行部隊。
魔法局で殺した奴、そして街で仕留めた連中が全員じゃあ無かったワケだ。
そしてその大勢を相手に、ニグレドは一人で大立ち回りしている。手には執行部隊の一員から奪ったであろう魔力剣――。
……俺を攻撃したのは――どいつだ?
警告しないと、三人が危険だ。
痛みと思うように動かぬ身体、それに酷い出血でボヤける頭に活を入れ、俺は気怠い口を開いた。
「おれを……やった、ヤツ――」
「――分かっています。あの光の槍は、初撃以降ありません」
だから喋らないで。俺の事を慮ってくれるアルベドは、そう締めた。
どういう事だ。俺が持ち得る最高硬度の〈絶対防御〉を容易く貫くあの攻撃を、撃たない理由がない。
使い切りの魔導兵器か、それとも何らかの術式、魔導具の制約か――いや、そんな事を考えるよりも、
「なお、さねぇと」
胸に空いた大穴を治療しないと死ぬ。未だ鮮血を溢れさせる胸に手を当て、治癒魔法を起動――術式が発動し淡い魔力が発露する……が、
「な、治らな、っい……」
何かが……術式を阻害している。そのせいで傷が一切治らない。
効果を発揮しない治癒魔法に歯噛みしていると、コチラを見据える大帝国の魔導兵。
「死ね魔人っ!」
雑言と共に魔導兵から放たれた炎。元素系統の攻撃魔法だ。
防がないと――俺が気怠い手を上げ切って術式を紡ぐより先に、
「させ、ないっ!」
決然とした言葉と声音、そこにいくらかの疲労を交えたイルシアが防御魔法を展開。魔力で編まれた障壁が素早く広がり、魔の炎を弾いて消し去った。
「イル、シア……」
我ながら嗤えるほどか細い声で彼女の名を呼ぶ。俺が不甲斐なく気を失っている間、彼女が守ってくれていたのだ。
イルシアは俺の方を見る事も無く、眼鏡に遠景の炎と敵を写しながら、額の汗を雑に拭った。
「治癒魔法が効かないのだろう?! 分かっているとも、試したからね!」
俺たちに向かって攻撃した魔導兵を、ニグレドが踊るように斬殺――だが空いた射線を通すように魔導仕掛けの機関銃の掃射。
またしてもイルシアが防御魔法を展開し防ぐ。彼女は歯を食いしばって術式を維持しながら、視線を俺の方へ向けた。
「時空魔法だ! 負傷の停滞――私には出来ないが、君なら!」
普段の様子とは似つかぬほどの機敏な物言いに、俺ははっとする。
言われるまで思い至らなかった。でなければこのまま失血死する羽目になる所だ。
粗忽さに歯噛みしながら、術式を起動――
「――“刹那の境涯、因果の”――ゲホッ……クソがっ――“間隙。倣う振り子に……指を鎖す”――〈時流停滞〉……っ」
思うように動かない身体が酷くうっとうしい。時折咳き込み途絶え途絶えになりつつも、時空系統第十一位階〈時流停滞〉……本来の用途とはズレているが、アリス戦でも用いた、単一対象の時間を止める魔法だ。
今回もまた、本来の術式に改訂を加えて用いている。俺の一部分――つまり負傷箇所である胸部に部分的に施して、無理矢理にダメージを軽減する。
「ハァ、ハァ、クソ、が」
イルシアの見立ては正しいようで、上手く出血は止まった。
それでも肉体が負ったダメージが消えたワケではない。胸には未だ負傷が残っている。これ以上酷くならぬよう、ストッパーが掛かったというだけ。
……それも、いつまで持つか分からないが。
仕方なかったとはいえ、派手に魔法を使ったのが原因だろう。思うほど、魔力に残量がない。
これだけの高位魔法を維持するには――正味心許ない。
「血が止まったっ……!」
俺の間近にいるアルベドが喜色を込めた反応をするが、すぐに険しい顔になって前を見据えた。何も状況が好転しているワケでは無い事を、否応なく思い出したのだろう。
俺もニグレドも、或いはアルベドも――もう何人の大帝国兵を殺したか分からないくらいだ。
それでも奴らの兵力は未だ尽きない。完全な消耗戦――そして消耗戦において、俺たちに勝ち目はない。
まだ魔力に余裕がある段階で、核熱術式の一つでもぶち込んでやれば、或いは変わっていたかも知れない。
だが都市内に自分達がいる状態でそんな真似、手の込んだ自殺に他ならない。所詮は叶う事無き前提の、たられば。
「――クソ、が。もう、負けの思考かよ」
過りかけた終滅の予感。それを叱咤する様に、たどたどしい言葉で断ち切った。
残った魔力で全員ぶっ飛ばして逃げ切ればいいだけの話だ。
――出来るかどうかは、また別。
ああ、クソ。こんなことばかりが過りやがる。
「はぁぁぁぁぁ!!」
胸中の暗雲を引き裂くような、裂帛の気合。――ニグレドだ。
圧倒的な衝撃さえ伴う、大上段からの斬り下ろしが兵士共を数十人纏めて斬殺。
執行部隊の一人の魔力剣を返す刀で切り落とし、展開した〈魔導重鎧〉の障壁を、斬撃で強引に裂いて殺害。
「あそこ、車!」
瞬く間に包囲を切り裂いたニグレドは、魔力剣で開かれた先を指した。
そこには街道を封鎖するように停められている魔導式装甲車。
アレを乗っ取って逃げろってワケか。確かに一番まともそうな手段ではある。
「行って!」
再び執行部隊を切り捨てたニグレドの言葉に、弾かれたように俺たちは車へと向かう。
「行かせるなっ、奴らの狙いは――ぐあっ!?」
止めようとした男をアルベドが流れるように射撃、心臓を撃ち抜き殺害。俺に肩を貸したまま、敵には目もくれずに。
「攻撃は私がっ!」
負傷のせいで肩を貸してもらっている俺はどうしたって足を遅くしてしまう。その隙はイルシアが防御術式で防いでくれている。
クソ、おんぶにだっこじゃないか。
忸怩たるものを感じていると、アルベドが再び銃を構え数度射撃。装甲車を動かそうとする兵士らを殺害。
「ルベド!」
死体を蹴り退かし、後部座席の扉を開けたアルベドに言われて俺は倒れるように乗り込んだ。
運転席にアルベド、そして俺を介抱する様にイルシアが乗り込み、外で今だ戦うニグレドへと視線が行く。
「ニグレドっ!」
叫ぶアルベド。驚くべき事に周囲の敵を粗方倒したニグレドは、肩で息をしながら、尚も帝都の方を見つめていた。
アレだけ派手に燃やした帝都の街は、少しずつだが火が消え始めている。おまけに俺たちを追撃すべくか、物々しい戦車や軍用の車両で身を鎧った歩兵の一団が見え始めている。
「行って」
その先を見据えながら、ニグレドは告げる。
一言、先と変わらぬ――しかして一種の覚悟を孕んだ言の葉を、決然と。
その態度、言葉、表情が意味するモノを察して、俺は目を見開く。
「ニグレド――っ!」
彼女の意図を察した俺の声が、苦く絞り出すように発せられたのは、きっと負傷のせいではなかろう。
魔力剣を構えて迎え撃つ様相を見せるニグレド。彼女がやろうとしているのは、つまり殿――俺たちを逃がす為に敵を食い止めようとしている。
先ほど脳裏に弄ぶように過った言葉遊び。
いつだって傾かぬ天秤の方を殺し、そして俺の秤は傾く事は無いと。
なら、今はどうだ?!
今この秤にはニグレドの命と、アルベドとイルシアが乗っている。
確かに、このまま大帝国に追われ続けるとなれば、俺たちは確実に死ぬ。特に負傷して足の遅い俺がいる以上、逃げ切るのさえ難しい。
だがあれほどの数を捌くことなど不可能だ。そうなれば取るべき手段はひとつ。
――誰かが殿となって、死を前提とした時間稼ぎに身を投じる。
その役目を、ニグレドは――ただ当たり前のように足を踏み出し受け入れようとしている。
何を犠牲にしようが、俺が唯一守りたかった姉弟の片割れが……。
認められない。認めるワケにはいかない!
自分達以外の全てを踏み躙ってまで取りこぼしたくなかった者。それがニグレドとアルベド。
あの日の歌劇場で、この世界もまた嫌な場所と変わらない……そう理解した時より、ただ一つ誓ったのがニグレドとアルベドの命、その護りである。
「……大丈夫」
唐突に突きつけられた現実と理想の煩悶を切るように、ニグレドは振り返った。
燃え燻る帝都を背景に、その黒い少女はただ美しく、いつもの通りに、太陽の如く微笑んだ。
「ワタシ、お姉ちゃんだから」
そこには一切の衒いがなかった。ただ当たり前に、必然としてそこに存在していた。
黒い少女は剣を携え静かに構える。見据える先には鉄と魔導の兵団。それ以上語る事は無いとでも言いたげに、振り返る事もなく。
「ま、待てっ! 彼女を置いていくワケには――」
脱いだ白衣を俺の傷口に当て、縛るイルシアが目を見開いて振り返る。
当たり前だ、認められるワケがない。
「ニグ、レド……!」
言う事を効かぬ身体を無理に起こし、ロクに声さえ出ない声帯を震わせて馴染みある姉の名を呼ぶ。
どうか、死なないでくれ。死ぬような真似をしないでくれ。
……思いを込めた言の葉に、果たしてどれほどの意味があろうか。
多くを呪い燃やし殺してきた俺の呪文とは異なり、これには魔力さえ籠っていないのに。
「行って!」
三度、同じ言葉。内容も当然変わらず拒絶じみた促し。だが先ほどまでとは違い、声にはいっそ怒りさえ籠っていた。
やがてニグレドは剣を構えて、迎え撃つまでもなく機械の兵団に突っ込んでいく。
「ニグレドっ……!」
悲痛の声を上げたのは誰だったか。
今や彼女の姿はよく見えず、銃弾と砲弾と魔術が吹き荒れる戦場を、踊るように駆ける魔力剣の残光のみが、ニグレドの証明。
「ニグレド……くっ!」
瞬く間に怒号渦巻く戦場と逆戻りした門前を見て、アルベドは欠けんばかりに歯噛みした。彼は何度か俺やイルシア、そしてニグレドの方を見るが、やがて諦めたように前を見据えて装甲車のエンジンを掛ける。
それが意味する事を察し、俺の中に恐怖にも似た感情の激流が生じた。
「アルベド、お前っ……ニグ、レドがっ……」
「……っ」
感情のままにアルベドを呼ぶ。翻意を促し、今からでも助けに行くべきであると。
いや、俺一人でも行ってやる。灼け付くような心が動かすままに身体を起こそうとして――もうロクに動かぬ肉体が、無情に現実を突きつけてくる。
「やめるんだルベド! その身体では……」
「……クソ、クソ、クソっ」
既に装甲車は動いて街道を走っていた。もう門前の喧噪さえ遠くなりつつある。
俺だって分かっている。だからアルベドもイルシアも理解しているのだろう。
これが最善であると。ニグレドではないにしろ、誰かが時間稼ぎに徹しなければ不味い状況だったのは、事実なのだから。
だが……元を糺せば、俺が不意の一撃を喰らったせいだ。
俺の――せいだ。
「大丈夫、大丈夫です」
沈みかけた心を引き戻すように、アルベドの声が車内に響く。その声が震えているのは、或いはハンドルを握る手が強張っているのは、慣れぬ運転のせいではないだろう。
「ニグレドは、強いですよ。ルベドも知っての通り。だから大丈夫です」
アルベドの言葉は自分に言い聞かせるようであった。彼自身、どれほど信じているかといった有様である。
ニグレドは魔力による肉体強化を主として戦う。だがこの連続戦闘で俺と同じく、大部分を消耗しているハズだ。
彼女が強いのは無論承知している。それでも大帝国軍相手に、消耗状態で殿を務める行為が、死出の旅路に他ならぬ事など――誰にだって分かる。
「そう、だね。彼女は強い……ああ、強い……」
追従するイルシアもまた、ひたすらに信じ込もうとするように呟いた。
車内に響く言葉はそれだけで、まるで祈りの誓言。
何処よりも厳格な静粛が保たれたそこは、相まって教会のように感じられた。
「――治らない」
……少しの間、意識が飛び掛けていた。それを引き戻したのは、イルシアの深刻そうな声。
「どうにかならないのですか、マスター?」
「ダメだ。ルベドの傷は一種の呪いだ」
イルシアの声で、会話の内容を理解した。
俺の傷、胸に空いた穴。あの光の槍で与えられた傷は、大陸一の錬金術師と言えど易くどうにか出来るモノではないらしい。
「治癒の阻害、或いは否定……? 普通じゃ考えられないくらい強度が高い……! 無属系統の治癒魔法も、神聖魔法も一切効果無し。可能性があるとすれば、外科手術で物理的に塞ぐだけ――」
曰く魔法では治せないから、物理的に塞ぐしかないらしい。
手術か。治るのだろうか。
我ながら驚くほどアッサリした感想だ。
痛みとさっきまでの出血でボンヤリした頭は、ニグレドとの惜別のせいで減退の霧が掛かっているように感じられる。
それのせいだろう、己の事だというのにどうでもよい様に感じてしまう。
「ここで出来ますか?」
「機材さえあれば……できれば場所も整えたい。隠れ家につけば――」
「分かりました、急ぎます」
「頼む。正直かなり危ない」
アルベドとイルシアはそう会話すると、車の速度がまた少し上がった。
振動が胸に響く。朦朧とした意識のせいで、展開している時空魔法が切れそうだ。もう術式を維持するだけの集中力や魔力さえ、欠こうとしていた。
「ハァ……はーっ……」
声は酷く荒い。ああクソ、まるで死に掛けの病人だ。
情けない、何と情けないのだろう。これが魔人と呼ばれた者のザマとは。
久しかったハズの無力感が、静かに俺を打ちのめす。胸の痛みと寂寥が入り混じって、肉体と精神の苦痛が混在していく。
ああ、嗚呼……力が、力が欲しいな。
全てを撃滅するに足る異能が。
尽きぬ無限の力が。
決して届かぬ最強、不死にして不滅の肉体が。
そうであったなら、無様は晒さなかったろうに。
そうであれば、ニグレドを置いていくなんて真似はしなかっただろうに。
俺に力を与えてくれたイルシアへの恨み言に成りかねないと分かっていても、思わずにはいられなかった。そしてそれに気づいて、己の愚かさと強欲さ、驕慢にまたぞろ失望を抱く。
「大丈夫、大丈夫……大丈夫だ」
白衣で俺の傷を縛って応急処置をしたイルシアが、小さく「大丈夫」と呟き続けた。呪文にも似て、言い聞かせるように。
……しばらくして、またしても気が遠のき始めた折、
「着きました!」
アルベドが叫び、車が停止した。ガコンと車内が揺れ、傷口が嫌に響く。
「此処からは森、仕方がないが徒歩だね……」
俺たちが使っていた隠れ家は、郊外の森の中にある。当然だが車両が通れるような道はない。
俺に肩を貸して起き上がらせるイルシアが、苦々しく呟くのを聞いて、隠れ家に辿り着くまで足と体力が持つか、酷く心配になってきた。
「済まないがもう暫く頑張ってくれ、ルベド」
「………余計な、心配だ。まだ、動けっ……る」
――けれど俺にとって、本心とは隠すモノだ。取り分け強がりたい時は。
己自身感じていた不安を言葉の虚勢で打ち消して、イルシアの肩を借り車内から出る。
「ハァ、ハァ、ハーッ……」
少し動いただけで息が上がってこのザマだ。当たり前か、胸に穴が開いているのだ。
……心臓は辛うじて避けているが、血管は傷ついているし、片肺が危うい。魔人兵がどれほど強かろうと、人という但し書きがついてしまっている以上、間違いなく致命的な負傷。
寧ろまだ生きている事こそ、魔人兵としての肉体能力の賜物だろう。
「大丈夫、さあ肩に」
イルシアの肩に掴まり、俺はゆっくりと森へと歩き出す。
横では運転席から降りて来たアルベドも拳銃を携えつつ、俺に肩を貸してくれた。
二人に肩を貸されながら、俺たちはあの隠れ家に向かう。
「大丈夫、すぐにつきます」
森の入り口に差し掛かろうといった所で、アルベドが慰めるように言った。
思えばいつも俺を慮ってくれる兄だ。ニグレドの事が響いているのは、彼とて同じであろう、だというのに。
何か気の利いた事を返そうとして、口を開きかけた時――
「ぁあ……?」
ダズン、と重々しい音と共にアルベドの半身が消し飛んだ。
鮮血と肉が舞う。
彼に肩を貸されていた俺は、その様を間近で見ていた。見ている事しかできなかった。
一拍遅れて、酷く遠くで破裂音のようなモノが聞こえてくる。同時にアルベドだったものは倒れ込み、夥しい血の中に肉塊となって沈んだ。
「あ、ぁ、あ――?」
思考が凍り付き、全てが白く染まった。
何が起こったのか脳が理解を拒む。
だが現実は確かに、そこへと歴然と存在していた。否が応でも突きつけて来た。
「あ、るべど……?!」
遅れて、イルシアが呻いた。俺と同じように、受け入れるのを拒絶したように。
彼女の呆然とした反応が、逆に俺を強制的に引き戻す。
「――狙撃、だっ!」
上手く回らぬ口と呼吸の苦しい肺を無理矢理に絞って叫ぶ。
「ッ!」
目を見開いたイルシアが、弾かれたように動き出す。彼女に合わせるように、俺も上手く動かぬ身体を引きずって森に逃げ込もうとして――
「が――っ!」
ダズン、二発目。木陰が俺たちを覆い隠す寸前に、遥か遠方から放たれた致死の魔弾が俺の右足を抉った。
衝撃によって弾かれたようにつんのめる。右足は無垢な子供が人形をバラすように、無残に千切れていた。
「ルベドッ!」
転んだ俺を起こすイルシアの肩に再び掴まり、森の奥へ進む。片足を引きずって必死に、逃げるように。
どこもかしこも身体が痛む。失った右足の粗雑な断面から出る血液が、足跡より尚鮮やかな痕跡を残している。急速に失っていく血液が、俺の肉体から瞬く間に生気を奪っていく――。
ああ、これはもう、ダメだな……俺は死ぬ。
「ハァ、ハァ……着弾して……発砲音。超……長距離の……対物……ライフルっ……」
「喋っては……喋っては……っ!」
諦めが、諦観が、勝手に言葉を紡いでいく。何を言ったところで現実は変わらないが、それでも俺の口は止まらない。
「……当たり前っ、だなっ。ははっ……あの、陰険……クソ野郎がっ……隠れ家を……軍部に……言ってない、ハズっ……」
軍を展開するのに不適格な場所ならば、狙撃兵に見張らせるくらいワケないだろう。考えてみれば当たり前だ。
だからといって、物資も逃走手段も乏しい状態で逃げるのは不可能だ。つまり――初めから、俺たちは詰んでいた。
如何に強かろうと国家に敵うハズもない。人造の英雄、魔人兵といえど――このザマか。
「傷に障るっ……頼む、もう少しなんだっ……だから――」
イルシアは必死に俺を支えて前を進む。後少し、彼女はそういうが隠れ家までは未だ距離がある。
それでもイルシアは諦めない。彼女が鼓舞の続きを紡ぐより前に、
「――がはっ」
――時空魔法で止めていた胸の傷が再び開く。酷い倦怠感が肉体を襲い、指一本動かす事さえ億劫に感じ始めた。
……魔力切れだ。もう、止血することさえ出来ない。
歩く為の体力さえ失い切り、俺はその場に頽れた。
「ルベドっ……」
「げほっ……はーっ、はは、ここまで、だな」
転落するような、呆気の無い最後だ。
泣き出しそうな顔のイルシアは、自分が血液に濡れる事も厭わず俺を抱き上げ、木を背にするように移動させた。
……身体が指先から冷たくなっていく。そんな中、彼女のぬくもりは驚くほどに心地よかった。
「ここで、ここで待っていてくれ……っ。すぐに道具を――」
「――いい、もう……いい。どうせ、間に合わ、ない」
外科手術の為の道具を取りに行こうとするイルシア。俺は彼女の手を制止と共に引いた。
どう考えても間に合わない。仮に間に合ったとて、施術に耐える体力もない。
きっとそれは、大陸一の錬金術師のイルシアは理解していたハズだ。
それに…………独りで死にたくは、無かった。
イルシアがハッと息を呑むのが伝わってくる。その後、彼女はひどく泣き出しそうな顔をして、俺の手を握り返した。
「済まない……すまないっ……私は、何も――」
もう誰のかも分からない血で濡れた眼鏡の奥、透き通るように綺麗な碧眼が、涙で揺れている。
両の手で俺の手を固く握るイルシアの体温さえ、徐々に分からなくなっていく。
ああ、少し……寒い。
「イル、シア……」
「っ、なんだいっ……?」
死にたく、ない。
実感が、死への恐怖の実感がわき上がってくる。
情けなさと滑稽さで、笑い声さえ出て来そうだ。
だって、この世界に再び生を受けたあの時は……あんなにも死にたがっていた。
前の世界、灰と汚辱と絶望に塗れた場所で一度目を経験する時でさえ、安堵はあれど恐怖など感じなかったというのに。
「おれ……俺、たちには……価値、があった、か?」
「……っ」
「教えて……くれ。イル、シア、おまえには……ぜんぶ、あった……でも、おれ、たちに……ぜんぶ、うしなっ、た。捨てる、べき道具、に、でも、見捨てないで、くれ、た。その、価値は……」
ニグレドの犠牲。
アルベドの死。
そして……これから訪れるだろう、俺自身の終滅。
それらを前にして、ただ認めたかった。俺たちの価値を、もっとも正しく定めるであろう、彼女の言葉で――。
俺のたどたどしい声に、イルシアはしばらく俯いた後……くしゃくしゃにした顔を引き攣った笑みに変えて精一杯、
「ああ、ああっ! 勿論、勿論だとも! だから道具などと、言わないでおくれ。最後に気づけたのに、私は結局何ひとつとして、君達に返せなかった――」
全霊の肯定と共に、イルシアは俺を抱きしめた。
温かい、気がする。彼女が傍にいてくれて、肯定してくれて――嬉しかった。
報われた気はしない。けれど、救われた気はした。
………ああ、俺は、イルシアを――彼女を、好いている。
きっとこの瞬間に、恋慕した。
血に濡れた彼女はどこまでも美しく、ただ優しい。
これは死の間際に見せた、感情の倒錯であったろうか。
「そう、か」
それでも……あの二人を愛するのとは違うこの感情は、とても心地よかった。
「ごめん、ごめんっ、ごめんっ……! うぅっ――」
抱き締めながら泣く彼女の顔は、少しずつ絶望へ落ちていく。
視界が色を失っていく。思考が酷く鈍っていく。
死が急速に迫ってくるのが分かる。あの時感じたのと同じ、二度目の終わり。
その中にあって尚、俺の胸中にあるのは傍で泣きじゃくる錬金術師の事。
彼女に生きていてほしい。死なないで欲しい。
彼女への恋慕と共に、死の畏れは少し和らいで、代わりに芽生えた感情。
俺が死んだら、イルシアはどうなるだろうか。
彼女は多分、絶望している。俺には分かる。前の俺が、こうだった。
俺たちを――追ってくるのではないだろうか。
それだけは、嫌だった。
その可能性が一縷でもあるのさえ、許せない。
死んでほしくない。イルシアには生きていてほしい。
ああ、俺は最初あんなにも死を望んでいたのに、今や他者の生を嘱望するにまで至った。
その事が可笑しくて口角が上がる。
俺たちの末路は、これでもいい。
全てを踏み躙ってきたのだから、因果の果てが血と死なのも、或いは受け入れよう。
……だが、イルシアだけは死んでほしくない。
何を犠牲にしてでも、彼女がこれから何を踏み躙ろうとも。
だから、
「いる、しあ……たのみ……ある」
「っ! なんだい、何でも言ってくれ! 絶対に叶える、絶対に!」
口が動かない。それでもこれだけは唱えなけばならない。
遂には視界が色を失い、光さえ閉ざそうとしている。
それでも、
「――全部、全員、殺してくれ」
――彼女を、呪わなければならない。
「……ああ、ああっ! 約束だ、約束する! 何もかも、悪い夢は全て――私が、壊すから」
悲痛な声はやがて絶望と覚悟を孕んだ決意に変わる。
その変遷を聞きながら、俺の意識が闇に落ちていく。
死の感覚……水の中で毛糸玉が解けていくように、意識が細く消え果ていく。
今となってはもう、世界に恨みなど無い。
けれど、イルシアには「生きる理由」が必要だった。
呪いにも等しい理由が。
きっと彼女は、俺が望んだ通りに世界を壊さんとするだろう。
その果てに多くが死に絶えていく。だとしても、そう――俺の天秤は、傾く事は無い。
事ここに至っては、尚の事。
――でもやっぱり、死にたくは、ないな。
その思考を最後に、俺は死んだ。
三体の魔人、最初のアルス=マグナはそうして、残らず死に絶えたのだ。
「ここからはお前の話だ、そうだろう?」
………ああ、そうだな。
丁度、全てを思い出した所だ。
封じられていた記憶、彼女に「創られた」瞬間から、最初に世界を焼いたその日のことを。




