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138 帝都は紅く燃えているか《前》

 考えろ、どうすればいい。

 ホーエンハイムに制御装置とやらで自由を奪われて以降、俺の中にあったのは焦燥に突かれた思考のみだった。


 自由な身動きが取れず、魔法の類も行使不可能。

 一切の抵抗を許されぬ状態のまま、俺たちはそのまま帝都ロイヴァまで移送された。


 何が目的でロイヴァまで向かうのか。

 隠れ家で俺達を始末していれば済んでいた話……というワケではないのだろうか?

 

「さあ、つきましたよ」


 漂う思考の間にホーエンハイムのねちっこい声が入り込む。

 うっそりと顔を上げると、そこは――


「……魔法局?」


 軍施設区に佇む重厚な建物。威圧的な建造物の多い周囲の景観に溶け込んでしまいそうだが、示すように魔法局のエンブレムが刻まれており、辛うじて気づく事が出来た。

 

 俺自身、足を踏み入れたことがあるかどうか、という程度だ。

 基本的に魔人兵の研究の殆どは、郊外にある魔法局保有の研究所で行っていた。

 俺たちの身体が造られ、その後しばらく生活していたのがそこだ。

 

 だが今更、魔法局に如何なる用向きがあるというのか。

 

 移送用の魔導式車から降ろされた俺は、そんな疑問を抱きながら重厚な建物を見上げた。

 

「……どうして魔法局に」


 俺の次に降りて来たアルベドが気取られないくらいの小声で、やはり同じ疑問を呈する。

 

「……センセイ」


 そしてアルベドにくっつくようにして降りて来たニグレドが、この場にいないイルシアを想うように溜息をつく。

 

 ……イルシア。

 俺たちが拘束された事、そして隠れ家でのホーエンハイムの物言い。

 まさか、ならばこの先に彼女が――


「貴方達には立ち止まる権利はありません。さっさと行きますよ」


 そしてホーエンハイムは、俺たちに一切の逡巡を許さずに急かす。

 本当にムカつくクソ野郎だ。身体が自由になったら先ずコイツのネトネトした横顔をぶん殴ってやろう。


 だが今は従うより他は無い。

 というより、あの制御装置とやらのせいか、身体が勝手に動く。

 俺たちの迷いなど意に介さず、両の足がおずおずと魔法局へと入り込んでいった。


 暫くの間、俺たちとホーエンハイム、そして護衛の兵士らの足音だけが響く。その間件の陰険な錬金術師は、薄く嫌な笑みを浮かべながら先頭を歩いている。


 身体の自由はこの陰湿陰険男に握られているとはいえ、視線と口だけはある程度動く。少しでも意趣返しになればと、移動の間睨みつけていた時――


「――ホーエンハイムっ」


「こうして直接会うのは数週間ぶりでしょうかね、パラケルスス」


 やがて辿り着いたのかホーエンハイムが立ち止まれば、その男の名を呼ぶ聞き馴染んだ声。

 声の方を見て見れば、そこには糸目の女軍人――レネシアと多数の兵士にに取り囲まれるイルシアが立っていた。


 生きていた。彼女は無事だった……。

 そのことに安堵を抱いたも束の間、こうして共々捕まっている事実が俺を焦燥させる。


「私を裏切ったのだね、ホーエンハイム」


「貴方までもそういって。先に背を向けたのはパラケルスス、貴方でしょう」


 因縁と出くわしたかのように睨み合うイルシアとホーエンハイムが、剣呑に会話を重ねていく最中、俺は必死に頭を動かしていた。


 どうすればこの状況を打開できるだろうか。

 今の俺に出来るのは恨めし気に視線を動かし、皮肉を述べるのが関の山。

 

 口が動くなら魔法の詠唱が出来るだろうって――?

 どうもそうはいかないらしく、制御装置とやらのせいで魔力そのものが出せない。大元の魔力を確保できない以上、口が動かせる所で無意味だ。


 どうすれば、どうすれば、どうすれば――。

 

 思考が焦りの濁流に呑まれて堂々巡りになった頃、俺の鋭敏な聴覚がこの場にいる連中でも言い合うイルシアとホーエンハイムの声でもない、ナニカの音を捉える。

 

「……?」


 音は、アルベドとニグレドの服のポケットから聞こえる。

 モノが擦れるような音。……植物、が近いだろうか?

 正体を探ろうと意識を向けると、そこから意志が返ってきた。本当に微弱で、子供ほど無垢な意志が。

 

 ………まさか、冗談だろ?

 俺はソレ(・・)の正体に気が付いた。

 

「……」


 俺はアルベドに目配せを送る。音の源であるポケットと、彼の目へ交互に。

 

「……ん」


 アルベドは小さく頷いた。見れば彼のポケットが僅かにモゾリと動いている。


 なんてことだよ。いやこんな状況だ、寧ろ僥倖かもしれない。

 音の正体は先日イルシアと四人で行った丘で造った、俺手製の花の使い魔である。

 二匹造ってそれぞれアルベドとニグレドにくれてやった使い魔。どういうワケかついてきていたらしい。


 とはいっても特に能力も無ければ術を詠めるほどの魔力も知性もない。軽いモノを動かすのが精々の、完全に愛玩用の使い魔だ。

 意思を感じたのは、俺が製作者として魔術的接点を持つからだ。

 魔力を出せず術式を行使できない俺でも、脳裏で念じるだけで行動を命令出来るだろう。


 でもコイツら居た所で何が出来るってハナシだ。ゆらゆら動いてヒトを和ませるだけの花の小人である。毒花で造れば使い様もあったかもしれないが、素材はワカユキロウソウ。単なる雑草の花である。


 しかし俺たちがまともに動けない以上、この使い魔だけが今の所唯一の味方にして手段。きっとなにかに役立ってくれる――ハズ。

 一先ずバレないようにあまり身動きするなと思念を送れば、使い魔たちはピタっと止まる。


「――さあ、参りましょうか」


 ――イルシアの脳みそをぶっ抜いて錬金術のアイデアを吐き出す機械にする。そんなバカげたことを宣うホーエンハイムと大帝国の狗共。

 意気消沈するイルシアと俺たちを伴って、連中は魔法局の奥へと向かい始めた。


「アレは……」


 導かれた魔法局の奥。そこはやはり研究室であった。少し前まで詰めていたであろう研究員たちが職務に励んでいた名残か、試薬が入ったままのフラスコ、積み上げられた書類などが机に置かれている。


 そして研究所の奥。そこには培養槽にも似た大きなフラスコに浮かぶ、魔導書然とした古書があった。


「〈黙示録の断章フラグメント・アポカリプス〉――移送されていたのか……」


 呆然としたイルシアの呟きから、それが聖遺物と呼称されるアーティファクトの一つ、〈黙示録の断章〉であると気が付いた。

 俺たち魔人兵の外部魔力源、アポカリプス・ドライヴのコア部品である。

 いや、俺も実物を見るのは初めてだが……。しかし、なぜここに?


「郊外の研究所にいつまでも置いておくワケにも行きませんからね。手軽な魔力源など、転用先は幾らでもあります。あの〈先史者の咆哮(リヴァイアサン)〉も聖遺物、いずれ同じように魔力源にでもしましょうかね。……ああ、そんな事よりも、ここにある理由ですが――」


 滔々と語っていたホーエンハイムが、くるりと視線を揺らして俺たち三人へ視線を合わせてくる。獲物を見定めた爬虫類の如き嫌悪を掻き立てる所作に、俺は酷く悪い予感がした。


「――どうせアルス=マグナ計画は終わりです。どんな形であれ、もうこの三人が息をすることは許されないでしょう」


「っ、ホーエンハイム――君は、貴様は……っ」


 憎々し気にホーエンハイムに食って掛かろうとするイルシアを、兵士が止めるのも気に留めず当の陰険男は語りを続けた。


「ですから、処刑のついでに適当な魔力炉の部品にでもしてしまおうと思いましてね。パラケルススへの“処置”と同時に行うのが都合がいいでしょうし、そのために魔力源が必要で――ここに移設させて貰いました」


 ……やはりロクでもない回答に、俺は鼻白む。

 

「どこまで行ってもロクでもないな、アンタ」


 いや、鼻白むのみならず口の先から皮肉が飛んで出る。

 こんな性格だ、ここまでいい様にやられて黙っているのも限界だった。

 今まで沈黙を守っていた俺が言葉を発した事に、その場の全員の注目が集まった。俺たちやイルシアの監視を担う兵士一人一人さえも。

 

「っ、ルベ――」


 固唾を飲んで硬直していたニグレドが俺の名を呼んで制止するよりも速く、ズカズカと足が踏み出てホーエンハイムへ向かう。

 動く俺を警戒し、兵士が銃を構えようとするのを抑止したホーエンハイムが、鬱陶しそうにコチラを一瞥。

 

「――“動かないで下さい”」


 にべもない一言に込められた確かな意志。あの陰険野郎が手に持った制御装置とやらが一瞬発光し、電流でも通ったかのように俺の足は急激に停止する。

 

 だが俺はそれに頓着する事もなく、変わらずホーエンハイムを睨みつける。

 コイツが制御装置とやらで俺の動きを奪うのは分かり切っていた。

 幸いにも今回、「動くな」の命令には口の自由までには手がかからなかったらしい。俺は感じる苛立ちをそのままホーエンハイムにぶつけてやる。


「偉そうに宣う割には、やる事がせせこましいじゃないか。嫉妬が滲んでるぜ陰キャ野郎」


 なるだけ痛烈に、挑発的に、ホーエンハイムを煽り抜いてやる。

 俺を見ろ、睨め。これから殺すハズの小憎らしいクソガキの煽りなぞ、さぞや癇に障るに違いない、そうだろう?

 

「……」


「おー、言うっすねぇー」


 黙りこくって俺を見つめるホーエンハイムだが、その眼には粘着質な黒い感情が窺える。煽り立てるようなレネシアの余計な茶々も、ヤツの苛立ちを駆り立てるに一役買っているだろう。


「アンタ錬金術師なんだろ。だったら技で追い抜いてやれば良かっただろうに。――いや、出来なかったからこのザマなのか。ははっ」


 続けて挑発を飛ばして、トドメになぞるように嗤ってやれば、ホーエンハイムは胸中に溜まった黒いモノを吐き出すように深く息を吐く。

 

「……貴方から、処分しましょうかね」


「はっ、これ以上正論は聞きたくないってか」


 露骨な挑発を飛ばしつつ、俺はアルベドとニグレドのポケットに入っている花の使い魔に思念を飛ばす。動け、と。

 俺の命令を受けた使い魔たちが、モゾモゾと二人のポケットの中で動き、やがてひょいっと顔――花びら?――を出すのが分かる。

  

「……っ」


 アルベドとニグレドの雰囲気が少し変わった。察したか、どうやら俺に合わせてくれるらしい。

 あとは――イルシアだ。


 使い魔たちじゃあ、精々そこらに置きっぱになってる試薬入りのフラスコを倒すのが限界だ。それで出来るのは注意を引くくらいだ。

 試薬が物凄い劇薬なら話は別だが――ここの研究員も、引き払う時に危険なモノを片づけるくらいの事はするハズだ。

 

 そして今の俺たちはホーエンハイム共への直接的攻撃は、どうやっても出来ない。だから必要なのだ、今俺たちの陣営で唯一魔法が使えるであろうイルシアが。


「減らず口を……」


 挑発に乗って俺を睨みつけるホーエンハイム。応じるように正面から睨み返してやる――その刹那に、周囲を見回しこれから始末するべき敵の装備を確認――。


 俺たち魔人兵が警戒するべきは件の“制御装置”だ。

 今の所アレを手に持っているのはホーエンハイムと、ヤツに同道する護衛の兵士四人。

 他の連中も多分装備はしているだろうが、あの手の魔導具は手に持っていないと効果を発揮しない。

 

 制御装置を引き抜いて俺たちに命令を行うまでのタイムラグ――ホーエンハイム共さえどうにかできれば、全員充分に殺れる……っ!


 秘めたる殺意にさえ蓋をして、未だ挑発的な目線を崩さずにいると、使い魔たちが俺たちや兵士の足元を掻い潜り、そこらの机に昇るのが伝わってきた。

 

 使い魔が向かったのは俺たちの後ろの席。俺たちを監視する兵士は言わずもがな、今この場で俺自身に注意が集まっている現状、小さな使い魔に気が付くモノは多くない。

 

「……っ!」


 ――それこそ、成り行きを不安げに見ていたイルシアくらいでなければ。

 イルシアが俺たちの背後のテーブルを見て一瞬目を見開くが、すぐに視線を戻してホーエンハイムを見つめる。その際、視線を戻す折に俺へと目を合わせる事を忘れずに。


 イルシアが目にしたのは恐らく試薬のフラスコを二匹がかりで倒そうとしている光景。俺の意図は伝わったらしい。


 整った。チャンスは一度切り。

 

 ――やれる。


「二人共、その辺にしておいた方がいいっすよ。そろそろ時間も――」


 見かねたのかレネシアが困ったような糸目を晒して止めに入った瞬間――ガシャリ、と物が落ちてガラスが砕ける音が響く。

 緊迫と静寂が支配していた魔法局研究室において、その音は酷くよく通り、その場の殆どがソチラへと視線を向けた。


 生じた空白、その刹那、


「――“遠い階梯、見えざる孔壁”――〈拒絶(インパルス)〉ッ!」


 通ったのはイルシアの毅然とした詠唱。発動したのは無属系統第四位階〈拒絶〉――純然たる魔力の波動が、注意の逸れたホーエンハイムとその兵士へ向けて振るわれる!


「なっ!?」


 出不精のイルシアだが攻撃の狙いは正確であった。制御装置を手に持つ連中を的確に穿つ魔力の波動が、兵士を周囲の椅子やテーブルごと薙ぎ倒し、ホーエンハイムを吹き飛ばして壁に叩きつけた。


「――こりゃあ不味いっすねッ」


 何が起こったのかをすぐに把握したらしいレネシアが制御装置に手をかけようとする――よりも前に、


「“もう動いていいっ!”」


 イルシアの声が、俺たちの自由を再び蘇らせる。


「〈自動魔弾(マギアボルト)〉」


 動けるようになった瞬間、その瞬間より発動すると決めていた術式を速やかに詠唱。無色の魔力の矢が、この研究室に存在する制御装置に向けて無数に射出。


「っ!?」


「しまった――」


 魔力の矢に貫かれた兵士とレネシアの制御装置が、元の水晶に砕かれて破壊。掴む事さえ出来ずに砂の如く細分される制御装置に絶望する兵士共。


 無属系統第一位階〈自動魔弾(マギアボルト)

 術者の魔力と演算領域が許す限り、認識出来る範囲の指定した物体に対し、殆ど必中の魔力矢を放つ攻撃魔法。

 攻撃力自体は弱く、同位階の魔法と比べても貧弱極まりないが、大体当たるという長所は極めて有用だ。


「クソっ、だから早く殺せって――ぐあっ!?」


 制御装置を失くした兵士が銃を構え、引き金を引く……前に、獣もかくやという速度と動作で潜り込んだ黒い影に、強烈に弾き飛ばされた。

 ダスン、という音と共に吹き飛んだ兵士。その下手人はニグレドである。


「アルベドっ!」


 ニグレドに吹き飛ばされた兵士の取り落としたライフル。彼女はそれを蹴り上げるように拾うと、すぐさまアルベドに投げ渡す。

 

「っ……!」


 銃を受け取ったアルベドは、器用にライフルを構えた刹那に発砲。


「がぁあ……」


 バァンと銃声が響き一人を射殺。


「ぐえっ」


「あお……っ」


 更に連続、一射の後一射。長物でありながら神速の勢いで計三人を倒すアルベドの銃撃。

 

「き、緊急事態っ――」


 残った兵士三人の内の一人が何かを喚こうとしているが、させるワケにもいかん。

 冷徹な戦闘摂理が連中を殺害しようと精緻に術式を起動させ俺の魔力が巡っていく。


「〈連鎖閃雷(チェインライトニング)


 発動した元素系統第六位階〈連鎖閃雷〉が、真っ赤な雷をくねらせ、ゴォォと空気を叩く異音と共に雷撃が叫ぼうとしていた兵士に向かって飛翔――


「がああぁぁっ!?」


 雷撃がその兵士をなめ尽くすように甚振った後、更に二つへ分かれて残りの兵士へ射出される。


「ひっ――あああっ!?」


「やめっあああああああ!」


 着弾と共に凄まじいジュール熱で表皮も内部も焼き尽くされた兵士は、目と耳から茹った血液を吹き出しながら崩れて落ちた。


「……はは、ははは」


 そして一人、最後に残ったレネシアが、酷く痙攣的に笑い周囲を見回した。一頻り笑った彼女は、やがて俺に視線を合わせると、糸目を見開いて懐から軍用ナイフを引き抜き様に刺突を放つ。

 

 鋭い、そして速い。

 相手が只人であれば、或いはそれなりの戦士であっても殺し得る一撃。

 だが俺たち(アルス=マグナ)には遅すぎる。

 

「ふっ――!」


 半身になって回避した瞬間に潜り込み、刺突の為に突き出されたレネシアの腕を掌底で打ち上げる――!

 

「うっ――くっ」


 ゴキリという異音。圧し折れた腕。

 苦痛に顔を歪めながらも、後方に蹈鞴を踏んだレネシアは、腰から拳銃を引き抜いてコチラへ突きつけ射撃を――


「――〈絶風斬(エアリアルブレード)〉」


 静かで冷厳な俺の声が術式名を紡ぎ即座に魔法が起動。腕を振ると同時に風の刃が飛びレネシアの胴体を深く袈裟に斬りつけた。


「がっ、ぐっ……げほっ」


 後ろへよろけて倒れる瞬間にレネシアの構えた拳銃が発砲。誰を捉える事もなく天井を穿つ銃弾。薬莢が落ちると共に、彼女の手から銃が離れて床に倒れ切った。


「うっ……ふふふっ……」


 笑っているのか、それとも致死のダメージが肉体を痙攣させているのか。何を想っているかも分からぬレネシアは、尚も未練がましく何かを掴もうと指を動かし、やがて血の海が床を穢すとそのまま動かなくなった。


「レネシアさん……」


 糸目を崩し虚ろな目を晒す彼女に近付き、静かに名を呼ぶニグレド。

 俺にとっては鬱陶しい女だったが、ニグレドはよく構って貰っていた仲だ。思う所はあるだろう。


 声をかけてやりたいところだが、殺した張本人である俺が何を言う資格も無いだろうし、第一今は緊急事態。時間を割くワケにもいかない。

 

「……イルシア、大丈夫か?」


 一瞬で片のついた戦いだが、目の前での戦闘はそう経験のない事だろう。顔を蒼くするイルシアに声をかけ、手早く彼女の拘束を外す。

 

「……ああ、大丈夫。ありがとう、みんな」


 幸いどこにもケガはないらしい。後ろ手に縛られていた手を解すように振るイルシアは、気丈に笑って見せた。

 その様子に少し暗かったニグレド、そして兵士の拳銃を拾っていたアルベドも安堵したようだ。

 

「すまない、私のせいでこんなことに――」


「センセイのせいじゃ……」


 ニグレドの慰めを目を閉じゆったりと首を振るイルシア。

 かなり責任を感じているようだな……。

 こういう時に掛ければいい言葉が見つからない。何を言えばいいのか――いや、それよりも、


「どうしてこんなことになったのか、君達に全て――」


「――いや、後にした方がいい」


 イルシアが現状の原因、そのことのあらましを語ろうとしたが流石に悠長が過ぎる。

 

「もう大帝国は敵だろう? ならここは敵地の中心だ」


「そうですね……すぐにでも脱出した方がいいでしょう。何しろ、ここはあの大帝国……相手は強大です」


 俺と同じ考えらしいアルベドも、拾った拳銃のチェックをしつつ言う。

 俺たちを造る基盤を持ち、そして今や大陸の覇権を握ろうとする国家が相手なのだ。今まで戦った如何なる敵よりも強大で、俺たち魔人兵といえど易く事を運べるとは思えない。


「そう……だね。うん、脱出しよう。元からそのつもりだったんだ」


 言って、イルシアは決意をうかがわせる光を眼鏡越しに覗かせた。


「君達の力を借りたい、頼めるかい?」


 イルシアの問いは、いっそもう野暮な程――。


「うん、もちろんだよセンセイ」


「無事にマスターを脱出させます、約束です」

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