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137 決別

 光歴1005年――神聖グランルシア大帝国。

 西方諸国を統一し、戦勝と終戦の歓喜に沸く大帝国には、確かな予感があった。

 

 “我等こそ、時代の先端。人の歴史が辿る頂点である”――と。


 戦時中の軍部への信用低下、魔人兵のプロパガンダ失敗、諸々の問題さえ戦勝の美酒が酔わせて消した。


 事実として、大帝国は最強と化した。

 もはやガイア大陸に大帝国を止められる国家など存在しない。

 

 いずれ大帝国は、未だ覇を争う東側諸国にまで手を伸ばし、やがてはこのライデルで史上初となる統一国家を誕生させるだろう。

 ――それもまた、事実である。


 万難を排した人類種の国家は、瞬く間に大陸を支配し、魔物と魔人と魔族とを滅ぼし尽くす。

 魔境も、魔の存在も――ヒトの規範を逸脱する存在を許さずに。

 魔王も竜も、幻想の怪物の時代は終わりを告げる。


 蟻や蜂といった、それ自体は脆弱であっても社会性を持つ生物は、自らよりも強く雄大な存在を蚕食し殺し尽くす。

 ヒトとは、その極北であった。


 だがしかし――そうして“成る”より少し前に、


 きっと世界は、滅んだのだけれど。


 






 ◇◇◇








 多分、断頭台に似ていた。

 普段は郊外の研究所で研究に励んでいたイルシアにとって、魔法局の武骨な室内は、そのような冷たい印象しか感じ得ない。

 

「――いやぁ、ダメっすよ局長さん。情が湧いたのは分かるっすけど、殺せって言われたら殺さなきゃ」


 そんな様相に似つかわしくない、いやに快活な声が響く。

 後ろ手を拘束され、周りを取り囲む兵士に威圧されているイルシアにとって、それは酷く癇に障った。


 声の主――レネシアは、陽気そうな所作と声音とは裏腹に、糸目を冷血な爬虫類を思わせる開眼を以って、イルシアを見つめた。


「……」


 イルシアは何も返せない。

 いや、返す余裕がない。

 あらゆる神秘を暴き真実を見出してきた彼女の脳といえど、焦燥に支配されていては用をなさない。

 

(考えろ、どうすればいい)


 覚束ない頭で、イルシアは思考する。

 何故こうなったか、何ゆえに情報が露見しイルシアが捕えられる事となったか。

 確かに重要だが、今最も優先すべきは――


(どうにかして、この状況を変えなければ)


 脳裏に浮かぶ三人、アルス=マグナたち。

 邸宅に残していた彼らが今どうなっているか、現在のイルシアに判ずる手段は無い。

 しかしイルシアが捕まった以上、彼らにも捜査の手が伸びるだろう。

 イルシアが行うべきは、どうにかして独力で脱出する事。


(幸いにも、対魔術拘束はされていない)


 凶悪な魔導師を拘束する際の処置、散術鉱――術式反応に応じて、触れている者に発動魔法の逆位相の魔力を発し、ついでに激痛も与える鉱物――を用いた拘束具は、幸いにも付けられていない。

 

 錬金術師は研究などに打ち込む関係上、魔力に乏しかったり攻撃魔法を修めていなかったりする事が多い。


 実際イルシアもこの状況を打破できるような、高度な攻撃魔法は修めていない。

 仮に覚えていたとしても、発動までの詠唱を咎められず――なんて真似、この監視下では不可能だ。


 錬金術師は研究者である。魔導兵のように、戦場を雷火で彩るような真似は出来ない。

 

 イルシアを捕えた軍部にもその認識はあったらしい。

 ――それに、魔導兵器が台頭してからは魔導兵はめっきりと減り、対処が緩んでいた。それはイルシアにとって紛れもない僥倖であろう。


「だんまりっすか? まあいいっすけどねー。どうせ尋問するんですし。でもでも、私はお喋りなタチっすから、付き合ってもらうっすよ」


 思考を遮るような、レネシアの鬱陶しい声音。イルシアは目を閉じて、努めて無視する。

 ――にも関わらず、五月蠅い軍人は此方の事など斟酌することなく口を開く。


「局長さんは不思議に思わないっすか、なんで連れてこられた先が留置所でも諜報局でもなく、魔法局なのかって」


 的確に思考を邪魔するような、レネシアの言葉。

 薄々イルシアも思っていたことだ。だから再び思考が鈍り、忌々しくも意識がレネシアの方へ向く。


「まあ単純なハナシっすよ。やらかしたけど局長さんって、この国一番の開発者じゃないっすか。だからほら――ただ殺すんじゃ勿体ないじゃないって」


 酷く明るい声音。他愛のない冗句に興じるかのような口調で、怖気を震う内容を口走るレネシア。

 切った言葉の先に何が続くのか、イルシアはあまり考えたくなかったが、当の女軍人は構わずに続けてくる。


「――局長さんは、脳みそって知ってますか?」


 急に変わった話の内容に、イルシアは努めて保っていた鉄面皮を崩しそうになる。

 煽られているのか、そう考える間も無くレネシアが続ける。


「いや失礼っすよね、局長さんはエライ学者さんっすもん、知らないワケ無いっすよね。ご存知の通り、ヒトの大事な部分で、モノ考えるのに必須のヤツっすよ」


「……」


「んでんで、以前から軍部は結果を出し過ぎる局長さんを嫌ってた。魔法局の設立は時の皇帝陛下の御稜威あってこそっすからね。魔人兵が魔法局の手柄だっていう話の流布も、現皇帝陛下の御命令で――そうなると、民衆やら何やらは、陛下を褒めるワケっすよ。“流石は皇帝陛下の御慧眼だ”――とか何とかいって」


 その通りである。であるのだが――話が見えない。

 結局彼女は何が言いたいのか、だがイルシアは答えを聞いて戦慄する。


「軍部の威信の確保は欠かせない。その為には出過ぎた杭は打たなきゃいけない。でもでも捨てるのも勿体ない――だ・か・ら、考えたみたいっすよ。――優秀なイルシア局長の、アイデアの源泉……脳みそを引っこ抜いて、筒かなんかに入れて兵器の構想を吐き出す機械にすればいいって」


「――ッ?!」


 意識しないようにする試みは無駄に終わった。

 出来るワケがない。そう声を出すのを堪えるので精一杯であった。

 そんなモノが造れるとしても、少なくともイルシア抜きの魔法局に、そのような装置や魔道具を拵える余力はない。


「で、後釜にはそこそこ優秀で軍部に従順なヒトを据えれば元通りって寸法っす。いや、今回の事で政治的な趨勢も傾いて、今度こそ完全に傀儡国家の誕生っすねー。めでたしめでたし!」


 だがレネシアはそれを確定事項であるかのように語る。

 その自信はどこから来るのか――イルシアの考えが答えを探るよりも速く、


「あ、話してたら……その“後釜”が来たっすよ」


 数人の足音。レネシアが向いた方から、それが聞こえてくる。

 これ以上、状況が悪くならないで欲しい。そんな感情がうっそりとした動作でイルシアに顔を上げさせ――やはり祈りは裏切った。


「……ホーエンハイムっ」


 いいや、裏切ったのは心願だけでは無かった。

 数人の兵士と、それらに押さえられるアルス=マグナ三人達。

 それらを伴って先頭に立つのは、イルシアの友であった男、ホーエンハイム。

 生来の陰険な顔を、今は野卑な喜悦に歪めてイルシアを見つめている。


 苦々し気な顔の三人――ルベド等はホーエンハイムを睨みつけていたが、囚われているイルシアを見るなり表情を変える。刹那の安堵――やがて酷い焦燥に。


「こうして直接会うのは数週間ぶりでしょうかね、パラケルスス」


 手に持っている黒い水晶の魔導具を弄びながら、愉悦気にコチラを詰るホーエンハイム。

 

(恐らく、魔人兵の制御機構を操作する物か。ルベド達が抵抗出来なかったのはそれが――)


 現状について冷静に思考が巡る一方、イルシアはホーエンハイムについて測りかねていた。


「……私を裏切ったのだね、ホーエンハイム」


 我知らずの内に、声が酷く震えていた。

 イルシアは余り他人を恃むような人間ではない。交友らしい交友も無く、友と呼べるような存在は終ぞこのホーエンハイムのみであった。

 

 だからだろうか、自分が追い込まれた要因など、考えれば一つしかないというのに――思い至ろうとしなかったのは。


 全て理解した時、喪失と痛みを感じてしまう。それを忌んだだろうか。

 今まさに、こうして胸に爪立てるが如く。


「貴方までもそういって。先に背を向けたのはパラケルスス、貴方でしょう」


 やれやれと肩を竦めるホーエンハイム。物覚えの悪い生徒を前にした教師のような仕草だ。


「大帝国への背信になど、私は付き合えない。私はいつだって、模範的で忠実な大帝国臣民ですよ」


 近くにいる大勢の兵士、或いは諜報局の狗であるレネシアへの露骨なアピールが籠った声は、いつになく粘着質。

 相手が言葉に込めた感情は埒外にしても、主張には理がある。

 

「……軍部の狗に成り下がるというんだね、ホーエンハイム」


「――元からそうでしょう、そしてそれでいいのです」


 理路整然と言い返す事などできない。大局を見ればイルシアの方こそが忌むべき背教であり、彼女の主張には初めから一切の正しさを持たない。


 だからイルシアの言葉はいつになく感情に振り回されていた。


「私はっ……君を信じて――友だと思ったからこそ――」


 傍から見れば実に醜い逆恨みであろう。

 それでもイルシアは血を吐くような言葉を紡ぎ続けた。そうしなければ胸が裂けてしまいそうだった。

 

「――黙りなさい」


 ……そんな彼女の声を、ホーエンハイムは極めて不愉快そうに一周し断ち切った。

 急激に変わった気配に、イルシアは息を呑んで黙り込む。


「友? 友人? 言うに事を欠いて貴方が私を?」


 いっそ憎悪さえ感じさせるほど黒い声音。言葉だけではなく肩さえ振るわせて、ホーエンハイムはイルシアを睨む。


「錬金術を志したその時から、私のとっての貴方は聳える壁、絶望でしかなかった」


「……」


「未知を暴き、知らぬ事を知る。錬金術に求めるそれを得る事も出来ず、貴方が全て搔っ攫っていった」


「私は、そんなつもりでは――」


 イルシアはただ錬金術にのめり込んできただけ。ホーエンハイムへの悪意など欠片も無かった。


「だからですよ。……認めましょう、貴方は確かに優秀です、鬼才です。暦が一となって以来の才媛でしょう。だから分からない。私のようなただの秀才、凡庸な者の心など!」


 ホーエンハイムは語る。

 彼が錬金術に求めるのは、未知を暴く事。

 言ってしまえば、新雪を踏みしめ自分の足跡をつけたり、見たことのない秘境の絶景に一番で乗り込むような、稚気さえ滲む願い。

 

 ただ、この時代にはイルシアがいた。


 グランルシア建国以来の才を誇るであろうイルシアが、錬金術の未知を悉く暴いていった。

 ホーエンハイムが自分の手で解きたかったであろう飾り紐を、横から雑に切り落としていったのがイルシア。


「それを、それを――言うに事欠いて友などと! この際だからはっきりとしましょう、パラケルスス。私は貴方の事を、一度たりとも友人等と思った事は無い!」


「っ……」


 友だと思っていた男の強烈な拒絶と憎悪が、裏切りと焦燥と罪悪に毀たれた心を、容赦なく傷つける。


 友人だと思っていたのはイルシアだけであった。滑稽もいい所である。当の本人は、イルシアを殺したい程憎んでいたというのに。

 

 イルシアからすれば逆恨みもいい所だ。

 だが例え一縷の正当さえ無い憎悪だろうと、憎い相手が無防備に隙を晒したのだ――これ幸いにと、失脚させる為に走っても不思議ではない。

 ホーエンハイムの離反についての得心は行った。――受け入れられるかどうかは別として。

 

「まあまあ、そこいらにしとくっすよ」


 二人の口論を見守っていたレネシアが、親切ごかして間に入る。


「そろそろ魔人兵の三人も暇してる頃っすし、さっさと研究室にいくっすよ。ホーエンハイムさん、用意はしてるんっすよね?」


「……ええ、貴方がた軍部がそこの女狐の脳髄を望みとあらば、摘出し保存する為の魔導具は拵えてあります」


 ――そしてイルシアが不可能だと切った件の魔導具については、ホーエンハイムが準備を終えていたらしい。魔法局に連れてこられたのは、その魔導具がここにあるからなのだろう。


 ホーエンハイムも十分に才のある錬金術師であることの証明だが、今のイルシアにとっては悪意に歪んだ死刑宣告に過ぎない。


「さあ、参りましょうか」


 そしてそれを執り行う執行官は、いつになく朗らかな笑みをイルシアへと向けて来た。

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