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135 分水嶺《後》

「――で、研究に必要な植物ってのは何だ?」


 しばしの自失より立ち直ったイルシアは、自分で言い出した手前放り出すワケにも行かず、ルベドら三人が待つリビングへ向かった。

 立ち入るなり待っていたルベドがそう尋ねる。

 

「錬金術で使う植物……やっぱり薬草か何かですかね?」


「何か楽しみ! 皆で外行くなんて久しぶりだもん!」


 生来の知識欲が疼くのか首を傾げるアルベドと腕を組むルベドを交互に見ながら無邪気にはしゃぐニグレド。

 

「……そんなに、大したモノじゃあないんだけどね。少し数が必要で、手を借りたかったんだ」


 ……イルシアが三人の生殺与奪をどうこうしようとしていた事など露も知らぬ態度に、研究探求その成就の為ならば、常々冷淡冷酷だったハズの女に、幼い牙で噛まれたような切ない痛みが去来する。

 

 それを振り払うように、思いついたもっともらしい理由を呟くイルシア。まるで目の前の三人以外、何処かの誰かに言い訳でもするかの如く。


「必要なのは、ワカユキロウソウって言うんだ。すぐそこの丘に生えてるから、採りに行こう」


 服芸も演技も得意とは言えないイルシアだが、いつも通りの笑みを浮かべて努めて言って見せる。

 錬金術では多く使用される材料、ワカユキロウソウ。咄嗟に思いついた題目が、それだった。

 

「ワカユキロウソウ……それって――」


「あーっ、ダメダメアルベド、ネタバレ禁止!」


「馬鹿な事言ってないでいくぞニグレド。……んなら案内頼む、イルシア」


 三人の姦しいやり取りも程々に、イルシア達は邸宅を出立し、郊外のゆるりとした林を目的地に向かって歩き出す。

 当惑と御せぬ切なさに苛まれたイルシアの胸中とは裏腹に、この日はいっそ憎らしい程の五月晴れ。白衣のポケットに手を突っ込んだイルシアは、眼鏡越しに蒼い空に向かって緩やかな溜息を吐いた。


「いい天気~、お散歩日和だね!」


「思ったより日差しが強いですね。長くぶらついてると、肌が痛んじゃいそうです」


「日焼けか、俺には無縁だな」


「ルベドは毛深いですからね」


「毛むくじゃらだもんね!」


「もっと言い方あるだろうが」


 先頭を往くイルシアの憂げな顔付きが見えないのが幸いしたのか、ルベド達三人は気づく事なく楽し気に会話に興じる。

 その様がより、寂寥の虫を呼び寄せ胸を小さく刺す。


(彼らのような人造生命(ホムンクルス)だって、私は何度も死なせてきた)


「拗ねないで、キレイな毛並みだよ自信持って!」


 彼等の声が遠く、引き換えに胸中の思考が響くように弥増す。


(犠牲にしたのは不完全で、魂も人格も無い試作品だった……けれど、彼等アルス=マグナもホムンクルス)


「別に褒められても――」


(彼等魔人兵へ至るまでに、殺してきた試作品達は同列にして然るべきだろう)


「まあまあ、マスターの前ですし、ここは――」


(どうして彼等三人だけ、躊躇うのだ?)


「――シア?」


(幼い頃の母の葬儀でも、錬金術を教えてくれた父との告別でさえ、悲しみはすれど涙さえ流さなかった)


「――ルシア」


(今更……まさか今更……私は――)


「イルシア?」


 すぐそばで強めに名を呼ばれ、意中の整理に飛んでいた意識が帰還する。

 彼が部屋に訪ねて来たときの繰り返しが如く、ルベドがイルシアの横顔を覗きながら、名前を呼んでいた。澄ました顔の内に、僅かに隠せぬ配慮を滲ませて。


「ああ、なんだいルベド」


 再びいつもの笑みを浮かべて、ルベドに応じる。イルシアが今し方抱えていた思考は、確かにルベド達に知られるべきではないが……それ以上に、奇妙にも忌避感が浮かび上がってきたのだ。

 

 こうして彼らに慕われる自分、そのイメージを崩す事に。


「いや、どうにも反応が無かったからさ。……いつにも増して考え事が多いな今日は」


「きっと疲れてるんだよ! ワタシがおんぶしようか?!」


「止めてくださいよ、ニグレドに身を預ける何て危なっかしい」


 ただ返事を返しただけでこの騒ぎである。これには考え込んでいたイルシアも目を丸くし、ついでぷっと吹き出してしまう。

 

「ふふっ、全く君達は……」


 言いつつも、口調には先ほどの胸中とは異なり温かさと素直さが滲んでいた。

 気遣ってくれた事が嬉しい。慮ってくれた事が嬉しい。心配してくれた事が嬉しい。

 己でも愚かで現金だと感じてしまうが、彼等三人に並べた無数の偽りの中でも、これは確かに真実だった。

 

「馬鹿話してる合間に……ほらっ、林の切れ目、丘が見えて来た。多分アレが目的地だろ?」


 ニグレドに呆れた顔を向けていたルベドが、転じて道の先へ指を指す。そこには素朴で小さな林道の切れ目、小さな丘が見えている。


「そうだねルベド、あそこだ。思ったより、遠かったかな?」


「そうかぁ? 外出なさ過ぎて体力ないんじゃねえの?」


「そーそー! 籠りっきりじゃあケンコーに悪いよ!」


「あはは、二人して言い過ぎですよ」


 考え事が長じてしまった事への言い訳めいた一言が、あっという間にイルシアへの口撃へ変わる。

 うっ、と一瞬怯むイルシア。実際自分でも自覚出来るくらいの出不精ではあるが、それにしたって言い方というものがあるだろう。


 私にだってフィールドワークで外へ出る機会がある。

 錬金術の研究の為なら仕方ない。

 色々な反駁が脳裏に浮かぶが、よしんば口にした所でもう一言二言と更なる追撃を被るに違いない。


「そ、それは兎も角として……ほらっ、早く行こう」


 2対1,おまけにアルベドの援護も期待できない戦い。イルシアは早々に白旗を上げて、追加の辣言が飛ばない内に早歩きで丘へ向かった。

 

 ……林を抜け、小高い丘へ出る。

 木々に遮られて程よい陰のあった林道とは異なり、天に輝く太陽の光が存分に注ぐ駘蕩とした丘。

 背の低い草原に、丘の終点に一本生えた木。その足元には、寄り集まる様にして小さな白い花達が淡い色の絨毯を作り出していた。


 普段は陽光の刺激を厭に感じるイルシアだが、今日に限っては清々しい気分だった。

 

「うぅん……良い天気だ」


 光を浴びながら一つ伸びをすれば、抱いていた悩みも背を強張らせていたストレスも解けていくようだった。

 

「うわぁぁ、ここキレイだねー! 見て、遠くに街が見えるー!」

 

 背中から飛ぶ快活な少女の声が、丘の入り口で立ち止まるイルシアをすぐに追い抜き目の前に躍り出る。

 ニグレドは両の手を大きく広げ、回りながら丘の奥へ進み、全身で太陽の暖かな感触を楽しんでいる。


「確かに、凄く映える景色ですね。まるで絵画みたいです」


 ゆったりとした所作に似合う、柔らかな言葉で感嘆を呟く少年が、イルシアの隣に立ち、だがすぐにニグレドに向けて歩き出し「はしゃぎ過ぎて転んでも知りませんよ」と優しく諫言する。


 そんなアルベドの白皙の姿形が、じゃれ合うニグレドと共に微笑ましい光景となって飛び込んでくる。


 見出したのは寂寥感。

 手を伸ばせばすぐ届く所にいる二人、その間を割るのが申し訳なく感じ、同時にただ黙って見ているのが寂しかった。


 そんなアンビバレンツを引き裂くように、イルシアの肩にポンと優しく手が置かれる。

 見慣れた手、見慣れた色。顔を上げてそちらを見れば、予想通りの姿が出迎えてくれる。


「ルベド」


 我知らずの内に、彼の名を呼ぶ声音に情感が乗る。

 何となく、嬉しい。この紅い狼には先を行く二人に混ざるだけの謂れがあるのに、それでも先ずイルシアを慮ってくれたのが。


「ほら、行こうぜ」


 言って、ルベドはイルシアの手を取り軽く引っ張って先を往く。

 すっかり自分より背の高くなった彼の後ろと横を眺めながら、イルシアもまた足を進める。

 その足取りは幾分か、軽やかになっていた。


「ねえねえ、ねえねえ! もしかして、もしかしてこれがさ――」


 一足先に丘の終点に辿り着いたニグレドとアルベドは、そこに広がる白い花畑を前にしゃがみ込んでいた。


「そうですよニグレド、これがワカユキロウソウです」


 二人が楽しそうに会話する声が、近づくにつれ大きく聞こえてくる。

 イルシアとルベドが花畑につけば、二人が振り返る。


「ふぅん、これが?」


「うん、ワカユキロウソウ」


 ルベドが見下ろす視線の先には、当然花畑。

 一面に咲き誇るのは白い花弁を持つ小さな花たち。エーデルワイスとも、カモミールとも似つかぬその花は、群れる動物のように身を寄せ合っていた。


「想像してたより、随分と綺麗だな」


 ボソリと呟くルベドの言葉に、ニグレドとアルベドは揃って顔を見合わせた後……ニヤリとした視線を狼へ投げた。


「ルベドから、そんな感想が聞けるとは思いませんでした」


「意外だよねー、お花見て“綺麗”なんてさー」


 確かに、野性味あふれる――というか野生そのものみたいな容貌に、天邪鬼な気のあるルベドが、小さい花の群を見て素直に綺麗だと褒めるのは、意外な反応だ。

 

「う、うるせぇな。俺にだって花を愛でるくらいの感性はある」


 本人も自覚があったのか、それとも二人の目線が恥ずかしかったのか、ルベドは歯切れ悪く吐き捨ててプイっとそっぽを向いた。

 その様子がまた二人の笑いを誘ったらしく、ニグレドとアルベドは顔を見合わせて破顔する。

 

「ほらもういいだろっ。……イルシアも、笑うな」


 どうやら自分も笑っていたらしい。我知らず上がっていた口角に触れ、イルシアは改めて微笑んだ。


「それで……この花を採ればいいのか?」


 咳払いを一つ、以って気を取り直すルベドは咲き誇ってそよ風に揺られる、ワカユキロウソウの花畑に視線を投げる。


「うん、そうだね。根っこから優しく採るイメージ」


 言って、イルシアは花畑の前にしゃがみ込むと、持って来たスコップを取り出してワカユキロウソウを掘って採った。


「こういう感じ」


「ふぅん、根っこからねぇ……」


「ワカユキロウソウは根っこに薬効があるからね。花の部分も使えるし、無駄のない植物だよ」


 花を愛でるより先に実用性を説く――なんとも錬金術師らしい思考だな、等と解説しながら自嘲するイルシア。

 そんなイルシアが説いた豆知識に、生返事を返していたルベドとは裏腹に、ニグレドは喜色満面の顔で園芸用スコップを携えた。


「よーし、掘るぞー!」


「わっ、振り回さないで下さい!」


 スコップを持ったまま両手を元気に広げたニグレドに、嫌そうな顔をしながら注意を飛ばすアルベド。彼らの騒々しい声をバックに、イルシアとルベドも花畑に手を付け始めた。


「どんくらい採ればいいんだ?」


「うーん、ある程度籠が埋まればいいよ」


「よくわかんねえけど……いっぱい採っていいのか? 無くなったりしないのか?」


「ワカユキロウソウは可憐な見た目とは裏腹に、繁殖力の高い多年草です。少し株が残っていれば、すぐに元通りですよ」


「んだよ、こんなナリして雑草か」


 ぶつくさ文句を言いつつも、思いのほか器用にワカユキロウソウを採っていくルベド。

 

「見て見て、ワタシも採れた!」


「ニグレド、根っこから採るって聞いてましたか? 意味ないですよこれじゃ」


 逆にニグレドは下手くそである。根っこを掘って採らず、花茎を千切ってしまっている。

 いや、単にハナシを聞いていなかっただけなのかもしれない。横から飛ぶアルベドの注意も、何処吹く風という面である。


「あーあ、見てくださいよこれ、四株も無駄にして」


「大丈夫! 次はちゃんと出来るから!」


 そんな本人の宣言通り、次からはまるまる採ってくれた。

 だがどうしたって目立つのは失敗した花たち。根元近くの茎から切れており、見てくれこそ悪くはないが錬金術の材料としては不適格である。


「うっ……ごめんなさい」


 その旨をなるだけ優しく伝えれば、先とは打って変わってニグレドはしゅんと落ち込んでしまう。その様子に僅かな罪悪感を覚えて、どうにか気の利いた慰めを探していた時、


「ちょっと貸せ」


 成り行きを見ていたルベドが、失敗した花の一本を取っていく。


「何を――」


 するつもりだと問うまでもなく、ワカユキロウソウの花を持ったルベドから秩序だった魔力が放出。


「――っと、出来た」


 手に持った花が煌めいたかと思えば、次の瞬間には彼の手の中のワカユキロウソウが、独りでに動き始めた。

 ワカユキロウソウの花は、どこから生えたのか短く小さな葉っぱを手足のように動かし、愛嬌を感じさせる動きでルベドの手の中をスキップするように歩いていた。


「わっ!?」


 様子を見ていたニグレドが目を瞬く。イルシアも一瞬面食らったが、すぐにルベドの手品のタネに気が付く。


「凄い、それになんだか可愛らしいですね。でもどうやって――」


「……錬金術の基礎技術だね」


 ルベドが行ったのは、何の事は無い単純な錬金術。ワカユキロウソウの花と自身の魔力を材料に錬成した、子供だましのような魔法生物である。ギリギリ使い魔を名乗れる程度のシロモノであろう。


 原理的にはキマイラのそれに程近い。千切れたワカユキロウソウの花と葉を、魔力で繋いで動き回る程度の生命を付与する……。

 駆け出しの魔導師でも出来る程度の技ではあるが、見事で精緻に整った術式だ。


「その通り、折角の技を鈍らせるのももったいないから、練習ついでに遊んでんだ」


 そう答えれば、ルベドは目を輝かせているニグレドの肩に小さな花の使い魔をそっと乗せた。

 ニグレドの肩に乗った花の使い魔は、彼女の頬に口づけるように頬すりをしたり、愉しそうに跳ねたりする。その様子を見て、またしてもニグレドはキラキラとした目を向けるのだ。


「そら、もう一丁」


 ついでもう一匹錬成すると、花の使い魔を今度はアルベドに差し出した。


「わっ……えっと、そーっと」


 使い魔と言えど吹けば飛び軽く握るだけで潰れるような儚さだ。アルベドは恐る恐る使い魔に手を差し出すと、花の小人は無邪気な子供のようにはしゃぎながら飛び乗った。


「アハハ、カワイイ、スッゴイカワイイ!」


「で、ですね……! そうだ、名前、名前つけてあげましょうよ」


 二匹の使い魔は互いに向き合うと、ハイタッチをしたりフォークダンスめいた動きを見せたりする。そんな様子を見て、黒と白の少年少女は互いに目を輝かせる。


 イルシアもその様子に目を奪われていた。

 なんら驚く事のない使い魔だ。戦闘能力は皆無、特殊な技能があるワケでもない。


 けれど、その様――身近にあったナニカが、全く別のモノに代わる奇跡のような光景。それは幼年、父に初めて見せてもらった錬金術に似ていて、郷愁がイルシアの胸を軽く撫でていく。


「こんなことも出来るぜ」


 少し不敵な微笑みを浮かべたルベドが、もう一本千切れたワカユキロウソウをとって術を詠む。

 またしても光に包まれた花は、可憐な白い花弁だけが独りでに動き、小鳥のような形をとったかと思えば、パタパタと一斉に羽ばたいて空へ消えていく。


「スッゴイ! ルベド手品師(マジシャン)みたい!」


「まあ魔導師ではあるがな。それに、実際単なる手品紛い(キャントリップ)だし」


 本物の錬金術の前では烏滸がましい、そう付け加えながら微笑みを浮かべて、ルベドはイルシアを見た。


 ……果たしてその時の自分はどんな表情をしていたのだろうか。

 ルベドは一瞬目を丸くすると、あてどなく視線を彷徨わせた。

 やがて彼は、千切れたワカユキロウソウの最後の一輪と、さっきの小鳥の使い魔を作るのに余った、花弁の無い茎を併せて手に持つ。


「……」


 無言で再び術式を起動。暖かな紅い魔力光が収まれば、そこにあったのは……ワカユキロウソウの花をそのまま象った、宝石にも水晶にも似た華麗な飾り。


「あっ……」


「わぁ、キレイ……」


「スゴイですよルベド、売り物みたいです」


 思わず息を呑む。

 二人が囃し立てのも無理からぬ出来だ。


 可憐な白い花弁と、生き生きとした茎の緑。その生命の精彩を保ったまま、凍り付かせたかのように煌めく。

 いっぱしの工芸品にも劣らぬ流麗さである。


「……」


 ルベドはその飾りを暫し手の中で弄んだ後、息を吞むイルシアに静かに差し出した。


「……えっ?」


 思わず面食らうと、ルベドはバツが悪そうに視線を逸らす。


「……お前だけ無いってのも、何か変な話だし。コイツらと同じでも良かったんだけどさ、錬金術師の部屋に動く花があるって危なっかしいだろ。この使い魔も軽い物押すくらいは出来るし、悪気はないんだろうが、偶にイタズラするしな。だから、ほら――」


 まるで上手い言い訳を探しているかのように、視線を彷徨わせながら言い募るルベド。


「こういうのなら、まあ見てくれもそう悪くないし……部屋に飾りっ気があっても、いいだろ?」


 いらなかったら、捨ててもいい。どうせタダだし――そんなことまで付け加えて差し出された美しい飾りを、イルシアはおずおずと受け取って眺める。

 

「……あぁ」


 半透明の結晶と化した白い花。

 太陽の光を透過し、無数に乱反射して煌めく花飾り。

 イルシアはそれを弄び、時には宝物を見つけた子供のように太陽に翳して、ひたすらに見つめた。


「綺麗だ、凄く綺麗だ」


 心の底から感じ入る、素直な感想が口を衝く。

 気取った言葉で美々しく飾り立てるのは無粋だと、無意識の裡に理解してしまうような品。

 

「そうかっ……あー、気に入ったなら適当に飾っておいてくれ」


 イルシアの言葉に一瞬喜色を滲ませたルベドは、けれどすぐに収めて素っ気無くそう言って見せる。

 変わり身の早さにクスリと微笑むイルシア。


「ありがとうルベド、ありがとう……」


 感謝の言葉はとても真っ直ぐで簡素、おまけに情けなく震えている。

 

「……おう」


 ちゃんと彼に聞こえているかさえ怪しかった言葉だが、しかと届いてくれたらしい。

 彼は目を丸くした後、僅かに微笑んで頷いた。

 

 その様子からニグレドとアルベドは互いに顔を見合わせ、意味深長にニヤニヤとルベドを見ていた。――すぐにルベドが睨みを飛ばして牽制していたが。


「わっ、目つき鋭いんだから気を付けてよ!」


「黙れ、ほらさっさと残りとって戻るぞ」


 再び騒々しいやり取りに戻る三人を見て、イルシアは静かに理解する。

 

(私は、彼らを殺したくない)


 ――薄々感じていた事だ、目を背けていただけで。

 理解し確信してしまえば、己の矛盾と向き合う事になる。だから嫌で、必死に分からないふりをしていた。


 自分が手掛けた兵器でどれほどの死が積まれようと、己の紡いだ理論で如何な破綻を作り出そうと、イルシアは気づかなかったし、気づこうとしなかった。


 どうでも良かったのかもしれない。


 研究者としてのイルシアは、ただ己の探求心を満たす事しか頭に無かった。だからこそ軍部の下に甘んじたのだ。

 軍部は魔法局――正確にはその背後にある皇帝――を疎んでいたが、同時に使わねばならない事を理解していたし、差し当たっての研究費は惜しまなかった。

 研究開発を求められたのは兵器だけとはいえ、イルシアが錬金術を続けるのには打って付けだったのだ。


 後悔をしているワケではない。

 アルス=マグナ達を保護したのも、黄金錬成を成し遂げたかったから。

 ただ……共に過ごしている内に、イルシアは彼ら三人を――愛してしまった。

 己が造った作品として、そしてそれ以上として。

 

 今までの作品とはイルシアの人生の目的――黄金錬成の成就という究極の錬金術の為の道であり、階であり、踏み台であった。


 意思も人格もある、そのような「作品」を造ったのは、ルベド達が初めてだった。

 酷い言い方になるが、絆されたと言っても良い。

 

 何より――イルシアは「これで充分」と思えてしまった。

 

 決して飽くことのないと思っていた探求心。

 それを押して止める程に、この数週間は美しかった。

 

「……ふふ」


 手の中で輝く、この花の飾りにも似て。


 ……彼らを愛し、ここで錬金術を諦める。

 今までの全てに背を向け掌を返す行為だ。

 それでも、背信の誹りを受ける事になろうと、イルシアはルベド達と一緒にいたかった。

 今はただ、それが最も高い望みとなった。


 輝くワカユキロウソウの煌めきは、今ここでイルシアの誓いとなった。


「じゃあ、帰ろうか」


 十分な数の採取を終えた三人にイルシアは優しく声をかけ、共に帰路へつく。

 イルシアの顔は、随分と軽く明るくなっていた。


 その日の夕食は、久方ぶりに四人で摂った。

 

「この中じゃ、すっかりルベドが一番の料理上手ですか」


「まあ練習したしな」


「ワタシよりずっと上手くなっちゃってさ」


 めいめい食事と会話に興じる中、イルシアが次に考えていたのは――現状の打破。

 

(いつまでもこうしているワケにはいかない。彼らを保護すると決めた以上、大帝国領内での潜伏は危険だ)


 ルベド達は戦略級の兵器。核熱魔法クラスの術式を自在に操る者――しかも処分を命じられた存在を匿う。極刑さえ当然の行為である。


(脱出――外国、少なくとも東側に逃げる)


 西側の諸国を制圧した大帝国内からの脱出。

 ガイア大陸東側は現在、諸国が乱立し互いに覇を唱え合う戦乱の渦。今や一つの意志に統一された大帝国よりは、身を隠すのに適している。


 それにイルシアは、大帝国統一戦役で活躍しすぎた魔人兵の創造者。当の魔人兵であるルベド達と造り出した者――大帝国に背を向ける以上、名が知れている西側に留まるのは危険である。


「ふぅ……ありがとう、美味しかったよ。片づけ頼んでもいいかい? 私、明日は早くてね」


 食事を終えたイルシアは、そういって食卓を立った。


「ん、それはいいが――珍しいなお前、用事でも?」


 首を傾げるルベドに、イルシアは頷いた。


「明日、帝都に用事があってね。ちょっと朝早いんだ」


「へぇー」


「お買い物?」


「いや、ホーエンハイムに用事があってね。すぐに帰ってくると思うよ――多分、お昼前には」


 事実である。

 ホーエンハイムに研究の停止と亡命の旨を伝え、必要な準備を行う。その為の帝都行きである。


「りょーかい。じゃ、昼飯は作っておくよ」


「ふふっ、ありがと」


 会話も程々に、イルシアは翌朝に備えて部屋で眠りについた。


 そして明朝――トランクケースを持ち、念に備えて武器を隠し持ち、イルシアは自家用の魔導式車で帝都へ向かう。

 戦争の終わった今、検問は緩んでいる。だが念を入れて、イルシアは車から降り群衆に紛れて帝都へ入った。


 そもそも長期休暇の名目で正式に帝都から離れているのだから、そのような事をする必要はないのだが――今のイルシアには、背負う者がある。警戒するのは当たり前だった。


「……いつも以上に騒がしいね」

 

 戦勝に沸く帝都の喧噪に紛れて、イルシアは魔法局がある軍施設区へ向かう。

 軍施設区に立ち入った瞬間――


「パラケルスス局長、ちーっす」


 ――物陰から現れた女の軽い調子の声によって、冷や水を浴びたような心地になる。


「れ、レネシア……」


 茶髪に糸目の女軍人。レネシア――魔人兵の監視を担っていた軍部の鈴だ。


「休暇は終わりっすか? 局長さん」


 変わらず高い声と軽薄な態度だが、イルシアは決して安堵できぬ圧を、その女から見出していた。

 些少なりとも、軍に携わっていれば知っている。

 レネシア――諜報部隊に所属する、始末屋の一人。軍にとって不都合なモノを殺し、抑え、耳となる存在の一部。


「あ、ああ――いや、少し野暮用があって戻るだけさ。もう少し休暇を満喫させてもらうよ」


「へへへっ、確かに局長さんは忙しいっすからね。それに――」


 レネシアは糸目を開き、その奥にある熱を感じさせない焦げ茶色の目を向けてくる。


「――ニグレドちゃんやルベド君達の事が、心配っすもんねぇ」


 ――心臓が跳ねた。

 

「っ――」


 後ろへ後退り、ポケットに突っ込んだ小型の拳銃を引き抜くより早く、レネシアの周囲やイルシアの背後から小銃を突きつける兵士が現れた。


「っ!?」


 驚愕も露わに固まるイルシアを意に介さず、兵士の一人が口を開いた。


「――魔法局局長、イルシア・ヴァン・パラケルスス殿。軍部の命令不履行、及び戦略級兵器の個人所有の嫌疑が欠けられております。――ご同行、頂けますね?」

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