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134 分水嶺《前》

 実の所、現状のイルシア達が立たされている状況はそう良くはない。


 隠れ家として確保した郊外の研究所――現在ルベドらと潜伏しているこの場所は、物資などの調達の面も考え、人里からはそう離れていない。

 

 特に物資の補給が問題だ。

 軍部から処分を命じられたルベドら魔人兵を匿っている以上、補給に際して人里に向かう姿をやたら目撃されるワケにはいかない。


 故に調達はイルシア自身が雇った手の者を二重にも三重にもして、宛らバケツリレーのように行っている。


 ルベド達に魔力を供給するシステム、アポカリプス・ドライヴは既に接続を解除されている。

 現状の研究もイルシア一人で行っており、唯一この事を知っているホーエンハイムは、長期休暇という名目で空いた主席開発長代理を務めている。


 これでルベド達に繋がる情報は無いと、イルシアとて思いたい。

 だがいつこの均衡が崩れるか分からない不安は、ジクジクとイルシアの精神を痛めつける。

 取り繕ってはいるが、ルベド達に余計な心配を与える事も避けたい。


 もしも、雇った者から情報が露見すれば。

 もしも、何らかの拍子に露見すれば。

 

 それに休暇――という名の潜伏にも時間制限がある。

 予定を伸ばせば軍部に嗅ぎ付けられる可能性も高くなる。

 研究の為の余剰も、そう多くは無い。


(いや……正直、それは問題ではない)


 先日、ルベドが焼いてくれた世話のお陰ですっかり片付いた研究部屋の中、イルシアは頬杖をついて考え込む。


 アルス=マグナ計画、最終段階。

 黄金錬成の成就、究極物質たる賢者の石の錬成。

 その為に必要な、他世界の魂。


 他世界――取り分け、地球と呼ばれる余剰次元の人類種は、魂の容積が大きい。

 しかし何度かの実証実験の結果、世界を超える召喚に耐え得る者は殆どいなかった。


 その結果よりイルシア達は、魂の容積とはその者の肉体や精神的、魔術的強さと必ずしもイコールではないと考え出した。

 世界を超えるには、別の素質が必要らしいという事も。


 召喚魔法とは、単に時空をこじ開けて余所から他者を攫う術ではない。 

 物語や、神話……他世界や未だ見ぬ次元に刻まれた「縁」を手繰り、呼び寄せる魔術系統。

 その在り様は、時空へ干渉するというより概念を操る魔法に近い。


 既に何処かの世界や次元で縁を刻んだモノは、得てして強大でよく他世界に招かれる。


 劫罰の熾天使、第五天のサンダルフォン。

 正義の天翼、光の竜神バハムート。

 激烈の雷、煌めくデーヴァのインドラ。

 堕天使の長、誑かしのアザゼル。

 異邦の邪神、識り得る貪婪のイゴーロナク。

 黒の魔王、聖約の破戒者ゴグマゴク。


 歴史上行使された最強に近い召喚魔法で呼ばれた存在達。

 そんな連中は余りに有名で強大故、いつどの世界時間でも、呼ばれるに足る運命を……縁を持っている。


 前述した怪物に比べれば、ルベド達は他世界に生きる只のヒト。

 呼ばれる由縁など、到底ないように思える。


(だが事ここに至って……私はルベド達三人を呼ぶ事が出来た)


 当時、そのことについて深くは考えなかった。

 形而上の存在や概念が絡む魔術系統である召喚魔法は、研究そのものが難しい上、そもそも錬金術師の多い魔法局の専門では無かった。


 最近になって理由を考え、イルシアは己なりの結論を出した。


 いずれ何かを成す意志を持つモノ。

 いずれ何かを遂げる運命を持つモノ。

 未だ辿らぬ未来で、縁を刻むモノ。


 他世界で過去に歴史と縁を刻んだ者ではなく、呼ばれた先で『これから』刻む者。


 彼等アルス=マグナは、そういう存在だったのだろう。


 ……召喚魔法は武力を必要としたり、特殊な技能や知識を保有する異界者を当て込んで行う術式だ。


 武力を当て込むなら相応しい化け物を呼べばいい。

 異界の知識や技能が欲しいのなら、相応しい存在がいくらでもいる。

 だから他世界に捨てる程いる只人を呼ぶ必要がない。


 縁を必要とされないモノを呼ぶ事は出来ない。

 求めないモノを求める事は出来ない。


 召喚魔法という技術そのものが、凡庸の存在を呼ぶようには出来ていないのだ。

 賢者の石材料確保の為の、他世界からの召喚実験が難航した要因である。


 だが彼等三人、魔人兵の武勇は広く知れ、今や大陸の覇権国家が警戒する程である。

 この世界の歴史に、否応ない物語として正しく刻まれたのだ。

 それこそ彼等の縁。呼ばれた当時は無かったが、今では確かに存在する、世界(ライデル)との由縁。

 

 そう考えれば、自分が出した一先ずの結論とも辻褄を合わす事が出来る。

 

 して、これの何が問題か。

  

 他世界の存在たるアルス=マグナシリーズの魂は、賢者の石の材料として必須。それは既にアゾットの一件で実証している。

 

 処分するか否かの論でホーエンハイムは、データは取れたのだから軍部に従い魔人兵を廃棄し、必要となれば改めて魂を呼べば良いと言っていたが……。

 だがそうなれば、いざ賢者の石錬成の為に異界の魂を呼ぼうとしても、叶わない可能性が生じる。


 既に他世界のニンゲンを呼ぶ為の縁が――ルベド達の由縁が使われているのだ。次の召喚も同じように行くとは限らない。

 

 そして賢者の石の錬成に届かせるには、確実に三人分の魂が必要。

 仕損じれば二度目は無い、そう見るのが妥当。

 

 それらが既に賢者の石錬成の方法が分かっていながら、イルシアに躊躇わせる要因。


(いや……それらしい理由をいくつも並べてはいるが――)


 私は結局――


「――また難しいカオしてるな、お前」


 物思いに耽るイルシアを横から覗き込むようにして、随分と聞き馴染んだ青年の声が飛んでくる。


 横に立っていたのは、コチラを案ずるように優しい憂いで強面な狼の顔を歪めた、馴染みの青年。


 いつも着ていた硬い軍服は何処やら、今はノースリーブの平服、ゆったりとしたズボンにブーツといった、平々凡々な恰好をしている。

 格好といい、邪魔にならぬよう髪紐で束ねた赤銅色のタテガミといい、目を引く紅い毛並みと瞳、強靭な身躯といった要素に目を瞑れば、そこいらにいる町人という風情である。

 

 そんな彼――ルベド・アルス=マグナは、手に持った茶をイルシアの傍に置くと改めて小首を傾げて見下ろす。


「ルベド――いつの間に?」


 ルベドが自室に入ってきたことに気が付かなかったイルシアは、感じた動揺を抑えるようにして尋ねる。


 確かにルベドは素直ではないし酷く皮肉屋な一面がある。

 だがそのような彼でも、他者の部屋に入る際ノックも断わりも無しに上がり込むような不調法は犯さない。

 少なくとも最近は殊の外、そのような顧慮を覚えて来たのだ。

 

 果たしてルベドは、少しばかり呆れたように目を細め、後に肩を竦めて見せる。


「茶の代わりを所望したのはお前だろ。返事無かったから、また根を詰めてるのかって心配してやったんだよ」


 言葉こそ棘と皮肉に満ちているが、声色は酷く優しく、そこには出来の悪い兄妹を正す兄か、或いはだらしのない親を介抱する肉親のような柔らかさが含まれていた。


 どうやら替えの茶を用意してくれたらしい。

 そういえばイルシア自身が彼に頼んだ事であった。思索に熱中するあまり、周りの事が入らず漫ろになっていたようだ。

 己の粗忽さに思わず口角が上がり、イルシアは謝罪の意を込めて目を軽く伏せた。


「すまないね、ルベド。私から頼んだってのに、すっかり忘れていた」


 謝意の後に温かなカップを持ち上げ、程よい熱を湛えた紅玉色の液体を一口。

 味も熱さも狙ったようにイルシアの好みだ。満足げに頷き、彼女はソーサーにカップを戻す。


 ……もっとも、研究に打ち込むのが常であるイルシアにとって、茶の味は些事。専ら眠気を覚ます為に茶の成分(カフェイン)が欲しいだけなのだ。


 それは兎も角、供した茶に手を付けたのを確認したルベドは、ゆるりと視線を彷徨わせてから改めてイルシアを見据える。


「最近よく悩んでるな。ケンキューとやら、行き詰ってるのか?」


 どうも昨今のイルシアの態度のせいで気を揉ませてしまったらしい。素直じゃない狼の、如何にも慣れてない気遣いに、イルシアはクスリと微笑んだ。


「ふふっ、まあ、悩んでいるといえばそうなんだけどね……」


 言葉の最初は愉快そうだったイルシアだが、尻下がりにトーンが落ち込んでいく。

 イルシアの憂慮は正に今目の前にいるルベド――もとい、彼等アルス=マグナシリーズの魔人兵達の事である。

 

 賢者の石錬成の為には、彼等アルス=マグナの魂が残らず必要。

 材料として供するという事は、人身御供が如くその身を贄とせよと命じる行為に他ならない。


 賢者の石となった魂の行方、人格がどうなるかは未だ未知数である。先んじて行った実証実験では、その点で満足の行くデータを取る事は出来なかったし、万全を期してもう一度、というワケにも行かない。

 イルシアの現状では、再度の実験を行う設備を用意できないからだ。


 ホーエンハイムと共に行った唯一の実証もバカにならない費用と甚大な魔力を必要とした。

 その際は使途に使用方法、共に不明であった〈黙示録の断章フラグメント・アポカリプス〉を、軍部より下げ渡されたお陰で賄えたのだ。此度も本番の錬成に挑むとなれば、やはり当の“アポカリプス・ドライヴ”を恃む為、魔法局に戻らねばならぬだろうが、今はいい。


 ――賢者の石、錬成における魂の行方について戻そう。

 仮に意識が残るとして、三つの魂、人格を綯い交ぜにされた者の末路など、イルシアをして予想さえつかぬ領域――ではあるが、当人にとって愉快な末路とはいくまい。

 

 だが、それを命じなければイルシアの、友たるホーエンハイムの、この世界で研鑽を積み上げて来た先達の錬金術師らの宿願は果たせないのだ。

 

「ふーん、暇だし……手伝ってやってもいいぜ。素人だし、出来る事は高が知れてるだろうが……」


 イルシアの悩みを知ってか知らずか、ルベドは少し控えめに手伝いを申し出て来た。

 今日はいやに優しいな――なんて思いつつも、イルシアは申し出を刹那玩味する。

 

 イルシアの望みを叶えたいのならば、彼女が頼むべき事柄は至極単純。魂を捧げよ、人柱を待つ魔神が如くそう言えば良い。


 当然そんな事を面と向かって言えば、正気を疑われるか遂に処分が来たかと察するのがオチ。

 その後にルベドらが取る行動は分からないが、死ねと言われて心穏やかというワケにも行くまい。大いに抵抗する可能性もあり得る。

 都市一つ、ともすれば国一つ葬れる魔人を前に、単なる錬金術師のイルシアが抗って実を結ぶ事は無いだろう。


 しかし偏執的な研究者であるイルシアとて愚かではない。

 軍部への兵器供出として依頼されてた魔人兵に、セーフティやフェイルセーフの類を搭載しないハズが無いのだ。


 魔人兵の首後ろ――脊髄近くには、設計制作者であるイルシアは勿論、対となる装置を持った個人が一言命じるだけで、対象の動きを即座に無力化、或いは即死させる事が叶う呪具が埋められている。――彼等魔人兵には、知らされていないが。


 仮に知れた所で、魔人兵が解除できるようなシロモノではない。

 出来るとすれば、アルス=マグナシリーズの設計を務めたイルシア、或いはその補助であるホーエンハイムくらいなモノだろう……。


「――そうだね、ルベド……いや、三人皆に、頼みたい事があるんだ」


 ――時は差し迫っている。

 アポカリプス・ドライヴがある魔法局を秘密裏に確保し、賢者の石錬成の儀を行うにも時間がいる。

 

「俺だけじゃなくて、ニグレドとアルベドもか。相当に悩んでるな、言ってみろよ」


 今まさに身命を握ろうとしているとは露も知らず、ルベドはただ柔らかに続きを促す。

 それを余所に、舌の中で発すべき言の葉が転がる。


 ――私の為に、死んでくれ、と。


「私の――」


 瞬間、刹那、間隙に過る否応ない躊躇。

 視界の中、眼鏡を越して見える紅い狼。威容とは裏腹に、不器用でヘソ曲がりな優しさが、眩い光となってイルシアを貫いた気がした。

 

「っ――」


 言の葉に、詰まる。

 続く死の呪いが、どうしたって喉を痞え出てこない。


 どうしてだ、私は今まさに宿願を果たすべく、目の前の青年を――ともすれば少年ほどの元兵器を、殺そうとしていたじゃあないか。


 研究に行き詰まった時、軍部からの冷遇、彼等の処分命令――それらに直面した時でさえ、今の半分以上は冷静だった。

 空白の中、イルシアの口が開く。


「――私の……研、究に必要な植物があって、収穫と……処理を、手伝って……ほしいんだ」


 混乱のあまり動かぬ思考は、或いは秘めて直視せぬよう逸らした心理を投影するように、勝手に唇を動かした。


 歯切れの悪い言葉にか、それとも思ったより簡単な願いだったからか、ルベドは目を瞬く。


「そんなんでいいのか? ……分かったっ、んじゃアイツらに声かけてくるから、準備しとけよっ」


 それも一瞬、すぐに年相応の微笑みを湛えたルベドが、機嫌良さそうに尻尾を揺らして部屋を出ていく。止める間も無く行った彼の姿を見て、今更ながらイルシアは自分の行動に驚愕していた。


「私は……」


 途端に感じた強い忌避感が、無意識に言い訳を紡いだ。

 我知らずの内にイルシアは口に手を当て、その突飛さに目を見開く。

 イルシアの研究部屋を、いつになく重い沈黙が包み込む。

 それは、彼女が立ち上がって部屋を去るまで続いた。

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