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132 黒、白、赤

 ダグラスとの面会から数日――。


「パラケルスス、通達は聞きましたね?」


 魔法局の研究所へ戻ったイルシアを出迎えたのは、彼女の同僚にして友たるノストラム・ホーエンハイムであった。

 イルシアは表情を硬くして彼に応じる。


「ああ、取りつく島も無かった」


「何とも嘆かわしい事ですね、魔導の真理を理解できぬのは」


 ホーエンハイムは酷く物憂げに首を振って、イルシアに応じる。


 イルシアは思い出す。

 この男は確かにイルシアと同じく、研究に血道を上げる狂気を持つ。

 友である。共に研究し、漸く望んだ結果に辿り着けそうになった。


 ならば――


「……その事で話がある」


 共に、道を進んできた友だ。故にこそ、きっと理解して貰える。

 彼らは、死なせるには惜しいのだと。


「――ここでアルス=マグナシリーズを喪えば、また黄金錬成への道が遠のいてしまう」


 ……イルシアらしからぬといえば、そうである選択だ。

 他者の介在を前提として物事を立てるなど、普段の彼女からすれば有り得ない。

 だが彼女一人では抱え込んで解決できる問題ではない。

 必要なのだ、叛逆をも厭わぬ共犯者が。


「私は、彼らを処分せず匿うつもりだ」


 囁きにもほど近い小声で、だが確かに意思を以ってそう告げれば、ホーエンハイムの陰険そうな目が見開かれた。


「それはっ……」


 吐き出すような驚愕の後、ホーエンハイムは周囲の目線や耳を気遣うように目を走らせて囁く。


「……それは、大帝国への反意では」


「そうだ。だが我々(魔法局)を蔑ろにする軍部に、従う義理など在るだろうか? それも、彼等アルス=マグナシリーズを、黄金錬成への手掛かりを捨てろ等と……!」


「……ですが、我々にそのような権利など。万が一にも軍部の決定に背いた事が露見すれば、立場も命も保障はありません」


 イルシアの力説にも、ホーエンハイムは迷い反論する。


「確かにアルス=マグナシリーズは貴重なサンプルですが、正直そこまで固執する意味が理解できません。データは取れたのですから、また別のアプローチをとればいいだけの話では」


 そう反駁するホーエンハイムの主張も、イルシアには一応理解は出来た。


 ……“黄金錬成(アルス=マグナ)計画”――軍部より通達された戦略級兵器の開発プロジェクト。

 だが真なる狙いは、錬金術の秘奥義とされる「賢者の石」そのものの錬成である。


 魂という不壊の存在を物質に変え、万能の触媒と成す。

 「賢者の石」なる存在の正体はそのようなモノであると、イルシアとホーエンハイムは研究の果てにそう当たりを付けた。


 大帝国有数の錬金術師である二人は、試作品を錬成するに至った。

 それは彼女達が理想とする「伝説」には程遠い代物だったが、賢者の石が実在するという実証には十分だった。


 だがこの世界の魂では、「賢者の石」を作る事が出来ない。

 材料は魔物や動物ではなく「人類種」の魂でなければならないが、この世界のモノでは容積が足りない。


 その折、イルシアかホーエンハイムか、どちらがある時言ったのだ。


 “この世界で足りぬのなら、他所から持ってくればよい”


 その発言より、他世界から素材を調達する事を思いつく。

 肉体も魂も揃った完璧なヒトを呼ぶには、国家一つの魔導具を賄えるだけの魔力が必要となる。

 

 故に魂のみを招き、それをコチラ側で作った肉体に留める。


 その結果の果て、各種調整を施し兵器と成したのが「魔人兵」……アルス=マグナシリーズ、黄金錬成のプロトタイプである。


 魂を他世界から招く事は実証できた。

 だから魔人兵が用済みと軍部に命令されるのであれば、消すのもやむなし。

 また必要になった時に呼べばよい。暗にホーエンハイムはそう言っているのだ。


「確かにそうかもしれないが……処分命令は実質的な研究停止。ここから次は無い。もう黄金錬成(アルス=マグナ)計画は終わりだよ」


 だから彼らを処分すれば、もう次は無い。

 そう続きを述べれば、ホーエンハイムは陰険な顔を更に難しく変えて腕を組む。


「私の行いに目を瞑るだけでもいいんだ。頼む、ノストラム」


「……少し、考えさせて下さい」


 言って、業務に戻ったホーエンハイム。

 その背中から窺える感情が何であるか、他者の機微に疎いイルシアには見通す事が出来なかった。


 視線をやるイルシアは、静かに溜息をついた。

 彼等アルス=マグナを守る事。それが今のイルシアには必要な工程。

 

 だが彼女は目を逸らし続けていた。


 黄金錬成(アルス=マグナ)計画の果て、外界の魂が必要になった時――。

 果たして何が違うのだろうか。

 研究の為に犠牲を生む事、不要になったモノを捨てる事。

 抱えたダブルスタンダードを直視すべき時は、いずれくる。

 








 ◇◇◇








「おら、出来たぞ」


 出来たばかりの魚の香草焼きを食卓に出してやれば、席に着いたアルベドが早速とばかりにナイフとフォークに手を伸ばす。


「では頂きます」


 容姿と性格通りか、優雅に香草焼きを食するアルベド。

 モグモグとゆっくり味わう姿を見て俺は少しの緊張を感じた。

 やがて彼はゆっくり目を開けると、俺を見やり笑った。


「うん、上手に出来てます。美味しいですよ」


「そ、そうか。なら、まあ、その――良かった」


 中々の高評価に俺は胸を撫で下ろす。

 

「上手くなったね、料理」


 そう声をかけてくるのは、オーブンにパイを入れて手持ち無沙汰になったニグレド。

 彼女の表情には優しさが滲み、黒い瞳は俺を楽しそうに見つめる。


「まあ、教わってるし、俺だって上達する」


 最近はめっきりこのように会話する事が無かったのも相まって、未だ慣れていない俺は照れを隠すようにそっぽを向いた。


「最初は酷かったのにね」


「下処理も曖昧、生臭くて食べられないなんて当たり前だったのに、数日のうちに上達しましたね」


 そう笑うアルベドに思わず睨みを飛ばすが――事実なので何も言えずに黙る事しかできない。

 

 仕方ないだろう、ちょっと前まで戦争に興じていて、それ以前はアレである。料理のイロハなど知らず、こうしてアルベドに手ほどきを受けていたのだ。


「俺としては、お前が料理なんて出来る方が驚きだったがな」


「昔――こうなる前に趣味だったんですよ」


 前世の頃だろう、アルベドは遠くを見つめるような目を見せた後、残りの魚を旨そうに頬張った。


「ワタシのも出来そう! 今度はきっと上手くいくよ!」


「どうだか、ニグレドって何故かレシピと違う事しちゃいますし」


 そんな会話に興じながら、俺は小さく周囲を見回した。


 俺たちがいるのは、こじんまりとした郊外の家。帝都からは大きく離れ、周囲に文明があるかも怪しい田舎である。

 かつて俺たちアルス=マグナが過ごしていた研究所に似ているが、別の場所だ。


 今や俺たちは軍服に身を包む事もなく、平服のままこの温かな家で穏やかに過ごしている。


「……アイツには、感謝しないとな」


 空いた皿を台所で水に掛けて、香草の粒が浮き上がる様を眺めながら呟く。

 

 ――事は一週間と数日前。


 大帝国を取り巻いていた戦争は、ローヴェニア公国の降伏と共に終了。

 晴れて大帝国の世が訪れたワケだが、俺たち魔人兵にとってそれは凶兆であった。


 戦時中から軍部の当たりが強いのは分かっていたが、戦争が終わった途端お前達は用済みだと、魔法局に通達されたらしい。


 ……覚悟はしていた。

 いつかは用済みだと告げられて、モノを捨てるように廃棄される事もあり得るだろうと。

 ここまで早いとは思っても見なかったがな。


 だがイルシアは俺たちを殺さなかった。

 軍部が絶対的な権力を握る現状にも関わらず、イルシアは俺たちこうして郊外の邸宅に匿ってくれた。


 はっきり言って、驚いたよ。

 あの女はそんなタマじゃないって言うのが、正直な印象だったから。


 性能や成果を惜しみつつ、俺たちを捨てる事くらいしそうだと思っていたんだがな。

 

 お陰でこうして隠居生活を営む事が出来ているワケだから、感謝してもし切れない。

 正直大帝国相手に逃避行も覚悟していたからな。


 彼女が如何なる思いと理由とで俺たちを守ったにせよ、救われた以上は感謝の念が湧く。

 

 ――二回目の生を貰い、姉と兄に恵まれた。

 

 それだけでも十分過ぎるくらいだった。

 だからイルシアが俺たちを大帝国に売ろうとも、仕方ない事と諦観していたやもしれない。


「珍しいですね、ルベドが感謝するなんて」


 いつの間に俺の横に立っていたアルベドが、失礼にもそんな事を言いやがる。

 どうやらニグレドの料理の様子見についてきたらしい。


「何も言ってない」


「僕も、マスターには感謝していますよ」


 分かっていますとも、等と言いたげなアルベドの目線から逃れるように否定すれば、彼はクスリと微笑んだ。

 

「戦うようになってから、その……こうして話す事も無くなって、だから感謝しているんです」


 そう続きを述べるアルベドの表情は先とは打って変わって少し暗く、何かを思い返すように陰りを落としていた。

 

 ……。

 歌劇場での事件より戦う覚悟を決めた俺は、我武者羅になって戦争に身を投じていた。

 ヒトを殺しても何も感じない、麻痺した心の俺に出来る恩返し。

 俺が大量に殺せば、その分だけ二人が楽になると思っていた。

 

「……アルベド、お前はどう思っていた?」


「ルベドが戦う事について、ですか?」


「ああ」


 俺の問いかけには、自分でも分かるくらいの不安が見えた。

 どれだけ鈍くても、俺が積極的に戦いに参じるのを良く思っていないのは分かる。

 だが、それを言葉に聞くのは初めてで――


「そりゃ、悲しいですよ。僕たちの為にそうしている、としても――」


 果たしてアルベドは、諦観の笑みを浮かべて語り出した。


「どこの世界に、弟に殺しをさせて喜ぶ家族がいるでしょうか」


 家族、という単語に胸がざわめく。

 俺にとっての家族の姿は二つ。もう片方の姿は随分と遠くなってくれたが、それでも未だチラつく。


「それを望まれたのが俺たち魔人兵だ。やらなきゃいけない以上、一番向いている俺が片づければ済む」


 このどうしようもない世界に道具として造られた以上、命令には従わなければならない。

 背けば反意ありと、処分されるのがオチなのだから。

 

 それにさえ目を瞑り、やるべきことをやり続ければ、俺にとって欲しいモノ――三人での平穏は叶ったから……それで全く良かったのだ。


「……たった一人に背負わせて、それで得られる安穏に意味なんてありません」


 だが、アルベドはそれを否定する。

 優しくも確かに冷たく、俺の考えを拒絶した。


「ニグレドと僕を家族と認めてくれているのなら、痛みも喜びも分けてください」


「……あんなのは別に痛みなんかじゃない」


 ――実際、殺しても何も感じないのだから。


「でも僕らは、それが痛いんですよ。貴方が前線で返り血を浴び、軍服を翻し、大帝国の死神と誹られる度、僕の脳裏には臆病だった小さい弟が過るんです」


 語りが過ぎていくたびに語気が強まりアルベドの視線が苦々しく変わる。

 ……皿を洗う手が思わず止まる。サラサラと水が流れる音だけが、二人の間に響き渡った。


「……俺はな、アルベド。お前が思ってる程まともなヤツじゃないんだよ」


 ――秘めて置こうとしていた俺の過去。

 あの日、三人で空を見上げた時にさえ終ぞ出なかった穢れた思い出。

 何故か、今なら言える気がする。


「死んだヤツを呼び付ける以上、時代は結構マチマチらしいな。俺は――所謂、世界大戦の最中に死んだ」


「え……?」


 アルベドの当惑を無視して、語りを続けようと口を開く俺。

 今止めれば、きっともう二度と言う事は無いだろうから。


「三度目の世界大戦は、俺が生まれた国をも焼いた。酷くなる国内に比例して、俺の親共はクズになっていった。母親は蒸発、父親は俺を殴る殴る」


「……」


「俺にとっての“家族”は、そういうモノだった」


 アルベドの目には一瞬様々な感情が浮かび、その中に哀れみが見えた――が、彼はそれをすぐに消し、黙り込む。


「いつだか、ついに俺は父親に殺されそうになった。死の恐怖から逃れるように、俺は……親を、殺した」


「父親を……」


 ボソリと呟くアルベドの声からは、何とも言えない感情が乗っていた。それが哀れみか、感嘆か、侮蔑か――俺には読み解く事が出来なかった。

 遂に言ってしまった。今まで黙して秘していたそれを、口にした。


 アルベドの顔を見るのが怖い。彼の姿を見る事なく、俺は逃れるように続きを語り出す。


「生きていたいと思えないのに、俺は退廃した時代を必死にいなしていた。だから死ねた時、心の底から安堵したんだ」


 今でも、その時の安心感は覚えている。

 

「これ以上患う必要はない。このクソみたいな世界から逃げられる、抜けられるってな」


「……でも、続きがあったと?」


「……その通り。だからさ、俺は、あんなんだったんだ。同情してくれとか、あの頃の身勝手の言い訳をしたいワケじゃないが――コッチに生まれ変わったばかりの頃は、本当に嫌だったんだ」


 伏した目線の先には、水の張った皿がある。

 写り込む俺の瞳はいつものように紅。だが奥の瞳孔が僅かに揺れているように見えたのは、果たして水面故の錯覚だろうか?


「でも、そんなクソガキな俺にも、お前らはめげずに構ってくれた。本当に……感謝は、してるんだよ」


「ルベド……」


「早い話、もう俺は経験済みだったんだよ。そんな背景のせいか他人を殺しても何も感じなかった。それはいいんだ、でも――」


 俺は初めて視線を上げ、振り返り、傍に立つアルベドを見る。

 ゆっくり、ゆっくり顔を上げ、視線を巡らせ、白銀の青年に目を向ける。

 彼の白銀の目には、侮りも侮蔑も哀れみもなく、ただ俺の言葉を真摯に待っていた。


「俺は、お前達と違って初めから汚れていた。俺にあったのはこの穢れだけで、それを生かせるのは戦いだけだった」


 或いは遠ざけておきたかったのかもしれない。正しく見据えてしまえば、またぞろ劣等感が身を焼くのだろうから。


「恩を……返したかった。嬉しかったから」


 それでも、本意はそれだけだった。

 

「こうして……話せば済む事だった」


 戦時中、俺たちにあった軋轢。

 胸襟を開いて話し合えば終わる簡単な歪でしかなかった。


「だが俺の、この過去は見せたくない恥部だから、話そうとは思わなかった」


「……なら、今になって教えてくれたのは」


「……もう、戦う必要もないからな、だから言える内に。それだけ、多分、それだけ」


 そう、きっとそれだけなのだろう。

 

「ふーっ……」


 大きく息を吐けば、ちょっとした満足感が胸中に満ちていた。

 どこまでも自己満足だ。それでも吐き出せてよかった。

 案外、真意を隠し続けるのは辛いらしい。

 

 俺はアルベドの顔色を窺うように、チラリと視線をやる。

 彼は僅かに視線を落とし、その表情を硬く秘めていた。


「……怒ってるか?」


 それとも幻滅しただろうか。

 問いかけに不安の色が出てしまう。

 だがアルベドは俺を安堵させるように微笑んで見上げてくる。


「怒ろうと、思ったんですけどね。ルベドが心を開いてくれたのが嬉しくて、その気も消えました」


 その言葉に安易に安心してしまう俺だが、それでいいのだろうかと僅かに不安が過り言葉を重ねる。


「……悪い事、だったんだろ? なら、その、ごめん」


「いいんです、結局僕の思いも押し付けでしたからね。でも、次からは――これからは、存分に頼ってください」


 言って、俺よりも少し小さい兄は笑った。


「僕は貴方の兄ですから」


 兄、馴染みのない妙な響きだ。

 慣れるまで大変そうだが――その過程さえ前の俺には烏滸がましいモノだった。


「あんまり兄貴ぶるなよ、俺よりちっこいくせに」


「照れ隠しですね、いつも通りのルベドに戻って良かったです」


 ……見抜かれているのはむず痒いな。

 

「ねえねえ、出来たよ! 今度こそ出来たよ!」


 生温くなった俺たちの間に、ニグレドの快活な声が響いた。

 どうやらアイツの作っていた料理が出来たらしい。

 

「はいはい、分かりました。今行きますよー。ほら、ルベドも」


「ああ」


 今度は手を引かれるまでもなく、俺はアルベドの背を追ってニグレドの下まで向かった。

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