119 力と矛盾
「哀れな少年だと思わないか? 彼には何も無かったから、唯一あった心の歪みを、天恵として自らの武器にするより他が無かったんだ」
過去の記録の回想が一つ終わって、顔を上げた俺を迎えたのは、ルベドの皮肉気な自嘲だった。
「二人は彼に、彼が知らなかった数多の経験と、忘れてしまった幸福を与えた。だか彼が二人に返礼として返せるようなモノは何もなく、だから拒絶し続けていた。受け入れてしまえば、何も返せない自分の愚かさと惨めさを自覚する事になるから」
ルベドは肩に垂れた自分の長いタテガミを弄りながら、抑揚の無い声で語る。瞳の色は俺と同じく、そしてその名に似て赤く、ただ水面のように凪いでいた。
「弱ければ奪われると事の始めに思い知って、そして全てを呪いながら『次』を迎えた少年は、またしても弱肉強食という、陳腐な原理原則を再確認した。だが、今度は違ったんだ」
ルベドは視線だけを俺に投げて、牙を剥き出して微笑んだ。狼としての姿に相応しい、獰猛な笑み。
「彼は、それを使えるモノだと知ったんだ。お前も数多く行ってきたように、阻む者のありったけの想いさえ、己の主我を以って踏み躙る。そしてそれを悼むことなく行える自分の心の歪は、確かに才能に成り得るのだと」
ルベドは牙を剥き出して邪悪に笑うと、俺を見据えた。
「お前もそうだろう? お前も数多くを踏み躙り、そしてそれを悼む事も想うことも無く先へ進んでいる。他者の心に意味など無いと断じながら、一方で創造主の心理に従っている。――それが大いなる矛盾と自覚しながら」
矛盾――理にそぐわない不条理を、頭のいい誰かかそう呼び始めた。
そう、他人がどんな思いを抱いて生きていようと、どうでもいいと切り捨てて蹂躙してきた。
それが主の――イルシアの為になるならと、他がどうでもいいと思いながら、主という自分以外――つまり他人を慮って。
「――だが、それがどうした? お前はそう思ったハズだ。そうでなければ怪物足り得ない。俺がそう思ったのだから、その果てであるお前が感じない道理はない。全く、二人揃って清々しい程の純粋悪だ」
――そうだ。人にされて嫌な事はやるな、なんて条理が通じるのはまともな善人だけ。
誰が泣こうが喚こうが、どうでもいい。俺と、イルシアさえ良ければそれでいい。つまりは単純な順位付けでしかない。
だが、この存在意義は、目の前の本物より生み出されたモノ。俺自身のモノでは――ない。
だからこうして疑問が生じている。イルシアが本物のルベドを再誕させたくて俺を創り上げたのだとしたら、俺は――。
「生まれながらの矛盾者。俺達とは、そういう怪物だ」
――或いはこうして惑うことさえ、生まれた時に抱えた不条理なのかもしれない。
「だからその果てを観よう。二律背反の獣の物語が、如何にして幕を引くのか。そしてどのようして『お前』に至るのか、その全てを」
◇◇◇
歌劇場事件から数日、俺達はいつもの郊外の研究所に戻って日常を過ごしていた。変わらない日常――とは、いかないが。
単純な所で言えば、戦闘訓練が増えた。歌劇場の一件が効いたのか、イルシア――というより研究所の研究員らは、最低でも自衛くらいは出来るようにさせたいらしい。
まあ、当然の心理だ。
細かい所でいえば、ニグレドやアルベドの態度だろうか。
まず、寝る時は三人で川の字になって寝るようになった。ニグレドが駄々をこねたからそうなったのだが、その時、彼女の瞳は何かで震えていた。
それと、ニグレドはすぐに調子を取り戻したが、時折酷く物憂げな顔を覗かせるようになった。
アルベドの場合はより顕著で、食が少し細くなって、訓練の時に拳銃を持とうとすると酷く震えてしまう。
……俺? 俺は――
「――凄烈にて鮮烈、颶風巻き上げ炎々より舞い降りし爆精よ、汝、其の冷徹を以って破邪を下し悉くを滅ぼさん――」
魂より湧き出る根源的な力動――魔力に意識を集中させる。俺の意志に従って、赤い雷光の如き波動が発せられ、秩序的に沸き立っていく。
身体に奔る魔力回路が、魔力を肉体全てに伝達させていく感覚――満ち足りた瞬間に、鮮明なイメージを想起する。
爆裂、爆発――かつてあの世界で見たような、生者を滅ぼす蹂躙の威光。
同時に紡ぐ詠唱により、術式が形作られ展開される。詠唱により演算が完了し、法則を書き換える異能の発動が可能となった。
「――〈火葬撃〉」
魔法名の口上を以って術式の展開が完了――元素系統第九位階〈火葬撃〉が発動した。
対象地点となった藁束の案山子の群に、魔力の火花が迸る。パチリと、カメラのフラッシュにも似た眩さが煌めいたかと思えば――瞬間、魔力の閃光と共に突風が周りを吸収するように吹き荒れる。
「ッ……」
離れていても分かる程の異常現象に、見物しているニグレドとアルベドは目を細めて風から顔を庇う。
まるで竜巻が全てを巻き上げるかのように、風が収束したかと思えば――ドガァンと、鮮烈な爆音と共に炎熱が花弁の如く吹き荒れた。
数十メートル離れていても伝わる程の高熱が、着弾地点を徹底して滅却する。青い炎が大地を舐め、全てを塵へと帰す――魔法という幻想の産物にしては、些か以上に生々しく野蛮な光景だ。
「素晴らしいよ、ルベド」
魔法の行使に成功した俺を迎えたのは、イルシアの疎らな拍手だった。眼鏡の奥から好奇の光を覗かせる彼女が、俺にゆったりと近づいてから、頭をポンと優しく叩く。
「元素系統第九位階魔法、〈火葬撃〉――対象地点に、摂氏五千度を超える高温爆発を起こす強力無比な攻撃魔法だ。火の霊薬が爆発した時の瞬間的な温度が四千度程度であると考えれば、この術式の攻撃力、推して知るべしといった所だね」
腕を組んでうんうんと頷くイルシアは、片目を見開いて俺をいたずらっぽく見下ろした。
「個人規模では、最大級の攻撃手段といっていい。君の今の能力、確実に最大限引き出せているね」
そういったイルシアは、再び俺を撫でた。
……あの歌劇場の事件の際、命の危険によって生存本能が刺激された事が原因か、出来なかった魔力操作が当たり前のように出来るようになっていた。
ニグレドやアルベドが多少の身体能力の向上に用いるのが精一杯な所、俺は三人の中で一番の魔力量、質、放出量を生かし、派手な攻撃魔法を行使する事が出来ていた。
というか、イルシア曰く、既に歌劇場で銃を撃ったりしていた時点で、俺は魔力の操作を無意識に行っていたらしい。
そうじゃなきゃ片手で銃撃ったりできないし、集中した瞬間、時間感覚が都合よく緩慢になったりしない。
「……凄いね、ルベド」
俺の訓練を眺めていたニグレドが、儚く微笑んでそう呟く。余り嬉しくなさそうだ。
……嫉妬しているからとか、そういう理由じゃないのは流石の俺でも察せられる。
「……ルベド」
同じくアルベドが、俺の名を不安げな声音を以って呼び掛けた。
心配しすぎ――と笑う事は出来ないな。一悶着あったばかりなのだ。気にするのもむべなるかな。
「俺は問題無い、気にすんな」
だからその不安を拭うように、俺は努めて明るくそういうと、更にニグレドとアルベドの表情は曇ってしまう。
これ以上、どうやっても二人の気持ちを宥める事は出来なさそうなので、俺はニグレドとアルベドから視線を逸らし、イルシアを見上げた。先ほどの彼女の発言で、問わなければならない事がある。
「――おいイルシア、俺の能力、最大限引き出せてるって言ったか?」
「ん? まあそういったね」
「つまり、これ以上デカい魔法は使えないって事か?」
――俺の懸念、イルシアの先ほどの発言が真実ならば、これ以上の成長は望めないと言う事。
正直、この程度では足りない。
俺が望むのは、力だ。
力、それも圧倒的な力。
指で弾くだけで国が滅び、吠えれば大津波が巻き起こり、広大な自然すらも滅し切る程の圧倒的な力。
だからこの程度では、足りない。
「……まあ、今の所はね。けど、調整を施せばその限りではない」
イルシアは俺の問いに、真剣な顔で答えた。
「君を設計した時に、術式への適正を完璧に与えた。だから問題は魔力総量だ」
「……つまり、作り方は知っているけど材料が足りないって事か?」
「うむ、言い得て妙だね」
ならばその「調整」とやらを行えば、すぐにこれ以上の力が手に入るって事か。
初めてだ、利用される側として、武器として生み出されたのを感謝したのは。
こうして力が、容易く手に入るのだから。
「にしてもルベド、随分と明るく――というより、活発になったね」
「別にいいだろそんな事。それで、その調整とやらをすれば、俺はまだ強くなれるんだろ?」
俺がそういうと、後ろからニグレドが遠慮がちに手を掴んできた。
ニグレドの柔らかく、俺より少しだけ大きい手が温かく包み込んでくる。
「んだよ」
「……ルベド、何か変だよ。前まで……そんなんじゃなかった」
「……」
ニグレドの懸念に、俺は思わず沈黙してしまう。
彼女が言った通り、自分でも己の変化は理解できる。前の俺と比べたら、確かに差異が目に付くだろう。
だがそれも仕方ない。今までの俺はただ漠然と生きていて、二人の優しさに身を委ねていただけだ。
だからここからは違う。俺は目的を見つけた。
或いはそれが、俺に活力を与えているのだろうか。
ヒトが原初に持った武器は意志である。心こそが高尚なモノだと、少年漫画の主人公じみた事を言うつもりはない。いくら意志が、心が強かろうが、現実的な能力が伴わなければ意味がない。
だが意志が無ければ、そもそも行動を起こす火種さえないのだ。意志を以って撃鉄さえ起こせば、あとは見ての通りだ。
この撃鉄が如何に穢れていようとも、バカなクソガキを立ち上がらせる火花となるならば、否も応もありはしない。自らに従いて、ただ力を欣求するのみ。
「――だったら、お前も変わったぞ。前までそんなんじゃなかった」
かなり意地悪で、デリカシーにかけているとは分かっていても、俺はあえてそう返した。
お前らの分までヒトを沢山殺します、なんて素直に言えないから。
「うっ……」
俺にそう言われると、ニグレドはバツが悪そうに呻いた。どうやら自覚症状ありらしい。
俺はニグレドの背中を尻尾で叩いてから、少し離れた所に移動していたイルシアの隣まで歩いて振り返る。
「魔力とかいうのが分かるようになって、モチベが出ただけだ。気にすんなよ、キモイから」
「……」
にべもなくそう言い放つと、ニグレドは少しだけむくれた顔をした後、溜息をついた。
「分かったよ、ルベドがいつも通り偏屈で口悪いのは」
そういうと、ニグレドは訓練に戻っていった。
「……」
一連の様子を眺めていたアルベドの不安げで怪訝な視線は、最後まで拭われる事が無かった。
ニグレドは言いくるめられたが、アルベドはムズイな。
まあ、今はいい。兎に角イルシアと話の続きだ。
「――それで、その調整ってのはいつから出来るんだ」
「やろうと思えば今からでも出来るけど……」
今からでも出来る。ならば今からやるより他は無い。
「なら、さっさと始めよう」
「――話を最後まで聞いたらどうだい? 詳しい説明は省くが、現時点での急な調整は、君の身体に大きな負担が掛かるんだ。とても苦しい施術になる」
などと言ってくるが関係ない。苦しいのは嫌いだが、不本意ながら痛みには慣れている。
「――んな事どうでもいいから、さっさとやらせろよ」
「どうでもいいってなんだい。ようやく成功したサンプルに、余計な負担を掛けるワケにはいかないんだ。だから今はダメだ」
「この頑固女め」
「どっちが頑固だい! 全く、これ以上は取り合わないからね」
そう放言し、イルシアはずかずかと研究所まで戻っていく。
「あ、待て!」
俺はそんなイルシアの背中に叫び、急いで彼女の後を追っていった。




