117 開演
ニグレドの要望通り、エレナは彼女が知る中でも、かなり食事の美味しい所とやらに案内してくれた。
帝都ロイヴァ、その大通りに隣接するレストラン。レストランで食事という、慣れない難事をどうにかこなした俺は、飯を喰えて機嫌のいいニグレドらと帝都の観光と洒落こんでいた。
「さっきのお店で食べたステーキ、美味しかったなぁ」
「帝都の名所を見てその発言、どうかと思いますけどね」
帝都の名所、白銀の尖塔――偉大なる初代皇帝、大帝アウグスト自らが軍を率いて蛮地の平定に向かい、無事凱旋したことを記念して建てられた塔――らしい。
希少な金属をふんだんに使用して築かれた塔の全長は百メートルを超えており、当時それだけの建築物を建てるには、並々ならぬ労力が必要だったとか。
「記念碑的な側面が強い建物ですが、地下の霊脈から魔力を吸い上げて、帝都を守る結界を展開している事でも有名ですね」
「ふぅん……」
エレナの解説を聞いて、俺は気のない返事をしてその塔を眺める。百メートルの建造物と聞くと、かつていた地球ではとても珍しいというモノでも無かったが、この世界で見ると多少なりとも感慨がある。
陽光の元、煌めく白銀の塔。確かに名所になりそうな見た目だな。
「中には入れないの?」
「帝都の警備に関わる施設でもあるので……ですが、アウグスト大帝の凱旋を祝う記念日には、一般公開もされますよ」
実はあの塔が結界の魔導装置になったのは最近で、それ以前は本当に唯のモニュメントだったんです、とエレナはいたずらっぽく笑った。
「名実共に帝国を守っているとなれば、箔が付く……って事ですね」
「――言ってしまえば、そういうことではあります」
アルベドの補足するような発言に、エレナは苦く微笑んで同意した。
なるほど、一つの建物にも歴史ってのがあるモンだな。
等と心底どうでもいい感想を抱きながら、ボケっと塔を眺めていると、
「では、次へ参りましょうか」
次の目的地へ向かうとする、エレナの言葉で気を引き戻された。最後に一つ塔を一瞥してから、俺は早歩きでエレナについていく他二人の背中を追った。
続いて俺達が案内されたのは、荘厳で大きな建物だ。ルネサンス様式――とでもいうのだろうか? 何とも華美流麗な外装である。
「これこそ、我ら神聖グランルシア大帝国の首都、ロイヴァが誇りし国立歌劇場です」
ドデカい建物を首が痛くなるほどに見上げ、口を開けてアホみたいに眺めていると、心なしか誇らしげなエレナが胸を張ってそう紹介する。
エッヘン、という擬音がつきそうな程である。
「歌劇場……」
「つまり……劇場! 劇場ってコトは、劇が観られるってコト!?」
劇場と聞いて僅かに考え込んだニグレドが、両手を上げてぴょんぴょんと跳ねて、そんな事を言った。
劇場と言う事は劇が観られる――何ともバカっぽい発言である。
「ふふ、そうですよ。グランルシアの皇帝の一族は、芸術を愛する方々が多かったんです。この劇場も、そうした時の皇帝によって造られたんですよ」
ほう、皇帝が劇場をね。
確かに国立歌劇場だとか言っていたな。外観は優美で、これは名所と胸を張れるだろうと得心出来る。
そんな事を考えていると、エレナが腰に手を当て、ふっふっふと含みのある笑いを漏らした。
何事かと彼女を見ていると、どこからともなく紙切れを取り出して、それを宝物のようにして見せつけてくる。
「実は、丁度今日、とある演劇の公演日なんですよ」
演劇の公演日――それを聞いて目を輝かせたのはやはり、ニグレドだ。
「演劇!? 劇、今日、劇が観られるの?」
「ええ! 魔法局からパラケルスス局長が皆さんをお連れすると連絡された時に、このチケットを取らせて頂きました。人気なので、事前に予約できるかも怪しいんですよ」
大人気の演劇の席を、わざわざ俺達の為に用意したという事実に驚きつつ、俺は口を開いた。
「……どんな劇なんだ?」
「国立歌劇場が出来てから、長い間公演されている有名な演劇です。タイトルは『大帝の凱旋』――初代皇帝アウグストの偉業をつづる、傑作です」
……なんというか、戦時中にこういう演劇やってるって、どうしても――
「……なあ、アルベド」
俺は隣に立つアルベドに、小さく尋ねる。
「……え? ……ルベドが、僕の名前を……?」
何故か名前を呼んだだけなのに、鳩が豆鉄砲を食ったようなアホ面を晒すアルベド。俺はそんなアルベドに呆れた視線を投げた。
「んだよ……悪いかよ」
「いえ――ちょっと、面食らっただけです。どうしましたか?」
驚いた顔をしていたのは一瞬で、アルベドはすぐに俺の質問に答える姿勢を見せる。
「こういう演劇……ってか、その、宣伝的なのって……何て言うんだっけ」
「……? ――ああ、成程。多分、プロパガンダって言いたいんですか?」
「そう、それだ」
「まあ戦時中ですしね。専制国家があからさまなプロパガンダを流布するのは、そう珍しい事じゃないです。ナチスなんていい例ですし」
エレナを慮ってか、俺と同じようにアルベドも小声で質問に応じて見せる。なんだか余計なうんちくも付属してきたが、取り合えず思い出せない時のモヤモヤは解消出来た。
「聞きたかったことは、それだけですか?」
「そうだけど……悪いか?」
「いえいえ、ふふ、いいんですよ」
クスクスと笑われ、怪訝に感じながらも俺はアルベドから視線を逸らし、エレナの方を見る。丁度、興奮したニグレドを窘め終えたエレナが俺達を改めて見回していた。
「では早速、中に入りましょう」
にこやかなエレナに従い、俺達は国立歌劇場に入場した。
「……うわぁ、お城みたい~」
内部をキョロキョロと見回して、ニグレドが甲高い声を上げて感動する。
ニグレドが言った通り、確かに漫画だとか歴史の教科書だとかで見るような、華美な城を思わせる内装だ。金の装飾が特徴的な柱や、敷かれたフカフカとしたカーペット。煌びやかなシャンデリア――大帝国、なんて大仰な国の名を背負うに足る、豪奢さだ。
「綺麗ですねぇ」
「――演劇が始まるまでまだ時間がありますから、中を探検しましょうか?」
内装をキョロキョロと見ていた俺達に微笑んだエレナが、そう提案する。
探検か。興味はあるが――あんまり歩き回っても疲れるしなぁ。
僅かな逡巡を抱いていた時、ニグレドが両手を上げてキャッキャと喜んだ。
「探検する! したいしたい!」
やはりと言うべきか、ニグレドは探検したいと嬉しそうに叫んだ。当然ニグレドはこういうだろうという、確信があったので、俺は溜息をついて彼女を見やる。
「――やっぱりか」
「えへへ、いいじゃんルベド~」
「まあ、またとない機会ですし、見て回りましょうよ」
「……時間経ちすぎて、演劇逃したらどうするんだ」
「アレアレ~? ルベド、意外と興味深々だねぇ、え・ん・げ・き」
歩くのが嫌だったので、演劇を引き合いに出して適当に断ろうとしたら、ニグレドがニヤニヤと嫌な笑いを浮かべてそう詰めてくる。
「ハァ? 俺は別に――」
そんなつもりは無いのにそんな事を言われ、ムカついた俺はすぐに反論しようとするが、横に立ったアルベドに優しく肩を掴まれる。
「まあまあ、いいじゃないですか。なんなら、ルベドは待ってますか?」
アルベドは俺を気遣うようにそういうが……それも、何か、違う気がする。
……。
「……分かった。付き合ってやるよ」
「もー、素直じゃないなルベドは」
「うるさいなっ! お前の我が儘に付き合ってやってるだけだろうが」
「ルベドの方が我が儘だよ!」
この野郎ッ……ああいえばこういい返しやがって。
「こら、その辺にしてください二人共」
ヒートアップしそうになった瞬間、アルベドが止めに入った。取っ組み合い寸前といった俺達の間に割って、気安い微笑みを浮かべて仲裁してくる。
アルベドに窘められる所以はないが……仕方あるまい。
「……ふん」
「べー! ルベドのバカ。今日寝てる時に、毛抜いてやる」
「んだとテメェ!」
「ニグレド。今のは貴方が悪いですよ」
そうしてああでもない、こうでもないと言い合っていた時――
「……? どうなさいましたか?」
入り口で言い合っていた俺達の背後――つまり、入り口側から男が三人ほどやってきた。
男達は何というか……小綺麗にはしているものの、こういった場所には不釣り合いな、安っぽい恰好をしている。
そして男達が歌劇場に来た瞬間、様々な場所――例えば、お手洗いに向かう通路の影から、休憩する為の高級そうなソファから、同じような、少し安っぽい恰好の男達が立ち上がる。
……そして、何より、全員、異様な雰囲気が漂っていた。顔は強張っているし、目は僅かに血走っている。一言で言えば、緊張しているのだ。
だからそんな男が背後に立ち、コチラをジロジロと見てくるから、エレナは疑問を浮かべて怪訝そうに尋ねた。
「………」
三人の中、真ん中に立つ男がジロジロとエレナを見回した。餓えた男が女を品定めをするようなモノではなく……何というか、そう――これは……。
「その腕章……アンタ、大帝国の官吏か?」
男は、酷くぶっきらぼうな声音でそうエレナに尋ねる。ぶっきらぼうではあったが、何故か有無を言わさぬ迫力があった。
腕章……確かに、見て見ればエレナは右腕に腕章をしている。黒字に赤のラインが入り、中心に大帝国の国章が入っている。
「ええ……まあ、私は補助官吏ですが……」
困惑しながらも、男の質問に是と答えるエレナ。その様子を不安そうなアルベドと、のほほんとしているニグレドの間に挟まりながら見ていた俺に過る、奇妙な確信。
俺は、あの男の――あの目を、知っている。
そうだ、アレは……あの薄汚い世界でよく見た、燻るような恨みの炎だ。
「に、にげ――」
感じた恐怖に押されて振り絞るように、エレナに警告を飛ばそうとするが、俺の声は自分でも情けなくなるほどか細かった。
それに何より――遅きに失した。
「ッ……大帝国の犬め、死ねっ!」
男のぶっきらぼうな声音は一気に激情に満ちた怒声に代わり、胡乱な表情は殺意に漲った。瞬間、男は懐から何かを取り出す。
「ッ!? 皆、逃げて――」
一番先頭にいたエレナは、俺達に振り返って焦燥も露わにそう叫ぶ。当の俺達が何かをする間も無く、或いは感じる暇もなく――パァンと、乾いた音が、耳を劈かんばかりに近くで響いた。
「ッ……」
人一倍聴覚の良い俺は、その轟音で思わず目を瞑る。キィンと耳鳴りめいた音が反響し……その中で響いた、近くに何かがドサリと倒れる、別の音で見開いた。
「ひっ……エレナさんっ!!」
倒れた何かを見て、ニグレドが叫んだ。
「はっ……ああっ……」
そしてアルベドも、その白い肌を蒼褪めさせて、恐怖していた。
……俺の足元に転がっていたのは、エレナだ。背中――恐らく心臓の裏に当たるであろう場所から、血を流してうつ伏せに倒れている。
「――いやぁぁぁぁぁ!!」
一瞬の沈黙の後、歌劇場に絶叫が響いた。
「なんでこんなっ!」
「ひ、ヒトが撃たれっ……」
「け、警備はどこにっ!?」
絶叫を引き金にして、歌劇場は一瞬で阿鼻叫喚の地獄へと変貌する。尻餅をついて恐怖する者、逃げようと這いずるモノ……それらを抑えるように、再び銃声が響いた。
「動くな騒ぐなッ!」
銃声に再び歌劇場が恐怖でざわめき沈黙した瞬間、エレナに発砲した男がそう叫ぶ。
「我々は革命軍! 従属を強制され、戦地へ送られ消耗される属州民の代弁、正義の執行者である!」
革命軍……そう名乗る男らによって、俺達は一気に混沌の坩堝へ叩き落された。
――そこまで考えて気が付く。俺は、どうしてこんなにも冷静なのだろうか。今も、エレナが撃たれたばかりなのに。
そう思うと、ハッと気が付く。エレナの安否を確認していない。
「え、エレナさんっ……」
彼女はニグレドに抱き起されていたが、今にも死にそうであった。
「あ、あ、ああっ……はっ、はっ……」
背中から至近距離で発砲――銃弾は貫通していたようで、胸からも血を流している。ポッカリと空いた小さな傷口から血液をダラダラと流して、赤いカーペットを更に赤く生臭く鉄っぽく染め上げている。
胸を撃たれて呼吸さえままならないのか、目を限界まで見開いて、震える声で息らしきモノを紡ごうとしている。
「あ、あ――」
みるみる内に顔が蒼く白く血の気が引いていき――そして痙攣させていた手は、力なく垂れ下がった。
……絶命、したのだ。彼女は、殺されたのだ。俺達の、目の前で。
「エレナ……さん?」
力を失い、絶命したエレナの躰を揺すって、ニグレドは震えた声音で彼女の名前を呼んだ。
……限界まで見開き、恐怖の色を浮かべた眼球は、一切動くことなく止まっている。ニグレドが知らずの内に流した涙が、彼女の眼球に落ちても、一切動くことは無い。
「そん……なっ……!」
遅れて、エレナが殺されたことを理解したアルベドが、引き絞るような息を吐き出す。
……銃創から血を流し、硝煙と血液が混ざった独特の香り漂う光景。
あの世界で、何度も見てきた、退廃とした日常。
「動くな、ガキ共」
――ガチャリと、拳銃を構えて部品が擦れる音と共に、固くて冷たい何かが、俺の後頭部に突きつけられた。
「お前達には、ついてきてもらう」
背後からそんな命令が聞こえてきて、俺は思い出す。目の前で俺を、そして俺の後ろを見て怯えるニグレドとアルベドを見て、更に鮮明に想起した。
この世界で幸せに過ごす内に忘れていた事を。
あの世界の現実。
逃れらない因果を。
そして――死が迫るという、重圧を。




