114 少年と少女たち
あれから一週間が経っても、俺は魔力の操作を会得できていない。
普通のニンゲンが魔力の操作を会得するには、半年から一年掛かるともされている。
多分俺も、それくらいかかるんじゃないだろうか。或いは、それだけかけても使えないかもしれない。
他にやることも無いから、それなりに力を入れて練習している。
だというのに全くものにならない時点で、そんな考えが浮かぶのも当たり前。
漠然とした不安が、徐々に諦めを齎してくる。
「……」
今日も成果が得られず、俺は下を向きながらトボトボと歩いていた。日課になりつつある庭での戦闘訓練が終了し、昼食の為に部屋に戻っている最中である。
「ルベド、元気出して! ごはんの時間だよ!」
廊下を歩いていると、後ろからニグレドが飛び掛かって抱きしめてくる。衝撃とあの怪力によって締め付けられ、俺は目を見開いた。
「うっ!? ゲホッ……や、やめっ……」
どんな馬鹿力か、万力で締め上げるかのようにミシミシと全身から異音が響く。
身体が……絞まるっ!
「は……はなっ……せ」
「元気出して! 元気出して元気出して! ふふ、すっごいふかふか! ワタシ、大きな犬飼いたかったんだよね!」
おっきい犬と連呼しながら、俺の服に顔を潜り込ませ、背中に埋めて抱き締めるニグレド。どれだけ身を捩っても、巨大なハンマーを棒のように振り回すニグレドの膂力から、魔力さえ満足に使えない俺が逃れられるワケもない。
「……っ」
それを思い起こしてしまった瞬間、逃れようとする意志が消えてしまう。
どうせ何をやっても無駄――そんな、どうしようもない諦めが毒のように齎された。
「コラ、放しなさいニグレド。貴方の力はゴリラ以上なんですから」
そんな風にしたらルベドがボッキリいってしまいます。そう言われたニグレドは、顔を出してアルベドの方を向き、ぷっくりと頬を不満げに膨らませた。
「女の子にそんな言い方、しないでもいいじゃん」
「なら、まずはルベドを離してあげてください。馬鹿げた腕力があっても、良くない使い方さえしなければ、ゴリラなどと誹られる事もありませんよ」
言い返すニグレドだが、アルベドに簡単にいなされてしまう。そのやり取りの間も、俺はニグレドに締め上げているワケだから堪らない。
「もう!」
不満げに俺を離したニグレドは、アルベドに向けて舌を出す。
「うっ……けほっ」
圧力から解放された俺は、軽く咳き込んだ後フラリと倒れそうになる。……そんな俺を、アルベドが優しく受け止めた。
「大丈夫ですか、ルベド」
アルベドは俺を見下ろすと、優しく助け起こし、頭をポンポンを軽く撫でてくる。
……。
「……余計な、お世話だ」
どうにか自分で歩けるまで回復した俺は、そうとだけ言うと弱々しくアルベドを突き放した。
俺がそんな風にアルベドを拒絶しても、彼は一瞬僅かに驚いた後、優しく微笑むのみ。
……気に食わない。
助けた相手が、気にかけた相手がこうして不躾な態度をとっても、コイツは嫌な顔をしない。
ニグレドの場合は怒るが、それでも懲りずに関わってくる。
…………本当に、気に食わない。――きっと、素直になれない自分にも。
「あ、もうごはんが並んでる!」
アルベドにいいように扱われ、少し不満げだったニグレドだが、すぐにキラキラした表情に変わった。
視線の先、食堂に食事が用意されていたからだ。
食堂まで少し距離があるのだが、この身体は便利なモノで、ここからでも匂いを嗅ぎ分けられる。
「……」
……認めたくはないが、食事は確かに楽しみだ。
元の世界じゃ、満足な食事を摂れたのは生まれてからすぐの、僅かな時間のみ。
俺の記憶のほとんどは、乏しい量の不味い飯を、餓死を遠ざける為に我慢して詰め込んだ、苦い経験ばかりだ。
だから、ここの食事は……美味しい。美味しいから……少しだけ、楽しみだ。
「ふふ、昼食が楽しみですね、ルベド」
そんなことを考えていると、横でアルベドが俺に優しく笑った。
「何で、俺に……」
わざわざ名指しした事を怪訝に感じた俺は、アルベドに小さく聞いた。
どういうワケか、俺が尋ねるとアルベドは笑いを堪えるように口に手を当てる。
「ふふ……これ、言っていいんですか?」
「なんだよ……キモいから言えよ」
俺が急かすと、アルベドは口を開き――だが何も言わずにクスクスと笑う。
「だって……言ったら、ルベド、きっと怒ったり、拗ねたりするから」
「っ……マジでキショいから早く言えって!」
隠される事ほどウザい事はない。
俺が怒鳴ると、アルベドはこちらを窘めるように両手を軽く上げた。
「ふふ、分かりました。怒らないで下さいね?」
「……とにかく、早く教えろって」
だいぶイラついていた俺は、アルベドを鋭く睨んでそう言い放つ。
アルベドは咳払いをした後、こういった。
「食事前、ルベドって、決まって尻尾を振ってるんですよ。ふふ……犬みたいに」
アルベドがクスクスと笑いながら告げた真実。俺はそれが呑み込めず、暫し口を開けて放心していたが、すぐにどういう意味か気が付いた。
「……なっ!?」
俺は大口を開け呻く。……すぐに自分でも分かる程、顔が熱くなっていくのが理解できる。
「っ……」
微笑んでいるような、あからさまに笑っているような、曖昧なアルベドの顔を見上げ続ける事が出来ず、俺は俯いて歯を食いしばった。
「し、尻尾……」
なんだよこの身体、ふざけやがって!
なら、なら俺……飯の時間の前、いっつも、バカな犬みたいに尻尾振って、アホみたいにちょこちょこと食堂に行ってたって……コトなのか?
………。
「……」
俺は無言で尻尾を自分の前に振ると、それを捕まえるように抱きしめた。自分とはいえ、捕まえられるという慣れぬ感覚に、フカフカとしたモノが僅かに動き逃れようとする。
「ふふっ……そんな、気にする事ないですって」
尚もアルベドはクスクスと笑ってから、俺の頭に優しく手を乗せ、撫でて来た。
「誰だって、食事は楽しみなモノです。僕だって楽しみですし、ほら、ニグレドなんてあの様子です」
そういったアルベドは、視線だけで廊下の先、食堂にいるニグレドを見た。俺も引かれるようにして、その先へ視線を飛ばす。
「ねえねぇ! なーにやってるの!? 早くしてよ、全員揃わないと食べられないでしょー!」
食堂から廊下側にひょいっと顔を出したニグレドが、如何にも浮ついていると分かる、ウキウキとした所作を交えつつそう叫んでいた。
「生きていれば、お腹が減るモノです。どんな働き者でも、怠惰でゴロゴロとしているモノも。共通の機能なんですよ、恥ずかしがることじゃないです」
アルベドはそう優しく述べると、その声と同じくらい俺の頭を儚く撫でた。
……死にたいと、もう嫌だと思いながらも、俺は空腹に従って飯を食っているし、夜になって眠くなればベッドに潜り込んでいる。毎日シャワーを浴びて、この世界の事を勉強し、戦う為の訓練を積んでいる。
――全部、生きる為の行為だ。死を願う者の行為じゃない。
心と躰、或いは本能との乖離、矛盾――無意識に感じていた、俺自身の「歪」、ここで明確に自覚してしまった。
……俺は、本当に、死にたいのか?
「もう! 早くしてよ! 冷めちゃうでしょ!」
……思考の坩堝に陥っていると、痺れを切らしたニグレドが、食堂からドカドカと走って俺とアルベドの前に躍り出た。
「ほら、行くよ!」
キレ気味のニグレドが、俺とアルベドの手を引っ手繰る。
「わっ!」
「なんだよ!」
手を掴まれた俺とアルベドは驚愕するが、そんな事お構いなしにニグレドは引っ張って走り出す。
「ごはん! ごはんごはん! やっとお昼ごはん!」
ニグレドはやたらと「ごはん」と連呼して俺とアルベド二人の手を引っ張り、あのアホらしい程の身体能力を以って廊下を駆ける。
「おい! 引っ張るな!」
「アッハハ、まったくニグレドはせっかちですね」
引っ張られて怒鳴る俺と、愉快そうに笑うアルベド。やがてすぐに俺達はニグレドの手により食堂に連れられ、急かされるように着席させられた。
「もう、ごはんの前はキビキビしないと。……あれ、ルベド、尻尾なんて抱えてどーしたの?」
椅子に座った俺が、再びの醜態を晒さないように尻尾を抱えていると、それを怪訝に感じたニグレドが質問してくる。
「……」
……当然、俺はそんな質問には答えない。だって、その……恥ずいし。
「ああ、それはですねニグレド」
俺が黙ってやり過ごそうとしていると、アルベドがそれに答えようとしやがった。
「なっ!?」
俺は慌てて立ち上がり、アルベドを止めようとするが……遅かった。
「――尻尾、食事前にいっつも振ってるのが恥ずかしかったみたいです」
「っ……」
言われてしまったら、止めようがない。俺は無力感と共にゆっくりと椅子に座り直し、尻尾を抱えて俯いた。
「えーっ!? もしかしてアルベド言っちゃったのー!? それじゃルベドがごはん前に尻尾振ってるトコ、見れないじゃん!」
ニグレドの返事は予想外で……ていうか、コイツも知っていたのかよ。
知らなかったの、俺だけ……?
「もう、アルベドのバカ!」
「アハハ、でも、聞かれたら答えないワケには、ねぇ?」
「テキトーにはぐらかしておけばいいじゃん! ……ルベド、気にすることないよ! 尻尾振ってるのはカワイイし、これからも気にしないでブンブンすればいいんだよ!」
愕然としていると、ニグレドが慰めるような声音で、全然慰めにならないふざけた事を抜かしてくる。
「……っ」
顔面が爆発しそうなほど熱い。思い切り歯を食いしばらないと、何かが零れてしまいそうだ。
「……お前らなんか、大っ嫌いだ」
だから俺には、涙目になりながら捨て台詞を吐くのが精一杯だった。
「ふふっ……申し訳……ふふふ」
「もう! アルベドのせいでルベドが拗ねちゃった! いっつもワタシに怒るくせに、自分の時は棚に上げるんだもん!」
「ホントに、申し訳っ……ふふふ」
「もー、バカバカ!」
ニグレドとアルベドのやり取りを眺めて、更に羞恥が深まるのを感じた俺は、出来るだけ忘れるようにさっさと食事を始める事にした。
「あっ、もう食べてる! ワタシも負けないんだからね!」
何故か俺に張り合ってくるニグレドは、急いだ様子で食事に手を付け始める。
「コラ、二人共いただきますって言って――ハァ、まあいいですけど」
何かを言いたげにしていたアルベドが、しかし溜息してから「いただきます」と律儀に言った後、遅れて食事に手を付け始めた。
認めるのは何となく癪だが、飯はやっぱり美味い。異世界ファンタジーの飯が美味いなんて、有り得ないと思うかもしれないが、それ以下の食事をしていたという過去――つまり贔屓目を抜いても、かなり上等だ。
……やっぱり、俺達はそれなりの地位を持つ組織に管理されている、ってコトになるのだろう。
物思いに耽りながらも俺は黒パンを噛み千切り、モグモグと食す。ほんのりとした酸味や、白いパンよりもしっとり、そして少し固い食感は癖があるが、慣れれば美味である。
「アルベド、ソーセージの皮とってよー」
「自分でやりなさい。僕はバター塗るのに忙しいんです」
「ケチ! いいもん、なら皮ごと食べちゃうから」
「皮は取ってください。……ああもう、仕方ないですね」
パンにバターと肉のペーストを塗っていたアルベドが、ニグレドに迫られ少しイラつきながら、白いソーセージの皮を取るのを横目に、俺は根菜のスープを啜る。
……うん、美味い。
「ルベドを見習いなさい。一人でも粛々と食べていますよ」
「ルベドは陰気なだけだもん」
「何てこと言うんですか貴方は」
何故か俺に言葉を刺してくるニグレドと、それを窘めるアルベド。
悪かったな陰キャで!
……そんな風に、暫く騒がしい環境で食事をしていると、ガチャリと扉が開いて誰かが入ってくる。
「みんな、もう食べ始めてたのね」
そんな声と共に現れたのは、俺達の住まうこの場所の管理や、食事など生活管理をしている、研究者の一人だ。
イルシアが俺達の担当だが、あの女はどうやら「こういった事」はトコトン不得手らしく、この女性が生活管理担当である。
「うん! 今日も美味しいよ!」
「そう、それは良かったわ。……今日はね、デザートもあるの」
元気に返事をするニグレドに嬉しそうに目を細めた女性は、奥に消えたと思うと、手にトレーを持ってすぐに現れた。
「ほら、カスタードプディングよ。帝国の――東の方で食べられている菓子なの。これも召し上がれ」
トレーに載っていたのは、プディング……プリンだ。トレーの動きに連動するように僅かに震える、黄色い菓子。黒いカラメルとサクランボでデコレーションされたそれは、甘く匂い立つ。
女性はプディングを一人一つ配膳し、ニコリと微笑むと部屋から去った。
「プリン! うわあ、かわいい!」
「デザートがつくなんて珍しいですね、とても美味しそうです」
プディングを出されたニグレドとアルベドは、それぞれの反応を見せた。ニグレドなんかはすぐに食べようとして――まだ喰い終わってないと、アルベドに止められている。
「……」
……俺はプディングを見つめると、少し早く食事を再開した。
「やった、一番乗り! プリン食べちゃおう! いただきまーす!」
暫く食事をしていると、いつの間にか喰い終わっていたニグレドが、スプーンを握ってプディングを掬い、口へ運ぶ。
「あまーい!」
甘いだの美味いだのと叫ぶニグレド。その表情はいつもよりも豊かで……きっと、さぞ美味い菓子なのだろうと想像させる。
「……」
俺はプディングを見つめると、ゴクリと喉を鳴らした。
残ったパンをさっさと詰め込むと、俺はスプーンを握って、恐る恐るプディングを掬った。
……思ったより、固い。スプーンに乗ったプディングを口に運んだ。
「……美味い」
卵の香りに、強く、されどくどくは無い甘さ。仄かに感じるのはスパイス……バニラってヤツだろうか? 口当たりの良い、滑らかな食感がそれらの味わいを鮮明に与えてくる。
思わず口に出してしまうくらいには、美味い。
「おぉ、これは中々……」
一番遅れてアルベドが食事を終え、プディングに手を付け唸っていた。
そんなアルベドを横目に、ニグレドは暫くモゴモゴと口を動かし――やがて満面の笑みを浮かべて舌を出した。
「えへ、見て見て、サクランボのヘタ、結べちゃった!」
ニグレドの舌には、見事に結ばれたサクランボのヘタが載っている。……意外と器用なヤツだ。
少し興味が湧いた俺は、サクランボを口に放り込んで食べ、種を出した後ヘタを舌で結んでみる。
「……」
暫く舌でヘタを動かしてみるものの……どうやれば出来るのか、全く見当がつかない。
「……ふん」
やがて無理だと悟った俺は、ヘタをぷっと吐き出した。
その様子を見ていたニグレドは、ニヤリとムカつく笑みを浮かべて俺を見つめてくる。
「えへへ、ルベド出来ないんだー」
「……こんなの、別に出来てもどうもしないし」
「負け惜しみだ! ホントはちょっと悔しいでしょ」
「ふん、勝手に思ってろ」
実はちょっと悔しかったのを言い当てられ、俺は顔を背ける。
「ニグレドがヘタ結べるのは、意外ですね」
無心でプディングを食べていたアルベドが、横からそう言った。
「まあね! アルベドはどう?」
「僕はそもそも口に入れないです。モゴモゴして青臭いですし」
「……」
予想外――というか問題外の返答に、ニグレドは黙り込んでアルベドを見つめた。……気持ちは、ちょっと分かる。
暫く沈黙が続いたかと思った瞬間、ニグレドは舌をべーっっと出した。
「はしたないですよ」
……そんなやり取りをしながら、昼食の時間は過ぎて行った。
自分がこの中でも落ちこぼれで、今日も何の成果も無かった事など忘れて、俺は当たり前のように生活していた。
いつしか、頭の中にあるのは夕食の事と、バカなニグレドをどう言い負かすかだけで――死という言の葉は消え去っていた。




