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107 紅き怪物

 数多展開される術式。そのどれもが時空系統に属する超高位魔法。正しく発動さえすれば、確かにホーエンハイムが望んだようにルベドを果ての果てまで転移させる事も可能だろう。


「っ……!」


 やられた。苦い焦りがイルシアの口に広がる。

 イルシア・ヴァン・パラケルススが全てを賭してまで錬成した、絶対なる最高傑作――ルベド・アルス=マグナ。黄金錬成、完成の赤の名が意味する様に、彼はその存在を不壊の物質たる「賢者の石」が保障している。故に決して死なず、老いず、あらゆる存在を無縁とする。

 

 しかし――彼を殺す方法も同時に存在していた。

 一つ、不滅殺しの異能を用いる事。この場合、ルベドの魔力量を上回る強度で行使しなければならない。――故、実際にこれを行うのは不可能に近い。

 

 二つ、彼の人格を保持している低レベルシステムへのハッキング。コードへ論理爆弾を送り込み、ルベド・アルス=マグナという人格を破壊する。

 

 それを成せれば、確かに死と同義である。但し、これを行うには精神系統の魔法と錬金術に卓越した知見と技量が必要。これも不可能に近く、更には彼のコードは多重の論理防壁と攻性防壁、賢者の石より錬成される莫大な魔力で守られている。突破は非常に困難――というより理論上不可能だ。


 最後の手段――三つめは、ルベド・アルス=マグナという存在そのものを封印する事。

 

「クソっ……」


 我知らず自然に悪態が吐いて出た。確かに、三つの方法ならば封印による実質的な死こそが現実的手段。――イルシアは知らないが、セフィロト最大の警戒対象たるグリムロック・アンバーアイズも、ルベドと相対した時に同じ結論に至り、似た手段を取った。


「ちっ……」


 展開されて刻一刻と構築が進み、その形を変え続ける立体魔法陣の数々を見て、ルベドは忌々しそうに舌打ちをした。

 

「それでは、ごきげんよう」


 にこやかな宣言と共に、ホーエンハイムの手先たるホムンクルス達が襲い掛かってくる。中でも例の「歌姫」は、居並んで呪歌を行使してくる。厄介だ――それ以上に、ルベドを封印すべく展開されている術式が。


 ……魔法を目的の対象に当てる場合、術式のタイプによって条件が変化する。放出系、設置系、呪文系――主にこの三つに系統化される。

 

 放出系は名前の通り、展開した術式より放出して対象に当てるタイプの魔法である。〈火球ファイアボール〉や〈雷光閃ライトニングボルト〉、〈生否呪アサシネイト・カース〉等、非常に多くの魔法がこの系統に属する。

 

 設置系は術者が意図した座標に魔法の効果が発現する系統である。〈雷電雨サンダーレイン〉や〈治療陣ヒーリングサークル〉、〈転移テレポーテーション〉や〈転移門ゲート〉といった転移魔法もこの系統に属する。


 そして最後が呪文系。行使した瞬間、術者が意図した対象に効果が発揮される。基本的に絶対命中な為、対魔力によるレジストや防御魔法のみが抵抗手段である。〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉や高位の回復魔法など、基本的に高位魔法の系統だ。

 

 そして、ルベドを封印すべく展開されている魔法はこの呪文系である。射程距離は術者の力量によるだろうが、ホーエンハイムならば恐らく射程距離無限――どこへ逃げようとも発動し、誤ることなくルベドを封印するだろう。


 これを凌ぐには、術者を殺害するか術式を破壊するしかない。そして術式を破壊するにはまず解析から始め、魔法の脆弱性を発見する所から始めねばならない。そして呑気に解析している間に、術式が完成してしまう。

 

 となれば、ホーエンハイムを殺すしかない。だが殺すにしても当のホーエンハイムは不死、いくらでも復活する。彼の予備のクローンが尽きればいいのだろうが、殺し切る前に魔法が発動してしまう。そして恐らく、レジストは不可能。

 

(クソがっ! 思い通りにしてなるものか!)


 忌々しい男だ。どこまでも忌々しい。

 歯が砕けんばかりに食いしばってホーエンハイムを睨むイルシア。――だが怒りも程々に、現状を打破すべく思考を回転させる。

 

(術式の破壊は時間が足りないから不可能。――〈完全看破エクストラ・ディテクティング〉で軽く視た限りでも、アンチ対抗術式の防壁や迷路が張り巡らされている。真面目に破壊するとなればかなり時間が掛かるね。兎も角、時間そのものを稼がねば)


 対策をするにも、時間が必要。どうにかすべきだが――考えをまとめたイルシアに、ルベドが僅かに焦った声音で叫ぶ。


「イルシアっ。本気で事に当たらねば不味いみたいだな」


「認めたくはないが、そのようだね」


「ならば提案する。イルシア、〈臨界駆動オーバードライヴ〉の許可を」


 その提案を聞いて、イルシアは目を見開いた。確かに、第二形態を使えばこの状況を打破可能やもしれない。


「オーバーナ、ドライヴ! オイラ好キダゾ!」


「ダイニ形態、ダイ二形態!」


 提案が見事だったからか、オル・トロスもホムンクルスの殲滅の手を止め喜びを示す。 

 イルシアも流石最高傑作だと頷きながら、嬉々として許可を出した。


「見事な提案だ! よし、やってくれルベド!」


 イルシアの許可を聞いたルベドは牙を出して微笑み、力強く頷いた。


管理者権限アドミニストレータ受諾――」


 マスターコードの承認を口にして、ルベドは急速に魔力を上昇させていく。


「エリクシル・ドライヴ、全封印機構解放――」


 その一言でエリクシル・ドライヴの魔力錬成機構に施された臨界制御が外れ、彼の瞳の色と同じ魔力が雷光の如く解き放たれる。

 

「ほう……」


 放たれる莫大な魔力にホーエンハイムが目を細める。裁定者でも気取っているのだろうか。いずれにせよ、すぐにでも引きずり落してやる。


「全能力、戦闘機構へシフト。魔力炉、臨界開始――〈臨界駆動オーバードライヴ〉――実行!」


 自己判断による〈臨界駆動オーバードライヴ〉は、その余りに強大な力故、危機状態に陥らねば発動は出来ないという制御が課せられている。しかし管理者権限アドミニストレータによる許可が下りている場合、無条件で発動可能。

 

 だからルベドは悪夢が目覚める言の葉を放ち、第二形態を解放した。主の命と、最高傑作としての意志が正しく揃った今、究極の存在が最大の力を解放するのに、何ら障害はない。

 

 ――爆発。そうとしか思えないほどの膨大な魔力がルベドから解き放たれる。鮮血のように紅い魔力が閃光となり視界を覆い、傍でいるだけで感覚さえ遠のく程の奔流に呑まれる。

 

「っ……」


 携行している〈移動要塞(ガーディアン)〉が起動し全力で魔力の嵐からイルシアを保護する。障壁と庇った腕越しに、ルベドが変質していく光景が見える。より逞しく、美しく、強大に、強力に、すべからく支配し蹂躙するのが必然の存在として、その身すらも変えていく。


「――ウオヲォォォォ!!」


 ――其の身に滾る力を奮うが如く、ルベドは咆哮した。物理的圧力さえ伴う大音量と共に、満ちたる魔力が爆発的に広がり天を衝く柱の如く実験棟を破壊していく。

 

 黒き影、巨大なる獣。六つの腕と無数の魔眼を持ち、強大なる大蛇を伴った、異様にして威容を誇る終末の獣。末期を告げるラッパすらも背後に従え得る、滅びの化身にして死と破滅の具現体。

 世界すら容易く堕とせる傑作を見て、イルシアは目を細めた。

 

「お前の思い通りにはさせないさ、ホーエンハイム」








 ◇◇◇








 この身に満ちる膨大なる力、圧倒的なる全能感に浸る間も無く、俺は周囲を見回した。

 周囲、滅茶苦茶になった実験棟の宙に浮かぶのは多数の立体魔法陣。俺を次元転移させ実質的な死を与えるべく詠唱されている、滅びへのカウントダウンだ。

  

 ――アルス=マグナシリーズの最終個体ラストオーパス。それに、他にも気になる事はイルシアとホーエンハイムの間で幾らでも交されていた。

 どれも俺自身、その根幹に関わる事なのだろう。確かに気になる。知りたいと思う。

 

 だが――それを問い質すのは作品としての役目ではない。俺が知るべきはイルシアが知れと言わしめた事象のみであり、それがない以上現状の打破こそが大目的である。


 だから俺はすぐに思考を戦闘に切り替える。現状、イルシアの敵であるホーエンハイムとの戦闘に入ってから既にかなり経っている。クローンに魂を移し変え続ける事で不死と成しているホーエンハイム相手に、イタチごっこと言うべき殺戮を繰り広げていた。

 

 だが、一転してホーエンハイムは仕掛けていたと思われる次元転移を起動、詠唱が完了すれば俺は回避不能の転移魔法により余剰次元の果ての果てまで飛ばされる。そうなれば、もはや死んでいるのと変わらない。


「クソガ……」


 第二形態を解放したことによって、歪に変じた声音で悪態を吐く。取り敢えず、どうにかして術式を遅延しなければ。予測だが、あと数十秒で発動するだろう。


「アルデバランッ! セイレーン、ミゼーアッ! 来イッ!」


 然らば、全身全霊を以て事に当たるのみ。第二形態を解放し、更に持ち得る全ての変異を呼び出す。腕の一対が星の悪魔アルデバランのそれへと変貌し、セイレーンの翼が背より現れ、不浄時空の王たるミゼーアの尾が現出する。

  

 かつてない程の力。ルベド・アルス=マグナという兵器が持ち得る全てを解放し、顕現した破滅の化身。万夫不当の英雄共が千にも万にもなって掛かろうが、決して討滅など能わぬ怪物の中の怪物。

 今の俺なら、神さえも滅ぼせる。傲慢か、或いは必然の予感さえ覚えながら、自らを戒めようとする魔導を睨む。


「――アルデバラン」


 命じた瞬間、アルデバランの腕が展開されている魔法陣へ向く。翳した悪魔の掌より、積層した術式陣が展開される。


「――〈全術式遅延(ディレイ・スペル)〉、〈時間停止(タイムストップ)〉、〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉」


 発動したのは時空系統第十二位階〈全術式遅延(ディレイ・スペル)〉、時空系統第十四位階〈時間停止(タイムストップ)〉、同じく時空系統十一位階〈時流停滞テンポラル・ステイシス〉だ。

 

 ――〈全術式遅延〉は視認しているあらゆる魔法を世界から乖離させ、遅延することで発動を抑止する。この効力は、対抗魔法への防御では防げず、一種の結界術と同じように、対象を隔離した空間ごと遅延させるため、防御は非常に難しい。

 

 そして〈時間停止〉で遅延の上から更に停止を施す。ダメ押しに〈時流停滞〉だ。対抗魔法に頼れずとも、これで多少は時間が稼げるハズだ。


「――目測、5分ッテ所カ」


 アルデバランが持ち得る方法を尽くして稼げた余剰は5分――後は、


『アァァァァァァ!!!』


 ――生やしたセイレーンの翼より、援護するかのように呪歌が飛ぶ。耳を劈くような絶叫を以て発動したのは〈停滞の賛美曲(アンセム)〉――効果範囲内のあらゆる存在を停滞、遅延させる強大な呪歌だ。


「――コレデ、8分ダナ」


 ――残り数十秒でゲームオーバーの所、8分まで延長が出来た。これだけ稼げればどうにか出来る。いや――これ以上は望むべくも無いか。ならば、


「7分ダ。7分デケリヲ――イヤ、7分ダケ相手ヲシテヤル」


 ――そう、コチラはあくまでも強者。揺るぐ事なき最強。――イルシア・ヴァン・パラケルススの最高傑作は、最強で無ければならない。だからコチラが挑むのではなく、相手に挑ませてやる。


「――ほう、未だそれだけの傲慢を抱けるとは。自信か蛮勇か。……後者、であったと、教え込んで差し上げましょう」


 挑発と受け取ったのか、ホーエンハイムの笑みが酷薄なソレへと変貌する。――その後の僅かな沈黙を以て火蓋と為し、急速に開戦した。


「ガァァァァ!!」


 滾り切った殺戮への衝動を咆哮と共に、勢いのまま跳躍する。賢者の石の臨界反応によって、消し飛んだ実験棟の天井よりも高く飛び、夜闇を背景に眼下を見据える。――イルシアを巻き込まぬよう、ホーエンハイムを狙い、周囲のフラスコごと粉々に潰し切る。


「死ネッ!」


 潰した瞬間に、肉体に満ち満ちる莫大な魔力を放出――俺の精神に宿る圧倒的なまでの破壊衝動と殺戮への飢えを起爆剤に、爆発的破壊となって紅い閃光が迸る。

 ――凄まじい轟音と共に、地面が捲れ上がり大波に呑まれるが如く何もかもが俺の魔力に消えて行く。

 

「……」


 一撃で特別棟の半分を完膚なきまでに消し飛ばしたが――


「これは――流石に、強力ですね」


 やはり、ホーエンハイムのクローンは尽きない。どこに隠し持っていたのか、当たり前のように再出現する。

 

「暴れ足りないのなら、ピッタリの案山子がありますよ」


 嘲るような声音のホーエンハイムは、キザなフィンガースナップを決めた。――瞬間、カルネアス実験区の中央より大きな異音が響き始めた。

 ……ゴゴゴ、と、何かデカいモノが錆を落しながら動いているような異音。


『――ォォォォォォォ!!』


 そして、その異音が発せられる場所より、幾人もの女を束ねたような気持ちの悪い咆哮が響く。崩れ落ちた特別実験棟の壁から、明らかに条理を逸脱した異形の姿が目に入った。

 

 ……何をするつもりか知らんが、どんな障害が阻もうと全て消し飛ばすのみ。神だろうが悪魔だろうが勇者だろうが、今の俺を止められると思う事こそが傲慢。何をしようがその悉くを凌駕して絶望を刻んでやろう。


「イルシア!」


 異音を発する地点を確認する前に、唯一守るべき存在の名を呼ぶ。例の剣を持って周囲のホムンクルスを焼き殺していた彼女は、俺の方を向くと微笑んだ。


「私はいいっ! 必要な時は呼び戻すから、存分にやれ!」


 俺に呼ばれたイルシアは、いつになく力強く叫んだ。――主人がそういうのであれば、従うのが従者の役目。俺が傍におらずとも、敵にどうにかされる彼女ではない。それは今までの戦いで証明済みだ。然らば、行って凡てを平らげるのが俺の使命。


 俺はイルシアに向いて頷き、脚に力を込めて跳躍した。圧倒的運動量より生じる、身を弾くが如き豪風が身体に吹きつける。人外すら超越した身体能力ならば、一つ跳ぶだけで数百メートルを超えられる。


 ――眼下に広がる実験区。到着した時に見たそれよりも、破壊と殺戮によって荒涼としている。そんな実験区の中央に、それは佇んでいた。

 

 ……恐らくは地下にも何らかの施設があるのだろう。実験区の中央、地下よりターンテーブルがせり上がり、内部より怪物が放たれていた。 


 異形。そう呼ぶが相応しい化け物だ。――十数メートルにも及ぶ巨大な女の上半身が二つ、砂時計のような形で融合している。吊るされている側の女は苦悶の表情を張り付け、目より血を流している。上になっている女は悦楽の表情を見せ、大きくニヤついた口より涎を垂らしている。


 女の髪は悲壮さを見せるかのように長く垂れ下がっている。その色はやはりエメラルド。何の冗談か、清浄ささえ窺える大きな翼が六枚三対として生えている。


『ア、ア、ァァァァ…』


 そして更に異常な事に、彼女らの乳房に当たる部分より女の顔が生えている。苦悶と悦楽、やはり二分した表情だった。この怪物が異常な声をしているのは、コイツらが一斉に呻いている所為か。


「趣味ノ悪イ怪物ダナ。ヤハリ、オ前達ノ創造主ヨリモ俺ノ主人ノ方ガ腕ガイイナ」


 俺の挑発を理解したのかしていないのか、着地した瞬間にコチラに視線を向けてくる女の化け物。――視線に晒された瞬間、俺の中のセイレーンの因子が怒りで蠢き始めた。


 ――殺せ、滅ぼせ。


「イチイチ言ウナ、ソンナ事。頼マレナクテモ、ル二決マッテルダロウガ」


 セイレーンの因子の蠢きに気だるげに答え、戦いをしめやかに開始した。

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