106 神義論の限界
「ふっ――!」
すぐさま動いたのはルベドだった。彼のエリクシル・ドライヴより錬成される魔力が、既に人外すら超越した強大な身体能力を、更に強化し鮮烈へと昇華させる。音すらも容易く置き去りにし、一呼吸すらままならぬほどの速度でホーエンハイムの下まで移動したルベドは、横に立った歌姫の魔人兵ごと爪で薙ぎ払う。
ザシュ、といういっそ小気味よい斬撃の音、肉を断つ残虐な快音を響かせる。生々しいほどの鮮血が飛沫となって広がり、バシャリとフラスコを濡らして染め上げる。一拍遅れて、グシャリと裁断された肉塊が崩れ落ち、ルベドの足元に血溜まりを作り出す。
「……呆気なさすぎる」
爪にベッタリと付着した血液を払ったルベドが、ぼそりと呟く。――ルベドの足元には、ホムンクルスの少女だけではなく、ホーエンハイムの無残な死骸が転がっている。
しかしその様子を見ても尚、イルシアは鋭く観察するのを止めない。そして一つルベドに警告を飛ばす。
「気を付けるんだ、ホーエンハイムは恐らくまだ生きている」
「……だろうな」
五百年以上前から生きている男なのだ、このように呆気ない形で死ぬなどありえない。その考えは創造主も作品も共通していたようで、互いを見ると頷いた。
「正解ですよ。いやあ、酷い目に遭わせてくれましたね」
まるで見計らったかのように、足音と共に再び奥からホーエンハイムが現れる。先ほどと全く同じ姿、まるで変わらない容貌。――思わずイルシアはルベドが惨殺した方のホーエンハイムを見た。ルベドの足元には、相も変わらず肉片となって血を滴らせるホーエンハイムが転がっている。
見間違いでも幻術でもない。となればやはり――
「転魂技術、その発展形か……?」
存在に限りある物質としての肉体を都度変え、魂という不滅な存在を延命し続けるという技術。
即ち、人為的な転生。
器を用意し続け、魂の転移を行うだけの準備があるならば、確かに永遠の存在としてあり続ける事も可能だろう。
「――我々とは異なる、不老不死か」
イルシアが鋭い警戒と共に視線を投げると、ホーエンハイムは肩を竦める仕草を返してくる。忌々しい男だ。
「その通り、貴方のお気に入りがいくら頑張っても――」
何かを語り出すホーエンハイムを切って捨てるように、二の句を継がせぬ勢いでルベドが再び爪撃を以て惨殺する。二つ目の肉塊が前衛的芸術と化したが、やはりというべきか、ホーエンハイムが再び奥から現れる。全く同じ姿、同じ服――いっそ異様だ。
その異様さが、イルシアにホーエンハイムの不死性の正体に繋がる閃きを与えた。
「クローンに魂を移し続けて延命しているのは何となく察していたが――それ以上だね。お前の本体は別の場所にあり、端末としてその肉体を動かしている、といった所だろう?」
ルベドを呼び戻し、推論を立てたイルシアは、その内容をホーエンハイムに聞かせてやる。イルシアの言葉が終わると、ホーエンハイムは粘着質な、見る者に嫌悪感を与える笑みを浮かべる。
「正解ですよ、流石ですねパラケルスス女史」
全くもって嬉しくない賛辞を投げられ、イルシアは思わず鼻白んだ。
自身の魂を外部へ摘出し物質化――ホムンクルスなどに用いるのと同じようにコード化する。摘出した魂は安全圏に保管し、魔法的なパスを以て外部に出力しているのだ。
――つまり、召喚魔法などで契約した異形を行使するのと同じように、目には見えない術式による線があり、それを使ってクローンに魂の情報をダウンロードさせ――使用する。
「中々の出来でしょう? 貴方がやったように、特別な物質は必要ありません。現実に即した、他にも転用可能な技術です。ふふ、ハハハハッ!」
自慢げに両の手を広げたホーエンハイムは、天を仰ぎ見るように頭を上げてケタケタと笑う。ひとしきり笑ったホーエンハイムは、糸が切れたようにカクリと脱力する。異様な光景だ。
「……そう、これはこの世界の理に即した結果に過ぎない。貴方とは違う。貴方のように、異物を用いてはいない」
「私がお前より劣る、とでも言いたいのか?」
躁鬱を繰り返しているような変わりようのホーエンハイムに、怪訝なモノを感じつつも応じるイルシア。腰に下げた始終剣に無意識に手が伸びる。
「いいえ……だが、貴方は理想主義が過ぎた。貴方はいつでも、此処ではない何処かを見つめていた。だからこそ、我々は相容れなかったのでしょう」
「この世界の理を残らず暴く、だったか。否定する気はないが、些か退屈だ。私は異なる星を掴み、異なる可能性を見出した。……確かに、お前とは相容れなかったのだろうね」
言の葉を交わせば交わすほど、互いに相容れない存在であることを再確認していく。昔からこうであったという奇妙な懐かしさと、芋づる式に憎しみを思い出し、イルシアは鋭い視線を投げるのと同時に抜刀する。
「手品の種は初めから見えていた。ならば、種が尽きるまで殺すまで」
水銀の刃が魔力灯に照らされ剣呑な光を放つ。アゾットを突きつけられたホーエンハイムは、目を細めて剣先を見据える。
「懐かしき終始の輝き……ですが、紛い物の石で届くほど、私は甘くないですよ」
その宣告と共に、ホーエンハイムは指を鳴らした。
瞬間、けたたましい警報と共に左右にずらりと居並ぶフラスコから次々とホムンクルスが解き放たれる。
「この程度の雑兵、足止めにしかならないぞ」
起動したばかりでまともに動作出来ないホムンクルスの一体を斬滅したルベドが、嘲る様に言い放った。ご自慢の人形が無残にバラされても、ホーエンハイムは不気味な笑みを止めない。
――何を考えている。異様さに我知らず、イルシアの額から冷や汗が一つ伝った。
「足止めで充分ですよ、不死身の怪物殿」
自慢げに両の手を広げたホーエンハイム。口ぶりも自慢げで、相変わらず忌々しさは感じるが、徐々に不気味さがにじみ出てくる。
ルベドもそれを感じ取ったのか、それとも単純に敵を殺す為の行動だったのか、すぐさま飛び掛かり何度目かの殺害を行う。鮮血がルベドに返り、毛並みが紅く、紅く染まっていく。
「――異邦の神話をご存知ですか?」
――異様な事に、まるで何も無かったかのように一瞬で奥からホーエンハイムが現れる。
「ちっ……」
気だるげに舌打ちをしたルベドが更にホーエンハイムを切り捨て、彼の蛇が新たに湧いて出るホムンクルス兵士らを殺戮していく。
「――異なる世界に伝わる物語ですよ。貴方達ならば知っているでしょう」
――今度はイルシアの後ろからホーエンハイムが現れる。入口側から現れたホーエンハイムに面食らい、息を吞みかけるイルシアだったが、
「っ……起動せよっ!」
――すぐさま気を取り直し、始終剣へ起動命令を下す。主の命に従い、アゾットは魔力錬成を開始し――
「死ねっ!」
――刀身を延長するように、純魔力で構築された強力な光刃を解き放つ。凄まじい速度でホーエンハイムに殺到した光刃は、彼を完全に飲み込み一瞬で消滅させる。
「――かつて天上の楽園があり、そこには神の庇護の下、二人の男女が生きていたと言います」
やはりというべきか、またしてもホーエンハイムが現れる。
「――だがある時、手足のある蛇に唆され、禁断の果実、知恵の実に手を付けてしまう」
ホーエンハイムの語りは一切止まらず、コチラを歯牙にもかけない態度に苛立ちと僅かな不安が綯い交ぜになっていく。
「――そうして彼らは善と悪の知識を得、故に恥じらいを感じ、イチジクの葉で恥部を隠す。その様子から、神は彼らが禁忌を犯したと察したのです。そして――」
ホーエンハイムは一拍置いてから、大きく吸った息を吐き出すように言い放った。
「――二人は楽園より追放され、原罪を与えられ、唆した罰として蛇はその手足を捥がれた」
一連の語りを聞いたイルシアは、警戒をしながらホーエンハイムを睨みつける。
「……土の男アダムと、骨の女イヴ」
「失楽園、異邦の神話ですよ」
ニヤリと粘着質な微笑みを浮かべたホーエンハイムが、イルシアの呟きに続いてその神話の名を口にした。
異邦の物語だ。かつてある子から、イルシアも聞いた事がある。
「この物語に、私は疑問を感じたのですよ。何故神は楽園よりアダムとイヴを追放したのか、と」
ホーエンハイムが呟いた疑問に答えず、イルシアはアゾットを振るい再び彼を滅する。魔力の刃がホーエンハイムの上体を抉り、下半身だけを残して焼き払う。断面から内臓と鮮血を吹き出すその光景より無感動に目を背け、どこからか復活するであろうホーエンハイムを探すべく視線を彷徨わせる。
「――まあ多くの者は、アダムとイヴが禁じられた事を破った代償というでしょうね。それは正しいかもしれませんが、神が彼らを追放したのには理由があるとされています」
もはや息を吸うのと同じかのように、当たり前に新たな身体で現れるホーエンハイム。彼はイルシアの少し前で止まると、またしても嫌悪感を抱く笑みを投げてくる。
「貴方なら理由を知っているのではないですか、パラケルスス女史」
問いを投げられたイルシアは、返答として再びアゾットを振るい光の刃でホーエンハイムを滅してから語る。
「……生命の樹」
呟くようなイルシアの声を聞いたルベドが、僅かに目を見開いて驚愕するのが視界の端に見えた。
「――その通り」
そしてどこか嬉しそうなホーエンハイムが再び現れ、正答と答えた。
「生命の樹、世界樹、沙羅双樹……異邦に於いて、あらゆる神話、物語で姿と名と権能を変えて語られる、命の木。即ち生命、正方向への概念の結晶体」
ホーエンハイムはその手で木に生った実を捥ぐような素振りを見せ、視線だけをイルシアに投げる。
「――神は恐れたのです。アダムとイヴが、生命の樹に生る実を口にし、永劫の命、不老不死を得て完全なる存在となるのが、恐ろしかった。だから神は天使と炎の剣を以て、生命の樹への道を封じた」
ホーエンハイムは粘着質な目にギラついた視線を宿し、イルシアを、次いでルベドを眼光を以て貫く。
「そう、恐れ。完全なる存在であるハズの神が、恐怖を抱いたのです。被造物が創造主を超えてしまうという恐怖か、或いは己と同じく永劫の存在――完全なる者が生まれてしまう恐怖か」
神という完全存在に及びかねない者が生まれれば、神自身の価値が揺らぐ。並び立つ者がいないからこその完全性が揺らぐと、恐怖したのだ。――ホーエンハイムはそう結んだ。
「そこで疑問が生じました。――その程度で揺らぐ完全性は、果たして本当に完全と言えるのか、と」
そう口にするホーエンハイムの目には、狂気の光が鋭く変じて宿りかけていた。
「否、それは不完全! 神という完全なる存在が、恐れなどという不完全な感情を抱くハズがない! つまり、アダムとイヴの追放は逆説的に神の不完全さを証明しているのです!」
この世界は全てが物質という鎖に縛られている。有限の輪の内側で生きる我々では、所詮『不完全な完全』にしか到達できない。――ホーエンハイムはそう述べる。
「つまり――」イルシアは剣を突きつけながら、ホーエンハイムを睨む。「我が最高傑作も、不完全な完全だと?」
「――その通り。『完成の赤』『エリクシルの第三練成』『黄金錬成』と言えど、不完全な完全。不老不死たる完璧な戦闘兵器とはいえ、倒す方法ならば存在します」
そう宣言したホーエンハイムは、指を一つ鳴らす。――その瞬間、周囲の外的魔素が歪み歪み、急激に圧力を伴って上昇していく。それに応じてか、無数の術式が展開されて複数の超高位魔法が構築されていく。
「貴方の作品を、余剰次元の彼方へ転移させ幽閉します。この世界、ライデルに二度と干渉できなければ、死んでいるも同じこと。これを発動する為の準備として、今の今まで時間稼ぎをさせてもらいました」
まるでネタバラシをする二流の作家のように、嬉しそうに手を広げるホーエンハイム。その言葉を聞いてイルシアは苦々しく歯を食いしばった。
(数少ない、不老不死の怪物を殺す方法――本当に仕掛けてくるとはっ!)
いつの間にか、イルシアとルベドは数少ない「可能性」を突かれかけていた。




