前夜
祭が明日行われる晩。
村長の孫である少年アースは明日の祭に胸をときめかせながら会場を見て回っていた。
ぼんやりと付いている灯りのおかげで迷いなく進めるが、縁日のような屋台も、置いてある楽器達も、華やかに飾り付けられたステージも、
深夜とあればどことなく不気味な雰囲気が感じられるが、アースの足取りは軽い。
それもそのはず。布団に入ったものの、目が冴えきっていたので、コッソリ会場に来たからだ。
アースは村のシンボルである龍の銅像を囲む噴水の前で足を止めた。村の中央で目立つ場所にあるが、祭りの会場で見ると外れにある。
噴水の縁に立ってみた。
ちょうどアースくらいの年齢ならぐらぐらせずに乗れるような幅だ。
他のものは全て飾り付けられているのに、龍はいつもと変わらずに何処かを睨みつけている。
とてもリアルに作られている龍の銅像は恐ろしい程だ。アースでさえ幼い頃はこの龍が苦手だった。子供たちが見たらたちまち怯えるので悪さをした子供を叱る親はこの龍に食べられるよ!とよく脅しているものだ。
鹿のような角、木の幹のような肌や、葉っぱのような羽や尻尾はどことなく森の守神のようだ。
そんな龍だが、こうしてよく見てみるとどこか幼い顔つきをしているような気がアースはした。
昼間のエウロスの話を思い出して、アースは労いの為に、龍の銅像に手を伸ばした。
あと数センチで触れるという時、かすかに音が聞こえて触れる手を止めた。
いや、音楽だ。どこかで誰かが楽器の練習でもしているような雰囲気だった。
とても心地よく、澄んでいた声はそれだけでアースは幸せな気持ちになれた。
そう。それは誰かの歌声だった。
まるで子守唄のような優しくて柔らかい雰囲気の歌声は目の冴えきっていたアースを心地よい眠りへと誘った。
その時、眠気に堪えきれず、アースは足元がぐらつき、支えようとしたが足場が悪く滑って噴水に落ちてしまった。
水飛沫と音、冷たさで一気に目が覚めた。
尻餅をついたアースはケガをしなかった事と、今が寒い季節でなくて良かったと心からホッとした。
気がつくと歌声はもう聞こえなかった。
アースはもっと聞きたくて無我夢中で声のしていた方へ駆け出した。
道理で小さすぎて楽器と間違えたはずだ。
その歌声の持ち主はステージの裏で歌っていたらしかった。
今日は夕方に小雨が降っていたので道がぬかるんで足跡が残っていた。
まるで夢を見ていたのかと疑っていたアースはとても嬉しかったが、それでもまだ夢を見ているような気がした。
龍神祭は毎年この時期に行われている。
歌うまコンテストは数少ない村人が出ている内輪の催し物だ。
偶に観光でやってきて参加する者もいるが、こんな田舎の村は来るだけで一苦労なのでごく稀だ。
それにそんな話は聞いていない。
小さすぎる村に誰か来るというニュースは前日から広まるものだ。
対して凄い賞品が出るわけでもなく、出場者は限られている。
村人全てがご近所さんのようなものなのだ。
アースは耳には自信がある。最年少でコンテストの審査員を頼まれる程には。
そんなアースが、誰が歌っていたかわからないなんてプライドが傷ついた。
アースはむしゃくしゃした気持ちで頭をかいた。
そこで気づいた。噴水に落ちたせいで全身がずぶ濡れだと。
大きなくしゃみが出た。風邪をひいてはいけないと、悔しさを抱えながらアースは急いで家に帰った。
コッソリ家に入った。中はもちろん真っ暗だ。
幸い兄や祖母はおらず、家族は誰も気づいていないようだ。
アースは二階に上がって部屋へ行き、服を着替えようとした。
階段に足をかけようとしたところで
目の前にいきなり火の玉が現れて
アースは悲鳴を上げた。
落ち着いてから見るとおばあさんが火の灯った蝋燭を持ち目の前に立っていた
おばばだ。名前はグレッテイ
アースの祖母で村長をしている。
歳はそこまでいってないはずなのに雰囲気からなのか、誰よりも年上なせいか100歳は越えているようにも見える
ベッドを抜け出したのがバレていたアースはゲラゲラ笑われてから、こっぴどくお説教を受けた。
グレッテイは明日の屋台の為にぬいぐるみを作っていたらしかった。こんな真夜中に手首にまだまち針のブレスレットを付けているところを見ると余程張り切っていたらしい。
足が痺れて暫くは立てなかったが、これでお風呂が使える。
良かった。風邪をひかずにすみそうだ。
ようやく立てるようになったアースはかすかに聞いた歌の話をした。
またしても噴水の縁に立ったことで怒りをかったが。
おばばは意味深な笑みを浮かべるだけで、明日が楽しみじゃな。と言って寝室に戻っていった。