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8/12

7.パンドラの匣

藤沢さんが私に渡してくれた母の手帳は、一人で読む気にはなれず仏壇の下の引き出しにしまった。

闘病日記も残さなかった母の唯一分かる文献ではあるけれど、これを読むということは

私には隠していた辛さや思惑を知ることになってしまう。

そう考えるとその勇気は一ミリも沸いてこなかった。

リビングの大きな窓から風が吹き込み、前髪を少しだけ揺らす。

今日は秋らしい陽気で太陽があたるとぽかぽかしていて気持ちがいい。

布団でも久しぶりに干そうと、引っ越し時に詰め込むように入れた布団を取り出すことにした。

寝室の奥のクローゼットを開けると、湿気がたまったようなあの押し入れの匂いが鼻につく。

引っ張り出して床に広げると、意外と広い収納スペースがあることに気づく。

なんとなく上下左右見まわしてみると、上の方にわずかな隙間が空いている。

気になって触ってみると、小さな板が外れ、暗がりの中手探りで探すと箱らしきものが手に当たった。

両手を奥に入れ込んで引っ張り出すと、それはよく煎餅などを入れていた銀色の箱でである。

誇りをかぶっているので、ベランダに持ち込み手で払う。

ゆっくり蓋を上にあげると、そこには少し湿気でしなっている青色のA5のcampasのノートが出てきた。

恐る恐る一枚めくってみると、それは日記だった。

始まりの日付は今から10年前のものであった。


8/1

今日から、在宅医療に切り替えた患者さんが増えた。

肺癌を患った72歳のおばあちゃんだ。

旦那さんは5年前に亡くなっていて、同居しているのはまだ20歳になったばかりの孫だけだ。

彼の両親は、どうやらもうこの世を去っているらしく、二人暮らしだという。

こんなまだ大人になったばかりの子がもう介護にかかわるのか。

とても落ち着いて気丈な子に見えたけど、強がる男の子ほど脆いから気に掛けたい。


この6行にしかない日記の情報だけで、これが四宮とそのおばあちゃんのことを差していることは分かっていた。

この約3か月後に、四宮のおばあちゃんは亡くなっている。

いわゆる緩和ケアの治療に移行したのだろうが、なんとなくその文章から四宮が若いながらも孤独にされることを心配しているように見えた。


8/2

四宮のおばあちゃんは、まだ食欲もあって元気のようだ。

孫の名前は洋平君というらしい。お昼の時間にお話しする機会があって教えてもらった。

とてもお洒落な名前だなと思いながら、洋平君が帰国子女であることも教えてくれた。

とても英語が上手で、大学では国際関係の学部を選択していることまで話してくれた!

おばあちゃんはきっと、孫の自慢がしたいのか、終始笑顔でとてもいい感じだ。

もちろん両親の話は出たけど、深くは話してくれなかった。


そういった四宮家の話題が、日記にはたくさん出てきた。

そこには学生時代の四宮のことが少しずつ書いてあった。

英語の授業は常に、一番で、成績が良いことや、バイトはその英語力を利用して家庭教師をしていたことも書いてあった。

これじゃあ、まるで四宮の観察日記になっているけれど、それだけおばあちゃんが四宮の話を頻繁に母にしていたことになる。

介護の様子や、おばあちゃんと外に散歩にいったことなども書いてあった。

その明るい話題はだいたい9月下旬までつづってあった。

もちろん他の患者さんのことも書いてあったが、ダントツで多いのが四宮のおばあゃんのことだ。


8.31

娘が、2泊で広島にいくらしい。

厳島神社に行って、尾道に行って、広島市内をまわるらしい。

しかも一人で!この子はいつも一人の行動が好きすぎて困る。

彼氏とは言わないから、友人と言ってほしかったなあ。

たくましく育てすぎてしまった。(笑)


「余計なお世話だよ、まったく」

その日記を読んだときはさすがに笑ってしまった。

確かに私は一人で行動するのが好きだけど、友人とも彼氏とも旅行いってるって。

母がこんなに早く逝くとは想定していなかったので、彼氏ができたことは話しても合わせることはなかった。

それが唯一の後悔と言えば、そうかもしれなかった。


9.18

どうしよう。とんでもないことを知ってしまった。

あの子はあの事件の被害者だったなんて。

確か犯人はもう捕まったはず、だけどあの子が受けた傷は相当大きい。

目の前で両親を失ったあの子はどんなきもちだったんだろう。

痛ましすぎてなにも言葉がでてこない。


このあたりから日記の雲行きが怪しくなっていたことに気づいた。

気になってパラパラとめくっていると時折「あの子」「被害者」「事件」というワードが散りばめられていたが、詳細はあまり深くは書かれていない。

でも、そのことに触れる時だけ筆跡が乱れていて、力を込めてかくのか穴が開いているときもあった。


10/3

涼香はどうするのだろう。私がもしいなくなってもちゃんと生きていけるだろうか。

あの子みたい罪悪感や後悔で黒く染まらないだろうか。

どうやったらあの子に「悲しみ」を自覚させることができるだろう。

どうしよう。


そんな調子の日記がここから半月ずっと続いた。

不思議と固有名詞はあまりでてこないので、何の話かわからなかった。


10/31


ついに洋平君が泣いてくれた。

崩れ落ちるように泣いてくれた時、私はほっとした。

この子は泣いていいのだから、泣いてほしかった。

大丈夫です、なんて言う人は対外大丈夫じゃない。

悲しんでいいのだと、教えられてよかった。


ここで四宮からあのビールを一緒に酌み交わしたときに話されたエピソードが出てきた。

一体どんな言葉で、母は四宮の心を溶かしたのだろう。

あの時話してくれたことに間違いはないと思うが、どんな状況で、どんな表情で諭したのだろう。

母に救われたと、今もなお思ってくれていて、お通夜にもきてくれた彼に。

何日か書いてない日や1,2行で終わるときもあったが、

最後の最後だけ、とてもきれいな字で、長く書き留められていた部分があった。

ところどころ円形のシミがあって、これは泣いたあとなんだと思った。


11/15

四宮のおばあちゃんが、明け方亡くなった。

とても落ち着いた様子で、洋平君が連絡をくれた。

対面するとかれの頬には涙の跡があって、目の前には安らかに眠るおばあゃんが横たわっていた。

洋平君はぐっとこぶしを握り締めて、遺体を見つめていて粛々勧められる遺体の処理と、お葬式の準備をしていた。

彼はやはり、とても強かった。

わずか20歳で喪主を務める洋平君が気になって、お通夜に行くとまた泣いていなかった。

というか、泣けないようだった。

悲しみの置き場に困ったのか、ただ一点を見つめていた。

私は、その様子を見て居ても立っても居られなくなった。

温かく微笑むおばあちゃんの遺影を見ていたら泣けてきてしまった。

親戚でもないのに厚かましいな、と思いながら喪主である洋平君をみると

彼の目から涙が流れていた。

それだけでも、安心したけれど私は不安になって名刺を渡した。

いつ来てもいいから、話に来るだけでもいいからと念を押して。

彼を一人にしてはいけない。なんなら娘にも手伝ってもらおうか。

歳も近いし、話が合うかもしれない。

洋平君の味方を増やしてあげたい。


すべての日記を読み終わるころには日が暮れていてすっかり布団は干せなかった。

そして四宮のおばあちゃんの最期が書かれたのがその最終頁となった。

-娘にも手伝ってもらおうか。

その一言で私は全身から力が抜けてしまった。

悲しくないのになんだか涙がながれて、私はその場にへたり込んだ。

本当に、母は、自分の死を利用して私と四宮を近づけたみたいじゃない。

でもこれはまだ新入社員になりたての頃だ。

だからこの話をしてくれなかったのだろうか。

母の口から四宮のことはもちろん、担当する患者さんの話は確かに聞いたことはない。

私もとくにつっこまないでいたのもあるけれど、こんな日記に、

実の娘の私のことよりも記述が多い四宮のことをなぜ話してくれなかったんだろう。


***

陽が落ちるのが早くなったな、と少し汚れた窓の向こうを見た。

17時過ぎると、少しずつ太陽がなくなってきて、夜の帳が下りる気配が西の空からやってきる。

私は特に急ぎでもない仕事をたらたらとこなしながら、夕空が夜の空に変わる姿を眺めた。

ふと、デスクに視線を落とすと、A4の透明なトレーが4段になっている簡易的なジョイントラックがある。

その一番上には、相変わらずシワひとつのない領収書が申請書と一緒にクリップで留まっている。

営業部はまた、年度末の本決算の結果を揺るがす大きな案件を追いかけているのか、毎晩遅くまで明かりがついているし、どうも早出もあるのか、四宮とは全くすれ違わない。

最後の最後に四宮の綺麗な申請書を経理システムに打ち込んだ。

家に帰ったら、母がなぜか隠すように押し入れの隙間に隠した手紙を読み直してみよう。

あの時は動揺が勝って、内容がうまく理解できなかっただけかもしれない。

四宮に直接聞くのは、もう少し日記に書かれている、私の知らない四宮を理解してからでも遅くはないだろう。

「もうそろそろ帰らないと」

他の経理部員は、すでに業務を終え帰ってしまっていたので私しか残っていなかった。

本当は仕事自体、溜まっているものはないのだけれど家に帰ってもきっとこのことを考えるので

ここ毎日のルーティンのようになっていて疲れていた。

仕事をしていれば、少しは気がまぎれると思って残っていたが、19時近くになったところでいよいよ時間切れであった。

私は仕方なく思い腰を上げて帰宅の準備を始めた。

営業部はまだ明かりがついているし、今から四宮に偶然会うこともなさそうである。

煌々と蛍光灯が灯っている営業部の横を通るときに、ちらりと見た先には、なにやら別の会議室でホワイトボートの前で話している四宮が見えた。

会議はかなり押しているのか、四宮も同じように参加しているほかの社員の顔からは疲労が見て取れる。

私は、すっと視線を反らしてエレベータでビルの出入り口へ向かう。

IDカードの認識を確認した音と同時に受付の横から人が同じように出てきた気配がした。。

受付時間は最大まで18時のはずで、19時近くまで残ることは滅多にない。

その珍しさから受付の横から出てくる人を見ると、森本さんであった。

彼女はいつも綺麗にハーフアップしてる茶色が買った髪も、今日はおろしている。

服も淡いピンクのセーターに、紺のタイトなスカート、コートはグレーのチェスターのコートで

若さと、美しさ、そして女性らしさをいい塩梅にミックスしていて、これぞモテる女子なのかと妙に納得してしまった。

森本さんも、通常はこんな遅くにビルを出ない私の出現に驚いたのか、目を大きく見開いた後、軽く会釈をした。

私もつられて会釈をし、この場を早く去ろうと足早に出入り口に向かった。

森本と四宮のあのキスを見た後では、どうもその想像が浮かんでくるので平常心では話せない気がしたのである。

「柊さん」

そんな折に、後ろから森本さんに声をかけられてしまい私はその歩くスピードを緩めずにはいられなかった。

彼女の呼びかけが、いつも見ている明るさからは少しかけ離れているように感じたし、むしろ悲痛に近いような声色な気がしたのである。

振り向くと、彼女の目は少し切なく、うるんでいるように見えた。

「えっ、どうされましたか?」

森本さんが私の名前を知っていることにも心底驚いたのだが、そもそも大人気の受付嬢と、しがないアラサーの経理の私が接点を持つことがあるのか、という純粋な疑問もおそった。

共通点は四宮なのかもしれないが、私と四宮が同じアパートにたまたま隣人として住んでいることは知らないだろうし、彼女の前で四宮と会ったのは数えるくらいである。

むしろ、私の方が森本さんの四宮の決定的なシーンを見ているので私から声をかける方が筋なのではないか、と余計なことを考えてしまった。

「少し、お話したいことがあるのですがこの後お時間ございますか」

その提案が、あなりにも予想の右斜め上に行き過ぎて私はただただ口をあけてポカンとしてしまった。

彼女の表情は、私への嫉妬や怒りではなく、どこか悲し気な申し訳なさそうな目をする。

この表情から宣戦布告とは程遠そうな気だけはしたので、むやみに断ることもできず、近くのカフェに二人で向かうことにした。

会社から少し歩いたところにある、比較的すいているカフェでコーヒーを頼み、茶色い丸テーブルに、バーとかによくありそうな脚の長い椅子に二人で腰かける。

とりあえず一口コーヒーを含んでみるが、いつもより苦みを感じてすぐにカップを置いた。

砂糖を入れればよかったと思ったのだが、私よりも年下である森本さんが平然とブラックで飲むものだから変に見栄を張ってしまったことを後悔した。

森本さんはゆっくりコーヒーを含むと、音をたてずにそっと置いた。

「今日は急に引き留めてしまい申し訳ありません。柊さんにお話しておきたいことがありまして」

上司と話をするかのような語尾が仰々しく、言葉に重みがあるのでこちらも身構えてしまう。

「な、なんでしょう?」

私はこの人生において、女性に1対1で対峙して「お話がありまして」という状況に自分が陥る日がくるとは。

これぞ四宮洋平という人間の底力というか、本質を見た気がしたというか、とにかく私は何度か姿勢を変えたり、座りなおしたりして落ち着きをなくしてしまう。

「四宮さんのことですが」

心の中で来た!!と思い、動揺がばれないように机の下でクロスされた手が汗に濡れていくことが分かる。

「私、今は付き合ってないです。結構前に終わってますから噂は半分本当、半分嘘です」

「…うん?なぜそれを私に?」

「柊さんに、四宮さんと私のことを誤解してほしくなかったからです」

「誤解なんてしたことないですけれども…」

というのは、嘘だけれど、森本さんにそんなことを言われるほどではないし、周りに気づかれていない自信もあったのに、予想外である。

森本さんは、少し肩の力を抜いて、柔らかく笑った。

「あ、語弊がありましたね。四宮さんが、私のせいで柊さんと上手くいかなくなったら申し訳なかったのです。柊さん、私が四宮さんと付き合ってるとかないとか、そういうことを考えて避けてないといいなあって思いまして。四宮さん、そうじゃなくても誤解を生みやすいですし、女の嫉妬は女に行くっていうのはもはやスタンダードだ、と柊さんはご認識されていると思って」

確かに、女性同士の争いに巻き込まれるのはもちろん勘弁してほしいし、関係ないのに巻き込まれるのはとても不快であるということはスタンダードであるので森本さんの意見はもっともである。

「ああ、だから付き合ってないから気にしないでほしいと…。でもね、森本さん、私は別に四宮君をどうこうしたいわけでは」

「私は、彼と付き合っているとき助けてあげることができなくて別れてしまいました。彼の気持ちは分かっていたつもりでしたが、人によって悲しみのハードルは違う。それに寄り添っている気になっていたのは私だけで、彼には届いていませんし、むしろ重荷でした。だから、別れた後、偶然とはいえあの会社で再会したときに驚いたのです」

私の返答などそこにはなんの意味もなく、森本さんはゆっくり語りだした。

途中で止めることができなかったのは、あの四宮がきっとちゃんと付き合った女性が目の前にいるという物珍しさと、ほんの少しの羨望と好奇心だった。

「再会したとき、彼は柊さんと楽しそうに歩いていました。久しぶりに見た彼の笑顔で、私はこの人の笑顔をうまく思い出せなかったから、ああそうかこの人はこうやって笑えていたのだと知って、自分の力不足にため息をつきました。しかも柊さんが、彼を見ている目はいい意味で恋愛感情はないから実質的に負けていたのに悔しくもなかったんです。しかもそのあと藤原さんがいらっしゃって、柊さんと3人で話しているときに、もしかして悲しみに寄り添えたから、彼は柊さんの前ではリラックスしているのではないかとおもったのです」

あのとき藤原さんが母の遺品を私に来た時、偶然四宮もいて3人で話しているときに森本さんをみたら少し悲しそうな目をしていた理由はそこだったのか。

「森本さん、四宮君のおばあさんがご病気の時にお付き合いされていたの?」

「ええ、付き合い始めたのはそれくらいですが付き合いはもっと長く、初めて会ったのは小学3年生の時です」

「そんな前から?幼馴染とかですか??」

この二人が付き合っていたことは分かっていたが、幼馴染レベルの付き合いの深さだとは想像を絶した。

そこまで運命的なつながりがある二人が、なぜダメになったのかさらに気になってしまう。

森本さんが今度はぽかんと口を開けて、私をじっと見た。

なにかまずいことでも言ったのかな、と思ったほどの不安に襲われる。

「幼馴染…まあそうかもしれませんが、被害者遺族ってものなので別物かと」

店内に控えめに流れていたジャズのBGMも、すぐ隣に座っているカップルの声も、遠くにいるのに響いていたはずの学生の騒がしいも一瞬にして無音になった。

人はあまりにも自分の想像を超える事実を聞くと、単語しか出てこない。

その驚きが度を越えるために、他の言葉がとっさに脳内で処理できない。

「被害者遺族、って何」

森本さんは、ハッとした表情のあとに、目を伏せた。

言わなければよかったという後悔の波が彼女に襲い掛かったようだった。

彼女が言う「悲しみのハードル」は、すっかり四宮のおばあちゃんのことかと思っていたが

それよりもさらに大きく、重く、そして人の心に十分の傷をつける力があるものだった。

寄り添う方が難しいのが当たり前で、それを彼女は助けられなかったと嘆く。

私にそれができたのは、これを知っていたからと考えたのだろう。

「その、ごめんなさい。彼から聞いてなかったんですね…」

「森本さんも、何かしらの事件の被害者ってことだよね?

思わずタメ口になったことを忘れるくらいに、私は彼女に迫っていた。

四宮がもし、その被害者家族であれば両親のことであるだろうし、話したくなくなる気持ちに合致が行く。

彼がどこか愛情というものを客観的にとらえ、自分のものにできないもどかしさも想像できる。

「はい、私も当時の事件の被害者で。そこで洋平とは何度か被害者の会で顔を合わせていて」

「ねえ、それって四宮君の両親が亡くなったことと関係あるよね?」

「ええ、洋平は両親をその事件で亡くしています」

あの日記の「事件」や「あの子」のキーワードが、一つのノートにまとまったみたいだった。

母が書いていた日記の事件は、四宮が被害者として関わったものであり、両親をそこで亡くし、自分だけ生き残ったことを指す。

両親の話を聞いても全然教えてくれなかった理由は、このことだったのだ。

でも日記を読んで、森本さんからの告白を聞いた今、これ以上知らんぷりもできなくなった。

私はコーヒーを一口飲んでから、一息ついて口を開いた。

「その事件、教えて」

強い視線と口調で言いよると、森本さんは戸惑った表情をしたあと、ぽつりぽつりと話し始めた。

事件が起きたのは18年前の12月24日、四宮が小学校3年生、森本さんが小学校1年生の時である。

生徒は下校した後だったが、小学校が経営していた学童の生徒は残っていた。

学童に通っていた生徒たちが、クリスマス会の準備をしていた夕方、出刃包丁を持った男が校舎内に侵入してきた。

当時教室からは明るい光が校庭に漏れていて、あわてんぼうのサンタクロースが流れていた。

その男は、校庭で遊んでいた生徒を数人、襲った後、その光に向かって侵入。

目に入った生徒や、教師、止めに入った大人を次々と刺していった。

被害に遭ったのは生徒5名、教師2名、大人2名の計9名。

犯人はその後、駆け付けた警察と教師により取り押さえられその日に現行犯逮捕。

判決が出たのは、事件から5年後。今もなお、死刑執行を待つ身となっている。

「その大人って」

森本さんは、目を伏せながらカフェの茶色テーブルに目を落とした。

「洋平の両親です。当時、洋平の家族は海外駐在から戻ってきた直後で、学童に洋平を入れようと偶然見に来ていたんです。ちなみに私はその事件で、2つ離れた姉を亡くしています。それで被害者遺族となって、会合に大人になってから顔をだすようになったんです」

森本さんはその後のことも少し話してくれた。

今でも、クリスマスの時期が近づくとその記憶がフラッシュバックするので、森本家はクリスマスはしなくなったこと、高校生くらいまでメンタルクリニックに通っていたこと、そして大人になって緩和されたころから被害者の会に顔を出すようになったこと、そしてそこで洋平と再会したとのことだった。

「洋平は当時20歳でした。柊さんもご存じかもしれませんが四宮のおばあ様が病気になって、介護を彼がし始めたころです。もっともおばあ様の病気は早くに分かっていたそうで、私が再度彼に会ったときにはもう末期で緩和ケアでしたけれど」

そのあたりから森本さんと洋平は付き合い始めたそうだけれど、もしかしたらおばあちゃんがきっかけだったのかもしれないな。

母の日記にはもちろんそのことは書いていなかったから、その後のことなんだろう。

その流れを聞いていると、母が心配していたほど四宮は孤独ではなかったんじゃないのか分かって安心している自分がいた。

その時、彼女がいなかったらもしかしたら彼は今、いなかったのかもしれない気がして。

「森本さんは、お姉さん亡くされてるけれどその、今はどうなのかな」

四宮が両親に対して、ものすごい罪悪感を感じているのは理由を聞かなくても想像できたのであるが、森本さんも目の前でお姉さまを亡くされている。

でも、四宮よりも森本さんの方がしっかりしているように見えるし、気丈なフリかもしれなくてもなんとなくそのようなふるまいをしたくなる気持ちも分かる。

森本さんは、コーヒーをのみながら一息ついた。

「もちろん、今でも犯人を憎んでいますし、姉が生きていてくれたらなと思う時もあります。あの事件がなかったら柊さんと同じくらいの年齢でしょうし。でも、私は両親が健在ですから家族で悲しみや憎しみは3等分でした。だから支えられるし、お互い背中をさすることができます。だからここまで立ち直りました。でも洋平は、一人っ子だし、両親はいないですから悲しみを一人で背負わないといけないんです。だから、当時は彼を支えたくて頑張ったんですけど。結局同じ記憶を持ってても相手の悲しみなんて深すぎて分からないんです。すると傷の舐めあいみたくなるんです。だから上手くいかなかった。誰かの人生を変えようなんて、そんなこと思うなんて浅はかでした」

森本さんは悲しそうな目をしてそう話す。

彼女はまだ洋平のことが好きなのかもしれないな、恋愛的な意味というよりはもっとちかい家族のような愛情かもしれないけれど。

「ごめんね、辛いこと話させちゃった」

「いいんです。私こそ、こんな思い話聞かせてしまってごめんなさい。でも、知っていてほしかったのも事実です。洋平の悲しみの重さが少しでも軽くなればいいなって、その私のエゴですけど柊さんにはしてほしかったっていうか・・・本当自分勝手ですね」

なぜ森本さんが私にそんな大役を任せたかったのかは分からなかった。

藁にも縋るような気持だったのかもしれないけれど、私もどこかで四宮を助けたいと思っていたのかもしれない、それこそエゴだけれど。

「いえ、ありがとうございます。私が話してほしくて聞いたことですから気にしないでください」

すっかり人が減り、冷めたコーヒーを二人で一気に流し込んでから、その場で分かれた。

家に着くころには22時を回っていたが、まだ四宮の部屋に明かりは灯っていなかった。

パンドラの匣を開けてしまった罪悪感を抱えながら私はため息をついた。

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