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女の恋

作者: たでんだた

女は悟った。

愛する男に振られたことを。


あれほど想い想われ、何度も愛を確かめ合ったというのに、男はある日突然、パタリと姿を見せなくなった。


それまで男は毎日のように女のもとに通っていた。

アイロンをあてたカッターシャツの上から真っ直ぐネクタイを締めた、ピシッとしたスーツ姿。女は毎朝のように男を見送った。

夜は服装こそ同じだが、朝とは対照的に少しだらしない印象で、シワの寄ったカーターシャツ、やや(ゆる)んで曲がったネクタイ、丸一日働いて出た汗の臭い。女はそんな男の様子に色気を感じ、うっとりと見つめ、体の奥を(うず)かせた。


女は男に従順だった。

いつも男からの行為を黙ってじっと待っていて、男がしたいようにさせ、その身を男に(ゆだ)ねていた。

男は女を()らすように男の一部を差し出すことが多かった。

男は右手で男の一部を持って差し入れ、そのまま右手指の腹で女の肌をツーっと()でてやる日もあれば、男の一部を差し入れるだけで、手指では女の肌に触れてやらない日もあった。

女はいつも男の一部に体を開き、たとえそれが(つか)()でも、全身で男の一部を受け入れて、全身で男の一部を感じていた。

周りに人が大勢いるため、女は声をあげることが出来ない。

男からの愛撫(あいぶ)に身を震わせ、喜びを感じ、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべながら、女はただ静かに(もだ)えていた。


だが、女は男がずっと自分を裏切り続けていることには気付いていた。

男の一部が差し出されるとき、男の手指が自分に触れるか触れないかといったとき、男の反対の手、左手の薬指には指輪が()まっていた。

だからだろう。

男は左手では男の一部を差し出さず、左手では女に触れない。

女に触れる手はいつも右手だった。

女は愛する男をいつもじっと見つめている。

女に触れることの無い左手薬指の指輪に、女は自然と気が付いた。

男には別に女がいる。

気付いていても、女は男を愛する気持ちを抑えることが出来ず、 女は男を愛し続けた。


男が珍しく遅い時間に会いに来た日、周りには誰もいなかった。

女は全身を抜ける男の一部に身を震わせて、男の指先でツーっとされる長い愛撫(あいぶ)に、初めて(あえ)ぎ声を漏らした。


「……っあん……」


男の一部を戻してやるとき、女は(ささや)くように男に言った。


「大好き」


女は強く望んだ。

自分だけを見て、自分だけに触れて、自分だけを愛してほしいと。

男に他の女は要らない、男には自分だけでいい、男に他の女との愛の形なんて要らないと。

ピキッと何かが音を立て、カランカランと何かが転がる音がした。



ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


……通勤で使う私鉄の駅の自動改札機を通るとき、男は躊躇(ちゅうちょ)することが度々あった。自動改札機は二機。決まってどちらということではないのだが、ランダムに二機のうちの一機が時々とにかく変……というより、とにかく異常であり、とにかく非現実的だった。


ある日、機械にカードを差し入れようとしたら、カード挿入口の上下に、赤黒い色をした濡れた分厚い(くちびる)があった。

気味が悪くて、男は窓口側の機械の列に並び直して通過した。


ある日、機械にカードを差し入れようとしたら、カード挿入口から湿った舌が伸びてきて、カードを絡め取るように機械に飲み込んで行った。取り出し口からカードが出てきたため、通過してカードを取ったら、カードには(よだれ)のような粘液のような謎の水分がべったりと付着していた。


ある日、機械にカードを差し入れようとしたら、前方に大きく広げた両手が待ち受けていた。抱擁(ほうよう)を待つかのような両手は機械のカード取り出し口から生えていた。

カード挿入前だったため、男は売店側の機械の列に並び直した。


ある日、機械にカードを差し入れて、通って、出てきたカードを取ろうとしたら、カード取り出し口から片手が生えていて、男のカードを持っていた。

受け取らないわけにもいかないので、男は指2本で摘まみ上げるようにしてカードを受け取った。


ある日、機械にカードを差し入れて通るとき、一瞬だけ淫靡(いんび)な声が聞こえた気がした。


「……っあん……」


出てきたカードを取った瞬間、耳にねっとりと(まと)わりつくような女の声がした。


「大・好・き」


そして、ピキッという亀裂が走る音がして、音のした左手を見ると、薬指に()めている結婚指輪が真っ二つになって床の上を転がった。


男が利用するのは地方の私鉄で、男の乗車区間は四駅分、時間にして約20分。

男は翌日から、片道40分の自転車通勤を始めた。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


女は再び恋をした。


新しい運命の男と出会った。


体を重ねるかのような濃密な一時(ひととき)を幾日も繰り返し、新しい男との愛を(はぐく)み続けた。


そしてある日、女は新しい男と完全に一つになりたいと、強く強く望んだ。

女は新しい男を飲み込むかのように、新しい男を体いっぱいに受け入れて、新しい男との肌の重なりに歓喜した。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


自動改札機にカードごと吸い込まれた男性が死亡したかもしれない謎の失踪事件。

カード挿入口にはスーツのズボンの裾と、吸い込まれる際に何故か引っ掛かったらしい(くるぶし)から下部分、靴下と靴を履いた男の両足がぶら下がっていた。足首はジッパーで閉じたかのようにピタリとして薄く細く狭く閉じられて、切断面といったものが無く、出血は一切無かった。消防士、警察官が立ち合いのもと、自動改札機は解体されたが、男性の(くるぶし)から上の体は発見されなかった。ただ、男性のものと思われる、結婚指輪が一つ転がり出ただけだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 『女に触れる手はいつも右手だった。』 前半を読んでいるときと、全部読み終わった後で読み返したときに全く違った印象になりました。(だいたい皆さん右手使いますよね) 面白かったです。
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