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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.6 生誕祭と黒曜の使者
98/132

1-1.死神様の悩み事

――お前は神(私たち)の子供だからな。


その真実ことばを告げられた瞬間胸に湧き上がったのは、動揺と同等の納得。

昔から、周囲の人間とはどこか違うと思っていた。肉体面でもそうだが、それ以上に中身が。

嬉しさを伝える笑みも。

悲しみを伝える涙も。

怒りを伝える拳も。

周りのニンゲンはそれらを特に考えもせずに自然とこなすことが出来るのに、自分には迷宮生物を倒すことよりも難しいことに思えてならなかった。

憎しみという感情も。

楽しいという感情も。

愛するという感情も。

どこか自分には遠く、無縁なものだと思えてならない。

それでも恩人に、そして今の主人に出会えて以前から遥かに自然にそれらを認識することができるようになった。涙も出るし、笑いもする。

だけどそれを果たして自分の中で正しく認識できているかどうかは、正直に言って自信は無い。

でも真実を知って、ようやく理解出来た。

自分はニンゲンではないのだから、それも理解できなくて当然だ、と。

だから目の前のこの光景にも心が揺れないのは、きっと自分にとっては正常なのことなのだろう。


「――来い、ヴァイスっ!」


遥か下層――正確には3階層分だ――からの呼び声に、ヴァイスは躊躇うことなく崖の縁から足を踏み外した。

直後に襲いかかる浮遊感に、しかしヴァイスは表情ひとつ変えることなく急降下。眼下には見慣れた人影が4つ分と、それを遮る形で空中に浮遊する巨大な白い鳥の影。

――ルフ。

またの名をロック鳥。現代で言う中東やインドでの目撃証言があると記述があり、かの有名な冒険家マルコ・ポーロ著『東方見聞録』にも記載があるという巨大すぎる怪鳥だ。

大きすぎる巨体は四方を土塊で覆われた迷宮区内の各階層1フロアには収まらず、こうしてまれに発見される数回層分を抜いた空間に、住処を置くことが多い。

先の『聖戦』で地形が大きく崩れこのように開けた場所が多くなった今は、彼らにとって住みやすいことだろう。

と頭の端で全く関係のないことを考えながら、しかしヴァイスの意識は目の前の怪物に集中する。

狙うは一点。――首の辺りに光る『結晶核しんぞう』。

しかし相手も馬鹿ではない。ヴァイスの狙いが『結晶核』だと知れると、ルフは大きすぎる翼を無理やり羽ばたかせる。

狭すぎる空間で巻き起こされた風は荒れ狂い、さながらストームの中を突っ切る無謀な船のように生身のヴァイスも揉まれる。

その隙を突く形で振り切られた翼は、突如と飛来した豆鉄砲によって弾け飛ぶ。

嵐の中でも一点に打ち出されたそれは、過たずヴァイスを襲おうとする翼や鉤爪の尽くを打ち払う。その時間稼ぎの間に足元出現する氷の足場を踏み抜き。


転瞬、発砲トリガ


打ち出された弾丸は過たず『結晶核』を撃ち抜き、死神の鎌の如く一瞬でルフの魂を刈り取っていく。

甲高い悲鳴は迷宮区全域に響き渡るかのように空間を震わせ、そして倒れ込む振動とともに止まる。

失墜する巨体を避けて着地し、砂埃にまみれた純白のマントを翻し、ヴァイスは振り返る。

そこには予想通りの人物がちょうど駆け寄ってきていて、その顔には安堵の色が浮かぶ。

自分の名前を呼んでくれる、たった1人の主人マスター。自分はニンゲンのそれとは違うと知っているのに、それでも人間と同じように接してくれるお人好し。


「ナイスキル、ヴァイス」

「……あぁ」


赤銅色の髪の下、深紅の双眸を笑みに細めながら、ハヤト・クサナギの軽く上げた手に、ヴァイスは未だ気恥しさを覚えながら打ち付けた。


-----


「――いや〜大漁大漁!これだけ稼ぎがあるとちょっと不安になるわ」

回収物を入れた袋を振りながら、そういうハヤトの足取りは軽い。それもそのはずで、先程狩ったルフはかなり換金率の高い迷宮生物だからだ。正直金銭に全く無頓着なヴァイスからすればただの迷宮生物の一種なのだが、換金率の高さの原因は紀元前6世紀まで遡るらしい。

「でもハヤト先輩、カズキの借金はなしになったんでしょ?今さらお金稼いでどうするんです」

「そうそう、その辺の学生よりも貯金持ってるの俺知ってるよ?」

るんるん気分のハヤトの後ろから二色の声がかけられ振り返る。そこに立つのはまだ見知って1年も経っていない、けれどもそれ以上に見慣れた顔ぶれだ。

そのうち1人は心底疑問そうに、そしてもう1人はそれに便乗する形で会話に参戦する。

薄桃色と若苗色のインナーカラー。

レグルス・アマデウスとレン・ココノエ。

先を行くハヤトの表情を覗き込むようにして身を乗り出すレグルスを、ハヤトは見下ろしながら。

「金はいくらあっても困らないからな」

「身も蓋もないですね」

「今のうちに稼いでおいた方が堅実だぞ?将来もし弟妹達に借金ふっかけられるかわかったもんじゃねぇし」

「オレの弟妹たちはそんなことしませんっ」

いー!とまるで生物の威嚇のような声を上げるレグルスはとりあえず置いておいてと、先程までの軽い空気から一転して腹いせのように眇られる深紅の双眸。

「そう思わないとやってらんねぇし」

「あぁ。それはそうですね」

「それは私の事を言っているのか?」

目の敵と言わんばかりに細められた深紅と白銀の視線を一身に浴びながら、彼らの背後を歩いていた青年が辟易と零す。

このひと月で言われ続けたせいか、まだその話かと呆れの声には、どこか少しだけ申し訳なさそうな色が混じっている。

これまた1年未満の付き合いである青年。――オリバーのその言葉に、これまた嫌味ったらしくハヤトも返す。

「どっかの誰かさんが実力隠してるから、こうしていいように使われてるんだろーが」

「ヴァイスがいるからだろう?」

「ヴァイスだけならこんなことにはなってないわ!お前っ俺があの時どれだけ自制したか分かってる?」

あの時、というのはつい数日前のことだ。彼らが所属する聖グリエルモ学院、その理事長を務める麗人になんの前触れもなくハヤトは呼び出され。

『今ちょっと人手が足りないから、ちょっとひと狩り行ってきてくれないかな?』

「『ひと狩りいこうぜ』みたいなノリで、いきなり学生だらけの試験調査団をこんな中層域にぶち込むか!?死ねってか!?」

「生きてるんだからいいじゃないか」

「結果論だろうが」

学院で『落ちこぼれ』という肩書きのハヤトはその場で即異議を申し立てたが、真正面からの言い合い(という名のもはや脅迫に近かった)には到底勝ちもなく。

最終的な決め手は。

『ほら、オリバーはその辺の調査員より強いし、それにヴァイスもいれば楽勝だろう?そんな戦力を遊ばせておくほど、私も仏じゃないのでね』

つまるところこう言うのだ。――ひと月前の騒動の落とし前をつけやがれと。

ひと月前。聖グリエルモ学院ではとある噂が流れた。

曰く。――人の記憶が日々消えていくのだ、と。

最初はただの度忘れ程度だったそれは次第に規模を増していき、最終的に学院内はパニックに陥った。

迷宮区『サンクチュアリ』のその深部、そこから来たという『妖精』によって引き起こされたその事件に、オリバーは一枚かんでいたのだ。

結果としてそれはオリバーも考えあっての事で、最終的にはハヤトたちと、ヴァイスが所属する調査団のトップ『タキオン』の活躍によって幕を下ろす。

現在では奪われた記憶はそれぞれの持ち主に戻っているらしく、ひと月も経てば話題からも逸れる。

という経緯から、オリバーが所属する試験調査団であり、ハヤトが団長を務める『ケリュケイオン』に尻拭いが回ってきてしまったということだ。

という前置きに、本人も少なからず負い目を感じているようで。

「だから悪いと言っているじゃないか。これでも誠心誠意謝罪しているんだが」

「じゃあ土下座して」

「は?」

「すみませんでした」

瞬発的に放たれた殺気に、間髪入れずに返されるハヤトの謝罪にオリバーは肩を落とす。お互いにじゃれ合いだとわかった上で繰り広げられる茶番だからだ。

友人という距離感だからこそのやり取り。その光景に、また1歩ヴァイスは集団から取り残される。

「全く。そろそろこのやり取りも面倒なんだが」

「全部お前の自業自得なので俺は知りませんね」

「はいはいわかったわかった、――っ!」

会話が不自然に途切れ顔を上げると、ちょうどオリバーが上体を崩しているのが飛び込んでくる。足元には外へ繋がるゲートへ続く階段があるが、どうやら踏み外してしまったようだ。

ハヤトも突然の事で咄嗟に反応出来ず、空中を泳ぐオリバーの腕を取る前に彼が転げてしまうだろう。

が、そうはならなかった。

「ちょっと、気をつけてよね」

およそ5mはあったかと思われる距離を一息に飛び越え、レグルスはオリバーの腕をひょいと掴みあげる。彼の細い体躯からは想像もつかない剛力によって転倒を免れたオリバーは、ぱちぱちと紫眼を瞬いて。

「あぁ、すまない。まだ視界に慣れてなくてな」

「しっかりしてよ。咄嗟に掴むしっぽも無いんだから、掴むところがなくて困るし」

「一つに結っていたのはそういう用途では無いんだが……」

視線が泳いでいるのは、おそらく年下に担がれた恥ずかしさからだろうか。幾分か歯切れの悪い悪態をレグルスに返しながら、オリバーは無意識に首の後ろに手を回す。

ひと月前まではそこにあった、男にしては綺麗なマリンブルーの長髪は、今はそこにはない。

生まれた時より彼の中にいた存在。そしてゆくゆくはその『彼女』に明け渡される器だったその宿命は、レグルスの遺伝子に組み込まれた『魔狼フェンリル』の事象改変能力によって消え去った。

退院してからまもなく、彼はそれまで『彼女』の為に伸ばしていた髪をばっさりと断髪してしまった。それでも男としてはまだ長いが、今までのオリバーからすれば短い。

その所動を見ていたハヤトが、安堵した表情を隠すように切り出す。

「やっぱ見慣れないよな〜しっぽがないと。最初見た時思わず持ってた教科書ぶちまけたもん」

「それ拾った俺の身にもなって欲しいな〜」

「それは私のせいか?むしろ君たちの方が失礼だろ」

「でも一人称は変えないんだ?」

レグルスの問に、オリバーは意外そうに目を瞠る。まるでそこに気づくとは思っていなかったように、一息ついてから。

「慣れてしまったというのもあるが。私は『彼女』の事を嫌っていた訳では無いからな。『彼女』の居た証を遺して起きたいと思ったんだ」

もう消えてしまった『彼女』を思うように、オリバーはひそやかに目を伏せる。生まれてからずっと一緒にいた『彼女』を誰よりも知るオリバーには、きっと他者には分からない事もあるだろう。

それをどう思ったのか、レグルスは興味あるようで、ないように首を傾げて。

「ふーん。本当くそ真面目なんだねあんた」

「出てくる感想がそれか」

「いやかなり真面目だと思うな〜。隼人と2人合わせて2で割ればちょうどいいんじゃないかな」

「ハヤト先輩と…合体…?」

「おい、それ以上気色悪い妄想はやめろ」

ぎゃいぎゃい言い合いながら、前を歩く4人は到着したゲートをくぐっていく。くぐった先はもちろん『タキオン』総本部のゲートの間で、それぞれはそこで解散の手筈。

現時刻はちょうど学院の昼食の時間と重なる。各々は学食で昼食を済ませ、それぞれの教室に向かうだろう。

それがこの年齢の青少年にとっての当たり前で、迷宮区であってもそれは変わらない。

日常に、戻っていく。

なのに自分は、やっぱり取り残されているように思えてならない。

「――ヴァイス?」

呼び声には、と顔を上げる。そこにはひとりゲートの前でこちらを振り返る深紅の双眸。

「何かあったか?」

他に何か敵がいるのか。

他になにか気になることがあるのか。

――ここ数日、ハヤトはその問いを投げかける。

話せばきっと聞いてくれる。それはもう半年以上の付き合いで知っている。彼はお人好しで優しいから、ずっと自分を気にかけていることを、ヴァイスはもう知っている。

それでも。

「……いや、なんでもない」


その優しさに甘えることが、未だに怖い。


-----


「殻に籠っているな。少年」

かつて『大予言』の日よりその半分を崩壊させて、なお異彩を放つを放つサン・ピエトロ大聖堂。その残った半分をそのまま流用した豪奢な聖グリエルモ学院の回廊を歩く足を、その呼び声でふと止める。

先程まで迷宮区に潜っていたメンバーは、それぞれがそれぞれの日常へ戻っていき、主は理事長であるいけ好かない団長の所へ報告へ行って今は1人のヴァイスは、努めて無感情に振り返る。

精緻な造りの柱にもたれ掛かりながら、殺気ともとれる視線をそよ風のように受け流しながら向けられる、金髪の下のペリドット。

突然現れた臨時講師、ステイ・ラドフォード。

「……なに」

「そう邪険にするな。一応ここでは教鞭を摂る身なれば、ただのお節介だ」

教師を自称するのなら、何故授業中であるはずの今こんなの所にいるのか。という問はそのままそっくり自分に帰ってくるので黙っておく。

その沈黙をどう受けとったのか、ステイはもたれていた柱から背を離す。

「同族のよしみとして」

「貴様なんかと一緒にするな」

「嫌われたものだな、某も」

ふむ、と。言葉とは裏腹に微塵も気にしていない様子で顎に手を当てるステイは、どこからどう見てもニンゲンにしか見えない。

ニンゲンと同じように声を発し。

ニンゲンのように動く。

しかしその正体は、かつて北欧神話にて豊穣神の足となり世界をかけたとされる、巨猪グリンブルスティ。

彼ともう1人、同時期に臨時講師としてやってきた女講師の正体は、ハヤトから聞いている。それを信じるのなら、ステイの言っていることは半ば本当だ。

ニンゲンのそれではなく、蒼い血液がその身を流れている。――ニンゲンの皮を被った化け物。

その化け物が、ニンゲンのハヤトと同じような憂う色彩を瞳に過ぎらせながらしん、と瑠璃を見据える。

「以前某は忠告したはずだ。『いざという時、後悔することになる』と」

「……それは、」

分かっている。当時は理解できなかった、理解したくなかったその言葉の本当の意味。

こんな酷く脆い自分では。――この先きっと選択を誤ってしまう。

彼を、失ってしまう。

それでも。いやだからこそ言えないのだ。自分の命よりも大事になってしまった彼に『拒絶』されてしまったら?

『化け物』だと言われてしまったら?

その時自分は、果たして壊れずにいられるだろうか。


――怖い。

そんなことないと思う。


思いたい。

彼を信じてる。

信じたい。

そんな否定する自分と肯定する自分の狭間で揺れてしまって、疲弊しきった精神は正常な判断すら難しい。

「悩む、という行為は人間特有のものだ」

ぐるぐる渦巻く思考を割くように、ステイの声はするりと精神に響く。

いつの間にか俯いていた顔を上げると、自分と同じような、それでいてやはりどこか気にかけるようなペリドットの双眸がそこにはある。

まるで独り立ちする子供を案じる、親のような。

「ヴァイス。汝は『1人』であっても『独り』では無いのだ。悩んでもいい、惑ってもいい。果たしてその選択が間違いなのか正解なのか、それは踏み出した後に決まる事柄だ」

遠くで、木の枝から鳥が羽ばたくささやかな音が聞こえる。その音を拾ったステイは、その鳥の影を追うようにして視線を蒼天へ上げる。

その蒼に何を見ているのか、何も言わないステイをただ見るヴァイスには分からない。

そしてその答えは出さず、ステイは言葉の続きを口にする。視線は微動打にせず、もう冬の澄んだ薄い蒼天に向けたまま。


「ただ、殻にだけは籠るな。幸い汝の周囲には、汝を憂うもの達が沢山いるのだから」

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