4-1.言いたかった言葉
何やかんやと生き残った隼人は、今回も入院する羽目になった。
案の定、といえば誰もが頷くのだが、今回は1ヶ月とかそんな長期ではなく数日間で退院することが出来た。そこだけは褒めてもらいたい。
というよりも、今回怪我なく生還したのは遠距離からサポートに回っていた蓮とリュカオン(は多少擦り傷はあったが)だけなのだから、接近戦で立ち回っていた自分としてはかなり成長したのではないかと思う。
という訳で数日ぶりに帰ってきた宿舎の部屋は。
「……やっぱり居ねぇ」
こちらも案の定と言うべきか、とうの昔にというよりもその日に帰宅したはずのヴァイスの姿はどこにもいなかった。
どうやら彼は自分に後ろめたいことがあると途端に逃げ出すらしい。そんな露骨にしなくてもいいのにとは思うのだが、おそらくは自責の念からだろうからとあまり責められない。
そんなこんなでとりあえず数週間放って置いているのだが、さすがに長すぎやしないだろうか。
この数日、音沙汰も何もかもなくて。学院にも顔を出さない始末。
思い当たるところは全て見て回って、それでも雪白の影を見つけられなくて。一体どこに雲隠れしてしまったのか全くのお手上げの隼人は今日も誰もいない部屋に帰る。
自分の隣の、空白のベッドを見下ろして。
「……セオ」
死んだと思っていた。事実、数日前迷宮区で出会った彼は死んでいた。
それでも息をして。――自分に話しかけた。
最期まで俺のことばかり気にかけて。
それでいて、自分の身体を乗っ取った誰かのことまでフォローして。
そんな彼に、自分は何も言えなかった。
それだけが、ただただ悔しい。
握りしめた手のひらに、爪がくい込んで薄く血が滲む。せっかく全身の傷が完治したというのに。
と、感傷に浸っていると、自室のドアをささやかに叩かれる音が耳朶を打つ。
こんな昼下がりの平日に、宿舎に誰かがいるとは考えにくい。と自分のことを思い切り棚に上げて思って。だからそのノックに心当たりがなくて、訝しげに深紅の瞳を眇めながら。
「一体誰だこんな時間に、」
「は〜いお届け物で〜す。送り返しは受け付けていませ〜ん」
「ちょっとレンっ、」
目の前にはにこやかに笑う蓮と、首根っこを掴まれて引きずられてきたらしいヴァイスが言葉と同時に部屋に放り込まれる。
まるで仔猫のように掴まれたことといたたまれなさからか、心做しかヴァイスの相貌は赤い。
その眼前で繰り広げられた事象に、隼人は呆然と目を瞬いて。
「……何よ?」
「何ってお届け物。自分の部屋にいつまで経っても帰らないから」
「だからってこんな無理やりっ、」
「いつまでもうじうじ部屋に居座られても困るんだよ、この腰抜け野郎」
前触れもなく吐き捨てられたドスの効いた声に、ヴァイスは身をすくめて声を詰まらせる。隣で聞いてただけの隼人でさえも、正直怖すぎた程。
しかしそれも一瞬で消えてなくなって、蓮は普段と変わらない笑顔で軽く手を振って。
「隼人も聞いてるんでしょ?とりあえず俺は先に行くから。隼人も後からちゃんと来るんだよ」
「お、おう……」
パタン、と閉じられた部屋に、重苦しい空気が落ちる。なんとかその空気を和ませようと、頭の後ろをぼりぼりと掻きながら。
「……あいつって、たまに人でも殺すんじゃないかってレベルでおっかない時あるよな。昔はあんなんじゃなかったのに、米国で本当何があったんだ、てぇ!?」
最後の叫びは、隼人の気遣いも無視してシートにくるまってしまったヴァイスに思わず抗議の声を上げてしまったためだ。人の気遣いを一体なんだと思っているんだ、こいつは。
ともあれこのままでは埒が明かないし、隼人はとりあえずヴァイスのシート包みの隣の、ベッドの空いたスペースに座り込んで。
「何。今度は何にそんな不貞腐れてんの」
「……人を子供みたいに言うな」
「不貞腐れて数週間も家出して、シーツにくるまってる奴が何を言うか」
隼人の呼び掛けに、ヴァイスは応じずにシーツにくるまったままうんともすんとも言わなくなってしまう。それでも彼からの返答を、隼人は静かに待つ。
やがて。
「……ハヤトに顔向けできない。あいつらにいいように扱われて、君のこともすっぱり忘れてしまって」
もぞもぞと、シーツにくるまりながらヴァイスは器用にも身を丸めながら、その背中を隼人は横目に見ながら。
「ハヤトは僕のことを認めてくれた人で、大切な人なのに。記憶を奪われただけで忘れてしまって。だから、」
「なに、そんなこと?お前も女々しいな」
「っそんなこと!?」
その台詞が聞き捨てならなかったのか、反射的にヴァイスはシーツを脱ぎ捨てて飛び跳ねるように起き上がる。必然的に交わる真逆の色彩に、しまったとヴァイスはようやく自分の失態に気づく。
「やっとこっちみたな、家出坊主が」
にやりと笑って、隼人は右手をヴァイスに伸ばす。それをどう受けとったのか身を強ばらせて瞳をぎゅ、と瞑ったその雪白の頭の上に置いて。
「お前は今回完全に被害者だろ。だからそんなに自分を追い込む必要なんかない。むしろ巻き込んだあいつに一発入れてやるくらいの気概でいいんだよ」
ぱちぱちと瞬いて、状況が理解出来ていないように瞬く黄金の散った瑠璃。
隼人はその瞳を受け止めながら、数回ポンポンと頭を優しく叩いて。
「ってことでほら、お前も殴りに行くだろ?」
立ち上がって、隼人はヴァイスに手を伸ばす。ヴァイスはその手のひらを見て逡巡して、やがて根負けしたかのようにおずおずと手を取った。
「……ごめんなさい」
「ここは謝るんじゃなくて、お礼を言ってくれた方がいいわ」
そうして2人は、蓮の後を追うように部屋を後にした。
*****
「……死にたい」
隣のベッドの上でシーツにくるまった物体は、小さくうわ言のようにそれだけを繰り返していた。
その様はなぜだか見ていてとても高ぶって、だからオリバーも繰り返す。
「はっ、良かったじゃないか生きてて。生きてるって素晴らしいじゃないか」
「っうるっさいなぁこのくそ貴族!今ここで殺してやってもいいんだけど!?」
「ほほぅそれでは君の努力も水の泡じゃないか。あの時あんな言葉を言っていたくせに。確か――、」
「あ"ーーーーーーーーそれ以上口を開いたら殺す!!」
「でもそういうオリバーこそ、それはそれは大層な慌てぶりだったと思うけどなぁ。応急処置のために引っぺがすのにどれだけ苦労したと思うの」
「っハッ!?」
なんでそれを今言うんだ!?と怒りと恥ずかしさからそう言い放ったレンを睨みつけるが、彼はどこまでも穏やかにニコニコ笑うだけで。
背後のベッドからはどこまでも嗜虐に満ちたどす黒い気配を感じて、オリバーは背筋を凍らせる。
こちらの痴態を、どこまでもいたぶり尽くすかのような白銀の双眸。
「……へぇ〜、そうなんだ。ふ〜んちょっと詳しい話を聞かせてよレン」
「どこから話そうかな〜。とりあえずものすごく取り乱して泣いてたオリバーはそれはもう子供みたいで、」
「わ"ーーーーーーーーココノエ貴様!!」
「……こんな騒がしい重症患者の病室は初めてだわ」
ドン引きしたような声に振り向くのと、病室の入口をちょうど見知った影が跨いだのは同時。
後ろにヴァイスを伴って入室したハヤトは深紅の双眸をこれでもかと呆れに細めて、視線があうと軽い調子で片手をあげる。
「ようお貴族様。調子はどうよ」
「……その呼び方やめてくれないか」
「むかついてるのでしばらくはこのままです」
「なら好きにしろ」
普段いいように扱われているからか、ハヤトの遠慮無用の嫌がらせに、しかし甘んじて受けるべきだろうとオリバーは辟易とため息をこぼす。
あれだけのことをして、これだけの救いをくれた。それに対する代償がこれならば安すぎるものだ。
「まぁそれはそうと、調子はどうよってのは本気で。目はどうなんだよ」
「……あぁ。傷とかは残らないそうだ。まぁ、視力は少し落ちるらしいが」
迷宮区で、シエナに与えられた多くの傷は深い傷痕を残したが、さすが化学魔法共に最先端技術を誇る『タキオン』お抱えの医療団はその真価を遺憾無く発揮した。この半月の治療で今はもう見るかげもない。
ただ、左目を抉られたその傷だけは完全には修復できず、医者によると視力は元に戻らないらしい。
と言っても生活に支障が出るものでもなく、ただ少し左の視界が霞むだけだ、と。未だそこだけは巻かれた包帯の上から撫でる。
ハヤトはふ〜んと興味なさげに相槌を打つ。自分から聞いたのにその態度か、と思わない訳では無いが、彼はきっとどうにか出来ないか、なんて考えているのだろう。
どこまでもお人好しなやつだから。
「ハヤト先輩〜オレの心配は?」
「いやお前メインだから。忘れるわけないだろ」
そう言って駄々をこねるレグルスのベッドに無遠慮に腰掛けて、ハヤトはどこか慣れた手つきで薄桃色の髪をかき混ぜて。
「お前が生きててくれて、俺は嬉しいよ」
「ハヤト先輩……」
じ〜んと感慨に浸ったような声を出したかと思えば、レグルスがベッドの上に勢いよく拳を振り下ろす。程よくスプリングの利いたベッドが僅かに跳ねて。
「なんでオレ生きてるんですか!?もう死ぬつもりだったのに!!こんな恥ずかしいことあります!?」
「そこは素直に喜んでおけよ!?」
「こんな辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシだった……あぁ過去に戻ってやり直したい……自分の発言を」
「えぇ〜……じゃあ副団長にでも頼んでおけば?」
『タキオン』本隊所属、副団長アーサー・アンダーソンは系統外魔法である意識操作の魔法を唯一操ることが出来る。たった1人の脳からある一定の記憶を封印することなど造作だろう。
まぁ、記憶を改ざんされるのは自分なんだが、とオリバーは思ったがとりあえず空気を読んで黙っておく。
アーサーの名前が出てきたことでレグルスは思い出したのか、ハヤトの後ろから着いてきていたヴァイスを覗き込んで。
「それで、ちゃんとハヤト先輩の事は思い出したの?腰抜け」
「……」
それに関しては全く何も言えずに、ヴァイスは低く唸るだけで留まる。その表情はやはり自分でも不甲斐ないと思っているからか、だいぶ傷心しているように見える。
「あまり責めないでやれよ。ヴァイスだって被害者だし」
「いーえ責めます。だってこいつはハヤト先輩のこときれいさっぱり忘れてたんですよっ?ハヤト先輩だって傷ついてたじゃないですか!」
「そりゃ、最初はまぁな……」
言って己の失態に気づいたのか、ハヤトは言葉途中で口を噤むももう遅い。せっかく立て直したようだったヴァイスがどんよりと肩を落とす。
「お前が寝てる間にちょっと身体を見てもらったんだが、お前の遺伝子に組み込まれてた『魔狼』の遺伝子だけがきれいさっぱり消えてたんだ」
その空気を断ち切るために、ハヤトはわざとらしい咳払いをひとつしてから、明らかな方向転換を切り出す。
言葉の意味を理解出来ず、レグルスは恨めしそうな白銀でハヤトを睨む。
「恐らくお前が摂理を『魔狼』の能力で改変した際に、『魔狼』はその能力の特性上死んだわけで、人間のお前だけはその影響を受けずに残ったんじゃないかと思う。まぁ俺は後からそれを見ただけだから、その時何があったのかは分からないけど」
申し訳なさそうに笑うハヤトに、しかしレグルスはぶんぶんと首を振って否定する。その表情はどこか悔しそうで、握りしめた手のひらに巻き込まれてシワのできるシーツ。
「だって、これじゃもうハヤト先輩と一緒に居られない……っ」
首を傾げて先を促すハヤトは、きっと彼の気持ちを分からないんだろうな、とオリバーはひとり思う。
何となく、わかる気がするから。
レグルスにとってハヤトは、英雄だから。
「『魔狼』の力があったから、ここまでハヤト先輩を追いかけてこられた。半年前に死ななかったのも、『聖戦』を生き残れたのだって全部……っ。なのに、こんな身体じゃ、もう役に立てない……!」
開いた手のひらを見下ろして、震えながらレグルスは絞り出す。今まで感じていたはずの力が。自分を蝕んでいた存在の感覚を、手放してしまったその手のひらが恐ろしいように。
悔しさに隠れてしまった白銀を、深紅はぱちぱちと瞬いて覗き込む。
何だ、そんなことかと。
「俺はお前だから今まで頼んできたし、これからも助けてもらうつもりだ。それはお前が『魔狼』の力を持ってるからじゃなくて、お前が必要だからだ」
だからさ、と。自分の恥じらいを隠すためにハヤトは薄桃色の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて。
「今は素直に喜んでおこうぜ。お前はもうこれからは普通に成長して寿命で死ねて、普通の人間として生きていけるんだから」
顔を伏せてしまったレグルスからの返答はない。それでもそれを肯定するかのように、レグルスはハヤトの制服の裾を摘んで引いた。
そうしているだけなら年相応の子供だなと思って、ふと思い出した。
「アマデウスに力を付与するだけなら、魔法を使えばいいじゃないか」
「それが出来ないから困ってるんじゃないの?」
レグルスの魔法適正値を知って、レンは首を傾げる。それを横目で見ながら、あくまでなんでもないと視線は真正面を見つめて。
「それが出来る大家があるじゃないか」
言って、ぎくりと身を固める影が視界の端に映る。やはり感がいいやつと話をするのは楽でいい。
ハヤトは壊れたロボットのようにぎぎぎとぎこちなく振り向きながら。
「……お前、それ俺に言ってる?」
「君以外に適任者は居ないと思うが」
それを承知の上で尋ねて、ド正論で返されてハヤトは分かりやすく肩を落とす。
しばらく唸って、堂々巡りに巡って逃げ場がないことを悟って、ハヤトは勢いよく表を上げて、腹いせだと言いたげに指をオリバーに突きつけながら。
「というか、お前態度がでかいんじゃないか!?一体誰のおかげで俺たちが巻き込まれたと思って、」
「――すまなかった」
被せるように言って、オリバーはその場で深く頭を下げて、病室に降りる沈黙。
本当はベッドから降りてやるべき事だと分かっているが、正直まだ完治していない傷が痛んでしまって。不躾と思いながらもできる限り謝罪をする。
言われるまでもなく、今回の件は全て自分が悪いのだから。
「私のせいで、みんなに迷惑をかけた。巻き込まないつもりで、結局巻き込んでしまった。だから、」
「だからさ、それが腹立つんだって」
それ以上は言わせないと、レグルスは口を挟む。彼には償いきれない恩があるから、オリバーはただ沙汰を待つ。
自分が先に目覚めて、隣でまだ大量のチューブに繋がれたレグルスを見て、オリバーは事の顛末を聞いている。
彼が『魔狼』の能力を使って、自分の運命を変えてくれたのだと。
その、命を差し出して。
事実自分の中にはもうどこを探しても彼女の気配を感じることは出来なくて、だからこそオリバーは恐怖に凍りついた。
――また、巻き込んだ。
自分の愚かな選択のせいで、他人を巻き込んでしまった。死ななくていい人間の屍が、またひとつ積み重なってしまう。
それが嫌だったから、遠ざけていたのに。
しかしレグルスは生還した。それはきっとハヤトが言った通りの因果だろうか。
それでも、彼には返しきれない恩があって、オリバーは口をとざす。
そんな気を知ってか知らずか、レグルスは鼻を鳴らすと。
「巻き込んだんじゃなくて、オレたちが勝手に巻き込まれに行ったの、何も言わないあんたのために。だから、欲しいのはごめんなさいじゃない」
その言葉に、オリバーはようやく気づいてあ、と呆けた声を出してしまう。
――それはきっと今まで自分に関わってきた、全ての人が思って、欲しかったセリフかもしれなくて。
自惚れかもしれない。正直今でのその言葉が正しいのか分からない。
それでも、レグルスが欲しいと思っている言葉はきっと。
オリバーは言いづらそうにしり込みして、それでも気力を振り絞って面をあげる。
――自分は今、上手く笑えているだろうか。
「ありがとう。私を助けてくれて――」
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あまり長居するのも疲れるだろうから、と。ハヤト達は早々に退室して、今は2人きりの病室で。
「見送りに行かないのか。君のことだからてっきりクサナギにベッタリかと思ったが」
「一応オレも重症患者なんだけど。半月寝たきりだったんですけど」
「そのあたりあまり関係なさそうだと思ったが……」
「オレをなんだと思ってんの?」
ただのクサナギ信者だと思うが。
というつぶやきは心の中だけに留めて、その沈黙をどう受け取ったのか、レグルスはジト目で睨みながら。
「だってちゃんと見てないと、あんたまたどっか消えちゃうでしょ」
予想外の言葉に紫の瞳を瞬いて、オリバーは苦笑する。確かに自分は兄姉の中では一番下でレグルスは双子の兄だと言うが、年下にこうも気にかけられるとは何ともむず痒い気持ちになる。
気づかれないように隣を伺えば、そう言いながらも眠気の限界なのか、レグルスはふらふらと船を漕いでいる。目覚めたばかりでまだ体力などが戻ってきていないのに、随分と空元気を振りまいていたものだ。
「あと呼び方。どさくさに紛れて名前で呼んだでしょ。今更戻さないでよ」
「あれは文字数の問題だ」
「一文字しか違わないじゃん……」
見てるこっちが眠くなるほどに、落ちそうになる瞼をどうにかこじ開けてレグルスは絞り出す。
彼の言った通り、お互いにきっと似た者同士なのだろう、と見ながらオリバーは暇だから、今は本家に帰って居ないリュカオンに持ってきてもらった文庫本を手に取って。
「もう勝手に消えたりしないから。だから安心して寝ろ、レグルス」
そう言って最後にレグルスはこっちを向いて、倒れ込むようにして眠りについた。
その表情は今まで見た事がないほどに、穏やかなものだった。
*****
放課後。学院に戻ったハヤトは通い慣れた近接歩兵科の教室からでてきた1人の生徒に声をかける。
あまり聞かれたくない話だと。でも男に呼び出されて何かあっては問題だとハヤトの方から相手の友人の同行を提案したが、相手は首を振って辞退した。
「――わたくしの装飾品を、ですか?」
空色の癖のない長髪を晩秋の風に靡かせながら、女生徒はこてん、と首を傾げる。確か名前はユーナと言ったか。
ヴァイスはそのさまをハヤトの背後に控えながら伺って、ハヤトはあぁ、と短く肯定する。
「ウィンスレットの実家は、装飾品に魔法印を刻んで魔導具を作ることが出来るって聞いた。それにあんたの得意魔法は、」
「いいんですよクサナギさま。別段と隠している訳ではありません」
五大元素に当てはまらない系統外魔法。それを独占し後世に遺し現在も未だ権力を誇るのが今の貴族という身分だ。ユーナの言う通り隠すことではないが、しかし見せびらかすものでもない。見せびらかせば見せびらかすだけ、その神秘性は失われるからだ。
そんなハヤトの気遣いを、ユーナは淡く笑って。
「クサナギさまのご存知の通り、わたくしの実家は魔導具の鋳造を主な生業としています。貴族と言われてはいますが、元はただの売れない鍛冶屋です」
「そんなこと言ったら他の貴族が泣くぞ?あんたの実家はその鍛冶屋と、そして系統外魔法である『肉体強化』の魔法を保持しているからだ」
ここに来る道中でハヤトから聞いた。
名前の通らなかった鍛冶屋は、埋もれてしまったその神の御業とも取れる腕を見込まれ、貴族に婿に迎え入れられた。
それが『魔法貸与』と呼ばれる系統外魔法である事が判明したのは、その後のことだった。
ユーナ・デュ・ウィンスレット。
彼女はふたつの系統外魔法の正統な継承者であり、あのアンダーソン家と同等、それ以上の大貴族の令嬢だったのだ。
と言っても、ウィンスレット家は権力や名声と言ったものには全く興味がなく、今もせっせと鍛冶屋の名残で鋳造業を営んでいるらしい。
しかしウィンスレット家の魔導具はその特殊性と性能性から、一度競りにかけられれば億単位の金が動くと言われている。
魔法は基本的に自身でのみ使用可能。――それを誰かに貸し与えることが出来る、この世で唯一の芸術品だからだ。
もう一方の血統である『肉体強化』のみの貸与だが、それだって驚愕ものだ。どれだけひ弱な人間だろうと、それさえれば常人以上の肉体を手に入れることが出来るのだから。
ちなみに近接歩兵科から出てきたことと彼女が今身にまとっている裏地の赤い制服で分かるが、彼女はその『肉体強化』の魔法を駆使したばりばりの近接戦闘を得意としている。人は見かけによらないな、とヴァイスは自分のことを思い切り棚に上げて一人思う。
着いた通り名が。――金剛姫。
ユーナはシクラメンの瞳をぱちぱちと瞬いて。
「……クサナギさまが使用されるのですか?それならもう少しお身体を鍛えた方がより魔法の効果が見込めるかと」
「それは自覚あるし惨めになるからやめてくれ」
「はっ失礼いたしましたっ!」
「いや、謝られても虚しくなるから」
「ご、ごめんなさいっわたくしったらもう……っ」
恐らく天然で言っているのであろうから、だからこそハヤトはそれ以上責める気にもなれなくて、話を元に戻す。
「違うよ。俺の義弟のやつがさ、泣くんだよ。もう充分傷ついて救われてもいいはずなのに、あいつはそれでも力が欲しいって」
段々と小さくなっていく声を、ユーナは真剣な眼差しで先を促す。それに応えるように、ハヤトは深紅の双眸で真っ直ぐにシクラメンのそれを見返して。
「だから義兄として、助けてやりたいんだ」
言い切って、シクラメンの瞳が僅かに見開く。そして聖母のような淡い笑みを浮かべて居住まいを質す。
「……かしこまりました、クサナギさま。よろしければ義弟の方の魔導具を、わたくしが製作してもよろしいでしょうか」
「ウィンスレットが?」
「クサナギさまの懐では、本家の作品は最低額でも難しいと思いますよ」
「サラッとえぐいこと言ってくれるな」
ふふふ、とユーナはどこか楽しげに笑って、繊手の指を立てて。
「わたくしはまだ未熟者ですので、お安く致しますよ。まだ本家に認められるような作品は作れませんが、それでも効力は保証致しますし、定期のメンテナンス等も行わせていただきます」
お安く、というフレーズを聞いて、ハヤトの表情がわかりやすく曇る。最初からこれは『お願い』ではなく『商売』として取引をもちかけたのだから、そこには対価が発生するのは必定だ。
出方を伺うように、恐る恐るハヤトは口を開く。
「……ろ、ローンってありか?」
「お代は結構です。本家の承認なくして金銭のやり取りは禁止されていますから。なのでわたくしのお願いをひとつ聞いては頂けませんか?」
「お願い?」
一体どんな厄介事を頼まれるのだろうか。先程とは違った緊張から顔を強ばらせるハヤトに、ユーナは朗らかに笑って。
「今後はわたくしのことを、名前で呼んで頂けませんか?」
西洋人よりも身長が低いと言われる東洋人のハヤトだが、大概の女性よりかは幾分か高い。その高低差を埋めるように、ユーナは上目遣いのシクラメンで見下ろす深紅を見上げる。
どこか必死そうで、それでも譲れないような。そんな瞳。
ここまで来れば流石に感情どうこうに興味の欠けらも無いヴァイスも、女性には興味が無いと言うハヤトだってわかる。
ハヤトのことを、想っているんだろうな、と。
でなければそもそも2ヶ月前に行われた夜会のパートナーにも選ばない。彼女もきっとハヤトはそういう青臭いものとは無縁だと知って、断られることを承知で誘ったのだ。
それほどこの少女は、ハヤトのことを想ってくれているのだな、と。ヴァイスはどこか他人事のように思って気づいてしまう。
――そうか、自分は彼らとは本当に違うのだなと。
そんな心象は口に出していないからハヤトには届かなくて、ハヤトはユーナからの提案をどうしようかとしばし悩んで。
「……分かった。それじゃあひとつ頼むよ、ユーナ」
名前を呼ばれて、シクラメンの花弁が開くようにぱっと色づく。そこまでわかりやすいと、気付かないふりをするこちらの方が大変だ。
しかしそれも一瞬で、ユーナは自分のその浮かれようを恥じらうように慌てて隠して、大貴族の名に相応しく佇まいを直して。
「お任せ下さいませ。ウィンスレット家の名において、至高の一品に仕上げてみせます」
スカートの裾をつまんで、恭しく一礼。ハヤトはそんな社交辞令は不慣れだから、どう返そうかと狼狽えて。
その前に、ユーナが一歩近づいた。
「ハヤトさんだから、承諾したんですよ」
どこまでも嬉しそうに綻んで、それではまた後日レグルスと話をさせて欲しいと言い残して、軽やかに宿舎へ踵を返す。
その風に靡く空色を見送りながら。
「気があるんじゃないの、彼女」
「……見ればわかるよ」
「付き合えば?」
「まさかお前の口からそんな言葉を聞くことになろうとはな」
向けられた深紅は辟易に細められていて、ハヤトがどうしてそんな表情をしているのか分からず、ヴァイスは小首を傾げる。
そんなヴァイスの様子を見て、ハヤトは乱暴に赤銅色の髪をかき混ぜて。
「あいつは貴族で、俺は庶民。身分が釣り合わないよ」
そういうものなのかな、とヴァイスは思う。かつて『タキオン』でみた同じ赤銅色と濡れ羽色は、身分とか使命とか関係なかったように思えたから。
想い合っている。それだけが必要なのではないだろうか。
……自分には無理だ、とどこか冷めた自分が俯瞰的に世界を見る。
どこか恥ずかしそうに。居心地悪そうに視線を泳がせるハヤトを、画面の向こうの別世界のように思えてならない。
ハヤトは変わった。
それは人間として正常で、そしてこれからも変わっていくのだろう。
そこに自分は至れない。だって、僕は――。
「……ハヤト、」
と2人がそれぞれ違うことを考えて。
「あれ、ハヤトさんにヴァイスさん。どうしたんですかこんな所で」
ぴょこ、と顔を覗かせたのは、つい先程病室で見たものと同じ色彩の少年。
その声に反応して、ハヤトは背後を振り返る。
「あぁアデルか。お前もレグルスのところに行くのか?」
「さっき見に行ったら寝ていたので。オリバーさんに挨拶して帰ってきました」
アデルはそう言ってはにかむ。自分の兄が目を覚ましたとあれば、弟の彼が飛んでいかないわけが無い。
ハヤトはそうか、と相槌を打って、思い出したようにアデルに尋ねる。
「そういえば、アルベルトのやつ最近見ないけど、何かまたあったか?」
その言葉に、アデルは分かりやすく狼狽える。まだ狡猾さを知らない、純粋な反応。
それをハヤトは追求せずに、また違う問いかけをする。
「……兄貴の敵討ちとか。そんなこと、やめろよな」
「たとえハヤトさんの口からでも、お義父さまはお怒りになりますよ」
苦笑して、しかし妙な説得力をアデルの言葉に感じて、ハヤトはそれ以上は口にしない。アデルもハヤトも、どこかできっと気づいているからだ。
カズキを殺したスキールニルへの復讐だけが、アルベルトをつき動かしている唯一の動力源だから。
それが無くなった時果たして、アルベルトがどんな結末を迎えるのか。それが恐ろしくて、2人は何も言えずに沈黙する。
「今は誰も通すなと仰っています。あと数日もすれば最深部の攻略もまた開始しますから、その時には落ち着いているでしょう」
「落ち着いてなきゃ困るけどな。当たり散らされちゃ困る」
その空気を軽いものにしようと、二人は少しわざとらしく方向転換をして。
「兄の事よろしくお願いします、ハヤトさん。兄さんてば、カッコつけたがりですから」
「あぁなんかそんな感じするわ。お前もアルベルトの相手大変だろうけど」
「流石に僕のお守りが必要なほど子供じゃありませんよ」
アルベルトの屋敷と、学院生の宿舎は真逆の方向にある。だから自然とふたりはその場で別れて、それぞれの帰路を踏み出す。
「……ヴァイス?」
呼ばれてからは、と気づく。ハヤトはもう少し遠くに歩いてしまっていて、アデルの背中ももう見えない。それほどまでの時間を、ヴァイスはただその場で立ち尽くしていた。
ハヤトは不審そうに首を傾げて。
「そういえば、さっきなにか言いかけてたよな。何かあるなら聞くけど」
つぶやき程の声すらも、この主人は聞き逃さずに訪ね返してくる。それが最初は人間のように見てくれているようで嬉しくて。
――今は、辛い。
「……何も無いよ」
絞り出すように言って、ヴァイスはハヤトに追いつく。隣に並び立ったヴァイスを、やはりどこか気になるように覗き込む深紅。
その赤が、脳裏に刻みつけられたものとダブって、彼の言葉を思い出す。
『大丈夫。お前はきっと、答えに辿り着くだろう。なんたって私の。――このフレイとゲルズの子供なのだから』
ずきんと走る胸の痛みと、隣の深紅から逃げるように、ヴァイスは瑠璃を雪白に隠し込んだ。
僕は本当に、人間じゃなかったんだよ。ハヤト――。
この章で5話は終了になりますが、次(最終章)へ向けた伏線を更新するので、もう少しだけお付き合いくださいませ…!