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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.5 妖精と聖女と灰色狼
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3-5.因果改変

蒼い鮮血が空間を舞う。

その瞬間世界の時間が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうほどに、その情景はスローモーションに、そして場違いに美しく見えた。

己の胸の中心に突き出した紫黒の剣を、シエナは驚愕に彩られた灰色の双眸で見下ろす。何が起こったのか、この瞬間彼女は恐らく理解していなかっただろう。

完全に不意を突いた。オリバー自身もそう油断して、だから次の瞬間憤怒に満ちたシエナの瞳を見落とした。

シエナはオリバーの左腰に佩かれていた鞘から半分になってしまった長剣を引き抜き、胸の剣もそのままに抜剣と同時に勢いで振り上げる。

ほぼゼロ距離からの斬撃。それを避ける術はオリバーにはなく、直後左腰から右肩の裂け目から噴水のように噴出する血潮。

倒れ込むのをどうにか堪えようと引き抜いた紫黒の剣を杖代わりに踏ん張ろうとするが、直後に下腹部に鈍痛。蹴りを入れられたのだと気づいた時には、自分から流れ出た血赤に音を立てながら倒れ込む。

がらん、と音を立てて遅れて取りこぼした剣が地面を転がる。それを拾おうとして伸ばした手は、振り下ろされた薄紫の折れた剣を突き刺されて地面に縫いとめられた。

「ぐっ、ぁ――っ!」

「いきなり女の子に切りかかってくるなんて、マナーってものを知らないのかしら?」

「っ生憎と、人間を貶めて嗤ってるようなやつを、私はレディとは思わないのでね」

わざと嘲るような、見下すような声音で言って、案の定その態度が琴線に触れたように、倒れたオリバーに馬乗りに被さったシエナは怒りに血走った灰色を見開いて。

オリバーが取りこぼした剣を拾い上げ、そのまま左目目掛けて振り抜く。

「――ッ!」

「あたしがレディじゃないですって!?そんな腐った眼球は要らないわねっ!?」

ヒステリックに叫び散らかしながら、シエナは手にした剣を振るい続ける。

胸を切り裂き。

足に突き刺し。

腕を斬り付け。

「やっぱり人間はどこまで行っても劣等種族ねっ!?ろくに戦えもしないくせに数ばっかり増えて!!目障りったらありゃしないわ!!それなのに自分たちの愚かさには目をつぶって、あたし達のことを蔑んで!!あんたたちが地上であほ面してる所を見ると本当反吐が出るわ!!」

なんのことを言っているのか、その言葉の本当の意味をオリバーは理解できない。それよりも連ねられる言葉と同じに振り下ろされて裂かれた傷口からの出血が激しすぎて、もう意識も霞んでなにも見えない。

そうして決して短くない時間シエナは一心不乱に剣を振って、彼女自身も小さくない怪我を負わせられて荒々しい呼吸を一息ついて。

「あんたの境遇には同情したから、ほんの少しだけ手助けしてあげようと思ったけど。――もういいわ、ここで死んで」

掲げられた黒剣を朧気な紫で見上げる。もう霞んでしまって何も見えないが、僅かな剣の影を映しながら己の最期を悟って、薄く笑う。


どうせあと少しで消えるのだから。――今ここで死んでも変わらないか。


「――それ以上、そいつに触れるな――ッ!!」


絶叫と共に横切った影が、馬乗りにまたがったシエナ目掛けて空間を裂く。完全な不意打ちに思えたその一撃を、シエナはすんでのところで飛び退いて回避。

彼女が飛び退いたその場所に入れ替わるように、乱入者は庇うように跨ぎ立つ。

配下を守る王のような、何故かそんなイメージが脳裏に過ぎった。その背中で揺れる薄桃色に覚えがあって、無意識に口が動く。

「……れぐるす、」

か細すぎたその声が、彼に届いたのかオリバーには分からない。しかし庇いたったレグルスは一瞬だけぴくりとだけ反応して、獣のように唸る。

「殺す…っ。お前だけは、絶対に許さない…ッ!」

まるで宿敵を前にしたかのような、どす黒さを孕んだ怨嗟の声だった。その理由がオリバーには分からなくて、場違いにも霞んだ意識の端で思う。

何故、そんなに怒っているのだろうか。

彼と私の仲は最悪だと思っていた。会えばお互いに嫌味しか言わなくて、身分の差とか性格とかでことある事にぶつかって。

だからそんな。――大切な人が傷つけられたみたいに怒るなんて、どうかしてる。

「そんな目で見ないでちょうだいな。最初に手を挙げたのはそっちよ?」

「誑かしたのはあんただろうがっ」

「あ〜やだやだそうやって決めつけちゃって。……貴方混じってるわね、あたしと同類じゃない?」

一瞥してその魂に融合させられた迷宮生物の遺伝子を見抜いて、シエナはくすりと嗤う。同情するように、侮蔑するように。

その悪意を敏感に感じ取って、その小さな身体には不釣り合いなほどの殺気をレグルスは身に纏い。

「っ貴様なんかと同じにするな――!」

鎖で手繰り寄せた大鎌を持って吶喊。身に纏う激情とは裏腹に冷徹に命を刈り取るためだけに振り下ろされたその切っ先を、持っていた紫黒の剣でシエナはいなす。

「そんなにそこの死に損ないが大切なの?だったらあたしと遊んでいる暇なんかないんじゃないかしら」

「っ、」

僅かに軋んだ隙を見逃さず、シエナはくるりと踵を返して迷宮区の最深部のさらに奥を目指す。どうやら逃げを決め込むらしい。

「じゃあねかわいい混ざり物ちゃん。生きて会ったらまた遊んであげる」

「っ待て、っ!」

追いかけようとしたレグルスを、追いついた第三者が押しとどめる。肩を掴んで押し退けて、ハヤトはその隣を駆け抜ける。

「俺が行く。お前はあいつを見てろ」

「――っ、」

「戻るまで待ってろ」

その言葉に、レグルスは何故か逡巡する。普段だったら大好きな彼と一緒に行くだの駄々を捏ねたり、それこそ自分に対する嫌味の一つや二つ言うはずなのに、この時ばかりは何も言えずに、ハヤトの後ろ姿を見送ることしか出来ずに立ち尽くした。

「――っ主!!」

聞きなれた声に、オリバーは辛うじて動かせた紫の瞳を向ける。自分たちが来た道を真っ直ぐに駆け寄る、赤に近い金の髪。

「っ主、なんでこんなっ、」

「……リュカ」

正直口を開く度に激痛が走るから、喋るのも億劫で。だけど落ちこぼれを一人で行かせることだけは絶対に見過ごせなくて。

「私は良い。お前はクサナギを守れ」

オリバーの言葉に、リュカオンは常磐色の双眸を見開く。

抱き起こされて掴まれた肩を通じて、彼の身体の震えを感じる。それを感じながら、オリバーは残酷と知りながら。

「……っ行け!」

「――ッ!」

置いていけないと。置いていきたくないと、その常磐色には書いてあって。それでも自分が仰いだ主の命令に、従者であるリュカオンは逆らえない。

「……Yes,my load.」

軋む歯の間から、どうにかそれだけ絞り出す。主のこんな命令まで律儀に聞いてくれる従者に、オリバーはほ、としたように微笑んで。

「……すまないな、リュカ」

「謝るくらいなら、最初から言うなよ…っ」

吐き捨てるようそう言って、リュカオンは顔を上げて。

「応急処置用の聖石は使ってるけど、ココノエが来るまで主を頼む」

「……わかった」

道理で先程から痛みが和らいでいると思った。リュカオンの言葉通り、彼が応急処置として最低限の治癒魔法を使ってくれているのだろう。

しかしろくに使ったことの無い治癒魔法ではそれが限界で、ちゃんとした治療はレンを待つ他ないだろう。

「いいか、くれぐれも俺たちが戻るまで早まらないでくれよ」

念を押すようにそれだけ言って、リュカオンはハヤトを追って走り去る。後に残されたのは自分と、何故か場違いな犬猿の相手。

「……君も行けばいいだろう。大好きな義兄が行ってしまったぞ」

「……うるさいな」

そう言って、それでもその場を動こうとしないレグルスを不審に思ったが、それ以上は余計な嫌味を言う気力もなくて、代わりに。

「どうせ居るんだったら、右手に刺さった剣を抜いてくれないか。地面に縫い止められるのは気分が悪い」

治癒の術式の中に麻酔のような効果もあるのか、先程までの全身を襲う激痛はないものの、さすがにそこばっかりは動く度に痛みが走って敵わない。

恐らく出血を鑑みてそのままにしていたのだろうが、見ていて気分のいいものでもないし。出血したところでどうせ今更だ。

と、どうせこれも普段の彼なら無視するんだろうなと思って半ば冗談交じりに言ってみたのだが、しかしその予想に反してレグルスは素直に右手を貫いていた剣を引き抜いた。

意外すぎるレグルスの従順っぷりに、言ったオリバー自身が瞳を瞬いて。

「は、今日はやけに素直だな」

「……なんでこんなことしたの」

オリバーの質問には答えずに、レグルスはぽつりと呟く。左腕は腱が切られて動かないようだから、先程自由になった右腕で身体をどうにか近くの岩に凭れかけながらあぁ、と薄く笑う。

言わないつもりだったけど、ここまでこられたら隠すのも面倒だ、と自嘲げに鼻を鳴らして。

「妖精だと名乗る彼女は何か知っていそうだったんでね。私を利用する気満々だったようだから、色々と探らせてもらっていた。おかげでかなり重要な情報も入手できたぞ?」

「そのせいで、大勢が犠牲になったよ」

「……それは、」

レグルスの言う通りだった。シエナをここまでのさばらせたのは自分で、自分が傍観者を貫いたから、今の犠牲がある。

その事に関しては、弁明の余地はない。

だからシエナを殺して、記憶を戻そうと思った。吸収したと言っても喪失した訳ではなく、閉じ込めていた器が消えれば、記憶は元あった場所に自然ともどる。

それもシエナ自身から言われたことで、だからここまでオリバーは見て見ぬふりをした。

最後に、その大願を討つために。

「……すまないと思っている。私のせいでここまでの大事になってしまった」

「……っそうじゃない!」

え、と。自分でも驚くほど呆けた声は、掴み掛かられた勢いで消し飛んでしまう。元々そういう色だったんじゃないかと思うほどに血で真っ赤に染ったブラウスを、レグルスは震える両手でつかみあげて。

「なんであんたは一人でやろうとするんだよっ。こんなボロボロになって死にかけてさ、一言くらい言ってくれたって良かったじゃない!」

そう叫ぶ白銀の双眸は悲しみと悔しさで歪められる。レグルスのそんな表情をこんな近距離で見せられるとは思ってなくて、おもわず紫の瞳を瞬いてしまう。

死にかけも何も。

「私はどうせ消える。だったらせめてためになる情報を少しでも持ち帰った方が役に立つだろう」

死にかけの兵士に爆弾を持たせて突撃させるように。

使えなくなったもぬけの砦を囮にして、打撃を与えるように。

その方が犠牲が少なく、なおかつ画期的な方法だと思うから。

こうしている間にも、身体の感覚が徐々に遠くなっていく。失血の影響もあるだろうが、自分の身体なのにそうとは思えないほどに、繋がりが希薄になっていく。

――きっとこれが最期。

せっかくだから、言っておくことは言っておこう。

そう思って、斬られた左目を隠すように。――視線を合わせないように俯きながら。

「役に立つかは知らないが、グロークから聞いた話は部屋に置いてあるから、持って行って、」

「……どうせ消えるから?」

ブラウスを掴む手に力が篭もる。わざと逸らしていた視線が、がっと持ち上げられて無理やり引き起こされる。

合わせられた視線に。――縫いとめるように向けられた、微かに潤んだ白銀の双眸に釘付けになって。

「なんでこの期に及んで嘘までつくんだよ……っ」

「……嘘?」

「だってそうでしょ。あんたさっきからずっと『消える』って連呼してるけど。――まるで自分に言い聞かせてるみたいじゃないかっ」

レグルスの言葉には、と目を見開く。今まで見て見ぬふりをしてきたその心を、えぐり出されたような気分になる。

――やめろ。

「どうせ消えるから居なくなった方がいいように振舞って、自分から居場所なくしてさ」

――何も言うな。

「自分は消えるからって自分の感情からも目を逸らしてさ。それであんたの感情が変わる訳でもないって知ってるくせに…!」

せっかく押さえ込んできたのに――!


「ここまで来てもまだ隠してさ!言えよあんたの本心を!!本当に消えたいのかよ!?」


その台詞がきっかけ。その言葉を聞いた瞬間、オリバーはもう感覚も薄れた右手をはね上げて、レグルスの胸ぐらを引っつかむ。

自分の赤で、彼の制服が汚れる。それでももうその手を離す気にはなれなくて、押さえ込んでいた感情が濁流のように流れ出す。


「――消えたいわけないだろうが!!」


言ってしまった、と。頭の隅の冷静な自分が冷徹に吐き捨てる。

やめておけと。

言ってどうなると。

もう諦めた方が賢明だと。

頭ではそう理解していても、言ってしまった感情は抑えられない。こんな嫌われていたと思っていた相手に見抜かれてしまったことへの腹立たしさも相まって、口からこぼれるとめどない感情。

「幼少期から成人は出来ないと言われた!家族からもずっと憐憫の目で見られて腫れ物のように扱われて、惨めに思わないわけないだろ!家にある書物や伝承や学院の図書館で、どうにか掴めそうな手がかりもかき集めた!それでも何もかも全部何の成果も出なかったんだ!」

呼吸が上手く出来なくて、心臓の音がうるさい。治癒魔法を施してもらっているが、ついさっきまであれだけ出血して、ろくな治療も受けられてないのだから酸欠になるのは当然だ。

頭がふらつく。

視界にぱちぱちと火花が散る。

それでも言葉は口から溢れ出て、掴む手だけは離せなかった。

「俺を救ってくれると手を掴んでくれたルイズ姉上も、最後には無理やり器になろうとして狂って死んだ!もう足掻いてもどうしようもないのなら、何もかも諦めて大人しく消えた方がよっぽどマシだっ!」

あがけばあがくほどはまりこんでしまった沼は深みへ落としていく。それに巻き込まれた近しい人も、巻き添えを食らうようにして不幸になる。

そんな害しか撒き散らさないのなら。――大人しく死ねと言ってくれて方がマシだ。

それなのに、どうしてどいつもこいつも俺を放って置いてくれない。

「もう、放っておいてくれ……」

「……でも、」

オリバーの温度の高い声音とは真逆に、凪のように静かな声で、レグルスは手を伸ばす。

言葉とは裏腹に、ずっと離せないでいない右手を包むように掴んで。


「――本当は、助けて欲しかったんでしょ」


反射的に引こうとしたその右手を、レグルスは今度は力強く掴んで離さない。

「オレがなんであんたのこと好きになれないのかようやくわかった。オレとあんたは似てるんだ。本当は弱いくせにそう見られたくないから強がって、かっこつけて1人でなんでもやろうとして、かっこ悪いから誰にも頼れない」

一緒なわけが無い、と思う。彼はどこまでも強くてみんなから頼られて。その強さが自分にもあったらとひと月前にもこぼしてしまった。

こんな弱い自分と一緒のはずがない。

オリバーの葛藤を知ってか知らずか、レグルスはでも、と続けて。

「ここに来て、ハヤト先輩とヴァイスとレンと、もちろんあんたとも出会って気づいたんだ。誰かに助けを求めることって、カッコ悪くもいけないことでもないんだなって。問題が解決できても出来なくても、とりあえず話してみないことには分からないじゃんって」

助けを求めたから、半年前死ななかった。

会いたいと思って一心不乱に走ったから、みんなの協力のおかげで弟に会えた。

そして、今回も。

レグルスのその言葉は、口にしていないからオリバーには届かない。それでも何かを考えているのだろうと思って、無意識に口を開く。

「……君は私のことを嫌っているだろう。どうしてそうまでしてつっかかる」

「あんたのことなんて大嫌いさ。態度もいちいち癪に障るし、貴族だし。ハヤト先輩の方がかっこいいし」

は、と鼻で笑ってレグルスは言い放つ。しかしその言葉と今の行動の一貫性が無さすぎて、オリバーは顔をしかめる。

その疑問もレグルスは気づいていてでも、と。続くその言葉に、オリバーは息を詰まらせた。


「ハヤト先輩は憧れで、目標にしたい人で。――隣で支えたいと思ったのは、何故かあんただったんだよ」


「なん、」

「だってあんた、見てないと消えそうだって思ったから。事実消えるとか言うし。リュカ先輩の苦労も少しは見てあげなよ」

「っリュカは今関係ないだろ」

突っ込みにもレグルスはからからと楽しげに笑うだけでどうして、という疑問には応えてくれなかった。

代わりに。――どこまでも静謐に沈んだ白銀の双眸だけが、真っ直ぐに向けられる。

その瞳に、見覚えがある。かつて自分を救うと決意して一人で迷宮区へ旅立ってしまった、長姉のそれと同じ。

――瞬間嫌な予感が脳裏をひらめく。

「ようやくあんたの本心が聞けて、オレも決めたよ。あんたがここまで繋いでくれた命、あんたにあげる」

「っやめろ、何をする気だ!」

「あんたの言うことなんか聞くもんか」

ただでさえ近かった距離が、さらに縮まる。その距離をどうにか離そうと痛みも無視して藻掻くが、レグルスは小さな身体に見合わない力でねじ伏せて。


「オレはあんたの従者じゃないんでね。――好きにやらせてもらうよ」


そう言って吸血鬼のように、首筋に犬歯を突き立てた。


*****


「『魔狼フェンリル』の力があれば、世界の理を一つ変えることが出来ます」

そう言われても、そんな数週間に言われた力の使い方なんか知らないし、どうしたらいいのか分からない。

ハヤトもリュカオンも、レグルスからその話を聞いた上でその場を後にして、そして言い残した。

――早まるな。

――待ってろ。

だけどもう、目の前の彼の姿が痛まし過ぎて。そんな彼を見ていたくなくて、言いつけを破った。

北欧神話にあるように、フェンリルはその顎で主神を食らった獣だ。だからまぁ、とりあえず一心不乱に噛み付いてみたが、なんとか上手くいったらしい。

現実世界ではない。自分という概念の境界があやふやな世界で、レグルスは正面の少女に相対する。


――抜けるような碧い髪に、紫の双眸。


生前の彼女を見たことなんて無いはずなのに、その少女をレグルスは知っている。

ジャンヌ・ダルク。

フランスの救国の聖女。

僅か19歳で生を終えた彼女は、魂の成長もそこで止まっていて。その年齢にふさわしい肢体で、ジャンヌは上も下も分からない空間に佇んでいる。

どこまでも悲しげな。悲痛と自責に染った双眸で。

「レグルスさん、」

「これで力の使い方って合ってるかな?使い方聞いてたかったから、適当にやったんだけど」

その表情をどうにかして変えてあげようと、冗談交じりに口にするが、ジャンヌはさらに表情を歪めてしまうばかり。

「……ごめんなさい。やはり話すべきではありませんでした。私のエゴに、罪に。貴方を巻き込んでしまった」

私のせいで。

私がいたから。

その彼女視点で自分をそう評価されるのがものすごく苛立って。

「そんなこと二度と言わないで」

つい語気を強めに言い放つ。ジャンヌは一度肩を震わせて、恐る恐るといったように向けられる紫。

それだけ見ればどこにでもいる、普通の女の子なのにな。

「あんたが言ったからじゃない。これはオレが選んだことだ」

だから、あんたに背負わせてなんかやらない。

それ以上は許さない、と言っているのに気づいてジャンヌ、言葉を詰まらせる。それでもと己を奮い立たせて、覚悟を決めたように口を開く。

「……後悔はないのですか。貴方は半年前に死ぬはずでした。しかし貴方は多くの人の助けがあってここまで生きてこれた。そしてきっとこれからも」

「後悔、か。それは分からないな」

「っでしたら、」

「だけど、」

ジャンヌの言葉をさえぎって、レグルスは続ける。

「半年前に死ぬはずだったオレが、半年も生きてこれたのは、みんなのおかげだ。だからオレは、その恩を返したい。――返さなきゃいけない」

正直後悔しないかなんて、今は分からない。

この選択で自分が後悔するのか。

この選択をしないことで自分が後悔するのか。

ジャンヌに『魔狼フェンリル』の話をされた時からずっと悩んでいた。考えない瞬間なんてなかったほどだ。

それでも答えは出なくて、そしてある時気づいた。


「どうせ後悔するのなら。――オレにできることをやって、後悔することにするよ」


そう言った瞬間に、ジャンヌは双眸を見開いて固まる。そして神に希うように、両の手を組み合わせて掲げて。

「――ありがとうございます。貴方のご厚意に、深く感謝を」

「やめてよ。あんたがエゴだって言うなら、オレもただのエゴなんだから」

気持ちを切り替えるように、意識して深呼吸をする。その気配を感じてか、ジャンヌも佇まいを正して、2人はお互いに向き合って。

「オレはオリバーを生かしたい。あいつがどんな偉業を成すだとか、立派な人間だとか、そういう大層な理由はない。ただこれからも生きていて欲しい」

「はい」

「そのためにジャンヌ。――貴女を殺すよ」

その一言を、口にするのが怖かった。

冗談では何度も口にして、なんの感慨もなく言えるその言葉が、今はとても重い。

自らの手で、人を殺める。

自分のエゴのために、他人を蹴落とす。

それがどういう事なのか、理解した上でレグルスは言い切って、ジャンヌはそれを噛み砕くように小さく頷いて。

「――どうか私を、殺してください」

幼子を迎え入れるように、両手を広げる。

レグルスはそこに、どこからともなく現れた鎌を持って、吸い込まれるように倒れ込む。

長い間ずっと使っていた、自分の背丈よりも大きな鎌。振るう必要は無い。ただ持っているだけでいい。

身体の前に構えた鎌の切っ先は、過たずジャンヌの中心を突き、貫通する。


どうか運命よ。この命と引き換えに、この運命の改変を――。


重なった少年と少女の身体はその瞬間ひとつに融合して、ひとつの星の誕生のようなささやかな爆発と共に世界から弾け飛んだ。

ようやくここまで来ました…!一話からの伏線をようやく…!

隼人・ヴァイスペアもいいですが、この二人の今後もどうぞ宜しくお願い致します!

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