3-2.魂魄回帰
「――お義父様」
義理の息子の声に、アルベルトは伏せていた顔を上げる。白に近いオフゴールドの下の翡翠色は、既に理事長の顔ではなく、獲物を狩る『執行人』のそれ。
アルベルトの殺気に呼応するかのように底冷えた理事長室に、普段の気弱な様子からは想像もつかないような堂々とした歩調でアデルは入室しながら。
「時間です」
「ようやくか。待ちくたびれたぞ」
「一応、ハヤトさんの予測日よりかは速いですよ」
兄といい、どうして自分の周りにはこう堪え性のない人間が揃っているのか、とアデルは思う。調査員になる人はみんなそうなのかな、と思わずにはいられないほどに結構みんな喧嘩っ早い。
アデルの苦笑に、アルベルトは軽く肩を竦めて答えて、腰掛けていた豪奢な椅子から立ち上がる。
「理事長および総団長の権限を、本日のみ移譲する。何かあれば頼むぞアーサー」
「承知したよ」
止めても無駄、と思っているのか。アーサーは特に反論することも無く横切るアルベルトを見送る。その先にはアデルと、唯一無二の魔法の使い手であるルークが立つ。
「……一応聞いておきますが、これほどの事態であれば『タキオン』の対処範囲なのではありませんか?」
辟易と、そして呆れと。これまたアルベルトの素を知っている数少ない古参のルークは言葉通りに一応と尋ねる。しかしその問いに果たして意味はあるのか、とその場の全員は同じことを思う。
横切るアルベルトの相貌に浮かぶのは、獰猛な笑み。愚問だと切り捨てるかのように鼻で笑って、その後ろを二人は付く。
「私の庭で好き勝手してくれたんだ。――自らの手で落とし前をつけないと、眠れないのでね」
*****
「――正直に言って、主はやばい」
全てを打ち明けられたあの日の庭園の決起の後。リュカオンは開口一番に切り出した。
「お前、それが仮にも従者の言うことかよ」
「従者だからだよ。ヴァイスやそこのお子様が天才なら、あいつは秀才だよ」
誰がお子様だ!と言葉のさ中横やりが入ったがスルー。オリバーに一番近い従者は今はいない主の背中を夢想するように。
「あいつは誰よりも生真面目で完璧主義者だった。いつか自分がジャンヌになるんだとしたら、完璧な状態で渡せるようにって幼少期から遊ぶ時間も削って剣術と魔法の研鑽に打ち込んでいた」
見てるこっちが、痛ましいまでに。
その悲惨さを隼人は知らない。軽々しくわかるなんて言えるほど軽いことではないことは聞いている隼人にだってわかる。
「剣術はご当主様と歴代最強と言われる長兄のルイ様には勝ててないけど、今のロングヴィルでは三番手だ」
「……前に姉兄にフルボッコにされてたけど」
「あれは別枠だろ」
ということは、やっぱり手の内を隠していたということになる。どこまで本性を隠しやがるんだあいつは。
「それに魔法もありか~」
珍しく渋い顔をしながら蓮も会話に参加する。今いるメンツの中で魔法を使うことの出来る蓮とリュカオンと ジャネットは、言って頭を抱えている。
しかし隼人としては、見てはいるものの実体験がないのでイマイチピンと来なくて。
「……そんなにやばいの?」
「やばいなんてもんじゃない」
「隼人、君剣振りながら銃撃てる?」
「しかも義兄さまは魔力の貯蔵量によるリミットがありませんから」
通常魔法を使う相手と相対する際には、ジャネットの言う通りガス欠を待つことが多い。それは対迷宮生物でも対人でも同じで、だいたい無駄打ちや防御に使わせて魔法を使えなくなった状態にしてから、一斉に仕掛けるのだ。
しかし、歴代の30人分の魔力量を持つオリバーに対しては有効ではない、ということだろう。30人分の魔力を消費させるには、それこそこちらも30人増やして対処する程の手数が必要になる。生憎とこちらにそんなに人数的余裕はない。
しかも。
「オリバーの魔法範囲って結構広いよね。『聖戦』の時くらいにしか見てないけど、縦にも横にも」
「使う魔法の威力にもよるけど、遠距離系の魔法ならざっと100mくらいだったと思うぜ?あと『氷』魔法って結構汎用性あるから、直接攻撃だけじゃなくて肉体の内側とか神経系とか、あとは防御もできるんだよ」
「それなんてチート?」
『聖戦』の時、ヴァイスの真の能力である『魔眼』の話をアルベルトから聞いた時、オリバーと揃って言った言葉だが、結局それ自分に返ってきてるじゃねーか、と隼人は白目になる。
剣による近接戦はもちろん、魔法による遠距離攻撃と防御も同時にこなす、まるで人間要塞だ。
でも。
「どんな魔法や人間にも、必ず弱点はある」
質問には応えず、リュカオンは辟易と肩を落とす隼人を真っ直ぐに見据える。しんと交わる常磐色と深紅。
「あいつを負かせられるのはきっと、クサナギだけだ。いや、正直言うと、お前さんに負かしてほしい」
真っ直ぐな言葉に隼人は面食らう。本来は主を肯定するべき従者であるはずなのに、リュカオンはそれを理解した上で言い切った。
それはきっとオリバーの従者としてではなく、リュカオン・ルーという彼に1番寄り添った個人としての願い。
従者として自分が止めるべきだと。
親友として自分がとめたいと。
そういう感情を全部殺して押し込めて、それでも彼は恥を忍んでこういうのだ。
――救って欲しいと。
隼人の考えを肯定するかのように、リュカオンは佇まいを正して改めて向き直り。
「――あいつを頼む」
一切の乱れなく、深く頭を下げた。
正直、隼人としては困る。彼にというか誰かに頭を下げられるのに慣れている訳でも、お願いされることにも責任は持てないし持ちたくない。自分がそれに応えられるほどの力量も人望も何もかも、自分にはないのだから。
それでも。――応える努力はしないと。
「……分かった」
言い訳は言わなかった。余分な言葉はこの流れでは助長にしかならない。隼人は端的に簡潔に、リュカオンの言葉を受け取った。
まぁ。
「と言っても、俺あいつに勝ったことないんだけどさ〜」
「まぁ真正面からは無理だよな〜。そこはほら、いつもの狡賢い手を使って」
「狡賢いってなんだよおい」
からからと据わった目で笑う。まぁ向こうは『氷』でこっちは紛いなりにも『火』属性だ。魔法の相性的には有利だし、その辺に目をつけて戦略を立てる他はない。
それに、懸案事項はそれだけじゃない。
「オリバー対策もそうだけど、目下の問題はヴァイスだよなぁ……」
『死神』。
『タキオン』が誇る人類サイド最強の切り札。その強さはこの半年隣で見続けた隼人は知っている。
オリバーを主人と仰ぐ今の彼なら、必ず向こうに付くだろう。
「1番手っ取り早い方法は、動けなくなるまで痛めつけるか失神させるかじゃない?」
「超物理」
「治療する時にざっと見て見たけど体組織とか構造は人間だし、頭蓋骨揺らせば簡単に脳震盪起こせるよ」
「ハイパー物理」
さらさらと告げる蓮を恐ろしいものを見るかのように、リュカオンはドン引きした表情で合いの手を入れる。にこやかに言っているところが尚のこと恐怖。
しかし蓮の言い分は最もで、それが一番手っ取り早い最善手。
だけど。
「……」
「……隼人」
内心を察してか、名前を呼んだ蓮の声はついさっき発したものよりも低い。視線を向けると、いつもよりも鋭さのました黄金の散った琥珀色が待ち構えるように射抜く。
「言いたいことは分かる。でも何もかも無傷で終わらせることは出来ないんだ」
米国の訓練所で。
戦場で。
かつての自分が、そう選択したように。
自分でも分かっている。そう、無傷で全てを終わらせることは出来ない。向こうがそれを厭わないのならば尚更。
手心を加えれば。――こっちが殺されかねない。
ふと、脳裏を雪白の頭髪がよぎる。最近は少しだが感情が華やかになった瑠璃色を思い出す。
分かってる。殺すわけじゃない。彼を取り戻すためにやらなきゃ行けないことなんだから。
「――わ、」
「あいつはオレの獲物だ」
被せられて、声がした方を振り向く。レグルスはふん、と鼻を鳴らしながら腕を組んで。
「あいつはオレに任せてください。――ま、抑え込む中でやりすぎちゃったらごめんなさい」
*****
「よぉ。お礼参りに来てやったぜ、貴族様」
眼前の氷の花の向こう側に投げかけた声に。
「君ごときに果たしてそれが出来るかな、落ちこぼれ」
同じように皮肉で返されて、ハヤトははん、と鼻を鳴らす。レンの狙撃によってガラスのように欠片が舞う中、その向こうでは見慣れたマリンブルーとそれを庇うように立つ雪白の色彩。
「いい加減来ると思っていた。しかし君にしては些か行動が遅いんじゃないか?」
「なんだよ、じゃあもっと早くこうして欲しかったのか?」
「そうであれば無意味な犠牲は増えなかったんじゃないか?」
「だったら今止めても変わらないだろ」
皮肉合戦に、オリバーは下ろしたままの髪を靡かせながら肩を竦めて。
「やめておけ。君が1度だって私に勝ったことがあったか?」
主の機微を感じ取ったのか、ヴァイスは右腿の拳銃嚢から得物を引き抜く。白銀の自動拳銃。
――ムカつく。
「あんたはそっちにつくんだ。記憶をいじられたくらいで本当情けないよね」
「……なに」
つっけんどんに言い放ち、レグルスは一歩ハヤトの前に出る。発言が癇に障ったのか、ヴァイスは瑠璃の双眸を鋭く眇める。
「主人を守るのが僕の最優先事項だ」
「はっ、守る?誰を?その隣のムカつく貴族様のこと?」
「それ以外の誰が、」
「となりの貴族様にあんたの助けなんか必要?守られるほど弱いとは思えないけど」
「……」
正直要らない、と考えたのだろう。ヴァイスの無表情が僅かに軋む。その隙を見逃さず、レグルスはさらに言葉を叩き込む。
「あんたが守りたいって思った理由って何?主人が弱いからじゃないの?守ってあげなきゃすぐ死んじゃいそうな程に危なかっかしい人だからじゃないの?」
言い募りながら目の前のヴァイスだけではなく、となりの義兄までも「ヴっ!?」と呻いているがとりあえずスルー。
「あんたが守りたいのは誰?」
「オリバーだ」
「あんたにその制御装置をくれたのは誰?」
「……オリバーだ」
「あんたのこと、初めて人間扱いしてくれたのは誰なの?」
「…………」
突き刺すような質問に、ヴァイスは答えられずに視線を逸らす。自分の認識している記憶とレグルスの質問の意味の摩擦に、信じられなくなって揺れる瑠璃の双眸。
あぁ。――本当にムカつく。
ずっと隣にいて。
ハヤト先輩に頼られて頼って。
本当は。――自分がその位置にいたいと思っているのに。
でもそれは叶わないとも知っている。彼にとって自分はその位置にはないのだと、もう思い知ってしまった。
それでもいい、と思った。自分の英雄が、英雄らしくあれるのなら、そのために隣に必要な人物なら、それならそれで構わない。
潔く、その場を譲ろう。
――そう思っていたのに、なんて呆気ない。
「あぁ。本当にムカつくなあんた。最初からあんたの事はいけ好かないけど」
怒りを表すかのように、忽然と現れた大鎌を大理石の床に叩き付ける。たったそれだけで走る亀裂に、レグルスはなんて脆いと嘲笑する。
今はもう何もかもが腹立たしい。
「――あんたの居るべき場所は、そんなところじゃないだろっ!!」
だんっ、と思い切り床を蹴りあげる。転瞬、眼前にあるのは驚愕に見開かれた瑠璃の瞳。
およそ50mはあった距離を刹那のうちに駆け抜け、レグルスはその間隙を嘲るように手にした大鎌を振り下ろす。
*****
ガンッ!!とおよそ人間が生み出したものとは思えない重低音が空気を震わせる。
振り下ろされた大鎌はヴァイスの脳天を確実に捉えて振り抜かれたが、しかしそれを避けるヴァイスの速度の方が早かった。ヴァイスがオリバーとは真逆に飛んだ直後、大鎌は大理石の床に直撃し、衝撃によって巻き上げられた煙と破片が周囲を埋め尽くす。
隣で繰り広げられる神速の攻防戦から僅かに距離を置きながら、オリバーは視線を正面に向ける。
「助けなくていいのかよ」
「あんな戦闘にどう介入しろと」
助太刀すれば、それこそヴァイスの邪魔になる。人外の戦闘はそれほどまでに常軌を逸していた。
それよりも。
「君は私と話がしたいのかと思ってね」
「ふーん。今すぐ斬られるか撃たれるかとは思わねぇのか」
「だったらもう既にしているだろう」
目の前のハヤトと隣に立つリュカオン、それに先程ヴァイスに噛み付いたレグルス以外に、今オリバーの前に人はいない。
――最初に放たれた弾丸。その射手の姿はどこにもない。
ということは今もどこかに潜んでいるのは必定。だからあえて隙を晒してみたが、撃ってくる気配はない。
だから、彼にはまだ確認したいことがあるのだろう。この自分に。
「本当に腹立つな、その態度」
「これが私なんだが」
「あっそぉ。俺お前のそういう所まじで嫌いだわ」
「それはどうも」
元々好かれようと思ってやっていることではないのだから、彼の態度は当然だ。今更どうにも思わないから、ただ肩をすくめるだけ。
それ以上は時間の無駄だと判断したのか、ハヤトはしん、と冷えた深紅でこちらの紫を見据えて。
「生徒達から記憶を奪って、何をするつもりだ」
「君ならとっくに思い至っていると思うが」
「そこの後ろの女がやったことなのは分かってる」
顎でしゃくった先、シエナは背後のいざこざなど眼中に無いように、最深部へ続く門の解除の術式を組み上げ続けている。
そうか、彼はまだ彼女らのルーツは知らないのか。
「――妖精は、どうやって生まれると思う」
的はずれな質問に、ハヤトは深紅の瞳を眇める。その裏を真意を探るように、しかしやはり答えは出ないのか、図りかねて口を閉ざす。
オリバーは右腰に佩いた長剣の柄を軽く鳴らして、独り言のように訥々とこぼす。
「君はこの地下世界である迷宮区がアルフヘイムだということにたどり着いた。国があるということは、当然そこに住まう存在もいて、そして彼女は妖精と自分を定義した。しかしその前は?彼女は一体どういう存在だった?」
術式解体に集中しているシエナに、オリバーの言葉は届かない。彼女の魔力の高まりに呼応して舞い上がる風が、彼女の背中に翅を紡ぐ。
「――彼女はまだ産まれていない」
「――まさか、」
目の前の深紅が驚愕に見開かれる。かの『軍神』と称えられた彼にとっても、それは予想だにしなかった結論だったから。
しかし目の前の事実はどうしようもなく現実で、覆らない。
迷宮区は現実の下に存在する。
古来より、現実世界の遥か地下には、ある世界が広がっていると定義される。それは『アルフヘイム』があると説いた北欧神話世界においても例外ではない。
ロキの娘であるヘルが治め、世界樹『ユグドラシル』の地下にあるとされる地底世界。
そうここは。――死者の国。
「そう。彼女は人間の記憶、魂の欠片を集めてひとつにして、現実世界に産まれる事を悲願としている」
死者の国に住まうものは、例外なく死者であり、死霊。であれば、そこに住まう妖精もまた死霊。
彼女は現実世界に焦がれ、憧れ、肉体を持つことを何よりの悲願として。――人々の魂を形成する『記憶』をかき集めた。
そうすることで、自分が人間として世界に産まれ落ちるために。
「……そんなこと、」
「可能かどうかは知らん。そもそも私としてはどっちでもいい」
「どっちでもいいだと……?」
「あぁ」
聞き捨てならないと、ハヤトの表情が僅かに強ばる。それはヴァイスの記憶を奪ったことすらも些事だと吐き捨てられたと感じた嫌悪感。
――君はそれでいい。私と君はもとよりそういう仲だったはずだ。
柄に乗せていた手のひらを翻し、ゆっくりと鞘から引き抜く。顕になった薄紫の刀身が、仄かに光るランプの焔に照らされて揺れる。
「彼女は私の願いを聞くと言った。私が彼女に肩入れする理由はそれで十分だ」
抜ききって、切っ先をびたりとハヤトの鼻っ柱目掛けて向ける。それが合図だと、ハヤトも察したように腰に佩いた鞘から得物を引き抜く。
どこまでも静謐に塗りつぶされた、漆黒の刀身。全ての邪悪を祓うとされる『聖火』を宿す神の刀。
それならば。――この身に宿った怨霊くらい、祓ってくれればいいのに、と場違いに思って頭を軽く振って無理やりに追いやる。
「私は願いが叶うのなら、修羅にだって堕ちよう。しかしこの先にだけはこの身に変えても行かせられない」
シエナが最深部へ、迷宮区であり『アルフヘイム』の奥深くに逃げることが出来れば、自分の大願は叶う。それが契約で、それが今の自分の背負うべき責務。
愚か者だと蔑まれてもいい。
裏切り者だと恨んでもいい。
だけど、これだけは譲れないから。
「他人の願いを踏みにじる覚悟があるのなら、かかってこい」
何者にも譲れないという信念の焔は、その紫眼に静かに燃え上がる。
 




