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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.5 妖精と聖女と灰色狼
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間章.強がりな兄

夜。部屋に押し入ってきた兄は先ほどからずっと思い詰めているようだった。

聖グリエルモ学院は寄宿制の学校だ。したがって通う生徒たちには専用の部屋が与えられ、その宿舎は学院に併設されているので、そこに帰るのが基本だ。

だから寄宿舎とは真逆に位置した『タキオン』総本部、そこに設けられた居住区に帰る生徒は、自分以外にはいない。

その『タキオン』の一画に設けられたサリヴァン家別宅(といえば聞こえはいいがただの寝食を過ごすだけの部屋)で、アデルは突然の訪問者にベッドを勧めて自分は学習机の椅子に腰かけて、かれこれ一時間弱。

「いい加減帰らないと、ルームメイトに心配されるよ?」

「……」

「というかご飯食べた?何か持ってこようか」

「……」

先ほどから声はかけてみるが、うんともすんとも答えない。

本当に悩んで困っているとき、兄は何も言わない。

迷宮区の貧民街で別れる前からそれはあって、再会してもそれは変わらなかったようだ。

兄は誰かの先頭に立つことが多い。それは彼の人間性や性格や、言ってしまえばカリスマ性で、アデルはそんな兄が誇らしくてかっこいいと思ってあこがれた。

兄さえいれば怖くない。

兄がいれば何とかなる。

兄さえいれば――。

そんな純粋な期待が、兄を追い込んだ。

自分がしっかりしなければ。

自分がみんなを守らなければ。

だれにも頼らず、自分ひとりで――。

ずっといたのに、そのことに気づけなかった自分がふがいない。気づくタイミングなんていくらでもあったのに。

いや、それも結局はいいわけなんだとアデルは思う。

そうやって何でもかんでも「自分より強い」と思い込んで、兄を盾にしてその影に自分は隠れて生きてきた。そうすれば怖い世界から身を守れるし、怖い思いをしなくて済むから。

何も言わない兄にすがって生きてきたのは自分。

兄をこうしてしまったのも自分。

だからきっと。――兄の強がりな鎧を砕くのも自分じゃなきゃ。

「どうせ何かあったんでしょ。黙ってるときはたいていそう」

わざと辛辣な口調で言って、レグルスの肩がわずかに震える。その反応をみてやっぱりな、とアデルは小さくため息をこぼして、立ち上がってレグルスに近づきながら。

「兄さんっていつもそうだよね、誰にも話さないし。かっこつけても意味ないよ」

「格好つけてるわけじゃ、」

「大体何考えてるかわからないし、自分で勝手に考え込んでさ。それで空回りするんでしょ」

「っアデルに何がわかるのさっ!」

感情的に振るわれた手がアデルの頬を叩く。そこから波紋のように広がる痛覚に、アデルは反射的に小さく呻きを上げる。

かなり盛大な音を立ててぶたれたから、見た目的にも結構はれ上がってるかもしれない。

「……ご、ごめん。オレそんなつもりじゃ」

迷宮生物の遺伝子を組み込まれた兄は、普通の人間よりもはるかに強い膂力を持っていて、だから彼にとって普通に殴ったとしても、相手にとってはそうとは限らない。それをレグルス自身理解しているから、けんかっ早い性格のくせに手だけは上げない。

普段は意識的に抑制しているが、タガが外れてしまえば普通の子供と変わらず手が出てしまうのは当たり前で、唯一の肉親に手を上げてしまってレグルスはひどく狼狽える。

「あ、アデル大丈夫、」

「――わからないよ」

レグルスの気遣いを無視して、アデルはレグルスにつかみかかる。突然のことで構えてなかったから、レグルスはアデルの突撃に堪えられずにそのまま背後のベッドに二人してもつれ込む。

「っわ?!」

「言ってくれなきゃわからないよ!」

頭上からの叫びに、レグルスは瞳を見開く。自分と同じ、雪の影の色。

アデルはそれを見下ろしながら、口内に広がる鉄の味も無視してわめき散らす。

「何も言ってくれないから、わかるわけないじゃん!兄さんが何に苦しんでて何に追い詰められてるのかもっ何もかも全部!」

言いながら、はらはらと落ちる雫が押し倒したレグルスの頬を撫でる。我ながらこんなことで泣くなんて、情けないにもほどがあるとは思っても、止められないのでこれもそのまま無視。

「兄さんは昔からそう!何かあると決まって自分で解決しようとして、何もかも自分でやろうって全部やろうとしてさっ。手伝いたいって思う僕の気持ちも少しは考えてよ!」

何か抱えているなら助けたい。

自分にそれほどの力はないから、それならせめて話を聞くことはできると。

そう思っても、(レグルス)は決して(アデル)に何かを相談することはなかった。

気持ちを理解しろだなんて、言ってないんだから分からないのが当然だ。だからこれは単純にただの当てつけで言いがかり。

言いつけて、下に転がるレグルスは居心地悪そうに瞳を逸らしながら。

「……だって、格好悪いじゃん」

同時、重力そのままに握った拳を頭にたたきつける。

「痛い?!」

「格好つけてるじゃん嘘つき!」

「アデルってそんなに暴力的だったっけ?!」

二人で言い合いながらドタバタと行儀悪く殴り合う。それなりの値段のベッドはそれなりにスプリングが利いていて、転がるたびに大きく跳ねる。

しばらく思い思いの、知らないうちにため込んでいた思いのたけをぶつけ合う。お互いに無我夢中で一心不乱だったから、言った内容はほとんど覚えていない。

やれ野蛮だの言い方がきついだのうるさいだの。

やれまじめだの優等生ちゃんだのうるさいは余計だの。

思い返せばこんな兄弟喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったと、頭の端で思ったが押し寄せる本音の濁流にもまれてすぐに消えてしまった。

どのくらい言いあったかわからない時間、二人はぽかすかと殴りあって叫んで、そして同時に疲れ切ってベッドに転がった。ツインサイズだから11歳の子供二人が寝そべってもまだ余裕があるベッドの上で、天蓋を見上げながら荒い息をつく。

「……結局何の話だったっけ」

「忘れないでよ。兄さんはバカだって話だよ」

「それは違うでしょ。てかオレがバカならアデルだってそうでしょ双子なんだから」

「僕はこれでも高等科までの基礎知識は入ってます~一緒にしないでください~」

伊達に全調査団最高と謡われる『タキオン』の、その参謀補佐をやっていない。勉強はもちろんだし、そのほかの一般教養や迷宮区にまつわる神話や古代史などの知識はそれなりに叩き込まれているのだ。

隣で悔しそうに低くうめく兄をよそに、アデルは視線はまっすぐ上を向いたまま。

「僕はもう、兄さんの影で泣くだけの情けない弟じゃないんだ。だからさ、頼ってよ」

隣からの視線を感じながら、それでも視線はまっすぐに上だけを向いて。ただ静かに答えを待った。

僕はもう、守られてるだけの弟じゃない。

だから兄さんも。――本当は同じように脆い兄さんも、強がりな鎧を脱いで。

隣の気配は随分と躊躇うように揺れて、やがて根負けしたようにようやく口を開いて。

「……だって、迷惑じゃない?」

「迷惑かどうかは聞いてから考えるよ」

「面倒くさいって思うよ、きっと」

「とりあえず今の兄さんのほうが面倒くさいかな」

これは割と本心だ。面倒くさいから早く言ってくれないかな。

「僕だけじゃ足りないなら、みんなに聞いてもらおうよ。ハヤトさんとか」

「ハヤト先輩は、忙しそうだし」

「義弟の話すら聞いてくれないようなら、僕が怒ってやる」

と言いながら、きっとそうはならないんだろうなということをアデルは知っている。

接した期間はレグルスよりも少ないが、あの人の弟ならきっと他人を無下にはしないと直感が告げている。

しばらくう~んう~んと転げながら悩んでいたが、やがてはアデルが曲がらないことを察してしまって、レグルスはようやく決心したかのように跳ね起きて。

「……アデル」

「何?」

「聞いてほしい話があるんだ」

きっと、途方もなく大きなことなんだろうな、と。レグルスの真剣なまなざしからアデルはくみ取る。もしかしたら『聖戦』と同じ規模の何かの予兆かもしれない。

それでも。――もう逃げないと、決めたから。

見下ろしてくる白銀を、アデルは同じ色彩で見上げて。

「聞くだけね」

「え~ここでふざけてくる~?」

「嘘嘘冗談。でもその前に、」

言いながら飛び起きて、レグルスの手を取って二人でベッドを飛び降りながら。

「まずは怪我、治してもらお?」

お互いに引っかき傷だらけの顔を破顔させながら、とりあえず義父のいる執務室に二人は足を向けるのだった。


*****


と、夜もいい時間なのに突然扉をたたかれて、なぜかボロボロの養子の息子とその兄を見て。

「……兄弟喧嘩もいいが、ほどほどにな」

もうはるか昔のことにも、昨日の記憶のようにも思える懐かしい記憶を思い出す。よくカズキも自分も同じような顔になったなと。

息子たちも同じような年ごろになったのだなと、まるで年寄りのようなことを想いながら、アルベルトは苦笑するのだった。

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