2-4.分裂、そして葛藤
結局昨日あのまま部屋に帰った隼人だったが、内にヴァイスの姿はなく、その日はそのまま帰ってこなかった。
「どこ行ったんだよ……?」
「寝てる間に帰ってきて出たのかもよ?」
「なんで」
「それは俺に聞かれてもな~」
宿舎から学院までの道中で、一人歩いていたところに声をかけてきた蓮を、隼人は恨めしそうに見返して。
「というかなんでそんな気にしてるの?ヴァイスだって子供じゃないんだしさ」
「そうだけど」
「なんか『タキオン』の招集があったのかもよ?」
それだったらヴァイスから何かあるものだと、隼人は思う。普段何を考えているのか一見わかりずらい彼だが、そういうところは根のまじめさというか律儀さがうかがえる。
と、隼人本人は思っているが、それは特別隼人だからだと蓮は知っているが、言うつもりはないので隼人は一生わからない。
「隼人もすっかり保護者だねぇ。昔の隼人からしたら考えられないね」
「……違う」
何が、と振り返って聞く蓮に、思考にふけってわずかに眇められる深紅の瞳。
「何か胸騒ぎがする」
「胸騒ぎねぇ」
「こっちはまじめな話をしてるんだぞ」
「ちゃんと聞いてるよ?だけど何もない時点から緊張していたら、何かあったときに対応できないよ?」
どういう意味だ、と眉をひそめて無言で問いかける隼人に、蓮は振り返らずに歩く先を見ながら。
「憶測は憶測でしかないんだ。それ自体考えることは必要だけど、それにとらわれちゃいけない。何があるのかわからないのが現実で、それにいかに早く対応できるかで勝負は決まるんだから」
妙に現実味のある言葉に隼人は眼を見開いて、次いでにや、と口の端を吊り上げる。
「さすが、元秘密工作員の言葉は違うな」
「そうだよ~経験者の言葉は聞いておいたほうがいいよ~」
「そうのんびりな口調で言われるとな」
先ほどまでのしん、と冷え切った雰囲気を一瞬で瓦解させながら、蓮は「え~なんで~」と抗議する。いつもと変わらない普段通りの旧友の姿に、隼人は少し安堵する。
今考えすぎてもしょうがない、そう思って学院の昇降口をくぐる。――その時だった。
「……え」
目の前を、見知った雪白の影が横切った。
「――ヴァイスっ」
呼び声は、無意識の反射で出た。思った以上に情けなくて、自分が予想外に心配していたことを今更ながらに気づけてしまうほど。
呼ばれた当の本人にもそれは伝わってしまったようで、わずかに目を見開かれながら振り返る、黄金の散った瑠璃の双眸。
「お前昨日はどこ行ってたんだよ。部屋にも帰ってこないし、昨日はどこで何してたんだ」
急にいなくなるから、心配した。真っ先に浮かんでギリギリで自制した言葉は心の中で付け足して、振り返ったまま佇むヴァイスに歩み寄って。
その肩に、手をかけようとして。
「――君、誰?」
「……は?」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないで」
す、と近づく隼人に比例して、ヴァイスは一歩距離を置く。その手は自然に腰の拳銃嚢に伸びていて、いつでも発砲できるように低く構えながら。
「何言ってんだよお前。冗談言うなって」
「冗談……?」
隼人が何を言っているのか本気で分からない、と厳しくしかめられる瞳には、敵意しか感じられない。
たとえるなら、春先に一番最初に出会ったころと同じ、世界のすべてが敵と訴えているような瑠璃。
「……ちょっと待てよ、」
「隼人~?何してるの?」
立ち尽くす隼人を不審に思ったのか隼人の背中越しに蓮は向こう側、つまりは向かい合うヴァイスをのぞき込んで。
「あれ、ヴァイス。やっぱり来てるじゃん」
「蓮」
蓮の姿を確認するや否やヴァイスはなぜか臨戦態勢を解いて、不審げに口を開く。
「蓮。どうして彼と一緒なの」
「え?いや道中一緒になったからだけど」
「知り合い?」
「知り合いも何も……」
ここでようやく蓮もおかしいことに気づいたのか、そろりと窺うように視線を向ける。しかし隼人の心境としては、今は蓮の反応を気にかけている余裕はなかった。
何を言われたのか、わからない。
いや、理解はしていて。だけど脳がそれを拒否しているだけだ。
頭の中の冷静な自分がそういってくる。だけどそれ以上に押し寄せてくる空白が、隼人の脳内を埋め尽くす。
その様子をどう受け取ったのか、蓮はそれ以上は追求せずに、依然として警戒をすべては解かないヴァイスに向かって。
「ほら、ご主人さまも驚いてるよ。エイプリルフールにはまだ早いんじゃないかな」
一年で唯一嘘をついても許される日をかけあいに出して、あくまで笑い話で進めようとする蓮に対して、ヴァイスは先ほどからずっとひそめている眉をさらに寄せる。
「何言ってるの」
「え。だってヴァイスの契約者って一応隼人なんでしょ?その耳についてる制御装置だって、」
「そのハヤトって人のことは知らないけど……、」
様子を窺うようにちろ、と向けられる瑠璃の双眸には依然として警戒心とわずかな気遣いの色が混じる。隼人の様子がおかしいことに、ヴァイスも少なからず気にかけているようで。
――そんな無意識な分析も、次の一言であっけなく崩れ去った。
「僕の主人は、オリバーだよ」
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蓮の静止の声を置き去りに、隼人はさほど足を運んだことのなかった『特戦』講義室の扉を思いきり開け放つ。
予想外に大きな音が室内に響き渡り、その音に誰もが入り口とそこに立つ隼人をいぶかしげに見るが、しかし今そんな視線は毛ほども気にならない。
数多の視線の中目当ての色彩を瞬時に見分け、隼人はわき目も振らず一直線に歩み寄る。
驚きと困惑に見開かれた、常磐色の双眸。
「よ、よう旦那。ちょうど俺もあんたに用事があったんだ、」
「てめぇの主はどこだ」
「は?」
「あのいかすかねぇ貴族様はどこだって聞いてんだよ!」
あまりの話の通じなさにいら立って、リュカオンの胸倉を掴んで引き寄せる。
隼人のその形相を見てようやく事態の緊急性に気づいたのか、リュカオンは宥めるようにその手をつかみながら。
「少し落ち着けよ。旦那らしくないぜ」
「かばうつもりか」
「そうじゃねぇって。まず冷静になってくれって」
「俺は冷静だ」
それ冷静じゃないやつが言う言葉なんだよなぁ、というリュカオンのボヤキも今の隼人の耳は拾わない。それほどまでに実際問題隼人は冷静さを欠いているのだが、それにすら気づかないほどの怒りに頭が煮えたぎってしまっていた。
これ以上はぐらかすのなら――。
その思考も、腕を無理やり後ろに引かれる感覚と一緒に引っ張られて。
「――だから少し落ち着けって言ってるだろうがっ」
「いっだぁっ!?」
後ろから付いて着てようやく追いついた蓮は隼人の右腕をつかみ上げると、そのまま背後に回して固定する。見事に決まった関節技に、さすがの隼人も悲鳴を上げる。
「痛い痛い痛いっつうの!!ちょ、待ってギブギブ!!」
「待てっつって待たなかったのはどこの誰よ」
「すみませんでしたあの本当右だけは勘弁してくれませんかちぎれるっ!!」
「安心しな後で俺がくっつけてあげるよ」
「…なんかシャレにならんくらい痛そうなんで離してやって?」
目の前で繰り広げられる一方的な痛めつけに、先ほどまで詰め寄られていたリュカオンが見かねて助け舟を出す。
だって、なんか冗談じゃないくらいに完璧に決まってるし。心なしかレンの口調も違ってて怖い。
という本心は後が怖いので心の中にだけとどめておいたので、隼人にも蓮にも届かない。それ以前にそれどころではないのだが。
「今ルーさんにあたって何が変わるのさ。隼人らしくもない」
「っだけど、」
「まずは目の前のことを分析。それが現状把握の最適解じゃなかったっけ?」
蓮の言葉には、と目を見開く。昔まだ大和桜花調査団の一員だった自分が彼に言った言葉だ。
それでようやく自分が彼らの言う通りに錯乱していることに気づいて、隼人は意識してゆっくり呼吸をする。
吸って、吐いて。普段無意識にしている循環を意識的に行って、脳に酸素を送る。たったそれだけでちかちかと目の前ではじけていた火花は消えて、いつもの風景が戻る。
「……すまん」
「本当だよ全く。じゃじゃ馬手なずけるこっちの身にもなってほしいな」
普段の様子に戻ったのを確認して、蓮はようやく手を離す。振り返った先の、気遣うような琥珀色。
「これで止まらなかったら撃とうかと思ってたから安心だね」
「怖いこと言わないでくれない?」
「いや、だってむかついたから」
「本当すみません以後気を付けます」
腰裏の拳銃をひけらかしながらサラリと言う蓮の据わった瞳を見て、こいつの前では二度と我を失わんどこう、と普段通りのはずなのにどこか圧のある笑顔に顔を引きつらせながら決心して、蓮とは逆側を振り返る。
「リュカオンもすまん、いきなりつかんだりして」
「いや、俺は全然いいけどよ。……腕大丈夫か?」
「……まぁしょうがない」
彼の気遣いはもっともで、先ほどから自由になった右腕を涙目で抱えながら謝罪する。これは自分のせいなのだから仕方がないのだが、本気で痛いので後で保健室行こう。
「それで、今度は何をしでかしてくれたんだ、うちの主は」
オリバーが何かをするたびに従者であるリュカオンは後始末に追われていたのだろう。妙に慣れ切った言葉からはあきれとわずかな緊張感が込められている。
「――ヴァイスの記憶が消えた」
「……てぇと、あれですかい?ここ半月で噂の記憶喪失?」
リュカオンの切り返しに短く首を折って肯定する。生徒間で噂になっているからか、リュカオンもその話は知っているようだ。
隼人の首肯に、しかしリュカオンは軽く肩をすくめて。
「でも噂じゃ度忘れ程度なんだろ?言っちゃあなんだがそちらさんの心配のしすぎじゃ」
「俺の記憶だけさっぱり消えてる上に、自分の契約主はオリバーだと言ってることについては?」
その言葉に、リュカオンは柳眉を厳しく寄せる。緊張感に染まった常磐色の双眸。
「あれはうちの主の仕業じゃあないぜ。精神操作なんて専門外だし、そもそもメリットがない」
「記憶喪失を実際に行ってるやつは別だろうな」
「……まさか、協力してるってことか?」
自分と同じ推論に達したリュカオンをまっすぐに見据えて、隼人は深くうなずく。
「それを聞きたいんだ」
記憶喪失を行っているのは、おそらくは迷宮区から侵入した迷宮生物だろう。崩落した出入口すべてを『タキオン』は把握しているわけではない。確認できていない個所から侵入された確率はかなり高い。
だから隼人の疑問は。――どうしてオリバーがそれに加担しているかだ。
従者ゆえに主の濡れ衣は晴らしたいところだろうが、ここ最近ろくに話していないのかリュカオンは申し訳なさそうに瞳を伏せる。
「……わかった。俺もちょうど文句もあったところだしな」
「そういえば、最初にそんなようなことも言ってたね?何か隼人に用があるんだっけ」
外から聞いていた蓮が思い出したようにつぶやくと、リュカオンは少し申し訳なさそうに後ろ髪をわしわしとかき混ぜながら。
「あ~なんか比べるとそんなに重要じゃないんだが」
「なんだよ」
「……部屋追い出されちゃって。しばらく置いてもらえないかな~と」
「……それ、ヴァイスのせいか」
気まずそうにうなずくのを見て、隼人は肩を落とす。おそらくは主のそばにいたいからと同室のリュカオンを追い出したといったところだろう。
何というか、記憶がなくなっても同じ行動をしているところを見ると、不謹慎だけど少し安心する。
「じゃあついでにそのクレームも入れに行くか」
そうと決まれば話は早い。一刻も早くオリバーの部屋に押し入って事情をはかせてもらうとしよう。
ついでに。――何を隠しているのかも。
リュカオンに聞く手もあるが、先日さりげなく断られてばかりで聞くに忍びない。どうせ今から行くのだしそっちがその気なら遠慮する必要は皆無。直接本人に聞いてやる。
と、思って『特戦』の講義室のドアを開いた、その時だった。
「レグルス」
開かれた扉の先、回廊の中心に見知った薄桃色の影をみとって、隼人は声をかける。
「こんなところで何してるんだ?『特戦』に用事なんかなさそうだけど」
「……ハヤト先輩」
かけられた声に、隼人は自然に身構える。今までの彼からは想像もつかないほどの、か細い声だったから。
隼人のそんな緊張を瞬時にくみ取ったのか、レグルスは迷うように目を泳がせて、やがて決意したようにこぶしを握って顔を上げる。
交わる深紅を白銀の双眸は、お互いにまっすぐ見据えながら。
「ハヤト先輩に、聞いてもらいたい話があるんです」




