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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.5 妖精と聖女と灰色狼
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2-3.災厄の獣

今日は何も身に入らなかった、と。思いながら特に宛もなくてくてくと学院内をレグルスは巡る。

聖グリエルモ学院と生徒たちの宿舎は隣接していて、だから容易に夜間の学院にも潜り込める。今は夜の帳に深けて喧騒とは程遠い、誰もいない伽藍堂。

一応は夜間の学院内への立ち入りは禁止だが、入口も特別塞いである訳でもなく、夏の時期ともなれば度々生徒たちは肝試しだと潜り込む。

学院の理事長であるアルベルトはもちろん知っているだろうが、生徒たちの自主性(という名の自由行動)を重んじる彼は一切を黙認し、だからこそ他の教師たちも生徒たちも何も言わない。

しかし今の時期に潜り込む生徒はほとんど居ない。それを知っていて、レグルスは少し1人になりたくて、同室のルームメイトを忍んで足を向けた。

本心をいえばアデルと一緒の方が嬉しいのだが、学院生徒たちは原則宿舎で寝食を過ごすが、アデルは屋敷が近い(アルベルトの屋敷は宿舎の真逆に学院に隣接している)のと、本人も『タキオン』の重要な要であるからと、屋敷に帰っている。

今更部屋が一緒じゃないだけで文句は言わないし、彼にとっては距離は無いに等しい。知己の現在を見通せる異能力者の彼にとっては。

それに、今は都合がいい。

1人になりたかったのは本当で、今朝の出来事とジャネットの口から告げられた現実を整理するには自室は窮屈過ぎて、だからレグルスは1人で深夜の学院を歩く。

それともうひとつ。――予感があったから。

宛はない。しかし歩いていればきっと、向こう側が見つけてくれる。

そう思って、後期生専用の昇降口に隣接している庭園の前を通り過ぎようとして。

「――また会いましたね。レグルスさん」

「そうだね、聖女様」

降り注ぐ月明かりの下で、普段よりも幻想的にきらめくマリンブルー。その紗幕を見据えながら、レグルスは自然に足を向ける。

「それとも待っていてくれましたか?」

「別に。ただ今日は歩いてれば会えるかなと思っただけ」

それがレグルスが一人で学院を歩いていた理由の一つだ。

理由はない。ただそう思っただけ。

レグルスの返答に、オリバーの姿で聖女は薄く笑って。

「まるで預言者のようですね」

その微笑はまるで綻ぶ花のようで。それはきっと『聖女』と崇められた少女のそれ。

ジャンヌは庭園に申し訳程度に設けられていたベンチに腰かけて、自然それに習うようにレグルスも隣に腰掛ける。

「私とこの彼のこと、聞いたのでしょう?」

「……うん」

正直、聞かなきゃよかったと思った。あんな救いのない話。

少女は自分の意思に関係なく、生を繰り返して。

その宿主はただ器として、最後には自我すら消える。

そこに大義名分があればまだ救いはあったかもしれない。ジャンヌは救国の悲願を達成するために。そうすれば、宿主になる少年少女も気持ちが楽になったかもしれないのに。

『こんな最期があってなるものか』――ただそれだけのために呪われた一族。

無理やり聞いたのはこっちだからこんなことをいえる立場にないのはわかるけど。――ジャネットの表情を思い出して、レグルスは顔を顰める。

「ごめんなさい。関係のない貴方を巻き込んでしまいました。でもいいんです、貴方が気にすることではありません。だから、」

貴方は忘れて、どうか健やかに。

「っ謝らないでよ!」

カッとなって、レグルスは音を立てて立ち上がる。あっけにとられたように見開かれる紫の双眸を、白銀のそれで見返して。

「なんで謝るのっ?あんたが謝るところなんてないじゃないか。それになんでそんなに突き放すのさ!関係ないって、そんなこと言わないでよ!」

『君には関係ない』。いわれたわけじゃないけれど、それでも態度にはありありと感じられて。半月前のオリバーの態度を思い出して、血がにじむほどに手を握りしめる。

――どいつもこいつも。

「こっちの意見も聞かないで、関係ないって決めつけないでよ!」

そもそもここまで首を突っ込ませて、関係ないなんていえるはずないだろ。

でもその不器用の裏の気遣いもわかってしまうから、そんなこと正面からはとてもじゃないけど言えなくて。

――悔しい。

頼られないことが。

話してくれないことが。

――守られていることが。

わかってる。自分はまだ11歳の子供で、しかも孤児で自分ひとりじゃ社会に揉まれてしまうだけ。何もできない、ちっぽけな子供。

だけど、『迷宮区(ここ)』でしかできない。『迷宮区(ここ)』でなら少しはできることだってあるのに。

知らない間にはらはらと流れる涙がふがいなくて。見られたくなくて、レグルスは顔を伏せる。

たっぷり数分を置いて、ようやく目の前の気配がわずかに動く。

「貴方は思わないのですか?」

「……何を?」


「私に死ねと」


ためらいなく放たれた言葉には、なんの気負いもなく。ただ当たり前のことを問うているように自然な声音。

だから始めは何を聞かれているのかわからなくて、レグルスは反射的に伏せていた顔を上げる。

相変わらず何も変わらない、『聖女』を体現するかのような優しい笑み。

それはきっと、本当は弱い自分を鎧う虚飾なのだと。――レグルスはその時初めて気づいた。

だから。

「思っても、しょうがないじゃん」

虚飾には、本心で。だってそうしなきゃ、伝わらないと思ったから。

「あんたに死ねって言っても、しょうがないじゃん。だってあんたも被害者なんだから。あんたもきっと、傷ついてるから」

その言葉に、ジャンヌはは、と目を見開く。それは彼女がようやく見せた、年相応の少女の反応で。

ジャンヌのその反応で、レグルスは確信する。やっぱり、そうだろうと思った。

「あんたは自分が死ねば解決できるんなら、真っ先にそうする人間でしょ。でもそれじゃ何も解決しないことを知ってる。だからあんたは言うんだ」

『ごめんなさい』と。

自分が生きているせいで宿主を殺してしまってごめんなさい。

何もできない自分のせいで、ごめんなさい。

――私のせいで不幸な人間が生まれてしまって、ごめんなさい。

それは彼女にできる、唯一の懺悔で、精いっぱいの抗い。

そんな彼女を、だれが責められるのだろう。


「あんたは悪くないよ。だからもう、謝らないでよ」


自分のせいだって、これ以上自分を責めないでほしい。

誰が悪いわけでも、誰が正しいわけでもないのに、それを自分のせいだと決めつけて背負うのはやめてほしい。

――やめていいんだ。

「……優しですね、レグルスさんは」

「優しくなんか、ないよ」

「自分ではない誰かのためを想える人は、ごく少数ですよ」

年相応の等身大の少女の声音は、取り繕うのをやめたジャンヌの本当の声。今更隠すのも繕うのも意味ないからと、少し恥ずかしそうにはにかみながら。

「今まで私は、幾度となく言われてきました。ご両親に友人に、宿主本人にだって。当然ですよね、私は他人の人生を食いつぶして無意味に転生を繰り返す、未練がましい悪霊ですから」

言って、ジャンヌは立てた膝に顔を埋めて、その下からこぼれるか細い声は、今までずっと言いたくても言えなかった言葉。

「私だって、こんなこともう繰り返したくないのに……」

「……聖女様、」

「……レグルスさん、オリバーさんとはどういったご関係なのですか」

「はっ!?」

先ほどまでの議題に全くかすりもしない質問にレグルスは面食らって、思わず裏返った声が口から飛び出す。

「いきなり何っ」

「随分と気にかけていらっしゃるので、私も気になりました。ご家族でもご学友というわけではないのでしょう?」

弱弱しく埋めていた時の表情とは打って変わって、ジャンヌの顔には純粋な興味。こてん、と首をかしげて見据えられる、紫の双眸。

中身や纏う雰囲気は全く違う別人なのに、見た目は普段見慣れたお貴族様のままだから、ものすごく調子が狂う。

「別に気にかけてなんかないし!お貴族様がどうなろうが正直オレの知ったこっちゃないし!正直清々するし!」

語尾を荒げて矢継ぎ早にいってしまった、と口を噤む。さすがに言い過ぎただろうか。

と思ってそろり、と横目で隣を確認するが、ジャンヌは気分を害した様子はなく、むしろ先ほどよりも朗らかに微笑んでいて。それがさらにむず痒い。

「大切に思っているのですね」

「どこをどう聞いたらそう聞こえるのさっ」

「人間、本当に関心の無い相手にはどんな感情も持ち得ないものですよ」

なぜかえへん、と胸を張ってジャンヌは誇らしげに言う。レグルスよりも、いや普通の人よりも多く世界に関わってきたジャンヌの、それが人生観なのかもしれない。

なんだか心の中すべてを見抜かれているようで、レグルスの気持ちとすれば大変いただけないのだが。と顔をしかめていると。

「――オリバーさんを、助けたいと思いますか?」

不意に、ジャンヌの声音が低くなる。まとっていた雰囲気がひりつき、それに引きずられるように僅かに冷え込む周囲の空気。

「そんな方法があるのっ!?」

「……方法はあります。ですが、」

「だけど何!あるんだったら試せばいいじゃん!」

煮え切らない反応のジャンヌに業を煮やして、レグルスは詰め寄る。咄嗟に掴んだ手のひらをジャンヌはそっと解いて、座っていたベンチから距離を置く。

ここで最初に見つけたときを同じ光が降り注ぐ月の下で、ジャンヌは振り返る。どこまでも悲痛で、すがるような紫の双眸。

「方法はあります。いえ、本当はありませんでした。――貴方に会うまでは」

どういうこと、という問いは、次の瞬間に発せられたジャンヌの言葉で霧散する。

「貴方の内に秘められた、『魔狼(フェンリル)』のの影を見るまでは」

「『魔狼(フェンリル)』の……?」

自分の遺伝子に組み込まれたその存在を、レグルスは一切話していない。忌々しい、自分の命を蝕む『魔狼』の存在を。

それなのにジャンヌは最初から知っていたかのように、そしてそれを待ちわびていたかのような紫眼で見返す。

「私も最初に貴方を見たとき驚きました。『魔狼(フェンリル)』は絶滅したとばかり思っていましたから」

「絶滅?迷宮生物が?」

迷宮生物の出現理由や発生の原因はいまだ解明されていない。地上の生物と同じように交配によって種を増やすのか、はたまた他の手段があるのか。いずれにせよいくら調査員の手によって討伐されても、数日のインターバル後には変わらぬ数に戻っているのだ。

さらにどういうわけか迷宮生物はお互いに争ったりはしない。階層ごとの分布はあれど、縄張り争いや共食いの形跡は今まで見たことが無い。

つまり、絶滅する理由が無いのだ。

だからジャンヌの発言にはとても違和感があって、それを理解してかジャンヌは深く頷いて。

「はい。迷宮生物は基本的に人間の手で滅ぼすことも、ましてや同士討ちで死ぬことはありません。ですが『魔狼(フェンリル)』は違ったのです」

短く呼吸をし、まっすぐに交わる白銀と紫の視線。


「――『魔狼(フェンリル)』には、たった一度だけ世界の理を改変することができる能力があるのです」


驚愕に、レグルスは目を見開く。そんな破格な能力が、『魔狼(フェンリル)』にあるなんて、今まで知ろうとも知りもしなかった。

「能力の所以は北欧神話の『ラグナロク』に由来するものでしょう。迷宮生物の個々の能力は史実や神話に書かれているものが多いことは、レグルスさんも知っているはずです」

『北欧神話』において、世界の象徴たる主神オーディンを飲み込んだとされるフェンリルは、『北欧神話』という一つの世界の終焉の口火を切った。それを皮切りに、『北欧神話』世界は崩壊へと至ってしまう。

まさに、破壊の獣。

「その能力を前回の宿主、オリバーさんの姉君はついに見つけ出しました。しかし、その能力の危険性ゆえに『魔狼(フェンリル)』は同じ迷宮生物たちから追われ、絶滅したのではないかという記述も一緒に。そして、その後すぐに彼女は命を終えてしまいました」

やっとの思いで見つけた一筋の光はあまりにもか細くて、掴んだ途中で途絶えてしまった。その時の希望と絶望の反転は彼女にしかわからない。

でも今は、自分がいる。

何故かつて自分を貶めた錬金術師が、絶滅したとされる『魔狼フェンリル』の遺伝子を持っていたのかは分からない。知ろうとも思わないし、知りたくもない。それでも今は感謝しなくもない。

だって自分には、誰かを救える力があるんだから――。

「でも今はオレがいるじゃん!だったらジャンヌもジャネットも、みんなみんな助けられるじゃん!」

ベンチから立ち上がって、抑えられない気持ちを抱えてジャンヌに駆け寄って、再び無意識に手を握る。ぴこぴこと耳のような髪を揺れるが、それは今はレグルスにはわからない。

オリバーもきっと。そう続けようとして、しかし目の前の聖女の表情はなぜか優れなくて、レグルスは訝しげに紫の双眸を覗き込む。

「……ジャンヌ?」

「レグルスさん。『魔狼(フェンリル)』が理を変えることが出来るのは一度だけなんです」

「?うん、それは聞いたけど、」

「どうして一度だけなのか、疑問に思いませんか?」

「どうしてって……」

考えるが、レグルスの頭では到底思いつかなくて、小首をかしげる。その様子をみて、ジャンヌは悲しげに切実に、紫の瞳を伏せて。


「理を変える。それを引き換えに『魔狼(フェンリル)』は死んでしまうのです」


自身を戒め自由を奪った世界を、主神オーディンをラグナロクで討ったフェンリルは、その直後にオーディンの息子であるヴィーザルによって討伐されその一生を終えた。

悲願を達成すると同時に、フェンリルは命を失ったのだ。

それが彼の終焉の獣の逸話を持つ『魔狼(フェンリル)』の能力。自分の命を引き換えに願いをかなえる、諸刃の剣。

「『魔狼(フェンリル)』の遺伝子を持つ貴方は、その能力を使えるかもしれない。しかしそれは同時に、貴方が死んでしまうかもしれない」

「……死ぬ」

死に瀕することは、今まで何度だってあった。『聖戦』の時だって、初夏の『魔狼(フェンリル)』の遺伝子に飲まれそうな時だって。

それでもジャンヌの口から告げられた事実に、レグルスは驚愕を隠しきれない。その心象をあらわすように揺れる白銀の瞳。

それを、ジャンヌは握られた手をそっと逆の手で包み込んで。

「だから私は、貴方にその能力を使ってほしくない。私のエゴに巻き込んで、これ以上悲しい人を増やしたくありません」

でも、と。ジャンヌはそのままその場に跪く。それは家臣が主にするような、教会で神に頭を垂れるような礼。

初めて見上げられた紫と伏せられていた白銀が、まっすぐに交わる。

「私の。ただの片田舎の女として、願うのならば」

功績をたたえられ、国王から授かった『聖女』ジャンヌ・ラ・ピュセルでは無く。

ドンレミ村で農夫の娘として生を生きたジャネットという愛称の女として、願えるのであれば。


「どうかお願い。私を殺してください――」

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