間章.強がりな主
自分の主人と最初に会ったのは、まだリュカオンが10歳にも満たない5歳のころ。お互いにまだ子供で遊び盛りで、主人と従者なんて枠がわからない、子供の頃の話。
「この方が今後お前の主人になる、オリバー様だ」
そう言って父に紹介されて、最初に抱いた印象は。
「なんかやだ」
「やっ?!」
「リュカオンお前!」
がんっと割と容赦なくぶん殴られて、半泣きにされたことを良く覚えているが、しかし自分の言い分を訂正する気にはなれなかった。
あきらめていて、自分の生に何の執着も無いくせに、他人のことばかり窺ってるくそ真面目そうな紫の双眸。
それが、リュカオン・ルーが齢5歳にして抱いた、オリバー・ブルームフィールドへの最初の感情だった。
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「主~。なぁ主ってば~」
「その呼び方、外ではやめろといっただろうリュカ」
先を歩くオリバーはそう言って、辟易と肩を落としながら振り返る。まぁそれは後で直すからとリュカオンは無視して。
「何であぁ敵作るような態度してるのよ」
12歳を迎えたオリバーは、大公の指令どおりに聖グリエルモ学院に進学した。
『貴族の規律を守る代行者』――それがロングヴィル家に与えられた使命の一つで、その後継たるオリバーはそれを引き継ぐ義務がある。
だけど、ここ迷宮区に来てからオリバーは変わった。
家にいたときは愚直といえるほどにまじめすぎて、それはそれでリュカオンからすれば「力入りすぎ」と思わなくも無いほどだったが、その表情は今は一切無く、むしろ真逆。
『貴族』という身分を傘に着て好き放題する暴君と成り果てた。
正直、落胆やあきれと言うよりかは、驚愕の方が強かった。まさかあのくそまじめがこんなにもやんちゃが出来るとは思わなかったからだ。
しかし、だからと言ってやりすぎだとは思うので、だからこその問い。その問いに、オリバーは肩口まで伸ばした長髪を靡かせながら。
「……さぁ。どうしてだろうな」
「さぁって。自分のことでしょうよ」
「反抗期じゃないかな」
「自分で言う?」
軽口をたたきながら、リュカオンは気づいている。伊達に7年間も一緒に過ごしてきたわけじゃない。主の機微には本人以上に気づける自信が不本意ながらある。――はぐらかされてるな、と。同時にその気持ちは仕方が無いものだとも。
気づかないわけが無いのに、と先を行く背中を追いながら思う。
それは反抗心。
あるいはそこから来る八つ当たり。
生まれた時から決め付けられた、彼自身の運命に対する。
ロングヴィル家は呪われている。
フランスの救国の聖女ジャンヌ・ダルク。その名前を知らないものは今の時代にはほとんどいないほどの偉人。
約600年前、フランスの片田舎に生まれた少女は神の啓示を受け従軍。その後瞬く間に活躍し、今のフランスという国を確立させた『オルレアンの乙女』。彼女は輝かしい活躍の果てに異端審問にかけられ衆目の中火刑に処されたとされる。
その人生は、わずか19年。
その後彼女の復権裁判が行われ、いまや彼女はフランスの守護聖人の一人として今も崇拝されている。
だが、彼女のそんな運命を呪ったものがいた。
その明確な記載は無く、もはや誰かもわからない。特定の誰かだったのか、それとも多くの願いからなのか。それすらも何百年と経った現在では知る術はない。
しかし、彼女への仕打ちを呪い、彼女を神のごとく崇拝した何かは確かに存在したのだ。
それは思った。――『こんな運命は無い』と。
だから願った。――彼女の再生を。
今でなくともいい。この後の世界に、再び彼女の再臨を。
だって。――彼女は世界に必要な存在だから。
それはただの自己満足で、エゴで。ジャンヌ自身が願ったことでは決してなかったが、だからこそ彼女にはどうすることも出来なかった。
そして彼女の繰り返しが始まった。
ロングヴィル家はジャンヌが従軍してからの臣下で、いわば参謀的な役職で彼女を支えた家だ。終戦間際には彼女の元から離れていたがジャンヌからの信頼は厚く、異端審問のさなかでもやり取りを交わしていた、そんな家。
かの家で、彼女は最初の転生を果たす。
何の因果なのかはわからない。しかし彼女は確かに転生して、当初ロングヴィル家は手放しで喜んだ。かつて同じ戦場を駆った彼女の生まれ変わりを厭うものは、誰もいなかった。
異変に気づき始めたのは、彼女の何度目かの転生の時だった。
それまでは生まれて間もない赤ん坊に転生することが多かった彼女だが、時を経るごとにその間隔は遅れるようになり、成長した子供にジャンヌの自我が芽生え始めるようになったのである。
当然、それまでその子供は自我を持って成長して、普通の子供と同じように生活する。当たり前に遊ん怒って、悲しんで笑って。
しかし、同じ肉体に2つの魂は共存できない。
ジャンヌの自我が芽生え始めると、徐々に元々の肉体に宿っていた意識は侵食され、最終的には飲まれるようにして消失する。
つまり、死ぬのだ。
時が消失までの間隔や自我の芽生えのタイミングは宿主それぞれに固体差はあったが、今までのジャンヌの宿主となった子供はただの一人の例外も無く自我を消失し、ジャンヌに肉体を明け渡している。
ロングヴィル家はそのときになってようやく気づいた。――これは祝福ではない、のろいだ、と。
しかし気づいたところでどうにもならない。その呪いの発端もかけた人物も何もかも不明で、解呪の方法も一切わからないのだから。
それでもジャンヌの転生は続き、人柱のように宿主も死んでいった。
オリバーは記録にある限り30人目の宿主だ。代を重ねるごとに深度を増している、マリンブルーの髪がその証明。
魔法適正の高さは髪の色に強く反映されるということは、迷宮区が誕生し魔法という技術が明るみになった聖暦においては知る人には当たり前となりつつ事だ。『風』の適正値が高ければ緑色に、『火』の適正値が高ければ赤色。色味が強ければ強いほどに潜在能力は高く、強大な魔力を持つ。
通常にはありえない深度の髪は、人一人は持つには強大すぎる魔力の表れで。だから宿主となる人物は一目見れば一目瞭然だ。
この世界において他にはありえない、唯一無二の色彩。
その色彩が、風にその髪をなびかせながら振り返る。
「なんだ」
「なんだって?」
「お前が黙る時はたいていろくでもないことを考えている」
「主のことを考えてました~っいて」
ちゃらちゃらとした軽口を、オリバーはしかめ面で軽く頭をはたく。
「お前はもう少しまじめになったらどうなんだ」
「主は逆に、もう少し不真面目になった方がいいと思うけどなぁ」
であった時から何も変わらない、純粋な高潔ゆえのまじめな性格では、さぞ生き難いだろうに。それでもそれを手放さないのは、彼の譲れない意地なのだろうか。
いずれは消えてなくなってしまう、彼のせめてもの抵抗なのだと、リュカオンは思って口にはしないけれど。
もっと惨めたらしく、わめいてあがいてもいいだろうに。
だってそうだろう。生まれた瞬間からもう未来が決まっていて、しかもそれは自分という概念が消える未来。
死ぬのではない。概念そのものが書き換えられて置換されて、自分という存在の痕跡が一切残らない。
――なんのために生まれてきたのか。リュカオンだったら怒りでわめき散らしているところだ。
なのに、この主ときたらそんな無様なまねはしなかった。むしろ逆。12歳という年齢でありながら達観しきった紫の双眸は、すでにその運命を受け入れていて、それが正しいのだとすら確信していて。
まるでそれが自然の摂理だとでも言いたげな、子供らしさのかけらも無い相貌。
でもやっぱり腹立たしかったのか、それとも他の要因か。実家を出てからというものオリバーは豹変したようにわがままを通している。
もうすでに受け入れた自分と、それでもあきらめきれない自分の葛藤のハザマで、主は揺れる。
しかしそんな主を、誰がいさめられるだろうか。
自分には無理だ、とリュカオンは思う。
だめだということはわかっているし、だからこそ行き過ぎた行動は流石に止める。だけど子供の範疇に納まる程度のものであれば、止めるのにためらう。
腹立たしいという彼の感情も、彼のつらそうな顔も、全部わかるから。
それでもオリバーは誰にも、ただの一言も言わない。――助けてほしい、と。
かつての一番上の姉に言ったきり、封印したように言わなくなったその言葉を。その言葉のせいで姉は死んだのだと、身代わりになったのだという自責から、彼は誰かに気持ちを伝えることはしなくなってしまった。
「何ぼうっと立ってるんだ。おいていくぞ」
立ち尽くして考え事をしていたリュカオンを不審に思って、オリバーは声をかけてさっさと先を歩いていってしまう。
こっちの気持ちなんて知らないような、まっすぐな歩み。その背中を追いかけながら思う。
あぁ、神様。いや、神様なんか不確かなものじゃなくてもいい。
誰かあの、強がりな弱虫の声を聞いてください――。