間章 モノトーンの世界の君へ
15歳の一樹目線の、10歳の出来過ぎな弟に対する心象です。
山場前のちょっとした羽休めになればと思いますっ
弟の見ている世界は、さぞモノトーンなのだろう。
「はーやとっ、兄ちゃんとちょっと海外旅行に行かないか?」
「嫌だよ、どうせ迷宮区へ連れていく気でしょ」
…バレたか。
十という年齢とは思えない冷めきった声音で、一瞥もくれずに隼人は突き放した。
本当に可愛げのないヤツめ。と一樹は思いっきり頬袋を膨らませて不機嫌さをアピールするも、見ていないのだから伝わるわけもない。
「迷宮区への調査団に選抜されたのは兄貴だけだろ。1人でどーぞ」
「そんなこと言って、本当はお前も行きたい癖に」
ニヤニヤと、自分の背に隠していたキャンパスノートを見せびらかすと、隼人はようやく目を落としていた本から顔を上げる。
「ばっ、何勝手に見てるんだよ!」
「おっとぉ~、素直に負けを認めない限りこれは返しません~」
深紅の瞳を吊り上げながらキャンパスノートの取り返そうと伸ばした手を、一樹はひらりとかわす。
「何が負けだよ、勝負でもなんでもないし」
「いい機会だろ?お前だって興味あるくせに」
「だいたい、一緒に行くって行ったって許してもらえないでしょ」
「そこはVIP権限を行使する」
28年前に突如としてイタリアに発生した異空間、迷宮区『サンクチュアリ』。ヴァチカン市国全てを飲み込み、今も尚口を開いたままの地獄の釜。その被害は第二次世界大戦を超えた。
西暦が始まって以来、世紀の大事件。その原因の究明が全世界において目下の使命である。
…と言っても、『使命』といえば聞こえはいいが、迷宮区の原因究明、及び最奥部初踏破という栄誉と栄光を他国に取られたくないというのが本音であろうが。そのことに関して、心底くだらないと一樹は思っている。
災害直後迷宮区に近いヨーロッパ諸国の動きは早く、直ぐに調査団を組織、派遣を行っているが、平和ボケしていた日本は30年近くたった今ようやく遠征の準備を整えたというわけだ。
「VIPって…」
「数少ない御神刀、天之尾羽張の使い手ってことで呼ばれたんだぞ?そのくらいのわがままは聞いて然るべき」
今年で15になったばかりの一樹が、日本で初めて発足された国立調査団『大和桜花調査団』に呼ばれた理由はそこにある。
遥かな神代より受け継がれし十束剣の一振にして、邪を打ち払う炎を宿す、『天之尾羽張』。
1代1人にしかその恩恵を与えない気まぐれな神刀の、その契約者。
邪悪なるものを打ち払うと名高いこの剣の能力は、邪悪なるものが跋扈する迷宮探索にはうってつけだろう。誉だと言えば聞こえはいいが、詰まるところただの道具として呼ばれただけである。それに気づかない一樹では無い。
しかしだからといって少年らしく大人の顔色を伺って縮こまるのも性分ではない。『道具』だと呼ぶのは勝手だが、であればこちらも好き勝手にやらせてもらう。
ふんす、と鼻を鳴らす一樹に、兄の内心を知って知らずか隼人は呆れながらも白旗を振る。
「兄貴が呼ばれたのはそれだけじゃないだろ。まぁもう何言っても無駄だろうけど…。こうもおれの想像を越えてくるのは兄貴くらいだよ」
隼人のその言葉に、違うんだよな、と一樹は苦笑する。
代々『天之尾羽張』を含め、十束剣を崇める旧家には時折不思議な力を持った人間が登場することがある。
例えばそれは『遠くのものを持ち上げる』異能。
例えば『瞬間移動が出来る』異能。
例えば『人を意のままに操る』異能。
神の力を色濃く残す神刀の近くにいるからなのだろう。そういった異能を持った特異点は、総じて異能者と呼ばれる。
その、異能者特有の黄金が散った紅の双眸を眇めつつ、小さな弟を見る。こちらは純粋な、しかし虚ろな深い深紅の双眸を。
弟は、異能を持ってはおらず。
代わりに、異能と呼んでも過言ではない程の頭脳を持って生まれてしまった。
小学校に入る前には義務教育で学ぶ学業は全て覚え、小学5年になった今では大学院で論文が評価されるほど、その才能は驚異的だった。
勉学に関しては全国1位は当たり前。運動は人並み程度だが、団体競技ではゲームメイカーとして無敗を誇る。
彼の予想を越えるものはただのひとつもなく、そこには感情が介入する余地はない。
感情というものはいわば動転だ。喜びから悲しみへ。怒りから楽しいといった心の移り変わり。それこそが感情であり、感情が人格を作ってゆく。
それを、弟は得られない。
だから弟の瞳はいつだって、空虚で虚ろだ。
そんなひどい話があるかと、一樹は叫ぶ。
この世界に生を受けたのに。
世界は色んな色彩で満ちているのに。
独りぼっち、モノトーンの世界で――生きながら死んでいるだなんて。
そうして今も、ちょっとよく分からないフランス語で書かれた哲学書に目を落としている弟を見て思う。人の気も知らないでと。
俺が、どれだけ苦労して兄を演じているのかと。
出来のよすぎる弟を出し抜いてやるために、『未来を視る』という破格の異能を無駄遣いして。
それでようやく、弟の予想を超えたと嘘をついて。――まるで悪質な道化師のようだ。
だから、今回の『大和桜花調査団』からのスカウトは、一樹にとって天啓と呼べるものだった。
幼い頃から、絵本の代わりにずっと読んでいた数々の迷宮区についての書籍の山。
それは、隼人が唯一その虚ろに輝きを灯す燈だ。
だから。
「な、行ってみようぜ」
お前が憧れた場所は、きっとお前を飽きさせないだろうから。
――そして、選択を誤った。
未来が見えると言っても、それは無限に縦へ横へ、拡がっている。
世界には何億人もの人間が、日々自分自身の選択でその命を謳歌するからだ。
無限の選択の連続で、人は未来を獲得する。
だからこそ一樹はそれぞれの選択を導き、操り、時には騙すことで望む未来を引き寄せる事に、細心の注意を払う。――そう、些細なきっかけで最善の未来は最悪の未来に変わるのだから。
その奇跡に頼ってたどり着いた、その場所で。
迷宮区中層域下層、前人未到のその果てで。
50以上の肉塊が四散する、鉄の臭いしかしない無造作な土坑墓で。
対峙する異形の頭のひとつが、隼人の眼前へと伸びる、その刹那。
少し背の伸びた、自分と同じ赤銅色の後ろ髪と。
その周囲を取り巻く、お世辞にも多いとは言えない、それでも力強く輝く4つの色彩を。
――混線するように、その羨ましいくらいの眩い未来を幻視した。
スローモーションの世界の中、一樹は迷いなく隼人へと足を踏みしだく。
あの未来を掴むための、道筋は全て視た。
音が、世界が一樹に追いついてくる。
先ずはこれだと、異形に肉ごと骨を砕かれる音を他人事のように聞きながら、一樹は背後の体温を確かめる。
世界の、弟の未来を繋ぐためなら腕の1本や2本、安いものだ。
視てしまった、己のあと5年の人生で、兄として遺してやれるのは、このくらい。
モノトーンの世界の小さな君へ。
――カラフルな未来を、大きくなった君へ贈ろう。