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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.5 妖精と聖女と灰色狼
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1-2.噂と来訪者

「――ねぇ知ってる?最近、記憶喪失になる人が多いらしいよ」

「記憶喪失?度忘れとかじゃないの?」

「それがね、人によってはまちまちなんだけど、生まれてからの一切の記憶が無い人もいるんだって」

きゃーこわーい!と。朝から元気に叫びを上げる女生徒を横目に、ヴァイスは間逆を歩く人影に振り返って。

「だってハヤト」

「だってとは」

「興味ない?」

「一切合財。金輪際。かけらも興味ないが」

何でそんなこと聞くんだ?と、わずかに見下ろす深紅の双眸はそろってそう訴えかけてくる。赤銅色の髪を無造作に伸ばした、自分と同じ年で同じ学年の、宿舎の同居人で自分の主人(マスター)

列挙して改めて彼の肩書きの多さにヴァイスはわずかに柳眉を寄せるが、しかし普段からあまり感情の起伏が激しくない表情はハヤトは気づかなかったらしい。しかしヴァイスの言葉をどう受け取ったのか、彼にしては珍しくきょとん、とした表情で首をかしげて。

「お前は興味あるのか?」

「何に」

「いやだから、そういう噂話。お前は興味ないとばかり思ってたけど」

ハヤトの言葉通り、ヴァイスはそういった俗物めいたものはあまり興味がなく、なんだったら迷宮区のこととか目の前の主人のこととか。それ以外にはめっきり興味は無い。

しかし。

「記憶喪失って単語が気になった」

ヴァイスには、自分を形成する『記憶』が無い。記憶がある最も古い記憶は、迷宮区の地面の色と目の前にしゃがみこんだ紅の色彩だけ。

――それ以外に、ヴァイスにとって『記憶』や『過去』と言っていいものは無い。

だからなのだろうか。彼女たちの口にする単語の中の、そのひとフレーズが妙に耳に残った。

ハヤトもそのことは知っていて、だからこそ苦虫を噛み潰したような苦い表情になる。彼がそんな表情をする必要なんて無いのにと、ヴァイスは横目にそう思う。

「ただの噂だ。別に気にしない」

「・・・・・・」

気配りに気づいたのか、しかしハヤトはヴァイスの言葉には返事をすることなく向かう方向を変える。その先は先ほど噂について談笑していた生徒たちだ。

「すまん、その話少し詳しくいいか?」

「え、クサナギ様っ!?」

「様って・・・・・・」

敬称に辟易とするハヤトを目の前に、少女たちは黄色い歓声を上げる。『聖戦』を生き延び入学式を経てハヤトは『落ちこぼれ』という肩書きよりも『英雄』と認知されるようになった。加えて先日の『夜会』でのお披露目で、それは生徒たちにさらに浸透するようになった。

多くの注目の中での、婚約者だという少女とのワルツ。

その婚約者はハヤトの嘘っぱちででたらめで、さらに言えばその正体は女装したヴァイスなのだが、その真実を知っているのはごくごくわずかな人間だけだ。もちろん目の前の少女たちは知らない。

なので彼女たちの今目の前にいるのは、英雄で監督生で麗しい婚約者のいる雲のうえの人間、という認識なのである。

その分不相応な敬称にハヤトは憮然として、しかし本当のことを言うのも説明するのも億劫で本人としても隠しておきたい事柄なので、小さく嘆息してから改めて切り替えす。

「それで、記憶喪失とかって聞こえたけど」

「あぁ、その話ですね。えっと、」

「確か今月に入ってからですかね。私も又聞きした話なので細かいところはわからないのですが、」

と、噂話を一番に始めた少女の言い分をまとめると。

今月に入ってから、記憶喪失だといい始める生徒が急増している。

その症状は人それぞれで、昨日のことがすっかり抜け落ちているものから、今までの人生の半分や場合によってはすべてを思い出せないものまで多種多様。

全部の記憶というわけではなく、ある一定の事柄に関するものが欠落していることが多く、日常生活を送る分にはさほど影響が無く、症状に気づいていないものもいる。

いわく、いわく、いわく。

その長々と、場合によっては興奮気味に説明される都市伝説のような話にも、ハヤトは生来の探究心からか興味深いとばかりにうんうんと真摯に聞いて。

「と、ここまでが私が知っていることでしょうか」

「あぁありがとう。って結構詳しいのな」

「私こういう話好きなんですよ~」

「へぇ、じゃあ新しい情報とか入ったら教えてくれ」

情報源ゲットとばかりに微笑むハヤトの真意には気づかず、少女はもちろんですと二つ返事で了承し、二人とはその場で別れて。

「興味ないんじゃなかったの」

少女と話している間ずっと口を閉ざして背景に徹していたヴァイスはようやく口を開いて問う。しかも、見ず知らずの相手に尋ねるなんて。

問いかけにハヤトは赤銅色の髪を混ぜながら。

「お前が言うからだろ」

「何を」

「気になるんだったら素直に言えばいいのに。俺だってお前の手助けくらいしたいんだぞ」

む、と口を尖らせながら、わずかに高低差のある瑠璃を深紅で見上げて。

「まぁ、お前とは関係なさそうだったけど、これはこれで面倒ごとになりそうだな」

「確かにそうだね」

日常生活を送る分に不都合は無いとは言え、すでに複数人の生徒が同じ症状を発症しているのだ。確かに異常といえば異常だ。

「アルベルトに言う?」

「そうだな、放課後にでも行くか」

あ~面倒だ~とぼやいて、ハヤトはあぁとなにか思いついたように目をわずかに見開いて。

「まぁただの怪現象だったらそれはそれで面白そうだけどな。ほら、学校に良くある七不思議的な」

「七不思議?」

え、と一瞬驚いて。そかとハヤトは自己完結して手を軽くたたく。ここは日本じゃないからメジャーじゃないのかなと前置きをして。

「日本の学校には怖い話がななつあって。学校ごとにちょっと違ったりするけど・・・・・・」

そうして他愛も無い会話をしながら、ヴァイスはハヤトとともにここ半年で通いなれた通学路を歩きながらふと思考する。


記憶喪失と、『元々』記憶してるものが無いことの違い。

自分は一体どちらなのだろうか、と――。


*****


「やーや諸君おはよ~ぅ!今日も元気な君たちが見れてぼくは幸せだよ!」

とやたら高いテンションと声とともに入室を果たすのは、先日の入学式とともに新しく入場した新任講師、フローズ・フェロウズだ。どこか幻想的な錫色の髪は隼人よりも短いベリーショートにカットされ、適度に癖のあるそれはまるで本人を体現するかのようにくるくると楽しげに渦巻いている。

その下の、ペリドットの双眸を煌かせながら。

「と言っても、ブルームフィールドは今日も今日とて不在だけどね」

わずかにも落ちることの無い声音であけすけにそういう彼女の言葉を聴きながら、いつもの定位置に陣取っていた隼人はふ、と視線を斜め下に向ける。

いつもならそこにあるはずの、、マリンブルーの影はない。


オリバー・ブルームフィールドが学校に来なくなって、早半月が過ぎた。


暦の上では10月も中旬で、あれほど猛威を振るっていた日差しもさすがにその勢いに鳴りを潜め始める。むしろ隼人の母国である日本よりも肌寒いほどにまで気温は下がり、夏のうだるような暑さはうそだったのではないかと思うほど。

聖グリエルモ学院の広大な敷地に植えられた広葉樹の木々もその寒暖差のおかげで鮮やかに色づき、学生たちはもちろん、周囲の住民たちの目も潤す。

そんな中、一人の生徒の休学は一時は話題になった。

新学期が始まって間もないということもあったが、相手はかの有名なフランス貴族の血族だ。無論大貴族のアンダーソン家までとは言わないが、貴族間一般的にも有名な貴族の子息の休学に、当初はそれなりに波紋を呼んだ。

しかし人間はなれるもので、半月ともなればさすがに話題になることも少なくなった。

まるで最初から、オリバー・ブルームフィールドなんていう人間はいなかったかのように、彼の席の空虚さだけがむなしく残るだけ。

休学の理由は一切話されていないが、だからこそ隼人は気がかりで、無意識に深紅の瞳を眇める。

別に彼との間柄は穏やかなものではなかった。最初から最後まで嫌味を言えば倍になって返ってくるし、こっちを庶民だといって見下すし。まぁブルームフィールド家と比べれば大体の家は庶民だろうが。

しかし、いけ好かないやつだとは思っていても、それが彼を嫌う理由には隼人にはならない。

胸を張って友人だと、戦友だというつもりは無いが。――それ以外の何かとして。

それに、休学前の彼の様子も少しおかしくて、それを聞く前に姿を消した彼にはうまく逃げられた感じしかしなくて、さらに不満に思う。

ちなみに、彼の従者である『特戦』所属のリュカオン・ルーは変わらず登校してきていて、だから彼に様子を尋ねたこともあるのだが。

『あぁ。ちょっと家の方針だよ』

とはぐらかされてしまって、それ以上は何も出てこないし話すつもりも無いだろうと隼人は引き下がった。

まぁ特別なにか用事があるわけでもないので、部屋にまで押しかけることは無いだろうと今まで黙っているのだが。

そんな隼人の思考も、軽く手を合わせられる音によってさえぎられる。音の震源地はもちろんフローズだ。

「さて、それはまたおいておいてだね。今日はなんと編入生の登場だよっ」

わ~い拍手~!と一人盛り上がるフローズに追随するものは、隼人の所属する近接歩兵科にはあまりおらず、拍手もまばらだ。こんな時ヴァイスや隼人の古い友人でもある九重蓮が所属する中遠距離戦闘科の面々であれば喜んで盛り上がったのだろうが、あいにくと歩兵科はそんなノリでは元々無い。

しかしそんな歩兵科生徒の態度にもフローズは気分を害す様子も無く。

「おやおやそんな様子でいいのかなぁ?編入生は女の子だといってもその調子かな男子諸君?」

別に何も思わないが。

と思ったのは隼人だけで、その言葉にまんまと乗せられた複数人の男子生徒はおぉ!と小さく沸く。現金なやつらめ。

その様子に満足したのか、フローズはうんうんと頷いて。

「よしよし、じゃあ入ってもらおうかな~おいでおいで~~」

軽い調子の手招きで扉が重厚な音を立てて外から開かれる。その先の朝の陽光を背に入室する、女性のシルエット。

少女は臆した様子もなく堂々とフローズの立つ教卓の前まで歩いて止まる。

振り返る動作を追うようにしてふわり、と舞う黒檀の長髪。


「――初めましてっ。アタシはシエナ・グローグ。どうぞよろしく」


どこか子供のような幼さを残す灰色の双眸を輝かせて少女――シエナは溌剌とした声音で、注目の中物怖じすることなく名乗る。

「本当は入学式と同時に編入する予定だったらしいが、彼女の事情で遅れてしまってね。みんな仲良くしてあげてね」

フローズの自己紹介の付け足しに講義室内の生徒たちは各々に声をかける。よろしく~だの大歓迎~だのという声が上がる中、一人深紅の瞳を眇めて。

このタイミング。――なんかいやだな。


「あれ?君、どこかで会ったかしら」


「っうわ!?」

熟考に浸っていたから、いきなり目の前に現れた少女の相貌に、隼人は思わず距離を置く。しかし、その驚愕は強ち間違いではなかった。

隼人が座っていた場所は階段状に整列する机の中の、その一番上に位置する机だ。講義室内で最も室内を俯瞰できる場所であり、いってしまえば一番教卓から遠い席。ホワイトボードなど書いたものなどほとんど見えないほどで、基本的には聖石による映像出力で見ている。

その一番遠い席に、最下層の教卓から一瞬にして距離をつめてきたのだ。――人間業とは思えない。

あまりの狼狽にがたんっ!と決して小さくない音が立ってしまい、自然生徒たちの視線は隼人と少女に集中する。

その人間離れした彼女の所業に目を剥いて。しかし努めて冷静ぶって彼女の質問の真意を探る。

「あんたとは初対面だと思うけど?」

「ふ~ん、おかしいわねぇ。どこかで会ったと思うのだけれど。だって既視感あるもの」

「じゃあ似たような誰かに会ったんじゃないのか」

少なくとも、隼人には彼女に会った記憶は無い。黒より深い黒檀の髪に灰色の瞳の、見目麗しい女性。こんな見たもの全員振り向くであろう美貌の女性であれば、女に関心の無い隼人もさすがに忘れない。

だから彼女とは初対面で、その既視感の正体は自分ではない。その事実をシエナに伝える。

「ふ~ん。ま、君の言うとおりかも。あの方が生きているなんて思えないし。人間の寿命は短いし」

「さっきから変なこと言うな、あんた」

まるで自分が人間じゃないみたいな。

無意識に言ってしまってしまった、と隼人は苦虫を噛み潰した表情になる。さすがに無遠慮すぎた物言いだ。

しかし、シエナ本人はさほど気にしていないようで。

「アタシにとっては普通よ。だって人間じゃないもの」

「は?」

あっけらかんと口にされた言葉に、流石にフリーズする。今なんて言ったこの女。

そのフリーズしたハヤトをみてどう思ったのか、シエナはん?と首をかしげた後にぽん、と手を打ち鳴らす。

「そうか、自己紹介が不十分だったかしら」

シエナは行儀悪く学習机の上で立ち上がると、深紅の双眸をどこまでも無邪気な灰色のそれで見下ろして。

直後、どこからとも無く風が吹き上がる。


「アタシ、妖精なの」


まるで細糸が絹を織るように、舞い上がる風はシエナの背中に形を形成する。

半透明の、神経が葉脈のように走る昆虫が持つ翅。

誰もがその姿に、彼女の言葉に呆然とする中、ただ一人少女の妖精だけはどこまでも楽しげに笑う。飛び切りのいたずらが成功したような、無邪気な笑顔。


「まだアタシ、こっちの世界には不慣れなの、だからよろしくね。――人間?」


向けられた本人にしかわからない、底の知れない妖艶に、ハヤトは油断無く鋭く瞳を細めながら、同時に思う。

まさか向こうからやって来ようとは。

そして。――これはまた厄介事の予感だな、と。

新学期が始まってまだ一月半しかたっていない己の学院生活の波乱の予感を強く感じて、内心で驚愕を悟られないように盛大にため息をつく。

視界の端、階段状に整列した学習机の最下層。その教卓の前で。

普段は無邪気でどこまでも陽気な笑顔しか浮かべないフローズが、ペリドットの双眸を獰猛に細めていることに、気づかないほどに。

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