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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.4 英雄の婚約者
74/132

3-3.英雄の婚約者

慌ただしくも平和に、穏やかにあっという間に時は過ぎ。

――ついにその時はやってきた。


夜。夏が過ぎ去ってもなお暑さを残す秋の、地球の自転で夏の時には見えなかった星々が夜空を染め上げる、まだ帳が下りきっていない黄昏時。

その日は週末を控えた日曜日で、通常であれば連日の学業で疲れ、趣味や娯楽を控えていた学生たちは嬉々として宿舎へ帰る時間だが、しかし今日ばかりは違う。

入学式の時に全学年が集まった、数日越しの大聖堂は今、その時よりも華やかを増して生徒たちを歓迎する。

天井高くに備え付けられたシャンデリアは入学式の時の静謐と厳かさをしまい込み、周囲を盛り立てる一役を買うようにきらびやかな淡い色を放ち、その光に照らされるステンドグラスもまた先日とは違った顔を出す。

そのステンドグラスの前にあったはずの豪奢な作りのデスクも、当時全生徒が腰かけ耳を澄ませていた椅子も今はすべて払われ、その分感覚的に広さが増したような錯覚に陥る。

デスクや椅子に隠れて見えなかった二階へ続く螺旋階段や、身長の二倍以上は優にある窓枠は広く開け放たれ、そこから時折入り込む外の空気の生暖かさ。

大聖堂の脇には邪魔にならない、しかし一番目に入るそこには世界が誇る音楽団の、この場の空気を盛り立て操る精緻で美麗な音楽の音色。

全生徒強制参加のイベントではないはずだが、しかしその場所には多くの生徒が集まり、各々会話や出された料理を堪能している。

そんな喧騒の中、ふと流れ続けていた音楽が鳴りやむ。

それが合図だとばかりに、螺旋階段の上の半2階の踊り場には、5人の少年少女が一定の感覚で並ぶ。

自然、すべての注目がその一点に集中し、それをかみしめるように瞬く黒のフレーム越しの鉄色の双眸。

『今宵は聖グリエルモ学院初の催しである『夜会』に参加して頂いたこと、恐縮の極みだ。予想以上に多くの参加者に恵まれ、主催としてうれしく思う』

人の前に立つことが当たり前というような、堂々たる発言に、しかし生徒たちは全く気にせず耳を傾ける。

音声拡張機能を持った白の聖石を右手に持ち、『戦立』監督生ムラト・ヤノフスキ―は睥睨し。

『この『夜会』は新入生の歓迎と我々『監督生』の紹介も兼ねた盛大な宴になるだろう。日頃の鬱憤やしがらみは忘れ、存分に楽しんでくれたまえ』

それはお前に一番お似合いな言葉だろうな、とムラトの隣の蓮越しの一番端の立ち位置から隼人はぼやくが、流石にTPOはわきまえているので言わない。

ムラトが手にしたグラスを掲げるのを横目に、隼人含む監督生全員が追随し、それに習うように全生徒も手を掲げる。


『それではこれより、『夜会』の開催を宣言する。――乾杯』


*****


「壁の花を決め込むな。主役だろう」

オリバー自身貴族の身分であるし一応はその家業を継ぐものなので、社交界の場には何度か出席した事はあるしそれ相応の衣装は一式持参している。そのうちの一着の、今回は自分は主役ではないので黒のスーツに身を包む。

学生生活を送る際は後頭部の中ほどで一つに結んでいる長髪も、今は下で束ねて右から流し、時折外から流れる風で靡くマリンブルー。

言って近づきながらどうせそうだろうと思っていたから、見回した先のステンドグラスに一番近い支柱に背を預けて立っている落ちこぼれを見つけるのは容易だった。

一見して不釣り合いなほどの高価な、一応は主役で皆の前に立つからとタキシードにハヤトは身を包んでいる。絶対に自分では持っていなかっただろうから、おそらくは理事長あたりに送られたのであろう、金の飾りが目立つ漆黒の。

普段は手入れの一切されていない赤銅色の髪も今はオールバックに整えられて、少量の前髪が相貌を流れる。

その下の深紅の双眸は。

「やだよ、面倒くさい」

誰が見ても明らかなほどに、言葉通りに面倒くさいと訴えかけている。

夜会や舞踏会などといった社交界の場は、遠い島国では現代はなじみがないようで、さらに彼のような人種には無縁の場だからまぁ仕方ないのかもしれないけど。と、隣のサイプレスと自分のベルガモットの溶け合った香が鼻腔をくすぐる感覚を感じながらオリバーは一人思う。

本来であれば隼人の実家は日本という国の宝である『十束剣』の継承者の直系で、そういった場や付き合いは多いはずなのだが、幼かったハヤトはそんなことは知らないし話していないのでオリバーも知らない。

しかし、ちゃんとした格好をすれば、そこそこに見えるのだな、とこれまた一人で思いながら。

「今日は監督生の披露宴も兼ねているのでは?」

「挨拶なんて貴族にやらせとけ」

「いつになくつっけんどんだな」

お前が言うか、と深紅の瞳に書いてあったので、わずかに見下ろして紫のそれで甘んじて受け止める。彼に『監督生』なんて役どころを押し付けたのはぶっちゃけて言ってしまえば自分自身なので、これくらいは仕方がないなと。

元々、近接歩兵科の『監督生』に推薦されたのは自分だった。

予定よりも長くなってしまった夏季休暇の、最終日を間近に控えたとある日にアルベルトに呼び出され、その時に推薦されてその場で断った。

自分よりもその役にふさわしい相手がいるだろうと、やんわりと彼の存在を示唆して。

アルベルトが意外そうにその翡翠の双眸を瞠ったがそれも一瞬で、何かを悟ったかのように伏せてオリバーの提案を受諾した。

痛ましいような、それでいて自分自身を責めるような、そんな表情もオリバーは努めてスルーして。

なので彼の態度ももっともで、それを自分は受け取る義務があるのだけれど。

「まぁいいじゃないか。こんな舞台も食事も二度とないかもしれないぞ」

「俺は庶民派はもので」

「馬子にも衣裳とはこのことだな」

「なんだお前喧嘩売りに来たのか?買うぞこの野郎」

かじりつきそうなハヤトに、オリバーは肩を軽く竦めるにとどめる。今この場で喧嘩はふさわしくないだろうから。

そんなことよりも。

「結局婚約者とやらは来ないのか?」

「やっぱり喧嘩売りに来たんだな」

がるる、と。彼の義弟(フラーテル)あたりがやりそうな唸り声を隣で上げて。

「いないもんはいないんだから、来るわけないだろ」

まぁそうだろうな、と口に出さずに同意する。彼となんやかんや付き合って半年たったが、婚約者どころか女っ気の一つもないのだ、この少年は。

正直その年齢でそこまで女っ気がないとさすがに心配になるのだが、しかしそれこそ余計な世話だろうとオリバーは視線を不自然でないように入口に向けて。


――大聖堂内が一段とどよめいたのは、ほとんど同時。


「なんだ?」

なにか知らない催しでも始まったのかと怪訝そうにどよめきの中心、つまりはオリバーと同じ入口にハヤトが視線を向ける。

その視線を横目に感じながら、オリバーは壮絶に笑う。――はめてやったぞと、とびきりのイタズラが成功した子供のように。


「――さぁ。お待ちかねの婚約者の登場だぞ、英雄」

その時のハヤトの顔は、生涯きっと忘れないだろう。


*****


「……それ本気?」

レンとオリバーと、ついでにリュカオンと4人で集まった中庭で、提案(という名の戯言)の詳細を聞き終わったヴァイスは開口一番それだけ呟く。

その声は自分でもわかるほどに軋んでいて、さらに分かりやすくいえば「マジで言っているのか」というニュアンス。

しかしレンは。

「本気というか、まぁできないことは無いよねって話」

「まぁそうだわな、パッと見そのままでも十分女に見えるし」

ねぇ、と促したレンに隣のリュカオンが答える軽い声。

つまりは。――ヴァイスが女装をしてハヤトの婚約者に成り済ます、という無理難題を首を振って肯定して、ヴァイスはさらに眉を寄せる。

「僕は一応男だけど」

「いや知ってるから。そうじゃなくて化粧とかウィッグとかすれば、絶対行けるくらい美人さんなんだよって話」

「まぁそのままでも充分行けると思うけどな」

そうなのかな、とレンとリュカオンの言葉を頭の中で反復してヴァイスは小首を傾げる。

入学式からこっち、今まで隠されてきた秘密兵器が実は目を疑うほどの美人で美形で、まるで人形ドールがそのまま動きだしたかのような造形美で女生徒もちろん、男子生徒からも囁かれて仕舞いには『ファンクラブ』なるものまで出来ていることを、自分の外見に無頓着なヴァイスは知らない。

ので、周囲のそんな評価も実感がないのだが、それよりも。

「ひとり違う人がいるけど」

と、先程から一言も発せずに、しかし肩が揺れているから話を聞いていない訳では無いはずの、ついでに言うと食堂からここまでもずっと一人で愉しげに笑っているマリンブルーの長髪の男子生徒を指さして。

「私のことか?」

「他に誰がいるだろう」

「私ももちろん賛成だぞ?いや妙案だなココノエ」

絶対それだけではない、愉悦の笑みをそのまま浮かべて肯定する。

これでこの場の全員がレンの提案を承認したことになる。しかし、女装をすることよりも別のことの方が気がかりで、ヴァイスは瑠璃の双眸を伏せる。

「でもこれがハヤトのためになるとは、」

「ハヤトに恩返しがしたいって言ってたじゃない」

レンの言葉では、と目を見開いて。あげた先で交錯する瑠璃と琥珀色の黄金。

「別にこれが恩返しになるとは思わない。でもさ、一生分の恩返しって、一度に返さなくてもいいと思うんだ」

そう言って、レンは交わった視線を外して蒼穹を見上げる。真夏の時のそれとは少し淡くなった青。

まるで自分に言い聞かせるような言葉は続く。

「むしろ一度に返すことなんか無理だと思う。だから些細な事を、その時手助けできるほんの少しだけ手を差し伸べることが出来れば、十分だと俺は思うよ」

そのレンの姿を見てどう思ったのか、オリバーは僅かに紫の双眸を伏せる。自分自身にも覚えがあるように、噛み締めるように。

そのどこか吹っ切れたようなレンの表情を見て。

「――分かった」

レンの笑顔に引きずられるように、ヴァイスは首を縦に振った。


-----


レンに先導される形で入場した大聖堂は、誰が口火を切ったか分からないどよめきが響く。

それはささやかなものではあるが、一様に感嘆や賛辞といった、見惚れたような声で、ヴァイスが歩を進める度に波が引いたように後ずさる。

――1度も着た事がない、彼の魂の色彩と同じ深紅の女物のドレス。

男なんだから着たことがないのは当たり前だ。貸してくれたのはオリバーで、なんで彼が持っていたのかは姉二人を持つと知らないヴァイスは検討もつかないが、それでも借り物だからと裾を踏まないように注意しながら歩く。

男の中では長めの雪白の髪は、今はウィッグをかぶっているから尚のこと長い。普段のオリバーのように編み込んで後頭部に一つにまとめて、歩くたびに右耳のピアスと同じように揺れて靡く。

「ん~っと、隼人はどこかな~」

「……変じゃないか、これ」

「さっきから同じことを言っているけど、問題ないからそんなに心配しない。むしろ堂々としてないと、偽物だってバレちゃうよ」

変ではないけど浮いてはいるけど、という言葉は口の中で言うにとどめておく。それに加えてヴァイスがこんなに周囲の視線を気にするなんて、普段の彼からは想像もつかないなと女装していることを思いきり棚に上げてレンは思うが、言ってはいないのでヴァイスには届かない。

「と、いたいた。主役の登場だよ、婚約者様」

聞いて、ヴァイスは相貌を上げる、変にならない程度に施された、化粧。

視線の先ではレンは手を挙げて名前を呼んでいて、その向こうから近づいてくる影が二人分。

マリンブルーの生徒に押されるように、無理やり連れてこられる赤銅色の髪。

「お待たせ~」

「いや、ナイスタイミングじゃないか?そろそろ『夜会』も終曲だ」

オリバーの言葉通り『夜会』もそろそろ大詰めのようで、わきの楽団もより一層真剣さを帯びる。

次の曲までの、わずかな間。

ヴァイスはレンに押されて、ハヤトはオリバーに押されて舞台に躍り出る。

目の前のハヤトはいまだに現状が理解しきれていないのか、呆然と見開かれたまま凍り付く深紅の瞳。

それを、努めて瑠璃の瞳で見返して。白皙の手を伸ばす。


「……一曲だけ。付き合ってくれないかな。ハヤト」


*****


そして。最後の曲が始まる。


*****


「あ。ようやく踊りだしたね、二人」

「女性から手を出させるなんて、つくづく落ちこぼれらしい」

大聖堂の中心。舞台の真ん中でまるで二人しかいない世界の中心で、たった二人で踊るように舞う赤銅色と雪白の少年を見て、場所を離れた一角で蓮とオリバーはその様子を眺める。

「言葉と顔があってないよ?」

「これは失礼」

といいながら、オリバーの表情は変わらずどこか影のある微笑。愉悦愉悦と肩を揺らしてくつくつと笑っている。

本当に、心底隼人のことは毛嫌いしているというか。自分が来るまでにどんなことがあったのか疑問に思う。今度時間があるときにでもそれとなく尋ねようと蓮は考えて。

「これで、少しはヴァイスの気が晴れるといいんだけどね」

「クサナギは?」

「隼人は今回は自業自得でしょ。俺は知ーらない」

「とんだ馴染みもいたものだな」

蓮のあっけらかんとした物言いに、先ほどまでの微笑を引っ込めたオリバーは真逆にあきれに肩をすくめる。

まぁでも、と。オリバーは深い紫の双眸を中央に向ける。

その先の。――はるか遠くの過去に想いを馳せるように。


「子供たちがあのように楽し気に過ごせるなんて。いい時代になったものね」


「……え?」

口調に、雰囲気に。彼のすべてに違和感を覚えて、蓮は反射的に聞き返す。

しかしオリバーは気づいていないようで、視線は隼人とヴァイスに縫い留められたまま。

――その慈愛に満ちた紫をみて、蓮は戦慄する。

何処がどうとは言えない。でも今彼を振り向かせないと、取り返しのつかないかのような得体の知れない恐怖を垣間見て。

「――オリバー!」

「――っ!」

周囲は楽団の奏でる音楽と中心に夢中で、だからこそ蓮の叫びは隣のオリバーにしか届かない。強い口調とともに肩を激しく揺さぶって、ようやく交わる紫と琥珀の視線。

振り向いたその双眸は、蓮が何故そんな必死の形相をしているのか心底わからないといった驚愕に揺れる。

「なんだ」

「大丈夫?なんか様子がおかしかったから」

「?」

やっぱりわからないといったように首をかしげるオリバーに、たまらず。

「いや、今オリバーの口調おかしかったし。なんか別人みたいな……」

どう表現したらいいのかわからず、口にした言葉は酷く曖昧で。どう伝えたらいいのかと蓮は頭を悩ませて、直後に息をのむ。

目の前の友人が。自分の記憶の中では見たことの無かった、恐怖に凍り付いていたから。

「……どうしたの、」

「いや、会場の空気に酔ってしまったようだ。少し外に出てくる」

「っオリバー、」

その表情も一瞬で、蓮の言葉を遮るようにオリバーは遮って足早にその場を後にする。

呼び止める声にも振り返ることもなく。秘め事が露見してしまった子供のように、逃げるようにマリンブルーの背中は喧騒に消える。

行き場を失った手を、逆の手でつかんで下ろして。

「……隠せると思ってるのかよ」

珍しく口調を荒くして、蓮は胸のあたりをつかむ。

聖グリエルモ学院に通うようになって、自分と同じように『異能力』を持つ同世代も身近に多く見かけるようになった。自身の異能力をいまだに制御しきれていない蓮は、積極的にそういった生徒に話を聞いて、最近は目印がなくてもある程度の制御ができるようになっている。

その異能力に黄金に琥珀色を光らせて。幻の痛覚を感じながら。

「友人が悩んでいるなら助けたいって。それは君も同じなんだよ。オリバー」

その呟きも、周囲の熱気と楽団の優雅な音楽にかき消えて、誰に届くこともなく溶けて消える。


*****


逃げるように大聖堂を後にするマリンブルーの影を横目にとらえて、レグルスは手に持っていたグラスを手近のウェイトレスの持つお盆にのせる。

――どうしてそのあとを追おうとしているのか、レグルス自身にはわからずに一歩を踏み出そうとして。

「――お待ちください、レグルス様」

しん、と。年齢にそぐわない冷徹に冷えた彼女らしからぬ声に、レグルスはたまらず振り返る。

「ジャネット。もう踊ってあげたでしょ」

「お義兄様のところへは行かせられません」

確固たる覚悟をその言葉に感じて、レグルスは体ごと振り返る。先ほどまで隣でやれこの料理はお勧めだの、次の曲はスローペースの曲だから踊りましょうとか楽し気に輝かせていた影はどこにもない、ロベリアの双眸。

「どういう意味?」

言葉通りに真意をつかみかねて聞き返すレグルスの問いには答えずに、依然として冷淡で、しかしどこか悲し気に伏せられた瞳を白銀のそれは確かに見て。

「お義兄様のことはどうか。――そっとしておいてあげてくださいませ」

その言葉はまるで、以前の自分がアデルをあきらめたような。悄然と達観がないまぜの少女の声もレグルス以外には届かない。


*****


「……お前って、そんなにバカだったっけ」

「……」

目の前で一緒に回るハヤトのド直球の言葉に、今回ばかりは否定できずにヴァイスはたまらず視線を逸らす。正直自分自身そう思っているからもうどうしようもない。

穴があったら入りたい。そして埋めてほしい。

しかしこうなることを望んだのも、最終的には自分なのだからと己自身を叱咤して。

「多分俺のことを考えてくれてのことだろうけど、本当今回ばかりは自業自得なんだから。お前がこんな見世物みたいなマネする事なかったんだぞ」

「……」

「俺が見世物になることなんていつものことなんだし。どうせあの貴族とか蓮とかにたきつけられたんだろ」

まったく、といったように心底しょうもないなと言いたげに眇められる深紅の双眸に、そのウィスパーボイスに、しかし段々と腹が立ってくる。

彼の為にやったことは確かで、それは確かに自分自身の勝手。ハヤトに迷惑がかかることももちろん考えたし、それで気分を害してしまうかもしれないということまで。

それでも。

「……違う、」

「何が」

ためらって。先を促されて覚悟を決めて。

「君の為に何かできないかって思ったのは、僕の意思だ。レンもオリバーも、その手段を考えてくれただけでそそのかされたわけじゃない」

だから。


「君を助けたい。この僕の気持ちを否定することは、ハヤトだって許さない」


僕の気持ちを。ほかの誰でもない、君に否定されたくない。

それは『軍神』と呼ばれる彼にだって測れない、個人の感情なのだから。

自然交わった視線の先で、深紅の双眸は見開いて固まって。しかしヴァイスは努めてそらさずに見つめて。

ここで逃げたら、自分自身が次に視線を合わせられなさそうで、だからそらさずに真っ直ぐに深紅に映る自分自身を射止めて。

雪白の長髪に、深紅のドレスに、女性ものの化粧に香水。

香水なんて今まで使ったことなんてなかったから、これも借り物だ。今まで意味を見出せなかった、社交向けの自分には縁のない薫り。ハヤトもそれはおんなじで、私室にそんなものを見たことは一度もない。

そのはずなのに。今は借りたローズの香りとハヤトのサイプレスが交わって、いたたまれない。

――普段のハヤトと同じはずなのに。

かっちりとしやタキシードにオールバックに固められた赤銅色の髪に。サイプレスの香水の香り。たったそれだけで、普段とは全く違う人に見える彼。

戦時にはその細腕は直ぐに折れそうで、体も貧弱だけど。――あらためて見ると、ちゃんと男子の身体。

……女の恰好をしているせいで、うまく感情がコントロールできていない自信しかない。

と、目を回しそうなほどに頭の中で繰り広げる自問自答を知らないハヤトは。

「……く、」

「く?」

いつか聞いたような声に、ヴァイスは胡乱げに瑠璃の瞳を眇める。次いでからからと笑うウィスパーボイス。

「いや、もういいか。いまさら言ってもしょうがないしなっ」

はははと高らかに笑う声もバックの音楽に書き消えて、周囲の雑踏には届かない。ただ一人その声を聴いているヴァイスは、ハヤトの屈託のない笑みに瞬く。

「というか違和感なさ過ぎて笑えねーよっ。お前本当に女顔だなっ」

「な、それは僕が幼いって言いたいのか」

確かに自分の顔は男性のいかつさに欠けている自覚はあるが、と顔をしかめるヴァイスを見て、さらにおかしいのかハヤトは笑って。

「違うよ、綺麗だって言ってんの」

いうつもりなかったのに、と。ハヤトは恥ずかし気にはにかんで。

「初めて見た時からずっと思ってたけど。お前はそろそろ自覚を持ってほしい」

「なんの」

「美人にすごまれると怖いんだぞ」

さっぱりわからない、と首をかしげるヴァイスに、しかしハヤトは笑う。わからなくていいとでも言いたげに、覚えたてであろうステップを踏んで。

「せっかくの機会だし。このまま何も考えずに踊ってやろうぜ」

年相応の、強気な笑み。

かつての恩人を思い起こすようで、しかし彼だけの笑顔。ずっと見たい、見ていたいと思える笑みを見て。


――この笑顔を、ずっと隣で見ていたい。

「そうだな――」


そろそろ終わりの見えた、楽団の音楽を遠くに。

伝播したように、困ったようにはにかんだ。


*****


駆け足で大聖堂を後にする主を見止めて、リュカオンも足早に後を追う。

何処まで行くのかと急いでついて行って、しかしオリバーはさほど遠くまで行くことなく足を止める。学院内でもいちにを争うほどの広大な、庭園。

そこには秋を彩る一面の薔薇の庭で、その中で頽れるようにオリバーは膝をつく。

「……オリバー、」

「リュカ、私は、」

リュカオンの背後からの呼びかけに、主は動じない。主が在る場所が従者であるリュカオンの在るべき場所で、オリバーはそのことを疑問に思わない。

しかし、今の彼は余裕がなくて、それどころではないと揺れる紫の双眸。


「――私は、まだ私か?」


なぞかけのような、彼にしては要領を得ない問い。彼が彼であることは、自分でわかるはずなのに。

しかし、リュカオンは微動だにせずに。迷子の子供に自分の帰る場所を教えるように。

「……大丈夫だ。あんたは間違いなく、オリバー・ロングヴィル・ブルームフィールドだ」

リュカオンの言葉を聞いて、刻むように心臓のあたりをつかんで。荒い呼吸のせいで揺れていた肩も、次第に落ち着いて深呼吸をして。

「……もう、潮時だな」

「卒業までは持たせるはずじゃ?」

「もう無理だ。さっきも意識が飛んだ。……ココノエにも見られた」

レン・ココノエは『感覚共有』の異能力者だ。『痛覚』に特化した彼の異能なら、オリバーの痛みに気づいてしまったかもしれない。

オリバー以外には決してわからない。リュカオンですら共有することができない、幻の痛み。

最近は静謐に沈むことの多かった紫の双眸は今は大きく揺れて、手のひらの下で翳る。――その奥の、覚悟を決めた、あきらめた色。

それを見止めてしまって、リュカオンも覚悟を決める。

――ついに、この時が来てしまった。

来てほしくはなかった。それは嘘だと、そんなことはないと思いたくて、しかしロングヴィルに伝わる膨大な資料がそれを現実だと突き付けてきて。

悲壮に揺れる常盤色の双眸を、主に見られないように固く伏せて。頽れるオリバーの前に跪く。

「……すまなかったな、リュカオン」

「何に対する謝罪ですか、それは」

知らず強くなってしまった口調には隠し切れない怒りがにじんでしまって、だからこそオリバーはそれ以上は何も言わずに口をつぐむ。

――あんたに、謝られる筋合いはない。


「短い間ではありましたが、貴方の従者となれたことを、生涯の誇りとして胸に刻みます。良い旅を。――my,lord」


二人の少年の密会は、その庭園の入り口の薔薇の植木の影で聞く気配にリュカオンだけが気付きながら、『夜会』の喧騒をBGMに厳かに行われた。

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