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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.4 英雄の婚約者
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3-2.彼の地の名は

「おや、人気者がこんなところでひっそりとしているだなんて」

背後からかけられた小憎たらしい声に、隼人は目を落としていた資料から顔を上げる。

聖グリエルモ学院初めての『夜会』を直前に控えた放課後。夜の帳を間近に昼と夜の狭間の黄昏時。

その淡い橙に染めあがった、ここ数日で一年分は通ったのではないのかと思えるほどに通い慣れた図書室で一人思考に沈んでいた隼人は、今までいなかったはずの人影に向けて。

「誰かさんのおかげで」

「『婚約者』騒動は私のせいではないのだけれど」

「元凶を作ったのはあんただからあんたのせい」

「理不尽な」

今は放課後でほとんどの生徒の姿は見えない。皆各々『夜会』の準備のラストスパートをかけて万全に整えていることだろう。一人で考え事をするにはうってつけの時間だ。

隼人が今している最深部攻略マップの考察は口外できるものでもないので、そういた意味でもこの時間は最適。

だから人気のない時間や、授業中といった人が訪れない時間を狙って、隼人はアルベルトに依頼されている考察をしていた。

そんな隼人の心境を知ってか知らずか、アルベルトは楽し気な表情を浮かべて背後から声をかける。何もかもを見通すかのような、翡翠の双眸。

からからと笑って、アルベルトは自然な動作で隼人の正面の椅子を引いて着席。普段理事長室の豪奢な造りの椅子に腰かけているから、それよりは劣る図書館の机と椅子は些か浮いている。

「青春時代は楽しんでおくものだよ。一生で一度しかないのだから」

「アルベルトはこういう時代はあったのか?」

「私はないね」

「ないのかよ」

まるで知っているような口ぶりだったから、あっけらかんと言われた言葉に隼人はげんなりと肩を落とす。

隼人の仕草に、アルベルトは小さく笑って。

「だからこそだよ。私はお前くらいの年齢の頃には貴族になろうと躍起になっていて、それどころではなかった。カズキだって15でこっちに来て、それから学校には通っていないだろう」

アルベルトの言う通り、兄である一樹は『大和桜花調査団』の招集でこっちに来て、そのまま残ることを決めた残留組だ。だからそれまで通っていた学校は中退したし、それ以降通いなおすこともしなかった。

だからなのだろう。自分たちにはなかったものだから、楽しんでほしいと。

まぁ、こちらとしてはありがた迷惑なのだが。

「これがいい青春時代なもんか」

「後から思い出したら案外楽しいものかもだろう?」

「進路指導で『勉強しておいたほうがいい』っていう卒業生みたいな?」

「わかっているじゃないか」

教壇に立つ先生よろしく、アルベルトは隼人の指摘を肯定する。銀のフレーム越しの翡翠の瞳を、黒いフレーム越しに深紅のそれで見返して。

「あんたの授業なら、少しは楽しそうなのにな」

「おや、うれしい言葉じゃないか。だが残念。私は表に立つより裏から根回しする性にあっているのでね」

「知ってる」

だから今こうして隼人の日常は壊されかけているのだが。

という皮肉の意味を込めて言い返してやったのだが、わかっていてアルベルトは笑って。

「それで、なにか進展はあったかね」

なんの前置きもない、唐突な切替し。声音も雰囲気も切り替えずに放たれた言葉に、しかし隼人は別段慌てることもなく話を進める。憎たらしい相手ではあるが、頭が回る人間ほど話しやすい相手はいない。

「えぇ。まぁあくまで推論ですが」

といって、隼人は先ほどまで目を落としていた資料をアルベルトに向けて開きなおす。

そこに記された文字は。


「……『妖精』?」


流麗な筆記体で『妖精』と書かれたページには、これまたきれいなタッチでかかれたイラストが併記されている。

人間の見た目で、しかし成人した人間よりも小さいシルエットの背中からは、昆虫に多くみかける半透明の一対の翅。

ページの中の彼らは自由に楽し気な表情を浮かべて、森や湖の畔を思い思いに飛び回っている。

言い換えてしまえばとてもファンシーで、幼い子供が見ているところを想像すれば微笑みすら思わず浮かべてしまいそうなそのページを、アルベルトは凝視して。

「……ハヤトにしてはかわいらしいものを読んでいるね」

「勘違いするなよ」

「いや別に他人の趣味は否定しない主義だから安心するといい」

「だから違うといってるだろ」

なんだか含みのありまくる笑みをにやにやと浮かべるアルベルトに釘を刺し、弛緩した空気を切り替えるために隼人は咳払いをひとつして。

「兄貴の視界を通してアデルが見た光景を、とりあえず自分なりに解釈してみたんだ。まぁアデルのその時の映像は不明瞭だからほとんどこじ付けだけど」

『知人の現在を見通す』アデルの異能も万能ではない。他者の視界を自分のそれとリンクさせるだけだから、まず共有者が見た範囲でしか映像は見られない。視界に入っていないものは当然見ることはできない。

更に当時は彼も能力に目覚めて日が浅かったため、リンクの深度も浅く、ところどころ映像が飛んでしまっていたらしい。

まぁ、相手のことだから何らかの妨害措置は施していたんだろうなと隼人は思うが、それこそ憶測なので口には出さない。確証のないことは場を混乱させるだけだから、いっそ言わないほうがいいからと。

その中で、彼が見たものは。

「明らかな人工物と、『黄金の猪』と『錫色の馬』。それとおそらくは人の形をした何か」

アルベルトもアデルからその話はすでに聞いていて、口に手を添えながらつぶやく。

太古の昔の文献にあるような、豪奢な人工の柱。

門番のように構える巨大な迷宮生物らしき存在。

そして。――最期に一樹を滅ぼしたであろう何か。

その何かと一樹は話しているような間があったから、おそらくは人のように人間の言葉を解し、そして疎通できる存在。その存在が放った光を最期に、一樹の映像は途絶えた。

その時に、草薙一樹は死んだのだ。

「とりあえず参考になりそうなもの。明確に映像が見れた『猪』と『馬』についての文献を漁ってみた。『馬』は推測だけど、『猪』のほうは特徴がはっきりしてたから助かった」

と、隼人はアデルからもたらされた情報を頭でさらいながら口にして、また別の文書を手に取る。

表紙には、『北欧神話の神々』。その中のとあるいちページを開いてアルベルトに手渡す。じっくりと読まなければ見落としてしまいそうなほどの、ひっそりとした記述。


「――『グリンブルステイ』」


北欧神話において、豊穣をつかさどる神『フレイ』の所有物の一つだ。地上だけではなく空中や水中までも自在に移動することができ、どんな馬よりも速く駆けることができるのだという。――黄金に輝く猪。

最初にその記述をみて、隼人は背筋に言い表せないくらいの衝撃が走った。これだという直感が、その先の推論を推し進める。

「その猪が『グリンブルステイ』なら、隣に立っていたもう一匹も関連しているはず」

「馬……。『ブローズグホーヴィ』か」

『グリンブルステイ』と同じくフレイの所有物の一体。「血にまみれた蹄」の異名を持ち、一説によればフレイの従者であるスキールニルに与えられたとされる馬。

仮説に妄想を書き加えた、もはや狂言といっても過言ではない妄言だ。しかし否定できるほどの反論も見当たらない。

隼人の仮説をいったん聞き終えたアルベルトは低く唸る。脳内では目まぐるしく仮説が渦巻いているだろう様子が見て取れるほどに、険しく眇められる翡翠の瞳。

しばらくして、ひとまずは自分の中で整理が付いたのか、なるほどと一息ついて。

「しかしその論ならば、迷宮区は神の領域、ということか?さしずめアースガルズ、といったところか?」


北欧神話では世界は9つに分かれていると説かれる。

アース神族、つまり北欧神話における主神級の神とその直系が住まう、『アースガルズ』。

抗争の後人質として降りた神の一群を中心としたヴァン神族が住まう場所、『ヴァナヘイム』。

死を恐れることのない人の大地、『ミズガルズ』。

炎とそれをつかさどる巨人が支配する地、『ムスペルヘイム』。

そことは真逆に氷に閉ざされた半巨人の娘の領地、『ニヴルヘイム』。

エルフを中心とした妖精たちが健やかに生きる場所、『アルフヘイム』。

堕ちた黒いエルフが統治する闇の世界、『スヴァルトアルフヘイム』。

鍛冶や卓越した腕を持つ生粋の職人然と生きるドワーフや小人たちの活気にあふれる、『ニダヴェリール』。

そして。――たびたび神々との抗争で出現する巨人の国、『ヨトゥンヘイム』。

彼の地はそれぞれ世界を横断する巨木『ユグドラシル』によってつながれ、世界を内包しているというものだ。


だから隼人の発言からそう推察したアルベルトの論はもっともであるが、しかしそれを首を振って否定する。

単純な推理であればその通り。しかしそれでは今あるピースはすべて当てはまらないのだ。

「そうなるとアデルの話にあった『白い女の子供』が余分だ。アースガルズを仕切るのは北欧神話の主神であるオーディン、つまりは男神のはず」

正しくは『ひげをたくわえた老人』として書かれることが多いが、『兄弟』と揶揄させているのであれば男神ととらえてもいいだろう、と隼人は切り伏せ、アルベルトはまた思考する。

そのアルベルトをよそに、隼人は半ば独り言のように推論を続ける。

「そもそも夏の『聖戦』で出現した『リリス』も、元は概念的存在で派生した逸話も多い。その中には『サキュバス』や『ラミア―』と混同視されるものもあるし、だからあの『リリス』は下半身が蛇の姿になったんじゃないかと思う。概念的特徴を強く反映されているんだ。そしてもうひとつの『サキュバス』は、」

『淫魔』という二つ名が有名ではあるが。――『樹の精霊』と呼ばれることもある。

そして。

「最期の白い光。多分あれは『炎』だと思う」

「その根拠は?」

「周囲に燃焼の揺らぎが見えた」

有機物を燃焼する際に確認される、空気の揺らぎ。空気のない宇宙に浮かぶ太陽の周囲を蛇のように絡みつくフレアと同じ現象をアデルは、一樹は見逃さなかったのだ。

「『炎の剣』、と言ったら、北欧神話には有名な剣があるだろ?」

にやり、と。いたずらが成功したようなどこか含みのある笑みに、アルベルトは翡翠の双眸を光らせる。

『黄金の猪』グリンブルステイ。

『錫色の馬』ブローズグホーヴィ。

そして『炎の剣』。――レーヴァテイン。

二体の巨獣は『フレイ』の持ち物で、世界を燃やし尽くすとされる元々これも『フレイ』の持ち物だったとされる剣を振るう、何物かとともに門番のように佇立する。

『白い女の子供』については、正直これは憶測の域を出ない。判断材料が極端に少なすぎるし、何よりそういった逸話や文献はどこにも見当たらない。

だから隼人が無理やり出したこの回答は、ただの夢物語に過ぎないのかもしれない。

しかし。――『白い女の子供』を抜きにしても、これだけのピースたちがただ無意味にその場所に立っているとは思えない。

主人が還るであろう場所を一途に守り、その時を待つように。

而して、アルベルトも同じ答えにたどり着いたようで、どんな時でも揺れることのない翡翠の双眸をこの時ばかりはさすがに見開き。

「なるほど、お前はそういう結論を出したのか」

「えぇ。あくまで推測。夢物語にすぎません。ですがこの推論であれば、この迷宮区がかつてどんな場所で、これから先どんな脅威が待ち受けているのか、対策の立てようはある」

隼人は資料をめくる。北欧神話における9つの世界の、その一つを指さして。


「迷宮区『サンクチュアリ』を俺は。――『アルフヘイム』だと考える」


人間と同じ見た目で、しかし人間とは決定的に違う、自由と博愛の妖精の国。

その場に集う全てのピースの主である『フレイ』が治める地底の楽園。

それが。――『軍神』がはじき出した迷宮区『サンクチュアリ』の正体だった。

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