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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.4 英雄の婚約者
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2-2.錫色の新任教師

ヴァイスが中遠の講義室にてレンに抗議している、ちょうど同じ時刻。

「こんなところで盛大にさぼりとは。いいご身分だな、落ちこぼれ」

自分は立っているから必然的に見下ろす形で、伏せられていた深紅の双眸と視線がかち合う。

場所は聖グリエルモ学院共用図書館の一角。ここも例にもれず、学院の前身であるサン・ピエトロ大聖堂の豪奢な造りがそのまま流用された、絢爛な室内。

壁を埋め尽くす蔦の掘り込みと、天井からのシャンデリアの光源が列挙する歴史を感じられる本棚と、その中に並べられた本を煌びやかに浮き上がらせる。

その、生徒が100人は余裕で入るであろう室内の、本来授業中であるからに一人でのびのびと使用する生徒の一人を、オリバーは苦も無く見つけて声をかける。

声をかけられた当人は直前まで目を落としていた資料に夢中だったらしく、オリバーに声をかけられるまで接近にすら気づいていなかったとばかりに瞳を大きく瞬いて無言。

「……なんだ」

「いや、お前にそう呼ばれるのも久しぶりな感じがして」

無言に耐えかねて問うた言葉に、ハヤトはそう答える。

魔法適正値も最底辺。戦闘技量もおぼつかない『落ちこぼれ』。最初に呼んだのは誰だったか。

しかし、今はその肩書で彼を呼ぶものはほとんどいないから、確かに久しぶりかもしれない。

「今更君を『落ちこぼれ』だなんておこがましいにもほどがあるだろ、『軍神』殿」

「いや、まぁそうかもしれないけど」

何か考えがうまくまとまらない時の癖だろうか、ハヤトは言いながら赤銅色の髪をぐしゃぐしゃと混ぜる。

こうして授業をさぼった挙句に探させられた仕返しとばかりに軽く皮肉ってみたのだが、なぜか真に受けてしまったらしい。オリバーはそんなハヤトを珍しいとばかりに紫の瞳を眇めて。

「だからなんだ」

「今だから言うけど、別にお前に『落ちこぼれ』って呼ばれるの嫌いじゃなかったんだよな。確かに当時は知らなかっただろうから評価だけ見て妥当な肩書だったけど、『軍神』て呼ばれるのは好きじゃないし」

なんていいながら、『聖戦』を人間側の勝利に導いた『軍神』は煮え切らない表情でため息をこぼす。

この少年は、栄光をひけらかさない。およそ大抵の人間は過大な評価に空の自信を見せびらかすが、自分には不相応だと恥じらいすら持って。

それは、なんというか。自分にはできないことだろうとオリバーは思う。

貴族に生まれて、貴族だからこその出生だけで上に立てる自信があって。――それはただの空虚な自意識過剰だったことは、もうとっくに気づいているけれど。

自分にはないものをハヤトは持っていて。――だからこそ、自分はここまで彼に突っかかるのだろうということも。

この感情はきっと、嫉妬。

人間として未熟な自分があこがれる、理想の人間像を彼が体現しているから。

このことは、誰にも言わないけど。

そう思って、オリバーはハヤトのその言葉には答えずに。

「それで、授業にも出ないでこんなところで何をしているんだ」

「ん?あ~アルベルトに頼まれて、最深部攻略の戦略マップの考察」

自分が通う理事長にして全調査団のトップである『タキオン』総団長、さらに付け加えるとオリバーの憧れのアルベルト・サリヴァンを呼び捨てにできるのは学院の生徒の中ではあの死神のこいつくらいだろうな、と思うオリバーはそのことは一旦棚に上げて質問を返す。

「君が?」

「俺もそう言ったんだけど聞かなくて。まぁその代わり授業免除にしてくれるってんなら、まぁいいかと」

なるほど、それで新学期が明けて講義室で彼の姿を見ることが減ったのかとオリバーは納得する。

新学期早々から、ハヤトは学院には登校しているものの講義室で姿を見る機会は半減していた。もともと退屈そうにしていた彼の定位置であった最上段の窓側は、今はその主をなくして物寂しい。

今まで『落ちこぼれ』と呼んでいた生徒が『軍神』と呼ばれるほどの才能の持ち主で、その負い目もあって歩兵科の生徒は突っ込んで聞くことはなかったけれど。

「君も大変だな」

「そう思う?いや~俺もそう思ってたところなんだよ。手伝ってくんない?」

さらり、と返された言葉に、今度はオリバーが驚きに目を見開く。編入当初から犬猿の中で、お互いに嫌っていたはずの相手に助けを求めるなんて。

しかも、そうでなくてもハヤトは他人に助けを求めるのが苦手だ。というよりも、他人と必要以上に関わりを持つことが極端に苦手なのだ。

それは。――かつて所属していた調査団の壊滅の、その深すぎる傷が原因なのだけど。

いつか、オリバーはそのことについて強く言及した。かつてのミスは彼だけものものではなくて、ハヤトが背負うものではないのだと。

そのことに負い目を感じて、関係を持つことを、仲間を求めることを抑え込む理由にはならないのだと。

当時を知っているからこそ、オリバーは驚いて。しかしそのことに関してもオリバーは努めてスルーする。

「それは、あまり他人に話せることではないのでは?」

「そうなんだよな」

「何がしたいんだ君は」

わかっているなら最初から介入できないではないか、と顔をしかめるオリバーに、ハヤトはあっけらかんと笑う。最近はよくそうした表情が出るようになった、年相応の。

彼はどう思うかわからないが。――変わったな、と思う。こうして笑うところなんて、最初のころなんて想像もできなかったから。

無表情で無感動で、周囲の事や自分自身のことですら、どうでもいいと言いたげな。

それが最近はころころ変わって、特に最近は忙しいだろうに、そんなことすら感じさせないほどに。

現に今だって。

「そういえばここの資料漁ってるうちに一つの仮説ができたんだよ。アデルの話も聞いてもしかしてな~と思ったんだけど、聞く?」

「それは私が聞いても意味がないのでは?」

え、と。予想外だったらしい言葉にハヤトは深紅の双眸を見開いて。

「それは『タキオン』が知るべき情報だろう。最深部攻略に私なんぞ一介の生徒が参加するわけないだろ」

参加するわけない、というより参加できないといったほうが正しいだろう。先日の聖戦で、オリバーは痛感した。

確かに自分はかの『聖戦』において重要な役割を果たしただろう。『リリス』の全身を覆う結界を凍らせ、這いずる巨体を地面に縫い留めた。

だけど、言ってしまえばそれだけだ。

誰よりも多くの『リリン』を倒したわけでも。

倒すべく戦術を考えたわけでも。

ましてや。――親玉である『リリス』を討伐したわけでもない。

その場において、オリバーはただ生き残って追いすがることしかできなかった。――あの場に自分は分不相応だと、オリバーは自分の実力を目視してしまったから。

ハヤトとヴァイスには、二人で果たさねばならない大願があるのだとオリバーは知っている。

兄がたどり着いたその先を見るために。

己が存在理由を知るために。

二人は最深部を目指す。

その為に仲間を募っていたのは知っている。あの孤児の子供と、おそらくは昔なじみの狙撃手も。

だけど自分は。

「……あぁ、そっか。そうだな」

「そうだ、君の勘違いだよ。私は君たちの仲間ではないのだから」

『ケリュケイオン』は、夏季休暇中にハヤトの留年をなくすために急ごしらえで作った調査団。参加条件が5人だったからハヤトはオリバーに声をかけて、オリバーは借りを返すために承諾した。

その借りも、『聖戦』の時に返したといってもいいだろう。だからもうオリバーには、彼らと一緒に迷宮区に潜る理由がない。

理由はないのだが。しかし目の前のハヤトは心底バツの悪そうな顔をしていて、その理由におおよそ察しが付くから、オリバーはひっそりとため息をつく。

先に口を開いたのは、ハヤトだった。

「……そうなんだけどさ。俺はお前にも見届けてもらいたいよ」

「何をだ」

我ながら意地の悪い問いかけだと思いながらオリバーは努めて平静に返答する。何もわかっていないと言いたげに、何も知らないふりをして。

それでも、ハヤトは一歩を踏み込んだ。


「俺たちの行きつく先を。迷宮区の最深部を。――お前にも、手伝ってもらいたいんだ」


いつかとは真逆に、ハヤトは深紅の双眸で真っ直ぐに紫のそれを射抜く。その瞳には普段の皮肉やいつかの怯えはなく、ただ真摯に純粋な願い。

私なんかが、とか。なぜ私が、などといった疑問はない。半年の付き合いだけれど、彼はそういった無駄なことはしない。

必要だから、欲するのだ。

貴族間の面倒な探り合いを少なからず経験しているオリバーにとっては、それは清々しいほどの真正面からの感情のぶつけ合い。

その願いに、できるなら応えたい。いや、本心を言えば応えたい。

だけど――。


「――それは無理な相談だ」

その願いには、応えられないんだ。


まるで伸ばした手を振りほどかれたかのような、ハヤトは咄嗟に表面化してしまった幼い子供の泣きそうなそれをどうにか隠して。

「……なんでだ」

感情を抑え込んだ声は真正面にいても消えそうで、つい手を伸ばしかける。

けれど、オリバーは出しかけた右手を、左手をつかんで抑え込む。

「それは、」

「こぉら。いつまで探しに行っているんだい、不良生徒たち」

不意に割り込んできた第三者の声に、オリバーは紫の瞳を剥きながら背後を振り返る。その様子が面白かったのか、視線の先の女性はくすくすと笑う。

「そんなに驚いたかな。いやぁごめんね」

「あんたは?」

見知らぬ女性に訝し気な視線を向けるハヤトだったが、しかしオリバーはすでにその答えを知っている。元々彼女が要因でハヤトを探していたのだから。

ハヤトのその言葉をどう受け取ったのか、女性は切れの良い動作でぴし、と佇まいを正す。なぜか右手は敬礼の形式。


「初めましてだね、有名人。ぼくは本日より近接歩兵科の実技を担当することになった、フローズ・フェロウズだ。以後よろしく」


錫色の髪はハヤトより短いベリーショート。その下の相貌のペリドットの双眸をきらきらと輝かせて女性。――近接歩兵科新任実技講師フローズ・フェロウズはニコリと笑う。

オリバーにとっては二回目で、ハヤトにとっては初回の自己紹介を済ませたフローズは腰に手を当てると。

「全く。最初が重要だと思ってこうして君に探しに行ってもらっていたのに。君は比較的真面目な生徒だと聞いていたのにな、ブルームフィールド?」

「長話が過ぎました」

「まぁ青春は生徒の特権だし。大目に見ようじゃないか」

何度も言うが、オリバーも彼女とはついさっき自己紹介を終えたばかりの初対面だ。なのにそれを感じさせない彼女の距離感はいったい何なのか。と脇を小突かれながらオリバーは他人事のように思いながらなされるがままを努める。年上の女性には逆らうことなかれ。

「え~っと、ハヤト・クサナギです。一応言っておきますが俺は別にさぼっていたわけではなく」

「あぁ知っているとも『軍神』くん。君は学業もそうだがもっと重要な使命があるものね」

『軍神』というフレーズを聞いた瞬間、わずかに深紅の瞳をゆがめるも、フローズは変わらず楽し気である。そんなハヤトの一挙一動すら楽しげだと言いたげに微笑んで。

「ただ挨拶は重要だろう?講義室に帰ってきていきなり見知らぬ顔がいたんじゃ驚くだろう?」

「まぁそうですね」

「ということだとも。なのでよろしく」

す、と自然に伸ばされた右手を、気圧されながらもハヤトはつかむ。うんうんとどこまでも楽し気にフローズは笑って振って。

「あ、それと。あまりこういうのは部外者が首を突っ込むのも野暮だと思うんだけど、あまり彼を困らせないであげてね」

「彼?」

フローズの視線を追って、ハヤトの視線がオリバーに向く。オリバー自身もフローズの言葉の意図が分からず小首をかしげるが、しかしその疑問も次の瞬間には霧散する。


「そうだとも。彼は近々消えてしまうのだから」


――全身の血の気が一瞬にして引いていく感覚に、紫の瞳が見開いて凍りつく。

まるで脊髄に直接電撃を食らわされたかのような衝撃に、次の瞬間には左腰に佩いていた長剣の柄を握りしめていた。

ギャリ、と柄を走る金属音は一瞬で、転瞬金属同士がぶつかり合う甲高い音が耳を突く。

オリバーが反射的に振った長剣の薄紫は、ハヤトの漆黒の刀身に遮られてフローズには届かない。

「いきなり何してんだっお前、」

「それ以上口を開くな」

遮った声に、浴びせた当人のフローズではなく割って入ったハヤトがたじろぐ。今まで感じたことがないはずの、オリバーの【代行者】としての殺気。

それもそうだ。オリバーは彼に対してはただの一度も見せたことのない顔だからだ。日の当たる場所を歩く者には不要の、闇に落ちたものに対してだけ見せる表情。

歴戦のアルベルトやヴァイスにも匹敵する殺気を、しかしフローズは変わらない笑みで流して。

「いやすまない。君の逆鱗に触れてしまったのなら謝るよ。悪意はなかったんだ。本当だよ」

あっけらかんと手を軽く振りながら、フローズは一瞬だけ哀愁にも似た表情でぽつりとつぶやく。

「本当に、人間に感情の機微はトレースしにくいな」

そのつぶやきは、果たして誰かに届いたのだろうか。とりあえず真正面で相対するオリバーにさえそれは意味をなさないつぶやきとなって霧散する。

訝し気に紫の瞳を眇めるが、フローズのその表彰は一瞬で、次の瞬間にはまた元の微笑に戻ってしまう。

「謝罪代わりに一つだけアドバイス。君の在り方は孤高で美しい。だけど最後には少しだけ、正直になってもいいんだ」

首筋近くにあてがわれた剣先からこちらを刺激しないように一歩後退する。オリバーも相手に敵意がないのは察しているから後は追わない。そのオリバーの態度にどう思ったのか、フローズはまたにこりと笑ってくるりと後ろに振り向いて。

目指す場所は、自分が先ほどくぐったであろう図書館の出入り口。

「次の授業は僕の初めての授業だから、受講してくれると嬉しいな。それじゃ」

なんの気負いも感慨もないように、嵐のような新任教師はあっさりとその場を後にした。

後に残されたのは、先ほどよりも気まずさの増した生徒二人。

長剣を咄嗟に受け止めたものの、その先をどうしたらいいのかとわずかに動揺するハヤトに、オリバーは小さくため息をこぼして切っ先を軽く弾く。そのままくるりと回してバチン、と刀身を鞘に収める。

それは普段のオリバーからすると些か以上に荒々しさがにじんでしまっていたが、いまだ激情を押さえられないオリバーは気づかない。

それに習うようにしてハヤトも漆黒の刀身を納刀して。

「いきなりどうしたんだよ。いくらお前でも理由なく相手に切りかかるなんてことないだろ」

「……別に」

言い訳が思いつかずに苛立つ。これは自分自身の感情で八つ当たりだからハヤトには関係ないのだけれど、当たらないようにするだけで精いっぱいで口調までも気を使っていられない。

そんな自分を隠すように、これ以上彼に悟らせないために。オリバーは強引に話題を変えるように背中を向ける。

「というわけで私も用事を終えたので帰る。次の授業に出席するかはどうかは知らん」

「オリバー」

しん、と冷えた声音に、オリバーは肩越しに振り返る。何かを探るような、それでいて半ば感づいているかのような、見透かした深紅。

「――お前。何か隠しているだろ」

確信をついた一言に、オリバーは動揺が表面化しないように努めて平静を装う。

何か、隠しているか。――そんなもの、決まっているじゃないか。

オリバーは紫の双眸で一瞥して、視線を逸らす。


「――君には関係のないことだ」

マリンブルーの軌跡を残して、決別のように【代行者】の少年は二度と振り返らなかった。

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