2-1.金色の新任教師
「少しは顔色よくなったね。よかったよかった」
何がよかっただ、と。登校して先に着席していたレンを思いきりにらみつけながら見下ろして。
「言うなって言った」
「言わないとは言ってないからね~」
そんな殺気をそよ風のごとくさらりと流して、レンはにこにこと笑うだけ。この上げ足の取り方には身に覚えがあると、脳裏をちらつくオフゴールドの影。
一か月の付き合いであるが、この少年は見た目よりもかなり腹黒い。ハヤトとまでも行かないまでも頭は回るし、元々専門が『治癒』魔法ということもあり、観察眼もある。
にこにこと辛辣なことは言うし、イラついたら手もでる。
ハヤトは彼のことを『泣き虫』だといっていたが、元秘密組織構成員を生き抜くだけの気の強さはあるらしい。
そういう手合いは真に受けても仕方がないと、ヴァイスは定位置になりつつあるレンの隣に無言で腰かける。
「でもどう?少しは楽になったんじゃないかな。話すだけでも気はまぎれるし」
小憎たらしいけども、心配してくれたのは事実だろう。彼はケガや不調には特に敏感だ。
だから。
「……一応、ありがとう」
「どういたしまして」
団員の体調を管理するのも俺の仕事だからね~と、レンは当たり前のように変わらずにこやかに言いながら。
そう、当たり前。レンもそうだけど、ハヤトもそんな感じでいつも気にかけてくれる。
そんな彼に自分は、『何も返せていない』とはもう思わないけれど。
「……何か、返したいんだ」
思った言葉は無意識にこぼれてしまって、だから隣のレンにも届いてしまう。
「隼人に?」
「ハヤトはいらないっていうんだろうけど、でも、」
今のままでも十分助けられていると、ハヤトは笑ってそう言って。だからそれは本当なんだろうけど、でも何か返したい。
これはエゴだと、わかってはいるけれど。
レンはん~と唸って何事か考え込むと。
「いいんじゃないかな」
「いいって?」
「何か返したいってこと。やればいいんじゃないかな」
意外な言葉に、ヴァイスは瑠璃の双眸を見開く。その視線を受け取って、同じ黄金の散る琥珀色は振り返って。
「何もいらないんじゃない、っていうと思った?」
「……うん」
「まぁそれはそう思うよ。今でも君たちはお互いにいい塩梅で支えあっていると思う」
最近はその距離がどうも近いような気もして、もういっそ付き合っちまえば早いのにと思うレンだが、これは本人たちの管轄だから言わない。
とにかく。
「でもそう思うならそうしたほうが、俺はいいと思うな。だってこれは個人の勝手なんだし」
「勝手?」
「だって個人の意思なんて、個人の自由じゃない。それを他人がとやかく言う権利はないと思うんだよね」
それも一理ある、とヴァイスは納得してぱちりと瞳を瞬く。
「それでヴァイスも納得するなら、それでいいと思うよ」
「そうか」
肯定されたことで少し気が晴れた。ならば今すぐ行動に移したほうがいいよなと思い、思考を巡らせるが。
「……何がいいかな」
「ゆっくりでいいんじゃないかな~。相談には乗るよ」
「何が好き?」
間に空白があるとはいえ、7年来の付き合いだ。自分よりも付き合いの長いレンのほうが詳しいかもしれないと尋ねて、レンはん~と天井を見上げて。
「……論文?」
「それあげるの…?」
お礼に論文なんて聞いたことない。と思うがレンも同じ心境なのか、その表情は微妙だ。
と、そんな微妙な空気に救いの手を差し伸べるように、始業のベルが講義室内に響き渡り、雑談に興じていた生徒たちは各々の席に着席。同時に前扉が開かれる。
入室するのはこの講義室に集う中遠距離戦闘科の生徒はもちろん、同じ『タキオン』所属のヴァイスにとってもおなじみの顔。
ライトブラウンの短髪に、朝露の落ちる早朝の薄紫の双眸の青年は、気負うことなく歩きなれているであろう講義室の壇上に立つ。
中遠距離戦闘科担当教師兼、『タキオン』所属準一級調査員。メイナード・リネバン。
「おらおら授業始めるぞ~」
「先生~、今日はなんの話してくれるんですか~?」
「座学ばかりでそろそろオレの武勇伝もつきそうなんだよな~」
メイナードのぼやきに、一同はどっと沸く。メイナードは米国系の貴族出身ではあるが、それを感じさせないほどの自然体と人柄は『タキオン』でも評価されている。
「じゃあオレの今まで付き合ってきた女の話とかする?」
「興味無いで~す」
「もう少し言葉を選べ~?」
退屈な座学ではあるが、メイナードはこうして雑談を交えて生徒たちの士気を保つことにたけているようだ。現に退屈な座学ではあるが、ヴァイスも含めこうして生徒たちの雰囲気は良好だ。
と、ひとしきり雑談で盛り上がった後。
「ところで先生、そろそろ一緒に入ってきた方の説明が欲しいです~」
満を持してレンが挙手し、待ってましたとばかりに注目がメイナードとその背後、一緒に入室してきた人物に集まる。
――一挙一動が洗礼され手本のように美しい、それでいて異様な雰囲気を纏った青年だ。
レンの一言があるまでの間、メイナードと生徒たちが雑談に興じている間も微動だにせず佇立していた青年は間に割って入るわけでもなく、必要最低限の呼吸と瞬きしかしない。
メイナードの背後にそのように在る様は、まさに中世の主に仕える騎士のそれ。
ヴァイスとは違った造形美の相貌にはまるペリドットは、光の加減でわずかに輝きを変化させる。
「さすが監督生、目ざといな」
「これで無視できたほうがすごいと思います~」
「まぁそか。それじゃあ改めて、少し遅れたが新任教師の紹介だ」
おら湧け湧け~!と促すメイナードとそれに便乗する生徒たちは、まさに好きなアーティストのライブに来ているファンそのもの。
ちなみに。アメリカンなメイナードのこういう人柄に加えてそれに便乗する生徒たちは、他の専科から『体育会系』といわれる所以でもあるのだが、彼らは特に改める気はない。
そんな拍手喝さいの中、青年は便乗するわけでもなく淡々と歩み出て。
「本日よりリネバン氏と実技を担当することになった、ステイ・ラドフォードと申す。これからよろしく頼む」
黄金色の髪をなびかせ、ペリドットの新任教師は端的にそう名乗りを上げた。
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「――というわけで、今日は久しぶりの実技授業とする!」
そういわれて連れられてきたのは、これもまた夏季休暇中で見慣れた火器演習場。普通の演習場よりも強めの防護結界が施されたその場所は、火器の轟音や閃光を9割シャットアウトする。
その演習場の中央で、生徒の注目を集めるのはやはりメイナードだ。
「今日は拳銃の実技にしようか」
「先生~私狙撃のほうが得意なんですが」
「それは知ってる。だが断る」
「まだ何も言ってません」
中遠生徒の、おそらく狙撃を専攻している女生徒の提案を無下に返し、メイナードの授業は彼のペースで進む。
「せっかくの機会だ。みんなそれぞれ得意じゃない武器の扱いにも慣らしたほうがいいと思ってな。いざというときに自分の武器が使えなくてさようなら、じゃ笑い話にもならん」
変わらずのマイペースの中に、メイナードはわずかに緊張感に染めた薄紫の双眸で生徒全員を見回して。
「この間の『聖戦』みたいなことが今後起こらないとも限らない。だからオレは少しでもお前たちに選択肢を残しておきたい」
絶死の戦場で、生き残るための。
メイナードの言葉に、浮足立っていた生徒全員の表情が切り替わる。先ほどまでの年相応の子供の顔から、歴戦の戦士の顔に。
「二人ペアになって授業を行おう。相手はあらかじめオレが決めておいたからその通りに組んでくれ」
といって、不意にメイナードの視線がこちらを向く。厳密にいえばヴァイスの隣に立つ琥珀色。
「レンはオレとな」
「え~先生となんて俺フルボッコ決定じゃないですか~」
「お前に釣り合う相手がいないだろうよ」
確かに、少なくない数の戦場を経験したレンと渡り合えるものは、ヴァイスを除いた生徒の中には皆無だろう。純粋な狙撃の腕だけではなくて、その腰裏に忍ばせた拳銃の扱いも。
だから下手に生徒同士で組ませるのは危ないと判断したのだろうが。
「だったらヴァイスとやりますよ~」
「ヴァイスこそ誰も相手できないだろうが。後単純にオレがお前とやってみたい」
「結局自分じゃないですか~」
「安心しろ、ヴァイスには釣り合う相手を用意してる」
その言葉を肯定するように、メイナードの後ろから歩み出る黄金色の軌跡。先ほど紹介にあった、ステイ・ラドフォード。
ヴァイスも低くない身長だが、ステイは頭一つ分上の高みから瑠璃の双眸を見下ろして。
「……なるほど」
「?」
ヴァイスにしか聞こえないほどの声量のつぶやきに、意味が分からないとヴァイスは小首をかしげる。しかし返答がほしくてつぶやいた言葉ではないらしく、ステイは何でもないとばかりに手のひらを軽く振る。
「名は」
「ヴァイス」
「そうか。では一手よろしく頼む」
見た目に反して武骨な口調だ。あまり口数の多い二人ではないため、会話も必要最低限のやり取りだけ。しかしそのやり取りだけでヴァイスには十分だった。
――底が見えない。
「じゃあ準備はいいか~?始めるぞ~」
それなりの距離をあけて、各々がそれぞれの場所から了承の声を上げる。生徒たちの手には武骨な拳銃と、それに込められた演習用のゴム弾。
「――実技演習、開始!」
掛け声と同時。――ヴァイスは遠慮無用にステイに向けて引き金を引いた。
使い慣れた白銀の自動拳銃だ。狙いはもちろん動作だって手にしみついて、まさに自身の手足同然。今更外すようなへまはヴァイスはしない。
そのはずだが。
銃弾はステイに当たることなく、地面の亀裂のはざまにめり込んで止まる。狙われた肩を必要最低限振るだけでステイは回避したのだ。
発砲から着弾まで、この至近距離では視認することすらできない弾丸を避けた技量もさることながら。
「……なるほど」
それは奇しくも先ほどステイが口にした言葉と同じ。もしかしたら、彼はあの時自分と同じ気持ちになったのだろうか。
回避するだけにとどまらず反撃とばかりに撃ち返された弾丸をヴァイスも獣のごとく反射神経で避けて、初動の止まった中でつぶやく。
完全に避けきったと思ったが、二人の間にはらりと雪白の頭髪が舞う。
「避けられるとは思わなかった」
「こちらも同じ感想だ」
一瞬の攻防だったが、しかし二人の異様な空気と殺気に反応した生徒たちの注目が自然と集まる。
――あの『死神』を相手に、立っている人間が果たして今までいたか、と。
そのお互いの評価の言い合いも一瞬に、二人は全く同時に動き出す。
頭に狙いを定めていた銃口を足に向けるが、ステイはそれを一歩踏み込むことで回避。互いの距離がさらに狭まったところで発砲。これは左手で腕を払うことで銃口を逸らす。
相手の上体が揺らいだところを狙って立て続けに3発発砲するが、しかしこれもステイは先ほどとは逆に後方に回転することで逃げ切る。あくまで距離を稼ぐための発砲だったため、これで仕留められるとはヴァイスも思っていない。
回転しながらステイも発砲。こちらは動きを読んでいたため容易に避ける。お返しとばかりに着地点を先読みして打ち込むが、こちらも空中で身体を捻って回避される。
これでヴァイスの手持ちの残弾は零。再装填が必要になる。
普段はそのリロードの穴をふさぐためにもう一つの獲物でカバーするが、演習中は基本的に一つしか使えない。空いた左手を弾倉の詰まった腰のポーチに伸ばす。
しかしその決定的な隙を見逃すほど、相手も素人ではない。おそらくは相手もこちらの弾数を数えていたのだろう。そうとしか思えない絶妙なタイミングで吶喊。再びお互いの距離がゼロになる。
――そんなよくある手が、通用するとでも。
ヴァイスは弾倉の再装填を中断。至近距離で放たれた銃弾を上半身を背面に逸らしてやり過ごす。その動作の流れを殺さないように力を脚部へ移動、そのまま流れる動作で蹴りを叩き込む。
「――っ!」
視覚外からの強襲に、流石のステイもたまらずに息を詰まらせる。超反射で直撃は避けたものの、かすった前髪が空を散る。
ステイも最後の一発を残して撃ち尽くし、それもあって後方へ飛びずさる。
開始時と同じ距離に立ち、そしてまた同じようにゼロになる相対距離。もはや刀剣と使った近距離戦闘といっても過言ではない激しい攻防を前に。
「……あれは無理だろ……」
誰ともわからないつぶやきは、しかし相対する当人たちには届かない。刃のように研ぎ澄まされた戦闘感が余計な雑音をはじく。
――先に動いたのはステイ。
地面を砕かんばかりに踏みしだくと、さながら猪のように真っ直ぐに突進する。その愚直さにヴァイスは訝し気に瑠璃の瞳を眇めるが、しかし向かってくるのであれば対処するのみ。
先ほどの空白で弾倉は装填済み。ヴァイスは余裕ゆえのゆったりとした(はた目から見れば十分に高速だが)動作で銃口を向ける。
狙いは一点。――眉間の間。
ためらいなく引き金を引こうとして――。
『人間の皮をかぶった化け物。人間よりも治りが早くて力も強くて、蒼い血が流れてる。人間じゃないものを殺して、何が悪いの?』
目の前の『人間』を認識して。
「――っ、」
引き金にかけた人差し指が、軋んで動かない。
「っ?」
その間隙をどう思ったのか、しかしステイは止まらずに接近を果たす。空いた左腕でヴァイスの右手をはじき上げ、その衝撃で空に投げ出される白銀の使い慣れた拳銃。
たまらずたたらを踏む両足の間に潜り込まれ、瑠璃の双眸はただ目の前の銃口を呆然と見上げる。
今の自分の心境を現すように。――そこのない闇の。
引き金が、きりと音を立てて絞られる。
瞬間。
「!」
何かを察したのか、ステイは弾かれたように背後へ飛んで避けるのと、その動作の直前までステイがいた場所にゴム弾が撃ち込まれたのはほぼ同時。
回避動作と同時に、半ばまで絞られていた引き金が衝撃で引き絞られ、吐き出された『実弾』が誰に当たることもなく何もない空間を音速で横切る。
演習では使用禁止の、本物の実弾。
その軌跡を感じながらもどうにか崩しかけた上体を持ち直して振り返った先には、未だ硝煙が立ち上る銃口。
「……レン?」
「おふざけが過ぎるんじゃありませんか。ラドフォード先生」
その声音にはいつもの朗らかな彼からは想像もつかないほどの殺気が含まれていて、思わずヴァイスは目を瞠る。
夏季休暇に参加したランク戦の、初めて彼が【ノアズアーク】の一員として前に立ったあの時と同じ。
「というと?」
「ゴム弾の中に実弾を混ぜるなんて意図しなければ有り得ない。――ヴァイスを殺すつもりだったのでしょうか」
「……なるほど。殺気を気取られたか」
ステイはいたって平坦にうなずくと、敵意はないとばかりに拳銃を拳銃嚢に戻す。
「この少年の話は聞いていたからな、少し本気で試したくなった。謝罪する」
「……別に」
ここまで正直にあっけらかんと言われれば皮肉も嫌味も生まれない。下げられた黄金色の頭を見下ろして、ヴァイスは努めて平静に返す。
「いや、もっと言っていいぞヴァイス。オレからもきつく言っておく」
珍しく真剣な口調で割って入ってきたメイナードは、その黄金色を小突きながら。
「生徒を銃殺とか前代未聞すぎるだろうよラドフォード。今夜は一杯奢ってオレに怒られろ」
「やむ無し」
それ、完全にメイナードの一人勝ちだろと誰もが思ったが口にはしなかった。
「大丈夫?」
「問題ない」
横からかけられた声に、ヴァイスは端的に返す。そこに含まれるこちらを気遣う感情を読み取りながら、それに対しても『問題ない』と。
今までどんな相手だろうが、ここまで攻め込まれることなんてなかったのに。
ハヤトに次いでレンにまで、弱みを見せてしまって情けないし恥ずかしい。言葉に言い表せない負の感情で、ヴァイスはレンの琥珀色から逃げるように瑠璃を伏せる。
「だが、話とは違う点もあった」
先ほどの反省の意も含めてか、メイナードになされるがままにぐわんぐわんと頭を回されながら、ステイは至って無表情に口に指を添えながら。
「話では逆鱗に触れると誰彼構わず口に銃口を突っ込んで、脅しにかかると聞いていたが」
ステイがそう言った瞬間、その場の空気が一瞬にして凍りつく。こいつマジか、と。
ちなみに当時その騒動があったのは近接歩兵科の講義室であり、目撃者もそこの生徒がほとんど。まだ中遠生徒でも聖グリエルモ学院の生徒ですらなかったヴァイスのその事件を知るものは中遠には居なかったのである。
閑話休題。
中遠の生徒はもちろんのこと、メイナードやレンまでドン引きと言った表情で口を閉ざす中、ステイはこんな時でもマイペースに淡々とした口調で。
「何かに惑っているようだな、少年」
ぎくり、とヴァイスは瑠璃の双眸を強ばらせる。それは傍目からは分からないほどにわずかなものだったが、見るものが見れば瞭然だ。
昨晩のハヤトの言葉で、少しは気が軽くなったけど、でもそれもまだ自分の中で整理出来てなくて、だからこその動揺。
その感情の揺れを、ヴァイスのそれとは僅かに違う輝きを称えたペリドットの双眸は射抜いて。
「可能であれば早急に片を付けることだ。でなければ。――いざという時、後悔することになるぞ」