2-3.死神様の隠し事
――あー、やっちまった。と何よりもまず隼人は恥ずかしさから目の前の岩壁に頭を打ち付けた。穴があったら埋まりたいそして埋めてくれ完膚無きまでに。
かなりの勢いで頭突きをしたせいで、岩壁にダイレクトにぶち当たったおでこがものすごく痛い。めっちゃ痛いが、先程の己の醜態に比べたらどっこいどっこいだ。
先程も言ったが大昔の古傷、しかもちょこっと端に触れられた程度で何をどうしてあそこまで言ってしまったのか理解に苦しむ。我ながら自分はクールに大人ぶれると思っていたのに。
そして、只今の隼人が抱く感情がもうひとつ。
全てをぶちまけたあとに見てしまった、少年の泣き出しそうな顔を思い出す。幼い子供の泣き顔のようなあの顔を。
端的に言えば彼は今、『幼い子供を、無意識とはいえ泣かせてしまった年長者』という謎の罪悪感に苛まれていた。
田舎の中学生が学習がてら地元の幼稚園へいって言う通りに遊んでやったものの、突然泣き出されて慌てふためき、周りで見ていた幼い子供に「やーい泣かせたいけないんだー!」と後ろ指さされる、そんな感じ。
なんでか分からないが、ヴァイスのあの顔を見た時、罪悪感から隼人は率直に自分を責めた。
先程の一連の流れを思い出し深く、それはもう深~くため息を零して項垂れる隼人は、しかし切り替えるようにして思考を反転させる。――これでようやく『推測』が『確定』に変わった、と。
ヴァイス――あの少年は一樹と浅くはない関係にあった、という事。
最初はオリバーがアルベルトに抱く感情と同じく、偶像のようにただ『崇拝』しているだけかと思った。しかし彼が兄と同じ所属で同じ時を過ごし、それを大切な宝物のように話す様をみて、「これは違うな」と隼人は確信した。
正直、隼人は一樹とは兄弟である以上、他の人が知り得ないあんなことやこんなこと(まだ実家にいた頃、近所の敷地内に生えていた柿の木によじ登って頭から落ちて数針縫った事とか、ノンブレーキ自転車で坂道を下っていたらカーブで案の定すっ転んで吹っ飛んだ事とか)も色々知っている。知っているからこそ周囲の人間とは違う評価になるのは当然なのだ。
そう、当然のこと。――それは逆も然り。
人間は自分が感じたものを否定されると不満や不信感を抱くものだ。それは感情を有する以上仕方がないことなのかもしれないが、だからといってお互いに躍起になれば火種は大きくなり、やがて爆発してしまう。それは歴史が物語っている。
だからこそ人はお互いの意見を尊重し合うべきだし、前段階として相手の話を聞き、自分の意見を述べる場や雰囲気が必要になる。
全人類がそう在るのは難しいかもしれない。でも自分はそうはならないように、努力だけはしたいと思っている。特に、――あの無関心のくせして悲しげな、死神の前では。
とまぁ大仰に言ってはいるものの、要するに自分が勝手に苛立って勝手にヴァイスに当たっただけのことである。100%自分のせい自分のせい。
自分に非があるのであれば、謝罪するのが作法である。
…でもなぁ。素直に謝りたくないなぁ、だって馬の骨合わないんだもの。
と、この期に及んで尻込みしている自分を「今回だけ!!」と内心で叱責する隼人だったが、狭い迷宮区に響き渡った音に跳ねるように顔を上げる。
地面を叩く軽い金属音が、3回。
嫌な予感しかしないその音に、隼人は深紅の双眸を眇めた。
*****
「づっ、ぐぅ…っ、」
腿と肩を中心に全身を走る激痛に、ヴァイスは唇を噛んで耐える。
未だ自由の効かない身体を僅かに震わせる様を哀れと思ったのか、オリバーはヴァイスから奪った拳銃を軽く振りながら嗜虐的な笑みを浮かべた。
「ふむ、これだけでは足りないかな?」
続けて無造作に4発。ろくに狙いもせずに適当にヴァイスへ向けて発砲した。
流石にその様を非人道的と思ったのだろう、取り巻きの1人が怯えながら声をかける。
「ちょ、ちょっとオリバーさん、流石にそろそろまずいですって。死んじゃいますよ」
「なに、このくらいで死なれてもらっては、逆に張合いがないというものだ」
オリバーの言葉に恐る恐るヴァイスを見やる。ややあってその目は恐怖と驚きに開かれていく。
跪いた地面には、確実に致死量の血溜まりが広がっている。
調査員が使用する武器はそれぞれが対迷宮生物用に特殊加工されたものだ。拳銃もそれは同じで、通常の弾丸とは違い弾頭は聖石を加工したものであり、装薬の量も一般的なものに比べ2倍から3倍と大幅に増量されており、単純に貫通力・殺傷力が跳ね上がっている。
理由は至極簡単。そうでもしなければ迷宮生物に致命傷は愚か、かすり傷さえも与えられないからだ。
地上の常識は一切通用しない。迷宮区を彷徨う獣たちの毛皮は厚く、そしてその再生能力は理解の範疇を超える。
そんなバケモノへ向ける武器であるからには、人間相手に撃てば、たとえかすったとしても簡単にショック死する。血肉は吹き飛び、手足はちぎれる。
その、はずなのに。
取り巻き達は、得体の知れない何かを見るかのように、恐怖に後ずさる。
7発の弾丸を受けてもなお息のある様に。撃たれた端から跡形もなく消え去る銃痕に。そして。
――その地面に溜まる、血の色に。
「まさか本当に『タキオン』はこんなモノを隠し持っていたとは!これならあの快進撃にもなるほど納得出来る!まぁ、これは流石に公言は出来ないだろうけどね」
鍾乳石の垂れ下がる天井を見上げてオリバーは高々と呵う。嗤う。哂う。まるでゼンマイの壊れた木彫りの人形のように。
ここまで来ればいつも顔色を窺うだけの取り巻き達も流石に彼の様子がおかしい事に気づくが、しかしだからといってそれを指摘するだけの度胸はなく、ただ隅で怯えるだけである。
そんな背景達にはオリバーの視界にすら入らない。彼の興味はただ1つ。
反らした首をぐるり、と回し跪いたままのヴァイスへその血走った紫眼を向ける。
「迷宮生物は身体のどこかにある『核』を破壊すれば生命活動を停止するよな?じゃあ――」
がしゃり、と銃口を雪白の頭部へとあてがう。
「――その脳漿をぶちまけたら、どうなるんだろうね?」
引き金に、力を込める。
「――何をしている」
一切の感情が抜け落ちた、しんと冷めきった声が降りたのは、その時だった。
*****
人間、心底あきれると虚無になるよな、と目の前の光景を改めて見ながら他人事のように隼人は内心独り言ちる。
怯えたように隅で固まったまま動かない4人の生徒。少し距離をあけ白銀の自動拳銃を持つマリンブルーの仏貴族。そして。
――『蒼い』血溜まりの中で頽れる、雪白の少年。
「これはどういう事だ、エリート様」
血溜まりの中、ヴァイスは隼人の声に弾かれるようにして顔をあげると、次いで逃げるようにして俯いた。
壊れた皿を隠し、それが露見してしまった子供のように。
そんなヴァイスの縮こまった姿に、隼人は僅かに苛立ちに目を細める。
隼人の心象を知ってか知らずか、彼の登場に『待ってました』とばかりに上機嫌にオリバーは歩み寄る。
「ようやくお戻りかなご主人様?君にはぜひとも聞いてもらいたい話があるんだよ。――『タキオン』が人型の迷宮生物を飼っていたって話なんだが」
右の親指に嵌る制御装置が、淡く痛みを持つ。それは隼人自身の痛みではなく、幻覚痛。
「『毒を以て毒を制す』とはよく言ったものじゃないか?まぁそれも面白いが、もっと面白い話があるんだ。一番最初の契約者、それって君の兄君らしいじゃないか」
言葉の通じない迷宮生物を飼い慣らす都合上、制御装置には体内電流や脳波などを読み取り、感情を触覚を通じて契約者へと伝達する仕組みが組み込まれている。
「こんな得体の知れないバケモノを使役しようだなんて、流石は堕ちた英雄殿!頭のぶっ飛び加減が常識を超えているじゃないか!――まぁ、」
『怒り』の感情を持てばそれは『熱』として。
『悲しみ』の感情を持てばそれは『冷たさ』として。
「迷宮生物は揃いも揃って人間の肉が大好きだからな。案外最期も間抜けに食われたってオチかもしれないな?」
そして、心身問わず『痛み』の感情を持てば――。
「――なぁ、」
瞬間、オリバーの顔面は翠色の液体によって水浸しになっていた。
「俺は今こいつに聞いてるんだ。外野は黙ってろ」
何をされたのかわからず、オリバーはその紫眼を大きくまばたく。次いで隼人の発言と己の顔面から滴る液体に何をされたのかを察し、怒りに目の端を吊り上げる。
「っ貴様ぁ!この私に向かって何をっ!」
「自分の状態すら察せられない馬鹿に、親切に貴重なポーションをくれてやっただけだけど?それと、」
怒りに震えるオリバーに対し、深海の如く静謐で、氷雪のように凍てついた瞳を隼人は細めると、胸ぐらを掴むように突き出されたオリバーの右手を捻り上げる。
「制御装置、今すぐ外せ。勿論拘束も解除してからだ」
「だ、誰に向かって、」
「制御装置は命令系統の混乱を避けるために一対と原則決まっている、そんなことも忘れたのか。それとも、」
尚も言い返そうとしてきたのでぎりり、と更にきつく締め上げる。
「お前もモノ扱いを体験してみるか?」
隼人の言葉で、オリバーの反抗の勢いは削がれる。屈辱一色に染まった表情で、ヴァイスにかけた制御装置による拘束を解除する。
拘束が解けた事でぐらつくヴァイスだったが、地面に両手をつくことで上体を支えた。
その事を視界の端で見届けた隼人は視線だけで制御装置を外すようオリバーへ指示をする。相手を見下すようにくい、と顎を上げて。
「…っこの、最底辺の落ちこぼれが…っ!」
わなわなと全身を震わせ、最後と抵抗とばかりに罵倒を浴びせるが、隼人は聞き飽きたとばかりに紅玉の双眸を眇めるだけだ。
どこまでも小馬鹿にした隼人の態度に、オリバーは指に嵌めた制御装置を外すと、乱暴に地面へと叩き捨てた。
去り際。
「野垂れ死ね、愚民が」
と呪いのように吐き捨て、4人の取り巻きと共にオリバーは鍾乳洞を後にした。
「…おい、大丈夫か」
オリバーの呪言は無視。何はともあれ先ずは治療が先だろう、と蒼い血溜まりからして明らかに致死量のそれを見て、隼人はヴァイスに近づき、腕をつかもうと手を伸ばす。
と、同時。隼人の手は明確な拒絶の意を持って跳ね除けられた。
「触るな」
微かに震える手を握りしめ、ヴァイスは敵意の剥き出しな――可哀想な程に怯えきった瑠璃の瞳できっと隼人を睨む。
「あいつの言った通りだ。僕は『モノ』で『道具』で、そして――『バケモノ』だ」
無意識、右耳に付けられた紅色のイヤーカフに手が伸びる。迷宮区に住まう『バケモノ』と同じく蒼い血の通った自分は、管理されるのは当然だと言い聞かせるように。
「その事は、兄貴は知っていたのか」
問う、記憶の中の彼と同じ深紅の瞳から逃げるように、瑠璃色の視線を逸らす。
「…迷宮最下層域、最深部の手前。僕はそこでカズキに拾われた」
直接な答えはなく、代わりに返って来たのは、告解。しかし隼人は問い詰めるでなく、今にも消えそうな声に耳を傾ける。…撃ち抜かれたはずの傷も、塞がっている事を確認して。
「言葉も記憶も何もかも無かった僕を、カズキだけは庇って育ててくれた。僕自身『何者』か分からない、危険があるかもしれないのに食事を与えて、治療法のわからない病気になれば、寝ずに看病もしてくれた」
一樹がいなければ、自分は実験動物のように扱われたであろう。迷宮区に人のカタチをした『バケモノ』がいれば、調査員や解明に明け暮れる研究員は嬉嬉としてその腸を引きずり出したことだろう。それだけヴァイスの存在は異質で貴重なサンプルだ。
迷宮生物と同じ色の血が流れていると知った時、およそ人間のそれではない獣のように戦場を駆る様を見た時、人は誰も彼もが『バケモノ』と呼んだ。
――ただ1人、カズキだけは、そう扱いは絶対にしなかった。
「…カズキを殺したのは、僕だ」
あの日、と澄んだ清流のような声で言葉は続く。
「2年前。迷宮区最奥部、そこで僕達はこの迷宮区の頂点に立つ『王』の下までたどり着いた。でも、何も出来ずにみんな殺されていった」
ある者は手足をもがれて。ある者は首を捻じ切られて。正しくそれは地獄絵図そのものの具現。
あぁ、と隼人は思う。その地獄は、よく知っている。
「カズキが僅かな団員を、僕を命をかけて逃がしてくれた。彼はずっと僕を育ててくれた、僕の『願い』を聞いてくれた。だから僕は彼の為に、カズキの剣であり盾であろうと誓ったのにっ、なのに僕はその背中を、見ていることしか出来なかった!」
だから――。
「僕のせいで、君の大切な家族は死んだんだ!」
『バケモノ(ぼく)』さえ、居なければ――。
悲痛の色を帯びたその声は洞窟内に響き、幾度か反響を繰り返して溜まる水底へ消えていった。
永い、沈黙が空間を支配する。
目の前の死神は、変わらず僅かに肩を震わせて、その瑠璃色は伏せられたまま。
この身はどんな罰でも受け止めると、そう言っているようで。
気に入らない。
――だから、言ってやった。
「…ふーん、そうか」
至って、真顔にただ一言。
予想外の一言に歴戦の調査員であるヴァイスでさえもぽかん、と口を開ける。
「…それだけ?」
「お前さぁ、俺がここで『お前が兄貴の仇かぁ!?』って殴り掛かる熱血漢に見えるか?」
してやったり、と隼人は鼻で軽く笑う。
ヴァイスは何かを無理やり押し込めたように低く唸ったが、「控えめに言って、全く見えない」と顔に書いてある。
「兄貴は馬鹿で真っ直ぐなんだよ。多分助けたかったから、お前の事が気に入ったから世話を焼いた。それだけだよ」
鍾乳石の下がる高い天井を、さらにその先の天を仰ぐように見上げて隼人は微笑する。
「…ただ、」
追想に、思いを馳せる。
「俺もお前と同じであいつに負い目があるのは、皮肉だよな」
柔らかな微笑が一転、責めるような嘲笑に変わる。
同じように兄に連れられて、同じように兄に助けられて。そして――置いていかれた。
隼人はヴァイスに向き直ると、頭を下げる。
「さっきは済まなかった。お前の大切な人を貶して。それとありがとう。この刀を――兄の形見を届けてくれて」
左腰に佩いた、かつては兄の右腰に在った白い柄に、知らず手を添える。
迷宮区の中で野垂れ死んだであろう兄の刀を、一体誰がわざわざ拾ってきたのだと、前々からの疑問がようやくこの時理解した。
ただの頭でっかちのエリートだと思った。
感情のない、『死神』だと思った。
――けど、違った。
想像も出来ないような絶死の迷宮の果てで、己自身も命をも秤にかけて、それでも兄の形見と刀を探して、顔もしれない家族の元へと送り届けた。
見ているだけしかできなかった、己を裁きに来てくれと。――過ちを侵したダメな子供を叱り付けるように。
彼はただ標を失った、それでも心配させんと自分さえ騙して強がっているだけの、ただの子供だったのだ。
予想外の言葉に追いついてないのであろうか、尚も一言も発しないヴァイスに居心地が悪くなり、乱雑に赤銅色の髪を混ぜる。
「いや、兄貴が凄いやつでアホみたいにお人好しなのは痛いほど知ってるって言うか、異能持ちで刀も使えるくせに驕らないというか鼻にかけないしカリスマ性もあるのは知ってるけどだからって普段何も説明せずに振り回したりいつかなんて勝手に突進していって龍の巣に落ちた挙句に卵を割って逆上した親に殺されかけるとかふざけんなって思うだろ!?」
なぁ!?と同意を求めるも、ヴァイスは気圧され微妙な顔になる。なぁと言われてもと言いたげに。
そんなやり取りが面白くて。彼と出会ってから初めてこんな他愛もない話をしたなとふと思って。
はた、と向けた視線の先、目の前の死神も同じことを思ったのか。
「…ふ、」
花が綻んだように、笑った。
その表情をみて、やっと笑ったと隼人は安堵する。泣かせてしまった子供がようやく泣き止んでほっとした、みたいな。
…もしかしたら、子育てする親ってこんな気持ちなのだろうか。
まで考えて思考を中断する。自分と同じ年齢の子供とか虚しすぎるヤメロヤメロ。
と頭の中で1人己と闘っていると、ずっとその場で俯いていた少年は立ち上がった。
はにかむような、そんな上目遣いで。
「…今度は、ハヤトの話も聞かせて欲しい」
「俺の話より、兄貴の武勇伝の方が面白いぞ?」
「それも聞きたいけど、」
と、そこで言葉を切り。言っていいものかと逡巡し、結局躊躇いがちに続きを口にする。
「…君なら、僕の『願い』を見届けてくれると思ったから」
ボソボソと喋るので、聞き取れなかった。
「なんだって?」
「なんでもない」
ぷい、と顔逸らされてしまう。そんなに聞き返したのが気に入らなかったのかこのエリート様は。
「まぁ俺の話はさておき、いい加減移動しよう。そろそろ――」
「うわああぁぁぁ!?」
隼人の提案は虚しく、同階層内に突如として上がった悲鳴に遮られた。
目の前の死神は、なにかの気配を察知してか、既に鍾乳洞の地面に転がっていた得物を拾い上げている。
――この場の惨状を見た時から、こうなることは予測できていた。
それでも沸き上がるやるせない気持ちに、隼人は苛立ちに紅い瞳を細めた。
ストックに追いついてしまったので、しばらくは不定期更新になります~!
できるだけ早めに更新はしたい!…つもりはある(目そらし)