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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
番外:聖徒たちの日常
65/132

その3.小さき王と『代行者』

イタリア・ヴァチカン市国の直上に突如して発生した迷宮区『サンクチュアリ』からそう遠くないフランス、パリ。

『大予言』後も変わらず隣国同士の国境を越えるのは、イタリアから遠い島国に帰るよりも簡単だ。

ほんの少しだけ肌寒く感じられる気候の中で、ヴァイスと同じように迷宮区から(記憶の中では)出たことがなかったレグルスはしかし。

「…………」

「何をしている。早く来ないか」

「……いや、」

貴族だっていうのはもちろん知っていたけれども――。

目の前に佇む、かつてのサン・ピエトロ大聖堂の残った半分をそのまま流用した聖グリエルも学院の学舎かそれ以上に荘厳な建物を目の前に、レグルスはただただ呆然と立ち尽くしたまま生返事を返すことしかできなかった。


-----


ハヤト、ヴァイス、レンの三人が理事長室に呼び出されるよりも気持ち早い時間。

「アマデウス。今時間はあるか?」

ここ数日で聞き慣れすぎたテノールに、レグルスはこれでもかと不機嫌さをにじませながら振り返る。

『聖戦』のせいで大半を地中で過ごした夏は少し遠く、徐々に秋の陽気になりつつあるが依然として肌をつくような太陽光を背中に、マリンブルーの長髪を相変わらず背中に流したフランス貴族。

先に彼の従者のリュカオンに「主呼んでくるからちょっとここで待ってて!」とつかまってしまって、嫌々残らされて数分。

まぁ、その間それまでいた孤児院で待っていたわけで、遊び相手には困らなかったから待ちぼうけというわけでもなかったけれど。

そうして自分よりも幼いたくさんの妹弟に囲まれながら、意外に時間がかからなかった尋ね人の質問に。

「なんの用?今日は特にメンテとかの予定もなかったはずだけど」

「そうだが。別に私も用事がなければ話しかけないような人間でもないんだが」

「少なくとも、オレとはないと思ってるんだけど」

「はいはい」

ここ数か月の付き合いでさすがにオリバーも慣れたのか、うんざりしながら適当に罵倒という名の挨拶を聞き流す。

それで?と。無言の促しに眇められる紫の双眸に。

「別に時間はあるけど…」

「そうか。なら今すぐ適当に支度して正門前に来てくれないか」

「え」

「あぁ。今といったが正直数日はかかるだろうけど問題ないか?」

「は?」

「どうせ問題ないだろうからさっさと準備してこい」

「ちょっと?!」

そう言うだけ言ってオリバーはここ数か月何気に通い詰めてそれなりに距離感の縮まった子供たちに軽く一言二言交わしてから、踵を返してさっさと行ってしまうのであった。


……今思えば。彼にしては珍しく、結構強引というか本人自身も不本意極まりないと言いたげな、まくしたてようだった。


-----


そうして行先も告げられず、正門で停車していた豪奢な車に乗り込んで駅で降ろされて、電車に揺られること7時間。

たどり着いた場所は、その建物を見た瞬間に直観で理解した。

まるで絵本から飛び出してきたかのような荘厳でいて神聖な建物だ。白を基調として作られたそれは見ただけで何百年もの歳月をこの場所で歴史の流れを見てきたのかを感じさせる佇まいと、しかしその年月を一切感じられないほどに傷や亀裂などが全くない。

正門からこの正面玄関までは約500mほどの距離があり、その道中はきちんと整備された花々がその時の季節を彩るかのように花弁を開かせ訪問者を和ませる。

正面玄関はこれまた豪華なもので、中心には見上げるほどの噴水からはこれでもかと流れる水が太陽に照らされ輝き、観音開きの扉の前にはそこに続くスロープと階段が左右対称に緩やかにかけられている。

各部屋らしき窓枠はレグルスの倍以上を優に超え、それぞれに手すりのついてバルコニーが設置されている。

救国の聖女がその身を捧げし花の国。その大公の威光を影の世界で体現する。――ロングヴィル伯爵本邸だ。

何がどうしてこうなったのか。全く理解できない。

なぜこんな場所に、自分なんか小汚い孤児の、しかもそんなに仲良くもないオレは連れてこられたんだ??

頭の中は大パニックで、そのせいで一歩も動けずに打ち上げられた魚のようにぱくついているレグルスを通り過ぎ、オリバーと従者のリュカオンはなんの気負いもなくすたすたと歩く。

自分の家なのだから、当然といえば当然なのだが。

正面玄関の観音開きの扉の取っ手を、何気なくオリバーが押し込む。

「――ようやく帰ってきやがったか馬鹿弟がああああああああああ!!」

「だああああああっぶなっ?!」

そのまま壊れてしまうのではないのかという勢いで、内側から開け放たれ。それと同時に飛び出してきた影が振るった一閃を、オリバーはすんでのところで避けきる。

「いきなり斬りかかってくる人がありますかっローラ姉上っ。リュカだったらどうするのです?!」

「やかましい!こっちの呼出しにも一切応じない馬鹿にはちょうどいいわよっ」

そういいながらローラと呼ばれた女性は細剣をびたりとオリバーに突き付ける。

こうなることを読んでいたのだろうオリバーは、両手を上げてホールドアップしながら。

「それは失礼しました。後で父上に怒られてきますから」

「残念。今日は兄姉みんな勢ぞろいだから、みんなに怒られなさいな」

「うわ最悪」

「ところでそちらのお子さんは?」

危なっかしく細剣の先で前をどくように振りながらローラの関心がオリバーから外れてレグルスに集中する。オリバーとは深度が違う、ラベンダーの双眸。

視線を感じて、今目の前で起こった事件にあっけにとられていたレグルスは慌ててたたずまいを正しながら。

――今まで付き合いのあるオリバーならともかく。生粋の貴族のご令嬢を前にして普段通りにふるまえる胆力は、さすがにレグルスもない。

「あ、えっと。貴族さま、ブルームフィールド先輩にはいつもお世話になっています。レグルスって言います、」

「――貴方があの?」

先ほどまでの陽気さは一切消え失せた冷徹に眇められた双眸に、レグルスは気圧されて後ずさる。

自分の遺伝子に無理やり組み込まれた獣の本能の発露に、今まで感じたことのない感覚だったから、レグルス自身もそのうすら寒さに冷や汗を流しながら。

この後の彼女の一挙一動を見逃さまいと、レグルスは身構えて。


「あ~~んヤダーーーーすっごくかわいい―――――!!!!」

「に”ゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?!」


扉を突き破ってきた勢い以上のスピードで飛びつかれ、レグルスは奇しくも数日前愛しい弟が発した奇声と同じ叫びをあげる。

女性といえども年齢による身長差もありもちろんレグルスがその弾丸を受け止めきれるはずもないのだが、そこはさすがというべきか絶妙な力加減に抑えられていたが。

「え~聞いてたよりもすっごくかわいいじゃない~!レグルスくんだっけ?も〜話はずっと聞いてたけど全然こいつったら連れてこないんだから。あ、お姉さんの弟になる気ない??」

「ここにも弟がいますが?」

「あんたみたいなかわいげのない弟はいらないわ」

「さいですか」

本人としても別段気にしていない様子で、なされるがままに抱き着かれて目を回しているレグルスを無造作に引き上げると。

「お楽しみのところ恐縮ですが。そろそろ時間なので失礼しますよ」

「は~いこってり絞られてきなさいな」

「わかりましたよもう……」

「あ、ちょっとっ」

じゃ~ね~と、オリバーにかける声よりも甘い背後の声音と、いまだ状況が理解できないレグルスは関係なしにすたすたと入ってしまう貴族の背中と見比べて。

「……いったい何なのさっ」

地団太を踏みながら吐き捨てた。


-----


「――それで。君の現在いる孤児院の今後の運営についてだが」

「…は?」

オリバーに連れられて、多くの使用人やメイドたちの脇をすり抜けながら通された部屋は、この道中で見えたどの部屋よりも豪奢な造りだった。

室内も外観と同じような白を中心とした壁や天井に、見るからに高そうな家具の数々。

もはやこれだけ見れば高級家具を販売しているディスプレイのようなのだが、積み上げられた書類と所狭しと並べられた書斎棚といっぱいの本のせいで大半が隠れてしまっている。

その中心。木造のデスクに深く腰掛け待っていたのは。

「なんだ。もしかして何も聞いていないのか?」

「…えぇ。オレは無理やり連れてこられただけなので…」

「父上がご説明されるのが早いと思いまして」

「全くお前は……」

オリバーのあっけらかんという態度に、目の前の壮年後期の男性は辟易と肩を落とす。

ロングヴィル伯爵家現当主。グウェナエル・ロングヴィル・ブルームフィールド。

オリバーが『父』と呼び、フランスの貴族のすべてを実質裏から管理する、『代行者』の頂点。

背広の上からでも見てとれる体躯は巌を連想させるほど引き締まり、短く刈り上げられたフォグブルーの髪はオールバックに流されている。

そして何より。勇壮なその相貌の半分を埋める、黒の眼帯。

いったいいつの時代だと思うほどの大袈裟な眼帯だが、その下の隠しきれずに見て取れる古傷から、相当なものなのだろうことが容易に見て取れる。

その、一つ残った滅紫の左目を眇めながら。

「昔はそこのレグルス君のようにかわいげがあったものなのに。どうしてそう育ってしまったのか」

「お言葉ですが。父上のご指導のせいじゃありませんか」

寄ってたかって傍若無人に降り回されたせいなのでは。

という言外の言葉は口には出していないのでもちろんレグルスには何のことだかさっぱりわからないが、グウェナエルには通じたようで彼は飄然と肩をすくめる。

「まぁその話は置いておいて。君の孤児院の今後について相談をしたいと思っていたのだよ」

「はぁ…」

「こちらで勝手に手続きを済ませてもいいとは思うが、何せあの場所は君が守ってきた場所だ。であれば年長者でもある君の意見を聞かねばなるまいて」

レグルスを含め、多くの孤児が収容されている『アマデウス孤児院』は、かつてはクロス男爵家が経営していた孤児院系列だ。

聖歴が始まって以来爆発的に増加した孤児たちを積極的に迎え入れ、その系列は瞬く間に迷宮区内で一番の組織となった。

――しかし、その実態は。己の錬金術の真理を追究するための実験体を集めるための体のいい嘘。

収容された子供たちは大半がその人体実験の被検体にされ、人知れず死体となった。

その悪事を暴かれたのがつい数か月前のことで。その間いろいろあったのだがこの場では割愛。

『代行者』によって地位も名声も何もかも断罪され地位を追われたクロス家に代わり、今は臨時処置的にブルームフィールド家が孤児院の維持・経営に当たっているのが現状だ。

グウェナエルの言葉で、レグルスはどうしてこの貴族様に呼び出されたのか、ようやく理解する。

「本当一言くらい説明してくれればいいのに」

「私とは話したくないと思ってね」

日頃の意趣返しのつもりか。

と、レグルスは文句ありげにぐぬぬとにらみつけるが、本人は素知らぬ顔で祖そっぽを向いてしまうので。

「それは、これからの経営は難しいってことですか?」

「いや、そうではない。迷宮区の孤児や放浪者の保護は依然として健在だ。むしろ我々のような貴族が率先して対処しなければならないだろう」

一息入れるように息を吐き出しながら、グウェナエルは腕を組む。

「しかし数が問題でな。もともとブルームフィールド家はそういう慈善活動をしてきたためしがない。今後は経営者としての知識や経験といったものが不足してくるだろう」

今はレグルスよりも小さい子供たちだが。

――いずれは追い抜いて大きくなっていくのだから。

そうなったとき、学費や食費や生活費。孤児院の部屋も小さくなるだろうからその増設や子供たちのケアをする職員の不足が、グウェナエルが最も懸念している一つだという。

だから。

「そこで提案そして、複数の貴族にも経営の援助を行ってもらおうと思ってな」

「援助?」

「今はブルームフィールド家がすべての孤児院を経営してはいるがそうではなく。協力してくれる5つの貴族に経営権を譲渡し分割して経営を行ってもらう」

なるほど、と。年齢の割に知識のあるレグルスは白銀の双眸を瞬く。

ブルームフィールド家を入れた6貴族がクロス家が経営していた孤児院を分担・経営することで、資金面や教員の補充などの負担を減らそうということか。

ただ、と。グウェナエルはその図体には見合わない、窺うような視線でレグルスを見遣る。

「貴族にいい気持ちを抱かない子供たちは大勢いるだろう。君の境遇もある。だからこの提案の承認を君に問いたい」

私腹を肥やすためだけに利用され解剖され、使えなくなったらうち捨てる。

何を言っても。何をわめいても。その声は相手には届かなくて。

――ただ玩具のように弄ばれて。

そんな扱いを受けてきた子供たちにとっては、確かに彼の提案は受け入れがたいものかもしれない。

移った先。経営を任された貴族がもし、またあの錬金術師と同じだったら?

そう思ってのグウェナエルの質問で。それを一番、誰よりも身をもって体験したレグルスは。

「オレは、それでいいと思います」

「君たちは子供だ。しかし君は聡明だ。我々の庇護がなければもちろん生きるのは難しいことだと理解しているだろうが、別にここで君が否定してもブルームフィールド家は援助を続けるぞ」

だから遠慮はしないでほしいと。本心を言ってほしいとグウェナエルはそう告げて。

だからこそ、レグルスも改めて答える。

「今までを考えてみても、保護してもらえるだけでオレたちはすごく助かります。これからの子供たちの成長も考えてくれている。それに、」

いったん言葉を切って、気づかれないようにそっと隣のマリンブルーの影を窺って。


「この男は。この男が育った家なら。一応は信用できますから」


発せられた言葉に驚いたように隣の気配が身じろぐも、レグルスは努めてそっちを見ないようにグウェナエルに視線を固定する。

自分が言った言葉だが。これ以上恥ずかしいことはない。

レグルスの言葉はグウェナエルにとっても予想外だったようで、彼は滅紫の片目をこれでもかと大きく見開いて。

「――そうかそうかっ!いや、これは俺も読みが外れたようだっ」

がっはっはと豪快に笑い様は、気品のかけらもない。様相も相まって貴族というよりは山賊のほうがしっくりくる。

グウェナエルはしばらく二人が目の前にいることすら忘れて笑った後に、ようやく落ち着いたのか先ほどよりかは幾分か砕けた姿勢で座り直し。

「いやはやなかなかどうして人を見る目はなさそうだ」

「どういうことですか父上」

「まぁそうつっかかってくるなよ」

実父の評価に思いっきり顔をしかめながら抗議するオリバーを適当にあしらい、グウェナエルは口に手を当てながら。

「いやぁ、この豪胆っぷり。やはりこのままにしておくには惜しいなぁ。養子とか興味ないか?」

「父上…っ」

「だってお前よりかわいげあるし」

この会話、なんだかデジャヴだなとレグルスはあきれながら眺めるにとどめる。先ほどのように巻き添えを食らうのはごめんだ。

「それでは、この話はそのまま進めさせてもらう。また正式に決定し次第改めて君に連絡させてもらうがいいかな?」

「それはいいですけど……」

「君はあの孤児院を守って、これからを見届ける義務と権利がある。だからこそ君にもかかわってもらいたいのだよ」

自分はまだ初等科の、グウェナエルにとってはもちろん、義兄のハヤトやオリバーにとっても子供なのに。というレグルスの隠した問いかけに、グウェナエルは正しく答える。

正直のところ。できることなら自分もそういう運営に関わりたい。自分のような末路をたどらないように、今の子供たちには幸せに成長してほしい。そうひそかに思っていた。

だから、グウェナエルの提案がうれしくて。――一人の『人間』として見られていることが、たまらなくうれしかった。

グウェナエルはレグルスのそんなわずかな表情の変化に、満足げにうなずいてから。

「ではようやく次の議題だな。――入ってこい」

次に話すことって何だろうか。と訝し気にレグルスが背後を振り向くのと同時。先ほど自分たちがくぐってきた執務室の扉が開く。


――入ってきたのは、レグルスと同じような年齢に見える少女だ。


癖のないターコイズブルーの長髪はツーサイドアップに両耳の上で束ねられ、かわいらしく白のリボンでまとめられている。

その下のロベリアの双眸はその年齢特有の自信に満ち溢れ、どことなくオリバーの面影がうかがえる相貌。

三人の注目を一身に受けながら、少女はスカートの裾を軽く摘み上げ。

「初めまして。そしてお久しぶりです、オリバーお義兄様」

「長兄の娘のジャネットだ。今はフランス国内の学校に通わせているが、来期に聖グリエルモ学院に編入することになった」

少女――ジャネットはグウェナエルの紹介を受け、ロベリアの瞳をほころばせる。

目の前の偉丈夫なグウェナエルも途中で出会ったローラも、認めたくはないがオリバーも、そろいもそろって美形だ。そりゃ確かに最近よく見かける『死神』の造形美が完璧すぎて感覚がマヒしている自覚はあるが、さすが高潔な貴族にふさわしい。

その血統の娘なのだ。それはもちろん美形だ。美形なのだがそうではなく。

レグルスの疑問をまたしても先読みしたグウェナエルは、少々含みのある微笑を浮かべながら。

「お婿に入ってくれてもいいぞ?」

「何言ってんの!?」

「ついでに今後はこういう本家との連絡はジャネットを通して行わせていただく」

「普通こっちが本命じゃないの?!じゃなくて、」

グウェナエルへの諸々の突っ込みをとりあえず棚上げし、レグルスは依然として彫像のように動かないオリバーにつかみかかる勢いで振り返り。

「もう何も説明ないじゃんかっ!どういうことなの?!」

「これでも私は来期は最上級生だ。君に裂ける時間もすくなくなるだろうから引き継ぎという形だ。年齢も同じだし、ジャネットの方がやりやすいだろ?」

「逆にやりずらいんだけど…っ」

「それと、君のメンテナンスのこともだが。今後はジャネットに手伝ってもらう」

割り込む形で告げられた宣告に、レグルスは胸に込上げるいらだちを今度こそ隠すことなくグウェナエルを睨む。

「……なにそれ、確定事項なの?」

「こちらは君の意見を聞けずに申し訳ないが、そうだ」

先ほどとは一転、何を言われようが絶対に意見は変わらない、と。レグルスのそれを返すように眇られる滅紫の隻眼。

珍しく声をかけてきたかと思えば。

それとは裏腹に、ここまで何の説明もしてもらえないかと思えば――!


「~~~~あっそう!もう勝手にすればいいよ!!」


言い捨てて、レグルスは返答を聞くことなく踵を返し、まっすぐに廊下へと駆け出す。

誰かの呼び止める声が聞こえた気もしたが、振り返ることなくレグルスはただただ当てもなく、無駄に長い廊下を駆け抜けた。


*****


「レグルス様…っ」

反射的に呼び止めたジャネットだったが、それ以上はどうしようかと逡巡し、グウェナエルが短く首肯してくれたことを確認してからパタパタと執務室を後にする。

その背中が見えなくなって、ようやくグウェナエルはため込んでいた息を重苦しく吐き出す。

「……全く。彼の怒りはもっともだぞ、オリバー」

グウェナエルの言葉に、オリバーは軽く肩を竦める。

「私は特に嫌われているようですので」

「嫌われるように仕向けているんだろう」

嫌われている、のではなくオリバー自身がレグルスにそう思わせていると。グウェナエルは見透かしたように言及し、それに対してもオリバーはなんの反応も示さない。

沈黙とはすなわち、肯定を意味する。

その沈黙をもって改めてグウェナエルはため息をして。

「……これで本当にいいんだな」

「……えぇ」

滅紫の視線が己の左耳に注がれてることに気づいて、オリバーは無意識に手を伸ばす。先日の『聖戦』で『リリス』を縫い留めるために使って今はない、金の十字架。

……あぁ。つい半年前までは、自分がこんな愚かな選択をするとは思わなかった。

けれど。――心は逆に、半年前よりも清々しく、澄んだ早朝の空気のように晴れやかに。


「私はこの選択を、後悔することはないのです」


胸を張って堂々と。口元には無意識に浮かんだ笑みをたたえて、オリバーは笑う。

だからどうか。


――そんな悲しい顔を、しないでほしい。


*****


「――何さっ。何さ何さ何さっ!」

ここがブルームフィールド家の本邸だということも忘れて、レグルスはわき目も振らずににずんずんと進む。

『この男は。この男が育った家なら。一応は信用できますから』

この言葉に偽りはない。たった数か月、しかも成り行きで関係を持った間柄だが、それでもレグルスはブルームフィールド家を。――オリバー・ブルームフィールドのことは信用できる人間だと思っている。

そりゃあ、貴族特有の鼻にかけた態度とか上から目線とか。そういうものはいけ好かないけどそれはレグルスがそういう世界とは無縁だったから馴染みがないからゆえなのだろうと思う。後単純に自分が好きじゃない。

それを差し引いても。

例えばメンテナンスの時はいつも声をかけに初等部まで迎えに来るし。

そのあとだってちゃんと孤児院まで送り届けてくれるし。

それで孤児院の子供たちには顔が知れていて、なぜか面倒見がよくて評判がいいし。

レグルスがいない、結構な数の孤児院にも定期的に顔を出しているようで、ちょくちょく話に出てくるし。

それでなくても。――自分の直感が外れたことなんて、一度もない。

だから、本当は彼の評価は周りに言いふらしているほど、自分の中では低くなくて。

だから、なんというか――。

「――レグルス様っ!」

「……え、」

濁流のように押し寄せる、自分の感情に飲まれてしまって没頭していてもなお通る、凛とした声にレグルスは反射的に振り向いて、それと同時に力いっぱいひかれる腕で一歩後ろに引き戻される。

ようやく我に返って正面を向き直ると、いつの間にかレグルスは巨大な中庭まで出てしまっていて、ちょうど真下には大きな池が横たわっている。後ろから手を引かれていなければ、そのまままっしぐらに落ちてしまっていたことだろう。

「ご、ごめん」

「ここは『ありがとう』のほうがうれしいです」

花のようにほころぶ笑みに、レグルスはそれには答えられずにうつ向いて。

「……いやじゃないの」

口から出たその問いは、自分の想像以上にか細くて。夏と秋の境の風に容易に溶けて消えてしまいそうなほど心細い。

だからなのか、はたまた問われた意味が分からなかったのか。ジャネットはロベリアの双眸をぱちりと瞬く。

「いや、その。オレは貧民街の孤児で、あんたは貴族だから。いやじゃないのかなって、相手するの」

「いいえ?」

ジャネットの即答に、レグルスは伏せていた顔を上げる。何をおかしなことをと言いたげな、大きな瞳。

「お友達になるのに、理由なんていりませんから」

にこり、と。なんの打算も計算もない、純粋な笑み。それはどこか先ほどまで苛立っていた原因だったあいつの面影がやはりあって、血筋なのだと納得する。

引いていた手を離したジャネットは、先ほどとは裏腹にいたたまれなさそうに左右の人差し指同士をちょんちょんとさせながら。

「あの、それで。おひとつレグルス様にお伺いしたいことがあるのですが」

「何?」

先ほどの彼女らしらかぬ、言いずらそうに視線を迷わせて。意を決したように拳を握り締めると。

「――『聖戦』の時、オリバーお義兄様はどのようなご様子でしたか…?」

ジャネットの質問に、今度はレグルスが訝しがる番だった。『聖戦』の時の彼の雄姿を聞きたい、ということだろうか。

でも。

「別に普通だったよ?まぁあいつは仕方なく最前線に連れられた感じだったけど、なんやかんやで生き残ったし。最後は結構重要な役割も果たしてたし。ブルームフィールド家としてもお家の評価を上げられてよかったんじゃない?」

言って、しまったとレグルスは口を噤む。ついいつもの調子で皮肉ってしまった。

けれど、ジャネットは気にしていないようで。むしろ他のことに気を取られていたのか、耳に入っていない様子で。

「……そうですか」

言葉とは裏腹に、その表情には憐憫と悲嘆と。

ジャネットはおもむろに両の手を組むと、天に向かって伸ばす。

それはつい先日、それこそ『聖戦』の時に見た、あいつと同じ祈りのように。


その無言の祈りが。――レグルスにはどこか引っ掛かりを覚えた。

第二部への伏線をひいたところで、次回投稿から第二部スタートさせたいと思います!投稿頻度下がりますとは何だったのか←

この二人のセットも個人的に好きなので、今後フォーカスを当てていけたらと思っております!

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