間章.天上の深淵より
第二部へ向けての盛大なネタバレ回です!ネタバレ回避したい方は読まないほうが吉←(読まなくても支障はありませんが大丈夫そうなら読んでいただけると…っ)
普段は一切の気配を感じない部屋からの気配に、青年騎士は閉じていた瞼を開く。
見渡す限りの荘厳も精緻な細工も、最初こそ青年騎士も目を瞠ったが、何千何万何億と見続ければ流石に見飽きる。
しかし、勿体ないとは思う。この暗闇の中でもこれだけ華美な装飾だ。――陽光の下であれば尚輝いたことだろう。
こんな所に気が遠くなる時間ずっといるのだ、やることも限られてくるし、最初は苦戦した料理や裁縫といった家事も手馴れてきて、無駄なことは一切手を出さない青年騎士は、ただただ己の職務を全うする。
つまり。――主君の命令に従う、忠実な騎士たらんと。
部屋の前で目を瞑り、何を考えるでもなくただ瞑想してから数時間。
普段と変わらない日常。
普段と変わらない時間。
普段と変わらないように、次の行動に移そうとして。――変化に気づいたのはその時だった。
「どうした、×××」
「……声が聞こえたの」
呼び声に気づいていないのか、どこか遠くを見ながら心ここに在らずといった足取りで暗闇の先の寝室から、一人の少女がふらふらと歩みでる。
――この煌びやかな空間でさえも目がくらむほどの、美しい少女だ。
白光を思わせる純白の髪は絹よりも細く、自身の身長よりも長いそれは地面に散らばって精緻に彩る。その下のオパールの双眸の光の加減で7色に変化する様は、まさに宝石。
この少女を見てしまったら、他の生命など目に入らない。それほどまでの、完璧な造形美。
だがそれも、嫌という程見てきた青年騎士には響かない。それよりも気がかりなのは彼女の発言の方だ。
「声?」
「えぇ。とっても純粋で愛らしい、産声のような涙声」
それは泣き声なのでは?と少女の『愛らしい』という表現に若干眉を寄せながら佇む青年騎士をそっちのけで。
「あぁ、あぁっ!ようやく帰ってきたのよ彼がっ。きっとそう、彼がまた戻ってきてくれたのよっ」
先程までの足取りとは打って変わって軽やかに。しかし依然として像を結ばない視界は彼女がまだ微睡みの中だということを物語る。
軽やかなステップを踏んで、少女は青年騎士に近づきその華奢な手を顔に伸ばす。
「ねぇ、そうでしょう――」
「残念だが、我は貴女の待ち人ではない。×××」
言葉で払われた手のひらに、少女はようやく目の前の現実を視認する。目の前にたつ、中性的で無骨な青年騎士の金。
それを見て少女は一瞬だけ悲しげに表情を曇らせて、しかしそれは直ぐにむくれるように頬を膨らませて。
「お前のそういう所が嫌いよ、スキールニル」
「好かれようとは思っていない」
「そういう所も好きではないわ。それと、」
まとっていた空気が一瞬にして切り替わる。春の麗らかな陽気のものから、真冬の極寒の冷徹に。
「――ここではその名で呼ぶなと言っただろう。次はない」
可憐な少女の身から発せられる膨大な殺気に、荘厳な装飾がガタガタと音を立てて震える。
常人が受ければ即死も有り得るその殺気を、青年騎士はしかし相変わらずの無表情で受け流し。
「……寛大な慈悲に深く感謝を。女王」
「心にもないことを」
「まぁ」
「そういう所も嫌いよ」
先程までの殺気は元からなかったかのように霧散して、2人は旧知の仲のような親密な軽口を叩き合う。
「でもいいわ。今の私はとっても気分がいいから」
声を弾ませて、同じように軽いステップを踏んで。
舞台の中心で踊るバレリーナのように、少女は純白の紗幕を靡かせ天を仰ぐ。
――その先の、蒼天を仰ぐように。
「もうすぐよっ。もうすぐあの人が来るわ。あぁ楽しみ楽しみだわっ!愛しい愛しいあなた。――もう一度、貴方の愛を私にちょうだいなっ」
その姿を見て。
誰もいない舞台の中心で、それでも楽しげに踊る道化を見るように、青年騎士は白銀の光散る紅玉の双眸を細めて。
「あいつはもう、ここにはきっと来ないんだよ。――ティターニア」
青年騎士――スキールニルの言葉は、無邪気な女王の耳には入らない。