8-5.-hallelujah-
ついにここまで来ました…ついにクライマックス終了しました…
多分伏線は全部回収してる…はず…
――そこは、どこまで行っても真っ白な空間だった。
空も海も地面もなく、壁も扉もない。
どこまで続いているのか。――いや、果てなどもはや無いのではないかと思わせるほどに、その空間は続いている。
目に痛いほどに真白なその空間に、ヴァイスは気がついたらたっていた。どうやらルークの次元跳躍魔法は上手くいったようだ。
ハヤトがこじ開けた入口は、確かに資料で見た宇宙のような神秘的な色をしていたが、中に入ってみれば意外にあっけない。
さて、と。ヴァイスはぐるりと周囲を見渡す。といっても、見回したところで周囲には何も無いのは一目瞭然なのだが。
ハヤトの見立てでは、ここにはフジノの忘れ形見の【天羽々斬】があるはずなのだが、しかし刀どころか影のひとつすらない。
――どうしたものか。
たった1人の空間で、誰にも意見を求められずにヴァイスはこてん、と首を傾げる。何もしない訳にもいかないが、しかし何も無いのだから何もしようも無い。
腕を組み、うんうんと頭を悩ませていると。
――突然目の前から、蒼い物体がパタパタと飛来してきた。
それは最初は点のように小さかったが、近づくに連れて徐々にその輪郭があらわになる。
それは、1匹の蝶々だった。
その蝶々は忙しなく蒼い鱗粉を飛ばしながらヴァイスに近づいてくる。何気なくヴァイスが宿り木のように手を差し出すと、遠慮無用に羽を休める。
幻想的な蝶々だった。
パッと見た限り近いものはモルフォ蝶だろうか。しかしそれよりも遥かに蒼色の純度が高く、どういう原理か、向こう側が透けて見える。
不意に、羽を休めていた蝶々が音もなく飛び立つ。
蝶々はぐるりとヴァイスの周囲を回ると、元来た道を真っ直ぐに引きもどり始める。
――ついてこい、とでも言うように。
その蒼い軌跡を追うように、ヴァイスは脚を踏み出した。
……どのくらい歩いただろうか。
感覚的にはもう何日間も歩いてる気もするし、実は一瞬のような気もする。周囲がこうも真っ白だと、時間感覚すら朧気になってしまう。
前を飛ぶ蝶々は延々と羽を動かし、時折ではあるがヴァイスがついてきているのか確認しに来る。
その人間くさい行動に、ヴァイスが慣れてきた頃に、変化は訪れた。
ヴァイスの視覚にもなんとか確認出来たそれは、蝶々と同じように近づくにつれて、朧気だった輪郭は形を成す。
――純白の世界に突き刺さる1本の刀。
間違いない。2年前、濡れ羽色の女性がその腰に佩いていた神の刀。――【天羽々斬】。
その刀身は能力を使っているせいか蒼く輝き、静かに純白の世界を彩っていた。
「……ハヤトの予想通りだな」
とりあえず、これを回収すれば『リリス』の結界も消える。そう思って手を伸ばし、そこでようやくヴァイスは気づく。
その陰に隠れるように蹲る、一人の少女の存在に。
歳の頃はレグルスよりも少し幼い、初等部の低学年ほどだろうか。濡れ羽色の紗幕を手に取って、退屈でもなく悦でもなく、ただただ無心に髪を編んでいる。
それくらいしかすることがないのだ。この真っ白な空間では。
不意に、紗幕の下の紅の双眸がこちらの瑠璃を見上げる。いつか最初に自分が見た色と、同じ色彩。
「あなたはだぁれ?」
「……僕は、」
普通に名乗ればよかったのだろうが、しかしこの時ばかりは何故か躊躇われて、ヴァイスは一瞬だけ言い淀むと。
「僕は『死神』だ」
「『しにがみ』?」
「そう。君の魂を迎えに来たんだ」
答えが難しかったのか少女はこてん、と首を傾げる。この時になって、ヴァイスはようやく自分の中に浮かんでいる疑問の理由に気づく。
仮にこの少女がカズキとフジノの子供だとして。――成長が早すぎる。
彼らが亡き後にこの少女が生まれ落ちたのなら、本来であれば2歳に該当するはずだ。しかし目の前の子供は明らかに6.7歳ほどの外見年齢。
すなわち。
「……やっぱり、時間の概念すら歪んでいるのか」
だったら目の前の少女は。――一体どれほどの間、この真白の空間に取り残されていたのだろう。
外見通りの年月ならまだマシかもしれない。もしかしたら何十年、何百年と時を過ごしているかもしれない。それを思うだけで、ヴァイスは背筋に薄ら寒さを感じずにはいられない。
「お外につれていってくれるの?」
とりあえずわかる語句から自分なりの答えを導いたのか、少女が口を開いてヴァイスに走りよる。
「あのねっ、お外ってどんなところかな。私ずっとここにいたから、すごく楽しみかなっ」
まだ見ぬ空想に夢を馳せ、自然と弾む少女の声。まるで遠足前の小学生のような無邪気で、本当に楽しそうな声。
無邪気ゆえの残酷に、ヴァイスは一人唇を噛む。
マントの端を掴んでパタパタと少女は、楽しげに振る。その手をそっと解いて、視線の高さを合わせるようにヴァイスは跪いて。
「――それは出来ないんだ」
希望を正論に塗りつぶされるように、少女の紅の双眸は凍りついて固まる。
「でも、むかえにきたって、」
「君をお外に連れ出すことは出来ないんだ。だからお外よりももっといいところに行くんだ」
「お外よりもいいところ?」
ってどこ?と訴えかける少女に向かって。ヴァイスは努めて普段通りの無表情で。
「――天国だよ」
本当は、君をここから連れ出したい。
外に連れ出して今まで見れなかった分、世界を見て貰いたい。
――だけど、それは叶わない。
少女を目の前にして、ヴァイスは一瞥しただけでその色彩を看破した。――この子は外では生きていけない。
外に出た瞬間に、彼女の寿命は終わる。
それは。――僕自身がそう『魔眼』で決定してしまったから。
だからせめて。
「てんごくっていいところ?」
「正直まだ僕は行ったことはない。けど、ここよりかは幾分か素敵だと思う」
ヴァイスの真っ直ぐな視線から逃げるように、少女は俯く。紗幕の間から見える紅の瞳は大きく揺れ動く。
「――そこは、」
言いかけた言葉の先を催促するように、瑠璃の双眸を僅かに傾ける。
「そこは、人がたくさんいる?」
その言葉にヴァイスは僅かに動揺して、少女の手を包む両手が僅かに軋む。
「私、今までずっとここにいたの。ずっとひとりぼっちでいたの。だから、人がいっぱいいるのがいいな」
涙に紅をうるませながら、訥々と少女は語る。
「誰も居ないの。だからたまに見える影に近づくの。声をかけるの。でも、みんな直ぐにどこか行っちゃうの」
その影はきっと、外界の調査員や迷宮生物だろう。ここからでも朧気にだが見えるらしい。
それに少女は手を伸ばし。――現実世界ではあの巨大な手が握りつぶす。
悪意はない。
殺す気もない。
ただ、縋っただけ。
置いていかないでと。
自分を見つけてくれと。
――こんな少女には、辛すぎる現実から。
軋んで強ばった両手を意識して解して、そして改めて包み込む。白くて細い、華奢な手。
「大丈夫。君はひとりじゃない」
「……」
「少なくとも、君はずっとひとりじゃなかった。ここにはもう1人、君を思っていてくれる人がいるよ」
「……そんなのいないよ」
「居るじゃないか。ほらそこに――」
ふ、と伸ばされた指に導かれるように、少女は顔を上げ背後を振り返る。
そこには突立つ【天羽々斬】の柄に止まって休む、一匹の蝶。
初めて見つけた時から、ヴァイスはその色彩を知っている。
――貴女はずっと、魂だけになってまで、子供を見守り続けていたんだね。
「君のお母さんはずっと、君のそばにいたよ」
「……お母さん?」
その言葉に反応するかのように蒼い蝶々はぴくりと身を震わせると、ふわりと空中に身を躍らせる。来た時同様忙しなくパタパタと羽を動かして、蝶々は少女の周囲をクルクル回る。
「これがお母さん?」
「お母さんが生まれ変わった姿かな。人は死ぬと魂は蝶々となって飛んでいくって話があるんだ」
世界中で語り継がれる、死の象徴。日本では死者は蝶々となって世界を回り、そして帰還する。
だから、魂の形は蝶々だと言っても嘘にはならない。
少女はまだ周囲を飛び続ける蝶々を擽ったそうに見回しながら。
「そっか。お母さん、ずっと一緒にいてくれてたんだ」
手を離れる少女は追わず、ヴァイスは立ち上がると【天羽々斬】に向かって歩を進める。改めて見ると荘厳で美しい、半透明の蒼の刀身。
その柄に、手を伸ばして。
「そろそろいいか」
その声に少女は顔をあげると、ヴァイスを追うようにてしてしと走りよってくる。至近距離から見上げてくる、紅の瞳はもう涙で潤んではいない。
「うん、大丈夫!」
その無邪気な声はこの後自分がどうなるのか、きっと理解はしていないだろう。
本当はいけないのに、そんな姿がまぶしくて悲しくて、ヴァイスは思わず口を開く。
「・・・・・・怖くは無いのか」
ヴァイスの言葉がいまいち理解できなかったのか少女は先ほど同様こてん、と小首をかしげて。
「こわくないよ?だっててんごくって素敵な場所なんでしょ?
「・・・・・・」
「それに、お母さんが一緒だから、大丈夫!」
周囲を飛んでいた蝶々を包み込むようにつかむと、自分の肩に置くようにして放す。蝶々も彼女の言うとおりにするかのように蒼い鱗粉を飛ばして留まる。
「・・・・・・そうか」
これ以上は愚問だと。ヴァイスは柄を掴んでいた手に力を込め、一気に引き抜く。
【天羽々斬】は何の抵抗も無くするりと抜け、引き抜かれた瞬間に淡く蒼く発光すると、硝子が割れるような軽い音とともに空中で砕け散っていく。
それはまるで、遺灰を海に投げるような。そんな儚さを彷彿とさせた。
直後、真白だった空間は崩壊を始める。
ひび割れる音は徐々にその崩落音を大きくしていき、それに呼応するかのように空間はさらに白く発光し始める。
「―本当はね、知ってるんだよ。天国ってなにか」
ホワイトアウトしていく視界の中で、その声は静かに耳朶をふるわせる。
「ありがとうしにがみさん。私を迎えに来てくれて」
「――ま、」
て、という言葉は届かず、煌々と輝く光とともに解けて届かなかった。
*****
――ありがとう、この子を迎えに来てくれて。
――本当は、ただこの子の魂だけは守りたかっただけ。
――歪な体で悲しく生きる未来が変えられないなら、せめて魂だけはって。
――【天羽々斬】は、間違ってかなえてしまったけれど。
――魂だけになってしまった私の声はあの子には届かなくて。
――見ていることしか出来なかった。
――ずっと一人ぼっちで生き続けるあの子を。
――ずっと一人ぼっちで退屈そうなあの子を。
――ずっと泣き続ける、あの子を。
――ありがとう、ヴァイスくん。
――誰よりも冷徹ぶっている、本当はやさしい貴方はきっと悲しむでしょう。
――本当にこれでよかったのか、考えてくれるでしょう。
――でも、どうかこれだけは覚えておいてほしい。
――私たちは、貴方に救われた。
――誰がなんと言おうとも、それは私たちの本心。
――だからどうか、健やかに。
――貴方にもきっと、貴方を思っていてくれる人がいるはずだから。
*****
前後も左右も天井も地面もわからない。
自分が今どこに立って、
どこに存在して、
何もかもがわからない。
・・・・・・ワカラナイ?
ワカラナイが、ワカラナイ。
ソモソモ、
ジブンは、
ダレダッケ?
「――ヴァイス!」
…。
………。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ダレカガナにかをよんでいる。
あたたかな、はるのようきのような。
心地よい声。
あぁ、そうだった。
彼が呼んでいる。
彼がいる世界に、還らなきゃ――。
*****
「――ヴァイス!」
近くで声が聞こえて、ヴァイスはは、と我に返る。
目を瞠る先は先ほどまでの真白は無く、見慣れた迷宮区の土色。
もやが掛かったように重い頭でゆっくりと周囲を見回すと、目の前に屹立していたはずの『リリス』の巨体はどこにも無く、打ち捨てられた残骸のように無残に転がる『リリン』の山はピクリとも動かない。
実感は無いが、どうやら自分は元の世界に還って来れたようだ。
・・・・・・途中、自分を見失いかけたけど。
ふ、と視線を戻すと、いつに無く余裕の無い表情で、飛び込んでくるこちらを伺う深紅の双眸。
「大丈夫か?」
「・・・・・・あぁ」
かけた声にとりあえず反応が返ってきてか、ハヤトは深いため息とともにうなだれる。
肩に自分じゃない体温を感じて見れば、そこには彼の両手が乗っていて、長いことゆすられていたのかも知れないとぼんやりと考えて。
「どうやら責務は果たしたようだな、『死神』」
頭上からかけられたアルベルトの声にヴァイスは見上げて、そしてその翡翠の視線が自分の手に向けられていることに気づいて見下ろす。
――その手に握った、黒い柄の美しい神の刀。
それを見た瞬間、ヴァイスは自分の中で何かが膨れ上がる感覚に苛まれる。
急速に回転する頭と、それに比例して冷えきっていく指先は、どこか遠く感じられる程。
どこまでも続く真白な空間。
蒼い蝶々。
その空間に突立つ【天羽々斬】。
そして。――純粋無垢な、聡い少女。
――あれは、夢じゃなかった。
「……ヴァイス?」
カタカタと身をふるませるヴァイスを案じてか、ハヤトは窺うように項垂れる瑠璃を覗くが、次の瞬間にギクリと身を震わせたのが肩に置かれた両手を通じて伝わってくる。
どうしたのだろう、と問いたいが、視界が潤んで霞んでしまって。
それでヴァイスは漸く気づく。
――さっきから頬を濡らす水滴は、自分の瞳から溢れ出したものだということに。
「ぇ、」
ぱたぱたと地面を濡らす水滴は、その数を増していき、それに気づいてしまったらもう止められなかった。
かしゃん、と音を立てて手放した神刀が地面を転がる音も、どこか遠く。そんなことにも気づけないほどに、自分の中に沸き上がる感情を持て余して。
「―――――――――――っっ」
声にならない嗚咽を零しながら、身近にあった温もりにしがみつく。
頽れそうになる痩躯を抱きとめて、ハヤトは幼い子供をあやす様に一定のリズムで優しく背中をたたく。
誰もがその情景に口を閉ざす中。
「……ごめん。辛い思いをさせたな」
こんな時だけなお優しい、君の声だけが宙に舞った。
*****
参加総人数、正規調査員、学生合わせ約1万人。
死傷者、4031人(学生含む)。
民間死傷者、962人(貧民街のみ)。
行方不明者、1005人(参加者、民間人含む)。
聖歴始まって以来の大人数を投入、多大な死者行方不明者を生み出したこの戦いは『聖戦』と呼ばれ、後世に語られるようになる。
その功績は輝かしく、歓喜と共に記される。
――その本当の結末を。悲嘆と悲しみのエンドロールを知るものは、ほんのひと握りだ。