2-2.片側の真実
――流石は『タキオン』本体所属、第1級の戦闘調査員だと、目の前の凄まじい光景に隼人は本日二度目の感嘆を心の中で零す。
ヴァイスの提案に甘んじ、2人で迷宮区に潜ること早2時間。その間大小合わせ4度の戦闘があったが、その尽くをヴァイスほぼ1人で壊滅させている。
両の手に収まる白銀の自動拳銃を自在に操り、時には連射し時にはグリップで殴り付け、時にはその長い手足を直に使って叩き伏せ、しかしその身には見えない壁があるかのように一滴の返り血も浴びていない。
『獣』のようだ、とはよく言ったものだ、と隼人は思う。
迷宮生物特有の蒼い血溜まりの中、踊るように苛烈に、優雅に闘う様は神々しさすら想起させる美しい獣。
と同時に、隼人の出す方針や多少無茶ぶりなオーダーにもきっちりと応えるたあり、律儀な忠犬を思わせる。
「…次は?」
戦闘が終了しても微動打にしない隼人を怪訝そうな様子で窺うヴァイスから、慌てて目をそらす。決して見とれていた訳では無い断じて。
そんな隼人の胸中を知ってか知らずか、ヴァイスはぐるりを辺りを見回す。
「近くには迷宮生物は居ないようだけど…そろそろ撤収するか?」
「いやもう少し狩ろう。折角だし」
隼人1人の戦闘能力では、迷宮区の中層域間際までは二度と来られないだろう。いい機会なので稼げる時に稼げるだけ持ち帰りたいがめつさから、そして今まで以上にアイテムを回収出来て上機嫌なのもあって、隼人は継続を決めた。
「と言ってもさすがに疲れただろ。休憩するか」
「この程度問題は無い」
「問題ないってわけないだろ、俺が言うのもなんだが全部任せっきりだったし」
「いつもの事だから」
「分かったじゃあ俺が疲れた休憩しよう」
まるで小さな子供のように頑として聞き入れないヴァイスに隼人が折れる。それならば仕方が無いとヴァイスも渋々納得したのか、まだ熱を持つ自動拳銃を拳銃嚢に戻す。
「…この辺りだと、真っ直ぐ行った突き当りを右に行ったところに開けた場所があるけど」
「いや、そこは入口が1箇所しかないから止めよう。入口押されられたら逃げ場ないし。それよりも左に曲がった小道の先の方がいい」
ちょっと歩くが、他の道へ繋がる小道が沢山あり、なおかつ水路や地底湖がある。火属性の迷宮区生物は入ってこられないし、最悪入口全部潰されたとしても水路から逃げられる。
隼人の提案にヴァイスは僅かに目を見開くが、口に指を当て思考に沈む隼人は気づかなかった。
特に断る理由もないし、とヴァイスは二つ返事で了承し、2人は少々歩き提案通りの小道の先へ足を踏み入れる。
そこは優に3フロア分はあるだろう高さのある鍾乳洞だ。垂れ下がる鍾乳石は剣山のようにきり立ち、時折その先端を伝って流れる雫が下の地底湖へ落ち、涼やかな音を立てる。
内部には迷宮区内でしか生息しない光苔が群生しており、隼人が光源である聖石のランプで照らすと、呼応するかのように一斉にほころび、薄暗い鍾乳洞全体を照らした。
しかし光苔のお陰で視界は良好なものの、如何せんこの肌寒さは紛らわせられない。隼人は周囲をぐるりと見回すと、焚き木に使えそうな燃えるものを集め始める。
「なんか燃えそうなものあったらその辺に集めてくれ。火聖石は持ってるからそれでちょっとは寒さもマシに、」
「その刀は使わないのか?」
「は?」
ヴァイスの視線を追って、隼人も自身の左腰に佩いた日本刀を見やる。
天之尾羽張――日本神話にて、炎神カグツチを斬った逸話がある神の刀。その逸話からか天之尾羽張には炎――その中でも『聖炎』と呼ばれる浄化の力を持つ白い炎を操る能力があり、1代1人の担い手のみがその恩恵にあやかる。
先代は隼人の父・時嗣。そして今代は兄・一樹だった。
担い手ではない隼人は勿論『聖炎』の能力も、ましてや刀としての能力も十全には引き出すことはできない。
そんな、ありがた~い神刀を。
「カズキはよく着火剤に使ってたけど」
なんて罰当たりな。
まぁでもあのバカ兄ならやるか、と納得してしまうあたり、家族として彼の自由奔放さに慣れてしまったからだろうか。
隼人は刀については答えず、代わりに別の、頭の端にずっと居座っているとある疑問を返す。
「兄貴のこと、よく知ってるんだな」
「…一緒の所属だったから」
その確信に、ヴァイスは僅かに身を強ばらせるも努めて平坦な声で返答する。
「ってことはお前15で1級かよ。さすがエリート様」
淡々としたヴァイスの言葉に、空々と笑う。
自分が同じ年頃は一体何してたっけ、と一瞬だけ思い出を振り返るが、記憶が無い当たり何もしてなかったんだろうなと1人隼人は納得する。
自覚はある。――自分は『あの時』から、時間が止まっているのだと。
「…なぁ、『タキオン』にいた頃の兄貴は、どんなだった?」
迷宮区での思った以上の収穫物、そして一瞬だけとはいえ感傷に浸り気分が高ぶっていた隼人は、柄にもなく呟いた。
別に興味はない。興味はないが、ただなんとなしの話の流れだ。
然して、ヴァイスは少しだけ怯むように唇を噛んだが、ややあって滑るように、当時を思い出しながら話し出す。
「…いつも明るくて、場を盛り上げてくれた。こうしてみんなで休憩してる時、最初に声を発するのは決まってカズキだった」
その声は、無意識に弾んでいる。
「一番盛り上がったのは中下層域の階層主の攻略法を議論してた時に、正面からは硬すぎるから肛門から体内に侵入して内側から撃破案を言い出した時かな。いつも奇抜な案を考えるなと思ったけど、流石にそれは無いだろって」
見た目的には巨大ハリネズミ。けれども前歯はより巨大で鋭利に生え揃い、全身を覆う針はダイアモンドで出来た剣山で覆われ、バカみたいに頑丈で凶悪な階層主だった。アルベルトが考案した唯一針の生えていない腹をひっくり返す案が最有力であったが、「そんなまどろっこしいこと出来るか!」と一樹1人肛門へと突入したのである。
結果として彼が腹を突き破って単身撃破を達成した。が、その時の臭いというか言明したくないものまみれになった一樹を見る第1級調査員達は、文字通り汚物を見る目だったが。
「あんなに子供のように無邪気に迷宮区を飛び回る人間は、カズキしか見たことがないな」
口に指を当て、和やかな表情で昔を語る少年は、とても『死神』と呼ばれる存在とは程遠いものだった。
ヴァイスの初めて見せるその表情に僅かな驚きを隠しつつ、隼人はどっちつかずの声色で「ふーん」と相槌を打つ。
「おれもひとつ、質問をいいか」
ぼんやりと聞いていたせいで、隼人の反応が一拍遅れる。しかし返事を待つまでもなく言葉を続けるつもりだったヴァイスは、気にせず口にする。
――その、一番聞いて欲しくなかった問を。
「君は、一度迷宮区へ来たことがあるのか?」
瞬間。その問にしん、と凪の海のように心が冷める。
世界から全ての音が消えた静寂のその世界に、無遠慮に、蹂躙するかのように死神の声は降る。
「さっきまでの戦闘中の指示、驚くほどに的確だった。こちらの動き、相手の行動パターン、地形全て、まるで数手先まで見えてるかのような組み立て。中にはまだ上位調査員しか知らないはずの迷宮生物の弱点を突くものもあったし、この場所だって本来地図には載っていなかった」
薪の火で暖を取っているはずなのに、隼人の体温は指先から零れ落ちていく。
「昔、カズキが1度だけ話してくれたんだ。初めて迷宮区へ来た時、その調査団には幼いながらも天才的な戦略家がいたと」
それ以上、続けるな。
「ハヤト、君はもしかして、」
「――だったらどうした」
オリバーにセオを貶された時と同じ、いやそれ以上の怒気をはらんだ声音に、流石のヴァイスも怯む。
「来たことがあったらなんだって言うんだ?誰も彼もが兄貴のように迷宮区を能天気に楽しんでると思ってるのか?兄貴のように俺も楽しんでると?――生憎と、俺は一度だって楽しいと思ったことは無い」
年間何千人と死んで、今ももしかしたら迷宮区のどこかで人が死んでいるような、地獄の釜。
「まぁ兄貴としては楽しかったんだろうさ。親の反対振り切って借金こさえてまで、残ったくらいだからな。そりゃ楽しんでただろうよ。その後ろでどれだけの人間が振り回されてるかなんて考えもしないで」
「っ、カズキはそんな人じゃ、」
「エリート様さぁ、めっぽう兄貴のこと入れ込んでるみたいだが、振り回されるこっちとしてはそこまで入れ込む理由が分からねぇんだよな」
深く嘆息し、被せるように鋭く切り込む。
思い出すは昼間の一件。自分が『モノ』扱いされても眉ひとつ動かさなかった少年が、唯一激昴した彼の名前。その時はその理由がわからなかったが、今の話を聞いて何となくわかった。
見開く瑠璃の視線の先ゆらり、と幽鬼のように一瞬かち合う紅玉は、どこまでも空虚な――伽藍洞。
「何でもかんでもこっちの意見は聞かずに振り回して巻き込んで、やっと解放されたと思ったら死んでも俺を振り回す…っ、本当うんざりなんだよっ。まぁそれでも、」
荒ぶる感情を抑えきれず、兄と同じ赤銅色の髪をぐしゃりと握りつぶす。
「――もう二度と会わなくていいと思うと、清々するけどな!」
隼人の予想を反して、その叫びは鍾乳洞の中で大きく反響し、辺りに響き渡った。
興奮し上がってしまった呼吸を意識的に整え、一段と深く嘆息する。――たかが古傷を撫でられた程度で、いくらなんでも言いすぎた、と隼人は己を恥じる。
だからといって素直に謝る気にもならず、隼人は今の今まで下げていた目線をちろり、と気づかれないように注意しながら少年へ向け――そして、目撃する。
瑠璃の瞳にうっすらと涙を溜め、そしてそれが今にも決壊しそうなほど、痛々しいほどに打ちひしがれてるその顔を。
「…ちょっと頭冷やしてくる」
いたたまれず、気がついたら隼人は立ち上がり入ってきた小道とは反対側の通路へと足を向けていた。
――別れ際、「置いていかないで」と願う子供の視線から、逃げるように。
*****
何をする気力もなくて、隼人が通路へ消えてしばらく経っても、ヴァイスはただ幼い迷い子のように悄然と立ち尽くしたままだった。
薪の前に座る気力すらなくて。――ましてや、隼人の後を追いかけるなんて勇気もなくて。
隼人が一樹のことを快く思っていないことには、初めて講義室で話題が出た時には察していた。だからこそヴァイスは隼人に伝えたかった。――迷宮区に残った一樹がどんな風に生き、何をしていたのかを。
自分は彼から兄を奪った存在だ。だから奪った分の時間を告げる責任がある。
でもそれは同時に、ヴァイス自身の秘密を暴露することと同義――彼が一樹を×××ことも、告げなければならない。
自分の秘密を知った後、肉親である隼人がどのような顔をするのか――それだけが、ヴァイスは怖かった。なぜそう思うのかは、今でも分からないが。
でも今の関係がこれからも続く訳では無い。誰の邪魔もなく彼と二人きりで話せる機会はもう来ないかもしれない。
一介の学生と『タキオン』の使い潰しの道具。――彼は『人間』で、自分は『死神』で、生きる世界など最初から違うモノなのだから。
彼が帰ってきたら、伝えよう。無感動に、無表情に。機械的に。――元々なかった『感情』なんだから、凍てつかせるのは簡単のはずだ。
最後に良い夢を見た、とヴァイスは先程の戦闘を経て抱いた淡い願いを、ぽつりと零す。
「彼なら――ハヤトなら、僕の願いを見届けてくれるかもって、思ったんだけどな」
まだ開き掛けの小さな花弁に溜まった朝露が零れるかのように、黄金を讃える瑠璃色の瞳から流れた一筋の雫と共に、誰にも届くことはなく泡沫の夢ははらり、と迷宮区の闇に吸い込まれていった。
「――こんな所で独り浸っているなんて、寂しい限りじゃないか」
隼人の声ではない嘲笑に、ヴァイスは冷めた空虚な瞳を向ける。
深いマリンブルーの長髪に、利発そうな紫眼は今は血に飢えた肉食獣のように血走っている。確か名は。
「…オリバー・ブルームフィールド」
「おや、私の名前を覚えていてもらえて光栄だな」
両の手を広げ大仰に鍾乳洞へと入ってくるオリバーの背後には、取り巻きらしき生徒が4人。どうやら彼らと共にここらで潜ってきたらしい。
まだ表層域ではあるが中層域手前。道の複雑さはおろか迷宮生物の凶暴性も上部とは比べ物にならないこの場所まで、学生のみのパーティでは本来降りてこられるのは難しい。
流石ブルームフィールドの御曹司、と言いたいが、恐らくはなにか種があるのだろう。
しかしもとより欠片ほどの興味もない相手だ。ヴァイスは早々に視線をそらし、会話の一切を受け流すことに決めた。
「聡明な君なら気づいているだろう『死神』。あんな落ちこぼれに従うよりも、私に従った方が賢明だと思うのだが」
暗に『私に従え』と懲りずに勧誘の言葉をかけるオリバーに、ヴァイスは内心ため息をつく。学生の身分で、なおかつ表層程度で息巻いている低ランクの調査員の分際で何を言うか、と。
そのヴァイスの見下したような呆れ顔にオリバー一瞬激情に駆られるが、それはすぐに鳴りを潜めた。
代わりにその端正な顔に浮かぶのはその美に相応しくない――穢く低劣な、凄惨な笑み。
「『跪け』――ヴァイス」
『命令詞』と『名前』。必要なファクターを正しく聞き取った制御装置はヴァイスの耳元で淡く発光すると、両手を後ろ手に固定しヴァイスを強制的に跪かせる。
「…っ貴様、」
「身の程を弁えろよ、たかだか『モノ』の分際で」
唯一自由の効く首を無理やり動かし睨みあげる。オリバーはそんなヴァイスを憐れむような卑下た目で見下ろし、ヴァイスの耳に嵌る制御装置の同じ色の指輪を見せびらかした。
「主人に躾ける気がないのなら、誰かが変わるしかないだろう?何かが起きたあとでは遅いのだからな」
オリバーの皮肉に、取り巻き達はわざとらしく空々と賛同した。
尚も反抗的に身動ぎするヴァイスに、オリバーは口の端を歪め、まるでたった今思いついたかのように、手を鳴らす。
「そう言えば、君について少々気になる話を聞いてね、ちょっと確認させてもらえると嬉しいな。――体に、直接」
途端、ヴァイスの身体は怯えたように大きく身を震わせ、そのビイドロの瑠璃の瞳も恐怖に歪む。
ああ――実に愉しい、とオリバーは三日月のように笑う。
聖典 創世記 第3章 6節。
――The woman saw that the tree was good for food, pleasing to the eyes, and desirable for gaining wisdom. So she took some of its fruit and ate it; and she also gave some to her husband, who was with her, and he ate it.
創世記に登場するかの蛇も、同じような気持ちだったのだろうか――そうであったなら、これ程愉悦なことは無い。
美しくも儚い白き獣が醜く堕ちる姿は、さぞ滑稽であろう。
――さぁ、どう穢してやろうか。




