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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(下):救世の祈り
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間章.静寂(しじま)の罪人たち

『タキオン』総本部の長い廊下に備えられた豪奢な造りのベンチに腰掛け、蓮は静寂に浸っていた。

どこまでも続く廊下の先は見えず、地獄にすら繋がっていそうな程にその先は暗闇に閉ざされ、ベンチの上の小さな窓からの月明かりだけがぼんやりと周囲を浮かび上がらせている。

その下に広がる異世界の騒動など知らないような、普段通りの夜。

2年前の真相を語られた後、隼人とヴァイスを除いた『ケリュケイオン』のメンツは退出している。作戦会議に必要なのはあくまで『死神』の力と『軍神』の頭脳なのだから、当然といえば当然。

真相を暴こうと攻め入った、反乱分子の生き残りである自分は尚更だ。

ただ帰るのにも時間がかかるし、蓮に至っては聖グリエルモ学院寄宿舎にまだ部屋すらない。したがって3人は『タキオン』の休憩室をそれぞれ割りあてられ、仮眠を取るようにとアルベルトから言われている。

来たる討伐作戦へ向けて、その準備のために。

しかしそう言われたところで、胸の燻りや混乱が落ち着く訳もなく。蓮は1人で灯りも無い廊下で1人項垂れていた。

そうしていれば、この静寂に溶けて消えてしまえると思ったから。

「――あ、アデルだっ!」

声とともに騒々しい足音が聞こえたのは、ちょうどそんな感傷に浸っていた時だった。その声に反射的に顔を上げると薄桃色の軌跡は目の前を通り過ぎ、その先の廊下を駆けて行ったところだ。

……音が聞こえて1秒も経っていないのに通り過ぎた背中を追いかけて、蓮は大きく黄金の散る琥珀色の瞳を瞬く。いくらなんでも足、早すぎないか。

その、もう暗闇に紛れて見えなくなった背中に向かって。

「もう夜も遅いのだから、廊下を走るな小学生」

走り去った背中とは真逆、右側に視線を向けるのとマリンブルーの長髪を揺らして、心底呆れたと言うようにオリバーが顔を顰めたのは同時だった。

薄桃色の少年、レグルスとは真逆に軍靴の音すらならないほどにゆったりと歩を進めていたオリバーは、前髪の下の紫眼を眇めて。

「こんな所で何をしているんだ?」

「……えっと、」

「眠れなくても、身体を横にするだけでも幾分か楽になるものだ」

そう言って、オリバーはレグルスを追わずに蓮の前で立ち止まる。腕を組んで凛と立つ様は様になっていて、さすが貴族出身だと言うだけはあると納得するほどの佇まい。

頭の隅でぼんやりと考えて、オリバーの問に答える前に疑問に思ったことを逆になげかける。

「珍しい組み合わせだね」

「ん?あぁ。彼は定期的にメンテナンスを行わなければならない身体でね。そのメンテナンスに私の魔法も使われているから同行しなければならないのだよ」

「結構複雑な関係……?」

「……そういえば、君にはあまり私たち個人の話はしていなかったか」

オリバーにとって、蓮以外の『ケリュケイオン』のメンバーにとって当たり前すぎて眼中になかったそのつぶやきに、蓮は後ろめたさに顔を逸らして。

「……結局は、裏切るつもりだったから」

切れる縁だと知っていたから、深くは聞かなかった。

深く関係を築いてしまったら、裏切る時の枷になってしまうから。

だから敢えて蓮は他者のことを深くは聞かず、自分も踏み込ませることなく、適度な距離を保ちながら。

だからこそ、蓮は少し引っかかっていた。戻ってきてからこっち、彼らはどうして以前と変わらず普通に接してくれるのだろうか、と。

普通なら、裏切った人間に対しては少なからず猜疑心や不信感を持つものなのに、少しもそれを感じられないことが、数ある胸の燻りのひとつで蓮が気になっていることだった。

「……なんで誰も俺を責めないんだ」

自分が裏切ったせいで。

自分が、自分たちが勝手に『聖櫃』を奪ったせいで。

――こんなことになっているのに。

組み合わせた両手は骨が軋むほどに力んで、それ以上に震えてしまって、蓮はその手に顔を埋める。もうオリバーの姿すら見るのが怖くて、固く瞳を瞑る。

しばらく前に立っていた気配はそのまま微動だにしなかったが、ふと空気が揺らいだと思うと、僅かに廊下を踏み鳴らす軍靴の音。

次いでガコン、という機械音とともに。

「――私はやつのことが嫌いでね」

「……え?」

なんの前触れもない切り返しに嵌められたように顔を上げると、そのタイミングを見計らったように投げられた影を蓮は咄嗟に掴む。

掴んだものを見ると、比較的軽いアルミ缶と『小豆サイダー』の文字。

どうやら向かい側に備え付けられていた自動販売機で買ってくれたもののようだが、それよりもなんだこれ、という感情が勝る。マジマジと文字を見ていると、空いた右隣にオリバーは腰掛けて、片手で同じ缶を開けながら。

「何故か、と言われると私自身明確にどこがどう、とは言えないんだが。上から目線なところとか妙に冷めてるところとか。あれは昔からああなのか?」

胡乱げに流された紫眼からは呆れと苛立ちが綯い交ぜになったような感情が見て取れて、それを蓮に確認することでようやく彼が誰のことを言っているのかを理解して、蓮は苦笑いを浮かべつつ。

「う〜ん。少なくとも俺が会った時には、隼人はもうそんな感じだったかなぁ。今よりはもう少しひねくれてはいなかったと思うけど」

「初めて会った時は10歳くらいだろう?さぞ可愛くなかったんだろうな」

「可愛げはなかったね。だからよく天花寺さん、当時の『大和桜花調査団』の団長に怒られてたよ、もっと可愛げをみせろって」

「それであの性格なら、もう直らないんだろうな」

「直す気もないと思うけどね」

むしろひねくれた部分が追加されたぶん、昔よりもさらに面倒かもしれないな、と。蓮は想像しながらクスクスと笑う。

「クサナギが聖グリエルモ学院に編入してきた日から、私はどうにも彼のことが気に入らなかった。成績は下の下の癖に態度はでかいし、私が貴族だと知っても態度は変わらないし。……そんな人間は初めてだった」

確かに、今の時代『貴族』と名乗られればそれだけで態度は萎縮する。それだけの力を『貴族』は持っているし、現に自分も彼と初めて会った時に少し身構えてしまったものだ。

「そのくせ独りで迷宮区に出入りするものだから、ある時声をかけてみた。そしたらなんて言ったと思う?」

オリバーの言葉を、蓮は頭の中でシュミレーションしてみる。聖グリエルモ学院に隣接する迷宮区の出入口に立つ、隼人とオリバーを想像して、彼がいいそうなことを口にする。

「「余計なお世話だ」」

打ち合わせした訳でもないのにハモった言葉に、2人はなんとも言えない表情で苦笑する。

オリバーは当時の隼人を思い出して。

蓮は7年前から変わらない彼のつっけんどんな態度に。

「隼人らしいと言えばらしいけど……」

「言い方ってものがあるだろう」

最もな意見に、蓮は口を噤む。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだろう。

「だから私がクサナギを嫌うのも、『落ちこぼれ』と呼ぶのも私闘をするのも当然の権利だろう」

「それはやりすぎ」

「……中々言うようになってきたなココノエ。それが素だな」

じと、と眇られる紫眼から発せられる殺気から、蓮は逃げるように顔ごと視線を逸らす。その殺気は冗談のようだったらしく、すぐに霧散した。

「人としての最低限の節度を教えるのには、ひねくれた彼には多少力ずくの方がいいだろう?……まぁ、本当に死にかけるまでやろうとは、思ってなかったが」

「……」

「そんなに露骨に引かなくてもいいだろう。私が意図していたわけじゃない」

思わず顔に出てしまったのか、オリバーは顔を顰めながらそう補足するが、その言葉で引いた訳では無い蓮の表情が変わることは無かった。

なんというか、この少年もなかなかに歪んでいるな、と。

あぁでも、と。蓮が答えに悩んでいると、オリバーが独り言のようにそう呟いて。

「私がやった事には変わりはないんだがな」

自嘲げにそうつぶやく姿は、先程までの貴族然とした姿からは想像もつかないほどに、力なく陰鬱としたものだった。

自らが犯した罪の大きさに、処刑台に立たされた時にようやく気づいたような、そんな途方もない喪失感。

身に覚えのあるその感情に、蓮は静かに言葉の続きを待った。――彼なら、自分が求める答えを知っていると思ったから。

果たして。マリンブルーの少年は。

「私は彼を殺しかけた。それは私の意図したものではなかったが、結果として私はクサナギを殺しかけた。クサナギだけではなく、その場にいたヴァイスと、一緒に共だった友人3人は実際に迷宮生物に襲われて死んでしまった」

固く閉ざされた天井の上の星空を臨むように、オリバーは紫眼を仰ぎながら訥々と零す。

「私は裁かれるべきだ。しかし彼は。――クサナギは私を責めてはくれなかった」

償えと。

謝罪しろと。

お前も同じ目にあえと。

そうする権利が隼人にはあるはずなのに、彼はその一切をしてこない。笑い話で皮肉ることはあるものの、言ってしまえばそれだけ。

責め立てるわけでもなく、至って普通に目の前に立つ隼人の姿を想像して、蓮は納得する。――自分の知る彼らしいな、と。

「彼はどこまでも俯瞰的に世界を見る。それが自分のこととなっても変わらず、自分の意思に振り回されず。状況的に私一人に責はないと判断したから、彼は私を責めない。――それが罪人わたしにとって残酷なことだと、理解しているかは知らないが」

誰か一定の個人を責めることの無い隼人の姿は、一見して冷静でお手本のような大人の姿を連想させるだろうか。それでもオリバーの言う通り、彼のその態度は、逆の視点からは残酷とも言える。

責められなければ、償うことも出来ない。

『残酷だ』などと罪人が言えたギリは無いのだが、しかし償いたいと思っている側からすれば、やはりそれは残酷で。

同じ立場の蓮には、オリバーの気持ちが痛いほどによくわかる。

ならばこの気持ちは、どうすればいいのだろう。

「……ブルームフィールドさんは、どうしたの」

贖罪の場を設けられなかったもの達は、どこへ向かえばいいのか。

その答えを、今まさに迷いに迷っている蓮は欲しくて、同じ歳の少年に問う。

答えは意外にも直ぐに返ってきた。

「気にしないことにした」

あまりにもあっけらかんとした答えに、蓮はただただ呆然とオリバーを見返す。その視線を受け止めながら、しかし視線はまっすぐ前を向いたまま。

「別に過ぎたことだとか、相手が気にしてないのだからいいかとか、そういう意味ではない。ただ露骨に贖罪を求めるのを辞めることにした」

「……?」

いまいち全体像を測りかねて眉を寄せる蓮に、オリバーはようやく振り返る。苦笑をうかべた表情と、同じ色に染った紫の双眸。

「私は私なりに考えて、できることをしようと思っただけだ。自分勝手にね」

相手の意志に関係なく、自分がしたいからするのだと。

オリバーの押し付けがましいその言葉に、雷に打たれたように蓮は琥珀色の双眸を見開く。

――そうか。そうだったのか。

淡い月光の下、まるで懺悔室の神父のそれを思わせる静謐な佇まいの少年はまた視線を虚空へと投じながら。


「この身が滅ぶその時まで、自分の罪を背負い続ける。――それが罪人わたしたちができることではないだろうか」


そう言って、手にした缶ジュースを一気に煽ると、オリバーは音も立てずにす、と立ち上がり。

「それと。君も私のことは名前で呼べばいいだろう。君たちに苗字で呼ばれるのは慣れない」

律儀に自動販売機の隣に備え付けられたゴミ箱に歩み寄りひょい、と空の缶を投げ捨てながらオリバーは辟易と指摘する。そういえば、初めてあった時も隼人と同じようなやり取りをしていたな、と頭の端で考えて。

じゃあ、と。こぼした言葉は半ば無意識の感情。

「オリバーがみんなを苗字で呼ぶのは、君が距離を置いているってことかな」

「……それは答えた方がいいか?」

鋭く返された視線に僅かに乗った殺気を感じて、それが踏み込んではならないことだったと、蓮は気づく。

誰にだって、踏み込んで欲しくない事情の、一つや二つあるはずなのに。

彼の言葉は言外に。――これ以上踏み込むのならば容赦はしないと語る。

暗闇でも爛々と光る紫眼は、しかし直ぐに伏せられ見えなくなる。頭の後ろで束ねられたマリンブルーの長髪を靡かせながら振り返り。

「明け方にはまた召集がかかるだろう。その前に少しでも休んでおくことを勧めておく」

優雅に肩越しに手を振って、それきり振り返ることなくマリンブルーの罪人は消える。

真っ暗な闇に消えてもなお、その背中を琥珀色の瞳は見据える。その瞳が、もう悲嘆や暗鬱で揺れることは無い。


たった一つ。――残してくれた彼なりの贖罪の方法を、胸に刻み込むように。

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